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2014年01月26日

『渡良瀬』佐伯一麦(岩波書店)

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「毒を呑む」

 記念すべき本である。仙台在住の佐伯一麦は、このところ大震災とのからみで話題になることが多かった。背景には作風の変化もあるだろう。染織家の妻との結婚生活を描いた作品は葛藤を抱えつつも深い静けさをたたえた、文章にやわらかい筋力を感じさせるもので、ことさらうまそうに書くのではないのに、読んでいるうちにすうっとこちらの息が通る。父の最期を語る『還れぬ家』や、身体欠損を描いた『光の闇』など最近の作品もそうした系譜につらなる。そこにたまたま震災が来ただけのことである。佐伯には震災を受け止めるだけの容量が備わっていた。

 しかし、佐伯一麦の初期作品も是非読みたい。80年代から90年代にかけてのものを読んでから最近のものを読むと、たとえ同じエピソードに言及があったとしても、微妙に力の入れ方やこだわり方がちがっている。合わせて読むと、そうした「視差」のおかげで、それまでには見えなかった奥行きが感じられるのである。

 初期の作品では、今となっては過去の思い出となりつつある出来事が、まだ現在すれすれの生々しさとともに語られる。仙台の実家を飛び出し、東京に出てさまざまな職を経験。やがて電気工に落ち着き、埃まみれの天井裏で作業しながら(後に、ここでアスベストを吸い込んだことがわかる)、行きずりの女性との結婚生活に心身ともに疲労困憊。さらには心中未遂、子供の難病、親子関係のひずみ、自身の病や怪我……。ありとあらゆる困難の中で書き継がれた作品群には、これならどうだ、こう語ってみようか、という作家自身の迷いやためらいも含めた渋みと重みがあった。

 そうした初期の短編は、今、やや手に入りにくくなっている。三島賞を受賞して有名になったのは『ショート・サーキット』だが、それで「初期」を代表させるわけにはいかない。『渡良瀬』はそんな1980年代から90年代にかけての佐伯の声をよみがえらせるには格好の場である。もともとこの作品は、1993年から96年に『海燕』に連載され、雑誌の休刊で中絶したものだが、20年近くの歳月をへてその中絶作品を作家が完成させ、あらためて長編という形で世に出すことになった。

 『渡良瀬』には佐伯作品のエッセンスが詰まっている。電気工事へのこだわり、娘との葛藤、妻とのすれ違い……そして北関東から東京への通勤。その結果、主人公の身体は蝕まれ、集中力の欠如から人身事故まで起こす。肉体労働を続けながら、早朝に起きて執筆活動を行おうとする身にとってはこの生活はあまりに過酷だった。

 そもそも都心から縁もゆかりもない茨城県の古河に引っ越し、延々二時間半かけて千歳烏山の工務店に日々通う主人公の姿には、奇異の念を抱く人もいるかもしれない。もっと近くに住めばいいのでは?と。都心にも安アパートくらいあるでしょ?と。しかし、本書を読むとそこにはある深い必然があるのがわかってくる。北へと向かう主人公の移動は、やはり故郷の東北地方に引きつけられたのではないか。それに「渡良瀬」という川。この流域ではかつて足尾銅山の鉱毒事件が起きている。大きな被害のあった谷中村は古河から川をさかのぼったところにあったが、後に洪水を避けるための遊水池として水没した。作品中でも主人公がこの遊水池近くを散策する様子は印象的に描かれている。

 「渡良瀬」というタイトルには、水や川の持つ生命力への畏怖の念がこめられている。川の流れは電気や電波の流れとも重なり、彼が10代から20代にかけて歩んだ、ときに向こう見ずなほどの挑戦的な生き方を暗示する。しかし、渡良瀬はまた毒を呑んだ川でもあったのだ。そして主人公もそう。アスベストという物理的な毒をはじめ、さまざまな人間関係の軋轢から自身の失態に至るまで、多くの毒を呑みながらそれでも流れ続けてきた主人公の人生は、より深い意味で渡良瀬という川の名と重なり合う。

 佐伯一麦の文章の味を説明するのは容易ではない。何しろ、それは「とにかくいい」と言われる文章がしばしばそうであるように、一見さらさらと水のように透明だ。だが、とくに初期の作品には、淡々と語るようでいてどこかで「どうだ、かかってこい!」と運命に挑戦する姿勢が見える。筆者は佐伯一麦のそういう静かな力みが、けっこう好きだ。

 たとえば『渡良瀬』の出だし近くに、そんな構えがはっきり出ている箇所がある。この作品では主人公拓が古河に流れ着くまでの経緯がたっぷり語られるが、本筋をなすのは東京の工務店への通勤をあきらめ地元の工場で新しい道を模索する彼の姿でもある。工場でも、当然ながら、そんな東京からの「流れ者」に対する周囲の目がどこか猜疑心に満ちていた時期がある。

 拓は、腹の辺りに力を込めた。すると、弱気を嘲ら笑うような、流れ者のふてぶてしい笑みが自然と口の端に浮かんだ。「そうさ、たしかに俺は流れ者だ」と開き直るように拓は呟く。ほとんどが現地採用されている工場の同年代の工員たちは、拓のことを陰でそう呼んでいた。彼らの多くは、農家の次男坊三男坊だった。流れものとは、いい加減で、何か揉め事を起こしては去って行く、どうせこの土地には根付こうとしない男たちに対する蔑称だった。おまけに、拓はそれに、東京者、という言葉が加わった。(26)

 挑戦的とはいっても、任侠ドラマに見られるようなこけおどしや気障な捨て科白とは違う。ここにあるのは、腹の奥底に隠し持った負けん気であり、そう易々とは口にも出されない。ほとんどの箇所ではそれとも気づかないほどだ。でも、この力みは『渡良瀬』の文章の隅々まで行き渡っているものでもあると思う。主人公はいわば心のうちに「少年のような強い自分」をずっと隠し持っているのだ。もちろん、どこかでそんな自分を、脱力して見つめる冷静な目もあるけれど。

 だが、お前たちの先祖だって、流れ者だったじゃないか、と拓は思い直すように呟く。土質のよくない関東ローム層を力にまかせて開墾した者たちのことを思い浮べた。それから、平安時代に天皇に反抗して東国で叛乱を起こした平将門の本拠も、すぐ近くの土地にあった。この野に吹き荒ぶ風の中で土地を耕し、馬を駆るつわものたち、その姿を拓は自分に親しい者として想像した。(27)

 拓の負けん気はつまらない対人的ないざこざに収斂するものではない。むしろそうした小さな葛藤を超え、長大な時間をも超え、まさかという想像に結びつく。しかし、読者はその大げささに微笑ましい気持ちになることはあっても、決して嘲笑する気にはならないだろう。拓の姿には、別にそうであってもなくてもいいものではなくて、ぜったいこうであらざるをないと思わせる何かがある。拓の負けん気も根拠のないものではない。この抜き差しならぬ必然が、文章に風格を与える。『渡良瀬』という作品は、さまざまな毒を呑みながらも川の流れるような人生を歩みつづけてきた主人公の航跡を、執拗なほどの気迫で刻みつけたものなのである。

 読者がおそらく気づくのは、この長編の中に何度も繰り返し語られるエピソードがあることだろう。とくに、主人公に激しく叱責されてから口がきけなくなり、「緘黙症」という症状に陥った長女の話は、これでもかとくり返し語られるものだ。佐伯が個々の作品の枠を超えて同一のエピソードをくり返し語ることはよく知られている。それは佐伯の私小説作家としてのあるこだわりを示し、読者もまた読んだことのあるエピソードの変奏に出会うたび、何ともいえない感慨へと誘われるのだが、『渡良瀬』では作品内でもそれが起きる。

 『渡良瀬』はひとつの長い川の流れとして構想されているということである。川はつねに流れている。どこまでがどこ、と区切ることはできない。海に至るまでひと連なりの連続体なのである。だからこそ、過去の思い出は何度でも呼び覚まされ、ときには主人公を苦しめ、ときには力づける。一本の長い川のような人生を、一本の長い川のようにして描かれた小説が模倣する。そもそも佐伯一麦が書いてきた作品のすべては、その全体がひとつの長い川のようにつらなったものと考えることができるだろう。そう考えるとあっと思うのは、結末近くに出てくる蛇。あれは佐伯一麦なりのちょっとしたいたずらなのか、象徴なのか。ともかく、その行方を見守りたいと筆者は思った。

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2014年01月19日

『すっぽん心中』戌井昭人(新潮社)

すっぽん心中 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「戌井節とは?」

 戌井昭人は独特な節回しを持った作家だ。ぱっぱっと投げやりに話を進める語り口には、馴れ馴れしいような、あつかましいような、ぐりぐりと物語を押しつけてくる強引さがあり、それがとても心地良い。かと思うと芯の部分がさっぱり淡泊で、「え、もうちょっと…」というような哀切感や名残惜しさも感じる。

 戌井節と呼んでもいい。ちょっと詐欺っぽいところがあり、するっと底が抜けるような結末にバカされた気分になる。でも、落語的人情物的な結末にどさっと落着し、安心することもある。本書の表題作「すっぽん心中」はどちらかというと後者。戌井氏の作品の中でもかなりいいものだと思う。

 主人公の田野は、漬け物の配送をしていて若いセレブタレントの女性の車に追突され、ひどいむち打ち症になったばかり。首が曲がらず、おしっこをするときも横向きなので「命中度」が低い。そんな田野が仕事を休んで不忍池でぶらぶらしていると、自称モモなる女性があらわれる。話を聞くと、福岡から上京して以来、男たちにひどい目に遭わされつづけたとか。でも、マッサージはうまいという。そして、「首揉んであげるよ」とあっさりラブホテルに入る。

 ちょっと都合よすぎ?と思う人もいるだろうか。何しろ直線的で要約しやすいストーリーだ。長い沈黙とか、逡巡とか、細々した描写など一切なし。ぐりぐり話が進む。

 ただ、要約からはわからないだろうが、モモの台詞がけっこういいのである。決して意味ありげだったりはしないのだが、いちいちに運動神経が通っていて、読んでいると、飛び出す絵本みたいにぬっとこちらに迫ってくる。たとえば二人が不忍池で出会う場面。田野のクッキーのカスに鳩が群がってくる。どうということのない会話が交わされるのだが、台詞がモモの存在にぴたりとフィットしていて、何だか清々しい。

