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2010年05月28日

『The Walk』 Richard Paul Evans(Simon & Schuster)

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「神が与えてくれた運命の道を歩く」


 神が与えてくれた運命の道。人は時にその道に出会うときがある。この命題を受けて書かれたのがこの「The Walk」だ。

 主人公のアラン・クリトファーセンはシアトルで広告会社を経営する若い実業家だ。
会社の経営はうまくいっており、よい車も、豪邸といえる家もある。そして、なにより彼は、幼なじみで最愛の女性マッケールを妻としている。

 しかし、大切なクライアントを前にプレゼンテーションをしているとき、アランの元に妻が落馬をして病院に運ばれたという知らせが入る。

 彼は、プレゼンテーションをパートナーのカイルに任せ、病院に急ぐ。妻の容態は思わしくなく、数日たって彼女は半身不随に陥ったと判明する。

 彼は最愛の妻に献身的につきそい、会社をパートナーに任せる。彼女は退院して家に戻るが、尿道管から菌が入り敗血症を引き起こしてしまう。そして、数日後、彼女はこの世を去る。

 最愛の妻を失ったアレンは仕事にもどるが、パートナーのカイルが仲間社員のひとりと組んで、アレンのいない間に新しい広告会社を建ち上げ、クライアントのほとんどを連れて行ってしまったことを知る。

 彼は会社の再建を目指すが、車が差し押さえられ、家も競売にかけられることになってしまう。

 この逆境のなか彼は、すべてのものを捨てて「歩く」ことを決断する。たまたまその場にあった地図を広げ、自分のいる場所から歩いていける一番遠い土地、フロリダ州キーウエストを目指して徒歩の旅に出る。

 この本は全5巻のシリーズとなる予定で、今回の第1巻はシアトルからワシントン州スポケンまでの道のりが書かれてある。

 スポケンに辿り着く道のりで、彼は子供の頃に性的虐待を受けたウエイトレス、一度死の世界を体験し生き返った経験を持つ宿の女性オーナー、そして文字通り彼の「天使」となる女性に出会う。

 この旅は人間の力の及ばない神が彼に与えた運命であることは間違いない。

 出会う人々が彼の人生を変え、彼もその人々の生き方を変える物語になりそうだ。ベストセラーシリーズの誕生といえるだろう。


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2010年05月21日

『A Day in a Medieval City』Chiara Frugoni(University of Chicago Press)

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「中世イタリアの町の暮らしが分かる本」


 昨年の夏休みに生まれて初めてやっとフランスとイギリス以外のヨーロッパに行った。出かけた場所はローマとフィレンツェ。かつて作曲科専攻の学生だった僕は、音楽を通して絵画や彫刻などの芸術史を学んでいった。音楽はバロックとルネサンス(もちろんロックもだが)が好きなので、やはりルネサンス、ロココ、バロック時代の芸術が好きだ。

 という訳で、ずっと訪れてみたかったフィレンツェに行けたことは人生の収穫ともいえる出来事だった。

 しかし、イタリア人はなにを作るにしても、な〜んであんなに大きくなくてはならないのだろう。広場も家も、家の入り口も「これでもか!」というぐらい大きい。町には塔があり、町によっては金持ちが争って町で一番高い塔を作ったという。

 飾り物にしても、しぶい一品を見せるなどということは絶対にない。こちらも「これでもか!」というくらい手の込んだ装飾品を並べている。それもよく見ると、沢山ならんだ飾りものは同じテーマのものだが、少しずつ違っていたりする。

なるほどこれは凄いと思わせるものがフィレンツェには数多くあった。

 今回読んだのは「A Day In A Medieval City」。日本語にすると「中世の町での1日」。著者は中世歴史家で図像学の専門家であるキアラ・フルゴーニ。序章には、70年に交通事故で亡くなった、イタリア中世の歴史家だった父親アルセニーオ・フルゴーニが残した原稿が使われている。

 表題の「中世の町」は今のイタリアに位置する土地にあった中世の町と言っていいだろう。

 キアラの解説は、当時の時間の概念や一日の始まりから述べられ、町の外壁での出来事から、町の中の出来事に移っていく。全体的な流れとしては、朝から夜、町の外から家の中に入っていく構造となっている。

 題名からして、中世のある特定の町での人々の暮らしが述べられると思っていたが、内容は少し違った。

 内容は当時の絵画やボッカチオやダンテ(どちらもフィレンツェの作家)の記述をもとに、当時、人々がどのような暮らしをしていたかを探るものとなっている。

 この本で最もうれしかったのは使われている絵画の多さだった。全体のページ数は、後注を除くとわずか177ページだが、そのなかに150点を超える絵画イメージが使われていた。そうして、なんと全ての絵画がフルカラーで掲載されているのだ!!

