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2011年10月31日

『進撃の巨人』諌山創(講談社)

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 強大な怪物。宇宙人。自然災害。大事故。ある日突然人類を襲う災厄。私はパニック映画が大好きです。抗うすべもなく逃げ惑う登場人物たちがむかえる残酷な行方をじっと観察するのが好きなのです。悪趣味でしょうか。しかし私は知りたいのです。来るべきその日、どう行動すべきなのか、どうすれば生き延びられるのか、本当に真剣に研究しているのです。

 研究から得るものはたくさんあります。地球温暖化による大洪水から逃げ惑う「デイ・アフター・トゥモロー」。この映画からは強靭な脚力が生死を分けることを学びました。そこで私はランニングを始めました。「宇宙戦争」を観てからは、ヒールの高い靴も履かないようにしています。宇宙人に捕獲されたとき絶対にこう思うだろうからです。「私、なんだってこんな日に走りにくい靴をはいてきたんだろう」と。

 こうして地道に研究を進めていた私は、ある日、書店で漫画『進撃の巨人』を見つけて立ちすくみました。「この漫画には何かある」直感した私は全巻買って帰りました。直感は当たっていました。1ページ目をめくった瞬間から、今まで観たことも聞いたこともない「来たるべきその日」にひきずりこまれてしまったのです。

あ……ありえない。巨人は最大でも15mのはず……! 50mの壁から頭を出すなんて――。

『進撃の巨人』は衝撃的なシーンで幕を開けます。高層ビルのようにそびえたつ壁から中を覗きこむ巨大な顔。それを見る人々の表情は停止しています。

周知の通り今から107年前、我々以外の人類は……皆、巨人に食い尽くされた。その後、我々の先祖は巨人の越えられない強固な「壁」を築くことによって、巨人の存在しない安全な領域を確保することに成功したが……それも5年前までの話……。諸君の中にはその場に居合わせた者も少なくないだろう。5年前、惨劇は再び起きた。

 100年もの間信じ続けて来た安全な領域。その安全が脆くも崩れ去った時、人類はどうすべきなのでしょうか。より安全な場所に逃げる。それが今までのパニック映画の答えです。災厄の中心から逃れさえすれば、どこからともなく勇気ある科学者や兵士が現れて、災厄をなんとかおさめてくれるからです。

 しかし『進撃の巨人』の世界には、災厄をおさめてくれる人など現れません。人類はひたすら無力です。衣服も着けず、顔にうすら笑いを浮かべている巨人たちは、意思疎通は愚か、その行動を予測することもできません。さっきまで果敢に戦っていた仲間が巨人に生きたまま噛み砕かれる様を目の当たりにしてしまったら、勇気という言葉すら空しくなってしまいます。

なんで……。なんで僕は…仲間が食われてる光景を…眺めているんだ…。どうして僕の体は動かないんだ…。

 この世界では逃げることすら許されていません。逃げればそれだけ巨人の侵略を許すことになり、残された生存可能な場所をめぐって人類同士の殺し合いが起きてしまうからです。強大な巨人に捨て身でたちむかう他、人類が生き延びる道はないのです。この物語の登場人物は皆、私たちと同じ感覚を持った普通の人々です。彼らは正気を失うほどの恐怖を感じています。あまりの恐怖に我を失う者、パニックを起こす者もいます。極限状態に置かれた人間の心をこの物語は残酷なまでに緻密に描きます。いつしか私は、巨人と戦い続ける人々と一体となっていました。巨人との凄惨な戦いの中で私は繰り返し考えます。真に「生き延びる」ということがどういうことなのかを。強靭な脚力で、走りやすい靴で、ただ逃げることが人類の「生」なのかどうかということを。

なぁ…諦めていいことあるのか? あえて希望を捨てて現実逃避する方が良いのか? そもそも巨人に物量戦を挑んで負けるのは当たり前だ。4年前の敗因の1つは巨人に対しての無知だ…。負けはしたが得た情報は確実に次の情報に繋がる。お前は戦術の発達を無視してまで大人しく巨人の飯になりたいのか? ……冗談だろ? オレは…オレには夢がある…。巨人を駆逐してこの狭い壁内の世界を出たら…外の世界を探検するんだ。

 恐怖から逃げることは一時的な避難にすぎません。奪われたものを奪い返し人間としての尊厳を取り戻すまでは、災厄は決して終わらないのです。主人公のエリンもそう言い続けます。彼の夢は、壁内に侵入する巨人を駆逐して安全な領域を守り続けることではない、巨人に奪われた「外の世界」を奪い返すことです。抑えても抑えてもこみあげてくる恐怖の、その先に見える夢、それを信じることで人は恐怖に打ち勝つことができるのかもしれません。私はそのことをこの漫画から学びました。私の研究はまだ続きます。


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2011年10月15日

『羆嵐』吉村昭(新潮社)

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 札幌市の住宅街にヒグマが現われました。テレビで報道されたのでご存知の方も多いでしょう。付近の公園や自然歩道は閉鎖されたそうです。札幌市中央区役所のホームページでも「クマやクマの足跡などを見つけたらすぐに110番通報しましょう!」と必死の呼びかけがされています。テレビでインタビューに答えたタクシーの運転手は「ヒグマはこのバスの停留所にもたれかかって立ってたんです」と興奮気味に話していましたし、付近の住民は「夜のウォーキングができません」と残念そうに語っていました。まるで凶悪殺人犯が脱獄したかのような厳戒態勢です。ヒグマとは、いったいどれほど危険な獣なのでしょうか。

 その問いに答えてくれるのは、吉村昭です。記録文学の巨匠で、東日本大震災後に注目を集めた「三陸海岸大津波」の著者としても有名です。その彼が、1951年に起きた日本史上最大の獣害事件「三毛別羆事件」を取材して著したのが、本書「羆嵐(くまあらし)」。この本にはヒグマという獣の恐ろしさがこれでもかというほど緻密に描かれています。

 この本を読み終えた瞬間からあなたは、ヒグマの影に怯えて暮らすことになるでしょう。私などは、木彫りの熊はおろか、あの愛くるしい、リラックマにすら触れるのを躊躇するようになりました。私が臆病なのではありません。あの北海道大好き人間、倉本聰だって巻末の解説でこう述べているのですから。

運の悪いことに僕はこの作品を五十二年の夏の盛りに読んだ。そしてその秋北海道富良野の原生林の中に小屋を建て移った。その最初の晩工事の手ちがいで小屋に電気がまだ引けておらず、はからずも闇の一夜を過ごす破目となった。だらしのない話だがあの初夜の恐怖は今でも胸に灼きついている。ローソクの炎とそれがつくる影。何重にも迫って押してくる圧倒的ボリュームの闇の濃度。原生林が建てる様々な物音。それらの中で子供のように脅え、酒を飲んで結局朝まで眠れなかった。その深夜。恐怖で震えている小生の脳裏にどういうわけかつい先頃読んだこの『羆嵐』が浮かんでくるわけで、ああいやなものを読んでしまった、変なものを変な時読んでしまったと後悔の念しきりと起ったのである。

 倉本聰はわざと恐ろしげに書いているのに違いない、と思ったそこのあなた。違いますよ! ヒグマは本当に恐ろしいのです。特に闇の中から小屋を襲うヒグマ、いえ、これ以上語るのはやめておきましょう。「羆嵐」、必ず読むべし。読んで彼らの襲撃に備えるべし。それだけ言って今回の書評は終わりにします。本当に怖いです。ヒグマをなめてはいけませんよ!


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