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2012年01月26日

『深海のパイロット—六五〇〇mの海底に何を見たか』藤崎慎吾/田代省三/藤岡換太郎(光文社)

深海のパイロット—六五〇〇mの海底に何を見たか →bookwebで購入

 謎めいた人物ネモ船長が主人公たちを連れて世界中の深海を旅する物語「海底二万里」を知らない人はいないでしょう。庵野秀明監督の「ふしぎの海のナディア」の原作であり、宮崎駿監督の「天空の城のラピュタ」の原案でもあり、その他、世界中のクリエイターに大きな影響を与えた物語です。その後いくつもの海洋冒険小説が発表されていますが「海底二万里」を凌駕する物語はまだないと言ってもいいのではないでしょうか。

 この物語の胆は何といっても潜水艦「ノーチラス」です。最大潜航深度は(私が物語を読んだ限りでは)最低でも1万メートル、搭乗可能人数は650名以上。この物語が発表されたのは西暦1870年。それから142年もの月日がたっているにも関わらず、人類は未だ、これを超える潜水船を建造できずにいるという、とにかくものすごい船なのです。

 それでは、今現在「私たちの科学の限界」はどこにあるのでしょうか。実は、その最先端は日本にあるのです。人を乗せて世界で最も潜ることのできる有人潜水調査船を運用しているのは、日本随一の海洋研究機関、独立行政法人海洋研究開発機構(通称:JAMSTEC)。船の名は〈しんかい6500〉。搭乗人数3名が体をぴったりと寄せ合わなければならないほど小さい船ですが、その最大潜航深度は6500メートル、世界第1位です。今から20年余りも前に建造され、たった今も、世界のどこかの海底を投光器で照らしながら、深海の闇の中を這い回るようにして潜航しています。

 なぜ日本が、世界第一位の潜水調査船を持つ必要があったのでしょう。それは勿論、日本が世界有数の「地震大国」だからです。地震とともに生きなければならないこの国には、どうしても6500メートルという最大潜航深度を持つ船が必要だったのです。〈しんかい6500〉は、今回の東日本大震災でも、発生からわずか5ヶ月後の8月、大きな余震の続く日本海溝の海底に人を乗せて潜り、地殻変動によってつくられた亀裂や、大量に発生した生物たちの姿を撮影してきています。(映像はこちら)まさに「地震大国」日本の、維持と誇りを搭載した船だと言っても過言ではないでしょう。

 今日ご紹介するのは、その〈しんかい6500〉のパイロットたちを描いた本です。サイエンスライターの藤崎慎吾氏による第1部、研究者の藤岡換太郎氏による第3部も、ものすごく面白いのですが、私が一番好きなのは、元パイロットで初代潜航長の田代省三氏が語る第2部です。

〈しんかい二〇〇〇〉、〈しんかい六五〇〇〉での私の三一八回の潜航は、それぞれが今でも私の記憶に強く残っています。なぜなら、深海底を我々は何も知らないからです。一回一回の潜航は、「探検・冒険」とまでは言いませんが、行ってみなければどうなっているのか全くわからない世界であることは確かです。人類の英知をかけた科学技術の結晶として、よく宇宙船と潜水調査船は比較されますが、ある意味では宇宙より深海底の方が、謎は多いのではないでしょうか?

〈しんかい6500〉のパイロットには、潜水船を操縦するだけでなく、その船体を丸ごと整備できるだけの技能が求められます。一度海底に潜ってしまったら、どんなトラブルがあっても自力で乗り越えなければならないからです。彼らには深海という極限環境で難しいミッションをこなすという使命があり、同時に搭乗員の命を死守するという責務があります。夢や憧れだけでは務まらない、適性と能力を厳しく問われる職場だということが、この本を読むとよくわかります。

