« 法律/政治/国際関係 | メイン | 演劇/映画 »

2014年03月29日

『Pendragon: The Lost City of Faar 』 D. J. Machale(Turtleback Books)

Pendragon: The Lost City of Faar →紀伊國屋ウェブストアで購入

「幻想的な世界で展開されるスリルに満ちた物語」

ニューヨークに春が来て、僕のアパートの前の通りにあるカフェやレストランは、店先にテーブルを出し、昼間から賑わっている。通りを歩く人や、通りで立ち話をする人も多くなってきた。そしてなにより、公園のプレーグラウンドで遊ぶ子供の姿が増えた。
そんな訳で、今回は子供も大人も楽しめるSFファンタジー『Pendragon』を読んでみた。この作品はシリーズ物で、僕の読んだのは前作『Pendragon:The Merchant of Death(邦題:ペンドラゴン−死の商人)』に続く「Pendragon: The Lost City of Faar」だ。


主人公は第二地球に住んでいる14歳のボビー少年。ボビー少年のいる世界は、異なる時間と異なる空間をもつ10のテリトリィに分かれている。

このテリトリィを自由に行き来できるのは「トラベラー」と呼ばれる選ばれた者たちだけだ。 

各テリトリィには代々伝わるトラベラーが存在し、第二地球からのトラベラーは、まだトラベラーとしては新米のボビー少年と、ボビー少年を導くプレスおじさんのふたりだ。
 

そしてテリトリィの崩壊をもくろみ、最終的には世界のすべての秩序をつかさどる「ハッラ」を破壊しようとするのが悪者セイント・デイン。セイント・デインもテリトリィを自由に行き来できるトラベラーだ。つまりこの物語は(第2作目までは)、善玉のトラベラーたちと、悪者のセイント・デインが各テリトリィを舞台に、戦いを繰り広げるストリーとなっている。

今回、ボビー少年たちは水の王国クローラルを訪れる。

クローラルはすべてが水で覆われた世界で、住人は水に浮かぶ居住地に暮らしている。このクローラルにはその昔、大地が存在しそこにファーという都市があったという伝説が残っていた。

ボビー少年たちよりひとあし先にクローラルに侵入したセイント・デインは食料を毒性のあるもの変化させ食料難を招き、ひいては食料をめぐっての争いを招いてクローラルの秩序を崩壊させようとしていた。



この陰謀をくいとめるようとしているうちに、ボビー少年たちは伝説の都市ファーが水の下に存在していることを発見する。そして、セイント・デインの最終的なたくらみは、クローラルの秩序崩壊だけではなくファーの破壊にあるとボビー少年たちは知る。


素早い展開と、ボビー少年たちを次々と襲う危機。物語は第二地球に住む、ボビー少年の友人ふたりが、ボビー少年から次元を超えて送られてくる手紙を読むという形で進められていく。幻想的な世界とスリルに満ちた物語は大人も十分に楽しめるものだった。


→紀伊國屋ウェブストアで購入

2014年02月12日

『Weight : The Myth of Atlas and Heracles』Jeanette Winterson(Canongate Books Ltd)

Weight : The Myth of Atlas and Heracles →紀伊國屋ウェブストアで購入

「神話を下敷きに語られる人の心」

1959年英国のマンチェスターで生まれたジャネット・ウィンターソン。英国の文芸誌『グランタ』から「優秀英国若手作家20人」のひとりに選ばれた経歴がある彼女は、長編小説、短編作品ばかりではなく、ノンフィクション作品を書きテレビや映画の脚本も手掛ける作家だ。
1985年の『オレンジだけが果物じゃない』でデビューを飾った彼女は、常に注目をされてきた作家でもある。

宗教色の強い厳格な家の養女として育った彼女の作品は、女性の性や社会モラルに鋭い視線を投げかけているものが多い。

現在に残る神話を世界の優れた作家に語り直してもうら「世界の神話」シリーズの第3作目をこのウィンターソンが手掛けている。彼女の選んだ題材はギリシャ神話に登場するアトラスとヘラクレス。

アトラスはティタン神族のひとりで、遥か昔オリンポスの神々との戦いに破れ、罰として世界の西の果てに立ち、一時の休みなしに天空を支え続ける役を課せられた。

一方、ゼウスを父に持つヘラクレスは、エウリュステウス王の命令で、ヘスペリスたちの守る黄金のりんごの実を取るために世界の西の果てに向かう。

ギリシャ神話では、ヘラクレスが黄金のりんごを取ってきてくれようアトラスに頼み、アトラスがりんごを取ってくるあいだヘラクレスが代わりに天空を支えるという話になっている。

この設定を下敷きにしてウィンターソンは、運命と選択、責任と自由、制限と願望の物語『Weight』を綴る。

『Weight』に登場するアトラスは優しく、思慮深いおだやかな性格の神として描かれている。一方、エラクレスはセックス好きで、悪知恵にたけ、自分の利益のためにアトラスを騙すこともいとわない人間の男だ。

天空を背負うアトラスは、自分は過去のあやまちから逃れられない運命だと感じている男の姿と重なり、ヘラクレスは己の弱さを力によって隠し続ける人間の姿を映している。

アトラスは天空を預けたあと再び天空を背負うことになるが、少しずつ自分の心に目覚め自由を欲するようになる。ヘラクレスは天空を背負ったことにより、自分のなかにある弱さを見せてしまう。

リリカルに、ときにはコミカルに、そうして著者の心の深い部分も語りながら、ウィンターソンはこの物語を仕上げている。

各章ごとに深い余韻が残るこの作品は不思議な物語だ。科学と寓話、過去と現在、自己の経験と神話、希望と破滅が微妙に交差しあうこの物語は普通の小説の枠には収まらない。人間の心理が神話を題材に語られる心に響く物語だ。


→紀伊國屋ウェブストアで購入

2014年01月28日

『Goodbye to All That : Writers on Loving and Leaving New York』Sari Botton(編集)(Seal Press)

Goodbye to All That : Writers on Loving and Leaving New York →紀伊國屋ウェブストアで購入

「ニューヨークを去っていった作家たちの思い出」

1967年、作家ジョーン・ディディオンは愛するニューヨークを去る気持ちを語ったエッセイ『Goodbye to All That』を書いた。
彼女はニューヨークにいた自分を「stayed too long at the fair(お祭りの場に長くいすぎた)」と表現した。ニューヨークと作家の関係は常に愛と憎しみの感情を秘めているようだ。

ディディオンのこのエッセイからインスピレーションを受け出版されたのが、このエッセイ集『Goodbye to All That』。27人の女性作家が何故自分がニューヨークに惹かれ、そして去っていったかを書いている。

自分のことを考えると、僕が初めてニューヨークに来たのは70年代の中頃。住み始めたニューヨーク郊外ロングアイランドから電車に乗って訪れたニューヨークは汚く、怖い街だった。

しかし、僕はその後グリニッチビレッジを「発見」した。グリニッチビレッジのメインストリートといもいえるブリーカー通りを何度も行ったり来たりし、ごちゃごちゃとしたマクドゥーガルにあったインド料理屋でカレーを食べるのを常としていた。

その後、ニューヨークを去り、ボストン、ロサンゼルス、ニュージャージー、東京などに住み、いまはまたニューヨークに住んでいる。それも、あんなに好きだったブリーカー通りのすぐ近くだ。

この本にも昔憧れた場所を目指して、ニューヨークに移った女性のエッセイがある。それはメーゲン・ダウムの「My Misspent Youth」。

17歳の時に出会ったニューヨークの建物が、ニュージャージー州に住む彼女の人生を変えてしまう。

それは、父の用事で訪れたマンハッタンに西側にあるウエストエンド・アベニューと104丁目の角に建つ1920年代のビルディングで、6階にある部屋のドアが開けられた時以来彼女の人生はそれまでとは違ったものとなる。

「The moment the rickety elevator lurched on the sixth floor and the copyist opened the door, life for me was never the same.」

彼女は、ウディ・アレンの映画「ハンナとその姉妹」に出てくるようなオーク材のフローリングの部屋に憧れる。それは彼女にとって「富み」を象徴するものではなく、知的な人々が彼らのロジックと美意識に従って暮らしている場所に映った(これは彼女の思い間違いで、マンハッタンの派手ではないがマンハッタンの居心地のよい部屋はもちろん「富み」の象徴だ)。

彼女は自分が思い描く部屋に住む人々はどんな人間だろうかと考え、それを大学選びにも反映させる。

「Columbia rather than N.Y.U., Wisconsin rather than Texas, Yale rather than Harvard, Vassar rather than Smith.」

彼女はニュージャージー州出身の女優メリル・ストリープ(ウディ・アレンの映画「マンハッタン」に離婚した妻の役で出演していた)が行ったVassar(ヴァッサー大学)に行く決心をする。

大学を卒業した彼女は、憧れのビルがある104丁目から4ブロックしか離れていない100丁目のアパートに二人のルームメイトと暮らし出す、彼女はニューヨークのファッション雑誌社で編集アシスタントの職を見つけるが、年収1万8000ドルという低賃金(しかし、この役職では普通)。同僚の女の子たちは、親や親戚から家賃やお小遣いの援助を受けているが、彼女にはそんな金持ちの親や親戚はいない。

彼女は浪費家というのではないが、ニューヨークの暮らしはクレジットカードの残高が上がるばかりだ。

そして、彼女は学費の高いコロンビア大学院に進む道を選ぶ。彼女はこれはお金持ちの選択だと言っているが、当時はそうとは思わない。年間2万ドルの学生ローンをし、卒業したときには6万ドルのローン残高となっていた。

高い家賃、狭い部屋、収入はまあまあだが、それでも借金はいつまでたっても減らない。そんななかで、彼女はニューヨークを去る決心をする。

「The New York that changed my life on that summer night when I was seventeen simply no longer exist.」

ニューヨークに住む僕にとって彼女のエッセイは身につまされるものがあった。この本はこんな話がいっぱいだ。出てくる場面も僕が住むグリニッチビレッジ周辺が多く、この本の著者たちとはひょっとしたら通りですれ違い、ワシントン・スクアエの噴水の淵で隣に座ったかも知れない。

それぞれの思いでニューヨークにやって来た作家たちの1人ひとりの別れが描かれた本だった。


→紀伊國屋ウェブストアで購入

2013年12月28日

『This Is How You Lose Her (Deluxe)』 Junot Diaz(Riverhead Books)

This Is How You Lose Her (Deluxe) →紀伊國屋ウェブストアで購入

「今のアメリカを映し出す作品」

僕の最も好きなアメリカン・ライターのひとりジュノ・ディアズの新刊短編集『This is How You Loose Her』。
デビュー作品となった『Drown』が短編集で、彼は短編集が得意なのだろうと僕は勝手に思っていたが、前作の『The Brief Wondrous Life of Oscar Wao』は小説で、彼は初めてとなるこの小説で僕の心を木っ端みじんに砕いてくれた。

この小説はタイム誌でその年のベスト・フィクションに選ばれ、ニューヨーク・タイムズ紙ではかなり長い間ベストセラー・リストに入っていた。おまけにこの小説で彼はピューリッツア賞まで取った 。

OK, Mr. Diaz, you’re a darn good storyteller.

前作の小説を読み、彼は短編作家ではなく優れたストーリー・テラーだと知った訳だ。

僕は『Drown』を発表したばかりのディアズに一度インタビューをしたことがある。

場所は、発行元となったリバーヘッド・ブックスの一室。確か、出版社の広報がアレンジしてくれたインタビューだったと記憶している。

It was very lucky for me to have an interview with Mr. Diaz then.

そのインタビューで彼は、ドミニカ共和国での子供時代や、アメリカに移り学校の授業が面白くなく、先生の話は聞かず本を読んでいたことや、友人宛に手紙を書いていたことを話してくれた。

それと、華々しいデビューを遂げた彼の作家としての意識や生活も話してくれた。

今、ボストンにあるMIT(マサチューセッツ工科大学)で教え、アメリカを代表する作家のひとりとなった彼にインタビューをするのは大変だろうと思う。

最近ではイーストビレッジのアスタープレースにあるスタバの窓際の席 でひとりコーヒーを飲んでいる姿を見かけた。I bet you don’t remember me.

僕が彼の作品を身近に感じるのは、作品の舞台がニュージャージー、ニューヨークが多いこともある。

そして『This is How to Loose Her』にはボストンが舞台になった作品がある。

Hey, I was a student in Boston myself!!


さてでは『This is How to Loose Her』の話。

語り手となっているのはユニオール(違う作品もありますが)。『Drown』でも登場し『Oscar Wao』でも登場する語り手で、ディアズのオルター・エゴ的存在と言われている。

全部で9本の作品が収められていて、ユニオールの関わる女性やガールフレンドの話が多い。例えば、最初の作品「Sun, Moon, Star」は本命のマクダレナという女性との話だ。ユニオールはマクダレナが好きだが、浮気性の彼は他の女の子とも寝てしまう。その女の子がエロ雑誌でも書かないような描写でふたりの情事の様子を書いた手紙を送ってくる。その手紙をマクダレナが読み、ふたりの関係がぎくしゃくするのはもちろん、彼女の友達からも嫌われる。以前は、言い出せば確実だったデートも危うくなり、かければ誰よりも彼に優先権があった電話も待たされるようになる。彼女の中での彼の地位が下がっていることを感じるユニオールは「俺たちの関係は一体何なんだ」と文句を言うと「実は、私もそれを考えていたところなの」と切り返される。

また、最後の「The Cheater’s Guide to Love」はボストンが舞台となり、主人公のユニオールは大学で教えていて、今のディアズのようだ。婚約までした女性に振られ、諦めきれずに、しかし他の女性とも関係を持ちつつ過ごす5年間のことが語られる。

ディアズの作品はメインストリートのアメリカ社会から外れた移民の視点から書かれているのが魅力だが、作品の中で彼が使う言葉もヒスパニック系のスラング、ヒップホップスラング、ストリートの言葉、前回の小説ではオタク系の日本語の言葉と多様だ。

This is a high-energy book. People in the book are acting disoriented and confused. It’s a great book for sure!


→紀伊國屋ウェブストアで購入

2013年11月08日

『Corrections』Jonathan Franzen(Picador USA)

Corrections →紀伊國屋ウェブストアで購入

「アメリカ文学界のふたりのジョナサンの話」

 僕はこれまで多くの編集者に会ったけど、ファーラ・ストラウス・アンド・ジローのジョナサン・ガラッシとのインタビューはとても印象的だった。いま、ガラッシはファーラー・ストラウス・アンド・ジローの発行人になっているが、会った時は編集長だった。
 ガラッシはベストセラーとなったトム・ウルフの『A Man in Full』や、全米図書賞を受賞したアリス・マクダーモットの『Charming Billy』、ピューリッツァー賞を取ったマイケル・カニングハムの『The Hour』など多くの優れた本を世に送り出した。

 印象に残ったのは彼の経歴と言葉だった。ガラッシは「編集者はすでに売れている作家の本を出すばかりでなく、新たな才能に目を向けて、自分がよいと思った作品なら、名前が知られた作家でなくとも出版していくべきだ」と言った。

 このガラッシの編集者としての方針は、出版社と対立する時もある。事実、ガラッシはランダム・ハウスというアメリカ最大手の出版社をくびになっている。

 その後、ガラッシは自分の出版哲学に合ったファーラ・ストラウスに移り、先ほど紹介したような書籍を出版し、同社の編集長を務め、ついには発行人にまでなった。

 少し前置きが長くなったが、そのガラッシが編集を担当したのが今回紹介するジョナサン・フランゼンの『The Corrections』。同じショナサンという名前だ。この本は全米図書賞を受賞し、今やフランゼンは現代アメリカを代表する作家となっている。

 この本が出た時には、一般の出版に先がけ、宣伝用としてメディア関係者に送られるレビュー・コピーの全てにガラッシの手紙が付けられていた。

 手紙の内容は、この作品がファーラ・ストラウスがこれまで出版してきた本のなかでも最高の小説の仲間入りをするというもの。

 レビュー・コピーが出るとすぐに大手雑誌が取り上げた。特に『タイム』誌では書評というよりも出版自体をニュースとして捉える記事が掲載された。

 僕は約一週間をかけて568ページある『The Corrections』を読んだ。

 内容は、3人の子供がいるランバーツ家が舞台となっている。すでに定年を迎え病気を患っている夫とその夫の病気を軽く考えようと努める妻。金融業界で働く長男、レストランのシェフである長女、大学教授の次男。家族は夫と妻以外はすでに生まれた家を離れて暮らしている。

 次男は教え子とセックスをして大学を辞めさせられ、長女は経営者の妻と性的関係を持ち、長男の家庭は子供をお互いの味方につけようとする夫婦喧嘩が絶えない。この大きな設定から物語は、どんどんと複雑な人間関係に発展していく。

 長編のよさは、登場人物たちの生活が余裕を持って語られるところだろう。著者のユーモアが光り、各人物への感情移入も自然にできる。読んだあとには500ページを超える大作だった感じは残るが、読み進めている間はそんな長さを感じさせない。

 アメリカ文学界のふたりの大物ジョナサンが世に送り出したこの小説は、アメリカ文学の傑作といえる。


→紀伊國屋ウェブストアで購入

2013年10月04日

『Captain Outrageous』Joe R. Lansdale(Vintage Books)

Captain Outrageous →紀伊國屋ウェブストアで購入

「おとぼけ二人組の痛快アクション小説」

アメリカの北東部の大学生たちは、三月の学期の途中に二週間ほどあるスプリング・ブレーク(春休み)には、気の合った仲間たちとフロリダに遊びに行くのが一種の伝統となっている。
大学のある寒い街を離れ、ビーチ沿いの温かいフロリダの街でめちゃめちゃに羽根を伸ばすのだ。男子学生も女子学生も、初めから遊ぶ気いっぱいなので、学生に乗っ取られた街は一時的に「セックス・ドラッグ・アンド・ロック・ン・ロール!」の世界になってしまう。

僕がボストンで学生をやった八〇年代にはメキシコのリゾート地、カンクンがすでに学生が押し寄せる街になっていた。

そのカンクンから南にバスで一時間ほどのところにプラヤ・デル・カルメンという町がある。カンクンに比べると小さいが、観光地として人気のある町だ。

今回、読んだのはこのプラヤ・デル・カルメンが舞台となったコミカルなアクション・サスペンス小説だ。

物語はアンチ・ヒーローのハップ・コリンと相棒、レオナード・コリンズが活躍するシリーズの第六作目となる。

ふたりが守衛として働く会社の社長の娘を、ハップが助けたところから物語は始まる。ハップはそのお礼としてお金と休暇を社長からもらう。彼が選んだ休暇の過ごし方は、レオナードを連れてのクルーズ船旅行だった。しかし、クルーズ船がプラヤ・デル・カルメンに寄港した時に、いさかいを起こした船の乗務員にだまされプラヤ・デル・カルメンに置きざりにされてしまう。そこから、事件が始まり、ふたりは地元マフィアのボスと戦うことになる。

ふたりの戦いに手を貸すのが、私立探偵のジム・ボブ・ルークとハップのガールフレンドであるブレット。この四人が揃えば、物語はもう止まらない。メキシコのチリがたっぷり振りまかれたような会話が交わされ、暴力事件が次々と起こる。

ハップは一時、事件を忘れようとするが、新たな事件が起こり、どうしても問題に巻き込まれてしまう。気のすすまないまま道を少しずつ歩いている内に、気がつくと敵の真只中に到着してしまったというような展開だ。

脇役たちのキャラクターも面白い。特にブレットは職業が看護婦のくせに品のない言葉を臆面もなく口にするところがいい。

エンディングはハッピーエンドといえるが、友人を失い、守ろうとした人間も殺されてしまうというほろ苦さが残るものだった。

痛快さのなかにもペーソスが漂うエンタータインメント作品だ。


→紀伊國屋ウェブストアで購入

2013年09月20日

『Prep』Curtis Sittenfeld(Random House)

Prep →紀伊國屋ウェブストアで購入

「アメリカ東部のプレップ・スクールが舞台となった小説」

マサチューセッツ州ボストンで大学の4年間を過ごした僕は、時々マサチューセッツ州が恋しくなる。ボストンは都会なので、ボストンに行きたいとはあまり思わないが、大学の春休みや夏休みを過ごした田舎町にまた行ってみたいと思う。
いまはマンハッタンのビルに囲まれて住んでいるので、あの樹木の多い古く美しい土地でのんびりと時間を過ごしてみたいと思うのだ。

そして、一緒に休みを過ごした大学時代の友人たちのことも思い出す。もう、居場所も分からなくなってしまった奴らのほうが多いが、それでも数人は連絡を取っている友人もいる(と言っても年に1回とか2回だけど)。マサチューセッツ州は、僕にとって学生時代の思い出と切り離せない場所となっている。

今回読んだ本は、マサチューセッツ州にある学校が舞台となった小説『Prep』だった。Prepとは、ハーバード大学やブラウン大学などアメリカの一流大学進学のための準備をする進学校のことだ。正式にはプレパラトリー・スクールと言うが、ほんとんどの場合は短く「プレップ・スクール」と呼ばれている。

東海岸の名門プレップ・スクールに通う生徒はプレッピーと呼ばれ、彼ら(彼女ら)のアイビー調の服装はプレッピー・スタイルと呼ばれている。小説『Prep』は、もちろんプレッピーの物語だ。

物語の舞台となっている寄宿制の学校の名前は「オルト・スクール」となっているが、これがマサチューセッツ州にある超名門プレップ・スクール「グロトン・スクール」であることは、グロトンを知っている人ならすぐに分かる。

主人公は、インディアナ州の小さな町から、オルトのアッパー・スクール(13歳から17歳)に入学したリー・フィオラ。

物語は24歳となったリーが、自信のなかった当時の自分を振り返りながら、名門学校での体験を語る形式で進められる。彼女の一番恐れていることは、自分が奨学金を受け取っている学生であるとほかの生徒に知られてしまうこと。金持ちの子弟子女ばかりが周りにいる学生生活のなかで、彼女は友人を作るのにも苦労する。

ロックの歌詞のなかに登場するような、裕福で高慢な、男子生徒の憧れであるブロンドの少女アペス・モンゴメリー。韓国からの留学生シン=ワン。アペスの取り巻きのひとりであるディー・ディー。桁外れの金持ちの娘でありながら、アウトサイダーの道を行くコンチータ。誰一人としてリーと共通な価値観を持っている生徒はいない。

そして、リーが心を寄せる男子生徒人気ナンバー・ワンのクロス・シュガーマン。リーは教師と対立し、時には女生徒と喧嘩をしながらだんだんと成長していく。

リーはコンチータの友人を奪う形で、生涯の友人となるマーサとルームメイトになる。そして、憧れていたクロス・シュガーマンともセックスをする仲になるが、幸せを感じられる関係ではない。

『Prep』には全編を貫く大きな事件は起きない。この物語の面白さは、4年間の学生生活のなかでのリーの心の動きだろう。自己嫌悪に陥り、友人と張り合い、自分の行動は正しいものだろうかと常に悩み考える。思春期から大人の仲間入りをしようという時期の、女性の心情が詳細に描かれる。プレップ・スクールという華やかな場所が舞台となっているのもこの小説を面白くしている要因のひとつだろう

著者のカーティス・シテンフェルドは、16歳の時に『セブンティーン・マガジン』誌がおこなったフィクション・ライティング・コンテストで優勝。その後、『ニューヨーク・タイムズ』紙などに寄稿。スタンフォード大学、アイオワ大学創作科卒業。高校は有名プレップ・スクール、グロトン・スクールを卒業。『Prep』は彼女のデビュー小説となった作品だ。
 


→紀伊國屋ウェブストアで購入

2013年07月10日

『Hateship, Friendship, Courtship, Loveship, Marriage 』Alice Munro(Vintage Books)

Hateship, Friendship, Courtship, Loveship, Marriage →紀伊國屋ウェブストアで購入

「アリス・ムンロの短編集」

もう随分昔の話だが、僕がカナダ人作家、アリス・ムンロの名前を知ったのは、ジョン・アービングやニック・ホーンビイといった僕の好きな作家のインタビュー記事からだった。
ホーンビイはよく読む作家としてアリス・ムンロを挙げていたし、アービングにいたっては最も好きな作家に彼女の名前を挙げていた。

ムンロの作品を読めば、何故アービングやホーンビイが彼女を好きな作家として挙げているか分かると思う。それは、ムンロがストーリー・テラーとして優れた才能があり、運命の不思議さを物語のなかでみせてくれる作家だからだ。

その作風をアービングと比較すると、アービングは多くの言葉を使い、コミカルともいえる物語の構成のなかから運命の不思議さを浮かび上がらせるが、ムンロは短編という形を使い、言葉で語らない部分も読者に想像させながら物語を進めていく。

ムンロは短編作家といえるが、ほかに短編作家というと、レイモンド・カーバーがいる。カーバーは人生の危機の瞬間を切り取り、多くの作品とした作家だった。

一方、ムンロの作品はカーバーのものよりずっと長く、人生の危機の瞬間よりも、人生の微妙さ、運命のおもしろさを描いている。また、主人公が老年に達した女性が多いのもムンロの作品の特徴だろう。そのほか、直面する死とまだ心に残る愛情、または新たに芽生えた恋心などもムンロの作品のテーマだ。

さて、今回紹介する本この本は、ムンロの11作目の作品。表題作を含め9本の短編が収められている短編集だ。

表題作である物語は、家政婦として働くジョナ・パリーが主人公となっている。ジョナが働く家の主人にはふたりの娘がいたが、長女はすでに死んでしまっている。ジョナはその長女の元の夫ケンと文通をしているが、その手紙はケンが書いているのではなく、次女とその友人が悪戯として書き始めたものだった。

つまり、ジョナの手紙はケンの手元には届かず、次女とその友人の手に渡り、彼女たちがケンのふりをして返事を書いているのだ。悪戯の手紙の内容はだんだんと親密さを増し、遂にジョナは結婚を胸にケンを訪れる決心をする。

ジョナの手紙を一通も受け取っていないケンは、もちろんジョナが来ることなど知らないが、ちょうどその頃、重い病気を患ってしまう。自分のもとを訪れた実家の家政婦に驚くが、口を聞く元気もない。

ジョナはケンを看病し、経済的に窮地に陥っていたケンの生活を建て直す。最後にふたりは結婚をして家庭を作るという物語だ。この50ページほど作品のなかにジョナとケンの物語だけではなく、次女とその友人の人生、ジョナが働く主人の生活、古い町の様子などが書き込まれている。

タイトルの「Hateship, Friendship, Courtship, Loveship, Marriage」は次女とその友人が作り出した遊びで、それぞれの言葉を紙切れに書き、その紙切れを選ぶことでボーイフレンドとの関係がこれからどうなるかを占うというものだ。一見偶然とも思える、何かの力に左右されたジョナとケンの運命を暗示するタイトルだ。

しっとりとした物語を読みたい読者にお勧めだ。



→紀伊國屋ウェブストアで購入

2013年06月28日

『Let’s Explore Diabetes with Owls』David Sedaris (Little Brown & Co)

Let’s Explore Diabetes with Owls →紀伊國屋ウェブストアで購入

「アメリカのユーモアリト、デビッド・セダリスの新刊」

ニューヨークで暮らしているといろいろ考えさせられるというか、気になることがでてくる。
そのひとつが健康保険の高さ。ニューヨークに住むアメリカ人は(ここに住んでいる僕たち家族も)日本では信じられない額を健康保険に支払っている。僕と妻がふたりで入っている健康保険はひと月約20万円。2万円ではない。20万円だ。それも掛け捨て。安い健康保険を探してもふたりで15万円以下を探すのは難しいだろう。

もし、健康保険を持っていなくて病気や怪我をしようものなら、例えば2日の入院で300万くらいは楽にかかってしまう。大げさに言っている訳ではなく、本当にこれが実際の状況だ。健康保険を持っていないと治療してくれない病院もある。

高い健康保険のせいで、保険に入れないアメリカ人も多いが、日本のように医療保険制度を政府が導入しようとすると、反対の声があがる。アメリカでもやっとこさオバマ大統領が政府による医療保険制度を導入したが、それでも反対の声は続き、いまも政府の医療保険制度(オバマケアーと呼ばれている)を無効にしようという投票が何度もアメリカ議会で行われている。

日本のような国民健康保険制度は、右派のアメリカ人に言わせると社会主義的なもので、個人の自由を制限するもとなる。政府が押し付ける健康保険はアメリカの精神に反すると声高に主張するグループがいる。

とここまでシリアスな調子で書いてきたが、今回読んだ本はアメリカのユーモアリスト、コメディアン、ベストセラー作家デビッド・セダリスの新刊「Let’s Explore Diabetes with Owls」。

フランスやロンドンなどで多くの時間を過ごすセダリスは、アメリカを外側の世界からの視点で語れる作家だ。この本には26本の作品が収められていて、多くはエッセーだが、6本は架空のキャラクターが語る社会風刺が利いたモノローグも入っている。

最初のエッセー「Dentists Without Borders」は、彼がフランスで通った医者の経験談。政府の医療制度があるフランスで、彼は医者や歯医者に行くが、その費用は安い。ある日、彼は脂肪の塊が身体の右側にあるのを見つけ最悪、癌だと心配し医者に行く。

その脂肪の塊を診た医者は「心配いらない。犬がよくかかる奴だ」とそっけない。セリダスはその脂肪を取り除くことはできるかと聞く。「取るには取れるが、なんでそんなことをしたいんだ」と医者は言う。まだ安心できないセリダスはさらに食い下がり、この塊が大きくなるんじゃないかと医者に質問する。

「そりゃ、まあ、大きくなるかも知れない」と医者は言う。

「凄く大きくなるのでは」

「ならない」

「なんでだ」

「知らないよ。じゃあ、何で木が空まで届かないんだい?」

アメリカではこんなとき、医者はいろいろな検査をし、患者の悲壮感を満足させるような小難しい病名を患者に伝えるはずだとセリダスは思う。

また、歯医者嫌いだった彼が歯医者のストーカーといえるほど歯医者好きになってしまったいきさつなど、ユーモアたっぷりに語られる。

その他、数多く旅をするセリダスはこの本で、中国の公共トイレ、日本の語学テープ、空港のセキュリティー、それにバレンタインデーにボーイフレンド(彼はゲイ)に贈ろうとしたギフトなどの話が風刺とユーモアを込めて語られる。

どの作品の数ページと短いので、細切れに読んでも楽しめる本だ。


→紀伊國屋ウェブストアで購入

2013年06月18日

『Roads : Driving America's Great Highways』Larry McMurtry(Simon & Schuster)

Roads : Driving America's Great Highways →紀伊國屋ウェブストアで購入

「アメリカのインターステートを走る旅行記」


 これまで、アメリカ大陸を3度横断したので、いまでもアメリカ全土のロードマップをみるとその時のことが思い出される。もの凄いヒートウェイブのなかをニューメキシコ州のアルバカーキに向けて走ったインターステート40、ワイオミング州の荒々しい自然にみとれたインターステート80、テネシー州メンフィスからルイジアナ州ニューオーリーンズに抜けるインターステート55など、それそれの道と僕の記憶はいつまでも結び付いている。

 そんな僕の心の扉をノックするような本を読んだ。それはラリー・マクマートリーの新刊『Roads』だ。マクマートリーは1985年に出した小説『Lonesome Dove』でピューリッツァ賞を獲得した作家だが、『Roads』は小説ではなくエッセー集だ。内容は60歳を超えた著者が20世紀の終わりに、メリカのインターステートを走り、そのときに感じたことを書いたものだ。

 「20世紀の終わりにアメリカの道を車で走り、この国を再びみてみたかった」と著者はこの本の冒頭に記している。

 ニューヨークの本屋でこの本を手に取り、冒頭の文を読んだ僕は、「いいな〜」と心のなかで呟いた。僕も、自分の狭いアパートとときには仕事のことばかりになるニューヨークを抜け出して、果てしなく続いていそうなインターステートをまた走り回ってみたいのだ。

 著者の書く文章は旅行者の助けになるような情報はほとんどなく、車でアメリカを走り回ったビート作家、ジャック・ケルアックの『On the Road』に出てくるような英雄的な逸話もない。

 インターステートを走り、そのときに心に浮かんできた事象を、時には皮肉を込めて、またときには懐かしく思い出しながら書き進めている。
 
 この本のなかで、僕が最も気に入ったのは、著者が子供のころから何度も使ったサム・カウアン・ロードというかつては舗装もされていなかった道のことを書いた『Short Roads to a Deep Place』という話だった。

 その道は、著者がまだ子供のころ祖父と一緒に馬車に揺られ、6マイル離れた小さな町まで郵便を受け取りに行った道であり、トラックが使われ出す前に、カウボーイの一員として牛を運んだ道でもあった。

 ノスタルジックな描写に、どこか埃の匂いさえ漂う文章は一読の価値がある。また、インターステート75、US1を走りフロリダ州のキーウエストを訪れる話も面白かった。

 テーマパークのようになってしまったキーウエストを、「ここはもうディズニーに運営を任せた方がいい。ディズニーなら最低でも駐車場を上手く取り仕切るだろう」と皮肉を言い、キーウエストに残されたヘミングウエイの蔵書をみて、「ろくな本がない。きっとヘミングウエイの3人の妻の誰かががこの本を選んだに違いない」と意見を述べている。

 僕は、この本を読みながらこの皮肉にニヤリと笑い、センチメンタルな文章にアメリカの知らない土地への思いを馳せた。


→紀伊國屋ウェブストアで購入

2013年06月05日

『Citizen Girl』Emma Mclaughlin & Nicola Kraus(Washington Square Press)

Citizen Girl →紀伊國屋ウェブストアで購入

「女性就職残酷物語、ニューヨーク流」

ニューヨークで日系の経済雑誌の記者をやっていた頃、記事を書くために日本の企業に働く数多くのアメリカ人にインタビューをしたことがあった。アメリカ人社員たちは、自分の言葉が記事になるにもかかわらず、いま自分が働いている会社に対し驚くほど率直な意見を述べた。
彼らの大半が勤めている日本の企業に不満を持っていてその不満は「意志決定が遅い」「役職に就く人間に役目を果たすだけの権限が与えられていない」「仕事のダイナミックさにかける」というものがほとんどだった。

不満の原因は、日米の企業文化の違いからでてくるもので、どちらのやり方がいいとはいえないが、考え方の違いがはっきりと浮き出でいた。

それでは、ニューヨークにあるアメリカ企業はどんなやり方で仕事を進めていくのだろう。その現実をかいまみることができるのが今回紹介する『Citizen Girl』だ。

社会風刺コメディなので、誇張はあるが、日本の会社では考えられない出来事が次々と起こり笑ってしまう。主人公が24歳の若い女性なので、『ブリジット・ジョーンズの日記』のように、若い女性が仕事と男を求めて現代社会を彷徨というチック・リット文学でもある。

著者のエマ・マクラフリンとニコラ・クラウスは、ニューヨークの中産階級家庭に雇われた子守を主人公にして、金持ちの家庭を内側から描いたコメディ『The Nanny Diaries』を書いたコンビである。

2002年に出版された『The Nanny Diaries』はアメリカで200万部を超えるベスト・セラーとなった。映画製作権はミラマックス社が50万ドルで買い取り、すでに映画になっている。

その大ヒットに続いた作品がこの『Citizen Girl』。『The Nanny Diaries』を出版した出版社は続編となる『The Nanny Diaries 2』を書くように著者に求めたが、彼女たちは、いま自分たちが一番関心のあるのは若い女性の就職状況や仕事環境だと出版社の希望をはねつけた。

その結果、別の出版社が25万ドルの出版契約金を払って出版されたのがこの『Citizen Girl』だ。

さて、その『Citizen Girl』の内容を少し紹介しよう。主人公のガール(若い女性を代表するこの主人公は単に「ガール」と呼ばれる)は大学を卒業してニューヨークにあるフェミニズムを提唱する非利益団体に勤めている。

上司の女性は、大きな会議のスピーカーに抜てきするという餌をちらつかせガールを酷使する。しかし、ガールがスピーチ原稿を仕上げると、その仕事を盗み自分の気に入った女性をスピーカーと決めガールの原稿をあげてしまう。

文句を言ったガールはクビとなり、ニューヨークで彼女の職探しがはじまる。就職活動中にバスターという青年と知り合うが、バスターは6人のルームメートがいる。苦労の末にやっとみつけた会社は、女性向けに美容や健康情報を流すインターネット・サイトのマイ・カンパニー。ガールの仕事は新たなサイト利用者を開拓するというものだった。

給料は最高、仕事もやりがいがある・・・はずだったが、そこでガールはお金を取るか、自分の良心に従うかの選択に迫られる。

ニューヨーク流の仕事の早さや株主の利益のためなら何でもやるアメリカ企業の様子、それに若い女性が直面する組織内の人間関係などがコミカルに描かれた作品だ。


→紀伊國屋ウェブストアで購入

2013年05月14日

『The Lovely Bones』Alice Sebold,(Back Bay Books)

The Lovely Bones →紀伊國屋ウェブストアで購入

「スーパーナチュラルな設定の優れた文学作品」


今回紹介するのは、2002年6月に出版され。その後わずか2カ月間で130万部を売り上げた小説『The Lovely Bones』。2009年には映画化もされている。

『The Lovely Bones』の著者はアリス・セボルド。彼女は、大学生の時にレイプに遭い、その体験を綴ったノンフィクション『Lucky』という本も出版している。

『The Lovely Bones』の内容は、レイプされ殺されてしまった14歳のスージーが天国から家族や友人の事件後の人生をみるというもの。もちろん、彼女を殺した犯人の生き方も追う。

