« 2012年09月 | メイン | 2012年11月 »

2012年10月30日

『The Year of Magical Thinking』Joan Didion(Vintage Books)

The Year of Magical Thinking →bookwebで購入

「ジョーン・ディディオンの心の風景」


 村上春樹の翻訳者であるジェイ・ルービンがニューヨーカー誌のポッドキャストである「New Yorker: Out Loud」(2011年8月30日付)で翻訳文学作品は読むなと言っている。何故なら作品はほかの言葉に移すことはできず、その結果、読者は翻訳者の主観から逃れられないからだと言っている。

 これが村上春樹の「1Q84」の訳者からの言葉だ。翻訳は非常に主観的な作業で、読者は翻訳者の脳にある枠のなかにはめられるとしている。

 「私のアドヴァイスに従って日本語をマスターした人は少なく、そのため私にまだ何らかの仕事がきていることを幸運に思う」とも語っている。

 確かにな〜と僕は思う。特にそう感じられるのが原文でヘミングウェイを読んでいるとき。このなんだか得体の知れないものが言葉の後ろに隠れているあの感じはどう訳しても正確に表すことができるものではないと思う。

 そして、今回読んだジョーン・ディディオンの「The Year of Magical Thinking」も訳文では表せない感情が言葉の陰にある作品だ。

 ジョーン・ディディオンは言葉の女性だと思う。センテンスは彼女にとってとても大切なものだ。

 「センテンスのストラクチャーの変化はそのセンテンスの意味を変える。言葉のアレンジメントは重要だ。そしてあなたが望むそのアレンジメントはあなたの心の中に見つけることができる。心の中のその風景が言葉をどうアレンジしていくか告げてくれ、その言葉のアレンジメントがあなたに、それか私に、その風景のなかで何が起こっているかを教えてくれる」とディディオンは語っている。

 今回紹介する「The Year of Magical Thinking」では反復されるセンテンスが数多く出てくる。ディディオンの言葉通り、その繰り返されるセンテンスから彼女の心の風景が透けて見える。しかし、どうして僕の中にその理解が生まれるのかは、言葉では説明できない。彼女の文章は「アート」の世界だ。そのインパクトをは たして訳文で伝えられるものなのか疑問だ。

 「The Year of Magical Thinking」。このタイトルは人類学的なものと言える。例えば部族のシャーマンがマジックを使えば死者を蘇えさせることができるというように、この本はディディオンが死についてマジカルな考えを通した約1年間のメモワールといえる。

 ディディオンの夫は作家/脚本家ジョン・グレゴリー・ダン。兄に調査報道ジャーナリストであるドミニク・ダンを持つ。

 2003年12月30日火曜日夜9時前後、マンハッタンの病院に入院している娘のクィンターナのところから自宅に戻ったディディンオンとグレゴリーは夕食を終え軽く酒を飲み出す。グレゴリーは喋っているが、次の瞬間、無言になる。ディディオンが彼の方を見ると、彼は左手を上げ、身体はぐったりとしている。悪い冗談だと思い「やめなさいよ」と言うが、彼は動かない。

 こうして夫のグレゴリーは心臓発作で死んでしまう。

 ふたりは夕食を取り、そして彼が消え去ってしまう。何でもない日。そして次の瞬間、全てが変わってしまう。

 ディディオンは彼の靴を捨てられない。彼が戻ってきたら靴が必要だと彼女は思う。ディディオンのマジカル・シンキングの年の始まりだ。

 一方、クィンターナは一度は回復するが、カリフォルニアで再び生命の危機を迎える(クィンターナも2005年に死んでしまう)。

 彼女はジャーナリスらしく「情報を得ることがコントロールを得ることだ」として、医学書、マナーの本、病院からの死亡報告書、物理学者スティーヴィン・ホーキングの文章まで読む。

 悲しみ(夫の死)や不安(娘の入院)のなかでディディオンの心の中にどんな風景が流れていったのか。この本はメモワールでありジャーナリズムでもある。

 心の中に生まれた風景を描くために、「言葉」の女性であるディディオンは言葉を慎重にアレンジして、彼女に何が起こったのかを私たちに伝えている。

 ディディオンの言葉が胸に響いてくる。英語で読める人は是非英語で読んでみて下さい。


→bookwebで購入

2012年10月22日

『Layer Cake』 J. J. Connolly(Black Cat)