 だからこそ、パイロット自身が淡々と語る深海の世界からは、静かな緊迫感と生々しい空気が、びりびりと伝わってくるのです。誇張した表現はありません。それなのに、なぜでしょう、私はいつも田代氏の文章を読みながら想像してしまうのです。「海底二万里」で潜水艦「ノーチラス」に乗りこんだ主人公に、海の神秘を静かに語るネモ船長の姿を。もしかして、ネモ船長ってこんな人だったのではないか、こんな空気をまとった人だったのではないか、とワクワクしてしまうのです。

 田代氏は、第2部をこんな言葉で締めくくっています。

私はジュール・ベルヌの『海底二万マイル』に登場するネモ船長の「ノーチラス」のような、大きな窓を持った大きな潜水調査船があればと思っています。海底を観察する研究者と一緒に、たくさんの人たちが一緒に潜り、一緒に深海底を感じることができれば、世界は変わるのではないかと、私は本気で考えています。これからの地球の、いや人類の未来は深海底にかかっていると、深海底に三一八回行った私は、本気で信じているのです。

 これは夢物語ではないようです。JAMSTECで働く人々の口からは「〈しんかい11000〉を造りたい」という言葉がよく出てきます。東日本大震災後は、そこに1千メートル足して〈しんかい12000〉になりました。今回のような大地殻変動が起きれば、世界最深部、マリアナ海溝チャレンジャー海淵よりももっと深い場所が、地球上に出現するかもしれないから、だそうです。

 どうです、ドキドキしませんか。千年に一度の大地殻変動は、私たちに海の恐ろしさをこれでもかというほど与えてくれたけれど、同時に、日本がさらなる海洋大国として成長するための大きな原動力を与えてくれたのではないでしょうか。そんな風に思えるようになる一冊です。


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2012年01月12日

『潜水調査船が観た深海生物 — 深海生物研究の現在』藤倉克則/奥谷喬司 (東海大学出版会)

潜水調査船が観た深海生物 — 深海生物研究の現在 →bookwebで購入

 私事で恐縮ですが、このたび、新刊を出しました。「海に降る」(朱野帰子/幻冬舎)。女性初の有人調査潜水船パイロットを目指す主人公が海に棲む未確認巨大生物を探しに行く、という深海冒険小説です。物語の舞台は国内随一の海洋研究機関、独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)。今井さんが書評を書かれた「生命はなぜ生まれたのか―地球生物の起源の謎に迫る」の著者、高井研さんも在籍している機関です。なぜこんな小説を書いたかというと、それは単純に、深海の世界が書きたかったから。それだけなのです。

 そんな私が今日、全国の深海生物ファンの皆様にご紹介する本は、JAMSTECが出版した、我が国初の深海生態図鑑です。7,140円(税込)です。

「えっ、図鑑に7,000円も出せないよ」と思った方、お帰りください。むしろこれで7,140円は安いのです。高い、と思った時点であなたは真の深海生物ファンではないのでは? メンダコを一目見たいと沼津港深海水族館に遠路はるばる足を運ぶような、そんな人であれば必ず、この本に値段以上の価値を見いだすことでしょう。刊行されたのは2008年とやや古いですが、国内でこれを凌駕する深海生物の図鑑はまだ発売されていませんから、買っておいて損はないと思います。

 それからさっき「えっ、図鑑に7,000円も出せないよ」と思った方、お帰りくださいとか言っておいてナンですが、ちょっと戻ってきてください。まずは入門編として最適な「深海生物ファイル—あなたの知らない暗黒世界の住人たち」(1,699円)とか、写真がとにかく美しい「深海のフシギな生きもの—水深11000メートルまでの美しき魔物たち」(1,365円)を購入してみてはいかがでしょう。どちらも、JAMSTECが関わって編まれた素晴らしい本です。しかし、あなたはすぐに物足りなくなるでしょう。これらに紹介されているのはいわゆる「アイドル深海生物」たち。深海生物の種のごくごく一部でしかありません。もっとたくさんの、もっとディープな生物を求めて、あなたは結局「潜水調査船が観た深海生物—深海生物研究の現在」に戻ってきてしまうでしょう。