物語が始まりすぐにスージーは殺され、天国に行く。警察が犯人を追うが、手掛かりがない。犯人はスージーの家の近くに住むハービーという中年男だ。読者は最初から犯人が誰であるかを知らされ、犯行の様子も読むことができる。

警察が事件の手掛かりを追う場面や、スージーのいる天国がどんなものかの描写も出てくるので、読み初めはスリラーあるいはファンタジーかなと思ったが、これは家族愛や人々の人生を描いた文学作品といえる。

著者は物語のなかで残された家族、特に父親の怒りや妹の成長、それに友人たちのそれぞれの人生を描いている。

天国が出てきたり、レイプや殺人事件を扱ったりしながら、スリラーにならずに質の高い文学になっているところがすごい。

題材として読者を引き込みやすい「事件」そのものを追わず、そんな「事件」に直面した人々の心の動きに注目しているのだ。著者はこの作品を書き上げるまでに5年をかけたという。意欲作といえるだろう。

この1作品に5年をかけて書くことが長いとみるか短いとみるかだが、アメリカの作家はだいたい1〜3年をかけて1本の長編を書くことが多いようだ。セボルドもこの小説を書いていた5年の間に『Lucky』を書き上げているので、とりわけ完成に時間がかかったという作品ではない。なかにはトマス・ウルフのように10年で1作品という作家もいるのだから。

アリス・セボルドは、自らの体験を生かし(とても衝撃的だったに違いない)、そんな事件を題材にした小説を仕上げたのだ。事件のいまわしさよりも、人間を描いたところに成功の秘密があるように思う。

最後は、もちろんスージーは生き返らないがハッピー・エンドとなる。レイプ、殺人という暗いテーマの作品だが、読後感は爽やかだった。


→紀伊國屋ウェブストアで購入

2013年04月24日

『The Great Gatsby』Scott Fitzgerald(Scribner)

The Great Gatsby →紀伊國屋ウェブストアで購入

「ディカプリオ主演の映画となるアメリカの傑作」

この5月10日にレオナルド・ディカプリオ主演の映画「The Great Gatsby」がアメリカで封切られる。監督はバズ・ラーマン。ディカプリオとクレア・デーンズが共演した「ロミオ+ジュリエット」と同じ監督だ。
サウンドトラックはJAY-Z、ビヨンセ、will.i.amなどが担当し、見逃せない映画となっている。3D版もあるようで、観るならやはり3Dかな〜と今から楽しみだ。

映画の原作となっているのは、もちろんスコット・フィッツジェラルドの「The Great Gatsby」。

最初に発行されたのは1925年4月10日。当時の発売価格は2ドル。初版部数は約2万1000部だった。

フィッツジェラルドは、1920年にスクリブナーより発行されたデビュー作『This Side of Paradise』で一躍時代の寵児になった作家だ。1922年から24年まで、ニューヨーク州ロングアイランドのグレートネックに住み、中古で買い求めたロールス・ロイスを乗り回し派手なパーティを開いた。すでに出版社からの前借りで借金の生活が始まっていたが、1920年のデビューからヨーロッパに移住を決める1924年まで、ニューヨークは彼にとって輝きを放つ街だったに違いない。
 
『The Great Gatsby』はそんなロングアイランドでの生活のなかで書き進められ、彼が移住を試みたヨーロッパで推敲された作品だ。小説の舞台となっているロングアイランドのイースト・エッグとウェスト・エッグは実在の場所ではなく、それぞれマンハセットと彼が住んでいたグレートネックの町がモデルとなっている。

ロングアイランドには僕自身も4年間住んでいたので、マンハセットやグレートネックなどは馴染みのある町だ。

ところで、僕は現在のスクリブナーの編集者であるチャールズ・スクリブナー三世に会ったことがある。場所はニューヨークの6番街にある彼のオフィスだった。

スクリブナー三世は、『The Great Gatsby』などフィッツジェラルドの作品を発行していた時代に編集者を務めていた、チャールズ・スクリブナー二世の曾孫に当たる。スクリブナー三世に会って、いろいろフィッツジェラルドに関する話を聞 いた。

ビルが見下ろせるオフィスで、スクリブナー三世はフィッツジェラルドについて次のように語ってくれた。

「フィッツジェラルドはアイリシュ系カソリックで、当時のアメリカのメインストリームはイギリス系プロテスタンたちでした。そのため、彼は多少アウトサイダーであっただろうし、傍観者でもあったでしょう。フィッツジェラルドの作家としての精神的『ホーム』はアメリカ東部、特にニューヨークだと思います。彼はミネソタ州の出身ですが、ニュージャージー州にあるプリンストン大学で東部の文化を吸収し、その後、東部の作家といわれるようになりました」

スクリブナー三世に『The Great Gatsby』のことを聞くと、彼はこう答えてくれた。

「例えばヘミングウエイなどは、最も好きな作品は人によって異なりますが、フィッツジェラルドの場合はほとんどの人が一番好きな作品に『The Great Gatsby』を挙げると思います。構成、文章、センチメントなど、どれをとっても傑作だと思います。もしフィッツジェラルドが生きていたら、彼の未完の遺稿となった『The Last Tycoon』が同じ水準に達した作品になったかも知れません。『The Great Gatsby』では、語り手のニックがフィッツジェラルド自身ですが、ギャツビーにもフィツジェラルドのロマンティックな部分が投影されていると思います。デイジーにはフィッツジェラルドの妻となったゼルダの我がままさと人格としての限界が感じられます。多分、フィッツジェラルドはこの時点でゼルダの内にある暗い部分にすでに気付いていたのだと思います」

スクリブナー三世のいうように『The Great Gatsby』の構成や文章と、それ以前の小説『This Side of Paradise』や『The Beautiful and Damned』を比べると、構成は絞まり、みせびらかすような大袈裟な描写は見当たらない。スクリブナー三世にその点を聞くと、面白い答えが返ってきた。

「それについて、私には持論があります。フィッツジェラルドは『The Great Gatsby』の執筆を中断して『The Vegetable: or from President to Postman』という戯曲を書きました。この劇はブロードウエイにはかからず失敗と終わりましたが、フィッツジェラルドは実際に役者が演ずるリハーサルをみて、この戯曲を何度も書き直し、ひとつの場面と物語全体の構成に注意を払うようになったと思います。これは小説を書くいい練習になったはずです。フィッツジェラルドは手紙で、この戯曲が上手くいかなかったことを、彼の編集者だったマックスウエル・パーキンスにこぼしていますが、この失敗が『The Great Gatsby』をよい小説にしたのだと思います」

『The Great Gatsby』を書いた15年後の1940年12月21日、フィツジェラルドはカリフォルニア州ハリウッドの地でこの世を去った。44歳の若さだった。その時点で、『The Great Gatsby』は数万部が売れただけだけで、スクリブナーの倉庫には二刷り目の本が残っていた状態だった。

しかし、現在はたった一年間で、フィッツジェラルドの生涯の内に売れた部数の何倍もの数がアメリカの読者に読まれているという。誰が『The Great Gatsby』を再発見したのだろうか。


「私の意見では、『The Great Gatsby』を再発見したのは1950年代のアメリカの大学や高校の先生たちだと思います。アメリカ人の大半は『The Great Gatsby』のページを学校のクラスルームで開くことになります。学校で使われる本は『The Great Gatsby』だけではありませんが、ほかの本は消え去っても『The Great Gatsby』はアメリカ文学のクラシックとして残っていきました。それは、この物語が時代を超え新鮮な感動を人々の心のなかに呼び起こすからだと思います」とスクリブナー三世は語ってくれた。

ところで、『The Great Gatsby』というタイトルだが、最終的にこのタイトルに落ち着くまで、フィッツジェラルドはいろいろな名前を思い付いたらしい。それらは『The High-bouncing Lover』、『Gold-hatted Gatsby』、『Among the Ash Heaps and Millionaires』、『Trimalchio in West Egg』などというものだった。

そして、『The Great Gatsby』というタイトルに決めたあとも、フィッツジェラルドは出版ぎりぎりになって『Under the Red White and Blue』というタイトルを思い付き、電報でタイトル変更をしたい意向をスクリブナーに伝えている。フィッツジェラルドは結局、出版が遅れるという理由で新タイトルをあきらめた。

『The Great Gatsby』というタイトルに比べてフィッツジェラルドが考えたほかのタイトルはあまりよくない。特に『The High-bouncing Lover』や『Trimalchio in West Egg』などはいかにも通俗的な響きがある。フィッツジェラルドとスクリブナーがそんなタイトルを選ばずに『The Great Gatsby』を選んだことに感謝をしたいくらいだ。

僕は、スクリブナー三世と話をして、フィツジェラルドがより身近に感じられるようになった。彼が言うように、『The Great Gatsby』はこれからも多くの人の心のなかに残っていくことだろう。そして、今回の斬新な映画も楽しみだ。

ところで、僕は「ニューヨーク・カフェマガジン」という洋書紹介や英語、アメリカの出版界の話題を取り上げるメルマガを出しています。こちらの方ももしよろしければご覧ください。http://www.mag2.com/m/0001584287.html


→紀伊國屋ウェブストアで購入

2013年04月02日

『Tenth of December』George Saunders(Random House)

Tenth of December →bookwebで購入

「独特の作風が光る短編集」

1958年にアメリカのテキサス州で生まれたジョージ・サウンダースはいま、アメリカを代表する短編作家といわれている。
これまでサウンダースの作品を読んで、寓話的というか、サイエンスフィクション的というか、ほかの作家とは随分作風が違うなと感じていた。

今回、彼の経歴を調べ納得するものがあった。

サウンダースは、大学で地球物理学エンジニアリングという地球を物理的な手法を用いて研究する学問を学んだ。火山学、気象学、海洋物理学などがこの学問の分野に含まれる。

文学作家としては随分変わった専攻科目だが、彼の物書きとしての出発も変わっている。彼は、ニューヨークにある環境エンジニアリング会社のテクニカル・ライターとして文章を書き始めている。また、スマトラで油田発掘チームのひとりとして働いた経験もある。

大学や最初の職業は技術系の分野だが、大学院はニューヨーク州のシラキュース大学に進みクリエイティブ・ライティングの学位を取得した。

「僕のフィクションのオリジナリティはこの変なバックグラウンドの結果と言えるかも知れない」とサウンダースは言っている。


ということで、今回出版された短編集「Tenth of December」の話。この本1995年から2011年にかけて「ニューヨーカー」誌「ハーパーズ」誌などの雑誌で発表された短編小説が1冊となったもの。表題の「Tenth of December」は2011年にニューヨーカー誌で発表された作品だ。

サウンダースの作品は現代の企業文化やマスメディアを皮肉った作品が多い。例えば「The Semplica Girl Diaries」では、近未来あるいは違う次元の現在、あるいは過去、あるいは未来の家庭で起こる話が描かれる。その世界では「SG」と呼ばれる庭の装飾物を多く持っていることが金持ちの象徴となっている。

娘のクラスメートのパーティに出かけた父親は、その家庭に多くの「SG」があるのを見て、自分の子供に同じくらいの生活を味合わせてあげられないことに罪悪感を感じる。

「SG」の脳にマイクロラインがつけられていて、どうやら人間かなにか生き物のようだ。金持ちが「SG」を誇らしげに客に見せる社会は、どこか抑圧的だ。

そして、「SG」を持てない人間は、それだけで自分がきちんと生きていないのではないかと感じてしまう。

また表題の「Tenth of December」は想像の世界に住むひとりの青年と、病気を患い森のなかで凍死自殺を図ろうとする中年男性の話だ。

ふたりは別々の想いで森の道や凍った湖を進むが、最後にはふたりの人生が交差し、お互いに救いを見いだす。

サウンダースの作品はどれも、物語がどこに向かうか分からない意外性があり、物語の設定が少し変わっている。

しかし、その主人公の悲しみや行き場のない想いなどは、どこかレイモンド・カヴァーに根底で通じるものがある。

一方で一風変わったユーモアのセンスや、サイエンスフィクション的な舞台設定はサウンダース特有のものだ。


「Tenth of December」はニューヨーク・タイムズ紙やタイムズ誌などを含め、アメリカでは高い評価を得ている。


→bookwebで購入

2013年03月20日

『Shopgirl』Steve Martin(Hyperion Book)

Shopgirl →bookwebで購入

「人気コメディ俳優スティーブ・マーティンの小説」

 コメディ俳優でもあるスティーブ・マーティンのノベラ(中編小説)『Shopgirl』。この作品はマーティン自身の脚色・主演で映画化もされている。
 作品を紹介すると、主人公はビバリーヒルズにある高級デパートのニーマン・マーカスに働く28歳の女性ミラベル。ミラベルは絵描きになることを夢みて毎日デパートの手袋売場で働いている。しかし、どうも絵描きとしては成功しそうもない。

 彼女の住んでいる場所はビバリーヒルズのずっと東にあるシルバーレイクという街だ。それも住所に「1/4」がつくような小さなアパートだ。

 彼女は、鬱病気味で医者から坑鬱剤を処方してもらい飲み続けている。彼女の容姿は悪くないのだが、自分の美しさには気付いていない。そのため、自分に好意を持ってくれるというだけが取柄のような駄目男のジャーミーとつき合っている。しかしジャーミーとは夕食は割り勘、デートはお金のかからないショッピングモールやボーリング場というつき合い方だ。

 こういうふうに彼女を取り巻く状況を説明すると悲惨なのだが、著者のペンのタッチは軽く、駄目男のジャーミーとの関係もコミック調で進んでいく。

 そこに現れるのが大金持ちで60歳近いビジネスマンのレイ・ポーター。レイはおしゃれで優しい紳士だ。年の差を感じつつも、いままで考えたこともないような夢の体験をさせてくれるレイはやはり魅力的だ。

 レイとの関係が自分をどこに導いてくれるか分からないまま、ミラベルはレイとつき合い始める。

 サブプロットとして、ミラベルの友人であるリサが登場する。リサは自分のセックスの上手さで男を捕まえることができると信じている。リサはミラベルからレイを横取りすることを企む。このあたりのドタバタなどはまさにハリウッドのコメディ映画そのものだ。

 マーティンの文章は、情景や人物の姿が思い浮かべられ表現力は十分だ。気の利いた比喩や台詞も多い。オペラに例えれば、コミックな流れのオペラ・ブッファだ。

 同じタイトルの映画ではクレア・デインズ がミラベル役として出演している。デインズはレオナルド・ディカプリオと共演した「ロミオ+ジュリエット」で一度はアイドル的な存在になった女優。レイ・ポーター役がスティーブ・マーティンだ。

 気楽なロマンチック・コメディを読みたいと思っている人にお勧め。


→bookwebで購入

2013年02月10日

『The Body Artist 』Don DeLillo(Scribner)

The Body Artist →bookwebで購入

「シュールで幻想的な作品」


 現代のアメリカ文学を代表する作家のひとりドン・デリーロ。彼の著作には『White Noise』や『Underworld』など有名な作品があるが、今回読んだのは『The Body Artist』。

 『The Body Artist』はシュール・リアリスティックで幻想的、文章は美しいが甘さはない作品だ。

 物語はローレンというボディ・アーティストと夫のレイの日常の場面から始まる。ふたりの交わす会話は少しちぐはぐな感じだ。

 第一章の終わりにきて、レイがいきなり前の妻の家で自殺をしてしまう。その事実があまりに突然書かれているので、僕はあわててそれまでの25ページを読み直した。どこかにレイの自殺を匂わす文章が読み取れないか、もう一度読まずにはいられなかったのだ。

 そいえば以前にも同じように、あわてて読み返した物語があった。それはヘミングウエイの『The Snows of Kilimanjaro』。『The Snows of Kilimanjaro』の最後の数ページは、本当に美しかった。

 ヘミングウエイの作品は愛する男の死が最後に用意されていたが、デリーロのこの作品は夫の死がまず最初に訪れる。

 ローレンは夫の死後、借りたばかり家のなかでひとりの男を発見する。以前からこの家のどこかに隠れていたようだ。その男は知恵遅れなのか、何を聞いてもまともな返事が戻ってこない。彼を精神病院に連れていこうかと考えているうちに、男が突然彼女と同じ声の調子で話しだす。

 そして、数日後にはレイの声とレイの口調が男の口から発せられる。しかし、レイの話し方になるのはほんの一瞬で、男は再び要領を得ない会話に戻ってしまう。ローレンはレイがこの男の意識のなかに存在しているのではなかろうかと考える。

 これは一種のゴースト・ストリーなのだろうかと僕は思った。デリーロの描きだす男は掴みどころがなく、ローレンの見ているものはレイの幽霊ではないかと思ってしまったのだ。デリーロは、何故男がレイの声で話をするのかはっきりさせないまま、さらに物語を進める。

 ローレンはテープレコーダーを常に持ち歩き、ふたりの会話を録音するようになる。

 僕は、ここでもう一度、男の出現からテープレコーダーのくだりまで読み返した。何かがおかしい。デリーロの作り上げる文章には何かが潜んでいるような気がしたのだ。読み返したがそこに何が潜んでいるかは、はっきりとは掴めなかった。

 ローレンは、ボディ・アーティストのパフォーマンスをボストンで開く。彼女のボディ・アートとは入れ墨の極端な形として、腕を銃で打ち抜いたり、女性の性器で絵画を描いたりというものだ。

 このパフォーマンスの章を境に、物語はさらに現実と意識の領域が薄くなってくる。

 ローレンの見ているものは本当の人間なのだろうか、それともレイのゴーストなのか。そのどちらでもなく、ローレンが自分の意識のかで勝手に作り上げたものなのか。ローレンの意識とレイの意識、過去と現在の時間の流れが渾沌としてくる。

 僕は最後の数ページをもう一度読みかえした。

 彼女がたどり着く場所は、彼女自身の死か狂気の世界か。日にちを置いて、もう一回読んでみたくなる作品だった。


→bookwebで購入

2013年02月01日

『 California Fire and Life』Don Winslow(Vintage Books)

 California Fire and Life →bookwebで購入

「放火調査官が活躍するサスペンス」

 アメリカの人気作家ドン・ウィンズロウのサスペンス『California Fire and Life』は、カリフォルニア州オレンジ郡を舞台とした作品だ。
 ウィンズロウは、53年にニューヨークで生まれた。ネブラスカ州の大学に入り、3年生の時に南アフリカに行き、ケープタウン大学の研究員兼フリーランスのレポーターとして暮らすが、南アフリカ最大の黒人居住区であるソウェイトで教室を運営するためにアメリカで集められた資金を運搬する役目も果した。

当時、この資金提供は南アフリカ政府により禁じられていた。つまり、彼はお金の密輸入をしたのだ。そのために逮捕されアフリカを去らなければならなかった。そしてアイダホ州で近所の人々にサラダ・ドレッシングを運ぶ仕事に就き、その後ニューヨークの映画館で働く。

 映画館では、不正を働いている上司を告発し、職場を去ることになる。次に彼は、盗難事件のおとり捜査官として雇われる。ウィンズロウはこれをきっかけに捜査官として働きだし、ロンドンやアムステルダムで仕事をした。そして大学院を卒業し、ケニアのサファリツアーを販売したり、アフリカにいるアメリカ人高校生の教育プログラムを作ったりしたが、最終的にはロサンゼルスで放火の調査官として長年働くことになる。

 『California Fire and Life』は、ウィンズロウのこの放火調査官の経験が活かされた作品となっている。主人公のジャックはカリフォルニア州にある災害保険会社の放火調査官。オレンジ郡にある家で火事が起こり、そこに住む女性パメラが焼死する。警察は、酒に酔ったパメラの火の不始末が原因と断定するが、ジャックは放火の疑いを持つ。死んだパメラが、ジャックのガールフレンドであるレティの父親の違う妹であったことから、ジャックはさらに真剣に調査を進める。

 旧ソ連出身でKGBと関係がある、パメラの夫ニッキー、カリフォルニアに暗躍するロシア人やくざとベトナム・ギャング。物語は、ギャングの殺人事件をからめながら保険会社幹部ぐるみの保険金詐欺事件となる。調査は、すべて犯人たちにつつ抜けとなり、ジャックは絶対絶命の窮地に立たされる。

 正確な描写と、凝った筋が冴える最後まではらはらどきどきのサスペンスだ。 


→bookwebで購入

2012年12月18日

『Tepper Isn't Going Out』Calvin Trillin(Random House)

Tepper Isn't Going Out →bookwebで購入

「ニューヨークの駐車スポットを題材にした小説」


 ニューヨークに住んで、もう15年近く車を持たない生活をしている。しかし、最初の1年目だけ僕は車を持っていた。アメリカで車のない生活は考えられないので、その前に住んでいたロサンゼルスからわざわざ引っ張ってきた車だった。

 ニューヨークの車のある生活で一番大変だったのが駐車スポット探しだった。

 よい駐車スポットに車を止められた時など、次の苦労を考えるともう絶対に車を動かしたくない気分になる。そんな時にデートをすると、究極の選択を迫られることになる。相手の女性を車で送り届けるか、それとも地下鉄で帰ってもらうか。車で送り届けた方が心証はいいし、今後の交際の進展にも影響をおよぼすだろう。しかし、送り届けた帰りにはもう今いるよい駐車スポットを失う。それは財産を失うような気分だった。

 本当に気に入っている女性の時だけ車を駐車スポットから出し、きちんと送り届けるという結果になる。

 車を持つニューヨーカーにとって駐車スポットは自分を知るリトマス試験紙にもなる。

 駐車スポットを題材にしたカルヴィン・トリリンの小説『Tepper Isn't Going Out』は、こんな特殊な状況を知るニューヨーカーでなければ書けない小説だ。

 主人公のマレイ・テッパーはニューヨークに住む中年男。彼はメーターにコインを入れ、車のなかでニューヨーク・ポスト紙を読む。駐車スポットを探している人に車のなかから「もうすぐ出るのか?」と聞かれても、立てた人さし指を振るだけでただ新聞を読み続ける。「合法的な場所に駐車し、まだ時間も残っているので駐車する」というのが彼の言い分だ。

 声をかけた人々は「そこに住んでいるのか」「新聞などは家で読め」と怒るが、そんな奴らを無視するのもテッパーのやり方だ。

 著者のカルヴィンは、長く『ニューヨーカー』誌のスタッフ・ライターを務めている。彼は、かつて『ビューティフル・スポット:マガジン・オブ・パーキング(美しいスポット:駐車場の雑誌)』という創刊号だけが出た雑誌を発行している。ニューヨークの駐車状況を題材とした小説を書く人物だけのことはある。

 物語は、「秩序を乱す異端分子」との戦いを宣言するニューヨーク市長がテッパーを相手取り裁判を起こす。しかし、市民はテッパーが何か自分たちには図り知れない英知の持ち主と思い込み、全面的にテッパーの味方となる。裁判所の前でデモを繰り広げ、テッパーの車の前に行列を作りテッパーと話す機会を得ようとする。

 ニューヨーク流の乾いたユーモアがちらばめられたこの本は、清涼飲料のような口当たりのよさと軽快な刺激が楽しめる。213ページという短い作品なので、気軽に読める一冊だ。

 ところで、秦隆司のメールマガジン「ニューヨーク発:秦隆司のアメリカ出版界と洋書、そして英語の話」が始まりました。毎週金曜日にお届け致します。ご興味のある方はhttp://www.mag2.com/m/0001584287.htmlからどうぞ。


→bookwebで購入

2012年12月04日

『The Dogs of Babel』Carolyn Parkhurst(Back Bay Books)

The Dogs of Babel →bookwebで購入

「愛する人を失った悲しみを乗り越えようようとする物語」

 アメリカに住んでいてこんな話を聞いたことがある。犬を飼っていた家族が引っ越しをすることになり、犬を連れて車で引っ越しをした。しかし、途中の休憩所で犬が他の犬と喧嘩をし、そのまま行方不明になってしまった。家族は犬を探したが結局みつからず、あきらめてその場を離れた。家族が新しい家に住みだして2年後、その犬が突然帰ってきたという。
 確か、新聞で読んだ話だったが、その記事を読んで、もしその犬が飼い主を見つけるまでの放浪記をかけたなら、きっと面白い物語になるだろうと思った。

 インタビューを申し込んで「あの時はどんなだったんだい」などと質問をしてみたい。「そう、あれは大変だったんだ。まず気がついてみたら俺は知らない町にいたんだ」なんていう話がその犬から聞ければ最高だ。
 
 今回読んだ『The Dogs of Babel』にも犬を飼ってる夫婦が登場する。キャロライン・パークハーストのデビュー作のこの小説は『ピープル』誌、『タイム』誌、『エスクァイアー』誌、『マリ・クレール』誌など数多くの雑誌で取り上げられた。

 内容を少し紹介すると、主人公は大学で言語学を教えるポールという離婚歴のある男性。彼が大学にいるあいだに妻のレキシーが裏庭に植えてあった高い林檎の木から落ちて死んでしまう。

 ポールは妻がなぜ林檎の木などに登ったのか分からない。レキシーの死は事故なのか、それとも自殺なのか。そのことを知る唯一の証人は、レキシーがポールと結婚する以前から飼っていた犬のロレリーだけだ。

 妻を失った悲しみと、真実を知りたいという思いからポールはロレリーに人の言葉を教えようと決心する。そうすれば、ロレリーから妻の最後の時間の様子を聞くことができるとポールは思う。

 ここからポールの回想という形式で、彼とレキシーの出会い、レキシーの心のなかに潜む自己への恐れ、ロレリーの子犬時代の話などが語られる。

 この物語を読みだしてすぐに読者はレキシーが仮面を作ることを職業としていたことを知る。レキシーの仮面作りは物語のなかの重要メタファーとなっていて、夫のポールにも自分の本当の気持ちを語らない彼女の姿が印象的に浮かび上がる。

 彼女は最後まで仮面を脱ぐことなく死んでいってしまったのか。それとも、彼女の最後のメッセージはポールが気を付けて探せばどこかに隠されているのだろうか。ポールのロレリーに人の言葉をしゃべらようとする脅迫観念は、犬の口の部分に手術を施す秘密結社との関係を作りだし物語は少し暗さを増していく。

 愛する人を失った悲しみと、その悲しみを乗り越えるまでの人の心の動きをテーマとした小説だ。


→bookwebで購入

2012年11月15日

『 Shades of Justice』Fredrick Huebner(Simon & Schuster)

 Shades of Justice →bookwebで購入

「法医学者ウィル・ハットンが活躍する法廷スリラー」


 今回、読んだ本は、法廷スリラーの『Shades of Justice』。著者のフレドリック・ヒューブナーはシアトル州で資格を持つ弁護士だ。

 「弁護士が書く法廷スリラー」。どこかで聞いたことのある経歴だと思ったら、そう、アメリカの大人気作家ジョン・グリシャムと同じだ。グリシャムもミシシッピ州で弁護士資格を持つ作家で、だいたい年1冊のペースで法廷スリラーの新作を発表している。

 アメリカは「訴訟の国」なので弁護士の数が多い。僕にも弁護士の知り合いは何人かいる。移民法専門の弁護士、労働法の弁護士、不動産専門の弁護士など各人の専門分野が分かれている。

 「訴訟の国」に住む僕は、裁判所に出向いての係争というのも経験した。カリフォルニアに住んでいた頃、二世帯住宅の片側を人に貸した。その人から夏の間、エアコンが壊れたので家賃を払わないと告げられ、困った僕は裁判所に訴えを起こした。判決は、僕の勝ちだったが、結果的には負けてしまった。

 というのは、ある一定の期限内に家賃を払うようにと告げられたその人が、その期限の終わらない内に引っ越しをしてしまい、そのまま行方が分からなくなってしまったのだ。引っ越し先だと教えられていた住所を訪ねてみると、見ず知らずの人が住んでいた。

 カリフォルニアの夏、僕に起こった法廷スリラーだ。世の中、何が起こるか分からない。

 さて、本の内容だが、主人公は法廷で被告人や原告人に対して精神鑑定の証言をおこなう法医学者ウィル・ハットン。彼が新たに関わる裁判の被告人がローラという画家だ。ローラは、夫を殺した罪に訴えられている。ローラを守ろうとする弁護士はエド・ハウザー。ウィルが父親と慕う人物であり、ローラの母親の恋人でもある。

 エドは仲間の弁護士と相談して、長く躁鬱病を患っていたローラの犯行時の精神状態を想像し、精神異常による犯行とした無罪を主張する。

 ウィルは弁護側の主張の正しさを証明するために、ローラが何故、精神障害をきたしたかの調査を進める。その調査のなかでウィルは、ローラやローラの母、殺されたローラの夫、それにエドたちが関わる犯罪の新事実を見つけていく。

 ゆっくりと展開する謎解きの面白さもさることながら、読み応えのあるのは、裁判の場面だ。一般市民から選ばれた陪審員たちを前に、原告側と被告側の弁護士が繰り広げる激しい尋問合戦。裁判を自分の側に有利に展開させるための戦術、その戦術の正当性を検討する裁判官の判断など、読んでいて息を飲む面白さだ。

 ぐいぐい引き込まれて、一気に読み終えてしまった一冊だった。
 


→bookwebで購入

2012年11月05日

『The Greatest Player Who Never Lived : A Golf Story』 J. Michael Veron(Broadway Books)

The Greatest Player Who Never Lived : A Golf Story →bookwebで購入

「史的事実も交えたエンターテインメント性の高いゴルフ・ストーリー」


 もう二〇年以上昔の話となるがニューヨーク州ロングアイランドに住んでいた頃、近くにゴルフ場があったので、ゴルフ好きな友人に連れられゴルフをやった。

 それまで、一度もクラブを握がない人間がいきなりコースをまわるのだから結果は知れたものだろう。1ホールにとてつもない時間がかかったが、平日の昼間のゴルフ場は空いていて後続の人たちに追い付かれることもなかった。コース使用料も安く十ドルもかからなかったように記憶している。

 クラブ一式と自分で引っ張るゴルフカートをゴルフ場で借りコースに出てボールを打つ。ボールはころころと三メートルほど先まで転がったり、思いもよらない方向に飛んでいったりした。ひとりの友人を除いてほかはみんな僕と同じようなものだったので、僕たちのチームはてんでんばらばら、誰がどこにいるのかさえ分からないゲームとなった。

 ひとりが林の中に消え、もうひとりがティーショットを打った場所に留まり、ひとりがずっと先まで進みと、各人が非常に個性的な動きをするゲーム展開となった。打数もこれが十三打目なのか十四打目なのか分からない。もうこうなると、十三だろうが十四だろうがどちらでも変わらなかった。

 それから、二、三度ゴルフ場に行ったが、別に打ちっぱなしで練習をするでもなく、ただコースをまわっただけなので、僕のゴルフの腕は全く上達しなかった。以来、ゴルフはやったことがない。

 こんなことを思い出したのは、今回読んだ本がゴルフ選手と殺人がからむ法廷スリラーだったからだ。

 主人公は弁護士を目指してロースクールで学ぶチャーリー・ハンター。チャーリーは夏のインターンとして働いた弁護士事務所でボビー・ジョーンズという、すでに死亡した有名なゴルフ選手でありその事務所の弁護士でもあった人物が残した書類の整理をすることになる。ジョーンズの書類からチャーリーは、ビュー・ステッドマンという人物の存在を知る。

 ステッドマンは殺人の罪に問われ逃亡を果たした若いゴルフ選手だった。ステッドマンはその逃亡生活のなかで名前を隠しつつ、アーノルド・パーマー、バイロン・ネルソンなど数々の一流プレーヤーと賭けゴルフをおこない、全員に勝利した。もし、ステッドマンがゴルフ選手として活躍できたなら、彼は歴史に残る成績を収めたはずだった。

 世界的に有名なゴルフ・コースであるオーガスタ・ナショナル・ゴルフ・クラブでのプレーの模様も交え、物語はステッドマンの身の潔白を証明するための裁判へと発展する。最後にはスッテドマンを殺人犯人と告発した家族の秘密が明かされる。

 緻密な調査に基づくノンフィクションとフィクションが混ざり合い、物語に緊張感を与えている。

 僕のようにゴルフをしない人間でも楽しめる本だった。
 


→bookwebで購入

2012年10月22日

『Layer Cake』 J. J. Connolly(Black Cat)

Layer Cake →bookwebで購入

「足を洗いたいイギリス人マフィアの最後の仕事」

 A life of leisure.日本語にすると悠々自適の生活。アメリカ人やイギリス人の思い描く理想の人生のひとつとしてこの a life of leisureがある。
   素早くお金を儲けて若いうちに仕事を引退し、バハマにでも行って毎日海を眺めながらトロピカル・ドリンクを片手に浜辺に置いたデッキチェアーに寝ころんで日長な一日を過ごす、というような生活だ。

 今回紹介するJ・J・コノリーの作品『Layer Cake』にも、そうそうに仕事を引退したいと願っている主人公が登場する。

 物語の最後まで名前が明かされない主人公はいま29歳。30歳で仕事から足を洗い、気楽な人生を送るという生活設計を建てている。しかし、彼が考えているように上手く話が進むのだろうか。なんといっても、主人公は麻薬を密売するイギリスの暗黒社会に属しているのだから。

 ある日、主人公はマフィアのボスに呼び出され知り合いの娘の行方を探すように頼まれる。ボスの言い方は、もし彼が上手く探し出せば仕事から足を洗っても文句をつけないと言っているように聞こえる。主人公に選択の余地はなく、彼は早速娘の行方を追い始める。

 しかし、話はここからややっこしくなる。これまで取引をしていた一味から、エクスタシー(MDMA)の錠剤200万錠を売り裁いてくれと主人公チームに依頼がくる。退職金としては申し分ないと主人公と彼のチームは買い手を探す。

 しかし、この200万錠のエクスタシーは、取引一味がアムステルダムのネオナチ・ギャングから強奪したもので、その時取引一味は主人公たちの名前を語っていた。そしていま、主人公たちがイギリスでその錠剤の買い手を探している。どう見ても強奪をしたのは主人公たちに見える。主人公たちはネオナチ・ギャングからも目をつけられる。

 そうして、ボスの知り合いというのがビジネス界の黒幕的存在で、200万錠のエクスタシーの話を聞き、それを日本に送ろうと目論む。

 イギリスを舞台にしたこの物語は、ときにはコミカルにときにはシリアスに話が展開していく。

 それにこの本に出てくる英語は「Who the fuck is this Freddie geezer anway?(そのフレディとかいう野郎は一体誰なんだ)」という風にイギリスのストリート英語が使われている。そうかと思えば、お互いに「ミスター」を付けて呼び合うなど、イギリス人ならではの可笑しさもよく描かれている。

 映画にもなっているこの作品。時間を忘れる面白さだ。


→bookwebで購入

2012年09月29日

『Home Town』Tracy Kidder(Washington Square)

Home Town →bookwebで購入

「ニューイングランド地方のカレッジ・タウンが舞台となった小説」

 ピューリッツァ賞作家、トレーシー・キダーの小説『Home Town』はニューイングランド地方の小さな町を舞台とした小説だ。ニューイングランド地方とは、ニューハンプシャー州、メイン州、マサチューセッツ州など米国北東部の六州を含む地区を指している。著者のキダーはマサチューセッツ州とメイン州に家を持ちニューイングランド地方で暮らしている。
 この小説を読み始めたら、いきなりニューイングランド地方に住む人と知り合いになった。

 まず、メイン州で1989年から『The Cafe Review』という文芸誌を発行している編集長から連絡があった。共通の知り合いを通して『The Cafe Review』誌と手紙を送ってきてくれた。メイン州は綺麗だから一度、遊びに来いという。メイン州を拠点にずっと雑誌を出してきた彼は、これからも都会にでる気はないらしい。何か『Home Town』の物語の中に出てくるような人物だなぁ、と思いながらもらった『The Cafe Review』誌を読んだ。

 それからすぐに、セブン・シスターズの一校、マウント・ホリオーク・カレッジに通う日本人の女子学生と知り合った。セブン・シスターズとは米国東部の名門女子大であるバーナード、スミス・カレッジ、マウント・ホリオーク・カレッジなどの7校を指しそう呼んでいる。星に姿を変えられた7人の娘たちの伝説にちなんで「セブン・シスターズ」と名付けられた。昔からの呼び名で、今はこれらの大学の多くは男子生徒にも門戸を開いている。

 彼女が通っている大学がマウント・ホリオークだと聞いて、僕はふ~んと思った。というのも、『Home Town』の舞台となっているのが、スミス・カレッジやマウント・ホリオークが近くにあるマサチューセッツ州の小さな町、ノザンプトンという土地だったからだ。

 僕自身、大学がマサチューセッツ州だったので『Home Town』をわざと時間をかけてゆっくり読んでいた。そこに『The Cafe Review』誌の編集長やらマウント・ホリオークの学生やらが現れたので、ニューイングランドの海岸や、あの綺麗なしかしとても寒かった冬などを懐かしく思い出すことになってしまった。

 『Home Town』には、古い歴史のあるノザンプトンの町とそこに暮らす人々が描かれている。ノザンプトン以外では働いたことのない警察官、厳しいが人情のある裁判官、法も犯すが警察の捜査にも協力する小悪党、スミス・カレッジに通う生活保護を受けている母親などが登場する。この小説は絵に描いたようなニューイングランド地方にあるカレッジ・タウンが舞台だが、その一見平和な街に暮す人々の人生を追い、微妙な人間ドラマを描いている。

 本を読み終わる頃には、車を借りてニューイングランドに行こうと決心していた。

 
 


→bookwebで購入

2012年08月28日

『Havana Bay 』Martin Cruz Smith(Ballantine Books)