「餌あげてるんですか?」
「いや、餌、あげてるつもりはないんだけど」
 女の顔は童顔で、愛嬌のある感じだった。
「でも、すごく集まってますよ。餌くれる人と思われてますね」
「クッキーのカス払ったら、どんどん集まってきちゃったんだよ」
「そうか」
「まいったな。こんなに集まってきちゃって」
「気持ち悪いね、鳩」
「うん」
「あたし、鳩、嫌い。お兄さんは好き?」
「おれも好きじゃない」
「ですよね」というと彼女は、突然、「こんにゃろう!」と怒鳴り、鳩を蹴散らしはじめた。田野は驚いた。池を見ていた老夫婦もふりかえってこっちを見ている。彼女はお構いなしに、ハイヒールの靴底を地面にコツコツと激しく響かせていた。(15-16)

「こんにゃろう!」がいい。物語の展開の上でも、「こんにゃろう!」の瞬間は大事で、モモという人の必死な部分、やや大げさな言い方をすると、「どん底の心の声」がちらりと見える。そして後々、この必死さがより明確に出てくることになる。

 むろん戌井氏自身はそんな野暮な見せ方はしない。戌井節の勘所は、ぐりぐり押しつけてくる一方であくまでしらっと淡泊なところ。それは視点人物となる主人公の田野の淡泊さとも重なる。田野は主人公のくせに何だか冷静で、いつも白けていて、セックスしていても、果てても、さてどこまでほんとうに楽しいのか。およそ執着がない。「ただ目の前に起きたことをやり過ごしていくのが人生」(45)だと思っている人なのだ。モモの人生の濃厚さを、「ほお」とばかりにちょっと離れたところから見ていて、モモがスッポンを獲りに行こう!お金儲けしよう!と言い出しても、ふうん、と冷めている。もちろんモモの「どん底」にやたらと感動したりもしない。

 でも、戌井節はそこがいいのである。物語の中心は、この二人がたまたま見たテレビ番組からヒントを得て、モモが幼少時に住んでいた霞ヶ浦にスッポン獲りにいくいわば冒険譚のところにあるが、スッポンを捕まえようとして逆に指を噛まれた田野は「ぐわっ!」とか「痛たたたた」と言うわりに、あんまり抒情的に痛そうではない。あくまで物理的に痛そうなだけ。これに対し「指、もげとらんよね?」というモモの博多弁の方が、どこかしみじみと情感がこもる。博多弁の男っぽく乱暴で、でも女っぽくキュートでもあるところがうまく出ている。

 モモは男に家を追い出されたばかり。金もない。住むところもない。「やっぱりこうなったら、もうフーゾクでもいいかな」などと言っている。まさに人生の「どん底」だが、その「どん底」の見え方が、淡泊な田野の眼を介しているせいか、ベトッとしたものにならない。ヤマ場で田野の指に食いついたスッポンをやっつけるところなど、いささかハリウッド冒険映画的展開ではあるが、すっぽんが物理的にはぐちゃぐちゃな一方、心理的なぐちゃぐちゃには直結しないところがおもしろい。

 モモはすかさず大きな石を拾って、田野の指にぶら下がるすっぽんの尻を持ち上げ、鉄橋の柱に押さえつけて、石ですっぽんの背中を叩きつづけた。すっぽんは田野の指に噛み付いていたが、甲羅が割れて内蔵だかなんだかわからないものが飛び出てきて、噛んでいた指を離して下に落ちた。すっぽんはまだ動いていたが、モモはさっと拾い上げ、田野の買ってきたトートバッグの中に入れた。(48)

 人生の「どん底」にいる人の必死さ。でも、どこかうすら漫画チックで、しかもその向こうに微妙に哀感が漂う。読み応えがある場面だ。それをこんなさっぱりした言葉でやるなんて。

 田野の指からは血がぽたぽた垂れていて、川に流れていった。
 すっぽんの生命力は凄まじく、トートバッグの中でまだ動いていた。するとモモはトートバッグの取っ手を両手で持ち、野球のバットをスウィングするように、鉄橋の柱に何度も叩きつけた。「くしゃっ、くしゃっ、くしゃっ」、鈍い音がトートバッグの中から聞こえてくる。モモは凶暴性が一気に沸点に達したみたいな目をしていた。(48)

 野球のバットをスウィングするように!
何と鮮烈なイメージだろう。あまりに鮮烈すぎて、もう一押しすれば――もうちょっと悪のりすれば――シュールな世界に行ってしまいそうだ。でも、この作品では戌井は我慢して、踏みとどまった。正解だったと思う。同書に収録の「植木鉢」もいい。

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2013年09月29日

『爪と目』藤野可織(新潮社)

爪と目 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「ぜんぶ読ませないと気が済まない小説」

 遅ればせながら芥川賞受賞作。当欄でも、すでに大竹昭子さんが取り上げておられる。

 読みはじめての第一印象は、こちらの読書のぜんぶを面倒みてくれる文章だな、ということだった。たいていの小説はどこか雑然としているから、読んでいると風が吹き抜けたり、ゴミが落っこちてきたり、インターフォンが鳴ったりする。それでけっこう気が散ったり、間が空いたり、下手をすると読むのをやめてぼおっとしたりする。そういうところまでが作品の一部と感じられる。

 「爪と目」の中でも、文字通り風が立ったり空が見えたり、インターフォンが鳴ったりするのだが、それがぜんぜん雑然とした立ち方や見え方や鳴り方ではなく、すべてが隙間無くつながっていると思える。まるで隠れた意図でもあるかのように。呪いでもかかっているかのように。一語一語の選択にも神経質なほどの意思を感じるし、文と文の間にもきっちりプロットがあり、ちょっとゆるくなったかと思うと、すぐにぎゅっとしぼりあげられる。

 それがまさに読みどころでもある。この作品にはところどころでぎゅっとしぼりあげられる、その快楽で読んでしまうところがあるのだ。必ずしも意味ありげな警句などではない。ごくふつうのことばなのだが、どういう加減かそれがワンランク違う響きとともに、ぐいっと割り込んでくる。たとえば次のようなものだ。

父は、できるだけ早くあなたを妊娠させるつもりだった。けれど、うまくいかなかった。(31)

わたしは、ものすごく目がいいから。強度の近視の視界が想像できるくらいに、わたしは目がいいのだ。(33)

でも、わたしがスナック菓子を食べる姿は、わたしが持っているあらゆる未来を食い荒らしているように見えた。(36)

わたしの裸足が踏むコンクリートの床は、場所によってはわたしの足の裏よりあたたかかった。(66)

 こういう部分の語調の、その引き締まった強烈さからは、冷たい観察や嘲りも読めるし、断罪や、怒りだって読めるかもしれない。あるいはもっと純粋な暴力性かもしれない。いずれにしても、何だか得たいの知れないこもった感情性を読みとりたくなる。これは、作品全体に見られる、隙間をみっちり埋めた感じとも通ずるように思う。読者の視界を隈無く引き受ける精妙さの背後にあるもの。それはいったい何だろう。

 その答えを得るためには、これがいったい誰の小説なのかを考えなければならない。この作品、実は主人公が誰なのかが、最初はよくわからない。とくに最初の一文のまわりくどさときたら!

はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって父は『きみとは結婚できない』と言った。

 いったいどういうことだろう?――日本語の試験に使いたいくらいだ。何しろ、短い文に「あなた」「父」「君」、そして言外の「わたし」が一挙に出てくる。読み直してみれば文法的にはわかるだろうが、あいかわらず変な気分は残る。大竹さんがこの作品で使われる「あなた」の不思議さについて「三半規管をおかしくする」という絶妙の比喩で説明しているので、是非、そちらも参照していただきたいが、いちおう設定としては、視点が三歳の女の子におかれているということらしい。より正確に言うと、三歳の頃の自分の状況を回想する大人の女がその陰にいる。でも、作中、この大人の女にはほんのわずかしか言及がない(その言及はたいへん意味深い。どうして二の腕をつかんでいるのだろう…〈69-70〉)。

 この女の子の母は、謎の事故で死ぬ。残された父は浮気相手だった女性と同居することになった。この女性が「あなた」なのである。父と眼科医で出会った「あなた」には生活感が希薄で、友人もおらず、人生に対する意思のようなものがあまり感じられない。美人でもない。でも、なぜか男を引き寄せる。「あなた」は来る者は拒まず、去る者は追わずという態度で、男たちとも何となく付き合ってきた。女の子の父親と同居するようになっても、このやり方は変わらない。

 ただ、「あなた」にはひとつだけこだわりというか、急所があった。目、である。裸眼で度数が0.1もない目にコンタクトレンズをはめて、「あなた」は世を渡ってきた。傷つきやすい繊細な目である。この女性を「あなた」と呼ぶ女の子は、対照的にたいへん視力がいい。そのあたりからしてすでに、目をめぐる緊張関係が仕組まれているのだが、やがてこの薄弱な目をめぐって事件がおきる。はじめはちょっとエロティックだけど些細と思えるような、しかし、最後は実に恐ろしい、読んでいるだけでも神経がつらくなるような出来事である。

 ミステリーめいた気配の中で最後までドキドキしながら読み進めてわかるのは、この作品に二種類の神経が行き渡っているということである。一方は、美人ではないという「あなた」が世渡りのために必要とした神経である。人はときにそうした神経を「計算」と呼ぶかもしれない。たとえば「あなた」は、女の子の父親と同居した後に付き合いはじめた古本屋に、自分の本当の素性はあかさない。

あなたは、わたしが自分の産んだ子どもではないことも、父と入籍していないことも、父に死んだ妻がいることも古本屋には話していなかった。そのことが古本屋とのつきあいに影響をおよぼすとはあまり思えなかったが、説明するのが面倒だったのだ。(42)

たしかに「面倒」だったのだろう。しかし、そこで「面倒」だと思うような、その淡泊さというか、冷たさというか、寡黙さ、無神経さなどとも呼べるもの、それがおそらくは男たちを引き寄せてきたのだろうし、おそらく「あなた」も無意識のうちでそのことを知っていた。つまり、なかば承知のうえで、「あなた」はいろいろなことをしないですませてきた。やらずにすませたり、見ないですませたりしてきた。それが彼女なりのライフスタイルであり、人生に対する神経の使い方なのである。

