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2012年02月29日

『昭和ちびっこ未来画報—ぼくらの21世紀』初見健一(青幻舎 )

昭和ちびっこ未来画報—ぼくらの21世紀 →bookwebで購入

「未来の子供たちはこんな道具で遊んでるんだ!」ドラえもんはよく言います。ものすごい技術を集結してつくられたはずの「タケコプター」も「どこでもドア」も22世紀では子供の遊び道具。未来ってすごいなあ! 1980年代に子供時代を過ごした私は、ドラえもんが「未来の子供たちは…」と言うたびにドキドキしたものです。

 あれから長い年月が過ぎました。1999年アンゴルモアの大王は降ってきませんでした。2001年宇宙の旅は実現しませんでした。2003年アトムは生まれませんでした。私はいつの間にか大人になっていました。テレビを点けるとそこではまだドラえもんが「未来の子供たちは…」と頑張っています。ドラえもんは22世紀ですからね。まだ生き残っていられるわけです。でも、他の未来世界の主人公たちはどこにいるのでしょう。いつの間にか静かに立ち去ってしまったようです。
 これからご覧いただくのは、主に1950〜70年代の間に、さまざまな子ども向けメディアに掲載された『未来予想図』の数々です。この時代、「21世紀はこうなるっ!」を図解した記事は、子どもたち、特に男の子たちに大人気の定番コンテンツでした。その大半は空想、夢想、妄想に基づいた文字通り荒唐無稽なもので、まさに「トンデモ未来観」のオンパレード、言うまでもなく、現実の21世紀は「こう」なっていません。

 こんな序文でこの本は始まります。ページをめくった私はあっという間にこの昭和の、古びた『未来予想図』に夢中になってしまいました。車が飛び回る空中都市。誰でも行ける宇宙旅行や海底旅行。気象や自然災害をもコントロールできるようになった人類。ロボットたちが笑顔で歩き回り、すべてがコンピュータ化されて便利になった夢の世界が、細やかなディティールで描かれています。それがほんの数十年後に実現すると聞かされた、当時の子供たちはどんなにか心踊ったことでしょう。現実を知っている21世紀住人の私ですらドキドキしてしまいます。

 実現した「未来」もあります。「すごいぞ ゆうびんロケット」(1951年)で描かれている「3時間でアメリカまで届く郵便」は、電子メールという新技術によって可能になりました。3時間どころか1秒で届きます。巨大なハイウェー監視ロボットが管理する「事故ゼロのハイウェー」(1969年)は、車自体にロボット機能を持たせる方向で実用化が目指されています。「楽しいな 円ばんがたせんすいていで海底のドライブ」(1959年)や「どんな海でもへっちゃらさ!」(1974年)に登場する有人潜水船や無人海底探査機はすでに世界中の海で活躍しています。

 もしかしたら、これらの技術を開発したエンジニアたちは、子供時代にこの『未来予想図』を見ていたのかもしれません。当時の大人たちが語った未来は、奇想天外ながらも、多くの子どもたちに21世紀をめざすパワーを与えていたに違いありません。そう思うと私は当時の子供たちがちょっぴり羨ましくなります。私が子供だった1980年代に、明るい「未来」を語ってくれる存在は、もうドラえもんしか残っていませんでしたから。では、現在の21世紀の子供たちはどうでしょう? 彼らに「未来」を語る人はいるのでしょうか。そもそも現在の日本に「未来」なんかあるのでしょうか?

 本書は消えてしまった「ぼくらの21世紀」をめぐる本として企画されましたが、本当に消えてしまったのは、僕ら世代が子ども時代に確かに持っていた「未来」への好奇心であり、「未来」というオモチャを子どもたちに提供してくれる大人たちの存在なのかもしれません。少なくとも僕は、当時の大人たちが心血を注いで創造した「未来」というオモチャでさんざん遊びまくっておきながら、大人になったとたんに「未来なんてたかが知れてるよナ」なんてつぶやいたりして、あの楽しさを次の世代に伝えることをまるっきりサボっていた……ような気もします。

 著者の言う通り、消えてしまったのは「未来」ではなく「未来」を語る大人たちなのかもしれません。現在、テレビやラジオでは、年老いたかつての昭和の子供たちが、入れ替わり立ち替わり「老後の不安」を訴えています。ニュースは莫大な国の借金額を伝え続けています。21世紀の子供たちは「しっかり就職して国の借金を返し、ものすごい額の年金を払ってお年寄りたちを養っていかなければ」と思うしかありません。宇宙旅行や海底旅行どころではありません。結婚や子供を持つことでさえ夢に終わるかもしれないのですから。