Havana Bay →bookwebで購入

「キューバを舞台として読み応えのあるスリラー」


 今回読んだ「Havana Bay」は「Gorky Park」」や「Polar Star」などに続きロシア人調査官、アルカディ・レンコが登場するマーティン・クルーズ・スミスの作品。旧ソ連の影響力が弱くなったキューバが舞台となっている。

 著者のマーティン・クルーズ・スミスは1942年にペンシルバニア州で生まれた。父親はジャズ・ミュージシャンで母親はアメリカ・インディアンの血をひくジャズ・シンガーだった。

 64年にペンシルバニア大学を卒業してジャーナリストになったが収入は少なく、雑誌の編集者になった時などは、偽名で記事を書き、その記事を自分で買い上げることなどもしていたという。

また、ジャック・ローガン、ニック・カーター、マーティン・クインなどの名前を使い小説を書いていた。

 70年代初めから本名で小説を書きだし、81年に出版した「Gorky Park」がベストセラーとなり、映画にもなりこの映画もヒット作となった。

 今回の作品を仕上げるにあたり、著者は五回ほどキューバへ取材旅行に出かけ、書き初めから完成までに3年の時を費やしたという。

 内容の方だが、モスクワに住む主人公が、ハバナ・ベイで死体で発見された友人の身元確認のためにキューバを訪れる。しかし、死体は腐敗がひどく、主人公はそれが本当に友人であるか分からず確認を拒否する。そして、その友人が移っていた一枚の写真が原因で、正当防衛の殺人を犯してしまう。主人公は、ハバナの街で自ら友人の形跡を追い、さらに大きな陰謀に巻き込まれていく。

 物語には、キューバに大きなカジノを作ろうとするごろつきアメリカ人や、キューバからの脱出を願うダンサー、魅力的な女性捜査官などが登場する。

 最後までどんな陰謀が待ち構えているのか分からず、大きなどんでん返しも用意されているスリラー作品は読み応えのあるものだった。


→bookwebで購入

2012年08月14日

『A Farewell to Arms : The Hemingway Library Edition』Ernest Hemingway, Patrick Hemingway(前書き), Sean Hemingway (インロダクション)(Scribner)

A Farewell to Arms : The Hemingway Library Edition →bookwebで購入

「ヘミングウェイが考えた違ったエンディングが読めるエディション」


出版社スクリブナーの編集者チャールズ・スクリブナー3世にヘミングウェイについて話を聞いたことがある。

チャールズ・スクリブナー3世は名前の通りはスクリブナー社を創設したチャールズ・スクリブナーの子孫である(スクリブナー家は男子に代々同じ名前をつけている)。スクリブナー社はスコット・フィッツジェラルドの作品も出版してきた出版社なので、チャールズ・スクリブナー3世の話はとても興味深かった。

そのインタビューの収録された電子書籍はここから(http://binb-store.com/ss/abj/)。

そして数日前、ヘミングウェイの「A Farewell to Arms(武器よさらば)」の新たな版(エディション)「ザ・ヘミングウェイ・ライブラリー・エディション」が出版されたニュースを読んだ。

1958年、ヘミングウェイはパリ・レビュー誌のインタビューに答え「武器よさらば」のエンディングを39本書いたと答えている。

このライブラリー・エディションにはヘミングウェイの息子であるパトリック・ヘミングウェイが前書きを書き、孫でニューヨークMOMAのキューレターであるショーン・ヘミングウェイがイントロダクションを書いている。

ヘミングウェイの「武器よさらば」の原稿はボストンのジョン・F・ケネディ・プレジデンシャル図書館に保管されているが、ショーン・ヘミングウェイは祖父が言う39本よりももっと多い47本のエンディングを見つけた。

その全てのエンディグがこのライブラリー・エディションには収められている。

ヘミングウェイがおこなった本文の推敲原稿も収められているが、興味深かったのはやはり47本の違ったエンディング原稿だった。

The Nada Ending(なにも無いエンディング)と呼ばれるエンディングは:

「That is all there is to the story. Catherine died and you will die and I will die and that is all I can promise you.」と身も蓋もないようなものになっている。

また、フィッツジェラルドが勧めたと言われるThe Fitzgerald Ending(フィッツジェラルド・エンディング)では:

「You learn a few things as you go along and one of that the world breaks everyone and afterward many are strong at the broken places. Those it does not break it kills. It kills the very good and very gentle and the very brave impartially. If you are none of those you can be sure it will kill you too but there will be no special hurry.」となっている。

最終的にヘミングウェイが選んだエンディングは感情を抑えたクールなエンディングだったが、彼は希望を持たせるような終わり方も考えていた。

The Morning-After Ending(一夜明けたエンディング)では:

「 When I woke the sun was coming in the open window and I smelled the spring morning after the rain and there was a moment, probably it was only a second, before I realized what it was that had happened.」となっている。このエンディグは作品の印象さえも変えてしまうようなエンディングだ。

このライブラリー・エディションには「A Farewell to Arms」の他に考えられた43個の違ったタイトル候補も収められている。

その中にはThe Italian Journal、Thing that had been、As Other Areなど、よいと思われるものもあった。

1929年に出版されたオリジナルの表紙がつけられ、消し込みや推敲の跡が分かるたこの「武器よさらば」のライブラリー・エディションはヘミングウェイを身近に感じられる一冊だ。


→bookwebで購入

2012年07月20日

『The Traveler』John Twelve Hawks(Vintage Books)

The Traveler →bookwebで購入

「果てしなく続く「善」と「悪」との戦い」

 アイザック・ニュートン、イエス・キリスト、ジャンヌ・ダルクなど人類の歴史を大きく変えた人物たち。彼らはみんなトラベラーだった。
 スリラー作家ジョン・トェルブ・ホークスの『Traveler』(トラベラー3部作の第1作目となる)は果てしなく続いてきた「善」と「悪」の戦いをテーマのひとつとに据えて、その戦いをSF、サイコスリラー、アドヴェンチャーの手法を用いて描いた大型娯楽作品だ。ストーリーの展開は、日本でも人気となった『ダ・ヴィンチ・コード』と超人気映画『スターワーズ』を合わせたような感じだ。

 主人公となるのはロンドンに住む26歳の女性マヤ。彼女はハーレークィン一族の血を受けついでいる。

 ハーレークィンは、自分の命もかえりみず代々トラベラーたちを守ってきた戦士の家系で、マヤも子供の頃から父親にハーレークィンとしての戦う術を伝授されてきた。

 一方、すべての人間をコントロールし、絶対的権力を手中に収めようとしてきたのがタビュラと呼ばれる一族。デジタル化が進んだ世界では、インターネットやGPSのテクノロジーを通じて個人の情報が簡単に手に入り、偽の情報を流すことも容易だ。タビュラは人々を監視し、情報操作を思いのままにすることでその権力を手に入れようとしている。つまり、目には見えないテクノロジーの柵を作り、その中で人間を羊のように飼いならそうとしているのだ。

 しかし、トラベラーと呼ばれる一握りの人間は、肉体を地球に残したまま魂をほかの次元を自由に移動させる能力を備えている。その魂の「旅」から得た英知は、これまでも人類の大きな力となってきた。
  
 タビュラにとって、人類を発展させ人間性を呼び起こさせるトラベラーは危険な存在だ。そのため、タビュラはトラベラーをこの世から抹殺してきた。この戦いの歴史のなかで、トラベラーを守る戦士ハーレークィンも数多く命を落とした。

 もうすべてのトラベラーが殺されてしまったとされていたが、アメリカにトラベラーの血を受け継ぐふたりの兄弟がいることが分かる。ハーレークィンとしての身分を捨てて、普通の女性として暮らしていたマヤは、最後のトラベラーを守るためにアメリカに向かう。

 物語は、素早く展開し、コンピューターゲームを思わせるバトルシーンも数多く登場する。また、数々の武器も登場するなかで、マヤが一番頼りとするのは刀であり、トラベラーと共に次元を移動できる武器もやはり刀である。本を読むだけで、ハリウッドの映画を観ているような娯楽性に溢れた作品だ。

 なお、トゥエルブ・ホークスという著者名はもちろんペン・ネームで、この著者はこれまでインタビューを一度も受けたことがないという謎の人物だ。


→bookwebで購入

2012年06月13日

『Broke Hear Blues』Joyce Carol Oates(Plume )

Broke Hear Blues →bookwebで購入

「ジョイス・キャロル・オーツが描く心の地図」

 表紙に惹かれて本を買うという買い方があるけれども、ジョイス・キャロル・オーツの『Broke Heart Blues』がまさにそうだった。

 ピンクのキャデラックに米国北東部の秋の風景が映ったカバー。そうえタイトルにが何やら切なげだったので、バーンズ&ノーブルの売場に平積みになっていた本をレジに持っていきその場で買った。レジにいた女の子はその表紙を眺め、「私が通った学校の景色に似ているわ」と言いながら本を袋に詰めた。この表紙に反応するのは僕だけじゃないんだと思った。

 『Broke Heart Bluse』は1960年代から作品を発表しているジョイス・キャロル・オーツの、第29作目となる長編小説だ。

 オーツは『The Wheel of Love』や『Upon the Sweeping Flood』など短編や、詩も数多く手掛けている。

 短編に優れた作品が多く、『Them』という長編で全米図書賞を受賞しているが、短い物語が得意な作家とされてき。しかし、この長編は、出版当時その評判を変えるほどの評価を周囲から受けた。

 米国出版界の専門誌『パブリッシャーズ・ウィークリー』誌では「これまでの長編で最高の出来」と評した。

 オーツは1938年にニューヨーク州ロックポートで生まれた。14歳の時にタイプライターを贈られ、そのタイプライターを使って物語を書き始めた。

 大学はニューヨーク州にあるシラキュース大学に進学。在学中に文芸コンテストで優勝をしている。その後、ウィスコンシン大学院に進み、大学院を卒業後はカナダの大学やニュージャージー州にあるプリンストン大学でクリエイティブ・ライティングのクラスを受け持っている。人気作家となったジョナサン・サフラン・フォアも彼女の教え子だ。

 大学で教えながら、1年の内に数本の作品を仕上げるオーツは、米国人作家に珍しく多作だが、その理由をあるインタビューで次のように答えている。

 「私は仕事中毒になっている人間ではありません。書くことや教えることから大きな喜びを得ていて、一般に言われる『仕事』という感覚ではないのです」

 さて、本書の内容だが、ニューヨーク州にある小さな町が舞台になり、主人公はジョン・ハート・レディーという高校生。ジェームス・ディーンを思わせるジョンはクラスの女子学生の憧れの的だ。

 しかし、ジョンは母親に暴力をふるった男を銃で撃ち殺してしまう。だが、それは家族の誰かの犯行をかばって、自らを犯人として仕立て上げている可能性もある。物語はジョンが犯したかも知れないその事件を中心に、60年代から90年代に至るまでのジョンと高校生仲間の人生が描かれている。


→bookwebで購入

2012年05月20日

『The Bluest Eye』Toni Morrison(Vintage Books)

The Bluest Eye →bookwebで購入

「トニ・モリソンの最初の小説」

  
 アメリカの都市に住む黒人と、田舎で暮らす黒人の違いに気が付いたのは、ミシシッピ州オックスフォードの町に行った時だった。ニューヨークやロサンゼルスで会う黒人のなかには、いわゆる「ギャングスタ」と呼ばれる暴力と麻薬の匂いがする人々がいた。夜中に道で出会ったりすると少し怖い気がしたことも確かにあった。

 ところが、オックスフォードで会った黒人の人々は、物腰が柔らかく、言葉づかいも(南部特有の訛りはあったけれど)丁寧だった。ふ~ん。土地が変わると人も変わるんだと僕は思った。

 1993年にノーベル文学賞を受賞したトニ・モリソンの処女小説『The Bluest Eye』には、そんな田舎町で暮らす黒人たちが登場する。
  
 本書は1970年に出版されたが、93年にハードカバーがランダムハウスより、そしてペーパーバックがペンギン社のインプリントであるプラムより再発行された。再発行されるとすぐに『ニューヨーク・タイムズ』紙のベストセラー・リストに入り、オンライン書店のアマゾン・コムでも売り上げ第三位に入った。

 物語は、11歳になる黒人の少女ピコラとその家族の様子が描かれる。ピコラは父親に犯され、その子供は生まれてすぐに死んでしまう。少女は精神に異常をきたし町の外れでゴミ箱などをあさり細々と暮らしていくというものだ。子供を生む前に、ピコラは自分の瞳の色が世界中で一番真青だったいいのにと願う。瞳が青く、髪が金色なら(つまり白人だったら)自分の醜さが消えて誰もに愛されると想像する。

 本書を読むと、どこかの小さな田舎町に伝わる怖い民謡でも聞かされているような気分になる。

 「昔、少女がひとりいたとさ。青い目を欲しがっていつも泣いていたとさ。おっとつあんの子供を身篭もって、頭がおかしくなったとさ。昔、少女がひとりいたとさ。青い目を欲しがっていつも泣いていたとさ」というような調子だ。

こういう雰囲気が醸しだされる理由は、ピコラ自身が一人称で語っている章がほとんどないせいだろう。物語りはピコラの友人のナレーション、または三人称の形式で進められていく。読み手はピコラの姿は見えるが、彼女の心の動きを直接には知ることができない。


 主人公ともいえるピコラの声が欠如していることは、モリソン自身も93年に書いた後書きで指摘している。

 読み手は、ピコラの人生を供に生きるのではなく、傍観者としてその生き方を見ることになる。だからといって、読み手の共感を呼ばないわけではく、本書が力に溢れた重要な作品であることは間違いない。モリソン・ファンには必読の書だろう。
 


→bookwebで購入

2012年05月07日

『The Decoy』Tony Storng(Transworld Publishers)

The Decoy

「人間の精神の暗い部分に光をあてたサイコスリラー」


 誰もがみかけとは違う人間性を内に秘めている。イギリスのサイコスリラー作家トニー・ストロングの最新作『The Decoy』。この作品を貫くテーマはこんな言葉であらわせるだろう。別の言葉を使うとすれば「あざむき」だ。題名に使われているDecoyとは「獲物をおびき寄せるおとり」という意味だ。

 物語の主人公は、イギリスからニューヨークに移ってきたばかりの若き女優のたまごであるクレア。彼女にはアメリカの永住権がなく、大きな会社の仕事をすることができない。俳優仲間のつてを使いやっと見つけた仕事は、私立探偵事務所の助手として自分がおとりとなり、依頼人の夫を誘い浮気の事実を証明するというものだった。

 クレアの仕掛けた罠に次々と男たちははまっていくが、唯一クリスチャン・ヴォルガーという男だけがクレアの誘いにのらなかった。

 クレアがクリチャンを誘った数週間後に、クリスチャンの妻ステラが殺されてしまう。その残虐な手口から、警察は連続殺人犯の犯行と確信する。警察は女優としての研修を積んだクレアをみつけ、犯人を誘いだすおとりにならないかともちかける。ニューヨークでまともな仕事につけないクレアは給料と永住権を条件にその危険な仕事を引き受ける。

 この大きな出だしの設定から、物語は暗さを増していく。著者はボードレールの『悪の華』をモチーフとして、精神の邪悪さのなかに美を見いだす喜びを描く。

 クレアは犯人をおびきだすために倒錯した性の世界に足を踏み入れ、インターネットのセックスサイトの会員となり、自分を服従させてくれる男を探す。犯人は、そんな性向を持つ男のひとりだ。

 犯人が誰かを推理する楽しさのほかに、登場人物の行動によって多くの場面が展開していく面白さがこの作品にはある。文章を読んでも、登場人物たちの真意はどこにあるのかはっきりとしないのだ。読者にはひとりひとりのその場の行動だけが明かされ、その人物が何を考えているのか、何者なのかは不確かなままだ。つまり、読者もおとりにおびき寄せられる獲物なのだ。

 トニー・ストロングはこの作品のプロットを練りあげるのに半年を費やしたとインタビューで答えている。映画を意識して、ヴィジュアルによる効果も考慮している。

 犯人逮捕の前、クレアはウェブで公開殺人を計画する殺人者に捕えられてしまう。この事件が解決したのちの最終ページで、大きなどんでん返しが待ち受けている。

 精神の暗い部分に光をあて、サブプロットとして、倒錯したセックスはもちろん法医学や犯罪精神分析の分野まで踏み込んだ作品は、なかなか読み応えのあるものだった。明るい愛の話ではないが、これも人間の持っている一面を映しだした作品だろう。


2012年04月20日

『The Sleep-Over Artist 』Thomas Beller(W W Norton)

The Sleep-Over Artist →bookwebで購入

「独身男性も楽じゃないと思える作品」


ニューヨークに住んでいる僕にとって、ニューヨークがたくさん出てくる物語はそれだけで楽しめる。きっとこの街が好きなのだと思う。

 W・Wノートン社より出版されたトマス・ベラーの短編集『セダクション・セオリー』に続く『ザ・スリープ・オーバー・アーティスト』もニューヨークを主な舞台とした小説だ。僕のアパートから五分とかからない本屋、シェークスピア・アンド・カンパニーでこの新刊を見つけ、普段なら定価より安く買えるアマゾン・コムから二、三冊まとめて新しい本を注文するのだが、この本はその日のうちに読みたくてその場ですぐに買ってしまった。

 ベラー自身、若手の作家だが、一方では人気作家のデイビッド・フォスター・ウォーレスなどの作品を掲載してきた文芸誌『オープン・シティ』の創刊編集長でもある。『オープン・シティ』は表紙の感じも新しく、なかなかよい作品が掲載されている。
 
 また、ボストンにあるエマーソン・カレッジから発行され高い評価を受けている『プラウシャーズ』やホートン・ミフリン社から出ている『ザ・ベスト・アメリカン・ショートストーリーズ』などの文芸誌、それに『ニューヨーカー』誌など雑誌にもベラーの作品は掲載されてきた。
 
 『ザ・スリープ・オーバー・アーティスト』には彼の前作で登場したアレックス・フェイダーの六歳のころの話から二十代の終わりまでの話が年代ごとに十二作収められている。
 
 表紙ではノベルとなっているが、同じ主人公が登場する短編集とみることもできる。メリッサ・バンクの『ザ・ガールズ・ガイド・トゥ・ハンティング・アンド・フィッシング』も同じ手法を用いた小説だったなぁ、と思いながら読み進めた。
 
 物語は、まずアレックスが住むアッパー・ウエストサイドの様子や、友人の家に泊ってばかりいるアレックスの生活が描かれる。次に二十歳を過ぎたアレックスが通ったグリニッチ・ビレッジのドラッグディーラーのアパートでのできごとや、ガールフレンドや伯母のアパートでの物語が語られる。
 
 最も長い作品である『セコンズ・オブ・プレジャー』は、ロンドンに住む子供を持つ女性と遠距離恋愛をし、最後にその関係も終わりをむかえる話だ。読んでいくうちに、この小説が他人の家で起こったことばかりを描いている作品だと気がつき、なるほど、それで『ザ・スリープ・オーバー・アーティスト』というタイトルがついているのだと納得した。

 近頃は、都会に住む独身女性を描いた作品が脚光を浴びているが、独身男性もいろいろ苦労をしているもんだとおかしなところで共感した作品だった。


→bookwebで購入

2012年04月09日

『Cadillac Jukebox』 James Lee Burke(Hyperion)

Cadillac Jukebox →bookwebで購入

「ご存知、刑事デイブ・ロビショーが活躍するエンタメ小説」

 アメリカの人気スリラー作家、ジェームス・リー・バークのインタビュー記事がニューヨーク・タイムズ紙に載った。

 刑事デイブ・ロビショーが活躍するディテクティブ・ストーリー・シリーズでお馴染みの作家だが、そのインタビューが面白かった。

 ジェームス・リー・バークはそれまでの長い作家活動のなかでライターズ・ブロック(作品が書けなくなってしまうこと)を経験したことがないという。特に興味を惹いたのは、物語を書く時、彼はふたつ、あるはみっつ先の場面しか見えておらず、構成が最後までできあがっているわけではないことだった。

 「私が書いてきた物語は、誰かの手によって私のなかにすでに刷り込まれていて、私はそれを辿っているだけです」とジェームス・リー・バークは語っている。

 ジェームス・リー・バークの作品は構成が凝っていて、どんでん返しなどもあるのでこの発言は驚きだった。

 ということで、今回はそのジェームス・リー・バークの作品『Cadilac Jukebox』の紹介。

 『Cadilac Jukebox』は刑事デイブ・ロビショー・シリーズのひとつだ。ルイジアナが舞台となっているので、アメリカ南部の風景描写がたっぷり読める楽しみもある。

 また、ビート作家ウィリアム・バロウズをモデルとした人物が脇役として登場してくる。ジェイムス・リー・バークとバロウズというのはなんとなくミスマッチのような気がするのだが、案外ふたりは知り合いだったのかもしれない。

 物語はルイジアナ州の町で起こる刑務所破りを発端として、政治家、マフィア、主人公の昔の恋人や家族、友人などが複雑にからみあい展開されていく。

 スリリングな物語のなかにもメランコリーな影があり、質の高いエンタテインメント小説を楽しみたいという人にお勧めの本だ。また、アメリカ南部が好きで、風の湿り気とあの熱さを感じたいと思う人にも最適な本だろう。


→bookwebで購入

2012年02月17日

『Indecision』Benjamin Kunkel(Random House)

Indecision →bookwebで購入

「優柔不断の現代の若者を描いた作品」

 この小説は、辛口書評家として有名なミチコ・カクタニが『ニューヨーク・タイムズ』紙で、彼女にしては本当に珍しく、ほとんど手放しで褒める書評を載せた作品だ。ニューヨークの作家であるジェイ・マキナニーも同じ『ニューヨーク・タイムズ』紙上でやはりよい書評をこの本のために書いている。
 マキナニーは書評のなかで、彼の知り合いの大御所作家が「20代の作家の作品は読むべきものがない」と言っているが、マキナニー自身はそうは思っておらず、その証明となったのが今回出版された『Indecision』だと語っている。

 作品自体は2000年代半ばに出版されたものだが、今の若者の姿が映し出されている。
 
 タイトルのインディシジョンとは日本語で「優柔不断」という意味だ。主人公のドゥワイトはニューヨークに住む28歳の青年。しかし、彼は3人のルームメートと部屋を借り学生寮生活の続きのような暮らしをしている。仕事も客の苦情に電話で応えるという中途半端なもので、大人にはなり切れていない。

 ドゥワイトの最大の問題は、何に対しても心を決めるられないこと。人生に何を求めるのかという大きな問題はもちろんのこと、いま付き合っているガールフレドと真剣に付き合うべきか、友人たちと今夜でかけるべきか、レストランで何を注文するかさえも決められない。

 彼はその解決法としてコインを投げ、その表裏で物事を決める。「このシステムは統計学上から公平な結果を出せる」と彼は思う。そればかりか、薄っぺらで誰にでも見抜けてしまう自分という存在に神秘的な要素を付け加えることができると思っている。

 裕福な家の子弟が通うプレップ・スクールを卒業したドゥワイトは、自分の家が金持ちであることや、自分が実は月並みな男であることが心に引っかかっている。それに、姉のアリスには姉妹以上の恋心を寄せている。

 ある日、プレップ・スクール時代に憧れていたナターシャから彼女の近況を知らせるEメールが届く。ナターシャはいまエクアドールに居て、ドゥワイトにエクアドールに来るように誘う。ドゥワイトはコインを投げ、ナターシャのもとに向かう。

 プレップ・スクール、ニューヨーク、大人になりきれない主人公などは、当然『ライ麦畑で捕まえて』を思い起こさせるが、『Indecision』はサリンジャーの作品と比べると、ずっとポストモダン、ポスト9・11的な作品だった。感受性の強い若者の、社会的意識の形成過程をコミカルにそうして、ある場面ではサイケデリックに描いた秀作だ。


→bookwebで購入

2012年01月23日

『How to Be Good』Nick Hornby(Riverhead Books)

How to Be Good →bookwebで購入

「一体、よい人間って何だろう」


 出だしの数ページを読んだだけで、つい買ってしまう本というのがあるが、イギリスの作家ニック・ホーンビイの新刊『How to be Good』がまさにそうだった。

 アパートの近くのバーンズ&ノーブルの棚にあったこの本を手に取り、最初の二ページを立ち読みしたところで、先が読みたくなり買ってしまった。

 物語は、主人公のケイティが駐車場に止めてある車から、携帯電話を使って夫に離婚話を切り出す場面から始まる。

ケイティは、人を助けるために医者になり、ふたりの子供も育ててきた。彼女の心のなかには、自分はよい人間だという確信がある。しかし自分が何故、車のなかからそれも携帯電話を使って離婚の話を夫に切り出すような人間になってしまったかを考える。

 夫のデイビッドは、地元の新聞で「怒れる男」の視点からコラムを書いている作家だ。常に皮肉たっぷりの夫との生活に疲れてしまったのだろうかとケイティは思う。

 ケイティは夫が変わってくれればいいと考える。彼女の望みは現実となり、ある事件をきっかけに本当に夫は変わってしまう。

 デイビッドはある日から突然「よい人」になってしまうのだ。彼は、恵まれない子供たちのために玩具を贈り、ホームレスに空いている部屋を提供するための住民運動を繰り広げる。そして、ケイティを怒鳴りつけることも無くなる。

 夫のこの変化によってケイティは幸せになれるのだろうか。『How to be Good』は、よい人間とは一体どういう人間なのか。よい人生とはどんなものなのかを問いかける物語だ。

 この新作もこれまでに発表されたホーンビイの小説、『High Fidelity』や『About a Boy』のようにコミカルな部分のある作品となっている。

 ところで、ホーンビイはあるインタビューで「私はアメリカの作家の小説しか読まず、テレビもアメリカのものしか見ない」と言っていた。彼が好きな作家もアン・タイラー、ローリー・ムーア、トビアス・ウルフとみなアメリカ人だ。

 ホーンビイによると、イギリスの作家の多くは、自分がインテリであることをみせびらかすような作品を書いているため読者を失っているという。イギリスには小さな文学の世界があり、イギリスの作家たちはその世界に向けて作品を書いているというのだ。その点、アメリカの作家には読者を排除するようなところがないとホーンビイは言っている。

 ホーンビイの作品が、いわゆるエンターテインメント小説ではなく、文学でありながら、なおコミカルであるのは読者を賢そうな言葉で怖がらせないようにとの計算から生まれていたのだ。ホーンビイはこれからも注目の作家のひとりだろう。


→bookwebで購入

2012年01月13日

『Coraline』Neil Gaiman(Harpercollins Childrens Books)

Coraline →bookwebで購入

「扉の向こうの不気味な世界」


 僕は、日本の高校を卒業してすぐにアメリカに住み出した。初めは兄とふたり暮らしをしたのだが、問題は部屋探しだった。ニューヨーク州ロングアイランドの小さな町で部屋を見つけようとしたのだが、その時、不動産屋の人が見せてくれた家が、何故かどれもとても大きかったのだ。

 いまでも、どうしてあんな大きな家だけをみせてくれたのか分からない。もちろん、そんな大きな家に兄とふたりだけで住む経済的余裕などないので、大きな家の一部を借りることになる。僕たちの借りた部屋は、一軒家の半地下だった。半地下といっても部屋が6つもあった。一階にはほかのアメリカ人家族が住んでいた。

 部屋のキッチンには上の階に続く階段があり、階段の先にはしっかりとした木製の扉があった。その扉には鍵がかかっていた。

 その部屋には2年間住んだが、階段の扉が開いた時が一度だけあった。

 その日は兄の誕生日で、僕たちは友人を集めて大騒ぎをしていた。夜の12時を過ぎた頃、階段の扉が開き、上の家族の父親が「静かにしろ!」と怒鳴り込んできたのだ。

 僕たちは「分かった」と言ったものの、佳境を向かえたパーティをお開きにしようなどとは思いもしなかった。それから数十分後、入口の扉にノックの音が響いた。扉を開けると、図体のでかい警官がふたり立っていた。結局、その夜のパーティは強制的に終わりにさせられた。

 今回、読んだのは日本でもファンが多い作家ニール・ゲイマンの『Coraline』。大きな一軒家にほかの人々と暮らしている家族の話だ。そして扉が物語のひとつの鍵となっている。この作品はヤング・アダルト、つまり青少年・少女向けに書かれてあり、本には「8歳以上」という表示があった。タイトルのコララインは、家族の一人娘の名前だ。ヤング・アダルトの本だが、大人が読んでももちろん面白い。ファンタジーが好きで英語の本を読んでみたい人にはお勧めの本だ。

 内容を紹介すると、遊びに飽きたコララインが、家にある扉を数えて回るところから物語が始まる。家には14の扉があったが、14番目の扉には鍵がかかっていた。

 その扉の先は煉瓦の壁になっているのだが、しかし、ある日コララインが扉を開けるとそこは別の世界に繋がる通路になっていた。別の世界に住む「もうひとりの母」はコララインを歓迎するが、どうも気味が悪い。

 一度はその世界から逃げ出すが、「もうひとりの母」はコララインを引き戻そうと、魔法の力を使い本当の母と父を自分の世界に閉じ込めてしまう。コララインは母と父を救うべく、再び別の世界に戻り「もうひとりの母」と対決をするという話だ。

 ヤング・アダルト作品とはいえ、怖さも漂うファンタジー映画を観ているような楽しさがあった(ハウルの動く城を連想させる)。コララインを助ける猫や、相手の手先となっている鼠たちなどのキャラクターもいい。

 しかし、開かない扉が開いた時、あまりいいことは起きないようだ。


→bookwebで購入

2011年12月19日

『Three Month Fever : The Andrew Cunanan Story』Gary Indiana(Cliff Street Books)

Three Month Fever : The Andrew Cunanan Story →bookwebで購入

「ゲーリー・インディアナが描いたベルサーチの殺人者」


 1997年7月24日、『マイアミ・ヘラルド』紙は、マイアミ市内にあるマイアムビーチ地区のハウスボート内で、アンドリュ・クナンナンという男が自殺を謀ったというニュースを伝えた。

 アンドリュ・クナンナンはその約一週間前、世界的に著名なファッション・デザイナーであるベルサーチを銃で撃ち殺した犯人だった。
  
 ベルサーチを殺害する前に、クナンナンはすでにミネソタ州でふたり、イリノイ州でひとり、デラウェア州でひとりの殺人を犯しており、FBIから捜査の手がかかっていた。しかし、全米の多くの人々がクナンナンの名前を知ったのは、やはりベルサーチの殺人事件からだった。
  
 人々の興味をそそったのは、殺人者がまだ若く、頭がよさそうなハンサムなゲイの青年だったことだ。「彼はエイズに罹っていた」、「以前からベルサーチを知っていた」など憶測によるニュースも伝えられた。
  
 さて、一体クナンナンはどんな人間だったのだろうか。そのクナンナンの姿をニューヨークに住むゲイ作家であるゲーリー・インディアナが描いた。
  
 この本はクナンナンとインディアナという絶妙な組み合わせを味わえる。

 インディアナの他の作品には、エッセイ集である『Let it Bleed』、マンハッタンを舞台にしたゲイ小説『Rent Boy』などがある。

 本書でインディアナはクナンナンを「努力することなしに全ての物を手に入れようとした男」、「みせかけの家柄の良さや財力を示すために、架空の自分を作りあげていった男」として描いている。金持ちの男とヨーロッパ旅行にでかけ、一方、自分の好きな男を繋ぎとめるために金や高価なブランドものの装飾品を男に与える。嘘の名前や経歴を並べたて、本当の自分よりずっと魅力的な自分を作っていったのがクナンナンだ。

 そのクナンナンが殺人を重ね、ついにはベルサーチを殺し、その数日後、自分の命をも断ってしまうまでの物語を、インディアナは自分の視線を通して描いている。

 本書は通常のノン・フィクションとは少し異なる。それはクナンナンが語ったであろう言葉、また取ったであろう行動を、著者のインディアナが想像し自由に書き加えてある点だ。必ず成功するという手法ではないが、インディアナとクナンナンという組み合わせがこの本を読み応えのあるものにしている。
 
 
 
 


→bookwebで購入

2011年12月07日

『Paris to the Moon』Adam Gopnik(Random House)

Paris to the Moon →bookwebで購入

「ニューヨーカー誌に連載されたパリ・ジャーナル」

 この本は『ニューヨーカー』誌にエッセイを掲載してきたエッセイスト、アダム・ゴプニックのエッセイ集。ニューヨークに住んでいたゴプニックがパリに移り住んでからの作品が収められている。
 彼がパリに住むことになったのは、『ニューヨーカー』誌からの依頼だった。期間は1995年から2000年の5年間。この間、『ニューヨーカー』誌はゴプニックが送ってきたエッセイを「パリ・ジャーナル」と題し雑誌に掲載し続けた。本書には『ニューヨーカー』誌に掲載されていない作品も数多く収められている。

 これまでにも、パリについての多くのエッセイ集が出版されてきたが、ゴプニックの作品はそんな作品群のなかでも評価が高く、いまでも売れている本だ。

 その理由は、パリでの単なる生活記録に留まらず、歴史や社会状況を深く追ったジャーナリスティックな視点でいまのパリを捕えたところにある。

 彼が最初に題材とするのは、アパート、料理、カフェ、ファッション、それにセックスなどパリ生活で身近なことがらだが、読み進める内に、それらの題材がパリが直面する問題に結びついていることが判る仕掛けになっている。

 例えば料理の話では、いまフランス料理は危機に瀕しているとゴプニックは語る。現在、ヨーロッパで最も美味しい料理はロンドンで食べることができると言う。ゴプニックはメデチ家までに逆のぼり、何故フランス料理が世界でも最も美味しい料理になったかを調べ、その後、この数十年で危機と言ってもよい状況に陥ってしまったかの答えを実際の生活のなかから引き出している。

 一方で、よく子供を連れていく公園に長い間残る回転木馬を引き合いに出し、コンピューター・ゲームに犯されていない文化がフランスには残っていることを見せてくれる。また、早朝に配達にきた運送屋が子供や妻を起こさないよう静かなノックすることから、フランスの政府や会社が作りだす不自由なシステムとフランス人の優しさを対比させて見せてくれる。

 つまり、ミクロな次元からマクロな題材を引き出したかと思うと、再びミクロに戻っていくというような立体的なパリでの生活、パリの社会を描いている。

 複雑になりやすい設定だが、ゴプニックは自分の子供、妻、友人、そして自らの体験などを折り混ぜ、彼の人柄さえ映しだす読んでも楽しめるエッセイに仕上げている。『ニューヨーカー』誌が彼をパリに送ったのもこの本を読めば納得というものだ。

 名エッセイストの作品を読んでみたい人にお勧めの本だ。
 
 
 


→bookwebで購入

2011年10月18日

『Crime Wave』James Ellroy(Vintage Books )

Crime Wave →bookwebで購入

「ロサンゼルス・アンダーワールドのレポと短編」


 ボストンの大学を卒業して、ニューヨークで編集の仕事をみつけるまでの3年間、僕はロサンゼルスで暮らした。

 ロサンゼルスでは大学院に通ったが、お金が無くなり大学院を卒業をする前に働きだした。その3年間に3度引っ越しをした。お金が許せば、サンタモニカやウエストウッドなど海の近くにある街に住みたかったがそうもいかず、ロサンゼルスの東になるウィッティアやローズミードという土地でアパートを借りた。近くにはエルモンテ、ダウニー、サン・ゲーブリエル、ウエスト・コビーナという名の街があった。
 
 週末や休日などに酒を飲んだり食事をしたりするのは、決まって華やかさに欠けるそんな街の酒場やレストランだった。

 先日、ニューヨークの書店でジェームス・エルロイの『Crime Wave』を見つけた。アメリカの『GQ』誌に掲載された作品を集めた本だ。この本には短編も含まれているが、作品の多くはノンフィクションだ。それもエルモンテやウエスト・コビーナなどで起こった殺人事件を追っている。

 エルロイがこの土地での殺人事件を追うには理由がある。

 彼は48年にロサンゼルスで生まれた。まだ6歳の時に両親が離婚し、その後エルロイは母親と父親のもとを行ったり来たりする。そして、58年、エルモンテの街で母親の死体が発見される。母親はアル中で男遊びも盛んな女性だった。母親の死は殺人と断定されるが犯人は見つからず、事件は迷宮入りになってしまう。

 それから数年後に父親も心臓発作で死んでしまう。母親の死から20年間、エルロイは酒を飲み、薬をやり、万引きや窃盗まで犯す荒んだ生活を送った。逮捕歴も30回近くというから、その荒み方も中途半端なものではない。

 しかし、77年に酒を辞めその2年後には最初の作品となる『Brown's Requiem』を発表した。八七年には『The Black Dahlia』、そして96年には『My Dark Places』を出版している。『My Dark Places』は母親の死と真っ直ぐ向き合った作品だ。

 自分に作家としての「声」を与えてくれたのは母親の殺人事件だったとエルロイは言っている。その「声」の源ともいえる事件を追った『My Mother's Killer』というノンフィクション作品が『Crime Wave』には掲載されている。『My Dark Places』の原形となった作品だ。事件当時の警察のファイルを調べ、関わった人々の行動を追っている。他の作品もさることながら、乾いた文体で綴られているこの1作を読めるだけでも『Crime Wave』を手に取る価値は十分にある。

 
 
 


→bookwebで購入

2011年10月06日

『Call If You Need Me : The Uncollected Fiction and Other Prose』Raymond Carver(Vintage)

