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2007年05月19日

『Born on a Blue Day』Daniel Tammet(Free Press)

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「水曜日はブルー、ヨーグルトは黄色」

 「11」は親切で、「4」は恥ずかしがり屋で物静か、「333」は美しく、「289」は醜い。
 何のことか訳が分からないと思っているでしょうが、これは数学や記憶の分野で特別な才能を示すダニエル・タメットの内なる世界の風景だ。サヴァン症の彼にとって数はみなそれぞれ違った個性があり、人間よりもずっと身近な存在だ。サヴァン症とはごく特定な分野に限って想像を絶する能力を発揮する者を指す。

 僕はこれまでサヴァン症の人と直接接したことはない。僕が持っている知識といえば、ダスティン・ホフマンがサヴァン症の役を演じた映画『レインマン』からのものくらいだ。とても、知識と言えるほどのもではない。

 僕がタメットのことを知ったのは明け方に放送されたラジオ番組からだった。僕は、明け方3時か4時頃に目が覚めてしまい、それから1、2時間眠れない時がある。そんな時、僕はベッドから抜け出し、リビングルームにあるカウチに移動し、そこでラジオを聞きながら眠くなるのを待つ。窓の外のマンハッタンの空がだんだんと色を変え、濃紺の空間にビルの形が浮かび上がってくる。そんな時間に、タメットの声がラジオから流れてきた。インタビューアーの質問に答え、「僕はストレスを感じると頭の中で2の二乗を数え始める。2、4、8、16、32・・・1024,2048、4096,8192」と凄い勢いで数字を言ったタメットに僕は興味を持った。そして、28歳になる彼が『Born on the Blue Day(ブルーの日に生まれて)』という自伝を最近出版したのを知った。

 1979年1月31日の水曜日(タメットにとって水曜は常に青色だ)にイギリスで生まれた彼は、5時間9分をかけ2万2514桁までの円周率を答え、たった1週間で最も難解な言語のひとつであるアイスランド語をマスターしてしまった。彼はいま英語、フランス語、フィンランド語、ドイツ語、スペイン語、リトアニア語、ルーマニア語、ウェールズ語、エスペラント語など10の言語を話すことができる。そのほか、年数と日にちを聞けば、それが何十年、何百年離れていても何曜日であるかを即座に答えることができ、大きな数のかけ算や割り算なども頭の中に答えの数字が浮かんでくる。

  自閉症のひとつであるアスペルガー症候群も患っているタメットだが、その症状が軽く自立した生活を送ることができる。通常、彼ほどの能力があると社会的能力は損なわれている場合が多いらしい。自分の内なる世界を伝えられるタメットはとてもユニークな存在だ。そのため、イギリスのTVドキュメンタリーで取り上げられ話題となり、アメリカのトーク番組やラジオ番組にも出演した。

 『Born on a Blue Day』は、僕と同じ地球に生きているタメットが、実は全く違う風景の中で暮らしていることを教えてくれる一冊だ。

 タメットの世界では1万までの各数字にそれぞれ、色、形、質感、性格があるだけではなく、文字にも同じように色、質感がある。例えば「yogurt」という言葉は黄色、「video」は紫。「at」は赤だが「h」がついた「hat」は白、さらにそれに「t」がついた「that」はオレンジ色。そしてややこしいのが「white」はブルーで「orange」は透明で氷のように光って感じられるという。こんな風景の世界に住むタメットは、紫であるべきvideoという文字が黄色で書かれてある看板を見ると落ち着かなくなってしまう。

 子供の頃には毎朝決まって45グラムのオートミールを電子計量器で計って食べ、決まった枚数の服を着る。そうして決まった時間に決まったカップで紅茶を飲む。それができないと彼は不安定になってしまう。不安定になった時には目を閉じて数をかぞえ、物を考える時は両手で耳を塞いで周りの世界を遮断する。

 この本には、こういう子供がどうやって大人になり、愛する人間を見つけ、自立していくかが描かれている。彼の一風変わった頭脳を通して見える世界が繰り広げられていく。

 タメットは自分の世界だけに閉じこもり、ほかの子と繋がりを持たない子供だった。彼にとってほかの子供はただ周りにいるだけの存在でしかなく、興味の対象にはならない。 友達を作らないタメットはいじめにもあう。例えば、意地悪なクラスメートから水の中に落とされてしまったりもするが、いじめにあった時の反応が人とは全く違っている。彼は、水に落とされたショックのあまり長い時間その水の中にじっと座ったままでいる。そうして、誰もいなくなった頃にひとりで水から出て家に帰る。いじめる側は彼の行動があまりに突飛なのでいじめをしかけなくなる。しかしこのような出来事を通して、タメットは自分が人とは違い、社会のアウトサイダーであると感じるようになる。