 これに対し、もうひとつの神経は「わたし」のものである。こちらは、ちょっと違う。爪の先端を食いちぎるような「わたし」の癖にもあらわれているように、「わたし」の神経は小さいものや細かいものにどんどん向かっていく。どんどん見る。どんどんやる。しかし、「わたし」に見えているのは、その細かい先端だけなのである。背景も文脈も見えない。だからこそ、あの恐ろしい結末にもつながった。

 おそらく多くの人は、神経質なまでに無神経を維持することでバランスを保ち、生活を守っているのだろう。しかし、女の子はそうした領域を、容赦なく視線の威力で暴いていく。その精妙なことばは、最初から最後まで電気がぴりっとするような緊張感をはらんでいて、こちらがちょっとでも目をそらそうものなら容赦はしない。「爪と目」はそういう小説として書かれているのである。


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2013年08月29日

『日日雑記』武田百合子(中公文庫)

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「百合子さんマジックの秘密」

 ちょっとご縁があって武田百合子のエッセイをいろいろ読み返しているのだが、この人の書くものは何度めかに読んでも読んだだけではすまなくて、人にいいつけたくなるようなところがある。この一週間ほどのうちにも、幾度も鞄から文庫本の『日日雑記』や『ことばの食卓』を取り出して、「いや、突然、話は変わるんだけど、武田百合子って知ってます?」などと、鉛筆でぐりぐり印をつけたページをめくったりしてきたが、こちらが先走っているせいか、聞いている方はたいていきょとんとしている。とくに若い人。

 「武田百合子を読んだけど、ぴんとこなかった」なんていう人がいるのは筆者としては信じられないのだが、その一方で、「どの辺がいいんです?」と質問されるとうまくこたえられない。おかしい、とか、変、とかいう説明では足りない。関節がガクッとなるような、100キロくらいのひょろひょろストレートにすかっと空振りするようなところもあり、かと思うと、急に背中にまわりこまれるようなところもある。ふつうの文章の〝ツボ〟のようなものを外してあり、それがまさに〝ツボ〟になっている。狙いなどないのだが、そのくせ、遠い目的地が見えたような気にもなる。というわけで「ご縁」(「ユリイカ」の武田百合子特集)の方では、「武田百合子はどうしてすぐ気持ち悪くなるのか、オェッとするのか」的なことを書こうと思うのだが、そこに入りきれなかった点をこちらでは取り上げたい。

 武田百合子の魅力はいろいろあり、その中でもナンバーワンはおそらく「本人その人」だろう。娘の花によると、

学校の玄関にサンダルが一足だけポーンって脱ぎ捨ててあるの、あっちとこっちに。それ見て、「あっ、おかあちゃんが来てる」ってわかる。(文藝別冊「武田百合子特集」の「インタビュー」より)

……ということだったらしい。でも、これは今となっては、私たちにはどうしようもないことだ。書いたものからご本人を想像するしかない。百合子さんはいったいどんな「ご本人」だったのだろう。おそらく文章の通りの人だったのではないかと推測する。文章の通りとはどういうことかというと、今回とくに「発見」したのは、けっこう人の物真似を得意にしていたのでは?ということだ。ねえねえ、××さんがこんなこと言ってた、なんてやったのではないか。そしてその「こんなこと」を百合子さんが実演してみせるのである。たとえばいろんな怪人物の出てくる『日日雑記』の中でも、とくにいい味を出しているのは映画雑誌をひとりでやっているという「O氏」なる人。その人から電話がかかってきて、百合子さんはガード下のあんまりきれいじゃない酒場にお伴することになる。O氏は大病したあとなのだが、妙な元気がある。

 しばらく人と会う機会がなく、ネコとだけ口をきいていたというO氏は、頭の中に押し合いへし合い浮遊してくるものに勝手気ままにとびのり、勝手にとび移り、あれもこれもと、せっかちにしゃべりはじめた。
「××のやつ。あいつ色魔だったんだ。いままで気づかなかったなあ」ここのところ一人でずっと××という人の性生活ぶりに感服しきっていたらしく、いきなり、う、うん、う、うん、と××さんがのりうつったごとく仕方咄をした。私は××という人をまったく知らないのだが、知っていようといまいと平気だ。
「昨日はさ。四本立てピンク(映画)のうち、二本観て出てきた。そう、新橋のガード下の。これがとても面白かった。どうしてそんなに面白かったか、家へ帰ってずっと考えてみた。結局よく考えてみたら、俺って何にも女のこと知らなかったんだよね。俺って少年みたいなんだよね」
「いまごろ気がついたの」
「そお」おそろしく真面目な顔をして深々と肯く。もう手遅れではないだろうか、それに自分で自分のこと少年みたいだなんて、よく言えるなあ、私はそのように思ったが黙っていた。(九八~九九)

 O氏、なかなかいい。でも、O氏そのものがいいというより、やっぱり百合子さんと会ってあれこれやってるO氏がいいのだ。いや、もっと言うと、百合子さんにこうして物真似されてるO氏がいいのだ。

 それでその物真似なのだが、O氏が登場する少し前には、映画館で変なおじさんが登場する。こちらはこんな具合である。

 通路をへだてて右隣りの男は、足袋みたいに厚ぼったい左右別々の色をした靴下の足を前の椅子の背にあげて腰かけ、足元の床においた袋からパン状のものをとり出してものすごい速度で食べ、食べ終わると茶色の瓶の液汁をストローでチュッチュッと吸う。そうして「痴漢と置引に御注意ください」の場内放送に、液汁吸いを中断して「バカヤロ。痴漢だって……? するわけねえじゃねえかよ。婆あばっかりじゃねえか」と、大きな声で言い返した。皆が笑ったので得意になったのか、液汁のせいでメキメキと元気が出たのか、その男はニュースと何本かの予告篇がはじまっても、自分の意見や感想を発表し続けた。
「バカヤロ、こないだもみたぞ、なまけるな、またやってんじゃないかよお」と奥多摩の鮎解禁のニュースを叱る。悲しい音楽が流れて予告篇の主役女優が現れると、「あ、佐久間良子、練馬の御嬢さんだ、練馬じゃない目白だったかな、目白の御嬢さんは習字がうまいんだ」主役ばかりでなく脇役が現れても一々名前をよびあげ、「大正十三年生れ、淡島千景と一緒」「熊本出身よ」と出身地趣味年齢も叫ぶ。くわしい。映画業界にいたことがあるらしい。「×××××。あ、いいんだあ、この女」「なんだ、これは」などと、機嫌がいいのだか悪いのだか、判断がつかないから、まわりの客は目を合わさないようにしている。そのうちに急に眠たくなったのか、静かになった。(九一~九二)

 「練馬じゃない目白だったかな」のあたりをはじめとして、こちらもかなりいいのだが、こうしてならべて引用してみると、あれ? このふたり似てるなあ、などと思わないでもない。いちおうそれぞれ直接話法だし、声色はそれぞれに似せてある感じなのだが、けっこう同じなのではないか。ちなみに全篇にわたって頻繁に登場する娘の花(Hと呼ばれる)はこんなふうだ。

「わたしの友達で、女の髪の毛を見ると、ムラムラとその気になるという人がある。女の髪の毛の長いのが一本落ちてると、そうなる。女の家を訪ねて、部屋に落ちていたりすると、そうなる。頭にくっついてる髪の毛はそうならない。また、短い髪の毛が落ちていてもそうならないんだって」とHが言った。何となく分るような気もする。男は大へんなのだ。(六一)

 これはHの物真似であり、その中にさらにHの「友達」の口調も微妙にまじっているのかもしれないが、たしかにO氏や変なおじさんとはしゃべり方が違うようだが、そんなに違わないようでもある。何だ、ぜんぶ同じじゃないか、と気づく。そして、それが何だか痛快なのである。当たり前なのだが、ぜんぶ百合子さんがしゃべっているわけだ。ねえねえ、こんなこと言ってた、といろんな人の物真似をしてみせる百合子さんの声色は実はあんまり変わらないのだが、百合子さんが物真似をしていること自体にこちらは嬉しくなってしまう。

 きっと武田百合子という人は声を通過させる達人なのだ。『日日雑記』はタイトルの通り、日々のことを書き留めた「雑記」からなるが、その中でももっとも愉快なものにこんな記述がある。まさに声の「通過」をめぐるエピソードである。

 ある日。
 夕方まで、だらだらと雨が降った。少し裁縫をし、少し本を読み、電話がかかってきて、ちょっと喧嘩した。夜になると、ざんざん雨が降った。レコードを出してきてかけた。
 X氏が電話をかけてきて、私のやり方(暮し方)について、あれこれと説教したのだ。あまり強引な言い様だったから、むっとして「自分のことは自分で決める!!」と、言ったのだ。自分の吐いた言葉が、めったに使ったことのない言葉だったので、電話をきってからも、しばらく興奮していた。興奮が去ると、使いつけない言葉なのに、どこかで聞いたことのある言葉だと思った。よく考えてみたら、一週間ほど前、日本の総理大臣がアメリカに行き、向うのえらい人たちにとり囲まれて、日米貿易摩擦の牛肉、オレンジ、自動車を問いつめられたとき、ついに口から滑り出てしまった一言なのだった。また、総理大臣は帰国すると官房長官(?)から忠告をうけたが、そのさいにも「自分のことは自分できめる!!」と口癖になってしまったかのように返事した一言なのだった。私は新聞で読んだのだ。(二九~三〇)

 この話、おそらくご本人にとってもそうなのだろうが、あまりに予想外の展開で、読者としては完全にやられっぱなしの気分である。それにしても、実はぜんぶ同じ声色で物真似しておいて――つまりぜんぜん物真似になってないのだが――それでもO氏や変なおじさんやHや、それから以前この欄でもとりあげた『富士日記』の武田泰淳や外川さんや、どの人も人物として生き生きと立ち上がってくるのはいったいどうしたことかと思う。みんな武田百合子と面会しているだけで丸裸にされてしまうのだろうか。やっぱり百合子マジックとしかいいようがない。


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2013年08月14日

『和歌とは何か』渡部泰明(岩波書店)