Call If You Need Me : The Uncollected Fiction and Other Prose →bookwebで購入

「苦しかった昔を思い出させる本」

 以前、と言ってももう十年以上も前のことだが、僕は住み慣れたアメリカ東海岸を離れ、西海岸に引っ越しをして、南カリフォルニアに暮らしたことがある。
 僕が住んだ場所はロサンゼルスからずっと東に行った小さな町だった。近くにはピコ・リベラ、サイプレス、ウエスト・コビーナなどという聞いたことのない名の町があった。

 その町で、僕はミュージシャンになることを諦め、30歳半ばにして初めてまともな仕事に就いた。

 しかし、毎日が気味なく、どこまでも同じ景色が続く町と、同じことの繰り返しの生活に身体の中が干上がっていくような気がした。

 3年後、僕は当時のガールフレンドと一緒にトラックを借りて荷物を詰め込み、車一台を引っ張ってニューヨークに戻って行った。ニューヨークに着いて数ヵ月で、僕はそのガールフレンドと別れた。

 僕の生活で何かが変わらなければならなかった時期だった。

 レイモンド・カーヴァーのストーリーを読むと、僕は決まってその3年間の生活と、その後のニューヨークでの独りの時間を思い出す。上手くいかなかった恋人との関係や、自分の希望に反して人生をまたいちからやり直さなければならなかった自分と、カーヴァーのストーリーを重ねて読んでしまうからだろう。僕が住んでいたような西海岸の小さな町が、多くのストーリーの舞台になっているのも理由のひとつだ。

 当時新たな5本のストーリーが発見され、本としてまとめられたカーヴァーのこの本を手にして、僕は久しぶりに本棚から昔のカーヴァーの本を引っ張り出した。

 好きなストーリーを2、3本読んでから、僕はこの本を読み始めた。

 ストーリーは、人生における精神的な危機の瞬間を描いた作品が多い。例えば、表題となった『Call If You Need Me』はやり直しをしようと試みるが、もう引き返すことができずに離婚をしてしまう夫婦の話だし、『Vandals』は妻の前の夫の友人たちと時を過ごす夫婦が抱える精神的ダメージを浮き彫りにした作品だった。この本にはそのほか、エッセイや初期の作品、書きかけの長編の一部などが収められている。

 カーヴァーも過ぎてしまった時間も、もう戻ることはないとしんみりしてしまった一冊だった。


→bookwebで購入

2011年09月18日

『Last Light : A Nick Stone Mission』Andy McNab(Atria Books)

Last Light : A Nick Stone Mission →bookwebで購入

「アンチ・ヒーロー、ニック・ストーンが活躍するスリラー」


 イギリスのスリラー作家アンディ・マクナブはなかなか変わった経歴の持ち主だ。1959年、病院の外に篭に入れられたままの捨て子として見つかった彼は、若くして陸軍に入隊。19歳にして伍長となり、84年にはイギリス特殊部隊SAS(スペシャル・エア・サービス)のメンバーとなった。

 SASの隊員として北アイルランドやドイツで任務を遂行し、91年に起こった湾岸戦争ではイラクに赴き敵地で捕虜になり尋問を受けた。93年に退役し、その後イラクでの自らの体験を書いた本がベストセラーとなり作家に転向。自伝のほかに、英国秘密情報部工作員ニック・ストーンを主人公としたスリラー・シリーズを書き人気作家の地位を築いた。

 マクナブのフィクション作品は、秘密保持の目的で英国国防省が原稿の時点で提出を求め、許可を与えるという。そんな作家はあまりほかにいないだろう。

 今回紹介する本は彼の人気娯楽スリラー、ニック・ストーン・シリーズの第4作目となる『Last Light』。

 この作品でニック・ストーンは上司から要人の暗殺を依頼される。標的となる要人が誰だか分からないまま、ニックは3人のスナイパーと連絡を取り暗殺の準備を完了させる。ニックの合図でスナイパーたちが標的に向けて引き金をひく手はずになっていたが、上司が殺せと伝えた標的はまだ10代の青年だった。

 ニックはスナイパーたちに合図を送ることができず、計画は失敗に終わってしまう。スナイパーたちはその場で全員警官に射殺され、ニックは捕われの身となる。自分を殺せば、隠し持っている暗殺計画の証拠が公表されるとはったりをかまし、命は助かったニックだが、パナマに戻った標的の青年の命を奪えと次なる命令が下される。

 もし、逃げたり失敗したりしたならば、ニックが後見人となっている13歳の少女ケリーの命がなくなる。ニックは、任務を完了させるためにパナマに向かう。

 マクナブのスリラーを一言でいえばリアリズムに徹した作品と言えるだろう。主人公のニックは超人的なスーパー・ヒーローではない。心に弱さを持ち、失敗も犯すアンチ・ヒーローだ。

 ニックはパナマのジャングルのなかを歩き、暗殺の準備をする。しかし、任務の途中で政府の陰謀に気付いたニックは、青年の暗殺を躊躇する。一方で、ニックの存在が相手に知れてしまい、パナマでニックを助ける任務を引き受けた家族ともども、自分たちに命の危険が迫ってくる。

 誰を殺せばこの苦境から逃れられるのか、そして政府の陰謀を食い止めるにはどうしたらよいのか。自分が追われながらにして、相手を追い詰める展開が緊張感を生み出している。


→bookwebで購入

2011年09月06日

『Tideland』Mitch Cullin(Dufour Editions)

Tideland →bookwebで購入

「狂気が漂う幻想的な作品」

 夏のニューヨークは屋外で過ごす時間が多くなる。この間は家族と友人で食べ物や飲み物を持ってセントラルパークでピクニックをやった。
 陽が落ちる8時頃になると、僕たちがピクニック・シートを敷いた周りに数多くのホタルが飛び交った。灯りがともりだしたニューヨークのビルが芝生の向こうに浮かびあがるセントラルパークのホタルはとても幻想的だった。

 僕が住むグリニッチ・ビレッジでもホタルを見ることはできるが、セントラルパークで見るほどの数はいない。その夜、僕は仰向けに寝ころび、しばらくぼーっとホタルの光を眺めていた。

 今回読んだ『Tideland』もホタルが飛び交う場面が物語の最初に出てくる。『Tideland』は不思議な作品だ。全編が幻想的な狂気で包まれている。ファンタージーというには暗く、純文学というには幻想的だ。ほかの芸術作品を引き合いに出すとすればアメリカの画家アンドリュー・ワイエスの世界だろう。有名なワイエスの『クリスティナの世界』という絵をみた時に感じる、隠れた狂気が『Tideland』にも漂っている。

 この物語の主人公は11歳になる少女ジェリザ・ローズ。彼女の67歳の父親ノアは名の知れたロックギタリストで、ドラッグ中毒者だ。家族はロサンゼルスの安アパートに住んでいたが、母親が致死量を越えた麻薬を打ち死んでしまう。ノアは死んだ彼女をベッドに残したまま、彼の母が残してくれたテキサスの田舎にある大きな農家にジェリザ・ローズを連れていく。

 『Tideland』はこのテキサスで過ごすジェリザ・ローズの話が中心となっている。ジェリザ・ローズの一番の話し相手はリサイクリング・ショップで母親に買ってもらったバービー人形の頭たちだ。彼女はそれぞれの頭たちにクラッシク、マジックカール、カット・ン・スタイル、ファション・ジーンズなどと名前を付けている。物語のほとんどは彼女とこのバービー人形の頭たちとの会話によって進められていく。

 もちろん、バービー人形の頭たちが本当に話をできるはずがないので、すべてはジェリザ・ローズの想像の会話だ。しかし、彼女にとってバービー人形の頭たちとの世界は現実で、それが彼女の心の狂いを現わしている。

 テキサスの田舎では彼女はデルという女性と、脳に障害があるデルの弟ディケンズと出会う。ここから物語はさらに暗さを増し、グロテスクなものになっていく。

 『Tideland』は『12モンキーズ』を手掛けた映画監督テリー・ギリアムたちにより映画化された。『Tideland』はセントラルパークで見たホタルのように、いつまでも心に残る作品だった。


→bookwebで購入

2011年08月17日

『The Piano Tuner』Daniel Mason(Vintage Books)

The Piano Tuner →bookwebで購入

「文章の美しさが光る作品」

 文章の美しさはどこから生まれてくるのだろう。アメリカ文藝出版社の名門、クノッフより出版された『The Piano Tuner』の第1章を読んで僕はそう考えた。
 第1章はたった11ページの章だが、二度読み返した。

 情景描写、人物描写、台詞。ある物語は心に響かず、ある作品の文章は心にしみ込んでくる。どこが違うのか、僕には答えが出せない。

 『The Piano Tuner』の著者、ダニエル・メイソンはこの本を書いた時はメディカル・スクールに通うまだ26歳の学生だった。彼の描く世界は瑞々しく、英語の美しさは読者の心を掴む。
 
 僕は、読み初めたばかりの『The Piano Tuner』を手にして、ベッドルームに向かい、ドアをぴたりと閉めた。

 この本の主人公は、ロンドンに住む41歳のピアノ調律師であるエドガー・ドレイク。時代は十九世紀後半。エドガーは様々なピアノのなかでもエラールという、世界に数十台しか存在していないピアノの調律を専門としている。

 1886年10月、エドガーは英国陸軍省から、ビルマ(現在のミャンマー)のジャングルに行ってエラールの調律をして欲しいとう要請を受ける。ビルマのジャングルまでそのピアノを持ち込んだのは軍医将校であるドクター・キャロルという人物だった。

 ドクター・キャロルは軍医であるにかかわらず、ビルマで最も危険で戦略的にも重要な基地を守っている。彼は、地元の部族や盗賊などと和平条約を結び、基地を存続させている。

 ドクター・キャロルは音楽や詩、それに医療技術を和平交渉の材料として使うという、ほかの軍人では真似できないやり方で基地を守っている。そのため、英国陸軍も、ドクター・キャロルの望みに従い、わざわざエドガーのところまで出向き、エラールの調律を頼んだのだ。

 エドガーは、その要請に従いピアノを調律するためだけにビルマ奥地まで出かけていく決心をする。

 こうしてエドガーの旅が始まるのだが、物語はとても複雑なものとなっていく。政治的な物語を背景に、楽器の歴史、音楽家の話、医学的な情報、軍隊の史実、ビルマの人々の姿、陰謀、そしてロマンスまでが盛り込まれ、最後の悲劇的な結末へと辿り着く。

 著者のメイソンにとってはこの本がデビュー作となるわけだが、その構成力にも驚かされた。


→bookwebで購入

2011年08月08日

『Somebody’s Daughter』Marie G.Lee(Beacon Press)

Somebody’s Daughter →bookwebで購入

「親子の絆と運命を描いた小説」


 灯りのない夜の海を航海していく一湊の船。深い闇の中で、探し求めていたもう一湊の船が近づいてくる。乗組員は耳を澄まし波の音を聴く。甲板から身を乗り出すと船の微かな灯りが見えた気がした。しかし、相手の船は音もなく遠ざかっていってしまう。そうして、この二湊の船は広い海の上でもう出会うことはない。

 北朝鮮で生まれた両親を持つアメリカの作家マリー・ミュン=オク・リーの美しい小説『Somebody's Daughter』を読んで、こんな風景が心の中に残った。

 主人公となるサラ・ソーソンはミネソタ州に住む北欧系アメリカ人家庭の養女となった韓国人だ。高校を卒業し地元の大学に入学するが勉強に身が入らず、大学を休学し一年間の語学留学プログラムに参加することを決心する。彼女の選んだ留学先は韓国のソウルだった。それまで、養女であることが心の重荷にならないようにと気を使ってきた両親はショックを受けるが、サラは構わず韓国に向けて出発してしまう。

 韓国で彼女は、外見は韓国人である自分がいかにアメリカの文化の中だけで育ってきたかという発見をする。韓国では言葉はほんど分からず、生活習慣もまったく違う。そうして、サラは常に自分の中に常に怒り存在していることを知る。

 その怒りの源は母親が誰であるか分からない、ひいて言えば自分が何者であるか分からない苛立ちだった。サラは「君のストーリーはこの国で始まる。アメリカじゃない」という韓国のボーイフレンドの言葉で実の母親を探し出す決心をする。

 「彼の言葉が何かを壊し解き放った。私が何故、韓国にいるか、いままでいろいろとこじつけてきた理屈はすべて吹っ飛び、雲が晴れた満月の光のような確信が心に生まれた」

 こうしてサラの母親探しが始まるのだが、サラの話と平行して、彼女の母親ギョンスクの物語も展開していく。

 田舎で育ったギョンスクが母親の期待を背負ってソウルの大学(サラの留学先と同じ大学)に入学したが、音楽家になる夢を持っていたギョンスクはすぐに大学を辞めてしまう。ソウルの貧しい地区にあるヌードルショップで働き始めたギョンスクは、ひとりのアメリカ人の男と出会う。アメリカに渡って音楽をやればいいという男の言葉を信じ、彼との結婚を決心する。

 韓国とアメリカというふたつ国のつながりのなかで織りなされる物語は、しっとりとして深い余韻の残るものだった。
 
 
 


→bookwebで購入

2011年07月12日

『A Blind Man Can See How Much I Love You』Amy Bloom(Vintage Books)

 A Blind Man Can See How Much I Love You →bookwebで購入

「エイミー・ブルームの短編集」

 
 僕はアメリカ作家のアンソロジーを読むことが多い。ホートン・ミフリンから毎年出版される『ザ・ベスト・アメリカン・ショートストーリーズ』の編集者であるカトリナ・ケニソンに会って話を聞いたころから、アンソロジーをよく読むようになった。

 ケニソンがボストンの『プラウシャーズ』誌、サンフランシスコの『ジジーバ』誌、コーネル大学の『エポック』誌など優れた短編を載せる文芸誌の存在を教えてくれたのも、僕がアンソロジーを多く読み始めるきっかけになった。

 アンソロジーや文芸誌を読むなかで、僕にとっての新しい作家を数人発見した。ローリー・ムーア、ティム・ガトロー、マキシン・スワン、エミリー・パーキンスなどが僕の好きな作家となった。

 ヴィンテージから出版されている短編集『A Blind Man Can See How Much I Love You』を出版したエイミー・ブルームもよく作品が掲載されていた作家のひとりだった。ブルームの作品は『ザ・ベスト・アメリカン・ショートストーリーズ』、フランシス・コッポラが出した『ゾエトロープ』、『ザ・スクリブナー・アンソロジー・オブ・コンテンポラリー・ショートフィクション』などに載っていた。

 ブルームのこの本が出版された頃『ニューヨーク・タイムズ』紙に彼女の記事が出た。

 「私は人々を取り巻く人間関係についての話を多く聞いてきた」

 とブルームは記事のなかで語っている。ブルームが作家としてテーマとするものは、人々の言葉と本当の感情の落差や、その行動と本当に望んでいることのギャップだと言う。

 彼女の言葉どおり『A Blind Man Can See How Much I Love You』には登場人物の隠された思いが浮き彫りにされた作品が多い。

 表題にもなっている作品には性転換を受ける娘とその母親の話だ。母親は、娘が自ら望んで男になることにできる限りの協力をしようとする。しかし、心の中には解決不可能な感情を隠している。母親は新たな男性と出会い自らも変わっていってしまう予感を感じる。

 また、同じ主人公が登場する『ナイト・ヴィジョン』と『ライト・イントゥ・ダーク』は黒人の息子と白人の継母が過去に一度だけ肉体関係を持ち、その影を長く引きずっていく話だ。お互いの胸のなかには、怒り、愛情、後悔、許しの感情が渾沌と渦巻いているが、ほかの家族たちの前では母と子の平凡の姿を演じていく。

 この短編集には、人々の心の中を微妙なニアンスで描きだす八編の短編が収められている。


→bookwebで購入

2011年06月19日

『Hooking Up 』Tom Wolfe(Farrar Straus & Giroux)

Hooking Up →bookwebで購入

「子供の喧嘩のようなトム・ウルフの作品」


 アメリカの作家トム・ウルフ が小説『Man in full』を出したのは1998年11月だった。出版元のファーラ・ストラウス&ジローは『Man in Full』の初版を120万部とすると発表した。

 注目を集めたウルフの小説はベストセラーとなり、初版部数を全て売り切り、2万5000部ずつ7回の増刷を記録した。

 ベストセラーになった『Man in Full』だが、アメリカ文学界の大御所ともいえる三人の作家はウルフの新作を酷評した。その三人とは、ジョン・アップダイク、ノーマン・メイラー、ジョン・アービングだった。三人の共通した意見は「ウルフの作品は文学と呼べるものではなく、小説とさえ呼べない。むしろジャーナリズム、あるいはエンターテインメントに属するもので、ウルフは文学者ではない」というものだった。

 とここまで『Man in Full』の話をしてきた理由は、ウルフの『Hooking Up』に『My Three Stooges』というエッセイが収められているからだ。スリー・ストゥージズとはアメリカのコメディー番組で日本でも「三ばか大将」という名前で知られていると思う。

 しかし、ウルフのいう「三ばか大将」とはもちろん、アップダイク、メイラー、アービングのことだ。このエッセイのなかでウルフは「アメリカ文学は死んでいる」と言い、その理由をアメリカの作家がいまのアメリカを伝えることを止めてしまったからだとしている。

 ウルフはエッセイのなかで三ばか大将、つまりアップダイクたちがいかにいまのアメリカを見ずに作品を書いているかを指摘している。アップダイクもメイラーもその後、2009年、2007年とそれぞれこの世を去ってしまって、すでにこの論争は歴史の領域に入りつつある。

 『Hooking Up』には、そのほかテレビのニュース番組の内側を題材にしたジャーナリスティックな小説や、シリコンバレー特有のカジュアルな企業文化が生まれた経緯、若者のクラブシーンからのルポルタージュが収められている。

 つまり、ウルフは自分のジャーナリスティックな手法が正しいものだと訴え、その見本として自作の小説やルポルタージュを掲載しているのだ。 

 『Hooking Up』にはまた『ニューヨーカー』誌と当時の編集長であったウィリアム・ショーンを批判したエッセイが収められている。

 『Tiny Mummies!』と題されたそのエッセイはウルフが1965年に『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』に掲載したものだ。そして、本の最終には『ニューヨーカー』誌のレナーダ・アドラーが2000年に出版したメモワール『Gone: The Last Days of The New Yorker』から「私がこれを書いているいま、ニューヨーカー誌は死んでいる」という彼女の文を紹介し、そんなことは35年前から自分が言ってきたことだと締め括っている。

 トム.ウフルくらいの大作家になっても、子供の喧嘩みたいだ。こういうのをアメリカ魂というのだろうか。


→bookwebで購入

2011年06月06日

『Chelsea Horror Hotel』Dee Dee Ramone(Da Capo Press)

Chelsea Horror Hotel →bookwebで購入

「ニューヨークのパンク魂溢れる物語」

 ニューヨークのパンク・バンド、ラモーンズのボーカルだったジョーイ・ラモーンは2001年4月に49歳で死んだ。僕は、ニューヨークのイーストビレッジにあるマクドナルドで一度ジョーイをみかけたことがある。長髪の身体の大きなほかの男たちに守られるようにしてレジの側に立ち、仲間のひとりが注文をするのを眺めていた。見上げるような彼の背の高さが印象的だった。
 その頃、僕はロワー・イーストサイドから生まれたパンクの歴史が口述形式で語られる「Please Kill Me」という本を読んでいた。「Please Kill Me」はルー・リード、リチャード・ヘル、イギー・ポップなどのパンクの先駆者たちともいえる人々のコメントが載っていた。ジョーイ・ラモーンのコメントももちろん含まれていた。

 それから数ヶ月後、イーストビレッジの本屋でラモーンズのギタリストであったディー・ディー・ラモーンが書いた小説を見つけた。「Chelsea Horror Hotel」というそのタイトルと表紙の絵が面白くその本を買った。

 「Chelsea Horror Hotel」はチェルシーホテルを棲みかとしているディー・ディーが主人公となり、ドラッグをやり殺人まで犯してしまうという話だ。イギリスのパンク・バンド、セックス・ピストルズのベーシストだったシド・ヴィシャスや、ニューヨークのグループ、ハートブレーカーズのジョニー・サンダースなど死んでしまったミュージシャンたちが脇役として次々と登場する。ディー・ディーももうこの世にいないが、彼の描いたチェルシーホテルはまるでお化け屋敷だ。

 ジョーイ・ラモーンが出てくるが、ジョーイの死がその場面をブラック・ユーモアの極みとさせている。ディー・ディーは、ラモーンズを再結成させ一儲けをするため。みんなジョーイの死を待っているんだと友人に語る。そして、ジョーイが死んだら死体をミイラ化させ、再結成ラモーンズのステージで使うという。その使い方というのが、天井からのワイヤーで吊るされたジョーイのミイラを車椅子に座らせ、コンサートの最後の曲の途中に踊らせるというもだが、もしこれを本当にやったとしたら、ニューヨークのパンク・ファンは狂喜乱舞しそうだ。ロワー・イーストサイド流のシック・ジョークだ。

 物語の最後は、自分の脳みそに直接ヘロインを打ち込み死んでしまうというもの。死体の周りにはデーモンが集まり、ディー・ディーは地獄へ落ちて行く。最後までニューヨーク・パンク魂溢れる物語だった。
 



→bookwebで購入

2011年05月15日

『The White House Connection』Jack Higgins(Penguin Group)

The White House Connection →bookwebで購入

「ミッド・アトランティック英語を楽しめるサスペンス」

 ミッド・アトランティックという英語がある。和洋折衷という表現があるけども、こちらは英米折衷の言葉、つまりイギリス英語とアメリカ英語の中間を意味する。ニューヨークに住んでいると、ミッド・アトランティック英語を話すアメリカ人に時々会う。気取ってそんな英語を話すのかと思うが、その人の育ってきた経歴のせいなのかも知れない。

 今回読んだ『The White House Connection』の主人公がこのミッド・アトランティク英語を話す人物だった。著者はサスペンス作家としてお馴染みのジャック・ヒギンズ。サスペンスには犯人が分からず謎解きを楽しむものと、最初から犯人が分かっていて、追う側と追われる側のかけひきを楽しむもがある。『The White House Connection』は、このふたつが同時に楽しめる作品だった。

 つまり、殺人を続ける犯人は最初に知らされるのだが、事件のきっかけとなるスパイの正体は最後まで明かされない。

事件は、IRA(北アイルランドの独立を求めるカトリック系過激派組織)の一派であるサンズ・オブ・アーインの一味に、イギリスのおとり捜査官五人が殺害されることから始まる。

 しかし、この事件はイギリスとアイルランドの平和交渉の障害となるため、闇に葬りさられてしまう。数年後、死期の迫ったイギリスの諜報部員が、殺された五人の捜査官のリーダーだった青年の母親に真実を告げる。

 この母親がボストンで生まれ、イギリス貴族の家庭に嫁いだという設定のため、彼女の話す英語がミッド・アトランティク英語だった。母親は、ホワイトハウスにいる「コネクション」と呼ばれるスパイが流した情報のせいで息子が殺されたことを知る。復讐を誓った初老の母親はサンズ・オブ・アーインのメンバーを次々と殺害していく。

 そして、この殺害事件を追うのが、イギリスの首相直属の諜報員三人と、アメリカの大統領直属の一人の諜報員。

 殺害を繰り返す母親を追ううちに、ホワイトハウスの高官でなければ得られない情報を流す「コネクション」と呼ばれるスパイの存在が明らかになっていく。

 殺人を続ける母親と事件解決を使命とした諜報員の動きに、「コネクション」が誰であるかの謎解きがからむ二重構成となっている。

 物語の舞台も、ニューヨーク、ロンドン、ロンドン郊外、北アイルランドとアメリカとイギリスを合わせたものだった。

 北アイルランドでのカトリック系住民の独立を目指す北アイルランド紛争のことを知っていれば、物語の設定がすんなりと入ってくるが、知らなくとも十分楽しめる作品だった。


→bookwebで購入

2011年04月13日

『A Coyote’s in the House』Elmore Leonard(Harper Entertainment)

A Coyote’s in the House →bookwebで購入

「エルモア・レナードのヤング・アダルト作品」

                 
 僕は今はニューヨークに住んでいるが、昔2年ほどロサンゼルスに住んだことがある。

 そのロサンゼルスで僕は三度居場所を変えた。初めはユニバーサル・スタジオの近くのアパートに住み、それからレイモンド・カーヴァーの短編にもでてくるサイプレスという、どこか乾いた荒野にいるような気分になってくる町に住んだ。

 それから、ウィッティアというロサンゼルスの東にある小さな町に移った。ウィッティアのアパートの近くには広い公園があって、夕方そこによく散歩にでかけた。ウィッティアに住んでいる間、僕は二度野生の動物にばったりとでくわしたことがある。一度はアライグマで、もう一度はコヨーテだった。どちらもアメリカ西部の代表選手のような動物だったので、自分が西部の町に住んでいるんだな〜と変に実感したものだ。

 今回読んだ、エルモア・レナードの『A Coyote's in the House』はロサンゼルスのハリウッド・ヒルズをなわばりとする若きコヨーテ、アントワンが主人公となっている物語だ。

 エルモア・レナードというと、映画になった『Get Shorty』や『Be Cool』などで知られている、独特の雰囲気がある犯罪小説作家だ。今回の『A Coyote’s in the House』は、レナードが彼としては初めて書いたヤング・アダルト向けの作品だ。

 この物語を書くにあたり、レナードは初め主人公のアントワンの相棒となるジャーマン・シェパード犬のバディを主人公に書きだした。しかし、ジャーマン・シェパードでは『Get Shorty』や『Be Cool』に登場するシャイロック(借金取り立て屋)、チリ・パーマーのようなチンピラの格好良さはでない。そこで、レナードは主人公をコヨーテのアントワンに変えてこの物語を書き直した。

 ねずみを追って家のフェンスを飛び越えたアントワンが、その家に住むバディに出会うところから、この物語は始まる。バディは、かつて何本もの映画に出演したスター犬だったが、いまは歳をとり映画の仕事もなくなってしまった。根っからのワーキング・ドッグであるバディには、家にいるだけのいまの生活に空しさを感じている。そして、バディの家にいるもう一匹の犬が、少しお高くとまっているプードルのミス・ベティ。彼女はドッグ・ショーでチャンピオンになったことがある犬だ。

 アントワンに出会ったバディは、荒野を駆け巡る自由な生活を思い、自分がコヨーテの仲間と暮らし、アントワンが家に残りペットとなることを提案する。ミス・ベティに興味があるアントワンは、それも悪くないと考え、バディの提案を試してみることにする。

 一方、映画の仕事がこなくなり、元気がなくなったバディを見てきたミス・ベティは、アントワンに近所の猫を誘拐させ、バディがその猫を救出して持ち主に返すという狂言芝居を思いつく。そうすれば、バディは映画のなかの主人公のようにまたヒーローになることができる。アントワンもミス・ベティの考えに賛成してバディをヒーローにしようとするが、話は思わぬ方向へ展開していく。

 最後はハッピーエンドに終わるが、アントワン、バディ、ミス・ベティの三匹が出会ったことで全員が少しずつ変わっていく。いうなれば、みんなの心が少し成長したのだ。ヤング・アダルト向けの物語なので、英語のほうもそれほど難しくなく、レナードの作風であるスピード感もたっぷり味わえる楽しい本だ。




→bookwebで購入

2011年03月29日

『Juliet』Anne Fortier(Random House)

Juliet →bookwebで購入


 昨年、そして一昨年と2年続けてイタリアに旅行に出かけた。この2年で訪れた街にはフィレンツェ、ローマ、ミラノ、ヴェニスなどがあった。

 フィレンツェに滞在した時は、バスに乗って近くの街シエナに行った。とても暑い日でカンポ広場を横切るだけで生命の危険を感じた。

 イタリア人は何故こんなに広い広場を作らなければ気が済まないのだろうかと恨めしくも感じた。

 そして昨年、映画「ジュリエットからの手紙」の脚本を翻訳する仕事をした。シェイクスピアの作品「ロミオとジュリエット」の舞台となったイタリアの街ヴェローナがでてくる。映画のなかでイタリア人が、イギリス人は感情がなく冷たいと言う場面があり、イギリス人の主人公のひとりは「ロミオとジュリエット」を書いたのは誰なのかと質問する。世紀の恋愛悲劇を書いたのはイギリス人だというわけである。

 しかし、今回読んだアン・フォーティアの小説「Juliet」では、「ロミオとジュリエット」には1340年にシエナで起こった「事件」を題材としたイタリア人の手による一連の元ネタ作品があるという。

 物語はアメリカ人のジュリーとジャニスの双子の姉妹の親代わりだった小母のローズが死ぬところから始まる。

 ふたりを平等に可愛がってきた小母だったが、ジャニスには遺産として家を与えるが、ジュリーにはたった一個の鍵を残しただけだった。この鍵を持ってシエナにある、今は銀行となっているトロメイ宮へ行くようにという手紙を残す。

 そしてその手紙で、ジュリーの本名はジュリエッタ・トロメイであることを伝える。
ジュリーはシエナで1340年に起こった事件を知り、自分が「ロミオとジュリエット」のジュリエットのモデルとなった彼女と同名のジュリエッタ・トロメイの直系の子孫であることを知る。そして、彼女に残された宝の行方を追い始める。

 シエナにはトロメイ家の昔からの宿敵といえるサリンベーニ家があり、ジュリエッタはサリンベーニ家の者をゴッドマザーに持つ青年の力を借りる。

 「私たちの2家族、トロメイ家とサリンベーニ家は古くから怨恨を抱き続けている、血まみれの怨恨・・・もし、私たちが中世にいたら、お互いをやっつけようとしているはずだ。ロミオとジュリエットのキャピュレット家とモンタギュー家のように」

 シュリエッタをシエナに向かわせたのはサリンベーニ家に関わる人間の企てだった可能性もあり、謎はさらに深まっていく。

 物語は、トロメイ家、サンベリーニ家、そしてロミオが属するマレスコッティ家が関わる1340年のシエナで起こった事件と、現在の話が交互に描かれ、薄いベールを少しずつはがしていくような楽しさがある。

 イタリアの美しい街と、そこで起きた悲劇と、そしてジュリエッタの運命。宿敵の家系に属する若いふたりの恋の行方、宝の行方、ジュリエッタをシエナに向かわせた本当の理由はなど幾重にも謎が重なり、読み始めたら止まらなくなる面白さだ。

 


→bookwebで購入

2011年03月17日

『A Day Late and a Dollar Short』Terry McMillan(Viking )

A Day Late and a Dollar Short →bookwebで購入

「中産階級に属するアメリカ黒人家庭の物語」


 アメリカの人気作家テリー・マクミランの作品。彼女は『How Stella Got Her Groove Back』や『Waiting to Exhale』など、黒人の中産階級の家庭を舞台にした作品を多く発表している。この作品も中流の黒人家族が主人公となっている。

 数年前、こちらのネットワークテレビ局であるNBCのニュース番組で、アメリカにはいま黒人の中産階級が多く誕生しているという統計を伝えていた。アメリカの黒人の一般的な地位の向上がマクミランのような人気作家を生み出したのだろう。

 マクミラン自身、以前あるインタビューで次のように述べていた。

 「私は、犠牲者のことを書きたくない。犠牲者の話は退屈で、私を死にそうにさせる。誰もが何らかの形で犠牲者となっているなのだから」

 彼女は、アメリカの社会で黒人がいかに差別され、恵まれないかという物語を読むのも書くのも退屈だと思っているようだ。

 その言葉通りマクミランの描き出す主人公が持つ迷いや苦しみは、黒人特有のものではなく、アメリカ人全体に共通するものだ。彼女の描き出す主人公の多くは高い教育を受け、頭がよく、お金もある黒人女性である。しかし彼女たちは、教育や物質だけでは満たされない孤独を感じ、自分の人生の行方に疑問を抱いている。つまり、黒人の受ける人種差別や、貧困から生まれる不幸ではなく、人生とはなにか、自分とは一体誰なのかという人間の持つ共通テーマを小説の世界に持ち込んでいる。

 今回の彼女の作品もやはりそんな人間の普遍的な部分を描いた作品だ。

 物語は三人の娘とひとりの息子がいるプライス一家の話だ。各章ごとに一人称で、母親、父親、娘たち、息子と各人の生活が描き出される。物語の中心に居るのが、母親のビオラだ。彼女は、すでに成人して家庭を持った子供たちを愛しているが、電話ではいつも喧嘩になってしまう。

 父親のセシルは、家を出て歳の若い女性と同棲を始めている。息子のルイスは、盗みや酒酔い運転で警察に何度も捕まり、いつまでも母親を煩わす。長女は社会的に成功しているが孤独だ。その孤独を癒すために彼女は薬を使っている。次女は誰に対してもとげとげしくあたる。

 マクミランはこの複雑な家族設定をもとに、家族とはなんであるかを描いていく。姉妹間のライバル意識や、夫や恋人の裏切り、親子の感情の行き違いなど、題材は果てしなく広がるのだが、各章ごとに緊張感がありラストのハッピーエンディングまで一気に読まされてしまう。

 この本は、本当に大切なものは完全な形ではないにしろいつか必ず自分のところにやってくるということがテーマとなっている。テーマは黒人特有のものではないと始めに述べたが、登場人物の話す言葉は黒人特有の言葉使いが随所にみられ、登場人物の考え方や、生活の場となる文化圏はやはり黒人のものだといえる。
 


→bookwebで購入

2011年02月28日

『O : A Presidential Novel』Anonymous(Simon & Schuster)

O : A Presidential Novel →bookwebで購入

「作者不明の2012年大統領選を題材にした小説」


 アメリカは来年には大統領選を迎える。すでに選挙に向けてのいろいろな動きが表面化している。民主党は現職のオバマ大統領が2期目を狙うが、問題は共和党が誰を大統領候補として選ぶかにある。

 現在、名前が上がっているのがミット・ロムニー、マイク・ハッカビー、サラ・ペイリン、ロン・ポールなど。ほかに候補となることを狙っているのが、ミシェール・バックマン、シャロン・アングル、クリス・クリスティ、ジョン・ハンツマンなど。

 共和党は内部にティーパーティ運動を支持する極右的支持層を抱え、いかに中道の大衆にアピールする候補者を選出するかという問題がある。

 一方、オバマは今もアメリカ経済の立て直しに苦労し、彼が取った財政出動政策により国の借金も膨らんでいる。

 そんな政治状況のなかで出版されたのが、来年の大統領選を舞台とした小説「O」だ。
この小説を書いた著者が匿名だったことでこの作品は話題となった。

 匿名の政治小説というとクリントンの大統領選を題材とした「プライマリー・カラー」があるが、マーケティングの手法としては同じ手法を使っている。

 さて、内容だが主人公といえる人物はカール・レーガン。それまでのOの再選キャンペーン・マネジャーが女性問題で失脚し、カールはOの再選キャンペーン・マネジャーに就任する。

 物語は、大統領選におけるメディアとの駆け引き、キャンペーン本部内での論点作り、相手を貶める戦いも辞さない中傷合戦など大統領選の舞台裏を見せてくれる。

 物語には、サラ・ペイリン、ハフィントン・ポスト創設者のアリアナ・ハフィントン、大統領上級顧問のイヴィッド・アクセルロッドなど実在の人物だとすぐに分かる人物が登場する。(タイトルのOはもちろんオバマ大統領だ)。

 しかし、実在しないのがOの選挙相手となる共和党大統領候補のトム・モリソンだ。彼は軍隊で輝かしい功績を残し、政治の世界での経験も十分。そのうえ人間としてもりっぱだ。

 彼は選挙戦をきれいに、公平に、相手への尊厳を持って戦うことを決める(いまの共和党員でそんな選挙の戦い方をする人間がいればお目にかかりたい)。

 一方、オバマであるOは、公共のイメージと異なり、自分に酔い、しかし心配性で、トムを恐れながらもうぬぼれている人物として描かれている。

 「 彼は公には決して認めないが、彼の演説家としての才能は一般に考えられているものよりさらに豊かで、稀な才能だと信じている」

 小説はエンターテインメント性もある世界なので、もちろん虚構も許される。アメリカ大統領選の舞台裏を分かりやすく見せてくれる作品として読むならば、価値のある作品だ。



→bookwebで購入

2011年01月28日

『Autobiography of Mark Twain: Volume 1』Mark Twain(University of California Press)

Autobiography of Mark Twain: Volume 1 →bookwebで購入

「100年の時を超え出版されたマーク・トウェインの自伝」


 昨年の11月にマーク・トウェインの自伝が出版された。これはトウェインが残した5000ページに上る自伝の原稿を出版したものだ。

 トウェインは1910年の4月にこの世を去ったが、この自伝の原稿については自分が死んでから100年間は出版を差し控えるようにというメモを残した。

 トウェインの意思は完全に尊重されたとは言えず、残された原稿はこれまでに複数回部分的に出版されてきた。しかし、今回はトウェインのお墨付きがあるので、原稿の全てが完全な形で出版された。しかし、今回の出版は第1巻が刊行されただけで、最終的には第3巻までが刊行される予定だ。

 第1巻と言ってもイントロダクション(序文)だけでも58ページあり、解説やインデクスが200ページ以上付き、総ページにすると700ページを超える大作だ。

 この自伝を出版したカリフォルニア大学プレスは当初価格35ドルのこの本の刷り部数を7500部とした。ページ数、価格の高さからいうと妥当な数字だと思われた。しかし、出版をしてみるとニューヨーク・タイムズのベストセラーリストの上位に入る売上げを見せ、ニューヨーク・タイムズの11月の記事によると、瞬く間に27万5000部を売り上げたという。