 追い打ちをかけるように、過去の栄光を美化して作られたテレビドラマや映画が続々つくられ「昭和は良かった」という大合唱が、やはりかつての昭和の子供たちから巻き起こっています。その合唱は「今は駄目だ」「これからも駄目に違いない」という強いメッセージとなり、21世紀の子供たちの上に降り注いでいます。私の覚えている限り10年以上こんな状態が続いています。その結果「未来」を語るどころか「現在」を肯定することすらできない人間が増えてしまったような気がします。

 しかし昨年の震災以後、少しずつ風向きが変わってきました。書店の店頭でも「過去の栄光」を語る本は隅の方へ追いやられつつあります。代わりに「はやぶさ」関連の書籍が平台を埋めるようになりました。去年は2025年の未来が舞台の漫画「宇宙兄弟」も大ヒットしました。アニメ映画「宇宙戦艦ヤマト2199」も今年公開されます。どれも未来へ突き進む強いパワーを感じさせる作品ばかりです。

 なぜふたたび未来志向がはじまったのでしょう。それにはあの原発事故が影響しているように思います。汚染された水道水を飲ませまいと、幼い子を持つ母親たちがかけずり回るのを見たあの日から、日本人は真剣に未来について考えるようになったのではないでしょうか。「よかった」はずの昭和の延長にあるこの社会が、いとも簡単に崩れさるのを見た時、人々の心の中に新しい「未来」を求める強い衝動が突如として湧いてきたのではないでしょうか。

 ドラえもんはよくやってきたと思います。大人たちが未来への興味を失い、明日への希望を次世代に伝えるという役割を放棄している間もずっと、子供たちに「未来の子供たちは…」と語り、夢を与え続けてきました。しかしそろそろ肩の荷をおろしてあげたい気もします。だからこそ、私たちも自分自身の口から未来を語らなければなりません。この本はそのきっかけをつくる起爆力になるはずです。それぐらいすごいのです。この本に掲載されている『未来予想図』は。

※新刊「海に降る」(朱野帰子著/幻冬舎)発売中です!


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2012年02月21日

『竜の学校は山の上 — 九井諒子作品集』九井諒子(イ−スト・プレス )

竜の学校は山の上 — 九井諒子作品集 →bookwebで購入

「勇者」という言葉を、私たちの世代に広めたのは、1986年に第1作が発売されたRPGゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズではなかったでしょうか。このゲームが瞬く間に全国の小学生を魅了したのは、単にゲームとして完成度が高かったからだけではありません。中世ヨーロッパの英雄伝説や物語をベースに組み立てられたと思われるこのゲームのシナリオは、非常に質の高いものでした。プレイした子供たちは、少なくとも私の周りの小学生たちはみんな、竜の存在する国、剣を携えた勇者たち、魔王の城、翼の生えた人々のいる世界に瞬く間にひきずりこまれて、夢中になっていました。今も「勇者」という言葉を聞いてドキドキしてしまうのは、きっと私だけではないはずです。

 そんな「ファンタジー」の世界を緻密に描きだした上で、ぺらっと裏返してみせたのが、この漫画『竜の学校は山の上』です。竜やケンタウルスの奥様が牧歌的に描かれた表紙を書店の平台の上で見た私は、幼き日のドキドキ感を思い出し「こんな世界が身近にあったらいいなあ」と懐かしい気持ちになりました。「今売れてるみたいだし買ってみるか」そんな安易な気持ちでこの漫画を手に取った私。しかし、最初の短編『帰郷』の冒頭、魔王を倒して帰ってきた勇者を迎える村人の会話を読むや否や、頬をひっぱたかれたような気持ちになったのです。
「また魔物かい」
「おうよ、ろくでもねえ」
「魔王が死んだっていうのは本当なのかね。魔物が減るどころか以前より多くなったようだ」

