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2011年06月29日

『A Singular Woman : The Untold Story of Barack Obama’s Mother 』Janny Scott(Riverhead Books)

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「オバマ大統領の母親の伝記」


 海外で子供を育てることにはいろいろな悩みがつきものだ。言葉の教育をどうするか、その子の子供時代の生活場所を最終的にどこにするか、自分の仕事と子供の暮らしに矛盾がでてきてしまった場合、どちらを優先させるべきかなど、難しい選択に迫られることが多い。

 今回読んだ「A Singular Woman」はオバマ大統領の母親の人生に光をあてた伝記だ。著者はニューヨーク・タイムズ記者のジャニー・スコット。

 オバマの母親スタンレー・アン・ダナムはカンザス州に生まれた白人女性だ。彼女は両親の都合で何回も引越しをし、ハワイの大学に入学する。彼女はそこで、独立を前にしたケニアから来たバラク・オバマ・シニア(オバマ大統領の父親)に出会い、すぐに結婚をし61年に息子のオバマをハワイ州で産んだ。

 彼女はまだ18歳だったばかりでなく後にオバマ・シニアにはケニアにすでに妻がいたことが分かる(ケニアの妻は彼が二人目の妻を取ることを許していた)。翌年、オバマ・シニアはハワイの大学を卒業しハーバード大学に入学。アンは生まれたばかりの子供と共にシアトルの大学に移っていく。

 63年にハワイの大学に戻ったアンは、インドネシアからの大学院留学生ロロ・ソエトロと出会い、2度目の結婚をする。ロロはインドネシアに戻り、アンも67年に6歳の息子を連れてインドネシアに移り夫との暮らしを始め、娘をひとりもうける。

 英語の教師や政府系機関の仕事をするアンは、自分のキャリアのためには人類学の博士号が必要で、息子には英語の教育が必要だと感じる。一方ではインドネシア人の夫と、インドネシア人の娘がいる。そして、息子の方は黒人との混血児で、周りから嘲りの対象となる。どうやってこの人生の荒波を乗り越えていくか。

 オバマ大統領の母親の伝記ということで、息子オバマとの彼女の関係を描いていけば最も簡単だが、著者はその誘惑をこらえ、アンの人生を描いている。成人してからの大半の時間をインドネシアで過ごした母親。息子との生活を選ばすに、インドネシアに留まる母親はどんな思いがあったのだろうか。

 この本を読む限り、アンは優秀で粘り強さはあるが、ひとつひとつの計画を次に繋げていくタイプの人間ではなかったようだ。彼女の人生は混乱し、経済的にも彼女の両親に頼った部分が多かった。しかし、彼女の価値観はしっかり息子に伝えられている。

 「表面の違いの下では我々はみな同じで、みな悪いところよりよい部分が多いという感覚。これが彼女が持っていた世間知らずで理想主義な部分で、それが私のなかにある世間知らずで理想主義的な部分なのです」

 と彼女の息子は語っている。

 普通のアメリカ人とは全く異なった人生と、人生の選択をした女性の優れた伝記だ。



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2011年06月19日

『Hooking Up 』Tom Wolfe(Farrar Straus & Giroux)

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「子供の喧嘩のようなトム・ウルフの作品」


 アメリカの作家トム・ウルフ が小説『Man in full』を出したのは1998年11月だった。出版元のファーラ・ストラウス&ジローは『Man in Full』の初版を120万部とすると発表した。

 注目を集めたウルフの小説はベストセラーとなり、初版部数を全て売り切り、2万5000部ずつ7回の増刷を記録した。

 ベストセラーになった『Man in Full』だが、アメリカ文学界の大御所ともいえる三人の作家はウルフの新作を酷評した。その三人とは、ジョン・アップダイク、ノーマン・メイラー、ジョン・アービングだった。三人の共通した意見は「ウルフの作品は文学と呼べるものではなく、小説とさえ呼べない。むしろジャーナリズム、あるいはエンターテインメントに属するもので、ウルフは文学者ではない」というものだった。

 とここまで『Man in Full』の話をしてきた理由は、ウルフの『Hooking Up』に『My Three Stooges』というエッセイが収められているからだ。スリー・ストゥージズとはアメリカのコメディー番組で日本でも「三ばか大将」という名前で知られていると思う。