 印刷が間に合わず、書店では売切れとなり、僕自身もバーンズ・ノーブルのインターネット書店に本が到着するのを待たなくてはならなかった。

 トウェインは1870年から1905年まで、幾たびとなく自伝の執筆を試みたが、すべて不発に終わった。その試みは30回から40回にのぼった。自分で書いた自伝原稿はトウェインの思ったような自伝ではなく、結果は常に不満の残るものだった。

 彼が最終的に採用したのはディクテーションの手法だった。速記者を雇い、ベッドなどに寝転びながら思いついたことを語っていく。このやり方なら、文章も「文学的」に成り過ぎることもなく、ナレーティブの自然な流れも遮られることがないとトウェインは感じた。

 そして、自分の死後100年間は出版をしないという不思議と思える条件は、自分の思いを曲げずに語りたいというトウェインの強い希望から生まれたものだ。

 自分の人生に関わった人々の人物のことを語る場合、もし当の本人やその子供たちがまだ生きているうちにその自伝を読むと分かっていたら、自分は本当の気持を語ることができない。

 この心の負担を軽くし、より真実に近い自伝を残すためには、多くの時が経たなくてはならないとトウェインは考えた。そのため、自分の死後100年間はこの「真実」の自伝の出版を禁じたのだ。しかし、それでも人間が自分自身の本当の気持を言うことは難しい作業だとトウェインは語っている。それは、あまりに醜く、また自分をよく見せたいという誘惑はあまりに強いと言っている。


 700ページを超えるこの本は、1ページ目を読み始めてから一気に最後のページまで読み進める種類の本ではないと感じた。特に年代順に話が進むわけでもなく、ひとつの話と次の話に関係がある訳でもない。

 好きな時に、好きなページを開いて、少しずつ読み進めていくのが一番いい読み方だろう。100年以上前の話なので、解説を読んだり当時の状況を調べたりしながら読んだ方が分かりやすい。

 ディクテーションによる自伝は200ページを過ぎるまで始まらないが、トウェインの住んだイタリアのフィレンツェ近くの大きな家やその家の大家に対する悪口なども読むことができる。

 いまだに親しまれているトウェインの人柄や彼に何が起こったかが分かるとても興味深い作品だ。



→bookwebで購入

2011年01月15日

『I Remember Nothing 』Nora Ephron(Alfred a Knopf)

I Remember Nothing →bookwebで購入

「ニューヨーク気分に浸れるエッセイ集」


 ニューヨークの街と切っても切れない関係の作家たちがいる。その作家のことを考えるとニューヨークを思い出し、ニューヨークのことを考えるとその作家たちのこと思い出すという具合だ。

 ウディ・アレンやジェイ・マキナニー、それにキャンディス・ブシュネルなどがそんな作家たちだ。そして、ノーラ・エフロンもとてもニューヨークの街を感じさせてくれる。

 エフロンは映画「恋人たちの予感」では脚本を担当し、「めぐり逢えたら」「ユー・ガット・メール」「奥様は魔女」で監督・脚本を務めた。

 映画分野で知られているエフロンだが、彼女はもともとジャーナリストで、ニューヨーク・ポスト紙の記者だった(ニューズウィーク誌のファクトチェッカーからニューヨーク・ポスト紙の記者に転身した)。

 エフロンはいま69歳になり3度目の結婚生活をニューヨークで送っている。彼女の2度目の結婚相手はニクソン大統領のウォーターゲート事件を暴いたジャーナリストのカール・バーンステイン。2人目の子供を身籠っている時に、バーンステインが浮気をしていることを発見し離婚をする。この時の顛末は彼女の最初の本となる「Heartburn」に書かれてある。この本はジャック・ニコルソン、メリル・ストリープ主演の邦題「心みだれて」(脚本:ノーラ・エフロン)という映画になった。

 今回出版されたのは、彼女のエッセイが22本収められている「I Remember Nothing」。

 エッセイのひとつ「Journalism: A Love Story」では、1962年の記者ストライキでニューヨーク・ポスト紙が発行されない間にポスト紙のパロディ新聞の発行に参加した話が書かれてある。エフロンはポストに連載されていたレオナード・リオンズを真似てゴシップ・コラムを書いた。ポスト紙の編集者たちはエフロンたちを訴えようと言ったが、社主のドロシー・シフは「馬鹿なことを言わないで。ポストのパロディを書けるならポストにも書けるはずだわ。雇いなさい」と言い、彼女を雇うよう命令した。ニューズウィークのファクトチェッカーだったエフロンはこの話に飛びついた。

 ニューヨーク・ポスト紙は当時ニューヨークで発行されていた7つの新聞のひとつで、アフタヌーン・ペーパー(午後の新聞)としての地位を築いていた。モーニング・ペーパー(朝の新聞)との違いは「Who What Where Why When and How」のいわゆるファイブWとワンHで書くその日の一番ニュースを知らせる新聞ではなく、視点を持ってその出来事を解説していく点にあった。記事に視点があるため人々はモーニング・ペーパーのほかにアフタヌーン・ペーパーを買った。エフロンは自らの視点や意見を込めて記事を書いた。

 そうしてもひとつニューヨーク・ポストで学んだことはどんな記事を任されても「それは何ですか」「どうやってその人にコンタクトを取るのですか」「それは知りませんでした」と言わないこと。記事を任されたあとに自分の机に戻って自分のコンタクトを使って何をしたらよいかを見つけ出すことだった。

 また表題の「I Remember Nothing」では、エフロンがビートルズのアメリカ上陸を新聞記者としてリポートし、あの有名のエドサリバン・シアターの舞台裏にいたことを書いている(60年代はこの日から始まったといえる)。彼女はファンの少女たちが馬鹿みたいな様子だったことを憶えているが、ビートルズがどんなふうだったか憶えていない。

 また、彼女は67年におこなわれたワシントンD.C.での反戦マーチに参加した。彼女は当時のボーイフレンドだった弁護士と一緒にこの反戦マーチに出かけたが、ホテルでほとんど一日中セックスをしていた。マーチのことは全然憶えていなくて、ペンタゴンに行ったかどうかさえも思い出せない。一方、ノーマン・メイラーはこのマーチのことだけで一冊の本「The Armies of the Night」を書き、ピューリッアー賞を受賞している。自分はこの日について2パラグラフだけしか書けないと言う。

 その他、映画の話やニューヨークのレストランのエッセイ(彼女の名前を冠したミートローフの話)など、期待を裏切らない面白さだ。

 1作が数ページと短く読みやすく、ニューヨークの街の楽しさが体感できる作品なので、ニューヨーク好きな人や気軽な作品を読みたい人にお勧めだ。


→bookwebで購入

2010年12月30日

『Succubus Blues』Richelle Mead(Zebra Books)

Succubus Blues →bookwebで購入

「ハードなセックスシーンもあるパラノーマル・ロマンス」


 バンパイアやデーモンなど超現実世界の住人たちと人間の世界を舞台にした恋愛小説は、アメリカでは人気があり、最近では多くの作品が映画になっている。

 今回紹介するのは、そんなパラノーマル・ロマンスの作品のなかでも人気が高いジョジーナ・キンケードシリーズの第一弾「Succubus Blues」。著者はリシェル・ミード。

 サキュバスとは「夢魔」などと訳されるが、この作品の中ではインプ(小鬼)と組んで男を虜にし、魂を悪魔に売り渡させる役目の女性。

 シアトルに住むジョジーナは、この地域でただひとりのサキュバスだ。彼女はサキュバスの持つ力によって自由に姿形を変えられ、服装も変えることができる。男の魂を虜にする方法はセックスを用いるため、彼女は綺麗でセックスアピールいっぱいだ。

 サキュバスの仕事をするとき以外は、彼女はシアトルの書店で店員として働いている。

 その書店に新刊のプロモーションのためにやってくるのが作家のセス。セスはジョジーナがセックススレーブになってもいいとまで思っている大好きな作家だ。

 彼女はまた書店の客だったローマンとも知り合い、彼に惹かれていく。

 そんな時にバンパイアのデュアンが何者かに殺され、シアトル地区のパラノーマル界に衝撃が走る。ジョジーナのボスでシアトル地区を統括するデーモンのジェロームは「バンパイヤ・ハンター」の仕業だという。

 しかし、次にインプ(小鬼)のヒューが襲われ、バンパイアだけを狙う者ではない何か他の力が働いているとジョジーナは考える。

 ジョジーナの元には謎の伝言が残され、彼女は何が起こっているかを自分で調べ始める。

 これと同時進行で、彼女のセックスフレンドのウォレン、セス、ローマンとの関係が発展していく。自分とのセックスは相手の命を奪っていくことになるため、本当に好きな人間とのセックスは避けなければならない。しかし、サキュバスとしての欲望があり男の欲望の強さも感じ取ることができる。

 「Another kiss…another kiss, and I would not be able to stop.I wanted it too much….”Please,”I begged, my voice a whisper,”let me go. Please let me go. You have to let me go.”(次のキス・・・次のキス、そうして自分を抑えられなくなる。欲しくてたまらない・・・。『お願い』私の擦れ声がせがむ。『離して、お願い離して、私を離して』)」

 天使、デーモン、バンパイア、インプなどが徘徊する世界とシアトルの街が重なり、セックスが介在するロマンス物語が楽しめる、エンターテインメント性の高い作品だ。


→bookwebで購入

2010年12月21日

『All the Living』C.E.Morgan(Picador)

All the Living →bookwebで購入

「ニューヨーカー誌が期待する若手作家の作品」


 人は自分の人生を生きる時、往々にしてふたつの選択を迫られる。ひとつは、自分に課された状況を受け入れ生きていく道。もうひとつは、流れに背いて今ある人生から外れていく道だ。どちらの選択が正しいとは言えず、この大きな分岐点に立ち、どちらかの道に一歩踏み出す決心をするときドラマが生まれる。

 今回読んだC.E.モーガンの『All the Living』はまさにこの選択をテーマとした作品だった。彼女はニューヨーカー誌の「20 Under 40(40歳以下の20人の作家)」に選ばれたひとりとして注目を浴びている。

 このテーマに関して僕などは、日本を出てアメリカに来てしまっているので、課せられた人生から外れた道を選び取っている種類の選択をした人間だ。

 物語の主人公は孤児のアロマ。18歳になる彼女はケンタッキー州の田舎の学校を卒業し、そのまま卒業した学校で働いている。彼女はピアノに優れた才能があり、いつかコンサート・ピアニストになりたいと思っている。才能を磨く機会があれば、まったく夢物語という話ではない。

 ある日、大学の男子生徒たちがアロマの学校を訪れ、そこで彼女は寡黙な青年オレンと出会う。ふたりは恋に落ちて、アロマは初めてのセックスも経験する。セックスのあとアロマはいつかピアノの勉強をするためにこの田舎を出ていく夢を語る。一方、オレンは自分が持つ農場についての夢を語る。ふたりの夢は交差しないが、ふたりはそんなことは意に介さない。

 その後、オレンの家族が交通事故で死んでしまい、彼は煙草農場を受継ぐことになる。アロマはその農場でオレンと暮らし始めるが、農場での生活は全く経験がなかった。

 その年、ケンタッキー州は干ばつに襲われ、オレンはほとんどの時間を農作業に費やす。アロマに課せられた生活は料理、洗濯、掃除、農作業の手伝いの毎日で、それは果てしなく続くように思われた。家には写真や家具、それに使われなくなったピアノが残されオレン家族がここでずっと暮らしてきた形跡がそこここに残されている。しかし、その家は自分とは何も関係のない。

 彼女は地元の教会でピアノ奏者としての職を得る。ピアノは彼女に自由と農場の生活とは別の世界を与えてくれる。彼女はその教会の牧師であるベルに心を惹かれていく。人あたりが良く、社会的にも信頼されているベルはオレンにはない温かさがある。

 農場と教会の行き来のなかでアロマの心は揺れていく。この中途半端な思いはいつまでもは続かない。オレンとの生活を続けるか、オレンのもとを去るかの選択をしなくてはならない時を迎える。

 C.E.モーガンの文章はどこまでもリリカルで、細部に渡る情景描写が尽くされている。ケンタッキー州の田舎の風景、空の様子、道の風景、農場の部屋の風景などがつぶさに描写され、情景をしっかり見せてくれるが、一方では物語のペースを遅くさせていることも確かだ。情景描写はこの作品の大切な部分で、この細部に渡る描写が好きか飽きるかは読者の好みの問題だろう。

 ニューヨークに住みコンクリートと車しか見ていない僕にとっては、土と木々や草の匂いをいっぱい感じさせてくれる彼女の物語は新鮮だった。また、ケンタッキー州というアメリカ南部特有の英語が使われているのも違った土地を訪れた感覚をもたらしてくれた。

 しかし一方でこの種の作品を続けて読むかというと、そういう気持にはならない。やはり、ジェイ・マキナニー、ウディ・アレン、ノラ・エフロンなどの都会的な作品が恋しくなることも確かだ。

 だが、ニューヨーカー誌が若手作家のひとりに選んだだけのことはあると納得させてくれる力のある作品だった。




→bookwebで購入

2010年11月26日

『The Winter of Frankie Machine』Don Winslow(Vintage Books )

The Winter of Frankie Machine →bookwebで購入


 英語で「wise guy」と言うとマフィアメンバーのことを指す。アル・カポネ、ラッキー・ルチアーノ、バグジー・シーゲル、ジョン・ガッティなど有名なワイズ・ガイたちはアメリカ東海岸やラスベガスで大活躍(といったらいいのだろうか)した。

 今回読んだドン・ウィンズロウの「The Winter of Frankie Machine」では、出だしの部分で南カリフォルニアの海の美しさが語られる。

 「いつもサーフィンをやめてみんなと一緒に夕陽をみていた。・・・水平線に沈む太陽と、オレンジ色、ピンク、赤に染まる海を見て、こんなに幸せなことはないと感じていた」」

 主人公のフランク・マキアーノはサンディエゴに住むワイズ・ガイだ。彼はヒットマン(殺し屋)として名を馳せ、その仕事の正確さから「フランキー・マシーン」との異名をとっていた。

 南カリフォルニアのワイズ・ガイだけに、フランクは昔からのサーファーだった。それで彼の海に対する思いが出だしで語られるわけだ。

 東海岸に住む者にとっては、マフィアがサーフィンをすることにびっくりしたが、作品は常にどこかに潮の匂いを感じさせる、暴力とノスタルジアが交差する読み応えのあるものとなっていた。

 マフィアの世界から足を洗ったフランクは埠頭で釣り餌店を開き、そのほかにも海鮮業者、タオル業者、不動産管理業者として忙しい日々を送っている。

 離婚した妻との元に一人娘のジルがいて、フランクはジルを愛している。彼女がUCLAのメディカルスクールに受かり、フランクはお金の算段をしなくてはならない。

 そんな時、昔のボスの息子からポルノビデオのいざこざを解決して欲しいと頼まれる。謝礼金は5万ドル。

 フランクは話をつけに知り合いのマフィアのもとに赴く。しかし、これはフランクを殺すための罠だった。どうして昔のボスが自分の命を狙うのか。自分を殺せという命令はどこから出ているにか。そうして、何故自分は命を狙われるのか。

 フランクは昔片付けた数々の「ヒット(殺し)」を思い出しながら、謎を探っていく。

 ハードボイルドだが、ノスタルジーも感じさせてくれる。「ゴッドファーザー」などとはひと味違う、南カリフォルニアを舞台にしたマフィア・ストーリーだ。


→bookwebで購入

2010年11月13日

『The Thing around Your Neck』Chimamanda Ngozi Adichie,(Anchor Books)

The Thing around Your Neck →bookwebで購入

「アフリカ出身の作家、アディーチェの短編集」


 アメリカに住む日本人として、ジュノ・ディアズ、ジュンパ・ラヒリ、ハ・ジン、エドウィージ・ダンティカなどの移民の体験や声を伝える作家や作品を数多く読んできた。

 今回、ニューヨーカー誌の「20 Under 30」の一人に選ばれたということで、アフリカ・ナイジェリア生まれのチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの短編集「The Thing Around Your Neck」を遅ればせながら読んだ。

 この短編集はアメリカを舞台にしたものや、アメリカと関係を持つ主人公が登場する作品が多い。収められている短編は全部で12本。他の国で生まれ育ちアメリカに暮す者の多くが日々の生活のなかで感じてしまう「ここでの生活は本物だろうか」という疑問が作品の中に感じられる。

 自分が慣れ親しんだ祖国の文化とアメリカ文化の衝突のなかでこの疑問は生まれてくる。この疑問は自分の内面に反映され「ここで生活している私は果たして本物の私だろうか」と自問することになる。

 特に「世界の白人文化の代表」のような一面を持つアメリカ文化と自分をどう対峙させるかという問題は、異文化圏からアメリカに移ってきた者には大きな問題となる。

 そのひとつが自分の名前の問題である。アメリカ社会に自分を溶け込まさせるためには、名前をアメリカ的な「テッド」や「トム」に変えてしまった方が楽である。自分の名前は自己アイデンティティに繋がっており、自分とアメリカ社会の接し方を現している。インド出身でピューリッツア賞を受賞したジュンパ・ラヒリはこのテーマを「The Namesake」という小説で追った。

 アディーチェの作品のなかにも「The Arrangers of Marriage」という小説がある。ナイジェリア生まれの主人公のチナザは親戚を通して、同じナイジェリアの出身のオフォダイルという青年と結婚をする。彼はアメリカに住み、職業は医者だという。

 チナザはブルックリンのフラットブッシュに住むオフォダイルの住居を初めて訪れる。ハウスだと聞いていた彼の住居はアパートで、家具もろくに揃っていない。医者と聞いていたが、実はまだインターンで暮らしも楽ではない。

 アメリカでオフォダイルは自分のことをデイブと名乗り、ウデンワというラストネームもベルに変えている。デイブ・ベル。それが新たな夫となった男のアメリカでの名前だ。夫はチナザ・アガサ・オカフォーという名前を持ち、ずっとチナザ・オカフォーと呼ばれてきた主人公にもアガサ・ベルと名乗れと言う。挨拶は「ハイ」、ビスケットは「クッキー」と呼べと「アメリカ式の生活」をチナザに強要する。さらにモールに彼女を連れて行き「フードコート」でピザを食べさせる。

 また、表題作の「The Thing Around Your Neck」は、アメリカ政府が行う永住権ロッタリーの抽選でアメリカ永住権を得た主人公が、メイン州に住む小父を頼ってアメリカに移ってくる物語だ。22歳の主人公はその小父の家で彼からセックスを迫られる。家を飛び出しグレイハウンド・バスに乗った彼女はそのバスの終点であったコネチカット州でウエイトレスとして働き始める。そして、そのレストランで客として来ていた白人青年と付き合い始める。

 しかし、夜、眠りに入る前の首の周りを締め付けられるような感覚はなくならない。作品タイトルにもなっているこの感覚は、祖国を離れ、ウエイトレスとして働いている現状、アメリカの白人ボーイフレンドに感じる違和感、一方、暴力と腐敗に溢れ、未来のない祖国の状況など彼女を取り巻く混沌から生まれている。その中で主人公はある決断をする。

 アディーチェは作品で、異なる文化のなかに存在する異なる残酷さや、出だしで述べた本物の自分への疑問を描いているが、なにより物事はどう崩壊していき、その中で人はいかに新たな道を歩き始めるかを描いている。読後の感覚は、寂寥としたなかにも微かな希望の光がのぞき、胸の中にある種の重みが残るものだった。


→bookwebで購入

2010年10月19日

『Lucky Girls』Nell Freudenberger(Perennial )

Lucky Girls →bookwebで購入

「『ニューヨーカー』誌が選んだ「40歳以下の作家20人」のひとり、ネル・フリューデンバーガーの短編集『Lucky Girls』」

 今年『ニューヨーカー』誌が選んだ「40歳以下の作家20人」のひとり、ネル・フリューデンバーガーの短編集『Lucky Girls』。
 どこかニヤリとさせるタイトルだ。

 何故かというと、ネル・フリューデンバーガー彼女自身がいわゆる「lucky girls」のひとりだからだ。

 彼女は2001年のニューヨーカー誌「Summer Fiction Issue」でまだ本を出版していない「debut writers」のひとりに選ばれ、26歳の若さで華々しいデビューを飾った。この時選ばれたのがこの短編集の表題作「Lucky Girls」だった。この作品は彼女にとって初めて掲載された作品だった。

 この成功がきっかけで注目を浴び、まだ書かれていない彼女の本の出版権を取ろうと出版社が争った。版権の値段は瞬く間に釣り上がり、50万ドルを出すという出版社まで現れたという。

 また、ハーバード大学を卒業し、ルックスもいけている彼女を『Vogue』誌、『Elle』誌、 『Entertainment Weekly』誌などか取り上げ、普通の作家とは少し違ったアングルを彼女に与えた。

 しかし、これに黙っていないのが同じ年齢層の若き恵まれない作家たちだった。
すぐに「ネル・フリューデンバーガーを憎む会」なるものができ、彼女の批判を始めた。

 このあたりの話はニューヨークタイムズ紙の年間ベスト10作品に選ばれた『Prep』を書いたカーティス・シテンフェルドがSalon.comで「Too young, too pretty, too successful」というコラムを書いている(2003年の記事で当時彼女はまだ『Prep』を発表していない。

(http://dir.salon.com/story/books/feature/2003/09/04/freudenberger/index.html)

 そしてネル・フリューデンバーガーが、前に述べたように今回またまた『ニューヨーカー』誌から栄えある20人のなかのひとりに選ばれたのだ。

 ということで、彼女の短編集『Lucky Girls』だが、表題作を含め5本の短編が収められている。舞台はインド、タイ、ベトナムなどのアジア圏。主人公はみなアジア圏の街に暮す富裕層に属する、幸せと感じていない若い女性たちだ。

 表題の『Lucky Girls』は、アメリカの大学を卒業しインドに暮らす20代半ばの女性が主人公だ。彼女は妻子のある23歳年上のインド人アルンと知り合い、彼の愛人となる。アルンは死んでしまい、彼女はアルンの母と交流を持つ。

 アルンの母は彼女に「あなたはチャーミングではないけど、頑固だ。もし私に娘がいたらあなたのような子だったはずだ」と言う。彼女はアルンの母にアルンが死んだとき側にいたかったと告げるがアルンの母は怒りをもって「そこはあなたの居場所ではない。誰もあなたが何者だか分からない」と言う。

 また、主人公はアルンの妻とも会うが妻は「私には息子たちがいる。あなたには誰もいない」と告げる。

 彼女はインドでひとり、兄弟の結婚式の日に両親の家の裏庭で展開されているであろう光景を思い浮かべる。両親はアメリカに帰ってこいと言っているが、彼女のなかには底知れない寂しさが訪れる。

 収められている短編は短くもなく長くもなく、なかなか読み応えがある。特にアメリカの大学の入学を目指している主人公と、ハーバード大学を卒業しインドに戻ってきて主人公の家庭教師を受持つ詩人志望の青年の関係を描いた「The Tutor」は秀作だ。

 彼女の作品は、何度となく文章を読み返す箇所があった。その理由は、もちろん英語で書かれているということもあるが、誰かの会話の途中に割り込んだような書き方だからだ。

 例えば:
 <「これがあなたが言っていた物じゃない?」。彼女の母の声は必要以上に大きい。「このことをあなたは言っていたわ−−−−この間私がジュリアを迎えにきときのことよ」
「そうだったけ、そうだった」。ファブロル先生のおかしなアクセント。
ふたりは、テレビで天候の具合を見るようにジュリアを窺う。
彼女は、ふたりが彼女をどこまで馬鹿にしているか、信じられなかった。>

 という文章があり、これがジュリアの母親とファブロル先生がお互いに浮気をしている描写となる。

 ネル・フリュデンバーガーは『ニューヨーカー』誌が好きな作家と言っていいだろう。もちろん、彼女の作品は水準に達している。これからのアメリカの文学界を引っ張っていく作家となるか、注目していく作家のひとりだろう。


→bookwebで購入

2010年09月28日

『 Freedom』 Jonathan Franzen(Farrar Straus & Giroux )

 Freedom →bookwebで購入

「アメリカを代表する作家ジョナサン・フランゼンの新刊」


 この8月31日、ジョナサン・フランゼンの「Freedom」が発刊された。発行日の1週間以上前、8月23日付けタイム誌が僕のメールボックスに届き、その表紙がフランゼンだった。表紙には大きく「Great American Novelist(偉大なアメリカの小説家)」の文字があった。

 これまでタイム誌の表紙となった小説家はサリンジャー、ノボコフ、モリソン、ジョイス、アップダイクの5人だけ。フランゼンも数少ない優れた作家たちの仲間入りを果たしたことになる。

 ニューヨーク・タイムズ紙もこの作品を賞讃する評を載せ、ニューヨーク・タイムズ・ブックレビューでは「アメリカン・フィクションの傑作」と大きな拍手を送った。

 前作の小説「Corrections」で全米図書賞を受賞した著者が、次作のフィクションで「Corrections」を超えられるか注目されていたが、9年間を経て発表された新作は読者の期待を裏切ることはなかった。

 僕は8月31日の午前中に予約をしていたこの本を受取るために近くのバーンズ&ノーブルに出かけていった。レジの後ろにある予約本の棚には「Freedom」があと5冊ほど並んでいた。

 僕と同じように売切れを心配して予約をする人がいるんだなと思いながら、500ページ以上ある本を手にアパートまで戻った。

 「Freedom」は夫婦であるパティとウォルター、彼らの子供たち、そしてウォルターの親友でアンチヒーローであるリチャードの人生を追った作品だ。

 舞台がアメリカの中産階級家庭となっているところは前作「Corrections」と同じだ。

 アルコール中毒の父親を持つウォルターは家の仕事を手伝うために自分を犠牲にして家から近い中流の大学に入学する。大学でスター・バスケット選手だったパティは、議員である母親に政治・経済的影響力を持つ家の息子にレイプされるが、両親はことを荒げたくなく、彼女は警察に訴え出ることをあきらめる。

 大学でウォルターのルームメイトであるリチャードは、ウォルターを価値のないガールフレンドたちとの関係から救うために、そのガールフレンドたちとセックスをして彼女たちがウォルターに値しない人間だと証明してみせる。

 その後、ウォルターはパティと結婚してセント・ポールに暮らすが、彼らの子供たちは素直には育ってくれない。

 そして、パティとリチャードの間にはやり残したものがあるという感情が残っている。それは、愛か欲情か。ふたりの関係はどこかに出口を見いださなければならないものとなっていく。

 パティとウォルターは、ワシントンDCに引越しをし、ウォルターはウエスト・ヴァージニアの山の自然を破壊する石炭業界の計画に関わっていく。

 「フリーダム」は人々が手にある自由とどう関わっていくかをテーマとした作品だ。そして、その「自由」が人々になにをもたらしていくかを描いた作品といってもいいだろう。

 「自由」のなかで人々は何を選び取り、その選択が愛や幸福、家族、そして愛する人々との関係、ひいては自分や他人の人生をどう変えていくかを著者は時には残酷な視線を持って観察してく。

 「Freedom」はアメリカが最も価値を置く「自由」をテーマにしている優れたアメリカン・フィクションだった。


→bookwebで購入

2010年09月22日

『How It Ended』Jay McInerney(Vintage Books )

How It Ended →bookwebで購入

「25年を超える年月を費やし書きためたマキナニーの短編集」


 レイモンド・カーヴァーのもとで学び、80年代を代表する小説「Bright Lights, Big City」を書いたジェイ・マキナニー。彼はそれ以降、6作の長編と2冊のエッセーを出版しているが、1作目となる「Bright Lights, Big City」を超える出来の作品は出していない。

 今回出版となった「How it Ended」は約25年におよぶ歳月のなかで書かれた26作の短編が収められている短編集だ。この中には「 Bright Lights, Big City」や「Ransom」、「Model Behavior」、「The Last of the Savages」など長編の原型ともいえる短編も多く収められている。収められている短編がどのようないきさつで書かれたかは、本書のPREFACE部分に述べられている。この部分ではまたレイモンド・カーヴァーやトビアス・ウルフなどとの関係も述べられていて、マキナニーファンにとっては、このPREFACE(序文)を読むだけでも価値がある。

 表題の「How It Ended」は、金持ちたちが休暇を過ごすヴァージン諸島でヴァケーションを取っているニューヨークの弁護士である主人公のドンと彼の妻が、ボストンから来たほかのカップルと出会う話だ。ドンは富裕層出身の雰囲気を持つ相手カップルの妻ジーンに強く惹かれる。ドンは彼らががどうやって出会ったかを聞く。相手カップルの夫であるジャックは若い頃ドラッグを売り大金を得た。そして、法の網にひっかかるが、優秀な弁護士を使って刑を逃がれていた。その弁護士はドンが尊敬の念を抱いている弁護士で、ドンはその弁護士に対する尊敬の念が消えていってしまうのを感じる。それとともに、自分の生活や妻の存在が色褪せていく感情を抑えきれない。彼のなかで何かが変わっていく余韻を残しながら物語は終わる。

 マキナニーの物語には、ナルシシズムと自己嫌悪感の両面を持つ主人公がよく登場する。グラマラスあるいは華やかなものに惹かれる一方、どこかに自己の破滅を望む自分がいる。この意味で、今回の短編集はF・スコット・フィッツジェラルドの物語に通じるものがある。

 スター女性が持つ特殊な名声の輝きに惹かれる「My Public Service」、富裕階級に属する女友だちとの一場面を描いた「The Waiter」などはある種の輝きと、自分の感情を対比させた物語だ。

 また、マキナニーの物語は常にどこか80年代の影をひきずっている。特にニューヨークを舞台とした物語には、80年代のウォール街の影が映し出される。主人公はウォール街に働く人間ではないが、その時代のマーケットの影響を受けたライフスタイルや価値観を持った人間が多く登場する。

 本書はニューヨーク・タイムズ紙が長く好意的な書評を掲載しため注目を集めた。カーヴァーの元で学んだマキナニーだが、短編の読後感はカーヴァーとは大きく異なる。荒涼とした、しかしながら、自己の世界が深まっていく余韻が残るカーヴァーの作品に対し、マキナニーの短編の余韻はそれほど深くない。ひりひりとした擦り傷が、皮膚のもっと表面部分で痛み出す感覚と言っていいだろうか、刺し傷ではなくヤスリで皮膚をこすられたような読後感が残るのがマキナニーだ。

この短編集は、これからも何度となく読み返す本となるとだろう。
 


→bookwebで購入

2010年08月31日

『I Was Told There’d Be Cake 』Sloane Crosley(Riverhead Books)

I Was Told There’d Be Cake →bookwebで購入

「若い独身女性とニューヨークの街が引き起こす不協和音」


 ニューヨーク郊外のホワイトプレーンズで子供時代を過ごし、ニューヨークで働き出した20サムシングの女性スローン・クロスリー。この本は彼女のユーモラスなエッセイ集「I was told there’d be cake(私はそこにケーキがあると言われていたわ)」。ニューヨークで若い女性がどう暮らしていくかについてのユーモラスで風刺が利いた内容で気軽に読める。ニューヨークに暮す若い女性によるエッセイは、古くはドロシー・パーカーなども書き、伝統的なものと言える。

 スローンの職業はニューヨークに拠点がある大手出版社ヴィンテージ/アンカーのパブリシスト。彼女が編集者ではなく、パブリシストであることが僕の興味を惹いた。マンハッタンで活躍するパブリシストと言うと、本好きだが編集者とは別の人種という雰囲気がある。

 この「I was told there’d be cake」はケーブルTV局のHBOが放送権を取得した。HBOは、ご存知ニューヨークを舞台とした「セックス・アンド・ザ・シティ」シリーズを放送し始めたケーブルTV局だ。こんな話題からも、このエッセイ集の雰囲気が分かると思う。

 短いエッセイのいいところは、ちょっとした時間の合間にさっさと読めるところだろう。500ページを超える長編を読むときは、4、5日じっくり時間を取って読むことになるが、こちらの方は食事の後とか、子供との遊びの合間とかに1作の半分を読むといった読み方ができる。また、長編では時間が空くと登場人物たちの関係が分からなくなったり、名前を忘れたりするが、エッセイ集ではそんなこともない。

 スローンのエッセイは、いわゆるエスプリを利かせ高みから面白く事象を切ってみせるものではない。この本は手探りの状態でニューヨークでの生活を始めた著者の、自分がどのような状況に陥っているかの現状報告と言っていいだろう。子供時代の話も交え、自己や他者に対する皮肉な感情や、この街で暮すことについての難しさを語っている。

 彼女は、出版業界に仕事を見つけ、ボスとの折り合いの悪さにうんざりし、時には嘘をつき会社を休む。ボーイフレンドのアパートに泊まり込み、父親から突然の電話を受ける。

 また、違うエッセイでは、ハイスクール時代に親友だった女性から突然ブライズ・メイド(花嫁の付添人)になることを求められる。ボストンに住む彼女との関係はスローンのなかではすでに思い出に属するものとなっている。しかし、昔の友情を壊す勇気は彼女にはない。心のなかではいやいや、しかし表面は丁重に彼女と接する。この状況のなかで、彼女は自分の社会的責任、友情とは何か、相手の「押し」にどこまで応えるべきかなどの難問に答えを出そうとする。自己の精神衛生に関わる問題だ。ニューヨークの街が持つ価値観が、彼女の決定に影響を与えていることも間違いない。

 若い独身女性とニューヨークの街が引き起こす不協和音は、永遠の文学テーマといえるだろう。



→bookwebで購入

2010年08月20日

『 Everything Ravaged, Everything Burned 』Wells Tower(Picado)

 Everything Ravaged, Everything Burned →bookwebで購入

「ニューヨーカー誌が選んだ「40歳以下の作家20人」のひとり、ウェルズ・タワーの短編集」


 ニューヨーカー誌が最近発表した「20 Under 40(40歳以下の作家20人)」の一人に選ばれたウェルズ・タワーのデビュー短編集。

 タワーは「20 under 40」に選ばれた時点では37歳。彼はコロンビア大学でフィクション・ライティングの修士号を取得した。賞としては文芸誌パリ・レビューのプリンプトン(ディスカバリー)賞、プッシュカート賞などを受賞している。2009年に発行されたこの「Everything Ravaged, Everything Burned」はニューヨーク・タイムズ紙に取り上げられ、書評家のミチコ・カクタニがその年のベスト10の中にこの本を選んだ。

 この本には表題作の「 Everything Ravaged, Everything Burned 」を含め9作の短編が収められている。アメリカにはジョージ・サウンダースやカレン・ラッセルなどの寓話的な物語を書く作家がいるが、タワーはそれらの作家とは異なり、現実感のあるキャラクターと風景を掘り下げ、そこから一筋の光を与えるという手法を使っている。兄と弟、少年と義理の父、少女と従姉妹などの関係を軸に物語が展開される。

 ニューヨーク誌は彼の作風を男性的なヘミングウエイ、カーヴァー、フォークナー、ロス、チーヴァーなどの作風と比較している。猟での物語、不倫、暴力、飲酒などが題材となっているので、そんなところも上記の作家と比較できるところだろう。

 僕個人としては、にやりと笑ってしまうところもあったが、全体的な読後感としてはカーヴァーと同質のダウンな感覚が身体に残った。

 作品は長くて30ページほど、表題作を除いて全て現代のアメリカが舞台となっている。主人公はほとんどが中産階級の下、あるいは下層階級の上部に属している。会話もその階層の人々の使う言葉で展開され、こんなところもカーヴァーの風景を感じさせる。

 タワーの作品の登場人物はなにも大きな目標など持っていない。自分の生きている限られたスペースの中で、小さな危機を迎え、絶望の闇を垣間みる。タワーの物語の魅力は、登場人物の感情を正確に浮き上がらせる文章にある。それと、読者の心の中でギアがカチャリと音と立てて噛み合うような感情を導く情景描写のうまさだろう。

 荒涼とした景色のなかに続く一筋の光。しかし、その光を追っても救いに辿り着くことはない。読者は、その光を追う登場人物たちの姿を見て、ダウンな気持になるが、一方では心の中に静寂が生まれるのを感じる。

 タワーの物語は、寂しい清涼感を与えてくれる。ジョナサン・サフラン・フォー、ジョージ・サウンダース、カレン・ラッセルなどの「オリジナル」な物語に疲れを感じる人々には、タワーの登場は祝福とも言えるだろう。




→bookwebで購入

2010年08月13日

『The Thousand Autumns of Jacob de Zoet 』 David Mitchell(Random House )

The Thousand Autumns of Jacob de Zoet →bookwebで購入


 日本を舞台にした小説「The Thousand Autumns of Jacob De Zoet」。著者はイギリス出身の注目の作家デヴィッド・ミッチェル。ミッチェルは2007年のタイム誌で「世界で最も影響力のある小説家」の一人に選ばれ、イギリスの権威ある文学賞であるブッカー賞の最終候補に2度も残っている。

 それに、文芸誌グランタの「若手イギリス作家ベスト20」の一人にも選ばれた。文学界では彼の才能は「本物」だという評価が定まっている。

 彼の新作の発刊を知ったのはニューヨーク・タイムズ日曜版のブックレビューだった。評者が作家のデイヴ・エガーズで、やはりこれは人目をひいた。

 著者の経歴を読むと英語教師として広島で8年間暮らしたとあり、日本人としては親近感も生まれる。

 物語の始まりは1799年の日本。場所は長崎の出島だ。主人公の De Zoetはオランダ東インド会社の会計係として、 新たなオランダ商館長となるヴォルステンボーシュと共に出島にやってくる。それまでの会計に不正の疑いがあり、 日本側の記録とつきあわせ、帳簿を正す作業を行う。