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「和歌と演技」

 〝和歌語り〟は一つのジャンルである。呼吸がちょうどいいのだろう、ふと和歌をのぞいて賞味しては、「ふむ」と一呼吸置いてからおもむろに地の文に戻るという流れが、ある種の読書にぴたりとはまる。ぐんぐん、ずいずい読むのではない。ぱらぱら、はらはら読む。岩波新書だけをとっても、斎藤茂吉の『万葉秀歌』(上下)や大岡信の『折々のうた』シリーズなど短詩型に焦点をあてたものが定番となってきたのは、そうした収まりの良さと関係あるのだろう。

 和歌語りの典型的なパターンは、濃密な「情」をたたえた和歌を、ちょっと距離をおいた評者が「知」のことばで受け止めるという形である。だから、さまざまな秀歌をあっちこっち覗きながらも、どことなく涼しい顔というか、退屈げでさえあるような、どこ吹く風という空気がある。そして、そんな緩い空気の中に、ときおり射貫くような、あるいはひねりや毒を少しだけ盛った、寸言めいた評が差し込まれたりする。

 しかし、本書『和歌とは何か』の著者の姿勢はそんな「どこ吹く風」の批評とは少し違う。著者の渡部泰明氏には明確に伝えたいテーマがある。「和歌とは演技だ」というテーマである。だから渡部氏ははじめからけっこう忙しい。序章でも、和歌なんてピンとこないでしょう?私だってそうですもん!と口調に熱がこもる。氏は宣言するのである。和歌を読むためには「儀礼的空間」ということを頭にいれるといいのです、と。そういう場所で行為として行われるのが和歌なのだ、と。そして本論に入ると、渡部氏は約束どおり枕詞や序詞、縁語といったおなじみの和歌のレトリックの機能を、「演技」、「偶然性」、「出会い」、「儀礼」、「行為」といったキーワードを助けに読み解いていくのである。

 英米文学を専門とする筆者のような者には、この「行為」という概念はとても興味深い。というのも、英米文学の批評でも、J・L・オースティン(ジェーン・オースティンではない)の言語行為論以降、詩や小説の語りを一種の行為と見ることで、その中に広い意味での政治性や、読者・マーケットとの関係構築、さらには呪術的な発信作用などを読み取る視点が提示されてきたからである。ホイットマンのような、いかにも派手なパフォーマンスを思わせる詩人に限らず、前回本欄で扱ったディキンソンのように、ひとりでこっそり囁くかのような場合でも、「行為としてのことば」という要素を見て取ることはできるし、そういうふうに読むことで、解釈に広がりや深みが出る。

 ただ、本書で渡部氏が強調する「行為」という概念は、西洋的な言語行為論の枠組みと単純にかさなるわけではなさそうである。渡部氏は和歌が詠まれた当時の状況を再構築しながら、和歌ならではの社会的機能にせまっていく。当然ながらそこには、当時の日本に特徴的な祭儀の感覚がからむのである。とりわけおもしろいのは「唱和」という概念である。声を合わせる、ということ。

 これはたしかに気になるところだ。和歌のレトリックに人が難しさを感じるのは、掛詞や縁語などにあらわれた声の複数性に戸惑うからである。ひとつの言葉や句が、同時に複数の声を担うという、その同時性・シンクロの感覚にいったいどう感動したらいいのか、そんなことをして何が嬉しいのか、どこが楽しいのか、それが現代人にはなかなか理解できない。

 従ってしばしば和歌語りでは(あるいは学校の授業では)そうしたレトリックについては淡々と語って済ませる。どう受け止めるかまでは踏み込まずに、単にその構造や機能を説明し「あとはご自由に」となる。ある意味では無難で賢明なやり方なのだが、渡部氏がおもしろいのは、そうした部分にさしかかると、椅子から腰を上げんばかりにして、いよいよ熱心に語りはじめるということである。次々に比喩や付加疑問文的・「でしょう?」的突っ込みを繰り出し、「えいや! どうだ! これでもわからないかぁっ!」とほとんどこちらの肘を引っ張らんばかりにして前に進んでいく。少し長くなるが、ぐいぐいとステップアップしていく氏の語り口の例として「掛詞のリアリティ」についての説明を見てみよう。

 掛詞のリアリティは、言葉の持つ意味に依拠しているというより、言葉が存在していることそのものの重みによっている、と私は思う。風景とわが身が偶然に出会う。それは一つの事件である。その事件が存在した重みを、言葉の出会いの中に置き換えようとするのが掛詞なのであろう。我々が生きているのは、突き詰めれば偶然の積み重ねの世界にすぎない。ただ、日常生活の中では、個々の出来事がある程度の必然性を持って連なっている、と何となく思い込んでいる。これが原因でこういう結果になったと思い込むことで、心の安定を得ている。しかし、強く何かに心動かされた時―― 美しいものにふれた、恋をした、人が亡くなった――、世界は新たな姿を見せる。個々の物事が面目を一新し、幸運にもたまたまそこに存在したのであったことに驚かされる。お定まりの因果関係など、どこかに吹き飛んでしまう。(75)

 掛詞って要するに駄洒落でしょ?などと思っていた人は、にわかに違う空気が流れ出してはっとするだろう。しかもそれはかび臭い学者的な説明ではない。渡部氏は勇敢にも「感動」そのものに切り込んでいくのである。

 それをどう表現するか。その時の自分の心に感じたあり様を詳しく語る、という手がある。これは我々にもなじみやすい。しかし、もう一つ、世界が偶然ならば、それを言葉の偶然性に移し取る方法もあったことを、掛詞は教えてくれるのである。掛詞は、偶然性をむしろ強調して、物と心、風景の文脈とわが身の文脈とを強引に重ね合わせ、風景との出会いの衝撃を再現してみせる。(75)

 何しろエッセンスの部分を語っているので、引用部だけですべてを理解するのは難しいかもしれないが、本書を具体例とともに順に読み進めていけば、こうした盛り上がりどころを十分に楽しむことができる。渡部氏によれば掛詞とは「声を合わせることを演じつつ、偶然を必然に変えてしまうようなレトリック」なのであり、「言葉の偶然の一致が、歌の秩序にぴったりと当てはめられ必然化していく姿は、人々の心を捉えて離さなかった」という。

 今も昔も、人は偶然に起こる出来事に弄ばれ、かつ孤独に苦しめられながら生きざるをえない。どうにかそこから脱したいというあえかな願いを、言葉の上で見事に実現しているのが掛詞なのだ。これこそ定型文学・和歌の神髄ともいうべき「力」である。その意味で掛詞は、和歌の中心的レトリックと呼ぶにまことにふさわしい。(78)

 和歌を理解するためには「偶然でありながら、そうでしかありえぬ、という感覚」に敏感になる必要がある。序詞の説明の中でも、渡部氏はこの感覚にこだわりつつ、それを人と人とが声を合わせる「唱和」、さらには「共生の感覚」や「共同の記憶」に結びつけてみせる。このあたりは本書の芯となる議論だろう。

つなぎ言葉に見られる偶然の音の一致は、和歌の定型に支えられて、必然的なものであるかのように感じられてくる。するとそこに、人と声を合わせているかのような感覚が発生する。声を合わせている時、人は他の人も同じものを見、同じことを感じているような確信に囚われる――決してそうとは限らないのだけれども――。この声の響く中で、序詞の風景は、体験に縛られない、純度の高い懐かしさをかもし出しながら、共同の記憶となって人々に受け入れられるのであった。(58)

 「唱和」という概念には、「いただきます」や「乾杯!」も含まれる。こうした部分からも察せられるとおり、本書で渡部氏が強調する「演技」は、「儀礼」という概念と密着しているのである。「演技」は単に「ふりをする」「ウソをつく」というような皮相な意味でとらえられているのではない。それは人と人とが社会の中で共生していく上で欠くことのできない祭儀的な装置なのであり、和歌を詠むという行為が、さまざまなイヴェントや習慣を通してそうした祭儀に組み込まれていたことは、「演技」というキーワードを助けにするとはっきりと見えてくる。本書の後半では、「贈答歌」「歌合」などの具体的な検証を通して、行為としての歌にいちいち微妙なニュアンスがこめられていたことが説明されるが、あらためて当時の社会の洗練と爛熟を感じさせるところである。

 本書で渡部氏がことさら「演技」というポイントに力を入れたのは、現代の読者にとって和歌がますます読みにくくなったことと関係しているだろう。自身の役者としての経験を踏まえ(氏はかつて野田秀樹氏らとともに「夢の遊眠社」で演劇活動を行っていた)、上演という枠にとどまらない「演技」の社会的な機能を自覚してきた氏は、そうして得た想像力を存分に駆使し、まるで我がことのように歌人たちの心境を推し量りながら、ときには力強く、ときにはさらに力強く、和歌語りを進めるのである。

 私たちは「詩が読めない時代」を生きている。和歌語りに限らず、批評という〝介添え者〟なくしてはもはや詩は読まれ得ないのかもしれない。しかし、本書を読むとわかるように、和歌はそれ自体の中に強力な批評性を内在させたジャンルでもある。縁語にしても、本歌取りにしても、先行テクストとの微妙な距離感をはらんだ批評的なレトリックだと言える。和歌とは自ら語り歌う形式であると同時に、他の歌を読み、読んだテクストを想起する形式でもあるのだ。その意味では、そこにはきわめて現代的な「詩」の可能性があると言えるのかもしれない。


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2013年06月28日

『ラノベのなかの現代日本 ― ポップ/ぼっち/ノスタルジア』波戸岡景太(講談社現代新書)

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「おとなにも読めるラノベ?」

 ラノベとは何か? ライトノベルの略称だ、くらいはわかる。でも、実際に手に取ったことはないし、手に取る気もないし、どうせ中高生の「こども」が読むくだらん小説だろうと高をくくって、そのくせ「まるでラノベじゃんか」といったセリフだけは口にする「おとな」たち。

 明らかに世代間の断絶があるのだ。本書の目的はそんな断絶をきちっと整理しましょう、理解しましょう、というところにある。単なる断絶に見えるものにも実はつながりがあって、起源や影響があって、でも、微妙な違いもある。別にラノベを擁護しようというのでもなければ、弾劾しようというのでもない。病理として解剖しようというのでもない。あくまで現代日本を理解するための端緒にするのだと著者は言う。本書には「古典的ラノベ」からの抜粋が散りばめられ、さながらミニ・アンソロジー。その語り口からは自ずと著者のラノベ愛も伝わってくる。でも、あくまで中立的なスタンスを保ちつつ、歴史語りに重心を置こうとする意図が見える。

