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2014年01月28日

『Goodbye to All That : Writers on Loving and Leaving New York』Sari Botton(編集)(Seal Press)

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「ニューヨークを去っていった作家たちの思い出」

1967年、作家ジョーン・ディディオンは愛するニューヨークを去る気持ちを語ったエッセイ『Goodbye to All That』を書いた。
彼女はニューヨークにいた自分を「stayed too long at the fair(お祭りの場に長くいすぎた)」と表現した。ニューヨークと作家の関係は常に愛と憎しみの感情を秘めているようだ。

ディディオンのこのエッセイからインスピレーションを受け出版されたのが、このエッセイ集『Goodbye to All That』。27人の女性作家が何故自分がニューヨークに惹かれ、そして去っていったかを書いている。

自分のことを考えると、僕が初めてニューヨークに来たのは70年代の中頃。住み始めたニューヨーク郊外ロングアイランドから電車に乗って訪れたニューヨークは汚く、怖い街だった。

しかし、僕はその後グリニッチビレッジを「発見」した。グリニッチビレッジのメインストリートといもいえるブリーカー通りを何度も行ったり来たりし、ごちゃごちゃとしたマクドゥーガルにあったインド料理屋でカレーを食べるのを常としていた。

その後、ニューヨークを去り、ボストン、ロサンゼルス、ニュージャージー、東京などに住み、いまはまたニューヨークに住んでいる。それも、あんなに好きだったブリーカー通りのすぐ近くだ。

この本にも昔憧れた場所を目指して、ニューヨークに移った女性のエッセイがある。それはメーゲン・ダウムの「My Misspent Youth」。

17歳の時に出会ったニューヨークの建物が、ニュージャージー州に住む彼女の人生を変えてしまう。

それは、父の用事で訪れたマンハッタンに西側にあるウエストエンド・アベニューと104丁目の角に建つ1920年代のビルディングで、6階にある部屋のドアが開けられた時以来彼女の人生はそれまでとは違ったものとなる。

「The moment the rickety elevator lurched on the sixth floor and the copyist opened the door, life for me was never the same.」

彼女は、ウディ・アレンの映画「ハンナとその姉妹」に出てくるようなオーク材のフローリングの部屋に憧れる。それは彼女にとって「富み」を象徴するものではなく、知的な人々が彼らのロジックと美意識に従って暮らしている場所に映った(これは彼女の思い間違いで、マンハッタンの派手ではないがマンハッタンの居心地のよい部屋はもちろん「富み」の象徴だ)。

彼女は自分が思い描く部屋に住む人々はどんな人間だろうかと考え、それを大学選びにも反映させる。

「Columbia rather than N.Y.U., Wisconsin rather than Texas, Yale rather than Harvard, Vassar rather than Smith.」

彼女はニュージャージー州出身の女優メリル・ストリープ(ウディ・アレンの映画「マンハッタン」に離婚した妻の役で出演していた)が行ったVassar(ヴァッサー大学)に行く決心をする。

大学を卒業した彼女は、憧れのビルがある104丁目から4ブロックしか離れていない100丁目のアパートに二人のルームメイトと暮らし出す、彼女はニューヨークのファッション雑誌社で編集アシスタントの職を見つけるが、年収1万8000ドルという低賃金(しかし、この役職では普通)。同僚の女の子たちは、親や親戚から家賃やお小遣いの援助を受けているが、彼女にはそんな金持ちの親や親戚はいない。

彼女は浪費家というのではないが、ニューヨークの暮らしはクレジットカードの残高が上がるばかりだ。

そして、彼女は学費の高いコロンビア大学院に進む道を選ぶ。彼女はこれはお金持ちの選択だと言っているが、当時はそうとは思わない。年間2万ドルの学生ローンをし、卒業したときには6万ドルのローン残高となっていた。

高い家賃、狭い部屋、収入はまあまあだが、それでも借金はいつまでたっても減らない。そんななかで、彼女はニューヨークを去る決心をする。

「The New York that changed my life on that summer night when I was seventeen simply no longer exist.」

ニューヨークに住む僕にとって彼女のエッセイは身につまされるものがあった。この本はこんな話がいっぱいだ。出てくる場面も僕が住むグリニッチビレッジ周辺が多く、この本の著者たちとはひょっとしたら通りですれ違い、ワシントン・スクアエの噴水の淵で隣に座ったかも知れない。

それぞれの思いでニューヨークにやって来た作家たちの1人ひとりの別れが描かれた本だった。


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2014年01月11日

『Reporting Vietnam : American Journalism』Library of America(Library of America)

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「 ジャーナリストたちが見たベトナム戦争」

アメリカのジャーナリズムを語るのに欠かせないものがある。それはベトナム戦争。60年代から70年代という時代もあったが、戦地に赴いたリポーターたちはそれまでの「アメリカがおこなう戦争は常に正しいものだ」という考え方から離れ、戦争やアメリカ政府を懐疑的に見ていた。

戦地に赴いたジャーナリストは、デイヴィッド・ハルバースタム、スタンリー・カーノウ、ニール.シーハン、ピーター・アーネット、マイケル・キンズレイそれにホーマー・ビガート(ビガードは少し上の世代だが)などエルビス・プレスリー、ビートルズを聞いた世代。叩き上げというよりハーバード大学などの名門大学を卒業し、ストリートの「スマート」さからのジャーナリズムではなくアメリカ社会、政府、そしてこの戦争をどうみるかの見識を交えてリポーティングをおこなった。

彼らの書いた記事はニューヨーク・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙、タイム誌、ライフ誌、ニューヨーカー誌などに掲載され、それがアメリカ社会の「声」となっていった。

これらの記事を一同に集めたのが『Reporting Vietnam: American Journalism』。2巻に編集され、第1巻がアメリカがベトナムで最初の戦死者を出した1957年から69年。第2巻が69年からサイゴン陥落、アメリカ大使館撤退の75年となっている。第1巻と第2巻を合わせると1600ページにもなる。

内容は一本の記事が長く、書き手の真剣さがうかがえる。例えば、68年3月に起こったアメリカ兵による「ソンミ村虐殺事件」のレポートがある。

虐殺をおこなった兵士にインタビューをし、その残虐な殺し方や、殺した村人のほとんどが女性、子供、老人だったことを伝えている。記事は、何故その兵士が虐殺に加わったのか、そのときどのように感じたかなどの兵士の心理面にも及んでいる。

そのほか、67年から73年まで、捕虜となった兵士の体験談、カンボジアの首都であったプノンペンが反政府軍に占領された日の記録。またアメリカ国内からは学生と州兵との争いで、州兵側の発砲により4人の死者を出したケント・ステート大学でのデモの模様など、どれも読みごたえのある記事ばかりだ。ノーマン・メイラーのペンタゴン(米国国防総省本部庁舎)への向けてのデモのリポートも含まれている。

記事の質の高さと、その取材の緻密さ、それにそれらの記事を掲載したアメリカの新聞や雑誌のことを考え合わせると、ジャーナリズムに関わる人々の熱い思いが伝わってくる。

この本にはベトナム戦争を時系列で追った年表、戦争が行われた場所の地図、ジャーナリストたちのプロフィール、軍事用語の解説なども含まれている。

60年代、70年代を生きた人々(特に若者)に大きな影響を与えたベトナム戦争。そして戦地、あるいはアメリカ国内で何が起こっているかを伝えたジャーナリストたち。一読をお勧めします。



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