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2007年07月19日

『I was Vermeer』Frank Wynne(Bloomsbury)

I was Vermeer →bookwebで購入

「フェルメールの雁作を作り続けた男」

 僕が大学生をやっていたボストンにイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館という美術館がある。小さいながらもボッティチェリ,ラファエロ、レンブラント、ミケランジェロ、ドガなど優れた作品が揃い、ここの中庭は大げさではなく僕がアメリカで最も好きな場所のひとつだ。大学生時代は、絵を見ることもさることながら、この中庭目当てに通ったものだ。

 1990年3月17日のセントパトリック・デイにこの美術館で事件が起きる。警官に扮した泥棒が美術館に侵入しフェルメールの「合奏」、レンブラントの「ガリラヤの海の嵐」「黒装束の婦人と紳士」など13点の作品を盗んでいったのだ。事件はいまだ解決されておらず、盗まれた作品の行方は不明のままだ。

 先日、この盗難事件で盗まれたフェルメールの「合奏」を追うドキュメンタリー番組がニューヨークで放映された。証言者のひとりが作品は日本のどこかにあるはずだ、と言っていたがそんなことがありえるのだろうか。

 今回紹介する本はこのフェルメールに関係する本『I was Vermeer』だ。

 「The artist arms himself only with talent, the forger is a true Renaissance man(芸術家は己の才能だけで勝負するが、贋作者が真のルネサンスマンだ)」
 
 『I was Vermeer』の中に出てくる言葉だが、的を射ている言葉だと思う。ここで言うルネサンスマンとは、絵画の才能だけではなく、科学の知識や工学の技術も持ち合わせた万能人間を指している。

 『I was Vermeer』はフェルメールの贋作者ハン・フォン・メーヘレンの生涯を描いた伝記だ。1889年、オランダに生まれたメーヘレンは、印象派やキュービズムといった新たな芸術手法がもてはやされるなか、伝統的な絵画を描く画家だった。彼は第2次世界大戦の頃、自分の絵を認めてくれない芸術の世界への仕返しの意味も込めて、批評家も見破れないフェルメールの贋作づくりに情熱を燃やした。

 雁作を世に出すためにはいくつかの大きな問題があった。まず、油絵は絵の具が本当に乾ききるまでに長い年月がかかる。そのため、完全に乾いていない絵の具にアルコールを当てると、アルコールが反応してしまう。色彩を残したまま素早く絵の具を乾かすにはどうしたらよいか。また、フェルメールの時代はチューブ入りの絵の具などはなく、鉱石に含まれている色素などを用いて絵の具を作っていた。フェルメールはウルトラマリンという特殊な色彩のブルーも使っている。見た目はもちろん絵の具の科学分析を受けても偽物だと分からないようにするにはどうするか。そうして、時代の経過とともに絵の表面に浮き上がるひび割れをどう作りだすか。キャンバスは、額を留める釘は。また、描いた贋作をどうやってアート界に持ち込むかも問題だった。新たなフェルメールの作品が見つかった話もでっちあげなければならない。そして、その話は本当のようでなくてはならない。メーヘレンはこれらの問題を全て解決したうえで、なおかつフェルメールに負けない傑作を描かなければならなかった。

 メーヘレンは全ての問題に答えを見つけ、まんまと全世界を欺くことに成功する。ヨーロッパ・アート界の大御所たちは、メーヘレンの贋作をフェルメールの作品に間違いないと太鼓判を押す。作品数の少ない天才画家の新たな作品の発見に、アート界は騒然となる。

 しかし、話はここで終わらない。戦争が終わりメーヘレンのフェルメールの購入者にナチスの要人などがいたため、彼はナチスの協力者として逮捕される。本当のことを話せば自分が贋作者であることが分かってしまうが、話さなければナチスの協力者だ。国家の宝であるフェルメールを本当の持ち主に返したいとするオランダ当局の追求に、最後は自分が描いたことを自白してしまう。その結果、メーヘレンは贋作者であるが、ナチスにいっぱいくわせたヒーローとなる。

 もし彼の自白がなければ、メーヘレンのフェルメールは今も本物として通っていたはずだ。ヨーロッパ・アート界を舞台にメーヘレンの数奇な運命と、贋作づくりのテクニック、アート界の裏を知ることができるノンフィクションだ。

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