 本書でラノベ理解の鍵になるのは「ぼっち」という概念である。「ひとりぼっち」を語源とする「ぼっち」の位置は時系列的には明確だ。まず学園紛争世代に対して違和感を抱きアメリカ文化へとのめり込んでいった村上春樹的「ポップ」世代がいた。その後にその「ポップ」に乗り遅れた「ポストポップ」世代がくる。そこで強力な勢力となったのが「オタク」である。穂村弘、村上隆といった人々は「オタク」を相対化しつつも「オタク」の旗頭ともなった。しかし、「オタク」はやがて消費文化の波の中で単なるひとつのスタイルとして吸収されてしまう。「ぼっち」がくるのはその後だ。ラノベ世代はもはや「オタク」ですらないのである。

 「ぼっち」という語の由来が示すように、ラノベ世代の最大の特徴はその孤独の形にある。「オタク」が自己卑下と排他性に支えられていたのに対し、「ぼっち」はそうした「オタク」のあり方も含めて「大衆性」と距離をとる。「ぼっち」はあくまで一人なのである。「オタク」世代の典型的人物像が「ドラエモン」の主人公「のび太」だとすると、ラノベ世代の主人公もまた「のび太」なのだが、こちらは「オタク」のように自己卑下をしたり好みを軸に群れ集ったりしなくなった「のび太」なのである。『涼宮ハルヒの憂鬱』のクライマックス部を引用しながら著者は、ファミレスやコンビニやラブホテルが点在するオタク世代の典型的な都市風景に、もはや何の未練も感じなくなった「ぼっち」の感性の在処があると指摘する。

 フツーの世界よりも、アニメ的特撮的マンガ的物語の世界よりも、闇に包まれた閉鎖空間の方が、ずっと現実的で楽しいと感じられる感性が、ハルヒをして、ラノベならではの「ぼっち」なヒロインの原型たらしめているのだ。(87)

 とはいえ、「オタク」と「ぼっち」はかなり近接しており、「え?どこが違うの?」という意見も出そうだが、そのあたりを想定してか、著者はかなり丁寧にオタク世代の「のび太」とラノベ世代の「のび太」の微妙な違いを説明してくれる。詳細に興味のある人は是非本書のページをめくって確認していただきたい。

 他方、本書のページの多くはラノベ以前の現代日本文化論にも割かれている。村上龍、村上春樹あたりを起点とした学園紛争後の日本が、アメリカ文化に憧れ、それを内在化し、やがてはそうした葛藤そのものが消滅してラノベ世代に至った経緯が、日本文化の大きな流れとして描かかれる。終盤で持ち出されるノスタルジア/ノストフォビア(帰郷嫌悪)という概念は、故郷に対するアンビヴァレントな感情を示すものだが、ラノベ世代のノストフォビア特有の「軽さ」を指摘しつつ、彼らを「家出のできない」世代として提示した結末部には、本書の芯となる視点が示されている。

 ラノベのなかの「ぼっち」たちにとって、ノスタルジアは積極的な精神の動きでなく、どこまでも受動的なものだ。終戦以来、幾度もの断絶を抱え込んできた「現代日本」という名のノスタルジアの果てで、思い出のない人間の思い入れほど残酷なものはないという横寺青年の洞察は、ラノベという現代の「望郷の歌」の切実さを、どこまでも物語ってやまない。(176)

 さて。そういうわけでラノベ世代の位置はだいたいわかるわけだが、肝心のラノベそのものはどうだろう。本書にふんだんに引用されるラノベの抜粋を読んでも、ひょっとすると「何がいいのかさっぱりわからん」という人もいるかもしれないので、最後に筆者なりの感想を付しておきたい。以下に本書から孫引きするのは、『涼宮ハルヒの憂鬱』の一節である。

 そこは部屋。俺の部屋。首をひねればそこはベッドで、俺は床に直接寝転がっている自分を発見した。着ているものは当然スウェットの上下。乱れた布団が半分以上もベッドからずり下がり、そして俺は手を後ろについてバカみたいに半口を開けているという寸法だ。
 思考能力が復活するまでけっこうな時間がかかった。
 半分無意識の状態で立ち上がった俺は、カーテンを開けて窓の外をうかがい、ぽつぽつと光る幾ばくかの星や道を照らす街灯、ちらちらと点いている住宅の明かりを確認してから、部屋の中央をぐるぐる円を描いて歩き回った。
 夢か? 夢なのか?
 見知った女と二人だけの世界に紛れ込んだあげくにキスまでしてしまうという、フロイト先生が爆笑しそうな、そんな解りやすい夢を俺は見ていたのか。
 ぐあ、今すぐ首つりてえ!
 日本が銃社会を免れていることに感謝すべきだったかもしれない。手の届く範囲に自動小銃の一丁でもあれば、俺は躊躇なく自分の頭を打ち抜いていただろう。

 ひとつの文に「ぽつぽつと光る」「ちらちらと点いている」「ぐるぐる円を描いて」などとあると、いかにも稚拙というか無防備に見えるかもしれない。「そこは部屋。俺の部屋」といった書き方も何だか雑に感じられる。でも、無防備さや雑さそのものがウリではなさそうだ。引き替えに獲得しているものがあるとすれば、それはスピード感と、切れのある「突っ込み」だろう。

 考えて見れば、頻繁な段替えも自分自身の語りに対する突っ込みとして機能している。あくまで突っ込みだから、鋭い洞察や、深い反省にはならない。短く、浅くやるところがポイント。カッターナイフで皮膚の表面数ミリをぺりっとめくるような、突っかかりや蹴手繰りをことばで行うのである。それがあちこちで繰りかえされる。「夢か?」とか「ぐあ、」といったつぶやきめいた箇所だけでなく、先の「そこは部屋。俺の部屋」のようなところも、いちいちのことばが前のことばをめくり返すようにして投げ込まれている。「日本が銃社会を免れていることに感謝すべきだったかもしれない」といったほとんど意味のないコメントも、そんなカッターナイフ的突っ込みととれば、許容できるのかもしれない。

 そこで急に英文学モードになって言うと、これはあちこちにifを内在させた語りと言ってもいいのかもしれない。ほとんどの言葉が、「~だったりして」という仮定のもとに一種の条件節として語られており、言ったそばから取り消しがきくようになっている(「出してから消せるメール」みたいに)。でも、「これは取り消しがきくんですよ」ということを示すのは、意外と難しい。読者というのは元来まじめなもので、どうしても本気にとる。上手に――それこそ本気で――本気にならないにはどうしたらいいか? 考えて見れば、それは文学の長年の夢だった。というわけで、なんだ、ラノベだって結局目指すところはそれなんだ、というのが筆者のなかにむくむくと起きつつある感想なのである。


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2013年06月10日

『憤死』綿矢りさ(河出書房新社)

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「手首をつかむ」

 本書巻頭の「おとな」は、四〇〇字詰め原稿用紙にして4枚足らずのごく短い作品である。この書評欄にまるごと引用するのも可能なほどの掌編。でも、実にパンチが効いている。これを立ち読みした人は、思わず本を購入するのではないだろうか。

 語りは幼い頃の夢の話から始まる。「何だあ、子供の夢かあ」と思う人もいるかもしれない。何となく展開が読めそうな気がする。きっと、少しだけ不思議で、少しだけ不安になるような、ほどほどに幻想的な、でも感傷的な余韻に満ちた終わり方をするんだろう、などと。実際、冒頭部では、幼い頃は「年月が過ぎてもいつまでも色あせず忘れられない夢があり、思い出と呼ばれる現実の過去と、ほとんど同じ量が頭にストックされている」というような一節があって、その後も、弟が寝る前にぐずったとか、自分が同じマンションに住む夫婦に預けられたといった、何となくもよもやした、ぼやぼやした、それほど緊張感のあるわけでもない日常風景が描かれている。

 1頁め。2頁め。読者は思う。ああ、もう終わりが近い。残された分量は2頁もない。このまま終わるのかなあ、と。すると、少しずつ胸騒ぎがしてくる。そういえば、あの昼寝の夢は変だった。母親も預けるのは不安だったようだ。そこへ、急に言葉が割り込むようにして入ってくる。

 と思っていたのがいまから二〇分前までの私だ。書き始めて気づいた。五歳だった私が、あんな夢を見られるわけがない。(8)

 何だかにわかに言葉の「顔色」が変わったような気がする。何がどう違うのかはわからないけれど、今までのうすらセピア色の感傷的な雰囲気がどこかに吹き飛んで、マンションの部屋が白々と蛍光灯で照らしだされたような気分である。はっと目が醒めたような。それまで積み上げてきた物語がぐらっと傾く。語り手が自分のストーリーに割り込んでくるなんて、ポストモダン小説の手法によく見られた転覆的な仕掛けだろうか。でも、それともちょっと違う。そんな陽気で、祝祭的なものではない。ここから始まるのは、もっと怖い話である。ぐいっと手首を摑むような。刑事に逮捕されるような。

 私は家族とともに、とうの昔に引っ越ししたが、あの夫婦はいまもあのマンションに住んでいるだろうか。その確率は低い。しかし二人がまだ関西に住んでいる可能性はそれよりは高い。私はペンネームを使っているが、もしかしたら彼らは、あのりさちゃんが違う名前で小説を書いているとどこかから聞いてすでに知っているかもしれない。もし知っていたら昔のよしみで興味をひかれて、この本だって読んでいてもおかしくはない。(8)

 あれ、「りさちゃん」なんて言ってる。そういえば「綿矢」というのはペンネームだが、「りさ」は本名だったはずだ。何、じゃあこれ、ほんとの話? え? え? ……こんなふうに思わせるあたり、芸が細かい。でも、ほんとに手首がしめあげられるのはその次だ。言葉の顔色がいよいよ怖いものになってくる。語り手はさらにじりっと身を乗り出して、こう続けるのだ。

ねえ、おぼえていますよ。ほかのどんなことは忘れても、おぼえていますよ……。(8)

 いや、引用はこれくらいにしておこう。小説はあと10行足らず。ぜひ、この最後の数行の醍醐味を実際に作品を手にとって味わってほしい。え、ほんとの話?と思わせる部分も含めて、書き手の存在の重みを感じさせる部分だ。これは小説家として、勝ちだろう。とくに最後の一行は見事。