Layer Cake →bookwebで購入

「足を洗いたいイギリス人マフィアの最後の仕事」

 A life of leisure.日本語にすると悠々自適の生活。アメリカ人やイギリス人の思い描く理想の人生のひとつとしてこの a life of leisureがある。
   素早くお金を儲けて若いうちに仕事を引退し、バハマにでも行って毎日海を眺めながらトロピカル・ドリンクを片手に浜辺に置いたデッキチェアーに寝ころんで日長な一日を過ごす、というような生活だ。

 今回紹介するJ・J・コノリーの作品『Layer Cake』にも、そうそうに仕事を引退したいと願っている主人公が登場する。

 物語の最後まで名前が明かされない主人公はいま29歳。30歳で仕事から足を洗い、気楽な人生を送るという生活設計を建てている。しかし、彼が考えているように上手く話が進むのだろうか。なんといっても、主人公は麻薬を密売するイギリスの暗黒社会に属しているのだから。

 ある日、主人公はマフィアのボスに呼び出され知り合いの娘の行方を探すように頼まれる。ボスの言い方は、もし彼が上手く探し出せば仕事から足を洗っても文句をつけないと言っているように聞こえる。主人公に選択の余地はなく、彼は早速娘の行方を追い始める。

 しかし、話はここからややっこしくなる。これまで取引をしていた一味から、エクスタシー(MDMA)の錠剤200万錠を売り裁いてくれと主人公チームに依頼がくる。退職金としては申し分ないと主人公と彼のチームは買い手を探す。

 しかし、この200万錠のエクスタシーは、取引一味がアムステルダムのネオナチ・ギャングから強奪したもので、その時取引一味は主人公たちの名前を語っていた。そしていま、主人公たちがイギリスでその錠剤の買い手を探している。どう見ても強奪をしたのは主人公たちに見える。主人公たちはネオナチ・ギャングからも目をつけられる。

 そうして、ボスの知り合いというのがビジネス界の黒幕的存在で、200万錠のエクスタシーの話を聞き、それを日本に送ろうと目論む。

 イギリスを舞台にしたこの物語は、ときにはコミカルにときにはシリアスに話が展開していく。

 それにこの本に出てくる英語は「Who the fuck is this Freddie geezer anway?(そのフレディとかいう野郎は一体誰なんだ)」という風にイギリスのストリート英語が使われている。そうかと思えば、お互いに「ミスター」を付けて呼び合うなど、イギリス人ならではの可笑しさもよく描かれている。

 映画にもなっているこの作品。時間を忘れる面白さだ。


→bookwebで購入

2012年10月11日

『The Art of Making Magazines』Victor S.Navasky, (編集), Evan Cornog, (編集)(Columbia University Press)

The Art of Making Magazines →bookwebで購入

「コロンビア大学ジャーナリズム科の雑誌についてのレクチャー」


アメリカの作家/脚本家で作家ジョーン・ディディオンの夫であったジョン・グレゴリー・ダンによると雑誌ジャーナリズムでは最終的に「Why」が「Who」「What」「Where」「When」「How」よりも重要になってくるという。それも抽象的な「Why」ではなく具体的な「Why」に重きが置かれる。

というジョンの言葉を読んで「おー、なるほど」と興味を持った人に読んでもらいたいのが、「The Art of Making Magazines」。

この本はもともとコロンビア大学ジャーナリズム科でマガジンの勉強を集中的におこなう学生や大学院生に向けてのレクチャー・シリーズをまとめたもので、そのレクチャラーのラインアップが凄い。

