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2011年11月30日

『東京都北区赤羽』清野とおる(Bbmfマガジン)

東京都北区赤羽 →bookwebで購入

「最近の若者は海外に興味がなさすぎる!」と、息巻いているコメンテーターをテレビで時々見かけます。中高年の男性が多いですね。「最近の若者は海外旅行しない。留学もしない。車にも乗らない。酒も飲まない。だから日本が駄目になるんだ。不景気になるんだ」などと、若者が反論しないのをいいことに言いたい放題です。

 むしろ私は「なぜ中高年の人々は、そんなに海外が好きなのか?」と問いたいです。若い頃「海外」に飢えた反動なのでしょうか。それゆえ、有名な観光地をめぐるだけのパックツアーであっても「海外に来ている!」というだけで興奮できるのかもしれません。

 しかし、今の若者は、その気になればハイヴィジョンテレビで世界遺産を鑑賞でき、日本でも本格的な海外料理を食べられ、フェイスブックで海外の友人を簡単に作ることができます。海外に行かなければ買えないものなどもはやありません。私たち若者(私は31歳ですが一応若者に入れておいてください)が、海外旅行に興味がないのは、もはやそこに、大金を費やすだけの価値を見いだせなくなっているからではないでしょうか。
 
 海外よりも、面白いのは日本です。クールジャパンなのです。こう言うと中高年の方々は「ああ、ゲームね。アニメね。漫画ね」と安易な想像をすることでしょう。違います。日本はもっととんでもないところなのです。そのことに若者は気づいてしまった。いまや日本は、海外なんかよりもずっと新鮮で複雑で刺激的だったりするのです。

 そのひとつが「東京都北区赤羽」です。

 主人公の漫画家・清野とおるは、ひょんなことから北区赤羽に移り住みます。交通も便利、商店街もあり、一見住みやすそうな赤羽。しかし清野は次第にこの街の奥深さ、摩訶不思議さにズブズブと足をとられていきます。

 例えばこれは、清野が出会ったある路上ミュージシャンの斉藤さん(実在の人物です)の赤羽の生活を回想した一場面です。


またある日、元・演歌歌手を自称するホームレスから声をかけられ、なんのかんのあって同じアパートで暮らすことになったものの、なんのかんのあってガード下で掴み合いのケンカをして絶交することになったり…。
またある年のワールドカップか何かのサッカーの試合が行われた日に、東口噴水広場で歌っていると…すごい数の提灯を掲げた「町の便利屋」と名乗るおじさんが騒ぎ始めた。(中略)
また別の日…「…私、ペイティと申します」「ペイティ」と名乗るただならぬオーラをまとった中年女性から声をかけられた。

 ちなみに「町の便利屋」「ペイティさん」は、清野の漫画ではお馴染みの、主要キャラ(どちらも実在の人)です。この漫画には他にも、営業中に爆睡している居酒屋「ちから」のマスター、老人ばかり集まる喫茶店で赤飯を手売りする老婆、札束を見せびらかすだけの10万円ジジイ、町中をうろうろしているウロウロ男、亀を相手に酒を飲むおばさんなど、目をそむけたくなるようなキャラ(すべて実在の人々)が、わさわさと登場します。

 どんな町にもひとりやふたりいるけれど、あまりの異質さに見て見ぬふりをしてしまう、社会の狭間で生きているような人々。そんな人々がそこら中を普通に歩いていて、しかも風景に馴染んでいる、それが赤羽のすごさなのです。

 清野はそんな人々に自分から話しかけ、親しんでいます。ある時は全身赤い服で身を包んだおじさんを追跡、おじさんの家にまであがりこんでいます(7巻)。赤羽の夜空に登場して大騒ぎを引き起こしたUFOの正体も暴いています(7巻)。路上の芸術家を名乗る老婆ペイティさんからは、ついに皮膚(本人のもの)までもらいました(6巻)。

 老若男女、相手構わず、赤羽の住人と友情を育み、赤羽という町を深く深く掘っていく清野のおかげで、私たち読者は、テレビや新聞が決してスポットライトを当てない人々の、どこにでもありそうでない異常な文化や、好き勝手に進化してしまった奇妙な町の風景を、どっぷりと楽しむことができるのです。

「若者が海外に興味がない!」と憤っている中高年の皆様、まずは「東京都北区赤羽」をガイドブック代わりに購入してみてはいかがでしょうか。ページを開けばたちまち、インドやコスタリカよりもワンダーな世界へと引きずりこまれること請け合いです。しかも1冊800円。コストパフォーマンス的にも優秀です。そして、この町よりも面白い地域が海外にあるのでしたら、是非教えていただきたいと思います。 


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2011年11月21日

『ジブリの哲学—変わるものと変わらないもの』鈴木敏夫(岩波書店)