 『憤死』はある意味ではいびつな構成の作品集だ。冒頭の「おとな」はたった4頁だが、それにつづく作品は「トイレの懺悔室」=62頁、「憤死」=35頁、「人生ゲーム」=59頁。別に掌編小説集というわけではない。ただ、冒頭に「おとな」が置かれていることの意味は、全編を読み通してみるとよくわかる。なるほど。作家はあれをやりたくてこれらの小説を書いたんだな、と思う。つまり、「おとな」のあの言葉の〝割り込み〟である。急に顔色の変わった言葉が、いきなり手首をぐいっと摑む。

 本書の残りの三編のうち、「トイレの懺悔室」と「人生ゲーム」は〝ホラー〟などと呼ばれてもおかしくない筋立てになっている。「トイレの懺悔室」では、子供達を家に呼びこみ、トイレを使って懺悔ごっこのような儀式をしていた男の「その後」が描かれている。男は大病をして見る影もない姿。かつて幼少期に主人公とともに儀式にくわわっていたゆうすけが、今、男の面倒を見ているという。しかし、実際に家に行ってみると何だか話しが違う。それで主人公が例のトイレに行くと…。ラストも含め、けっこう理詰めで展開される話なのだが、そうした論理よりも声の響かせ方に強い印象を受ける。クライマックスでは、「声だけがものすごく近くで皮膚にまとわりつ[く]」のだ(71)。ぐいっと聞こえてくる声なのである。

 とくに作家の持ち味が出ていると思ったのは、「憤死」である。出だしからして、実にとんがっている。

小中学校時代の女友達が、自殺未遂をして入院していると噂に聞いたので、興味本位で見舞いに行くことにした。(77)

 こんな冒頭部があったら、もう行けるところまで行ってしまえそうだ。実際、作品はこの冒頭部のインパクトを生かして、どんどん歩みを進める。回想もあるし、考察もあるのだが、語りの進み行くスピードはぜんぜん落ちない。自殺未遂を犯したのは、昔から太って醜かった佳穂(かほ)。凡庸なくせに「自慢しい」の子で、およそ人間的な魅力にも乏しかったが、友人のいない語り手にとってはとにかく一緒にいられる数少ない人間のひとり。好きではない、むしろ嫌いなくらいなのに、「特別嫌いというわけでもなかった」という消極的な理由でずっと近くにいた。

 小説では醜く凡庸な佳穂の今昔がたっぷり描かかれるが、それと同じくらいに、その佳穂に対して語り手が持ってきた、こもった感情が描出される。彼女は隠し持った悪意とともに生きてきた人物である。それが語りのトレードマークにもなっている。とんがって意地悪なそのいちいちの叙述は、言ってみれば小説中の「宣言された悪意」であり、看板であり、語り手にとってはそれを背負いつづけることが仕事なのだ。

 そんな自意識過剰な「意地悪屋さん」の彼女と、どちらかというと無意識過剰の佳穂との妙な拮抗を、作家は最後まできちんと描いてみせる。ふたりが実際にかわす言葉にはそういう関係だからこその、お互いに了解済みの「嘘」も多いようだが、小学生時代に佳穂が怒りを爆発させたときの「いいえ、なんでもありません」(90)という場違いな言葉はすごく印象に残る。佳穂の怒りは、周囲の理解から飛び出してしまうような予測不能で捕捉不能の感情なのである。どうしていいかわからない、手のつけられない怒り。これが作品のテーマとなる。

 どうやら佳穂は今回、また怒りを爆発させたらしい。怒りのあまり死を選びそうになった。その事情を知って、語り手はふと「憤死」という言葉を想起する。「ああ」と思う人も多いだろう。お楽しみの部分だ。あったよねえ。憤死。ありえないよね。憤死とか。噴飯とか。あははは…。筆者はそこで「発狂」という言葉も思い出した。「憤死」が歴史の授業の定番だったのに対し、「発狂」はもっとカジュアルに使われた、しかし、やっぱり「憤死」と同じくらい変な言葉である。わけのわからないものを指す言葉だから、言葉そのものにもわけのわからなさがつきまとう。

 「発狂」にしても「憤死」にしても語り手には遠く手が届かないものだ。でも、醜く凡庸な佳穂はそれを知っている。そんな佳穂のことを、語り手がほんとうは好きなのか嫌いなのかは最後までよくわからない。語り手には背負った看板があって、彼女の感情はその看板の隙間から漏れ聞こえてくるだけである。とにかく「すごい」とは思っている。だから負けまいとする。ラストは小説の言葉らしいたしなみや奥ゆかしさなど放擲され、佳穂に対しての言葉で終わる。

 お姫さま、死ななくてよかった。人には嫌われるかもしれませんが、いつまでも天真爛漫でいてください。(110)

 佳穂に対しての言葉だが、本人には決して聞こえないだろう。語り手は最後までほんとうの感情は隠し持ったままなのである。でも、言葉だけがぬっと小説の外に出ようとしている。ともすると小説的言語が陥る微温的で散逸的な世界の外に、出たい。何かをぐいっと掴みたいのである。

 冒頭の「おとな」の話に戻ろう。実は筆者はこの作品は活字で読む前に、ある人による朗読を聞いていた。その朗読者のパフォーマンスがすばらしかったこともあるのだろうが、この作品、実際に声に出して読まれると、インパクトがさらに増す。そういう潜在力を持った作品なのだ。声がぬっと飛び出して手首を摑んでくる感覚を、生々しい朗読で味わうのもいいかもしれない。


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2013年05月31日

『根津権現裏』藤澤清造(新潮社)

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「読んでも大丈夫」

 いよいよこの作品をとりあげる時がきた。NEZU-GONGEN-URAというタイトルの響きからしていかにも物々しいこの長編小説は、かの西村賢太が一方的に脳中で師事してきた大正期の作家・藤澤清造の代表作である。藤澤は1889年(明治22年)生まれで、1932年没。広く世に知られているとは到底言い難い、遠い昔の作家だ。

 1965年生まれの西村はむろん本人とは面識はないのだが、常人離れしたこだわりをこの作家に対して示してきた。全集の刊行を目指して準備を進めながら、資料等の収集はもちろん、作家の弔いにも余念がない。金銭的な困窮にもかかわらず、東京から相当行きにくいその故郷・石川県七尾を毎月欠かさず訪れてはきちんと法要を続け、ついには自らの部屋にその墓標を持ってきたり、自身の墓を藤澤の墓の隣にしつらえるほど。西村賢太のそんな「藤澤愛」を作中に読んで私たちは唖然としつつも、また、興奮するのである。

 しかし、おそらく西村賢太愛好家の多くは、文庫化が果たされた今も藤澤作品のページをひもとくことにはいささかの躊躇をおぼえるだろう。西村作品の中であれほど神格化されてきた作家の作品を実際に手に取れば、作家の手によって精妙に築きあげられてきた藤澤伝説が瓦解するかもしれない。そうしたら西村賢太の「清造物」の読み心地にもいささかの変化が生じないとも限らない。それは困る。

 筆者も文庫版『根津権現裏』を、積み上げた本の一角にちらちらと確認しながら、なかなか思い切れないでいた。いざ手に取ってみても、表紙裏に掲載された藤澤清造の写真が、下手をするとJリーグの下っ端選手のようにも見える、やけに今風の表情なのが何だか心配なのである。

 ところが、いよいよ読み始めてみるとどうだろう。さわやかな安心の風が吹き抜けるというわけにはいかないものの、それまでの心配など遠く忘れさせてくれるような、実に濃厚な「あやしさ」に充ち満ちた作品世界なのである。これはいったい何だ? いったい何が始まるのだ?と戦慄さえ覚える。とりわけ冒頭部のインパクトは相当なものである。

 午前中のことは一切知らないが、私が起きてからも其の日は、まるで底翳(そこひ)の目でも見るように、どんよりと曇っていて、其の陰気さと云ったらないのだ。それに、一夜の中に秋が押しよせてでもきたように、四辺の風物が皆うすら寂しく白けて見えるのだ。私が寝巻にしている、洗いざらしの白地の浴衣を一枚つけていると、不意に剃刀でも突きつけられたような冷たさが、全身へしみてくるのだ。殊に襟元などは、厭にぞくぞくとしてきて、何となく味気ない思いさえしてくるのだ。(5)

 私小説作家の「のだ」に独特の魔力が宿ることは、以前この欄で上林暁の作品をとりあげた際にも触れたが、この冒頭部などまさにそうで、なぜこれほどまでに「のだ」を続けなければならないのかよくわからないだけに、とにかく圧倒された気分になる。たとえば同じ時期の萩原朔太郎の詩作品などで、語り手が一気呵成に語りをつむぐときの、あの興奮と、詠嘆と、いくらかの諧謔の混じった口調を思い出したりもする。

 語りのこうした神経的な震えは終始この作品についてまわる特徴である。この小説では、そもそも巨大な情緒不安定を抱えた語り手がいて、その不安定な情緒をさらにえぐるようにして、事件が発生するのである。岡田や岡田の兄といった中心的な人物たちはいずれも、いかにも粘着質で一筋縄ではいかない者として登場する。出来事もいかにも不幸と邪悪さを隠し持った、底知れぬ闇をたたえている。まさに悪夢のような小説世界。

 しかし、ふと立ち止まって考えると、悪夢は主人公の被害妄想的切迫感に発するものにすぎないのかもしれないのだ。だが、そこから逃れる術はない。小説世界に独特の存在感を与えているのはこの逃れる術のない、行き所のないような、どん詰まりの感覚なのである――とくにラストは圧巻。ただ、そんなどん詰まりから、先の「のだ」の連鎖にもあらわえていたような「歌」めいたものが響いてもくる。それは「語ることによって生きる」という方法を知る者にのみ許された「歌」かもしれない。だから、ついそこに耳をそばだてたくなる。

 この小説で中心となる「事件」の骨子は至極単純である。脚を病み、生活にも困窮した語り手は鬱々とした日を送っている。そこへ同郷の友人・岡田の死の報が届く。どうやら自殺らしい。原因はいったい何か? ちょっとしたミステリー仕立てとも見える筋立てだ。主人公の反応も何だかおかしい。やがてこの死をめぐって、少しずつ過去の秘密があばかれはじめる。岡田の死にはいつの間にか殺人事件めいた異臭が漂い、主人公もその渦中に巻き込まれる。