 これはとても豪華で、読者は大変な得をした気分になる。

 絵を見ただけでは、それがどんな絵なのか即座には分からないが、キアラの解説で、その当時の暮らしや考え方の一端が窺える仕掛けだ。

 例えばふたりの男が手を繋ぎ合い、赤いマントまとったひとりが何か液体の入ったフラスコを掲げて眺めている。一見して何の絵だか分からないが、キアラの解説でこれは医者が身体の具合の悪い患者を診ている場面だと分かる。

 医者は男の脈をみて、フラスコに入れた小便を検査しているのだ。当時、赤のピグメントはとても高価なのもで、よくみるとマントには毛皮の縁取りもなされている。医者はこの時代から、高い治療費を取り裕福な生活を送っていた。もちろん、人体器官の理解はなく、脈と小便の検査だけでいろいろな治療を施していた。

 また、腰に袋を下げ、さいころを手にした男の絵がある。これも何の絵だか分からないが、キアラの文章からこれが手紙の配達をする男の絵だと分かる。

 当時、町の決まりなどの公の知らせは馬に乗った布告人がトランペットの音とともに告げたが、それ以外にも町の触れ役が住人に知らせを伝え歩くこともあった。また、お金をとりメッセージを伝えるメッセンジャーもいた。彼らは、通りや酒場で客を待つのだが、酒やギャンブルにのめり込んでいる者が多かったという。紹介されていた絵は、ギャンブル中毒の手紙配達人の絵だったのだ。よくみると、男はベルトの代わりに縄をしめ、髪はぼうぼうだ。これからもこの手紙配達人の置かれた状況が分かる。

 このような興味深いトピックが次々と紹介されていく。1冊を貫く設定(例えばある特定の家族、ある特定の町の出来事)がないので、まとまりとしてはあと一歩だが、それでも最後まで面白く読めた。繰り返しなるが、カラーの絵がふんだんに使われ、それをもとに解説がなされているのが一番の魅力だ。

 このほかにも子供の生活、刑の執行、宗教観、生活のなかの火や水など中世イタリアの町と人々の様子を楽しく知ることができる本だ。




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2010年05月11日

『The Bully, the Bullied, and the Bystander』Barbara Coloroso(Harper Resource )

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「いじめの問題に真っ正面から取り組んだ本」

 8歳の息子を持つ親としては、成績もさることながら、いじめの問題も心配するところだ。
 息子は現地校にバス通学をしているが、その帰りのバスで他の学校の生徒のひとりから、「いじめ」とも受取れる行為を受けていた。

 一度は息子から、その子供にやめろと言うように言ったが、行動が改まった様子がなかったので、直接息子の学校に相談した。

 こちらの学校の行動は素早かった。相談したその日のうちに、校長が息子から事情を聞き、相手の学校の校長に直接連絡を取った。

 その子供は自分の学校の校長に呼び出され、その後、その子が乗った帰りのバスに息子の学校の校長が乗り込み、その子供と話をした。

 自分の学校の校長と、こちらの学校の校長ふたりから話をされたその子は、自分の行動を改めた。

 この問題は、相談をしたその日のうちに解決してしまった。僕と妻は、校長の行動の早さと、その直接的な解決の仕方に驚き、同時に大きな安心感を得た。

 しかし、いじめの問題がどこでもこう簡単に片付くとは限らない。ある学校では、数人でひとりをいじめ、対象となった学生が限界に達し相手をなぐったことがあった。

 学校側は暴力を振るったとして、いじめを受けた子供を停学処分にし、いじめをしていたグループにはなにも処分を下さなかった。

 直接暴力を振るわれなかった同じグループの子供たちが「なんにもしていないのに、彼が急に暴力を振るってきた」という「証言」をおこなったからだ。

 また、ほかの学校ではある女子生徒が、男子生徒の前でスカートを上げて下着を見せた。その女生徒は退学処分となったが、原因は女子生徒のグループが、そうしたらいじわるをするのをやめると言ったからだった。もちろん、女子生徒のグループにはなんの処分もなされなかった。

 「本当にやるとは思わなかった」
 「ただ、からかっただけだった」
 などはいじめをやる側が捕まったときの言い訳としてはよくあるものだ。

 アメリカでもいじめはある。そして多くの子供たちがいじめにより自分の命を断ち、あるいは相手やそのほかの人々の命を奪っている。

 今回紹介する本は、この「いじめ」の問題を真っ正面から捉えた「The Bully, the Bullied, and the Bystander(いじめっ子、いじめられる子、そして傍観する子)」だ。

 この本には、いじめの種類、いじめを受けた子供のみせる危険信号、いじめっ子を作る家庭状況などに加え、いじめを受けたときにいかに対処するか、いじめを受けた子供に対して大人がやってはいけないこと、やらなくてはいけないこと、いじめを受けたときの効果的な解決方法などが、統計などをもとに述べられている。

 しかし、いじめの問題は根深く、簡単な解決方法がないこともこの本を読んで分かる。

 最も効果的な解決方法と感じられたものは「バディ(仲間)」と呼ばれるものだ。これは、学年の上の学生をいじめを受けている子供につけて、学校内で彼を守らせるというものだ。

 いじめは陰湿で、外からはなかなかみつけられない時がある。しかし、ほとんどの生徒はいじめが行われている事実を知っている。そこで、年長の生徒にいじめられている生徒を守らせるというシステムだ(あるいは部外者の人間をいじめを受けている子供につけ守らせる)。クラスルーム、廊下、食堂、運動場、登下校の道などいじめが発生しやすい場所、つまり内側からいじめをなくす試みだ。

 これも、学校側の協力、システム作り、いじめを受けている生徒の同意が必要という壁はあるが、先生や親たちでは実現不可能な効果を生み出すと思う。もしこれでいじめが止まり悲劇を抑えられるなら、社会としてこのシステム作りを考えてもいいだろう(例えば、学校や親の電話要請によるプロの「バディ」の派遣など)。

 この本のなかでも述べられているが、いじめっ子のそばを通るな、いじめっ子と対決しろ、いじめっ子の親と話し合いを持つ、ということだけではいじめの問題はなくならない。それどころか、ときにはいじめをエスカレートさせる結果を招く場合もある。

 いじめの問題は、社会的なシステムや意識の変革が必要だと分かる本だ。


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