 さて、ここから先は「7,000円なら安い」と思った方だけお読みください。あなたはすでに上の段落で紹介したような入門編書はすでに読み終わり、アイドル深海生物(リュウグウノツカイ、オオタルマワシ、メガマウス、ダイオウイカ、コウモリダコ、オオグチボヤ、ラブカなど、ビジュアル重視な生物たち)にも飽きてきた頃かもしれません。深海生物たちの栄養源が必ずしもマリンスノーだけでないことや、彼らの凄さは奇怪な外見だけにあるのではないということに気づきはじめた頃かもしれません。

「潜水調査船が観た深海生物—深海生物研究の現在」には、そんなあなたの貪欲な知的好奇心を十分に満たしてくれるコンテンツが満載です。掲載されている生物の写真は膨大で(それでも有人潜水調査船〈しんかい6500〉によって撮影されたもののごく一部だそうですが)、ハオリムシだけでも12種類、ナマコは20種類、私の好きな海綿は48種類も載っていました。中には「撮影されただけ」で名前も決まっていない生物もたくさんいて私たちの胸を無闇にドキドキさせてくれます。さらに世界トップレベルの研究者たちによる専門的な解説が、これでもかというほどの量載せられていて、彼らの深海生物学に賭ける熱い思いがダイレクトに伝わってくるのです。

(前略)テレビなど一般向けの記事には、シーラカンス、ダイオウイカ、チョウチンアンコウといった奇異な生物が取り上げられ、「深海生物とはこういう不思議な生物ばかり」という誤解も与えているのではないだろうかと危惧される。本書で取り上げた生物の映像はできるだけありのままの深海生物の姿を選択した。読者は深海生物の多くは浅海域の生物と姿形が類似していることに気づかれるであろう。しかしながら、彼らは深海に順応するために見た目ではわからない生態・生理機能を有しているはずである。(中略)広大な深海底や、またその上を覆う膨大な水塊中に「たくましく生きる」生命の謎を解き明かすことが深海生物学の使命ではなかろうか。〈あとがきより抜粋〉

 電車の中で読むには少しかさばりますが、仕事で疲れた時、人生に嫌気がさした時など、この図鑑を開くだけであなたの脳は、深海の闇の中へとずぶずぶと沈み、複雑に絡み合う生態系の神秘の連鎖に溶けこんでいけることでしょう。

 最後に「ああ、この図鑑なら持ってるよ」というあなた。私とお友達になってくれませんか。そして禁断の地下生命圏(深海のさらに下の海底のさらにその下に棲む超好熱性菌の世界)まで一緒に行きませんか? 残念ながらこの世界の図鑑はまだ発売されていませんが(何百種類ものバクテリアの写真が並ぶだけの図鑑になるでしょう)、真の深海生物ファンはそこまでいかないと、やはり駄目だと思うのです。

【追記(2013.1.18)】
このたび、加筆して写真をアップデートした第2版が出たそうです。新しくこの本を買う方はこちらを購入されたほうがいいかもしれません。すでに第1版を購入している真の深海生物ファンの皆さん…わかっていますね…もう一冊…買うのです…。


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2012年01月04日

『ブラック・ジャック創作(秘)話 〜手塚治虫の仕事場から〜』原作・宮崎克 漫画・吉本浩二(秋田書店)

ブラック・ジャック創作(秘)話 〜手塚治虫の仕事場から〜 →bookwebで購入

 かつて七日間で世界を灼きつくしたと伝えられる巨神兵のように、莫大なエネルギーを以て創作に打ち込む天才。誰もついていけない、いや、一緒にいるだけでうっかり一緒に灼かれてしまいそうな危険な存在。そんな人を私はモンスターと呼んで、密かにコレクションしています。書評空間ではすでにそんなモンスターのひとり、宮崎駿監督の暴走っぷりを書いた(それが主題の本ではないのですが)「ジブリの哲学」をご紹介させていただきましたが、今回はさらにすごいモンスターを紹介させていただきます。漫画の神様、手塚治虫先生です。