 自殺した岡田の通称は「はな」。生来の蓄膿症に苦しみ、それゆえ精神の安定さえもが揺らいでいたという。岡田は売春婦との付き合いに悩んだり、蓄膿に苦しんだり、またある密告事件を起こしたりして、そのたびに主人公のところにやってきて――ときには寝床にもぐりこんできたりしながら!――あれこれと議論をふっかけるのだった。これが実にだらだらとした堂々巡りのようなやり取りなのだが、二人の間には信じられないほど鋭敏な情緒の共鳴のようなものが発生していて、議論としては前に進まないながら、これでもかとばかりに「どん詰まり」の深みを見せてくれる。

 それにしてもこの小説世界の人物たちはよくしゃべる。よく言い争う。語り手は不必要によけいな細部をつけくわえたり、いちいち相手の話の隠れた部分をも詮索したりする。とりわけ岡田の首つりの状況への興味は、どこか常軌を逸したもののようでもあるのだが、そうした想像が主人公がかつて目撃したという心臓麻痺死の光景へとつながってくるところに彼の持ち味がある。

 私は曾て、病臥後幾許(いくばく)も経ない一人の患者が、突然心臓麻痺の為に果敢なくなって行ったのを目撃したことがある、其の時の苦悶さは真に見るに忍びないものがあった。それは、誇張に誇張を重ねたものだと云われている、あの歌舞伎狂言に現われてくる人物が、不意に殺害されて落入る時の動作其のままだった。即ち、目は凝と一つところを見詰め、口は堅く食いしばられるとともに、双手は虚空を摑みながら悶えるのだ。云ってみればそれは、此の世に於ける苦痛を一身に集めたような苦痛さだった。あるいはそれを、苦痛其のもののようだったと云って好いかもしれない。(153-54)

 こうした部分、語り手が何だか生き生きとしている。そうなのだ。『根津権現裏』は苦痛語りに淫しているとさえ言えるような、まさに苦痛を芯にして展開する小説なのである。岡田の蓄膿症や「私」の脚の病の慢性的な症状は、そうした苦痛の発端に過ぎない。究極的には語り手は、縊死した岡田がいかに苦しんだかを執拗なまでに再現しようとする。それは決して華々しい劇的な形では語られえないのだが、間接体や、想起や、執拗な内省を通し、生々しい痛みとして提示される。

 何より印象的なのは、そうした苦痛がそのあまりの苦しさゆえに当人に死ぬことさえ許さない、などという想像がなされることである。

 だから、私は今これを岡田に就いて考える場合には、彼も屹度死の苦痛を嘗めていったことだろうと思う。それどころか、私の知っている限りでは、彼は死ぬにも死ねない幾多の苦悶を持っていたのだ。それがただ一時の発作に駆られて、誤って彼自身が彼の生活機能に危害を与えたのが因を成して、とうとう亡びて行ってしまったのだ。だから其処には表裏の別は措くとして、泣くにも泣かれない無限の怨恨、悲哀、憤怒、苦痛の凡てが、十重二十重に渦を巻いていたに相違ない。それを思うと、今更に私には彼の死なるものまでが疑われてきてならなかった。よしそれが、――彼の死は事実だとしても、而もそれが、一点苦痛の影をも止めずに行われていたとすれば、飽くまでそれは表面上のことに過ぎない。其の裏面なる心底には、少なくとも憤怒と怨恨とが、猛火のように燃えさかっていたに相違ない。そうだ。そして、彼は其の猛火の為に、遂に身も心もともに、焼きほろぼしてしまったのだ。それが私には、哀れにもかなしかった。(154-55)

 苦悶をめぐる語りはこうして熱を帯びてくる。演劇的に示されるのではない。あくまで死後鑑定の立場から、回り道に回り道を経て「其処には表裏の別は措くとして、泣くにも泣かれない無限の怨恨、悲哀、憤怒、苦痛の凡てが、十重二十重に渦を巻いていたに相違ない」というような語られ方がされるのである。思弁と分析と推量の果てに想起される苦悶なのである。それでいて語り手はそんな鑑定を、最後は「哀れにもかなしかった」と情の言葉でまとめてみせる。

 この情緒過多な小説世界のひとつの到達点は、苦痛をこのように情化=浄化することにあるのかもしれない。藤澤清造の語りでは、語るということと感じるということとがほとんど区別つかないくらいに結びついているのだ。このような筆法はあの磨き抜かれた西村健太の芸風とすぐに重なるものではないかもしれないが、読んでいると、たしかにあちらこちらで西村的世界を思い出させる何かがある。「あっ、この言葉遣いは!」と線を引きたくなる箇所もある。そう簡単に言葉では説明できないのだが、西村がこの作家に惚れ込んだ理由は何となく感じとれる。ともかく心配はご無用。読後も西村賢太の小説は十分楽しめるし、ひょっとするとそれ以上のいいことがあるかもしれないのだ。


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2013年04月24日

『自選 谷川俊太郎詩集』谷川俊太郎(岩波文庫)

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「現代詩と匂い」

 現代詩の書き手として、谷川俊太郎はおそらくもっとも有名な人だ。ほとんど詩など置いてないような町の本屋さんでも、谷川詩集だけは何冊も置いてある。ふだんは滅多に詩など載らない新聞でも、谷川の詩だけはでかでかとスペースをとって掲載されている。国語の教科書でも定番。小学校、中学校、高校と何度となくその作品と出会う。

 これだけ有名なのだから、きっと谷川俊太郎は詩そのものなのだ、と思いたくなるところだ。彼こそ、ザ・口語自由詩。日本語の「詩」を象徴する存在なのではないか、と。ピラミッドの頂点にいる人なのではないか、と。しかし、それは大きな間違いだ。彼はほかのどの詩人とも似ていないし、そういうピラミッドとか、象徴とかいうくくり方とも無縁である。

 現代詩にとっては谷川俊太郎はむしろ困った存在かもしれない。他の詩人についてあれこれ説明しても、谷川についてだけはうまくあてはらまない。中でも大きな問題は、彼が詩を信じていないことである。もっと言えば、言葉を信じてない。こんな詩人、いるだろうか。

 ためしに「おならうた」を見てみよう。

いもくって ぶ
くりくって ぼ
すかして へ
ごめんよ ば

おふろで ぼ
こっそり す
あわてて ぷ
ふたりで ぴょ

 何とわかりやすい詩だろう。というか、こんなにわかりやすいのに詩になるなんて驚きである。とりわけ最後の「ふたりで ぴょ」はすごい。それまでの「ぶ」「ぼ」「へ」「ば」「ぼ」「す」「ぷ」は、まあそれなりに写実的で、おならの状況やお尻の感触も想像できた。「おならはこんな音がするものだ」という私たちの予想の範囲におさまるものだった。でも、最後の「ぴょ」だけはちょっとちがう。「ぴょっていうかなあ?」と思わせる。でも、ひょっとするとそういう音が聞こえるかもしれない。ある種のおならは「ぴょ」かもしれない。あるいはふたりでいっぺんにおならをすると共鳴するということもあるのか。それとも、ふたりでいっぺんにおならしてしまって、びっくりして「ぴょ」となるのか。「げ」「あら」「どき」というような、いわば心理の音が「ぴょ」なのかもしれない。

 …なんていうことを考えるだけで私たちはすでに詩人の術中にはまっている。谷川は「おち」の達人。いろんな技をもっている。とりわけ彼がうまいのは、通常の「謎を提示してそれを解決してみせる」という「おち」の型とはひと味ちがう形で落としどころをつくれること、それから、それを目にもとまらぬスピードでやれることである。

 しかし、この「おならうた」にはもうちょっと意地の悪いところもある。どうだろう、「いもくって ぶ/くりくって ぼ…」という連続を読んでいるうちに、いつの間にか私たちはある物語の枠を思い浮かべていないだろうか。何しろ「おなら」である。できれば他人には聞かれたくないものだ。公の場で堂々とおならを鳴らすには、相当な度胸がいる。だから、おならというだけで、私たちは「こっそりやるもの」と考えている。実際、六行目には「こっそり す」ともある。

 「おなら」は現代詩のことかもしれない。日本の現代詩は、何より「ひそやかな自分」と結びついてきた。公のことばになる前の、個人の心の底にあるもやもやしたもの。黒くて気持ち悪いもの。ひりひりする切実なもの。そうしたものを恥ずかしさを乗り越えてやっと口にするのが詩だった。だから私たちは無意識のうちに、「こっそりおならにこだわる『私』」を読んでしまう。そうとは知らずに。ところが最後の行にきて、いきなり「ふたりで」とあってびっくりする。ここへきて「ふたり」という語の意外性に打ちあたることで、私たちはそもそも自分が「おなら」と「私」とを結びつけていたことを思い知るのである。それで二重の意味でびっくりする。

 しかし、次の瞬間、私たちはしてやられたことに気づく。そうだ、そうだ、とうなずく。そもそもこの詩は冗談なのだ、まじめにとりあうだけばかばかしい。「ぴょ」なんてまったくふざけた、漫画みたいな音じゃないか。子供だましもいいところだ、と。

 ところがこんな感慨もまた詩人の術中にはまっている。だって、ばかばかしいというけど、私たちはけっこう本気でびっくりしている。「ふたり」とか「ぴょ」とか言われて、ことばにならないくらいどきっとした。最初からいかにもばかばかしそうな詩を読ませておいて、それでもどきっとさせるなんて、谷川俊太郎という人はほんとうに人が悪い。

 では、この「どきっ」はいったい何だったのだろう。おそらくそれは「そうではないもの」への入り口だったのだ。「詩」ではないもの。「私」ではないもの。谷川俊太郎の「おち」は、「おちへの階段」を登った末にたどり着かれるものではない。たしかに出発点には「詩」や「私」が設定されているのだが、彼はそれをぜんぶひっくり返してその外に出てしまう。テイヤ!とばかりにぜんぶ転覆させる。「詩」につきまとう「ひそやかな私」をひっくりかえし、「こんなのジョークだよ」というライトヴァース的な安心感もひっくりかえす。