 続く短編『魔王』でも『魔王城問題』でも、私が思い描いていたファンタジーの世界は、作者・九井諒子の手によって、あっという間に似て非なる世界へと変貌させられてしまいます。ケンタウルスとして生まれた人々(馬人)といわゆる普通の人々(猿人)たちが一緒に働く会社も、翼を持って生まれてきた女子高生(翼人)のいる学校も、読む前に私が「こんな世界が身近にあったらいいなあ」と想像した、まさにその通りの世界であることに違いありません。作者は私の想像を何も裏切ってはいないのです。しかしその「ファンタジー」が緻密に描かれれば描かれるほど、「日常」の残酷さやるせなさが浮き彫りになっていくのはなぜでしょうか。

 そして、表題作『竜の学校は山の上』。この短編では竜が人によって家畜化された世界が描かれています。しかし、日本唯一の「竜学部」があるという宇ノ宮大学に入学した主人公は、サークルの勧誘にやってきた先輩からこんなスピーチを聞かされ、出鼻をくじかれてしまうのです。

「えー簡潔に申し上げますと残念ながら現在の日本に竜の需要は全くありません。ゲームの世界ではないので。従って皆さんの就職先はありません」

 そこら中に竜のいる世界だったらいいのに。そう思う一方で、しかし、本当にそんな世界があったとしたら、やっぱりこんな光景になってしまうのかもしれない。読み進むうちにそんな気持ちになってきます。「ファンタジー」が現実の世界に現れたとしても、それは瞬く間に連綿と続く「日常」の中に取り込まれてしまうに違いないのです。逆に言えば、私たちが毎日触れている「日常」のあちこちにも「ファンタジー」は内包されているのかもしれません。

 そうなのです。私たちはすでにドラゴンクエストの世界に生きているのです。世界を救って帰ってきた勇者を冷めた視線で迎える村人。戦いの最中は支援しなかったくせにいざ魔王が倒れるとすぐその城を占拠しようと群がる人々。ケンタウルスの同僚の超人的な能力を煙たく思う会社員。翼のある同級生の女の子に将来の可能性を捨てて自分と一緒にいてほしいと願う高校生。竜を利用価値のない過去の遺物として切り捨てようとする社会。そんな光景は私たちの「日常」のそこら中にあふれているではないですか。

 けれど単なる現代風刺で終わらないところが、この漫画のいいところです。過酷な「日常」に取り込まれた「ファンタジー」を生きる主人公たちが溜め息のように漏らす言葉。その一言からは、この世界への優しい愛情があふれだしていました。読み終わった後、私は不思議と自分の生きる世界に温もりを感じていたのです。そして本を閉じた時、作者が、さっき裏返した世界を、そっと元に戻す気配を聞いたような気がしました。


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2012年02月09日

『いちばんやさしい地球変動の話』巽好幸(河出書房新社)

いちばんやさしい地球変動の話 →bookwebで購入

 去年の3月に大きな震災が起きて以来、呼吸が浅くなっている気がします。「○ヶ月以内に大地震が起きる可能性が○%と専門家が言っている」「富士山が噴火するらしい」「浜辺に鯨が打ち上げられた」「大地震の予知夢を見た」…。不穏な情報を聞くたびに酸欠状態の魚のようにハアハアと喘いでしまう。あの日以来、そんな時間ばかり過ごしてきた気がします。

 恐怖は人間を強くし、より高みへと押しやります。日々もたらされる不安は私たちにこれまでの生活を見直し備えをする契機を与えました。古代から続くこの危機感こそが、日本をして世界で最も進んだ地震対策大国とならしめたといっても過言ではありません。しかしそれでも思わずにはいられません。「どうしてこんな地震の多い国に生まれてしまったのだろう…?」

 その答えを語る、穏やかな声が流れてきたのは、震災の3ヶ月後。TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」を聴いている時でした。声の持ち主は、身長が190センチメートルもあるというマグマ学者でした。ゲストとしてスタジオによばれていたのです。「もうすぐ伊豆半島の南に新しい大陸ができます」声はそう言いました。「それはどれくらい後の話ですか?」前のめりで尋ねる安住アナに対し、声は答えました。「…あと1000万年もしたら」その時私は少しだけ、自分の呼吸が、深く、長く、なったような気がしました。明日、明後日、何ヶ月後、というニュースに追いたてられていた心の中に、一瞬だけ壮大な時間のうねりがもたらされたように感じたのです。