 De Zoetの見た出島は、日本側、オランダ側を問わず不正、裏切り、密告、騙しが横行する場所だった。

 De Zoetにはオランダに婚約者がいて、出島で金と地位を得て故郷に帰ろうと考えている。しかし、その思いはオリトという女性と出会い変わってしまう。オリトは、優れた知識を持つ助産師で出島の医者マリナスの主催のセミナーのメンバーとなっていた。

 オリトの父親が大きな借金を残して死に、エノモト僧正が借金を肩代わりする代わりにオリトを買い、彼女を自分の権力内の寺院の尼とするところから物語は急展開していく。

 第2章では、 De Zoetではなくオリトに心を寄せる通詞(通訳)オガワ・ウザエモンの運命やその寺院で行われている悪魔的な結社の姿が語られていく。

 その後、1799年の末にはオランダ東インド会社は解散してしまい、オランダ自体がフランスに占領されてしまう。この辺りの国際事情は実際の歴史と重なる。イギリスが出島の乗っ取りをもくろみ、 De Zoetたちは日本側と共に、出島の防衛に乗り出す。

 約500ページに及ぶこの物語では、登場する人物の人生が丁寧に書き込まれていて読み応えがある。ミッチェルは情景描写に日本的な要素を取り入れ、しっとりとした感情を呼び起こすことにも成功している。

 また、 De Zoetはヘンドリック・ドゥーフという、18年間も出島に滞在し日本人女性との間に子供ももうけた実在の人物をモデルとしており、そちらの史実を紐解くのも面白い。

 センチメンタルに流されず、美しく、残酷で、そして心が裂けるような感情を呼び起こすミッチェルの物語は上質な絹の感触がした。


→bookwebで購入

2010年07月24日

『The Graveyard Book』Neil Gaiman(Harpercollins Childrens Books)

The Graveyard Book →bookwebで購入

「墓場で育った子供の物語」


 「The Graveyard Book」。ファンタジー作家であり映画の脚本も手がける超人気作家ニール・ゲイマンの作品タイトルだ。

 どこかで聞いたようなタイトルだと思っていたら、本の終わりに著者自身がこの本はラドヤード・キップリングの「ジャングル・ブック」にヒントを得たとあった。

 「ジャングル・ブック」は映像としては知っているが、原作を読んだことがない。

 僕が知っている「ジャングル・ブック」の話は確か虎に追われた少年が、ジャングルの中でオオカミに育てられ、ジャングルに棲む動物たちと仲良くなり、彼らの助けを借りて再び人間の世界に戻るというものだった。

 「The Graveyard Book」もこのストーリーラインを下敷きとしている。違うところは、赤ん坊が成長していく舞台が墓場(グレーブヤード)であり、彼を育てるのがゴーストたちだというところだ。

 物語は鋭いナイフで両親、姉の3人を殺したマン・ジャックが最後のひとりを殺すために赤ん坊の部屋に向かうところから始まる。

 しかし、マン・ジャックがその部屋に入ったとき赤ん坊はすでにベッド抜け出し、夜の霧につられて丘の上にある墓場へ向かっていた。

 墓場ではゴーストたちが死んだばかりの家族の頼みを聞き入れ赤ん坊を育てることにする。ゴーストは自分が埋められた場所でしか存在できないので、赤ん坊の家族はその墓場では暮らせない。そこで、250年前から子供を欲しいと思っていたオーエンズ夫婦が両親役となり、死の世界にも生の世界にも属していないシラスが後見人となることが決まる。シラスは墓場を出てこの子供のために食料やそのほか必要なものを運ぶことができる。

 また、ゴーストたちは赤ん坊に「フリーダム・オブ・グレーブヤード」の力を与えことにも賛成する。ノーバディ・オーエンズという名前がつけられた子供は、「フリーダム・オブ・グレーブヤード」の力によりゴーストのように闇のなかでも目が見え、物を通り抜けられるようになる。そればかりか、修行を重ねれば自分の姿を消す「フェイド」や人間の夢になかに入り込む「ドリームウォーク」の術も会得することができる。

 赤ん坊は墓場での生活のなかで、ウェストミンスター公、第33代合衆国大統領、生意気だが気のいい魔女、感傷的な詩人などの墓場で暮すゴーストたちと知り合いになっていく。

 そうして、ひとつの試みとして学校にも通い始める。そこでスカーレットという女の子とも仲良しになる。

 一方、マン・ジャックは逃した主人公を殺すことをあきらめていない。彼は、古代から存在する魔力持つ者たちの結社の一員で、自分たちの破滅を防ぐためには主人公を殺さなければならない。

 親を失った子供が魔力を身につけ、闇の力と戦うというストーリーはハリー・ポッターにも見られるものだ。

 しかし、そのことでこの物語のオリジナリティーが失われていないのは著者の優れた才能のせいだろう。

 家族愛と、人生肯定をひとつの大きなテーマとするこの物語は、大人も十分楽しめるものだった。すでに続編を期待する声が上がっている。


→bookwebで購入

2010年06月21日

『The Imperfectionists』Tom Rachman(Dial )

The Imperfectionists →bookwebで購入

「消えゆく新聞社とそこに関わる人々の人間模様」


 旧式のコンピュータが並ぶ古いニュースルーム。机の上には資料や新聞が山と積まれ、床には煙草の吸い殻が散らかっている。

 こんな新聞社で働く人々にはどんな運命が用意されているのだろうか。

 死にゆく新聞社とそこに働くジャーナリストや経営陣の人生を切り取ってみせてくれるのが今回紹介する「The Imperfections」だ。

 華やかなローマの街で発行される英字新聞。世界中に読者がいるこの英字新聞を発行する新聞社がこの小説の舞台だ。新聞社は1953年にアメリカ人の富豪によって設立された。

 この小説の著者は、コロンビア大学のジャーナリズム科を卒業し、AP通信社のローマ特派員、インターナショナル・ヘラルドトリビューン紙のパリ支局編集者を務めたトム・ラクマン。

 物語に登場する新聞は発行部数も少なくなり、ウェブサイトもない。まさに、古い時代に属する新聞社だ。

 物語ではこの新聞社に関わる11人の人生が描かれる。1章ごとにそれぞれの生活が読み切りの物語として紹介されている。

 そうして各章の間には、この新聞社を創設したサイラス・オットと、オット財閥の経営を受継ぐオットの子供や孫たちが登場する短い章がある。この短い章で、サイラスがこの新聞社を始めた謎が語られる仕掛けだ。

 物語の最初に登場するのは、新聞社のパリ非常勤通信員のロイド・バーコ。

 古株のひとりであるバーコは70歳になる。彼には18歳年下の妻アイリーンがいる。以前は刺激的だった年の違いが、いまでは海のようにふたりを隔てている。彼女は、近所の男のところに半分住居を移してしまった。

 新たな記事の注文のために新聞社に連絡を取るが、彼の提案した文化記事は全て却下される。新聞社はテロリズムやイランの核についてのインサイドストーリーなどを欲しがっている。

 彼はフランス外務省に務める息子をランチに誘い、なにか情報を漏らすように迫る。息子が唯一のニュースソースだ。夫としても記者としても、一線を超えていってしまう人間の姿が描かれる。

 死亡記事を担当するアーサーは、自らの娘の死と、死亡記事を準備するためにインタビューをした作家の死を通して 人生を見つめ直す。

 そのほか、編集長のキャサリーン、財務担当のアビーなどの様々な人間模様が描かれる。

 そして、時代のなかで遂に新聞は消え去っていく。

 「かつてこの部屋には世界の全てがあった。今日あるのはゴミだけだ。新聞は1日も休むことがなかった。いまはもうその姿はない」

 著者の知っている世界を描いた物語は、ジャーナリズムに関わる人間への愛情が感じられる作品だった。


→bookwebで購入

2010年06月14日

『Bergdorf Blondes 』Plum Sykes(Miramax)

Bergdorf Blondes →bookwebで購入

「サマーリーディングにお勧めの一冊」


 最近あまりお目にかからなくなったが「チックリット(chick lit)」という言葉がある。チックリットとはchick literature(若い女性の文学)の略で、若い女性が登場人物となり、自分を取り巻く社会的状況、つまりロマンスやセックスのことなどをコミカルに描いた小説を指す。代表的なものではイギリス人の作家のヘレン・フィールディングが書いて大ヒットとなった『ブリジッド・ジョーンズの日記』がある。アメリカのものではキャンディス・ブシュネルの『セックス・アンド・ザ・シティ』が有名だろう。    チックリットは売れ行きがよく話題にもよくのぼる。今回紹介するのも、このチックリット作品である『Bergdorf Blondes』だが、その前にもう少しチックリットのことを話そう。    チックリットの舞台となるのは、やはりロンドンやニューヨークなどの大きな街が多い。そのジャングルのような街で、どうやってよい男を見つけるかがテーマとなる。主人公は社会が強要するいまの女性の理想像と現実の自分の姿との違いに悩み、セックスという問題にどう対処するのかにも迷う。チックリットは都会に住む女性ならではの文学だ    ところで、今回の作品だが、舞台はニューヨーク。ニューヨークにはバーグドルフ・グッドマンなる高級デパートがあるが、主人公(最後まで名前がでてこない)の一番の親友がこのデパートの跡取り娘のジュリー。ジュリーたちは自分たちの金髪を完璧に整えるために、3週間に1度、1回450ドルでカリスマ美容師に髪を整えてもらい、ハンドバッグを選ぶようにボーイフレンドを変える。しかし、仲間の何人かが婚約をし、婚約した女性の肌の色がとてもよくなるという理由で、主人公とジュリーはPH(パーフェクト・ハズバンド)を探し始める。一方、イギリスに住んでいる主人公の母親は、彼女にイギリス貴族との結婚を強く望んでいる。    主人公は、大きな慈善パーティでファッション・フォトグラファーと知り合い、すぐに婚約をするが、婚約のあと男の態度が豹変してしまう。次に、パリのリッツホテルでイタリアの貴族と出会うが、彼の正体はコネチカット州に妻も子供もいるただのアメリカ人だった。その間に、ロサンゼルスでインディー映画の監督と出会い、彼をジュリーに引き合わせる。次の男は、もうすぐ離婚をするという、映画プロデューサーで、彼女をプライベート・ジェットでカンヌ映画祭に誘う。しかし、この男ともうまくいかなくなったとき、インディー映画の監督と南仏ニースの空港で再会する。主人公は、この監督を好きではないが、どこか心にひっかかりを感じる。そして物語は、イギリスの両親のもとで、誰もが幸せになるハッピーエンドを迎える。

 この作品の面白さは、ニューヨークの社交界にいる若い女性の大衆離れした価値観や、見栄や嫉妬のなかで生きる娘たちの思考回路や行動をコミカルにみせてくれたところだ。ビーチなどで楽しむ、リズミカルで軽快な読み物として最適だ。

 著者のプラム・サイクスは英国ロンドン生まれ。英国ヴォーグ誌に勤めたのち、1997年から米国ヴォーグ誌の寄稿編集者を務める。現在、ニューヨークとロンドンを行き来する生活。髪の色はブルーネットだ。
 
 
 
 


→bookwebで購入

2010年05月28日

『The Walk』 Richard Paul Evans(Simon & Schuster)

The Walk →bookwebで購入

「神が与えてくれた運命の道を歩く」


 神が与えてくれた運命の道。人は時にその道に出会うときがある。この命題を受けて書かれたのがこの「The Walk」だ。

 主人公のアラン・クリトファーセンはシアトルで広告会社を経営する若い実業家だ。
会社の経営はうまくいっており、よい車も、豪邸といえる家もある。そして、なにより彼は、幼なじみで最愛の女性マッケールを妻としている。

 しかし、大切なクライアントを前にプレゼンテーションをしているとき、アランの元に妻が落馬をして病院に運ばれたという知らせが入る。

 彼は、プレゼンテーションをパートナーのカイルに任せ、病院に急ぐ。妻の容態は思わしくなく、数日たって彼女は半身不随に陥ったと判明する。

 彼は最愛の妻に献身的につきそい、会社をパートナーに任せる。彼女は退院して家に戻るが、尿道管から菌が入り敗血症を引き起こしてしまう。そして、数日後、彼女はこの世を去る。

 最愛の妻を失ったアレンは仕事にもどるが、パートナーのカイルが仲間社員のひとりと組んで、アレンのいない間に新しい広告会社を建ち上げ、クライアントのほとんどを連れて行ってしまったことを知る。

 彼は会社の再建を目指すが、車が差し押さえられ、家も競売にかけられることになってしまう。

 この逆境のなか彼は、すべてのものを捨てて「歩く」ことを決断する。たまたまその場にあった地図を広げ、自分のいる場所から歩いていける一番遠い土地、フロリダ州キーウエストを目指して徒歩の旅に出る。

 この本は全5巻のシリーズとなる予定で、今回の第1巻はシアトルからワシントン州スポケンまでの道のりが書かれてある。

 スポケンに辿り着く道のりで、彼は子供の頃に性的虐待を受けたウエイトレス、一度死の世界を体験し生き返った経験を持つ宿の女性オーナー、そして文字通り彼の「天使」となる女性に出会う。

 この旅は人間の力の及ばない神が彼に与えた運命であることは間違いない。

 出会う人々が彼の人生を変え、彼もその人々の生き方を変える物語になりそうだ。ベストセラーシリーズの誕生といえるだろう。


→bookwebで購入

2010年03月22日

『namesake』 Jhumpa Lahiri(Mariner Books)

namesake →bookwebで購入


 もう随分長くアメリカに暮らしているが、80年代のある1年間だけ、僕はタカシ・ハタではなくスティーブ・ハタだった。ちょうどアメリカの弁護士事務所のリストを作る仕事をしていて、沢山の弁護士事務所から資料を貰わなければならなかった。

 自分の名前を「タカシ」と告げると、相手から「綴りは?」とよく聞かれた。「It’s T.A.K.A.S.H.I.(ティ・エイ・ケイ・エイ・エス・エイチ・アイ)と言い、それでも一度では分からない相手も多く、「トマスのTに、アンディのA、それにK、A・・・」と告げた。こういうやりとりが面倒臭くなり、ある時から軽い気持でスティーブという名前を自分につけて、名刺もスティーブ・ハタにした。

 スティーブ・ハタになってからは、電話で綴りを聞かれることもなくなった。周りの人々も僕をスティーブと呼び始めた。スティーブと呼ばれ、僕が感じたのは、大袈裟に言えば自己の崩壊だった。

 それまで日本で生きてきた自分とは違う自分が、アメリカでひとり歩きをしはじめたのだ。アメリカ文化に同化する自分と、日本からの価値観を持った自分の衝突だった。僕は、自分の知っている「僕」を守るために名前をタカシに戻した。

 この体験は、移民の国であるアメリカでは珍しくない話だと思う。デビュー作『Interpreter of Maladies(邦題:停電の夜に)』で2000年のピューリッツア賞を受賞したインド系アメリカ人ジュンパ・ラヒリも、移民が経験するふたつの文化のぶつかり合い、つまりアメリカ社会へ同化したいという思いと自己のアイデンティティを守りたいという意識をテーマにした作品を描いている。

 『Namesake』でもラヒリは、デビュー作と同じテーマを追っている。

 主人公であるゴーゴル・ガングリは、インドからの移民を両親に持つアメリカ生まれの青年だ。彼の父親は昔、インドで列車事故に遭い、列車の下敷きになった。その時、手にしていた本を振り救助員の注意を惹き一命を取り留めた。ゴーゴルはその本の作家の名前にちなんでつけられた名前だった。

 しかし、おかしな自分の名前にずっとひけめを感じていたゴーゴルは、エール大学に通っている間に名前をニクヒルに変える。ニクヒルとなった彼は、裕福な白人のガールフレンドとつきあい始め、白人家庭の一員としての時間も過ごしてみるが、居心地の悪さを感じてしまう。

 社会人となり彼は、母の選んだインド人の女性と結婚をする。しかし伝統的な見合い結婚もうまくいかず、結局離婚してしまう。父親の死後、母親はアメリカの家を売り払い、インドに帰ることを決心する。母親がインドに向かう前、ゴーゴルは育った家に戻り、父親がつけてくれた自分の名前について考え、もう一度自分を見つめ直す。
 
 アメリカは移民を多く受け入れる国であり、この本に描かれているような移民や2世の生き方の話は、実は非常にアメリカ的な物語だといえる。インドから移民をした父親や母親の人生、母国への帰属意識、そして2世がアメリカで体験する、ふたつの国の文化の間で揺れる心の動きは、白人が書くアメリカではないもうひとつのアメリカといえるだろう。
 


→bookwebで購入

2010年01月19日

『Skinny Dip』Carl Hiaasen(Grand Central )

Skinny Dip →bookwebで購入

「サンバのテンポを持つ小説」


 数年前、住んでいたニューヨークからフロリダの友人の家まで車で行ったことがある。ニューヨークからフロリダまでは車だと24時間くらいかかる。その日は朝早く出発したが、途中で夜になりインターステート沿いにあったガソリンスタンドの駐車場に車を止め、車のなかで一晩を過ごした。夜中にパトカーが隣にやってきて、警官が僕の車の窓を叩き「何をやっているんだ」と聞いた。僕は「フロリダに行く途中で、今夜は車で寝ている」と警官に告げた。警官は窓ごしに車のなかをのぞき、何もなさそうだと分かるとそのまま走り去っていった。

 友人の家に次の日の午後に着き、そいつの家を拠点としてマイアミやオーランドを回った。フロリダでの1日が終わると、僕はピナカラーダやダイキリなどのいわゆるトロピカル・ドリンクと呼ばれる酒を飲んだ。フロリダはやはりちょっとした楽園だった。

 今回読んだ『Skinny Dip』はフロリダに住んでいる作家カール・ハイアセンの作品だ。カテゴリーとしては犯罪小説の種類に入るのだろうが、読んでいて楽しく、フロリダでトロピカル・ドリンクを飲んでいるような爽快感を味わえた。

 物語は、チャズという悪知恵が働く生物学者が妻のジョーイをフロリダに向かうクルーズ船から海に突き落とす場面からはじまる。チャズは金儲けのためにだけに博士号を取った男なので、海流の動きさえ知らない。へびを車で平気でひき殺し、リサイクル運動などにもまるで興味がなくごみの分別などする気もない。チャズに船上から突き落とされたジョーイは大学時代に水泳チームのキャプテンだったくらい泳ぎは得意だったが、岸に着く前に力つきてしまいそうになる。それを救ったのがミック・ストラナハンというフロリダの島にひとりで暮らす男だった。ストラナハンはジョーイに警察にいくことを勧めるが、チャズが犯行を否定し裁判となったら嘘の上手いチャズに勝つ自信のないジョーイは、自ら夫に復讐をすること決める。そして、その復讐にストラナハンも協力することにする。

 この物語は、いかにしてふたりがチャズにお灸をすえていくか、チャズがジョーイを殺そうとした理由はなにかが中心となっている。フロリダが抱える環境問題もからんで、物語は多くの人々を巻き込んでいく。

 この作品の爽快感は構成から生まれていると思う。出だしの事件が起こる部分を除いて、主人公や主人公の友人たちが命の危機に直面することはなく、文章にもその気配さえ感じられない。読者は安心して、主人公が相手を追いつめていくコミカルな過程を眺めていればよく、そこが爽やかさのもととなっている。

 また、登場人物たちに対する著者の温かい、しかし皮肉が利いた視線が感じられ、それもこの作品が爽やかな読後感を与えてくれるもうひとつ理由となっている。温かくしかも一方では、皮肉の利いた著者の視線は、主人公に追いつめられる悪役に対しても向けられていて、最後までコミカルな雰囲気が漂う作品となっている。

 『Skinny Dip』の文章は洒落ていて『ニューヨーク・タイムズ』紙はこんな作品を書ける才能のある人間は、ウッディ・アレンなどほんの数人だと評している。サンバのテンポを持つ小説や、トロピカル・ドリンクの爽快感がある作品を読みたい人にお勧めだ。


→bookwebで購入

2009年12月27日

『The Help』Kathryn Stockett(G.P. Putnam’s Sons)

The Help →bookwebで購入

「60年代南部での白人と黒人の絆を描いた作品」


 アメリカ国内でもボストンで大学時代を過ごし、ニューヨークで多くの時間を過ごした私にとって、アメリカ南部は「もうひとつのアメリカ」と言っていいほどの文化的距離感がある。

 しかし、文学的にみるとアメリカ南部は優れた作家の宝庫だ。ウィリアム・フォークナー、バリー・ハナ、リチャード・フォード、そして私の好きなダン・ブラウン。人気作家ジョン・グリシャムも南部出身の作家だ。

 南部の州のなかでもミシシッピ州は、泊まりがけで作家や編集者それに本屋の店主にインタビューをした土地だ。

 その時の空気の重さ、熱さ、そして町の匂いをいまでも憶えている。

 今回読んだのは、そのミシシッピ州ジャクソンを舞台とした小説「The Help」だ。時代は60年代初頭。60年代初頭というと、サンフランシスコやニューヨークではフラワー・パワーが台頭した時代だが、南部のこの街ではいまだ保守的な価値観が主流となっている。

 物語は20代前半の白人女性スキーターと黒人のメイド、アイビリーンとミニーの語りで語られていく。

 スキーターは作家になりたいという夢を持ち、ニューヨークの大手出版社に連絡を取る。彼女の就職の希望はもちろん断られるが、誰も書かない問題を書けという助言を受ける。

 この返事をきっかけにスキーターは、白人家庭でメイドとして働く黒人女性たちがどういう気持で毎日を過ごしているかを聞き取り原稿にしようと決心する。彼女がこの決心をした理由のひとつは、幼い自分を育ててくれ、ある日突然彼女の前から姿を消した黒人メイド、コンスタンティンの存在があった。コンスタンティンは何故突然いなくなってしまったのか、またいかなる気持で自分を育ててくれていたのか、スキーターの心に解決できない謎が残っていた。

 一方、スキーターの既婚白人女友達たちのグループは、衛生のためと称して黒人メイドは彼女たち家のなかでも黒人専用トイレを使わなくてはならないという規則を提案する。

 そして、スキーターの原稿を手助けしてくれるのが、アイビリーンとミニーだ。もし、3人の関係が地元の白人に知れたら3人の生命さえ危うくなる。

 白人家族と黒人メイドの間は、憎悪と愛情の微妙な関係が存在している。その感情を描くことによって、人種を越えた人間としての普遍的な感情を表すことに成功している優れた小説といえる。ニューヨーク・タイムズ紙ベストセラー・リストにも長期間入っている注目の作品だ。


→bookwebで購入

2009年11月17日

『The Lost Symbol』Dan Brown(Doubleday)

The Lost Symbol →bookwebで購入

「疾走感溢れるダン・ブラウンの新作」

 「フリーメイソン、見えない大学、保安局、SMSC、そして純粋理性研究所を含むこの小説に登場するすべての組織は存在する。この小説で描かれるすべての儀式、科学、芸術作品、そして記念建造物は現実のものである)」
 2003年に出版された『The Da Vinci Code』の大ベストセラーから6年ぶりとなるダン・ブラウンの新刊は、物語が始まる前にこのように記されたページがある。

 ダン・ブラウンは前作で、記号、歴史、芸術、宗教、秘密結社の事象を組み合わせ、エンターテインメント性の高い読み応えのあるスリラーを作り上げた。

 6年を経た今回の新作の主人公も、前作同様ハーバード大学の宗教象徴学教授ロバート・ラングドン。つまりこれは、ラングドンを主人公とした『Angeles & Demons』、『The Da Vinci Code』に続く3作目となる。

 前作はキリストの聖杯の秘密をめぐっての作品だったが、今回はフリーメイソンが守る古代の謎が登場する。舞台はアメリカのワシントンD・Cだ。アメリカ建国に関わった多くの人々がフリーメイソンのメンバーだったことは周知の事実だろう。

 物語は、ラングドンが彼の助言者であるピーター・ソロモンの助手からのメッセージを受け、アメリカ合衆国国会議事堂内にある国立彫刻ホールでの講演をおこなう決心をするところから始まる。ピーターはフリーメイソンの重要メンバーでもある。

 急な依頼だったため、ラングドンはピーターが用意したプライベートジェットを使いボストンからワシントンD・Cに向かう。しかし、その日、講演などは予定されておらず、国会議事堂で彼の見たものは、切断されたピーターの手首だった。

 その手首の形と指に彫られた刺青は、古代の謎への招待を表していた。それは、ピーターの助手になりすました犯人からのメッセージであり、ラングドンは捕らえられたピーターを救い出すため古代の謎のありかを探そうと決心する。

 事件現場にはすでに、CIA保安局の局長である日系アメリカ人イノウエ・サトーが駆けつけていた(日本人としてはイノウエ・サトーという名前に違和感を憶えるが、これもある効果を狙っての名前つけ方となっている)。

 人類の歴史を変える力を持つといわれる古代の謎とは。何故サトーがすでに事件現場にいたのか。CIAの介入はアメリカ政府内部の動きを示唆するものなのか。ピーターを誘拐した者の狙いはなにか。ピーターはまだ生きているのか。

 謎が謎を呼び、ピーターの妹で人の意識と時間と空間の関係の研究をしているキャサリンも巻き込み、物語は展開していく。

 前作に劣らず、新作も疾走感溢れる優れたエンターテインメント作品だった。


→bookwebで購入

2009年10月19日

『St. Lucy’s Home for Girls Raised by Wolves』Karen Russell(Random House)

St. Lucy’s Home for Girls Raised by Wolves →bookwebで購入

「アメリカ・コンテポラリー文学の流れのなかの一冊」


 この本はアメリカ文学界に登場した新鋭作家カレン・ラッセルのデビュー短編集。彼女は『ニューヨーカー』誌の「25歳以下の注目すべき25人」のひとりに選ばれ一躍注目を浴びるようになった。

 この作品を読むといまのアメリカ文学(特に短編作品)のひとつの流れが読み取れる。流行という言葉は軽すぎるかも知れないが、この10年間程度で特に人気が出てきた文学の流れだ。その流れを一言でいうなら「フェイブリズム」、つまり寓話的な文学だ。

 ジョージ・サウンダースを筆頭とするこの部類の作家たちは、例えば80年代にカヴァーたちが華やかに見せてくれた日常生活の中での「リアリズム」(ジョンは52歳。今朝、妻のアリスと喧嘩をしてしまい、バーのカウンターに座り酒の入ったグラスを片手に離婚のことを考えている、というような書き方)を意識的に避けている。

 ラッセルの物語の設定は現実から離れているが、描かれる人物には真の感情が読み取れる。表題作の『St. Lucy’s Home for Girls Raised by Wolves』はオオカミ人間を両親に持つ娘たちが、修道女たちの手によって人間社会の決まりを教え込まれる物語だ。その過程は子供の世界から大人の世界への脱皮のメタファーとも取れるが、文化間の衝突の話とも取れ、アメリカという異国で長く暮らす私にとって興味深い物語だった。

 『Haunting Olivia』では、船の墓場で魔法の水中メガネを使ってふたりの兄弟が、海上で行方不明になってしまった妹を探す物語だ。また、ミノタウロス(牛頭人身の怪物)を父に持つ少年の話も出てくる。

 「僕の父、ミノタウロスはどの男より頑固だ。そう、農場を売って四千ポンドもある幌馬車を自分で引っ張って西部に向かうと決めたのは彼だった」

 ラッセルの作品の中では特に子供が重要な役割を果たす。彼らの周りには危険な大人、怪物、生活の中にいない親、もののけなどが徘徊している。主人公たちにはそれらの存在を素直に受けいれてしまう純真さと危うさがつきまとう。そうしてある者は、永遠にもとには戻れない一歩を踏み出す。

 寓話的な小説を書く作家のなかでもラッセルの作品はブラックユーモアを押し出すものでなく、ノスタルジックで、しっとりとした余韻を残すものが多いようだ。そして、作品には『人工雪パレスと雪女』 『混乱したドリーマーたち向けのZZの寝続けキャンプ』など意表を突くタイトルがつけられている。

 若くして高い評価を受けたラッセルの短編集。アメリカ・コンテンポラリー文学の流れの中にある作品だ。


→bookwebで購入

2009年08月30日

『Days of Atonement』Michael Gregorio(Griffin)

Days of Atonement →bookwebで購入

「厳冬のプロイセンを舞台にした歴史ミステリー」

 2年ほど前、取材のためニューヨークにある注文で本の革装丁をやる店を訪れた。映画監督のマーチン・スコセッシからソビエト連邦最後の政治指導者だったゴルバチョフまでがこの店に本の革装丁を頼んだという。
 僕はその店の地下でおこなわれていた装丁作業を見せてもらった。狭い作業所には革の表紙に模様をつける工具がところ狭しと並べらていて、古いもので18世紀頃のものもあった。

 その中に蜂の紋章をつける工具があり、そこの店主に蜂の紋章はナポレオンが個人的に好んで使っていたものだと教わった。

 店主によれば、労働を惜しまない蜂と自分の姿を重ね合わせたのだという。ナポレンはルイジアナをアメリカに売却した人物でもあるので、アメリカに住む僕には少し親しみを憶える人物だ。

 今回読んだ本は、そのナポレオンが絶頂の時期を迎えていた頃のヨーロッパを舞台にした物語だった。

 舞台となるのは1807年のプロイセン。1806年10月の「イエナの戦い」でフランスに敗北したプロイセンはフランスの占領下に置かれている。主人公で、哲学者カントから犯罪捜査を学んだ判事ハノ・シュティフェニースは、ある晩餐会でフランス軍大佐ラヴェドリンと犯罪捜査方法について議論を戦わす。

 数日後、子供3人が殺害され母親が行方不明になる事件が起こり、ラヴェドリンはシュティフェニースとの共同捜査を提案する。

 殺害された子供の父親が兵士として反仏運動の拠点地域にいるため、その地域へのフランス軍からの捜査を阻止するためにシュティフェニースは共同捜査に同意する。

 これが大きな設定となり、この歴史スリラーは進んで行く。

 シュティフェニースは単身父親の行方を捜査し、殺人事件の前にすでに父親が死んでいたことをつきとめる。不自然な死に方で、3人の子供と母親が行方不明となった事件の鍵は父親が死んだこの地にあると彼は確信する。

 一方、ラヴェドリンは事件のあった家に事件を解く鍵が隠されているとし、家を捜査の中心に置く。地元の人々は事件はユダヤ人の仕業だと騒ぎ出す。

 時にはカントの犯罪捜査手法を手助けにふたりは事件を解決しようと試みる。

 厳冬のプロイセンを舞台に二転三転する謎解きは最後まで緊張の糸が切れない物語だった。



→bookwebで購入

2009年07月29日

『The power of the dog』Don Winslow(Vintage Books)

The power of the dog →bookwebで購入

「荒々しい疾走感が味わえる作品」


 ロサンゼルスに住んでいた頃、車を飛ばしてサンディエゴを抜けアメリカの国境を越えメキシコのティワナまで行った。

 アメリカの永住権をもっていた僕は、アメリカを出てメキシコに行って、そのあと何の手続きもなくアメリカに戻ってくることができた。

 ティワナはワイルドな街で、週末は明け方までクラブやバーが賑わい、どこか無法地帯の雰囲気があった。物事が素早く決まり、状況があっと言う間に変化する街でもあった。僕はアメリカでは味わえない、スリルとちょっとした緊張を求めてたびたびティワナを訪れたものだ。

 もうティワナのようなワイルドな場所を訪れても昔のようなスリルを感じることはない。まだ若かった僕には興奮を呼び起こす街だった。

 今回読んだドン・ウィンズロウの『The Power of The Dog』はそんな荒々しいスリルと緊張感をたっぷり味わえる作品だった。

 物語は1970年代のメキシコから始まる。主人公のひとりアート・ケラーは、型にはまらず時として規則違反も顧みないアメリカ麻薬取締局(DEA)のエージェントだ。彼は麻薬売人エイダン・バレラを通じて彼のおじでメキシコの中央政府警察官のミゲルと知り合う。

 アートはミゲルの力を借りてDEAが追っていた麻薬カルテルの親玉であるドン・ペドロを追いつめる。しかし、これはミゲルの策略であり、ミゲルはドン・ペドロを殺害し、自分がカルテルのボスになる。ミゲルはメキシコをテキサス/アリゾナ地区、ルイジアナ/フロリダ地区、ティワナ/サンディエゴ地区に分け各地区を統括する手下を置く。

 一方、ニューヨークでは、チンピラからのし上がったカランたちがヘルズ・キッチン地区をマフィアから与えられ、マフィアのボスには秘密で麻薬を扱うために南カリフォルニアへ向かう。

 その、南カリフォルニアでは魅力的なノラが高級コールガールに身を転じようとしていた。

 物語はアート、エイダン、ミゲル、カラン、ノラたちの人生が複雑に交差する。舞台はマンハッタン、ティワナ、エルサルバドル、ホンジュラス、ワシントンなど目まぐるしく変化し、メキシコ政府、アメリカ政府を巻き込んだ複雑な展開を見せる。イラン・コントラ事件やメキシコの大地震、アメリカでのクラック・コカインの大流行などの史実も盛り込まれ90年代まで物語は続く。

 裏切りと暴力とセックス、それにロマンスや人情劇もある荒々しく疾走感に満ちた物語だった。


→bookwebで購入

2009年06月29日

『Anansi Boys』Neil Gaiman(Harper Torch )

Anansi Boys →bookwebで購入

「西アフリカの民話を織り込んだニール・ゲイマンの作品」


 幻想小説作家として確たる地位を築いた感のあるニール・ゲイマン。今回紹介するゲイマンの『Anansi Boys』は幻想小説という枠に入れることは難しい。

 この作品はもちろん幻想的であるが、スリラーでもあり、ロマンチックコメディでもあり、一家族のストーリーでもあるといえる。その上、主人公が自分の精神的成長に目覚める、いわゆる「カミング・オブ・エイジ」の物語でもある。

 物語はロンドンに暮らすファット・チャーリーが、結婚式に父を招くためフロリダに出かけるところから始まる。彼はフロリダで父が死んでしまったことを知らされる。

 しかし、彼が知るのは父が死んでしまったことだけではない。死んだ父は実は神だったのだ。父は蜘蛛の姿の神アナンシであり、ファット・チャーリーも神の血を受継ぐ子孫のひとりだった。

 最初は物語の展開のとっぴさに驚くが、独特の語り調と、ユーモアの冴える文章にいつしか著者の世界に引き込まれていく。

 ファット・チャーリーは一度ロンドンに戻るが、彼のもとにいままでその存在さえ知らなかった兄弟スパイダーがやってくる。父の持つ能力やいたずら好きな性格を受けついだスパイダーが現れたことでファット・チャーリーの生活は一変する。

 スパイダーはファット・チャーリーの婚約者と仲良くなり、ファット・チャーリーは横領の疑いで警察から追われる身になる。

(「スパイダーとはそんなに悪いの」とヒグラーさんは聞いた。「こう言えばいいかな」とファット・チャーリーは答える。「僕が思うに彼は僕の婚約者と寝ている。僕でさえもそんなことをしたことがない」)

 再びフロリダに戻ったファット・チャーリーは神の世界に入り込み、スパイダーを追い返すために、鳥の神の助けを求める。鳥の神が現れたことにより、物語は暗さを増し、ミステリー、ファンタジーの色彩が強くなる。

 また、一方でこの物語は、ファット・チャーリーの自分探しのストーリーでもある。ファット・チャーリーの魔法の旅は、自分のなかにある強さの発見や、本当に愛する人との出会いに繋がっていく。

 タイトルになっているアナンシとは、西アフリカで伝承される民話に登場する神のひとり。蜘蛛の形または人間の姿で登場する。

 古くから伝わる民話をテーマとし、ロンドン、フロリダ、そしてカリブの島が舞台となった物語は娯楽性の高い作品だった。


→bookwebで購入

2009年05月13日

『One Fifth Avenue』Candace Bushnell(Voice )

One Fifth Avenue →bookwebで購入

「ニューヨーク、ダウンタウンの住人たち」


 「セックス・アンド・シティ」の著者としてすっかり名をあげたキャンディス・ブシュネル。彼女の最新作はな〜んと『One Fifth Avenue』。何故「な〜んと」かというと、本のタイトルとなっている5番街1番地は、僕のアパートから5分のところにあるビルなのだ。お向かいの5番街2番地には、元ニューヨーク市長のエド・コッチが住んでいる。

 ニューヨークの金持ちエリアといえば、セントラルパークの東側、アッパーイーストサイドだが、僕の住むダウンタウンもまんざらではない。ワシントン・スクエアーの北側から5番街が始まり、その南が僕のアパートがあるグリニッチ・ビレッジ。そのまた南がソーホー、そしてトライベッカと続く。オールドマネーといわれるいわゆる代々お金持ちの名家は少ないが、創造的な仕事をする人たちが数多くいる。

 話は少しそれるが、僕は週日の朝、息子をスクールバスのくる交差点まで連れて行く。その交差点につくまでに、キックスクーターに乗るふたりの兄弟と毎朝すれ違う。弟の方は母親とキックスクーターの二人乗りをしている。僕と息子は彼らをスケーティグ・ブラザーズと呼び始めた。

 ある日、スケーティング・ブラザーズが母親とでなく父親と一緒に学校に向かっていた。その父親が作曲家フィリップ・グラスだった。それから、時々朝にフィリップ・グラスとすれちがうようになった。父親フィリップ・グラスと通うときは、兄はスクーター、弟は歩きかフィリップ・グラスの肩車に収まっている。これはきっと、フィリップ・グラスがスクーターに乗るのを拒んでいるせいだと思う。子供用のキックスクーターに乗るフリップ・グラスというのも、自転車に乗るアインシュタイン風のほのぼのとした感があると思うのだが、それは僕の勝手な思いだろう。

 こう書いてしまえば有名人と出会うことなどなんていうことないようだが、いまでも実際に子供を肩車したフィリップ・グラスとすれちがうのは、どこかうれしいし、ダウンタウンに住んでいる面白さだと感じている。

 フィリップ・グラスの子供が通う学校は僕のアパートの隣にあり、そこは妻によるとデヴィッド・ボウイの子供も通っているという。

 このゴシップを僕に教えてくれたとき、「本当の話、デヴィッド・ボウイの子供って知っていて依怙贔屓しないのは、先生としてむずかしいんじゃない」と妻は夢見るように言ったもんだ。

 キャンディス・ブシュネルの本の話に戻るが、物語は5番街1番地に住むニューヨークきってのオールドマネー、ルイーズ・ホートンが死亡する話から始まる。彼女が住んでいた超豪華な部屋に誰が住むのか、住人たちの関心が集まる。

 登場するのは、コラムニストとしては盛りを過ぎたがまだ社会的にパワフルなエニド・マール。彼女の甥でピューリッツア賞を取った作家フィリップ・オークランド。フィリップは最近テレビの脚本などをやり、いつか再びましな仕事がしたいと思っているが出来ずにいる。

 そしてこのビル理事会の会長ミンディ・グーチとその夫のジェームス・グーチ。ジェームスは文学系作家で以前出版した本は数千部が売れただけだった。ミンディとエニドは歴史的な敵対関係にある。

 そこに現れるのが、ホートンの住んでいた部屋を2000万ドルで買ったポール・ライスと彼の妻アンナリサ・ライス。ポールは数学者でヘッジファンドのパートナーとなっている。初めは仲がよかったポールとミンディはしだいに関係がこじれ「戦争」状態に突入する。ミンディは以前からの戦いの矛を収めエニドと共同戦線をはる画策をする。

 一方、フィリップは22歳のローラを個人的「リサーチャー」として雇うが、すぐに一緒にベッドと共にする仲になってしまう。ローラは、フィリップのアパートと妻の地位を狙う。

 そんな中フィリップの昔のガールフレンドで女優のシーファー・ダイアモンドがテレビの仕事のためにハリウッドから5番街1番地に戻ってくる。

 そしてローラはウェブサイトのブロガー、サイヤー・コアと知り合う。第2のスコット・フィッツジェラルドを目指すサイヤーはローラからの情報を使い、暴露ストーリーをブログに書き始める。

 そして、作家としてやっと成功しそうなジェームス(憶えていますか?ミンディの夫です)がローラを欲するようになる。

 これだけでも十分だが、5番街1番に住む住人たちをとりまく出版社社長、ヘッジファンド社長、身に付いた洗練さを武器に彼らに助言を与える役どころの男性などが登場し、物語を作っていく。

 これらの登場人物たちが、様々な人生劇を展開し、ニューヨークに住む楽しさ、悲しさ、滑稽さ、華々しさ、醜さをみせてくれる。

 スリルとサスペンスではなく、状況の複雑さと心の動きを描き出すブシュネルの最新作は
大人向けエンターテインメント作品だ。




→bookwebで購入

2009年04月29日

『The Book of Fate』Brad Meltzer(Grand Central Pub.)

