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2011年10月27日

『That Used to Be Us』Thomas L. Friedman, Michael Mandelbaum (Thorndike Press)

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「アメリカに未来はあるかを検証した本」


 この約10年間、アメリカは失策に継ぐ失策を続けてきた。バブルがはじけ、無理矢理始めた2つの戦争には「勝利」がなく、リーマンショックを引き起こし、経済刺激政策でお金をつぎこんでも経済は回復しない。

 道路、橋、鉄道、空港などのインフラは整備が遅れ、国の財政赤字は膨大に膨らみ、ミドルクラスの給料や所有資産価値が下がるなか、トップ1%の収入は大幅に上がり,社会の格差が広がった。そんななか政治は極右の台頭により右派、左派の対立が深まり有効な解決策を生み出せない。このアメリカに未来はあるのだろうか。

 この問題に取り組んだのが、3度のピューリッツア賞受賞経歴を持つジャーナリスト/コラムニストのトマス・フリードマンと外交と安全保障の専門家マイケル・マンデルバウム。

 この本はアメリカが立ち直るためには何が必要かを述べているが、その前に何故アメリカが今のような状況に陥ってしまったか、今アメリカはどんな問題に直面しているかを鋭い視点で語っており、僕としてはそちらの方も興味深かった。

 例えば、アメリカの発展には5つの柱が必要だという。公共の教育、インフラの整備、移民の受入れ、R&Dへの政府の援助、経済活動に対する妥当な規制の5つだ。

 アメリカでこの5つの柱がいかに立ち遅れてきたか、その発展を阻む文化がいかに生まれてきたかをこの本は見せてくれる。

 例えば今年始めに開かれた米国議会では合衆国憲法の全文が読みあげられた。歴史家によると議会で全文が読み上げられたのは史上初のことだという。極右のティーパーティたちが議会に送り込んだ議員たちの提案でおこなわれた訳だが、これは政府の支出を最小限に抑え、政府の力を封じ込めようとする彼らの考えが反映されている。

 ティーパーティのなかには合衆国憲法に立ち返り、それ以外の法律は全て無効にすべきだと叫ぶ人々がいる。政府の教育省、環境保護局などを解体し、すべて地元の人々が勝手に決める社会を目指せ、それが自由というものだという考え方だ。

 教育、インフラ整備などへの連邦政府の支出は大きな政府作るだけで、ましてや規則などで国民の生活に干渉するのは辞めろというかなりラジカルな声だ。

 これはアメリカを19世紀の社会に戻そうとする動きで、グローバルな競争が激化する現在、国際的な視野がまったく欠けている声だ。長く世界のトップ座にいたアメリカのなかには、アメリカが世界でいかなる地位にいるかを考慮しない人々がいる。

 この人々にとっては、世界の中のアメリカを語ること自体が非愛国的となる。アメリカはアメリカのやり方があり、ほかの国がなにをやってようと自分たちのやり方は変えない、それがアメリカだという訳だ。

 まあ、これは一例だが、この本に書かれてあることは、日本人としては常識で考えれば分かることだろうと感じるものが多い。本を読んでいるうちに、先ほどのティーパーティの人々のように突飛とも言える姿勢を取るアメリカ人、ひいてはアメリカという国に対し「何でこんな明白なことが分からないのだ」「なんでこんな簡単なことができないのだ」と感じてしまう。

 普通の日本人なら普通に分かるよと思うのだが、本を読み進めるうちに日本のことも考え始める。そして、アメリカに比べいまの日本が社会的、経済的に勝っていないことに気づく。アメリカの駄目さにすぐ気づく日本人が、自分の国の経済や社会を進めることができない。何故なのだろう。

 アメリカが陥った苦境を読み、その解決策を読みながら、一方で今の日本のことも考えさせられる本だった。

 「しかし、これにはハッピーエンディングがあるのだろうか・・・私たちはハッピーエンドを書くことができる。しかし、それをフィクションにするのもノンフィクションにするのもその国、つまり私たち全員にかかっている」と著者たちは括っている。

 この本は「ウォール街占拠」運動が始まる前に書かれた本で、その運動については触れられていないが、この運動を予測させる本でもある。


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2011年10月18日

『Crime Wave』James Ellroy(Vintage Books )

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「ロサンゼルス・アンダーワールドのレポと短編」


 ボストンの大学を卒業して、ニューヨークで編集の仕事をみつけるまでの3年間、僕はロサンゼルスで暮らした。

 ロサンゼルスでは大学院に通ったが、お金が無くなり大学院を卒業をする前に働きだした。その3年間に3度引っ越しをした。お金が許せば、サンタモニカやウエストウッドなど海の近くにある街に住みたかったがそうもいかず、ロサンゼルスの東になるウィッティアやローズミードという土地でアパートを借りた。近くにはエルモンテ、ダウニー、サン・ゲーブリエル、ウエスト・コビーナという名の街があった。
 