エル誌の編集長ロバータ・マイヤーズ、ワシントン・ポスト紙のコラムニスト、マイケル・ケリー、ニューヨーカー誌のファクトチェッカー、ピーター・キャンビー、ヴァニティフェア誌のデザイン・ディレクター、クリス・ディクソン、言わずと知れた有名編集者ティナ・ブラウン、コンディナスト・トラベラー誌のクリエーティブ・ディレクター、ピーター・カプラン、ハーパーズ・マガジン誌の発行人、ジョン・マッカーサー、名門出版社クノッフの編集長ロバート・ゴットリーブなどだ。

このラインアップに登場する編集者、デザイン・ディレクター、コラムニスト、クリエーティブ・ディレクターたちはその職につくまでに当然そのほかニューヨーク・タイムズ紙、GQ誌、エスクァイア誌、アトランティク・マンスリー誌、ローリング・ストーン誌、インスタイル誌、ミラベラ誌、サイモン・アンド・シュースター社、ニューヨーク・マガジン誌などに在籍した経歴があるので、レクチャー本文の冒頭に添えられている彼らの紹介文を読むだけで、マガジン好きの人なら脈拍数が上がること請け合いだ。

どのレクチャーも面白いが、普通の記事では絶対にお目にかかれないものをひとつ紹介しよう。

え〜と、と言ってもほとんどの内容が普通の雑誌や新聞に載ることがないものなので選ぶのに困るが、まあ、僕にとって特に興味深かったものを紹介する。どれが興味深いはもちろん人によって違うとは思うけれど。

では、ロバート・ゴットリーブのレクチャー。彼はウィリアム・ショーンの跡を継いでニューヨーカー誌の編集長を務めたが、出版社クノッフやサイモン・アンド・シュースターで編集長を務めトニ・モリスン、ジョン・チーヴァーなどの編集者でもあった。つまり、本と雑誌の両方の世界で編集長の経験がある。その経験から雑誌の編集者と書籍編集者の違いを語っている。

ロバートによると本の編集者は著者を守る立場にあるという。著者の仕事を理解し、同じ波長で接することが重要だという。本の編集では著者との信頼関係が必要となってくる。彼はトニ・モリスンとのやりとりを挙げている。彼の元でトニ・モリスンが短い小説「Sula」を書き上げたあと、彼はトニ・モリスンにこう言った。「これはソネットのようなとてもいい作品だ。もう一度同じような作品を書く必要はない。次は自分を自由に開け放って、もっと大きな作品に取り組んだらどうだろう。やるだけやって、失敗でもいいじゃないか。やってみよう」

ロバートはトニ・モリスンが自分でも分かっていたことを言ったまでで、編集者として彼女がやりたいと思っていることをやってもらうきっかけになる必要があったと言う。そして彼女が書いた作品が「Song of Solomon」だった。この長編作品はトニ・モリソンの評価を確定させる作品となった。

一方、ニューヨーカー誌の編集長として雑誌の世界も知っている彼は、雑誌の編集長の役割をこう語る。

「雑誌では編集長が神的な存在です。編集長はライターを守る必要はありません」。つまり雑誌では立場が逆となり、書き手が編集著の希望に応えなければならないのだ。全ての原稿は一度編集長の元に送られ、編集長が目を通し担当の編集者に渡される。ニューヨーカー誌の場合はそこからファクトチェッカーに回るのだが、ロバートは名物プルーフリーダーのエレノア・グールドのことを語っている。エレノアのファクトチェックを受けたスーザン・ソンタグが初めは「何故、彼女はこんな直しをするか理解できない」と言っていたが、そのうちに「ちょっと待って、この女性は天才だわ。並外れて優秀だわ。私が書いたもの全部を彼女にエディットして貰いたい」と言うようになったことや、エレノアとジョン・アップダイクとの戦いを語っていて、とても面白い。

その他にも、雑誌にはコピーエディターが必要だと語るバーバラ・ウォルラフ、自分のあこがれた女性雑誌エルの編集長にいかにしてなったかを語ったロバータ・マイヤーズ、雑誌作りの極意を語ったティナ・ブラウン、多くの有名編集者や作家たちとの関係を語ったピーター・カプランなどどれも見逃せないものばかりだ。

これぞアメリカン・マガジン・ジャンキーたちに贈る1冊と言えるだろう。面白かった〜。


→bookwebで購入