ジブリの哲学—変わるものと変わらないもの →bookwebで購入

「マイケル・ジャクソンが趣味だ」という知人がいます。「帰宅してビールを飲みながらマイケルの記事をチェックする。バード・ウォッチングならぬマイケル・ウォッチングをするのが好き」なのだそうです。なるほどなあと思いました。誰にもそういう人のひとりやふたり、いるのではないでしょうか? 私にもいます。それは宮崎駿です。

 はっきりと自覚したのは、本書『ジブリの哲学』を書店で手に取った時でした。我が家の食費三日分もするこの本を買うべきか買わざるべきか迷った時、私の中のハヤオ・ウォッチャーが叫んだのです。「この本には私の知らないハヤオがいる!」次の瞬間私はレジで会計を済ませていました。

 思った通り、この本には私の大好きなハヤオの姿がありました。私の好きなハヤオ。それは空中を浮遊する少女や、不思議な生き物が息づく森の創造主たる、ファンタジックな宮崎駿監督ではありません。世界を焼きつくす巨神兵やぶくぶくとふくれあがるカオナシを生み出した監督の内なるモンスターの方なのです。一瞬で燃えあがる怒り。誰も止められない行動(あるいは暴走)力。周囲を疲弊させるほどのこだわり。インタビューやドキュメンタリーで時折見せるそのモンスターぶりは私を強く惹きつけてやまないのです。

 しかしインタビューもドキュメンタリーも外部の人間が描いたもの。どうしても監督を美化して描こうとする意図がはたらいてしまいます。ところが身内である鈴木敏夫プロデューサーが描くハヤオの姿には容赦がありません。

 iモード。説明をした途端、彼はリサーチをはじめました。五〇人のアニメーター全員に質問。
「携帯、持ってる?」
「iモードって知ってる?」
 しばらくすると、ぼくの部屋にやって来て、結果を教えてくれました。
 あいつとこいつとこれ、彼らに将来性はない。

 このご時世、会社にパソコンを導入しないわけにいきません。しかし監督は、ゲーム、パソコン、インターネット、iモードなどの新しい機器や機能を許しません。異常なまでの嫌悪感を示します。らしいといえばらしいですが、だからといって五十人の部下たちに「携帯、持ってる?」と聞いて回るその姿には少々異常なものがあります。私が部下だったら完全にひいているでしょう。

 そんな監督の意識を、鈴木プロデューサーは、母親が子どもの食事に嫌いな野菜をこっそり混ぜて入れるように、巧みな手腕で変えていきます。そう、監督がモンスターなら、鈴木プロデューサーはモンスター使い。『ジブリの哲学』は一見アニメのマーケティングについて書かれていながら、宮崎駿という天才をどのようにマネジメントしてきたか、その記録でもあるのです。

『もののけ姫』というタイトルを『アシタカせっ記』に変更したいと、宮さんがぼくにいってきたのは、たしか九五年の冬に入ったころだった。(中略)
 こういうときの宮さんは強引だ。自分の着想に自信があるので、説得(?)のために、あることないことをまくしたてる。(中略)
 さて、タイトルをどうするか。ぼくに迷いのあるはずはなかった。堂々と『もののけ姫』を世間に公表した。だれにも相談せずに。
 宮さんがそのことを知ったのは年明けだった。勢い込んで、こういってきた。
「鈴木さん、『もののけ姫』のタイトル出しちゃったんですか?」
 仕事をしていたぼくは、おもむろに顔をあげると、何事もなかったように、静かな声で「出しました」と告げた。

 本書では、監督の台詞が「タイトル出しちゃったんですか?」と淡々と書かれています。しかしテレビで鈴木プロデューサーが同じエピソードを語った時は、「だ、だ、出しちゃったんですか?」と口調を正確に再現していました。「だ、だ、だ」とつんのめるように三回繰り返すハヤオ。「出しました」と静かな声で言われ、この件についてはいっさい口をつぐんだハヤオ。まるで、アシタカに矢を射られ鎮められてしまったタタリ神のようで、何とも愛らしいではないですか。さすが鈴木プロデューサーです。私はこの本を買ってよかったと心から満足しました。

 私が次に期待している語り手は、息子の宮崎吾郎氏です。吾郎氏に相対するときのハヤオは尋常ではありません。彼の辞書に「親馬鹿」の文字なし。海原雄山のように行く手に立ちはだかり容赦なく叩きつぶそうとします。それに立ち向かわなければならない宿命を負った吾郎氏がモンスター・ハヤオをどう語るのか。まだ語るべき時は来ていないと思いますが、その時がきたら是非読んでみたいと思っています。鈴木プロデューサーにもまた本を出してもらいたいです。頼みましたよ!
 


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