 しかし、ウルフのいう「三ばか大将」とはもちろん、アップダイク、メイラー、アービングのことだ。このエッセイのなかでウルフは「アメリカ文学は死んでいる」と言い、その理由をアメリカの作家がいまのアメリカを伝えることを止めてしまったからだとしている。

 ウルフはエッセイのなかで三ばか大将、つまりアップダイクたちがいかにいまのアメリカを見ずに作品を書いているかを指摘している。アップダイクもメイラーもその後、2009年、2007年とそれぞれこの世を去ってしまって、すでにこの論争は歴史の領域に入りつつある。

 『Hooking Up』には、そのほかテレビのニュース番組の内側を題材にしたジャーナリスティックな小説や、シリコンバレー特有のカジュアルな企業文化が生まれた経緯、若者のクラブシーンからのルポルタージュが収められている。

 つまり、ウルフは自分のジャーナリスティックな手法が正しいものだと訴え、その見本として自作の小説やルポルタージュを掲載しているのだ。 

 『Hooking Up』にはまた『ニューヨーカー』誌と当時の編集長であったウィリアム・ショーンを批判したエッセイが収められている。

 『Tiny Mummies!』と題されたそのエッセイはウルフが1965年に『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』に掲載したものだ。そして、本の最終には『ニューヨーカー』誌のレナーダ・アドラーが2000年に出版したメモワール『Gone: The Last Days of The New Yorker』から「私がこれを書いているいま、ニューヨーカー誌は死んでいる」という彼女の文を紹介し、そんなことは35年前から自分が言ってきたことだと締め括っている。

 トム.ウフルくらいの大作家になっても、子供の喧嘩みたいだ。こういうのをアメリカ魂というのだろうか。


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2011年06月06日

『Chelsea Horror Hotel』Dee Dee Ramone(Da Capo Press)

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「ニューヨークのパンク魂溢れる物語」

 ニューヨークのパンク・バンド、ラモーンズのボーカルだったジョーイ・ラモーンは2001年4月に49歳で死んだ。僕は、ニューヨークのイーストビレッジにあるマクドナルドで一度ジョーイをみかけたことがある。長髪の身体の大きなほかの男たちに守られるようにしてレジの側に立ち、仲間のひとりが注文をするのを眺めていた。見上げるような彼の背の高さが印象的だった。
 その頃、僕はロワー・イーストサイドから生まれたパンクの歴史が口述形式で語られる「Please Kill Me」という本を読んでいた。「Please Kill Me」はルー・リード、リチャード・ヘル、イギー・ポップなどのパンクの先駆者たちともいえる人々のコメントが載っていた。ジョーイ・ラモーンのコメントももちろん含まれていた。

 それから数ヶ月後、イーストビレッジの本屋でラモーンズのギタリストであったディー・ディー・ラモーンが書いた小説を見つけた。「Chelsea Horror Hotel」というそのタイトルと表紙の絵が面白くその本を買った。

 「Chelsea Horror Hotel」はチェルシーホテルを棲みかとしているディー・ディーが主人公となり、ドラッグをやり殺人まで犯してしまうという話だ。イギリスのパンク・バンド、セックス・ピストルズのベーシストだったシド・ヴィシャスや、ニューヨークのグループ、ハートブレーカーズのジョニー・サンダースなど死んでしまったミュージシャンたちが脇役として次々と登場する。ディー・ディーももうこの世にいないが、彼の描いたチェルシーホテルはまるでお化け屋敷だ。

 ジョーイ・ラモーンが出てくるが、ジョーイの死がその場面をブラック・ユーモアの極みとさせている。ディー・ディーは、ラモーンズを再結成させ一儲けをするため。みんなジョーイの死を待っているんだと友人に語る。そして、ジョーイが死んだら死体をミイラ化させ、再結成ラモーンズのステージで使うという。その使い方というのが、天井からのワイヤーで吊るされたジョーイのミイラを車椅子に座らせ、コンサートの最後の曲の途中に踊らせるというもだが、もしこれを本当にやったとしたら、ニューヨークのパンク・ファンは狂喜乱舞しそうだ。ロワー・イーストサイド流のシック・ジョークだ。

 物語の最後は、自分の脳みそに直接ヘロインを打ち込み死んでしまうというもの。死体の周りにはデーモンが集まり、ディー・ディーは地獄へ落ちて行く。最後までニューヨーク・パンク魂溢れる物語だった。
 



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