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2011年01月28日

『Autobiography of Mark Twain: Volume 1』Mark Twain(University of California Press)

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「100年の時を超え出版されたマーク・トウェインの自伝」


 昨年の11月にマーク・トウェインの自伝が出版された。これはトウェインが残した5000ページに上る自伝の原稿を出版したものだ。

 トウェインは1910年の4月にこの世を去ったが、この自伝の原稿については自分が死んでから100年間は出版を差し控えるようにというメモを残した。

 トウェインの意思は完全に尊重されたとは言えず、残された原稿はこれまでに複数回部分的に出版されてきた。しかし、今回はトウェインのお墨付きがあるので、原稿の全てが完全な形で出版された。しかし、今回の出版は第1巻が刊行されただけで、最終的には第3巻までが刊行される予定だ。

 第1巻と言ってもイントロダクション(序文)だけでも58ページあり、解説やインデクスが200ページ以上付き、総ページにすると700ページを超える大作だ。

 この自伝を出版したカリフォルニア大学プレスは当初価格35ドルのこの本の刷り部数を7500部とした。ページ数、価格の高さからいうと妥当な数字だと思われた。しかし、出版をしてみるとニューヨーク・タイムズのベストセラーリストの上位に入る売上げを見せ、ニューヨーク・タイムズの11月の記事によると、瞬く間に27万5000部を売り上げたという。

 印刷が間に合わず、書店では売切れとなり、僕自身もバーンズ・ノーブルのインターネット書店に本が到着するのを待たなくてはならなかった。

 トウェインは1870年から1905年まで、幾たびとなく自伝の執筆を試みたが、すべて不発に終わった。その試みは30回から40回にのぼった。自分で書いた自伝原稿はトウェインの思ったような自伝ではなく、結果は常に不満の残るものだった。

 彼が最終的に採用したのはディクテーションの手法だった。速記者を雇い、ベッドなどに寝転びながら思いついたことを語っていく。このやり方なら、文章も「文学的」に成り過ぎることもなく、ナレーティブの自然な流れも遮られることがないとトウェインは感じた。

 そして、自分の死後100年間は出版をしないという不思議と思える条件は、自分の思いを曲げずに語りたいというトウェインの強い希望から生まれたものだ。

 自分の人生に関わった人々の人物のことを語る場合、もし当の本人やその子供たちがまだ生きているうちにその自伝を読むと分かっていたら、自分は本当の気持を語ることができない。

 この心の負担を軽くし、より真実に近い自伝を残すためには、多くの時が経たなくてはならないとトウェインは考えた。そのため、自分の死後100年間はこの「真実」の自伝の出版を禁じたのだ。しかし、それでも人間が自分自身の本当の気持を言うことは難しい作業だとトウェインは語っている。それは、あまりに醜く、また自分をよく見せたいという誘惑はあまりに強いと言っている。


 700ページを超えるこの本は、1ページ目を読み始めてから一気に最後のページまで読み進める種類の本ではないと感じた。特に年代順に話が進むわけでもなく、ひとつの話と次の話に関係がある訳でもない。

 好きな時に、好きなページを開いて、少しずつ読み進めていくのが一番いい読み方だろう。100年以上前の話なので、解説を読んだり当時の状況を調べたりしながら読んだ方が分かりやすい。

 ディクテーションによる自伝は200ページを過ぎるまで始まらないが、トウェインの住んだイタリアのフィレンツェ近くの大きな家やその家の大家に対する悪口なども読むことができる。

 いまだに親しまれているトウェインの人柄や彼に何が起こったかが分かるとても興味深い作品だ。



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2011年01月15日

『I Remember Nothing 』Nora Ephron(Alfred a Knopf)

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「ニューヨーク気分に浸れるエッセイ集」


 ニューヨークの街と切っても切れない関係の作家たちがいる。その作家のことを考えるとニューヨークを思い出し、ニューヨークのことを考えるとその作家たちのこと思い出すという具合だ。

