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2009年03月31日

『Mistress Shakespeare』Karen Harper(Putnam )

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「シェークスピアの恋」

 いまから10年ほど前の99年に「恋におちたシェークスピア」という映画があった。この映画は作品賞、主演女優賞、助演女優賞、脚本賞など多くの賞を受賞して脚光を浴びた。
 僕はずっとこの映画を観ていなくて最近になってやっとDVDを借りて観た。ストーリーも面白かったが、1500年代の終わり頃のロンドンの街の様子が再現されていて、心が踊った。

 作る側も歴史考証などを重ね、セットを組んでいくのはきっと楽しい作業だったに違いない。

 映画を観た2週間後に読んだのが「Mistress Shakespeare」だった。新刊書籍として紹介されていて、ニューヨーク・タイムズ紙のブックレビューでも記事が載っていたので、近くのバーンズ・アンド・ノーブルまで行って買ってきた。

 イギリスに残る公文書によると1582年11月の終わり、シェークスピアはテンプル・グラフトンのアン・ワッタリーという女性と結婚をしている。しかし、そのすぐ後に彼はショッタリー出身のアン・ハサウェイという女性と結婚したという記録がある。

 ハサウェイは26歳、シェークスピアは18歳。そしてこの時ハサウェイはすでに妊娠3カ月目を迎えていた。

 この史実をどう見るかは専門家でも意見が分かれるところらしい。

 一つ目の解釈は実際にテンプル・グラフトンに違う「Wm Shaxpere(公文書はラテン語)」なる人物がいて、その人物がアン・ワッタリーという女性と結婚した。

 つぎは、ふたりのアンは同一人物で記録者の単なる書き間違い。そして、3番目がシェークスピアはふたりの異なる女性と結婚をしていたというもの。

 作家ウィリアム・シェークスピアの妻はアン・ハサウェイなので、このアン・ワッタリーという女性がどういう女性なのかが問題となってくる。当時のロンドンの事情は分からないが、18歳の青年が26歳の女性と結婚するというのは普通ではない気がする。妊娠3カ月ということであれば、よけいそのいきさつを勘ぐりたくなってしまう。

 「Mistress Shakespeare」もこの3番目の仮説をもとに書かれた作品で、歴史小説仕立てになっている。

 主人公は問題のアン・ワッタリー。彼女はシェークスピアと同じ年に生まれた幼馴染であり、恋人でもあるという設定だ。家族同士の仲がよくないふたりは家には内緒で結婚をしてしまう。

 しかし、そのすぐあとシェークスピアは8歳も年上のハサウェイから妊娠を知らされる。周囲からの圧力もありハサウェイと結婚をする。そうして、秘密裏に行われたワッタリーとの結婚は、誰にも知らされないままだ。

 しかし、シュエークスピアの心は揺れる。シェークスピアはワッタリーに、自分は誘惑されてしまったが、心は常に彼女のものだと手紙で訴える。

 「ハサウェイ嬢が私の子供を身ごもっているとは知らなかった。たわむれの恋の時期はあったが、お互いに合うことはないと感じ彼女との仲に終わりを告げて君のもとに来たんだ、愛しい人よ」

 しかし、社会的に受け入れられるのはシェークスピアとハサウェイとの結婚だ。傷心のワッタリーはロンドンに行くが、やはりシェークスピアのことが忘れられない。そしてある日、ロンドンで俳優として舞台に立つシェークスピアを見つける。

 エリザベス1世時代のロンドンの様子や当時の演劇の世界も瑞々しく描かれており、別世界に誘ってくれる作品となっている。



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2009年03月14日

『Snobbery : The American Version』Joseph Epstein(Houghton Mifflin)

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「スノッブの行動学」


 スノッブ(Snob)。辞書をひくと「俗物」、「気取り屋」などとなっている。しかし、スノッブは単なる「俗物」や「気取り屋」という意味ではない。どこが違うかというと、スノッブには、「気取り屋」という意味のほかに「相手を見下す人間」というニュアンスも含まれる。

 例えば、車が好きで気取ってポルシェに乗っている人は、単なる気取ったポルシェ好きでありスノッブではない。ところがポルシェに乗り、「僕はこんな高い車に乗っているけど、君じゃあこんなに高い車は乗れないだろう」と思う人物はスノッブだ。同じように、「私の子供は有名私立に通っているけど、私の子供ほど頭のよくないあなたの子供は名も無い中学に通っているのね」と考える女性もしっかりスノッブの仲間入りをしいている。

 スノッブは社会のどこにもいる人種だが、アメリカのスノッブ根性とはなにかに焦点を当てた本がこの本だ。タイトルは『Snobbery:The American Version』。日本語にすると「スノッブ根性:アメリカ版」となる。著者は、ノースウエスタン大学で英文学を教えるジョセフ・エプスタイン。彼は『ニューヨーカー』誌や『アトランティック・マンスリー』誌にも寄稿し、ジョン・アップダイクなどが寄稿した文化・文藝誌「ジ・アメリカン・スカラー」の編集長を務めていた人物だ。

 アメリカは長くWasp(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)が社会的上位を占めていたが、1960年代の意識変革の時代を経ていまは家柄が絶対的なものではなくなった。この変革のなか、誰もがスノッブになる自由を手に入れたと言ってよいだろう。人種、経済状態、子供の成績、趣味のよさ、ワインの知識、持っている車、知能、卒業大学、飼い犬の種類、ひいてはご近所事情の知識の有無などまでが人をスノッブにさせる要因となる。

 著者によると、一口にスノッブと言っても、3つの種類があるという。ひとつは「Downward -Snob(見下しスノッブ)」。これは、自分の持ち物、趣味、子供の学校、属する企業など相手と比較して、自分の方が優っていると悦に入る人々を指す。次に「Upward-Snob(見上げスノッブ)」というのがある。これは、自分より上のレベルの人、例えば有名人、組織の上層部にいる人間、業界の大物などと自分が同じ地位にいると思うことで他人との差別を図る人々だ。そしてスノッブのなかでも屈折しているのが「Reverse-Snob(逆スノッブ)」。スノッブが好むブランド品、スノッブが取る行動、スノッブがつきあう人々などをわざと避け、自分はスノッブではないことを示すことにより、優越感を感じるタイプがこの逆スノッブ。自分はスノッブではないと感じているが、やはりスノッブだ。

 ハリウッドでは家柄ではなく、どれだけスターたちに近い存在が価値あるものとなり、ニューヨークのアッパーウエストサイドの親たちは自分の子供を私立ではなく公立の学校、それも英才教育プログラムであるギフテッド・プログラムに入れることに大きな価値を見いだす。Waspの典型であるようなジョージ・W・ブッシュがテキサスのカーボーイと自分を同一視させようとしたのも屈折したスノビズムの一種だろう。

 まあ、こうしてみると誰もが大かれ少なかれスノッブである。

 著者は、アメリカの政治の世界、教育の世界、職業、ファッション、家柄、人種などの項目でスノッブたちの行動を追い、その価値観を探っている。この本は、楽しいエッセイ集というほかに社会学や文化人類学の側面もある。アメリカを好きな人だけではなく、人間の行動と社会の関係に興味のある人にもお勧めだ。



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