« 2010年07月 | メイン | 2010年09月 »

2010年08月31日

『I Was Told There’d Be Cake 』Sloane Crosley(Riverhead Books)

I Was Told There’d Be Cake →bookwebで購入

「若い独身女性とニューヨークの街が引き起こす不協和音」


 ニューヨーク郊外のホワイトプレーンズで子供時代を過ごし、ニューヨークで働き出した20サムシングの女性スローン・クロスリー。この本は彼女のユーモラスなエッセイ集「I was told there’d be cake(私はそこにケーキがあると言われていたわ)」。ニューヨークで若い女性がどう暮らしていくかについてのユーモラスで風刺が利いた内容で気軽に読める。ニューヨークに暮す若い女性によるエッセイは、古くはドロシー・パーカーなども書き、伝統的なものと言える。

 スローンの職業はニューヨークに拠点がある大手出版社ヴィンテージ/アンカーのパブリシスト。彼女が編集者ではなく、パブリシストであることが僕の興味を惹いた。マンハッタンで活躍するパブリシストと言うと、本好きだが編集者とは別の人種という雰囲気がある。

 この「I was told there’d be cake」はケーブルTV局のHBOが放送権を取得した。HBOは、ご存知ニューヨークを舞台とした「セックス・アンド・ザ・シティ」シリーズを放送し始めたケーブルTV局だ。こんな話題からも、このエッセイ集の雰囲気が分かると思う。

 短いエッセイのいいところは、ちょっとした時間の合間にさっさと読めるところだろう。500ページを超える長編を読むときは、4、5日じっくり時間を取って読むことになるが、こちらの方は食事の後とか、子供との遊びの合間とかに1作の半分を読むといった読み方ができる。また、長編では時間が空くと登場人物たちの関係が分からなくなったり、名前を忘れたりするが、エッセイ集ではそんなこともない。

 スローンのエッセイは、いわゆるエスプリを利かせ高みから面白く事象を切ってみせるものではない。この本は手探りの状態でニューヨークでの生活を始めた著者の、自分がどのような状況に陥っているかの現状報告と言っていいだろう。子供時代の話も交え、自己や他者に対する皮肉な感情や、この街で暮すことについての難しさを語っている。

 彼女は、出版業界に仕事を見つけ、ボスとの折り合いの悪さにうんざりし、時には嘘をつき会社を休む。ボーイフレンドのアパートに泊まり込み、父親から突然の電話を受ける。

 また、違うエッセイでは、ハイスクール時代に親友だった女性から突然ブライズ・メイド(花嫁の付添人)になることを求められる。ボストンに住む彼女との関係はスローンのなかではすでに思い出に属するものとなっている。しかし、昔の友情を壊す勇気は彼女にはない。心のなかではいやいや、しかし表面は丁重に彼女と接する。この状況のなかで、彼女は自分の社会的責任、友情とは何か、相手の「押し」にどこまで応えるべきかなどの難問に答えを出そうとする。自己の精神衛生に関わる問題だ。ニューヨークの街が持つ価値観が、彼女の決定に影響を与えていることも間違いない。

 若い独身女性とニューヨークの街が引き起こす不協和音は、永遠の文学テーマといえるだろう。



→bookwebで購入

2010年08月20日

『 Everything Ravaged, Everything Burned 』Wells Tower(Picado)

 Everything Ravaged, Everything Burned →bookwebで購入

「ニューヨーカー誌が選んだ「40歳以下の作家20人」のひとり、ウェルズ・タワーの短編集」


 ニューヨーカー誌が最近発表した「20 Under 40(40歳以下の作家20人)」の一人に選ばれたウェルズ・タワーのデビュー短編集。

 タワーは「20 under 40」に選ばれた時点では37歳。彼はコロンビア大学でフィクション・ライティングの修士号を取得した。賞としては文芸誌パリ・レビューのプリンプトン(ディスカバリー)賞、プッシュカート賞などを受賞している。2009年に発行されたこの「Everything Ravaged, Everything Burned」はニューヨーク・タイムズ紙に取り上げられ、書評家のミチコ・カクタニがその年のベスト10の中にこの本を選んだ。

 この本には表題作の「 Everything Ravaged, Everything Burned 」を含め9作の短編が収められている。アメリカにはジョージ・サウンダースやカレン・ラッセルなどの寓話的な物語を書く作家がいるが、タワーはそれらの作家とは異なり、現実感のあるキャラクターと風景を掘り下げ、そこから一筋の光を与えるという手法を使っている。兄と弟、少年と義理の父、少女と従姉妹などの関係を軸に物語が展開される。