 思春期になる頃には、弟や妹たちと遊ぶことで人との繋がり方を少しずつ身につけていくが、タメットにとって社会的生活は常に困難なものであり続ける。彼の優れた能力と、決まった条件が揃わなければ破綻してしまう性格などは普通の世界の住人では考えつかず、やはりこの本を読まなければ分からない。

 大学に進学しないことを決めたタメットはイギリスの非利益団体ボランティア・サービス・オーバーシーズに応募し英語の教師としてリトアニアに赴任する。この経験により親元を離れ自立の道を進んでいき、パートナーとなる人間も見つけ、人との繋がりも理解していく。

 タメットのような特異な能力と自閉症的な部分を持つ人が、自伝を書く力も持ち合わせ、こうして彼の世界を垣間みさせてくれたのは素晴しいことだ。タメットは「僕はみんなと同じではないが、同じでないということは違うものの見方を教えてあげられるということだ」と語っている。読んでいる時には彼を応援し、読み終えたあとどこかの山の中できれいなわき水を見つけたような気分にさせてくれる本だ。


(秦 隆司)


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2007年05月16日

『The Secret of Lost Things』Sheridan Hay(Doubleday)

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「ニューヨークのストランドは好きですか」

 1927年に創設された本屋ストランドは、僕のニューヨークのアパートから歩いて15分ほどの所にある。ストランドは日本にも好きな人がたくさんいる本屋だ。置いてあるのは古本と1年以内にでたばかりの「新刊」、それに稀覯本だ。

 僕はアパートの本棚がいっぱいになり収拾がつかなくなると、本をトランクに詰め込んでストランドに売りに行く。本の種類にもよるが、20冊くらいいろいろ持っていって30ドルか40ドルくらい。

 ストランドは入り口の右側が本を買い取る場所になっていて、そのカウンターの後ろで本を見て買い取りの値段を決めるのはオーナーのフレッド・バスだ。僕は以前、彼にインタビューをしたことがあり、娘のナンシー・バスにも話を聞いたことがある。ストランドの店の中を案内してもらい、裏の倉庫や3階にあるレアブックスの売り場も見せてもらった。その時、1632年発行のシェークスピアの本や、ヘンリ・マティスとジョイスのサイン入りの『Ulysses』などをを見せてもらったことを憶えている。

 フレッドが僕のことを憶えているかどうかは分からないが、もし憶えていたとしたら彼はそのことを顔に出さない。僕たちはお互いに知らんぷりをしながら、本とお金を交換する。

 今回紹介する本は、このストランドが舞台となった小説『The Secret of Lost Thing』。著者は元ストランドの書店員で、オーストラリア生まれのシェリダン・ハイ。この小説は彼女のデビュー作となる。

 物語を少し説明すると主人公はタスマニア生まれの18歳の少女ローズマリー。父親が誰か分からず母親も失ったローズマリーはニューヨークにやってきて、アーケードという古本屋に働き始める。このアーケードという本屋がストランドで、ハイはオーナーのフレッドやほかの一風変わった書店員たちの姿をこの小説で描いている。それだけではなく、ストランドの棚の配置や書店員たちの人間関係も描かれていて、ストランドを知る僕にとってはこれだけで結構楽しめるものだった。ローズマリーはアルビノ(先天性色素欠乏症)のマネジャーの助手を務めることになり、そこから彼女ハーマン・メルヴィルの手書き原稿の謎に巻き込まれていく。

 内容はスリラーと純文学の中間というところ。メルヴィルの原稿を追うというエンターテインメント性がある一方、登場人物の心の動きや人生も見据えている。難を言えば、いろいろな要素を詰め込みすぎた感があるところだろうか。

 この小説にはメルヴィルの原稿の謎、孤独なアルビノの人生、女性になる手術をするゲイ、子供が行方不明のアルゼンチン人の母親、博学で冷たい心を持つ青年などが登場する。ニューヨークで発行されているタブロイド紙『ヴィレッジ・ヴォイス』の書評では、それぞれが1冊の本になり得る題材だと評していた。

 まあ、そうであっても僕個人としては文章を読むだけでその場面が目に浮かび、人物の姿が見えた。また、結末に向けての最終部分の盛り上がりも十分な迫力があるものだった。ハイの書く英文は読みやすく、日本の読者向きだろう。それに本屋とメルヴィルの手書き原稿という題材から浮かび上がってくる、稀覯本に執着する特殊な世界に属する人たちのことが読める。ストランドのファン、ニューヨークが好きな人、それに本の世界が好きな人にはお勧めの本だ。

 (秦 隆司)


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