 マグマ学者の名前は巽好幸。独立行政法人海洋研究開発機構の研究者でした。その巽さんが出された本を今日はご紹介します。タイトルは「いちばんやさしい地球変動の話」。いちばんやさしい、と銘打つだけあって、表紙には可愛らしい地球のイラストが描かれ、帯にはまるで自分の子供のように地球を抱いた巽さんの写真が掲載されています。ページを開くと、読者に語りかけるような巽さんの文章がはじまります。

 地球の、特に地球の中の話は、とにかくタイムスケールが長いのです。地球のことを考えるときには、どうかこのことを意識しておいてください。
 私たち地球を調べている人間が「つい最近」と言った場合は、概ね1000万年くらい前の出来事を指します。1000万年なんて言うと、途方もなく遠い昔のように感じられるに違いありません。でも、46億歳と言われる地球の年齢を人間の一生に喩えると、1000万年は僅か2ヶ月前、つい最近のことですね。

 お話は、まだ誰も見たことのない地球の内部構造から始まります。初めて読む人には難しいかもしれませんが、巽さんはちゃんとわかっています。やさしく迷子にならないように導いてくれます。ややこしい話をする時には愛らしいイラストでイメージを示してくれます。巽さんの地球への愛情が伝わってくるからでしょうか、1章を読み終わる頃には、不動の大地と思いこんでいた地球が、まるでひとつの生命体としてドクンドクンと息づいている音が聴こえてきます。地面の下を巨大なプレートや高熱のマグマが血液のようにゆっくりと流れている気配さえ感じるのです。

 地球内部の構造がわかったら、次は地球誕生の歴史を振り返ります。私たちが知っている震災とは比べものにならない超巨大なインパクトが何度も地球を襲います。約6500万年前、巨大隕石によって起きた地震はなんとマグニチュード11、この前の震災の1000倍の威力です。津波の高さは300メートル。恐竜たちはどんなにか怖かったことでしょう。しかしどうすることもできなかったのです。地球はそうやって少しずつ成長してきたのです。

 そして日本列島が生まれます。地球上に十数枚しかないプレートのうち4枚が押し合いへし合いしてできた日本列島。地球表面の僅か0.1%にしか満たないこの国土には世界中の火山の約10%が密集することになりました。世界中の起こる地震の約1割が日本列島の周りで起こると言われているそうです。しかし、ここまで読み進めてきた私はもう「どうしてこんな国に生まれてしまったのだろう?」などとは思いません。地球は生きていて今も成長を続けている。その生命力が最も激しくほとばしる場所に私は生まれ、これからも生きていく。諦めとも自虐とも違う、決意のようなものさえ生まれていたのです。日本列島の上に隙間なくびっしりと書き込まれた地震発生確率を見てもゼエゼエしたりしません。日本列島は本当に元気だなあ。そんな風にさえ思ってしまいます。

 …そして、最終章、人類未踏のマントルに挑む時代がやってきます。人類がその目で見たことのある地球は海底下僅か数キロメートル。半径6400キロメートルもある球体のほんの薄皮までです。科学者たちはこれまで地球が吐き出した岩やマグマや熱水や隕石の成分を見て、地球の内部を想像することしかできませんでした。しかし、遂に2005年、日本が世界に誇る最新鋭の掘削船「ちきゅう」が完成、時代は大きく動きはじめたのです。

(前略)世界中の研究者が新しい掘削技術を待ち望んでいました。
 それを実現したのが「ちきゅう」です。
 2003年から始まった、世界20カ国以上が参加する大型の国際共同研究「IODP」(Integrated Drilling Program:統合国際深海掘削計画)に。日本は「ちきゅう」を投入しました。つまり、日本が中心となって、この計画を進めて行くことになりました。これほどのビッグプロジェクトを遂行するのは、日本科学界ではあまり経験がありません。

 地震発生のメカニズムを解き明かすというこの国の願いは高みをめざし昇り続けていくようです。この本を読む前「次の地震がいつくるのか早く教えて!早く!」とテレビのコメンテーターのようにいきりたっていたあなたも、読み終わる頃には「地球は、日本列島はどうなっていくのだろうか」という全く別の時間軸で地球変動を捉える事ができるようになっているはずです。そして、その悠久の時とともに、いつの間にか呼吸が、深く、長く、楽になっているのを感じるでしょう。あの日、マグニチュード9の衝撃を目の当たりにしたあなたに、是非お勧めしたい一冊です。


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