 ニューヨーク誌は彼の作風を男性的なヘミングウエイ、カーヴァー、フォークナー、ロス、チーヴァーなどの作風と比較している。猟での物語、不倫、暴力、飲酒などが題材となっているので、そんなところも上記の作家と比較できるところだろう。

 僕個人としては、にやりと笑ってしまうところもあったが、全体的な読後感としてはカーヴァーと同質のダウンな感覚が身体に残った。

 作品は長くて30ページほど、表題作を除いて全て現代のアメリカが舞台となっている。主人公はほとんどが中産階級の下、あるいは下層階級の上部に属している。会話もその階層の人々の使う言葉で展開され、こんなところもカーヴァーの風景を感じさせる。

 タワーの作品の登場人物はなにも大きな目標など持っていない。自分の生きている限られたスペースの中で、小さな危機を迎え、絶望の闇を垣間みる。タワーの物語の魅力は、登場人物の感情を正確に浮き上がらせる文章にある。それと、読者の心の中でギアがカチャリと音と立てて噛み合うような感情を導く情景描写のうまさだろう。

 荒涼とした景色のなかに続く一筋の光。しかし、その光を追っても救いに辿り着くことはない。読者は、その光を追う登場人物たちの姿を見て、ダウンな気持になるが、一方では心の中に静寂が生まれるのを感じる。

 タワーの物語は、寂しい清涼感を与えてくれる。ジョナサン・サフラン・フォー、ジョージ・サウンダース、カレン・ラッセルなどの「オリジナル」な物語に疲れを感じる人々には、タワーの登場は祝福とも言えるだろう。




→bookwebで購入

2010年08月13日

『The Thousand Autumns of Jacob de Zoet 』 David Mitchell(Random House )

The Thousand Autumns of Jacob de Zoet →bookwebで購入


 日本を舞台にした小説「The Thousand Autumns of Jacob De Zoet」。著者はイギリス出身の注目の作家デヴィッド・ミッチェル。ミッチェルは2007年のタイム誌で「世界で最も影響力のある小説家」の一人に選ばれ、イギリスの権威ある文学賞であるブッカー賞の最終候補に2度も残っている。

 それに、文芸誌グランタの「若手イギリス作家ベスト20」の一人にも選ばれた。文学界では彼の才能は「本物」だという評価が定まっている。

 彼の新作の発刊を知ったのはニューヨーク・タイムズ日曜版のブックレビューだった。評者が作家のデイヴ・エガーズで、やはりこれは人目をひいた。

 著者の経歴を読むと英語教師として広島で8年間暮らしたとあり、日本人としては親近感も生まれる。

 物語の始まりは1799年の日本。場所は長崎の出島だ。主人公の De Zoetはオランダ東インド会社の会計係として、 新たなオランダ商館長となるヴォルステンボーシュと共に出島にやってくる。それまでの会計に不正の疑いがあり、 日本側の記録とつきあわせ、帳簿を正す作業を行う。

 De Zoetの見た出島は、日本側、オランダ側を問わず不正、裏切り、密告、騙しが横行する場所だった。

 De Zoetにはオランダに婚約者がいて、出島で金と地位を得て故郷に帰ろうと考えている。しかし、その思いはオリトという女性と出会い変わってしまう。オリトは、優れた知識を持つ助産師で出島の医者マリナスの主催のセミナーのメンバーとなっていた。

 オリトの父親が大きな借金を残して死に、エノモト僧正が借金を肩代わりする代わりにオリトを買い、彼女を自分の権力内の寺院の尼とするところから物語は急展開していく。

 第2章では、 De Zoetではなくオリトに心を寄せる通詞(通訳)オガワ・ウザエモンの運命やその寺院で行われている悪魔的な結社の姿が語られていく。

 その後、1799年の末にはオランダ東インド会社は解散してしまい、オランダ自体がフランスに占領されてしまう。この辺りの国際事情は実際の歴史と重なる。イギリスが出島の乗っ取りをもくろみ、 De Zoetたちは日本側と共に、出島の防衛に乗り出す。

 約500ページに及ぶこの物語では、登場する人物の人生が丁寧に書き込まれていて読み応えがある。ミッチェルは情景描写に日本的な要素を取り入れ、しっとりとした感情を呼び起こすことにも成功している。

 また、 De Zoetはヘンドリック・ドゥーフという、18年間も出島に滞在し日本人女性との間に子供ももうけた実在の人物をモデルとしており、そちらの史実を紐解くのも面白い。

 センチメンタルに流されず、美しく、残酷で、そして心が裂けるような感情を呼び起こすミッチェルの物語は上質な絹の感触がした。


→bookwebで購入