The Book of Fate →bookwebで購入

「大仕掛けのスリラーを読む醍醐味が味わえる作品」


 面白いスリラーというのは、一度読み始めたらなかなか本を離すことができない。今回読んだのはブラッド・メルツアーの『The Book of Fate』。

 ペーパーバックとはいえ600ページある作品なので、読み応えがある。

 本を片手にベッドからカウチ、床にも寝転がり読み続ける。ペーパーバックのなかでもマスマーケット版と呼ばれる小振りの本なので、仰向けになりながら読んでも手が疲れることはない。しかし、文字が小さいので目が疲れる。

 いい加減なところで辞めようと思うのだが、物語の早い展開と繰り出される謎の数々で気持が高ぶり、次の章まで、いやもうひとつ先の章までと読み続けることになる。

 物語の方とはいうと、主人公はアメリカ大統領の元補佐官ウェス・ホロウェイ。

 8年前、当時大統領だったレランド・マニング一行はカーレース場で暗殺事件に逢い次席補佐官であるボイルが死亡。ウェスも跳弾を受け、片方の頬が動かなくなる傷を負う。

 ウェスは、2期目の選挙で敗退したマニングのもとで以前と同じように彼の身の回りの世話をする役目を務めていた。マレーシアでスピーチをするマニングに同行したウェスは、そこで死んだはずのボイルと遭遇する。

 何故ボイルが生きているのか。ボイルが生きていることをマニングは知っているのか。あの暗殺はマニング自身が仕掛けたものなのか。もしそうだとしたら、マニングは10年近く忠誠を誓ってきた自分を裏切っていたことになる。何故、マニングは暗殺劇まで使ってボイルを死人に仕立て上げる必要があったのだろうか。

 事件はここから急展開をみせ、CIA,FBI,シークレットサービスを巻き込み、フリーメーソンの歴史、第3代大統領トマス・ジェファーソンが用いた暗号など次々と謎が深まっていく。

 登場人物もゴシップ・コラムニストのリスベス、アメリカ政府に情報を売る謎の人物ザ・ローマン、その後ろにいるといわれるザ・スリー、 精神を病んだスナイパーなど多彩だ。

 大仕掛けのスリラーを読む醍醐味を満喫できる作品だ。



→bookwebで購入

2009年04月21日

『Handle With Care』Jodi Picoult(Atria Books)

Handle With Care →bookwebで購入

「家族の愛の形を考えさせられる作品」


 僕の通ったマサチューセッツ州の大学では、2年生から3年生にあがるとき論文ライティングの技能試験があった。大きな講堂に集まり、渡された命題と資料をもとに論文を仕上げるというもので、回答時間は確か2時間だった。

 その試験の命題は決まってモラル的に選択が難しいもので、資料の方は新聞記事や誰かの論文だったりした。命題は例えば、死刑を存在さすべきか廃止すべきか、延命措置の解除はいかなる状況で正当となるかなどだった。

 今回読んだニューヨーク・タイムズ紙ベストセラーリスト第1位となった『Handle With Care』もそんなモラル的選択の難しさを読者につきつける作品だった。

 物語の中心となるのはオキーフ一家。家族構成は、警察官のショーン、以前はケーキ職人をしていたがいまは専業主婦のシャーロット、長女のアメリア、そして次女のウィローの4人だ。

 この家族の抱える問題は、次女のウィローが先天性の骨粗しょう症で、生まれる以前にすでに7カ所の骨折があったことだ。

 「最初の7カ所はまだあなたが産まれる前、次の4つは産まれてから数分のうち。そしてその病院で蘇生中にまた9カ所」。この文章に心が痛んだ。

 その後もシャーロットの骨折は続き、寝返りを打つだけでも骨折する彼女は、5歳までにすでに大腿骨を含む30回を超える骨折を経験する。

 物語が始まってすぐに家族はフロリダ州のディズニーランドに出かける。楽しみにしていたバケーションだったが、ウィローが床に落ちていたナプキンに足を滑らせ骨折してしまう。病院に運ばれ、X線で多くの骨折の形跡を発見した医者は幼児虐待の疑いがあると警官に連絡し、その結果シャーロットとショーンは逮捕され、アメリアは養護施設に送られる。

 ウィローを看ている掛かり付けの医師と翌日に連絡が取れ、家族は再び一緒になるが、怒りが収まらないショーンはフロリダ警察を訴えようと弁護士のところにいく。

 この弁護士との話し合いが物語の大きな転機となる。弁護士は出産を担当した産科医を訴える道があることを示す。しかし担当産科医は家族同士のつきあいがある女性であり、その上訴訟となった場合はウィローの病気を事前に知っていたらウィローを中絶したはずだと証言しなければならない。

 だが勝訴すればその多額のお金を使ってウィローの将来を安定させることができる。家族はすでに経済的に苦しく、いつか彼女を支えきれなくなることは目に見えている。

 ウィローが産まれてこなかった方がよかったと証言するか、彼女の将来に不安を残したままの生活を続けるかの選択を迫られた家族は大きくきしみ始める。
 
 裁判は母親が原告側、父親が弁護側に別れ争われ離婚の危機さえ向かえる。長女は自傷行為に走り、家族は崩壊の一歩手前まで追いつめられる。

 家族の愛とは何か、なにが正しい道なのかを考えさせられる作品だった。



→bookwebで購入

2009年03月31日

『Mistress Shakespeare』Karen Harper(Putnam )

Mistress Shakespeare →bookwebで購入

「シェークスピアの恋」

 いまから10年ほど前の99年に「恋におちたシェークスピア」という映画があった。この映画は作品賞、主演女優賞、助演女優賞、脚本賞など多くの賞を受賞して脚光を浴びた。
 僕はずっとこの映画を観ていなくて最近になってやっとDVDを借りて観た。ストーリーも面白かったが、1500年代の終わり頃のロンドンの街の様子が再現されていて、心が踊った。

 作る側も歴史考証などを重ね、セットを組んでいくのはきっと楽しい作業だったに違いない。

 映画を観た2週間後に読んだのが「Mistress Shakespeare」だった。新刊書籍として紹介されていて、ニューヨーク・タイムズ紙のブックレビューでも記事が載っていたので、近くのバーンズ・アンド・ノーブルまで行って買ってきた。

 イギリスに残る公文書によると1582年11月の終わり、シェークスピアはテンプル・グラフトンのアン・ワッタリーという女性と結婚をしている。しかし、そのすぐ後に彼はショッタリー出身のアン・ハサウェイという女性と結婚したという記録がある。

 ハサウェイは26歳、シェークスピアは18歳。そしてこの時ハサウェイはすでに妊娠3カ月目を迎えていた。

 この史実をどう見るかは専門家でも意見が分かれるところらしい。

 一つ目の解釈は実際にテンプル・グラフトンに違う「Wm Shaxpere(公文書はラテン語)」なる人物がいて、その人物がアン・ワッタリーという女性と結婚した。

 つぎは、ふたりのアンは同一人物で記録者の単なる書き間違い。そして、3番目がシェークスピアはふたりの異なる女性と結婚をしていたというもの。

 作家ウィリアム・シェークスピアの妻はアン・ハサウェイなので、このアン・ワッタリーという女性がどういう女性なのかが問題となってくる。当時のロンドンの事情は分からないが、18歳の青年が26歳の女性と結婚するというのは普通ではない気がする。妊娠3カ月ということであれば、よけいそのいきさつを勘ぐりたくなってしまう。

 「Mistress Shakespeare」もこの3番目の仮説をもとに書かれた作品で、歴史小説仕立てになっている。

 主人公は問題のアン・ワッタリー。彼女はシェークスピアと同じ年に生まれた幼馴染であり、恋人でもあるという設定だ。家族同士の仲がよくないふたりは家には内緒で結婚をしてしまう。

 しかし、そのすぐあとシェークスピアは8歳も年上のハサウェイから妊娠を知らされる。周囲からの圧力もありハサウェイと結婚をする。そうして、秘密裏に行われたワッタリーとの結婚は、誰にも知らされないままだ。

 しかし、シュエークスピアの心は揺れる。シェークスピアはワッタリーに、自分は誘惑されてしまったが、心は常に彼女のものだと手紙で訴える。

 「ハサウェイ嬢が私の子供を身ごもっているとは知らなかった。たわむれの恋の時期はあったが、お互いに合うことはないと感じ彼女との仲に終わりを告げて君のもとに来たんだ、愛しい人よ」

 しかし、社会的に受け入れられるのはシェークスピアとハサウェイとの結婚だ。傷心のワッタリーはロンドンに行くが、やはりシェークスピアのことが忘れられない。そしてある日、ロンドンで俳優として舞台に立つシェークスピアを見つける。

 エリザベス1世時代のロンドンの様子や当時の演劇の世界も瑞々しく描かれており、別世界に誘ってくれる作品となっている。



→bookwebで購入

2008年12月16日

『American Wife』Curtis Sittenfeld(Random House)

American Wife →bookwebで購入

「結婚に幸せを見いだせない女性の物語」


 人は自分の人生を悲観的にみたり、楽観的に感じたりするが、それはその人が送ってきた人生のありかたによるのだろうか。

 よい人生が送れれば、物事を楽観的にみられるのだろうか。また、それまでの人生が不満足なものなら悲観的なものの見方をするものなのだろうか。

 今回紹介する小説『American Wife』を読み終わって、僕はそんなことを考えた。

 『American Wife』は、ニューヨーク・タイムズ紙が2005年に年間ベストブックの1冊に選んだ『Prep』の著者カーティス・シテンフェルドが今年の9月に発表した新作だ。今回の新刊もニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーリストの上位に入った。

 カーティス・シテンフェルドは何故かメディア受けする作家のようで、この間も「タイム」誌に登場していた。

 主人公はウィスコンシン州で1940年代に生まれたアリス。彼女は高校の時に自分の過失による交通事故を起こし、交際を始めたばかりのアンドリューを失ってしまう。

 彼女は、自分に罰をあたえるように、結婚するまで守ろうと心に決めていた貞操を残酷な方法で捨てる。その後、図書館員となったアリスは、チャーリー・ブラックウェルという、名門家庭の青年と出会う。チャーリーは粗野で、アリスと共通点はない。チャーリーはこれから政治の世界に打って出ようとするところで、アリスとは政治思想も違う。

 しかし、アリスはチャーリーのバッドボーイ的な性格に惹かれ、出会って半年で結婚を決めてしまう。そして、チャーリーは数年後にアメリカ大統領に就任する。

 この物語は、アメリカ大統領であるジョージ・W・ブッシュと妻のローラ・ブッシュの人生を下敷きにしている。物語のなかには、ブッシュの政治参謀役であったカール・ローヴ、ブッシュ政権の黒幕的存在だったディック・チェイニー、イラク戦争反対を唱えたシンディ・シーハンと思われる人物たちが登場する。

 物語の鍵となる事件の多くが、実際にジョージやローラに起こったことだが、この小説は政治風刺小説ではない。これは、自分では望まなかった特権や影響力を持ってしまった女性のとまどいや、過去の自分の行為に対する呵責の念を描いた作品だ。

 そしてなにより、自分とは根本的に異なる人間である男と結婚をした女性の人生を描いた作品である。

 アリスは自分の結婚に対して、こう結論を下す。

 「 私は違った人生を生きることができたけれども、この人生を生きている。ほとんどの結婚には裏切りがあるだろうと思う。私たちの結婚のゴールは、パートナーシップの力よりも大きな力を持つ裏切りを持ち込まないことだろう」

 これはかなり悲観的な人生観だが、多くの人に共通する感覚だと思う。




→bookwebで購入

2008年11月16日

『Afgan』Frederick Forsyth(Penguin USA)

Afgan →bookwebで購入

「いつもながら読み応えのあるフレデリック・フォーサイスのスリラー」


   フレデリック・フォーサイスの作品はいつも出だしからスリルいっぱいの早い展開で読者をぐいぐいと引き込んでいくのだが、今回の作品は史実にもとづく物語が前半部分にあったので、その部分は展開が分かっていたので少し心に余裕を持って読み出すことができた。

 物語は、携帯電話の逆探知で追いつめられ射殺されたアルカイダ重要メンバーが持っていたコンピュータを解析すると、大規模テロが計画されていると予想されるところから始まる。

 重要な情報を掴んだCIAと英国の特殊部隊SASだが、そのテロがどこで、どんな形で、そしていつ実行されるのか分からない。

 CIAとSASはアルカイダ内部に諜報員を送り潜入捜査をすることを決める。しかし、テロの計画を知るアルカダトップと接触するのは難しい。

  諜報員として選ばれたのが英国軍人のマイクだった。彼は小さい頃バグダッドで過ごし、祖母がインド人だったため、肌も浅黒く髪も黒い。

 しかし、 部族や出生家族が重要とされるアラブ組織のなかに潜入させるためには彼がイギリス人であることを知らせてはならない。そこで、マイクはアメリカがテロリストを収容しているグアンタナモ基地に勾留されているアフガニスタン人イズマットになりすましスパイ活動をおこなうことになる。

 イズマットが育ったアフガニスタンの地域ではパシュトゥン語か使われていたので、マイクがおかしなアラビア語を使っても怪しまれないし、それにアルカイダ内部で彼を知る者も少ない。しかし、マイクの正体がばれる可能性は高く、もし正体がばれればマイクの命はない。

 「 教育をあまり受けてない者が話すパシュトゥン訛りの下手なアラビア語を使えるか」とマイクの上司は聞く。
「多分使える。しかし、ターバン頭の奴らが、本当にこの男の素性をよく知っているアフガニスタン人を連れてきたら、どうなる」とマイクは聞く。

 上司は沈黙をもってマイクに応える。

 こうしてマイクのアフガニスタンでの諜報活動が始まる。

 300ページある物語のうちの半分ほどは、旧ソ連のアフガニスタン侵略、その後のタリバンの台頭、9・11連続多発テロとアメリカのアフガン攻撃の様子が語られる。

 何故、アフガニスタンが今のような状況にあるのかを知ることができ、そのうえ上質なスリラーの醍醐味を味わえる作品だ。



→bookwebで購入

2008年07月16日

『Blood and Champagne : The Life and Times of Robert Capa』 Alex Kershaw (Da Capo Press)

Blood and Champagne : The Life and Times of Robert Capa →bookwebで購入

「架空の写真家だったロバート・キャパ」

いま僕はコンピューターの画面に向かい、スクリーンに映っている一枚の写真を見ている。

「The Falling Soldier」というタイトルがつけられたその写真は、ひとりの兵士が頭を撃ち抜かれ、仰向けに倒れ込む、まさにその瞬間を捕えたものだ。撮影したのはロバート・キャパ。スペイン内乱、世界第二次大戦など戦場の様子を伝えたフォトジャーナリストとして世界的に名を知られた写真家だ。「The Falling Soldier」はキャパを有名にさせた彼の初期の作品だ。

 彼が生まれたのは一九一三年十月。しかし、不思議なことに一九三〇年代の半ば頃までロバート・キャパという人間は世界中のどこにも存在していなかった。

 僕がキャパの名前の秘密を知ったのは、今回紹介するロバート・キャパの伝記『Blood and Champagne』からだった。キャパの本名はアンドレ・フリードマン。ハンガリー出身のユダヤ系。フリードマンは最初キャパに雇われている助手というふれこみだった。

 話は少しややっこしい。

 キャパは、当時パリに住んでいたフリードマンと彼のガールフレンドが作り出した想像のカメラマンだった。彼らが作り出したキャパという人物像は「有名なアメリカの写真家で、大変な金持ち、たまたまヨーロッパに来ている」「凄い写真を撮るが金に困っていないので写真の値段は高い」というものだった。

 ナチスから逃れ国を出て、まだ名前もないフリードマンにはカメラマンとしての仕事が少なく、もしあったとしても写真を高く売ることができない。それならばと考えだされたのが架空の写真家ロバート・キャパだった。売り込みはうまくゆき、フリードマン/キャパの撮った写真は通常料金の三倍から五倍で売ることができ、仕事の依頼もきた。キャパの名前が売れてくると、フリードマンは自分の名前を捨て、そのままキャパと名のるようになった。架空の写真家のほうに実在する人間が吸い取られた形だ。

 この本は、作家ヘミングウエイやスタインベック、映画監督ジョン・ヒューストンとの交友、また女優イングリッド・バーグマンとの恋、それにフォトエージェンシー「マグナム」の設立など、人生を情熱的に生きたキャパの生涯を追っている。

 写真家として常に戦争を追いかけ、ギャンブルにのめり込み、女性が好きだったキャパ。一方では、先ほどの「The Falling Soldier」が実は兵士に頼んでポーズを取ってもらったもの、いわゆる「やらせ」写真ではないかという議論がいまも続いている。

 キャパは一九五四年、まだアメリカ軍が介入する前のベトナムに赴き、地雷を踏んで死んでしまう。四〇歳という若さだった。フォトジャーナリズムの世界に衝撃を与え続けたキャパの魅力溢れる人柄と人生を、緻密な調査により伝えてくれる本だ。

→bookwebで購入

2008年06月28日

『Leonardo’s Swans』Karen Essex(Broadway Books)

Leonardo's Swans →bookwebで購入

「エステ家姉妹とダヴィンチを描いたロマン溢れる作品」

 以前、フランスの南部を旅していたとき、イタリアとの国境の近くのビーチに行ったことがある。華やかながらも落ち着いた感じのあるビーチで居心地が良かった。翌日、イタリア人が多く来るというビーチに出かけてみると、ビーチは派手な雰囲気が漂い、男たちは金の鎖を首に巻き、女たちは大胆なカットの水着を着ていた。「国民性の違い」という言葉を頭に浮かべながら、長い間若いイタリア人女性を目で追っていた。

 ヨーロッパはいろいろな国家が勢力争いを繰り返した長い歴史があり、その間にルネサンスのような華やかな時期も経験している。その長い歴史にロマンを感じるのは僕だけではないだろう。

 今回、読んだ本は、レオナルド・ダヴィンチが創作活動をおこなっていたルネサンス期のイタリアを舞台とした、史実に基づいた小説だ。主人公はイタリアでまずまずの勢力を誇るエステ家の娘イザベラと妹のビアトリーチェ。イザベラは16歳でエステ家と同じくらいの勢力を持つゴンザーガ家のもとに嫁いでいく。

 その1年後、妹のビアトリーチェは大勢力を持つミラノの実権を握っているルドヴィーコ・スフォルツァと結婚する。この結婚はいわくつきで、もしルドヴィーコが1カ月早くエステ家との結婚を申し込んでいたら、ビアトリーチェではなく、イザベラが結婚をしていたところだった。つまり、姉イザベラが貧乏くじをひいた形となった。この史実が物語の大きな設定となり、ふたりの姉妹の心が描かれていく。

 当時ミラノには、ルドヴィーコに招かれ画家、彫刻家、科学者、建築家として仕えていたレオナルド・ダヴィンチがいた。ダヴィンチの作品を目のあたりにしたイザベラは、どうにかして彼に自分の肖像画を描いてもらおうと策を練る。

 しかし、レオナルドは当主から依頼された作品には手をつけず、自分の興味おもむくままに時間を費やす。

 「If I ask for a portrait, for instance, he will not simply sit the subject in a lovely ray of light like other painters. No, he does not even pick up the brush, but spends years lost in the study of light itself.(俺が、例えば、あいつに肖像画を描いてくれと頼むと、あいつは他の画家のように描かれる人物をただ明るい日の光のなかに座らせるようなことはしない。いいや、あいつは絵筆さえ取らずに、光そのものの研究に何年もの時間を費やしてしまうんだ)」と嘆くルドヴィーコの言葉が面白い。

 ダヴィンチという偉大な芸術家を抱えるルドヴィーコ家に嫁いだ妹。ゴンザーガ家 に嫁いだ姉。ダヴィンチの目に止まった女性はどちらだったのか。そうして、家々がイタリアの覇権争いを続けるなか、ふたりの姉妹は何を思い、どんな行動を取ったのか。15世紀終わりのイタリアで起こった勢力争いを舞台に、ダヴィンチとふたりの姉妹の生涯を描いたロマン溢れる作品だった。



→bookwebで購入

2008年06月21日

『Armageddon in Retrospect』Kurt Vonnegut(Putnam)

Armageddon in Retrospect →bookwebで購入

「さよならカート・ヴォネガット」

僕が初めてカート・ヴォネガットに会ったのは2000年のことだった。
その時僕は『Grand Central Winter』を出版した作家リー・ストリンガーから本のリーディングをやるという連絡を受けていた。ストリンガーはその時までに2度ほどインタビューをした作家だった。

セブン・ストーリーズ・プレスというニューヨークにある独立系出版社主催のそのリーディングに出かけると、ストリンガーと一緒に並んでいたのがヴォネガットだった。

セブン・ストーリーズ・プレスは小さいながらもカートとマークのヴォネガット親子の作品を出版している。

ストリンガーがリーディングをした本は『Like Shaking Hands with God』という本で、「A Conversation About Writing」という副題がついていた。つまり書くという行為について作家が語った本だ。語るのはストリンガーとヴォネガットのふたりの作家だった。僕はリーディングが終わったあと、ヴォネガットと5分ほど話をした。しかし、彼は終始不機嫌そうで、僕はすぐに会話につまってしまったことを憶えている。

縁とは不思議なもので、いま息子が通っているプリスクールのクラスに、セブン・ストーリーズ・プレスの発行人の息子も通っていて、僕たちは時々顔を合わせる仲となっている。

ところで今回紹介する本は昨年4月11日にこの世を去ってしまったヴォネガットの未発表の作品を集めた『Armageddon in Retrospect』

内容は第二次世界大戦でドイツ軍の捕虜となったヴォネガットがフランスの赤十字クラブから父に宛てた手紙や講演のために用意した原稿(日付が4月27日となっているので、この原稿は読まれることはなかったのだろう)、そのほか短編などの作品が収められている。

息子のマークが担当したイントロダクションには、ヴォネガットの複雑な人間性がよく描かれている。

薬を大量に飲んで病院に収容されたヴォネガットに、精神分析医は抗鬱剤を投与しようという。ヴォネガットはすぐに他の患者と仲良くなり楽しそうにピンポンなどをしている。

「He doesn’t seem to depressed(そんなに鬱じゃないようだ)」とマークは答える。

「He did try to kill himself(彼は自殺しようとしたんですよ)」と医者は言う。

「It’s very hard to say what Kurt is. I’m not saying he’s well(カートがどういうふうかを言うのは難しい。元気というわけじゃないんだけどね)」とマークは言う。

楽天的な厭世家、自分の内面に目を向けた外交的な作家ヴォネガットの作品はやはり感じるものがあった。この本には彼のアートワークも収められている。

→bookwebで購入

2008年05月26日

『John』Cynthia Lennon(Three Rivers Press)

John →bookwebで購入

「シンシアが語るジョン・レノンとの人生」

以前このページで、ジョージ・ハリソンとエリック・クラプトンの妻となったパティ・ボイドの自伝『Wonderful Tonight』を紹介したが、今回はジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノンが書いた自伝『John』を読んだ。アフリカで子供時代を送りロンドンでモデルの仕事をしていた経歴を持つ洗練されたパティとは違い、シンシアは基本的にリバプールの古い社会に属する女性だ。

この本で読むべきものは、スターになる前のジョンを知るシンシアからみたジョン、それに60年代のドラッグ文化とは波長が合わなかった彼女の経験した新たな時代の変化だ。それにもちろん、時代を切り開き、多くの人々に勇気を与えたジョン・レノンという人物に深く関わったひとりの女性の人生だろう。特に、僕も含めたビートルズのファンならば神聖化しがちなジョンのひどく残酷な部分を語っているのは、やはり青年期から大人になったジョンに男女の関係で関わった妻シンシアでなければできないことだろう。

シンシアとジョンの出会いは1958年。ふたりは同じ美術大学の学生だった。この後、1962年にジョンの子供ジュリアン・レノンを身籠り、ジョンとシンシアは結婚をする。この時、ビートルズのマネジメントを始めたブライアン・エプスタインはジョンに結婚していることや子供がいることを隠すように勧めた。

ビートルズはこの62年にレコード・デビューを飾り「ラヴ・ミー・ドゥ」「プリーズ・プリーズ・ミー」「フロム・ミー・トゥ・ユー」「シー・ラヴズ・ユー」などのヒット曲を出し、「抱きしめたい」がアメリカでナンバー1になり、世界的な人気グループとなった。

ビートルズのメンバーの生活は激変し、彼らはドラッグを始めたりジョージ・ハリソンの影響で東洋的な生き方や音楽を試してみたりする。

スターとして60年代を引っ張っていく存在のジョンと、基本的には変わらないシンシアとのあいだにはどんどんと埋まらない溝が生まれる。この本を読むと、シンシアがジョンの冷酷さや浮気も受け入れ、それまでのことは水に流して「新たな夫婦関係の始まり」と何度も自分に言い聞かせていたことが分かる。

しかし、その期待もヨーコ・オノの出現でこなごなにされる。

この本ではなかなかヨーコのことが出てこないので、いまだに語るには辛すぎることだったのかと思ったが、終わりの3分の1くらいからはジョンとヨーコに関わる事象や思いがしっかりと語られていた。

一読者として最も驚いたのは、シンシアとジョンの破局が避けられないものとなった夜の事件だった。家を飛び出したシンシアはジョンの友人のもとに身を寄せる。その夜、混乱しているシンシアにその友人は「前から君が好きだった。ジョンとヨーコに仕返しをしよう」とシンシアを誘惑する。シンシアは突然の告白に困惑し、何を言っているのだと相手にしない。

しばらくして、ジョンからの正式な離婚の申し出を告げてきたのはその友人だった。そうして、ジョンはその友人に高級車を買ってあげている。

この一連の事件でシンシアが考えたことは、すでに離婚を決めていたジョンが離婚調停を有利に進めるためにこの友人を利用したのではないかということだ。シンシアも不倫をしていたとなれば、ジョンの立場も有利になる。誰がそんな卑劣な手口をジョンに吹き込んだのかとシンシアは考える。

こんなどろどろとした事件や感情は、やはり男と女としてそして妻としてジョンと結ばれたシンシアだけが語れるものだろう。

その後もジョンとヨーコのことが語られ、80年にジョンが暗殺されたあとはヨーコから受けた自分の息子ジュリアンへの冷たい仕打ちが語られている。

ジョン・レノンという時代の象徴となった人物と深く関わった自分の人生を彼女はどう考えているのだろう。本の最後でシンシアは自分の思いを伝えている。

「私はずっとジョンを愛してきた。しかし、その愛の代償はとても高くついた。もし何が起こるか分かっていても同じことをやったかという質問を最近受けた。答えはノーだ。もちろん、とても素晴しい息子を持ったことを決して後悔はしない。しかし、もしティーンエイジャーの私がジョン・レノンを好きになって何が始まるか知っていたら、私はその場で踵を返し歩き去っていただろう」

今年(2008年)で69歳になるシンシア。今は幸せに暮らしていることを祈る。序文はジュリアン・レノンが担当している。



→bookwebで購入

2008年05月14日

『The commoner』John Burnham Schwartz(Nan a Talese)

The commoner →bookwebで購入

「美智子様をモデルとしたアメリカの小説」


 1959年、美智子様が当時皇太子だった明仁親王と結婚をした。その時、僕は10歳にもなっていなかったが、ふたりを乗せたはでやかな馬車のパレードは鮮明に記憶している。白黒のテレビに映し出された美智子様の笑顔は子供心にもきれいだと感じたものだ。

 あれから約50年が経ち、いま皇室に関するニュースが時々日本のメディアをにぎわせている。

 少し前、オーストラリアのジャーナリスト、ベン・ヒルズが雅子様と皇室の世界に関する本『Princess Masako : Prisoner of the Chrysanthemum Throne』を書いたが、今回紹介する本はアメリカの作家による美智子様をモデルにした小説だ。

 長い伝統を持ち一般庶民の暮らしとは別世界であり、閉ざされたイメージがある日本の皇室は、海外でも人々の興味の対象となっているようだ。

 この作品の主人公ハルコは聖心女子大学卒業後にテニスの試合を通じて皇太子に出会い結婚を申し込まれる。父親は娘が皇室に入り自由を失うと恐れ反対をするが、ハルコは結婚を決意する。こうして、一般庶民から初の妃殿下が誕生したのだ。

 物語の中盤は皇室内のしきたりや力関係、周囲の人の悪意により自由を失っていくハルコの姿が描き出される。男子の子供を身籠ることを期待され、それが彼女の唯一の役目となる。そうして無事男子の世継ぎヤスヒトを産むと、次はヤスヒトをどう育てるかの争いが生まれる。皇室内での自分の無力さを味わい、ハルコは精神障害を起こし声が出なくなってしまう。

 この精神障害から立ち直るが、彼女の心はすでに永遠に損なわれてしまう。

 「I have no philosophy left. What I have instead is a very full schedule, day after day. The sad truth is I’ve become merely a pragmatic person.(私にはもう哲学など残っていません。その代わり、私に残されたものはくる日もくる日も続く予定がいっぱいに詰まった日々です。私はただの合理的な人間になったに過ぎません)」とハルコは語る。

 それから数十年後、皇太子となったハルコの息子ヤスヒトはハーバード大学を卒業し外交官として活躍するケイコに恋をし、彼女をお妃として迎えたいと希望する。

 この結婚の申し込みにヤスヒトが失敗したならば国民は彼をもう許さないはずだと感じハルコは、彼女と同じように一般人から皇室に入ろうとするケイコと話し合いの機会を設ける。

 ケイコはヤスヒトとの結婚を受け入れるが、そこで彼女を待っていたものは、やはり閉ざされた皇室の世界だった。同じ一般人から皇室の世界に入ったハルコがケイコになにをしてあげられるか。ケイコはある決心をする。

 日本の皇室を舞台にしたアメリカの小説は、しっとりとした文章の中に際立った残酷さが漂う作品だった。



→bookwebで購入

2008年04月28日

『A Sound Like Someone Trying Not to Make a Sound』John Irving(Bloomsbury Publishing Plc)

A Sound Like Someone Trying Not to Make a Sound →bookwebで購入

「ジョン・アーヴィングが書いた絵本童話」


1942年ニューハンプシャー生で生まれたジョン・アーヴィング。これまで『ガープの世界』、『ホテル・ニューハンプシャー』、『第四の手』などの傑作を発表。映画化された『サイダー・ハウス・ルール』では自ら脚本を書きアカデミー賞最優秀脚本賞を受賞している。日本でも多くのファンがいる。


僕自身は彼が書いた『The Hotel New Hampshire』を読んで好きになった作家だ。


そのジョン・アーヴィングが書いた絵本童話が今回紹介する『A Sound Like Someone Trying Not to Make a Sound』。この話はもともとアーヴィングの9作目の作品『A Widow for One Year(未亡人の1年)』のなかに出てくる物語だった。主人公のひとりが童話作家という設定だった物語のなかでアーヴングが用意した童話だ。


童話のもともとのアイディアは、3人の子供の親であるアーヴィングが自分の子供を育てるなかから生まれたものだ。インタビューでアーヴィングは次のような話をしている。


あるとき、アーヴィングは古い家を借り家族としばらくその家で暮らした。しかし、家の配管が古いためバスルームにある蛇口をひねると、水がきちんと流れだす前の数十秒間、パイプがもの凄い音をたてた。


この音は子供たちを怖がらせた。アーヴィングは子供たちにその音は「ウォーター・パイプ(水の配管)が鳴っているだけだ」と説明したが、子供たちはそのバスルームに近づこうとしなかった。


数カ月後、アーヴィングは半人半獣の怪物が出てくる絵本を息子のひとりに読んであげていた。怪物の絵を指さして「これはなんだ?」とアーヴィングが子供に聞くと、子供は「これがウォーター・パイプなの?」と答えたという。


大人が説明したつもりになっても、その言葉の意味をまだ知らない小さな子供は、その言葉とは違うものを想像してしまう。


『A Sound Like Someone Trying Not to Make a Sound』にも夜中に家のどこかから聞こえる音に脅えるトムという子供が登場する。トムには2歳になる弟のティムがいる。トムはその音の正体を探して家を歩き回り、父親を起こす。父親はその音をネズミが走り回る音だと言う。トムは父親の言葉に安心して眠るが、その話を聞いた幼いティムは「ネズミ」というお化けが家のなかを這い回る姿を想像して眠れなくなってしまう。


絵を担当したのはタチャーナ・ハウプトマン。ヨーロッパで多くの絵本の絵を書いてきた画家だ。


アーヴィングがこの話をもとに絵本童話を出版してくれたことは読者にとってラッキーなことだといえる。アーヴィング自身、自分は童話作家ではないので、もう童話を書くつもりはないと語っている。この本が、アーヴィングが書く最初で最後の絵本童話になる可能性はとても高い。アーヴィングのファンや絵本童話が好きな人には絶対お勧めの本だ。

 



→bookwebで購入

2008年03月28日

『The Castle in the forest』Norman Mailer(Random House)

The Castle in the forest →bookwebで購入

「悪魔の存在が漂うノーマン・メイラーの作品」

前々回のコラムで神の存在について考えさせられたリチャード・ドーキンズ著『The God Delusion』を紹介したが、今回は悪魔の存在について考えさせられるノーマン・メイラーの小説『The Castle in the Forest』を紹介しよう。
神を信じる人は悪魔の存在も信じるのだろうか。全知全能の神がいると認めるのなら、同等の力を持つ超自然的な存在も認めないわけにはいかないだろう。善と悪という対局にある偉大な力を持つふたつの存在のあいだで人間は行動し、思考する。悪の力に屈しないように神が存在する。神を信じる人にとって悪魔の存在は、神が存在する大きな要因のひとつだろう。

ところで今回読んだこのノーマン・メイラーの小説は、ヒットラーの13歳までの姿を追ったものだ。

物語はナチスのハインリッヒ・ヒムラーの部下だった男の語りで進められていく。ヒムラーはナチスの親衛隊とドイツの警察すべてを統括指揮し、ホロコーストを率先して推し進めためた人物だ。