 ウディ・アレンやジェイ・マキナニー、それにキャンディス・ブシュネルなどがそんな作家たちだ。そして、ノーラ・エフロンもとてもニューヨークの街を感じさせてくれる。

 エフロンは映画「恋人たちの予感」では脚本を担当し、「めぐり逢えたら」「ユー・ガット・メール」「奥様は魔女」で監督・脚本を務めた。

 映画分野で知られているエフロンだが、彼女はもともとジャーナリストで、ニューヨーク・ポスト紙の記者だった(ニューズウィーク誌のファクトチェッカーからニューヨーク・ポスト紙の記者に転身した)。

 エフロンはいま69歳になり3度目の結婚生活をニューヨークで送っている。彼女の2度目の結婚相手はニクソン大統領のウォーターゲート事件を暴いたジャーナリストのカール・バーンステイン。2人目の子供を身籠っている時に、バーンステインが浮気をしていることを発見し離婚をする。この時の顛末は彼女の最初の本となる「Heartburn」に書かれてある。この本はジャック・ニコルソン、メリル・ストリープ主演の邦題「心みだれて」(脚本:ノーラ・エフロン)という映画になった。

 今回出版されたのは、彼女のエッセイが22本収められている「I Remember Nothing」。

 エッセイのひとつ「Journalism: A Love Story」では、1962年の記者ストライキでニューヨーク・ポスト紙が発行されない間にポスト紙のパロディ新聞の発行に参加した話が書かれてある。エフロンはポストに連載されていたレオナード・リオンズを真似てゴシップ・コラムを書いた。ポスト紙の編集者たちはエフロンたちを訴えようと言ったが、社主のドロシー・シフは「馬鹿なことを言わないで。ポストのパロディを書けるならポストにも書けるはずだわ。雇いなさい」と言い、彼女を雇うよう命令した。ニューズウィークのファクトチェッカーだったエフロンはこの話に飛びついた。

 ニューヨーク・ポスト紙は当時ニューヨークで発行されていた7つの新聞のひとつで、アフタヌーン・ペーパー(午後の新聞)としての地位を築いていた。モーニング・ペーパー(朝の新聞)との違いは「Who What Where Why When and How」のいわゆるファイブWとワンHで書くその日の一番ニュースを知らせる新聞ではなく、視点を持ってその出来事を解説していく点にあった。記事に視点があるため人々はモーニング・ペーパーのほかにアフタヌーン・ペーパーを買った。エフロンは自らの視点や意見を込めて記事を書いた。

 そうしてもひとつニューヨーク・ポストで学んだことはどんな記事を任されても「それは何ですか」「どうやってその人にコンタクトを取るのですか」「それは知りませんでした」と言わないこと。記事を任されたあとに自分の机に戻って自分のコンタクトを使って何をしたらよいかを見つけ出すことだった。

 また表題の「I Remember Nothing」では、エフロンがビートルズのアメリカ上陸を新聞記者としてリポートし、あの有名のエドサリバン・シアターの舞台裏にいたことを書いている(60年代はこの日から始まったといえる)。彼女はファンの少女たちが馬鹿みたいな様子だったことを憶えているが、ビートルズがどんなふうだったか憶えていない。

 また、彼女は67年におこなわれたワシントンD.C.での反戦マーチに参加した。彼女は当時のボーイフレンドだった弁護士と一緒にこの反戦マーチに出かけたが、ホテルでほとんど一日中セックスをしていた。マーチのことは全然憶えていなくて、ペンタゴンに行ったかどうかさえも思い出せない。一方、ノーマン・メイラーはこのマーチのことだけで一冊の本「The Armies of the Night」を書き、ピューリッアー賞を受賞している。自分はこの日について2パラグラフだけしか書けないと言う。

 その他、映画の話やニューヨークのレストランのエッセイ(彼女の名前を冠したミートローフの話)など、期待を裏切らない面白さだ。

 1作が数ページと短く読みやすく、ニューヨークの街の楽しさが体感できる作品なので、ニューヨーク好きな人や気軽な作品を読みたい人にお勧めだ。


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