 週末や休日などに酒を飲んだり食事をしたりするのは、決まって華やかさに欠けるそんな街の酒場やレストランだった。

 先日、ニューヨークの書店でジェームス・エルロイの『Crime Wave』を見つけた。アメリカの『GQ』誌に掲載された作品を集めた本だ。この本には短編も含まれているが、作品の多くはノンフィクションだ。それもエルモンテやウエスト・コビーナなどで起こった殺人事件を追っている。

 エルロイがこの土地での殺人事件を追うには理由がある。

 彼は48年にロサンゼルスで生まれた。まだ6歳の時に両親が離婚し、その後エルロイは母親と父親のもとを行ったり来たりする。そして、58年、エルモンテの街で母親の死体が発見される。母親はアル中で男遊びも盛んな女性だった。母親の死は殺人と断定されるが犯人は見つからず、事件は迷宮入りになってしまう。

 それから数年後に父親も心臓発作で死んでしまう。母親の死から20年間、エルロイは酒を飲み、薬をやり、万引きや窃盗まで犯す荒んだ生活を送った。逮捕歴も30回近くというから、その荒み方も中途半端なものではない。

 しかし、77年に酒を辞めその2年後には最初の作品となる『Brown's Requiem』を発表した。八七年には『The Black Dahlia』、そして96年には『My Dark Places』を出版している。『My Dark Places』は母親の死と真っ直ぐ向き合った作品だ。

 自分に作家としての「声」を与えてくれたのは母親の殺人事件だったとエルロイは言っている。その「声」の源ともいえる事件を追った『My Mother's Killer』というノンフィクション作品が『Crime Wave』には掲載されている。『My Dark Places』の原形となった作品だ。事件当時の警察のファイルを調べ、関わった人々の行動を追っている。他の作品もさることながら、乾いた文体で綴られているこの1作を読めるだけでも『Crime Wave』を手に取る価値は十分にある。

 
 
 


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2011年10月06日

『Call If You Need Me : The Uncollected Fiction and Other Prose』Raymond Carver(Vintage)

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「苦しかった昔を思い出させる本」

 以前、と言ってももう十年以上も前のことだが、僕は住み慣れたアメリカ東海岸を離れ、西海岸に引っ越しをして、南カリフォルニアに暮らしたことがある。
 僕が住んだ場所はロサンゼルスからずっと東に行った小さな町だった。近くにはピコ・リベラ、サイプレス、ウエスト・コビーナなどという聞いたことのない名の町があった。

 その町で、僕はミュージシャンになることを諦め、30歳半ばにして初めてまともな仕事に就いた。

 しかし、毎日が気味なく、どこまでも同じ景色が続く町と、同じことの繰り返しの生活に身体の中が干上がっていくような気がした。

 3年後、僕は当時のガールフレンドと一緒にトラックを借りて荷物を詰め込み、車一台を引っ張ってニューヨークに戻って行った。ニューヨークに着いて数ヵ月で、僕はそのガールフレンドと別れた。

 僕の生活で何かが変わらなければならなかった時期だった。

 レイモンド・カーヴァーのストーリーを読むと、僕は決まってその3年間の生活と、その後のニューヨークでの独りの時間を思い出す。上手くいかなかった恋人との関係や、自分の希望に反して人生をまたいちからやり直さなければならなかった自分と、カーヴァーのストーリーを重ねて読んでしまうからだろう。僕が住んでいたような西海岸の小さな町が、多くのストーリーの舞台になっているのも理由のひとつだ。

 当時新たな5本のストーリーが発見され、本としてまとめられたカーヴァーのこの本を手にして、僕は久しぶりに本棚から昔のカーヴァーの本を引っ張り出した。

 好きなストーリーを2、3本読んでから、僕はこの本を読み始めた。

 ストーリーは、人生における精神的な危機の瞬間を描いた作品が多い。例えば、表題となった『Call If You Need Me』はやり直しをしようと試みるが、もう引き返すことができずに離婚をしてしまう夫婦の話だし、『Vandals』は妻の前の夫の友人たちと時を過ごす夫婦が抱える精神的ダメージを浮き彫りにした作品だった。この本にはそのほか、エッセイや初期の作品、書きかけの長編の一部などが収められている。

 カーヴァーも過ぎてしまった時間も、もう戻ることはないとしんみりしてしまった一冊だった。


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