冒頭の語りでは、その裏に潜む異様なまでの凶暴さが感じられ、鳥肌が立つくらいだ。

物語はヒットラーの祖父、祖母の軌跡をたどり、ユダヤ人の血が流れるといわれているヒットラー家の歴史を追う。また、ヒットラー誕生をめぐる忌まわしい近親相姦の話もなされる。

メイラーは膨大な資料を読破しヒットラーの姿を追っているが、描いた内容が事実であるとも新説であるとも言っていない。

この作品がいわゆるヒットラーの伝記とならないのは、その驚くべき構成にある。

語り手であるナチス部員は、ヒットラーの父親と母親(いとこ同士となっているが、ひょっとするとこのふたりは父親と実の娘の可能性もある)がセックスに溺れ、モラルも顧みずに快楽を追う姿を伝えるなかで自分はサタンに仕える身であることを読者に告げる。

これが物語の大きな設定となり、その後語り手は生まれたヒットラーの弱い心のなかにいかに悪の種が宿されていったかをヒットラー家の歴史とともに語り始める。

大量虐殺の性的興奮、人の自由を奪い己を守る権力への憧れ、自分の定めた厳しい規律を他人に課す喜び、命の不思議さ、セックス行為の汚さなどを幼いヒットラーが味わうチャンスを作り悪魔的な人格を作りあげていく。

2007年11月10日に他界してしまったメイラーはそれまでにもイエス・キリスト、マリリン・モンロー,モハメッド・アリなどの人物像を追った作品を発表した。ヒットラーと悪魔の姿を追ったこの小説も読者に大きな衝撃を与えた傑作といえるだろう。僕が知る限りでは、いまのところこの作品が彼の最後の小説となっている。



→bookwebで購入

2008年01月23日

『I Feel Bad About My Neck』Nora Ephron(Alfred A. Knopf)

I Feel Bad About My Neck →bookwebで購入

「ニューヨーク仕込みの乾いたユーモアが楽しめる本」

「If I can just get back to New York, I’ll be fine.(もしニューヨークに戻ることさえできたら私は大丈夫)」
『恋人たちの予感』、『巡り逢えたら』、『ユー・ガット・メール』、『奥様は魔女』などの映画で監督や脚本、原作を手がけたノーラ・エフロンの『I Feel Bad About My Neck』を読んでいて彼女のこの言葉を見つけ、そうだそうだと嬉しくなった。僕はいまニューヨークに住んでいるが、この街に特別な愛着を感じる人間なら、ニューヨーク以外の街に住んだときにこう感じるはずだ。

ノーラ・エフロンは映画に関わる以前は作家であり、その前は『ニューヨーク・ポスト』のレポーターだった。

この本は、60歳を超えた彼女がニューヨークに暮らすことと、この街で年をとっていくことについての本音を綴った15エッセーが収められている。

最初の言葉は、彼女が子供の頃にロサンゼルスに移ったときのもので、明るい日の光が差すビバリーヒルズの学校の片隅で彼女が思っていたことだ。

彼女の言葉に頷くのは、僕自身ロサンゼルスに2年間住んだことがあり、あのだだっぴろい街で陸に打ち上げられた魚にでもなったような息苦しさを感じた経験があるからだ。荷物をまとめて、ニューヨークに戻りたくて仕方なかった。そうして、本当にUホールのトラックに家財道具を詰め込んで、大陸横断をしてニューヨークに戻ってきてしまった。

「ニューヨークに戻ることさえできたら、僕は元気になる」と本気で思っていた。

ノーラ・エフロンはこの本のなかでニューヨークのいろいろな場所のことを書いているが、彼女が長く暮らしたアッパー・ウエストサイドの話が特に面白い。

彼女は1980年、子供を生むと同時に離婚をし、アッパー・ウエストサイドのアパートメントに恋してしまう。そこは賃貸アパートメントだったが、賃貸契約を引き継ぐ権利を得るためだけに2万4000ドルもの大金をもともとの住居者に支払う(ニューヨークでキー・マネーと称される費用だ)。こんな高額な費用を支払う彼女の理論は、もしその「恋する」アパートメントに24年間住んだとしたら、2万4000ドルは1年間で1000ドル。1日にするとたった2ドル75セントで、スターバックス(当時はまだスターバックスはないのだが)のカプチーノ代より安い。

もちろん、キー・マネーはそれまでの住居者に支払うお金なので、これに家賃がかかってくる。家賃契約を引き継ぐだけで2万4000ドルの出費はどう考えてもまともな金額ではない。
彼女も、それは分かっている。彼女は、この話を不動産の話ではなく愛の物語だとしている。

「これは、つまるところ、お金に関する物語ではない。これは愛についての物語だ。そして、すべての愛についての物語のように、お話はある種の正当化から始まる」

このあたりの感受性に僕はニューヨークの街の物語を感じた。

この愛の物語は、その後の不動産ブームのなかで家賃が跳ね上がり、ついには「恋する」アパートを出ていかざるを得なくなるという悲しい結末を迎えてしまう。

ニューヨーク仕込みの気の利いた、そして乾いたユーモアが光るノーラ・エフロンのエッセーは清涼感に溢れていた。そしてノーラ・エフロンの「声」が女優のメグ・ライアインの顔とだぶってしまうのは、やはり映画のせいなのだろう。



→bookwebで購入

2008年01月12日

『The Thousand Splendid Suns』Khaled Hosseini(Riverhead Books)

The Thousand Splendid Suns →bookwebで購入

「アフガニスタンを舞台に繰り広げられる愛と勇気の物語」

 『ニューヨーク・タイムズ』紙のベスセラーリストに100週間以上も留まった小説『カイト・ランナー』を書いたアフガニスタン出身の作家、カーレド・ホッセイニの第2作目の作品がこの『The Thousand Splendid Suns』。『カイト・ランナー』の方はスピルバーグ率いるドリームワークスにより映画化され好評を博した。

 第1作目があまりに売れた作家は、前作は凌ぐ作品を書くことを読者から要求される。そうでなければ、最初の作品はただのまぐれで、その作家に本当の才能は無かったのだと判断されてしまう。そのため前作がベストセラーになった作家にとって、次の作品の出版は危険であり、作家としての運命の分かれ目となる。

 大ベストセラーとなった『マディソン郡の橋』を書いたロバート・ジェームズ ウォラー、80年代に『ニューヨークの奴隷たち』を出版したタマ・ジャノヴィッツなどは前作の重みをはね返すことができなかった作家といえるだろう。 最近では、『Prep』を出版したカーティス・シテンフェルド、『バーグドルフ・ブロンド』のプラム・サイクスなどがやはりそれぞれの話題作を超える作品を書いていない。

 そんなことを意識しながら読んだホッセイニの作品だったが『The Thousand Splendid Suns』は前作を凌ぐ作品といえるできだった。

 物語の舞台は旧ソ連軍が侵略を続ける時代から、内戦によりタリバンが台頭しアメリカの攻撃で新たな政府が誕生するまでの約30年間のアフガニスタン。主人公は、この動乱の時期を生きたマリアムとライラというふたりの女性だ。裕福な男性が3人の妻以外の女性に生ませた子供であるマリアムは15歳で40歳の男の妻になる。男はマリアムに暴力をふるい、人間としての彼女の自由を奪う。

 18年間の子供のできない結婚生活のあと、男は爆撃により両親を失った14歳のライラを妻にすることに決める。両親を無くしたライラは自分の妻にならなければ娼婦になるほか生きる道はないと男は言う。ライラはすぐに子供を産むが、それは彼女のボーイフレンドだった青年の子供だった。そうして、最初は敵同士だったマリアムとライラは心を通わせ始める。

 残酷な場面もある物語だが、ホッセイニの描くアフガンスタンの風景は美しい。勇気、愛、信頼、家族などに人間はどう向き合ったらよいかを教えてくれる作品だ。



→bookwebで購入

2007年10月23日

『The Brief Wondrous Life of Oscar Wao』Junot Diaz(Riverhead Books)

The Brief Wondrous Life of Oscar Wao →bookwebで購入

「待ったかいがあったディアズのトラジ・コメディ長編作品」

 1996年に出版された短編集『Drown(邦題:ハイウェイとゴミ溜め)』から約10年、待ちに待ったジュノ・ディアズの最初の長編作品が出版された。

『Drown』が発表された当時、ディアズは大きな注目を浴び、一躍アメリカ文学界の寵児となった感があった。『ニューヨーク・タイムズ』紙が彼を大きな記事として取り上げ、『ニューヨーカー』誌もディアズの短編を載せ、『ニューズウィーク』誌も「今年のニューフェイス」として彼を選んだ。

ニューヨークのメディアが彼を取り上げ始めたそんな頃、僕はディアズにインタビューを申し込んだ。『Drown』のためのブックツアーが終わり、彼が新しい作品を書き出したと伝えられた頃、僕はディアズと会うことができた。インタビューを申し込んでから2カ月が経っていた。

当時、ディアズの人気とともにアメリカ文学界では「マルチカルチャル・ライティング」という言葉がよく使われるようになってきていた。ハイチ、ドミニカ共和国、韓国、中国、ジャマイカからアメリカに移民を果たした人々やその移民の子供たちによって書かれた作品をこう呼んだ。その後、エドウィッジ・ダンティカ(ハイチ)、ハ・ジン(中国)、チャン・レイ・リー(韓国)、ジュンパ・ラヒリ(インド)などの作家が自分たちのアメリカでの体験をもとに次々と優れた作品を出版した。

アメリカに長く住む日本人である僕は、彼らの作品をよく読んだ。そこには主流から外れた、しかしある種のたくましさがある可笑しく悲しいトラジ・コメディーと呼べる悲喜劇が展開されていた。

共通するのは、自己のアイデンティティに関する意識だった。

移民として移ってきたアメリカで大人になって身につけた社会性は意識して使う道具のように、決して自然に使いこなせるものではない。一方祖国との接触は、練習を怠ったスポーツ選手のようにときに大きく的を外すことになる。社会の外にいる。彼らは、その断層を鮮やかに描いてみせてくれた。

ところで、今回のディアズの作品であるが、待ったかいがあったと満足できる作品だった。主人公は、太っていておたく系の趣味を持つオスカーとセクシーで仲間に人気があるが、やはりどこか人生がうまくいかない姉のローラ。家族はトルヒーヨ将軍の独裁政治が続くドミニカ共和国を逃れてアメリカに移民をした。ディアズは、暴力的なラテン系アメリカ人社会で暮らすオスカーとローラの姿を巧みに描きながら、母親が逃れてきたドミニカでの出来事も鮮やかに描き出している。

ディアズの優れた才能は、ストリートの「声」を吸い上げ、閃きのある文章でその「声」を僕たちの前に差し出してくれるところだろう。スペイン語と英語を混ぜた言葉も多くでてきて、こんな英語の使い方もあるのだと声を出して笑ってしまう場面もある。

主流から外れたアメリカのもうひとつの顔を知りたい人、優れたアメリカ文学作品を読みたい人(アメリカという移民社会でなければこういう作品は出てこない)、それにもちろんディアズファンにとっても見逃せない作品となっている。お勧めです。



→bookwebで購入

2007年09月29日

『Wonderful Tonight』Pattie Boyd(Harmony Books)

Wonderful Tonight →bookwebで購入

「いとしのレイラよいつまでも」


パティ・ボイド。彼女のためにジョージ・ハリソンが「サムシング」を書き、エリック・クラプトンが「いとしのレイラ」を歌った。

僕は、ビートルズの映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」でイギリスのスクールガール役で登場した彼女の可愛らしさをいまも忘れられない。ビートルズの4人が電車に乗って移動する場面に出て来たのだと記憶している。そのほか、映画ではないが、ビートルズがスタジオで整髪してもらっている想定で撮影された写真で、彼女はジョージの後ろに座っている。まだ、中学生だった僕は、その写真を見て(ビートルズはこんな綺麗な女性たちに髪を切ってもらっているのだ)とうらやましく思ったことを憶えている。

その後、彼女はジョージ・ハリソンと結婚し、ジョージの友人であったエリック・クラプトンと結婚をした。ジョージとクラプトンとパティ・ボイド。ロック界で最も有名な3角関係の中心にいたパティがやっと彼女からみた物語を書いた。

パティは1944年3月17日に生まれた。この日がちょうど聖パトリック・デイだったため、彼女はパトリシアという名前になった。この自伝は、パティの両親の結婚の話から始まる。パティが4歳の時、両親は母方の両親が暮らすケニヤに移っていく。パティは子供時代をアフリカで過ごしたのだ。これは少し驚きだった。

両親は夫の浮気が原因で離婚をし、パティは冷たく厳しい義父の元で暮らす。しかし、義父は母親の親友と浮気をし、母親と義父も離婚をしてしまう。17歳になったパティは、ロンドンのサウスケンジントンにふたりの女性と一緒にアパートを借りビューティ・サロンで働き出す。

パティはこの仕事をきっかけに、モデルとなり『ヴォーグ』誌などのページを飾ることになる。そうして、テレビ・コマーシャルの仕事を経て映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」のスクールガール役に抜擢される。

この本によると、ジョージはパティに出会った日に結婚を申し込んでいる。それは多分、彼女をデートに誘うための冗談だったのだろうが、ジョージが彼女に一目惚れだったことが分かる逸話だ。当時、パティにはカメラマンのボーイフレンドがいたので、ジョージの結婚の申し込みもデートの申し込みも断ってしまう。それを友人に告げると、パティはみんなから「あなたはどうかしている」と言われる。パティはすぐにカメラマンのボーイフレンドを振って、2度目にジョージに会った時にデートをする。

こうして、パティはジョージのガールフレンドとなり、ビートルズとロックの世界に入っていく。

パティはこの自伝のなかで「私たちの世代が革命を導いた」と言っているが、それは間違いない。パティと年齢では10歳くらい違う僕らの世代は、その革命を突き進む彼らの姿を憧れを持って見つめ、後を追った。

ジョージと出会ってからのパティの生活はいわゆる「セックス・ドラッグ&ロックンロール」の世界だった。ジョージとリンゴの妻との浮気、ロックスターに近づけるならいつでも服を脱いでみせるグルーピーたちの存在、LSD、マリファナ、そうしてレコーディングやツアーなどは女性が入り込めない男の世界だ。

ジェットコースターに乗ったような高揚と鬱の間を行き来する生活のなかで、エリック・クラプトンが彼女を追いかける。クラプトンは一時、パティの妹ともつき合っていた。

パティは、ある時点でジョージの元を離れクラプトンの元に走るのだが、ロンクンロール的な生活は変わらない。クラプトンやジョージが自分に愛の歌を捧げるが、それらの歌は「結局わたしのことではなく、自分のことを歌っている」とパティは言う。自分の存在意義はどこにあるのだろうかと彼女は考える。ジョージやクラプトンは、自己表現をおこない、女性とつき合いセックスもして、時間も好きに使い、ドラッグもやり、音楽仲間もいる。振り返ってみて、自分は偉大なミュージシャンの妻という立場だけなのだろうかと思い悩む。

この本を読むと、パティ自身は物書きでないことが分かる。最初は、文章の繋がりの悪さ、話題の飛び方などが気になるのだが、読み進めていくうちに、ロン・ウッド、ミック・ジャガー、ボブ・ディラン、プレスリー、ジョン、ポール、リンゴ、ジョージ、クラプトンそれに彼らのガールフレンドや妻たちが登場する華やかさ、生活の荒れ方、決断の重さなどの物語が胸に迫り、文章の流れなど気にならなくなってしまう。これが時代を切り開いたスターの力なのだろう。パティ自身より、彼女を取り巻く状況に心が震えるのは仕方のないことだろう。

60年代、70年代に青春を迎えた人々、ビートルズやクラプトンの音楽に影響を受けた人々。僕を含むこれらの人々にこの本は甘く、切ない郷愁を与えてくれる。そうして、パティという波乱に富んだ人生を送った美しい女性の物語に最後は甘酸っぱい感動を憶える。

ひとつの時代の真ん中で生きたパティが自伝を書いてくれたことに感謝したい。



→bookwebで購入

2007年09月16日

『On the Road--The Original Scroll』Jack Kerouac(Viking)

On the Road--The Original Scroll →bookwebで購入

「アメリカ文学史に残る『On the Road』のオリジナル・スクロール版」

僕はアメリカ文学を取り巻く状況や、アメリカで出版される洋書の紹介雑誌『アメリカン・ブックジャム』を出してきたが、記念すべき創刊号のタイトルは『On the Road』だった。これは、「まだ、道なかばで行き先の知れない」という思いからだったが、ビート世代を代表する作家ジャック・ケルアックに敬意を表する気持もあった。

その後、ウィリアム・バロウズの編集者にインタビューをしたり、ギンズバーグ財団に雑誌企画の相談に乗ってもらったりとビート世代の人々と知り合うようになった。また、ビート・ジェネレーションの詩人グレゴリー・コーソから書き下ろしの詩をもらい、ケルアックが『 On the Road』に書いたサンフランシスコを本の道順のとおりに再び辿ってみる企画もやってみた。

今年は1957年に出版された小説『On the Road』が出てからちょうど50年目にあたり、出版50周年を記念してケルアックが書いた小説『On the Road』の原型となる第1稿が出版された。

ケルアックは47年頃から小説の構想を練りながらニール・キャサディなどとともにアメリカを旅して回った。そして51年4月、ニューヨークの20丁目にあったアパートで約3週間をかけて小説『On the Road』のもととなる原稿を書いた。今回出版されたのはこの時の原稿だ。ケルアックはトレーシングペーパーにタイプを打ち、そのペーパーをつなぎ合わせ丸め、一巻の巻物のようにした。そのためこの原稿は一般に「スクロール」と呼ばれている。

「スクロール」版と6年後に出版された小説『On the Road』との最も大きな違いは、「スクロール」版が基本的にノンフィクションであるところだ。

読者にとって特に心躍るのは、小説では偽名となっている登場人物たちが、ニール・キャサディ、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズなど全て実名で登場するところだろう。ビート世代を代表する彼らの実名が出てくることで、人物像がぴたりと定まり小説とは違ったダイナミックさが生まれている。

また、ストーリーも荒削りで、性的描写もきわどさを増している。「スクロール」にはケルアック自身が直接書き入れた修正や校正などが残っているが、今回出版されたものでは、あきらかなスペリングの間違いに対する直しを除いては加えられた修正や校正は無視し、できる限りオリジナル原稿に近い形に編集されている。そのため、薬物でハイになりながら書かれたといわれている文章から、当時ケルアックの持っていた疾走感や言葉に対する感覚が読み取れるのも興味深い。

51年5月、ケルアックはニール・キャサディ宛に手紙を送っている。「Story deal with you and me and the road…whole thing on strip of paper 120 foot long…just rolled it through typewriter and in fact no paragraphs…rolled it out on floor and it look like a road.(君と俺とロードについての物語だ。すべては120フィートの細長い紙に書かれている・・・タイプライターから流れ出てパラグラフさえないんだ・・・床に伸びてロードのように見える。)」

本の冒頭にケルアックの研究者たちによる解説があるのも見逃せない。アメリカ文学史に残る重要な一冊だ。


→bookwebで購入

2007年09月03日

『Sammy’s House』Kristin Gore(Hyperion)

Sammy's House →bookwebで購入

「アル・ゴアの次女が書いた政治ラブ・コメディ」

 ハーバード大学卒業。在学中に大学ユーモア雑誌『ハーバード・ランプーン』誌の編集長を務める。そして、エディー・マーフィーやトム・ハンクスなどを輩出したTVコメディ番組『サタデー・ナイト・ライブ』のライターとしてエミー賞候補となる。

 この経歴の持ち主が元アメリカ副大統領アル・ゴアの次女であるクリスティン・ゴアだ。この本は彼女が著したホワイトハウスを舞台とした政治ラブ・コメディ。主人公は副大統領の下で医療関係のアドバイザーとして働く20代の女性サマンサ・ジョイス。軽快なノリと女性ならではのユーモアが魅力の本だ。

 クリスティンがサマンサを主人公とした政治ラブ・コメディを書くのはこれが2冊目。最初の作品は上院議員ロバート・グレイの元で働くサマンサの物語『Sammy’s Hill』だった。この作品はニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー・リストに入り、コロムビア・ピクチャーズが映画として上映する予定だ。

 今回の『Sammy’s House』はロバート・グレイがアメリカ合衆国の副大統領に選ばれ、それに伴いサマンサもホワイトハウスで大統領であるワイ政権の中で活躍をするという設定だ。

 物語は誕生したばかりのワイ政権が開催した船上パーティの場面から始まる。退屈なパーティはストリッパーの登場で雰囲気が一変する。誰が考えても政府のパーティにストリッパーはまずい。下品な音楽がステレオから流れるなか、大統領の首席補佐官がストリッパーの身体を自分のジャケットで覆う。しかし、その間にカメラのシャッターが切られる。プレス関係者は乗船していないが、この騒動は珍事としてメディアに漏れるのは間違いない。ストリッパーは「私はエクスターミネーターからの贈り物よ」と言う。エクスターミネーターとは前政権の関係者の集まりで、シンクタンクなどを設置し本格的な政策妨害もするが、今の政権をおちょくる悪ふざけも仕掛けてくる団体だ。ストリッパーが踊りをやめたころ、船の近くで大きな爆発音が響く。サマンサは反射的に船から川に飛び込んでしまう。水の中にいる彼女の目に映ったものは、にやりと笑ったネズミの形をした花火だった。サマンサはうんざりしながら犬かきで船に戻っていく。

 この本のもうひとつの面白さは、登場人物のモデルが誰かをつい想像してしまうところだ。サマンサのボスであるグレイ副大統領のモデルはやはり父親のゴアだろう。サマンサの働くホワイトハウスは次から次へとスキャンダルに揺れる。大統領は執務中に隠れて酒を飲むアルコール中毒者であることを副大統領にも告げていない。そればかりか、サマンサたちがインドの製薬会社から秘密裏に輸入した薬物を大統領が常用し始める。大統領スキャンダルの設定はビル・クリントンと接していた経験からだろうか。また、前政権の大統領をきついユーモアを交えて批判しているが、これはいまのブッシュ大統領をモデルにしているのではないかと思わせる。

 そうして、サマンサのボーイフレンドは『ワシントン・ポスト』紙の優秀な記者であるチャールズだ。彼からのプロポーズを待つサマンサだが、チャールズはニューヨーク支局に異動となってしまう。チャールズと長距離恋愛を続ける間に、サマンサはテレビニュース番組の司会者、女性上院議員、ハリウッドスターに言い寄られる。一方、チャールズは女性のルームメイトとニューヨーク生活を始める。

 スキャンダルを暴こうとする『ニューヨーク・タイムズ』紙の記者、ホワイトハウスのスタッフ以外は知ることのできない情報が掲載されるブログの存在、そうして大統領の危うい行動などに取り囲まれながらも、サマンサは一生懸命すべての事態を乗り越えようと全力を尽くす。

 父親が8年間ホワイトハウスで務めた経歴から生まれた、サマンサのホワイトハウス奮闘記は可笑しく、ときには考えさせられ、最後には心が温まる物語だった。

→bookwebで購入

2007年06月25日

『Mere Anarchy』Woody Allen(Random House)

Mere Anarchy →bookwebで購入

「ウッディ・アレンさん、新しい本を出してくれてありがとう」

 今回紹介する『Mere Anarchy』はウッディ・アレンが久々に出版した作品集だ。  僕は以前、マディソン街と76丁目にあるカーライル・ホテル内にあるカフェ・カーライルにクラリネット奏者として出演したウッディ・アレンを見に行ったことがある。カーライル・ホテルは、ティファニーの創設者の息子などのいわゆる「オールド・マネー」と呼ばれる古くからの金持ちの文化を代表するようなホテルだ。一方、カフェ・カーライルはカフェという名前がついているが、コーヒーハウスではなく立派なレストラン。サパークラブと呼ばれることもある。係りの人が案内してくれたのは、ステージのすぐ横のブース席だった。ステージは小さく、フロアーにはステージとテーブル席との仕切がない。すぐにバンドのメンバーが現われ、最後に黒縁の眼鏡、白いワイシャツ、茶色のコーデュロイズボン姿のウッディ・アレンがステージに置かれた椅子に腰掛けた。彼は映画で観るのと同じように神経質そうで、どこか頼りなさげに見えた。

 ウッディ・アレンは大御所になりすぎて、彼の作品が面白いともろ手をあげて褒めるのはオリジナリティが感じられず、どこかためらう部分が僕のなかにはあるのだけれど、そんなおかしな自尊心など無視できるほど『Mere Anarchy』は面白かった。

 彼の作品を身近に感じるのは僕が長年マンハッタンに住んでいるからだろうか。マンハッタンの住人の方が彼の作品の面白さをよく理解できるという僕の思いは、マンハッタンに住む者だけが持つ鼻持ちならないスノビズムなんだろうか。

 しかし、彼がニューヨークの感受性で映画を含める多くの作品をこれまで発表してきたのは確かだろう。いろいろな時代、様々な人間、異なる土地を題材にしても、彼の視線はずっと変わっていない。単に都会的というのではなくニューヨークの生活感にぴったりくるものの見方(洗練、強烈な皮肉・風刺とともに鋭い自己洞察が共存している)というのが、多くの作品を貫くその視線だ。今回の新刊にも同じ視線がうかがえる。僕はウッディ・アレンの文章を読みながら、ずっと変わらぬ彼のものの捉えかたにノスタルジーを覚えたくらいだ。

 本の内容を紹介すると、これまで未発表であった8作品を含めた18作品が収められている。本の総ページ数が160ページと少ないので、どれも短い作品だ。発表された作品の多くは『ニューヨーカー』誌に掲載されたものだ。

 僕が特によいと感じた作品は『The Nib For Hire』、『Calisthenics, Poison Ivy, Final Cut』、『The Rejection』などだが、まあ、これも個人の好みの問題で、他の作品がこれらの作品に比べて劣っているというものではない。

 少し作品の筋を紹介しよう。

 『The Nib For Hire』は売れない文学青年がニューヨークのカーライル・ホテルのスイートルームで、3ばか大将のノベライゼーションを依頼されるというもの。フォークナー、ドストエフスキー、フィッツジェラルド、ヘミングウエイなどの名前と共に、3ばか大将が出てくるところがめちゃくちゃに可笑しい。

 『Calisthenics, Poison Ivy, Final Cut』は夏におこなわれるサマーキャンプのひとつ、映画を作るフィルム・キャンプに参加した少年の映画がミラマックス社から1600万ドルのオファーを受ける物語。この契約をめぐって少年の親とキャンプ主催者の争いがくりひろげられる。親は契約金の半分が主催者にいくのは許せないと言い、主催者は少年がキャンプの機材を使いスタッフの手伝いのもとに映画を作ったと言う。ブラック・ユーモア溢れる手紙のやりとりが面白い。

 『The Rejection』はニューヨークのアッパーイーストサイドにある有名保育園(幼稚園の前に入れる学校)の受験に失敗した子供を持つ親ボリスが主人公だ。その保育園に子供が入れなかったというニュースはすぐにマンハッタン中に広がり、ボリスは一流レストランへの出入りが禁止となり、会社を追われ、ついにはホームレス用のシェルターに入ることになる。小さな子供の親であるウッディ・アレンも巻き込まれたに違いない、ニューヨークの学校事情がコミカルにしかし鋭く風刺されている。

 ウッディ・アレンの作品は設定も可笑しいが、文章も冴えている。

 「ワッシュバーンさんは、切れていても切れていなくとも火曜日と金曜日に電球を変えるのが好きでした。彼女は新鮮な電球が好きだったんです」

 「主演女優が最後になって自分のロットワイラー犬を連れていくと決めたので、チャーター便での私の席がなくなったと映画のプロデューサーは説明してくれた」

 「金曜日に目覚めると、宇宙の膨張により、いつもより服を探すのに時間がかかった」

 など、この新刊でも彼ならではのユーモア溢れる文章が楽しめる。

その他『Mere Anarchy』には、アパートの改築工事の話、子守りの話、ミッキー・マウスが証人として登場する裁判の物語などどれも傑作といえる作品が収められている。

 また、以前のウッディ・アレンの作品を読みたい人には『Getting Even(邦題:これでおあいこ)』(1971)、『Without Feathers(邦題:羽根むしられて)』(1975)、『Side Effects(邦題:ぼくの副作用)』(1980)の3冊を収めたお得な『The Insanity Defense』というペーパバックが最近出版されたのでこちらがお勧めだ。

→bookwebで購入

2007年05月19日

『Born on a Blue Day』Daniel Tammet(Free Press)

Born on a Blue Day →bookwebで購入

「水曜日はブルー、ヨーグルトは黄色」

 「11」は親切で、「4」は恥ずかしがり屋で物静か、「333」は美しく、「289」は醜い。
 何のことか訳が分からないと思っているでしょうが、これは数学や記憶の分野で特別な才能を示すダニエル・タメットの内なる世界の風景だ。サヴァン症の彼にとって数はみなそれぞれ違った個性があり、人間よりもずっと身近な存在だ。サヴァン症とはごく特定な分野に限って想像を絶する能力を発揮する者を指す。

 僕はこれまでサヴァン症の人と直接接したことはない。僕が持っている知識といえば、ダスティン・ホフマンがサヴァン症の役を演じた映画『レインマン』からのものくらいだ。とても、知識と言えるほどのもではない。

 僕がタメットのことを知ったのは明け方に放送されたラジオ番組からだった。僕は、明け方3時か4時頃に目が覚めてしまい、それから1、2時間眠れない時がある。そんな時、僕はベッドから抜け出し、リビングルームにあるカウチに移動し、そこでラジオを聞きながら眠くなるのを待つ。窓の外のマンハッタンの空がだんだんと色を変え、濃紺の空間にビルの形が浮かび上がってくる。そんな時間に、タメットの声がラジオから流れてきた。インタビューアーの質問に答え、「僕はストレスを感じると頭の中で2の二乗を数え始める。2、4、8、16、32・・・1024,2048、4096,8192」と凄い勢いで数字を言ったタメットに僕は興味を持った。そして、28歳になる彼が『Born on the Blue Day(ブルーの日に生まれて)』という自伝を最近出版したのを知った。

 1979年1月31日の水曜日(タメットにとって水曜は常に青色だ)にイギリスで生まれた彼は、5時間9分をかけ2万2514桁までの円周率を答え、たった1週間で最も難解な言語のひとつであるアイスランド語をマスターしてしまった。彼はいま英語、フランス語、フィンランド語、ドイツ語、スペイン語、リトアニア語、ルーマニア語、ウェールズ語、エスペラント語など10の言語を話すことができる。そのほか、年数と日にちを聞けば、それが何十年、何百年離れていても何曜日であるかを即座に答えることができ、大きな数のかけ算や割り算なども頭の中に答えの数字が浮かんでくる。

  自閉症のひとつであるアスペルガー症候群も患っているタメットだが、その症状が軽く自立した生活を送ることができる。通常、彼ほどの能力があると社会的能力は損なわれている場合が多いらしい。自分の内なる世界を伝えられるタメットはとてもユニークな存在だ。そのため、イギリスのTVドキュメンタリーで取り上げられ話題となり、アメリカのトーク番組やラジオ番組にも出演した。

 『Born on a Blue Day』は、僕と同じ地球に生きているタメットが、実は全く違う風景の中で暮らしていることを教えてくれる一冊だ。

 タメットの世界では1万までの各数字にそれぞれ、色、形、質感、性格があるだけではなく、文字にも同じように色、質感がある。例えば「yogurt」という言葉は黄色、「video」は紫。「at」は赤だが「h」がついた「hat」は白、さらにそれに「t」がついた「that」はオレンジ色。そしてややこしいのが「white」はブルーで「orange」は透明で氷のように光って感じられるという。こんな風景の世界に住むタメットは、紫であるべきvideoという文字が黄色で書かれてある看板を見ると落ち着かなくなってしまう。

 子供の頃には毎朝決まって45グラムのオートミールを電子計量器で計って食べ、決まった枚数の服を着る。そうして決まった時間に決まったカップで紅茶を飲む。それができないと彼は不安定になってしまう。不安定になった時には目を閉じて数をかぞえ、物を考える時は両手で耳を塞いで周りの世界を遮断する。

 この本には、こういう子供がどうやって大人になり、愛する人間を見つけ、自立していくかが描かれている。彼の一風変わった頭脳を通して見える世界が繰り広げられていく。

 タメットは自分の世界だけに閉じこもり、ほかの子と繋がりを持たない子供だった。彼にとってほかの子供はただ周りにいるだけの存在でしかなく、興味の対象にはならない。 友達を作らないタメットはいじめにもあう。例えば、意地悪なクラスメートから水の中に落とされてしまったりもするが、いじめにあった時の反応が人とは全く違っている。彼は、水に落とされたショックのあまり長い時間その水の中にじっと座ったままでいる。そうして、誰もいなくなった頃にひとりで水から出て家に帰る。いじめる側は彼の行動があまりに突飛なのでいじめをしかけなくなる。しかしこのような出来事を通して、タメットは自分が人とは違い、社会のアウトサイダーであると感じるようになる。

 思春期になる頃には、弟や妹たちと遊ぶことで人との繋がり方を少しずつ身につけていくが、タメットにとって社会的生活は常に困難なものであり続ける。彼の優れた能力と、決まった条件が揃わなければ破綻してしまう性格などは普通の世界の住人では考えつかず、やはりこの本を読まなければ分からない。

 大学に進学しないことを決めたタメットはイギリスの非利益団体ボランティア・サービス・オーバーシーズに応募し英語の教師としてリトアニアに赴任する。この経験により親元を離れ自立の道を進んでいき、パートナーとなる人間も見つけ、人との繋がりも理解していく。

 タメットのような特異な能力と自閉症的な部分を持つ人が、自伝を書く力も持ち合わせ、こうして彼の世界を垣間みさせてくれたのは素晴しいことだ。タメットは「僕はみんなと同じではないが、同じでないということは違うものの見方を教えてあげられるということだ」と語っている。読んでいる時には彼を応援し、読み終えたあとどこかの山の中できれいなわき水を見つけたような気分にさせてくれる本だ。


(秦 隆司)


→bookwebで購入

2007年05月16日

『The Secret of Lost Things』Sheridan Hay(Doubleday)

The Secret of Lost Things →bookwebで購入

「ニューヨークのストランドは好きですか」

 1927年に創設された本屋ストランドは、僕のニューヨークのアパートから歩いて15分ほどの所にある。ストランドは日本にも好きな人がたくさんいる本屋だ。置いてあるのは古本と1年以内にでたばかりの「新刊」、それに稀覯本だ。

 僕はアパートの本棚がいっぱいになり収拾がつかなくなると、本をトランクに詰め込んでストランドに売りに行く。本の種類にもよるが、20冊くらいいろいろ持っていって30ドルか40ドルくらい。

 ストランドは入り口の右側が本を買い取る場所になっていて、そのカウンターの後ろで本を見て買い取りの値段を決めるのはオーナーのフレッド・バスだ。僕は以前、彼にインタビューをしたことがあり、娘のナンシー・バスにも話を聞いたことがある。ストランドの店の中を案内してもらい、裏の倉庫や3階にあるレアブックスの売り場も見せてもらった。その時、1632年発行のシェークスピアの本や、ヘンリ・マティスとジョイスのサイン入りの『Ulysses』などをを見せてもらったことを憶えている。

 フレッドが僕のことを憶えているかどうかは分からないが、もし憶えていたとしたら彼はそのことを顔に出さない。僕たちはお互いに知らんぷりをしながら、本とお金を交換する。

 今回紹介する本は、このストランドが舞台となった小説『The Secret of Lost Thing』。著者は元ストランドの書店員で、オーストラリア生まれのシェリダン・ハイ。この小説は彼女のデビュー作となる。

 物語を少し説明すると主人公はタスマニア生まれの18歳の少女ローズマリー。父親が誰か分からず母親も失ったローズマリーはニューヨークにやってきて、アーケードという古本屋に働き始める。このアーケードという本屋がストランドで、ハイはオーナーのフレッドやほかの一風変わった書店員たちの姿をこの小説で描いている。それだけではなく、ストランドの棚の配置や書店員たちの人間関係も描かれていて、ストランドを知る僕にとってはこれだけで結構楽しめるものだった。ローズマリーはアルビノ(先天性色素欠乏症)のマネジャーの助手を務めることになり、そこから彼女ハーマン・メルヴィルの手書き原稿の謎に巻き込まれていく。

 内容はスリラーと純文学の中間というところ。メルヴィルの原稿を追うというエンターテインメント性がある一方、登場人物の心の動きや人生も見据えている。難を言えば、いろいろな要素を詰め込みすぎた感があるところだろうか。

 この小説にはメルヴィルの原稿の謎、孤独なアルビノの人生、女性になる手術をするゲイ、子供が行方不明のアルゼンチン人の母親、博学で冷たい心を持つ青年などが登場する。ニューヨークで発行されているタブロイド紙『ヴィレッジ・ヴォイス』の書評では、それぞれが1冊の本になり得る題材だと評していた。

 まあ、そうであっても僕個人としては文章を読むだけでその場面が目に浮かび、人物の姿が見えた。また、結末に向けての最終部分の盛り上がりも十分な迫力があるものだった。ハイの書く英文は読みやすく、日本の読者向きだろう。それに本屋とメルヴィルの手書き原稿という題材から浮かび上がってくる、稀覯本に執着する特殊な世界に属する人たちのことが読める。ストランドのファン、ニューヨークが好きな人、それに本の世界が好きな人にはお勧めの本だ。

 (秦 隆司)


→bookwebで購入