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2013年04月24日

『The Great Gatsby』Scott Fitzgerald(Scribner)

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「ディカプリオ主演の映画となるアメリカの傑作」

この5月10日にレオナルド・ディカプリオ主演の映画「The Great Gatsby」がアメリカで封切られる。監督はバズ・ラーマン。ディカプリオとクレア・デーンズが共演した「ロミオ+ジュリエット」と同じ監督だ。
サウンドトラックはJAY-Z、ビヨンセ、will.i.amなどが担当し、見逃せない映画となっている。3D版もあるようで、観るならやはり3Dかな〜と今から楽しみだ。

映画の原作となっているのは、もちろんスコット・フィッツジェラルドの「The Great Gatsby」。

最初に発行されたのは1925年4月10日。当時の発売価格は2ドル。初版部数は約2万1000部だった。

フィッツジェラルドは、1920年にスクリブナーより発行されたデビュー作『This Side of Paradise』で一躍時代の寵児になった作家だ。1922年から24年まで、ニューヨーク州ロングアイランドのグレートネックに住み、中古で買い求めたロールス・ロイスを乗り回し派手なパーティを開いた。すでに出版社からの前借りで借金の生活が始まっていたが、1920年のデビューからヨーロッパに移住を決める1924年まで、ニューヨークは彼にとって輝きを放つ街だったに違いない。
 
『The Great Gatsby』はそんなロングアイランドでの生活のなかで書き進められ、彼が移住を試みたヨーロッパで推敲された作品だ。小説の舞台となっているロングアイランドのイースト・エッグとウェスト・エッグは実在の場所ではなく、それぞれマンハセットと彼が住んでいたグレートネックの町がモデルとなっている。

ロングアイランドには僕自身も4年間住んでいたので、マンハセットやグレートネックなどは馴染みのある町だ。

ところで、僕は現在のスクリブナーの編集者であるチャールズ・スクリブナー三世に会ったことがある。場所はニューヨークの6番街にある彼のオフィスだった。

スクリブナー三世は、『The Great Gatsby』などフィッツジェラルドの作品を発行していた時代に編集者を務めていた、チャールズ・スクリブナー二世の曾孫に当たる。スクリブナー三世に会って、いろいろフィッツジェラルドに関する話を聞 いた。

ビルが見下ろせるオフィスで、スクリブナー三世はフィッツジェラルドについて次のように語ってくれた。

「フィッツジェラルドはアイリシュ系カソリックで、当時のアメリカのメインストリームはイギリス系プロテスタンたちでした。そのため、彼は多少アウトサイダーであっただろうし、傍観者でもあったでしょう。フィッツジェラルドの作家としての精神的『ホーム』はアメリカ東部、特にニューヨークだと思います。彼はミネソタ州の出身ですが、ニュージャージー州にあるプリンストン大学で東部の文化を吸収し、その後、東部の作家といわれるようになりました」

スクリブナー三世に『The Great Gatsby』のことを聞くと、彼はこう答えてくれた。

「例えばヘミングウエイなどは、最も好きな作品は人によって異なりますが、フィッツジェラルドの場合はほとんどの人が一番好きな作品に『The Great Gatsby』を挙げると思います。構成、文章、センチメントなど、どれをとっても傑作だと思います。もしフィッツジェラルドが生きていたら、彼の未完の遺稿となった『The Last Tycoon』が同じ水準に達した作品になったかも知れません。『The Great Gatsby』では、語り手のニックがフィッツジェラルド自身ですが、ギャツビーにもフィツジェラルドのロマンティックな部分が投影されていると思います。デイジーにはフィッツジェラルドの妻となったゼルダの我がままさと人格としての限界が感じられます。多分、フィッツジェラルドはこの時点でゼルダの内にある暗い部分にすでに気付いていたのだと思います」

スクリブナー三世のいうように『The Great Gatsby』の構成や文章と、それ以前の小説『This Side of Paradise』や『The Beautiful and Damned』を比べると、構成は絞まり、みせびらかすような大袈裟な描写は見当たらない。スクリブナー三世にその点を聞くと、面白い答えが返ってきた。

「それについて、私には持論があります。フィッツジェラルドは『The Great Gatsby』の執筆を中断して『The Vegetable: or from President to Postman』という戯曲を書きました。この劇はブロードウエイにはかからず失敗と終わりましたが、フィッツジェラルドは実際に役者が演ずるリハーサルをみて、この戯曲を何度も書き直し、ひとつの場面と物語全体の構成に注意を払うようになったと思います。これは小説を書くいい練習になったはずです。フィッツジェラルドは手紙で、この戯曲が上手くいかなかったことを、彼の編集者だったマックスウエル・パーキンスにこぼしていますが、この失敗が『The Great Gatsby』をよい小説にしたのだと思います」

『The Great Gatsby』を書いた15年後の1940年12月21日、フィツジェラルドはカリフォルニア州ハリウッドの地でこの世を去った。44歳の若さだった。その時点で、『The Great Gatsby』は数万部が売れただけだけで、スクリブナーの倉庫には二刷り目の本が残っていた状態だった。

しかし、現在はたった一年間で、フィッツジェラルドの生涯の内に売れた部数の何倍もの数がアメリカの読者に読まれているという。誰が『The Great Gatsby』を再発見したのだろうか。


「私の意見では、『The Great Gatsby』を再発見したのは1950年代のアメリカの大学や高校の先生たちだと思います。アメリカ人の大半は『The Great Gatsby』のページを学校のクラスルームで開くことになります。学校で使われる本は『The Great Gatsby』だけではありませんが、ほかの本は消え去っても『The Great Gatsby』はアメリカ文学のクラシックとして残っていきました。それは、この物語が時代を超え新鮮な感動を人々の心のなかに呼び起こすからだと思います」とスクリブナー三世は語ってくれた。

ところで、『The Great Gatsby』というタイトルだが、最終的にこのタイトルに落ち着くまで、フィッツジェラルドはいろいろな名前を思い付いたらしい。それらは『The High-bouncing Lover』、『Gold-hatted Gatsby』、『Among the Ash Heaps and Millionaires』、『Trimalchio in West Egg』などというものだった。

そして、『The Great Gatsby』というタイトルに決めたあとも、フィッツジェラルドは出版ぎりぎりになって『Under the Red White and Blue』というタイトルを思い付き、電報でタイトル変更をしたい意向をスクリブナーに伝えている。フィッツジェラルドは結局、出版が遅れるという理由で新タイトルをあきらめた。

『The Great Gatsby』というタイトルに比べてフィッツジェラルドが考えたほかのタイトルはあまりよくない。特に『The High-bouncing Lover』や『Trimalchio in West Egg』などはいかにも通俗的な響きがある。フィッツジェラルドとスクリブナーがそんなタイトルを選ばずに『The Great Gatsby』を選んだことに感謝をしたいくらいだ。

僕は、スクリブナー三世と話をして、フィツジェラルドがより身近に感じられるようになった。彼が言うように、『The Great Gatsby』はこれからも多くの人の心のなかに残っていくことだろう。そして、今回の斬新な映画も楽しみだ。

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