 手塚治虫を神格化して描いた漫画といえば、藤子不二雄Aによる自伝的漫画「漫画道」でしょう。故郷の富山県でせっせと漫画を投稿していた少年時代の藤子不二雄コンビは、自信作をひっさげて上京を果たします。しかし憧れの手塚治虫に邂逅を果たした彼らは、手塚が自らボツにした膨大な枚数の原稿を目にして雷に打たれたような衝撃を受けます。天才があれほど努力しているのだから、自分たちはもっと努力しなければならない。帰りの汽車の中で、彼らが自信作をビリビリに破いての窓から撒くシーンは「漫画道」の前半のクライマックスです。まさに神にふさわしいエピソード。「漫画道」で描かれる手塚の頭には、しばしば後光が(!)さしており、当時の新人漫画家がどれほど彼を高く仰ぎ見ていたかということがわかるのです。

 しかしその一方で我々読者は、手塚の、神らしからぬ不穏な噂をしばしば耳にすることがあります。梶原一騎の「巨人の星」が大ヒットした時には「この漫画のどこが面白いんだ、教えてくれ」とスタッフに訴えたとか、水木しげるの「墓場の鬼太郎」に衝撃を受けて階段から落ちたとか、手塚が才能ある新人作家たちに尋常ならざる敵愾心を持っていたらしいというのは、すでに有名な話です。自分を崇拝していた藤子不二雄に対してでさえ、その原稿を初めて見た時には「とんでもない子達が現れた」という焦りを感じたと自ら語っているほどです。

「自分の漫画は面白くないのでは」「他の新人に追い抜かれるのでは」という恐怖に、終生脅え続けていた手塚。その恐怖が、彼を、人間の限界を超えた量の創作活動と異常なまでのこだわりへと追い立てていたのでしょう。私はそんな手塚治虫を、自分のモンスター・コレクションのひとつに加えたいと、ずっと思い続けてきました。

 そんな折、書店でこの本を見つけた私は、迷いに迷った挙げ句に購入に踏み切りました。なぜ迷ったのか。「ブラック・ジャック創作(秘)話」というタイトルと、ノスタルジックな装丁から「また、手塚治虫神格化のエピソード満載なんじゃないの」と予想したからです。しかしその予想はすぐに裏切られました。見事なまでのモンスター本だったのです!

 物語の語り手になるのは、編集者、アシスタント、アニメ制作のスタッフたち。ヒット作は途絶え、アニメは経営的に失敗。当時、どん底にいた手塚が起死回生を賭けて「ブラック・ジャック」の連載を始め、復活を果たすまでの舞台裏が描かれています。

 しかし、それを単なる感動ストーリーに終わらせないのが手塚治虫です。この漫画には神様など登場しません。首からタオルをかけたランニングシャツ姿で、無精髭を生やした顔に汗をたらたら垂らし、インクまみれになりながら、周囲の人間を振り回したいだけ振り回し、心配をかけまくりながら仕事をする、ひとりの中年のオッサンが主役です。「す、すごい」でも「絶対一緒に働きたくない」それが読み終わった私の感想です。その場に居合わせた人は大変だったでしょう。読者も疲れます。読んでいるだけで寿命が吸い取られていくようです。

 今回は引用しません。どんなエピソードが描かれているのか、直接読んでみてください。そしてあなたも是非、寿命を縮めてください。 

 余談ですが、この漫画、今年の夏頃から書店の平台の隅にひっそりと置かれていました。興味を持ちはじめてから、しばらく観察していたのですが、入れ替わりが激しい平台に、三ヶ月たっても半年近くたっても、しつこく細々と生き残っていました。それで私もとうとう買うことにしたのですが、同じような読者がたくさんいたようです。なんと「このマンガがすごい!2012」オトコ編第1位に輝いてしまいました。

 なんでも1番でなければ気がすまなかった手塚治虫。死してなお、21世紀の漫画家たちを押しのけて第1位を奪い取り、平台に山のように積まれることになったこの漫画の表紙を見るたび、私は「やっぱり一緒に働きたくないオッサンだな」と思うのです。


 


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