 もうひとつ、谷川の「アンチ現代詩」を見てみよう。

心のスケッチA

一本の線を書く
もう一本の線を書く
また一本の線を書く
そうしてまた……
一束の線に
いかなる記号も象徴も見ず
黙っている
それが髪になり
草になり
流星になり
水になるのを
楽しんで
ただ文字になることだけは
決して許さず
一碗の茶を
飲みながら (一三八)

 谷川の作品の今ひとつの特徴は、ことばがとても身軽なことだ。出てくる主な名詞を拾ってみると、「心」「一本」「線」「記号」「象徴」「髪」「草」「流星」「水」「文字」「一碗」「茶」といった具合。どの名詞にもほとんど修飾語はついておらず、説明もない。「線」はあくまで「線」。「髪」はあくまで「髪」。「文字」もあくまで「文字」。ことばがまるで辞書からそのまま飛び出してきたかのようで、文脈や背景や歴史といったしがらみからも自由。抽象的にさえ聞こえる。無菌のことばに見える。

 でも、これは決して悪い意味ではない。こんなふうにことばがほやほやのナマな状態であるおかげで、読者はことばの相貌に威圧されることがない。「しがらみ」の多いことばは、しばしば〝一見さんお断り〟という風情を漂わせる。読者に対し、「お前、どこのもんだ?」「オレの何を知っとる?」とすごんでくる。そういう詩では、私たちはこの「しがらみ」の余韻を読むことを期待される。「しがらみ」は最終的には、詩人自身の「しがらみ」の奥底にまでつながっていく。詩人の抱えている掛け替えのない「私」に連絡している。そんな奥底の薄暗いものなど、そう簡単にわかるわけがないし、ことばにもできない。でも、伝えたい。だから、その薄暗さも含めて詩人はことばにしてしまおうとする。薄暗さやわかりにくさを、複雑な「しがらみ」に託して。結果、ことばにはいろんなものが付着し、重たくなる。ややこしくなる。そうしたわかりにくさにこそが、表現のポイントにもなる。

 これに対し「しがらみ」から自由な谷川俊太郎のことばはとてもわかりやすい。でも、こんなに身軽でほんとうに大丈夫なのか?と心配になる人もいるだろう。ことばに「リアル」な響きを与えるためにはことばを汚すのがいい。谷川のことばはとてもきれいで、従って、通常の意味でのほんとうらしさに欠ける。「心のスケッチA」の「それが髪になり/草になり/流星になり/水になるのを/楽しんで」というところを読んで、「いかにも髪だなあ」「いかにも流星だなあ」と思う人はいないだろう。むしろ詩人はほんとうの「髪」や「流星」からは遠く隔たったところで語っているように見える。

 でも、谷川はほんとうらしく聞こえないことをまったく恐れていないのだ。ほんとうらしく聞こえるとは、いかにも現実に起きているように、いかにも過去にあったように、いかにも自分にかかわっているように、いかにも「私」が語っているように、いかにも「私」がほんとうに思っているように……ということ。つまり「ほんとうらしく」とは、詩人が自分のことばに誠実であるための必須の要素である。そう簡単に放棄できるはずがない。だからこそ、ほとんどの詩人は、そこに賭けている。ほんとうらしく語ることこそが目標になる。ことばを思い切り汚して、自分だけの匂いを発生させようとする。ところが谷川俊太郎はそんなのどこ吹く風。自分の匂いになど、まるで興味がない。

 彼はそんなところでは勝負しようと思っていないのだ。でも、勝負そのものを捨てているわけではない。自分の匂いを語ることに興味がないかわりに、彼は世界に興味を持っている。世界をいかに理解しようかといつも考えている。

 「心のスケッチA」はそのような勝負をことばにした詩ではないかと思う。「それが髪になり/草になり/流星になり/水になるのを/楽しんで」という抽象的な風景から読みとれるのは、世界をこんなふうに語ったらどうだろう?あんなふうに喩えたらどうだろう?と試行錯誤している詩人の姿である。

 しかし、彼は同時に警戒してもいる。そういうふうな喩えがほんとうのように見えてしまうことを。喩えを本気にしてしまうことを。だからこそ、「ただ文字になることだけは/決して許さず」という。しかも、そのあとにはいかにも皮肉な風情で、「一碗の茶を/飲みながら」とつづいている。まるで「わかること」を疑う自分をも疑っているかのようだ。どうしてそこまで疑り深くなるのか。「世界がわかった」と思った瞬間に、私たちが世界を取り逃してしまうからかもしれない。全体に安心しつつもつねに圧倒されなければならないから、かもしれない。そうやっていつも疑っていなければ、私たちは世界のことなどわからない。でも、ここでも私たちは谷川の術中にはまっている。だって、そんな問いを重ねてわかろうとする時点ですでに、私たちは十分にこの詩を読んでしまっているのだから。


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2013年03月27日

『スタッキング可能』松田青子(河出書房新社)

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「黄胆汁型」

 ご存じの人も多いだろうが、人間の性格をわけるのに「四つの気質」(four humours)という分類法がある。もともと古典古代からあった考え方がルネッサンス頃になって再び流行したもので、人間の気質が四つの体液のバランスで決まると考える。血液が多いと陽気で社交的、粘液だと鈍く物静か、黒胆汁過多は憂鬱症、黄胆汁の多い人は行動的でかっかと怒りっぽい……といった具合である。どことなく魔術的なあやしさを引きずった知見だが、文学作品の分類にはやっぱり便利かもしれない、と松田青子の『スタッキング可能』を読みながら思った。

 考えてみると世の小説の主流は長らく「黒胆汁型」(=憂鬱気質)だった。勝負はいかに「過去」にこだわるかで決まる。原動力となるのは怨恨とトラウマ。これに対し陽気で饒舌な「血液型」もエンタメ系を中心にそれなりに勢力を保ち、「粘液型」は「しみじみした味わい」などと呼ばれながら私小説などで静かに生息する。

 しかし、怒りっぽい小説というのはどうなのだろう。志賀直哉はいかにも不機嫌だけど、「黄胆汁」というよりはやっぱり「黒胆汁」ではなかろうか。そうすると西村賢太、町田康といったラインが浮かんでくる。少なくとも多数派ではなさそうだ。

 で、松田青子は堂々と「黄胆汁型」ではないかと思ったわけである。どの作品もはっはっはっとホットなのである。憎悪とか怨念ではないし、単にムッとしたというのでもない。はじめのうち、この「ホットさ」は突っ込みや小ネタとして読めてしまうので、ともかくこちらも走る語りに負けないよう、一生懸命併走しようとする。

学生時代の夏合宿の夜、『わたし』がオセロで勝つと、負けず嫌いだなあと言った同じサークルに属していた男。どうして普通にオセロをしていただけで、そしておまえに勝っただけで、負けず嫌いになるのか。おまえがオセロ弱いだけだろ。お好み焼き屋で、『わたし』が率先して取り分けないと、えっ女のくせに取り分けないなんてびっくりしたと言った、同じゼミに属していた男。論外。そいつの一言にふつうに意見を言おうとしただけなのに、まあまあ、怒らない、ムキにならないとなだめてこようとしたバイト先の男。女が言い返すとは、自分と違う意見を返そうとするとはつゆとも想定したことがない男。そういう女が全員怒っているように見える男。(「スタッキング可能」、16-17)

 怒ってるって言うな!と言うが、やっぱり多少怒っているように見える。かっかっとしている。体温が高い。でも、だんだんわかってくるのだが、これは単なる人物の個性とか事件の問題ではない。作品がホットなのだ。文章のあちこちに何とも言えない「早口」な感じがあって、ぼけっとしてるとついていき損ねる。いや、ぼけっとしていなくてふつうに読んでいても、いつの間にか文章においていかれる。
 そういう構造になっているのである。

 表題作の「スタッキング可能」は章ごとにフロアの入れ変わる会社(員)小説で、語り手も登場人物も場所も徹底的に匿名。場面はせわしなくフロアを移動する。にもかかわらず、人物たちの周波数がどこか重なるせいか妙な連続感があって、関係ないはずの会話がかみ合うように見えたりもする。

 会社とはフォーマルな世界である。制服ではなくても、制服まがいの鬱陶しい服装を強要されるし、振る舞いや会話にもいちいちしきたりがある。だから、「スタッキング」(家具などの「積み重ね」)も可能になるのだが、フォーマルなものに対するいらいらはつのる。人物が一見いらいらしていないときも、根底にホットなものがあるのはわかる。

そういう先輩たちはというとすごかった。それぞれ自分の担当分野に精通していた。担当分野では無敵だった。それにあのよどみのない電話対応。こなれた様子で完璧な敬語を使いこなす姿。かっこよかった。敬語を自由に操れるのってかっこいい。英語のほかにフランス語を話せるくらいのかっこよさだ。自分のたどたどしい、板についていない、尊敬語も謙譲語もごっちゃになった敬語とはぜんぜん違った。
 これはこうこうこういうかたちになっておりまして、こちらはこういうかたちになっております。そうですね、そういうかたちになります。ええ、ええ、そういうかたちでおねがいします。そのかたちですね、そのかたち。(57)

 いらいらさせるのは、オフィスの「かたち」なのだ。その延長で、小説という形式もついでに蹴飛ばしてしまいそうな勢いである。しかし、必ずしもそうはならない。「ウォータープルーフ嘘ばっかり!」のように小ネタだけで楽しめる小篇もあるが、「スタッキング可能」とか「もうすぐ結婚する女」といった作品がけっこう油断ならないのは、最終部で意外に小説的に落ちついていくところである。登場人物は匿名で、設定や物語からもどんどんエントロピー的に離脱していきそうなのに、何かが引っかかっている。

 その「何か」が直接名指されるような野暮なことはない。でも、終わりにかけ、それまでのはっはっとしたホットな語りをなだめすかすような描写が入ってくる。たとえばL木が食べ終わった菓子パンのゴミをまとめて、コンビニ袋の空気を抜いているところ。

 たいした空気量じゃないから聞こえるはずないのに、抜けていく空気のおとが聞こえるような気がした。抜けていく空気の色が見えるような気がした。コンビニの袋はぺしゃんこになった。C木は知らないが、L木は明日から会社に来なくなる。だからこれはC木が最後に見たL木の姿で、C木はこれから先、さみしさやむなしさといった概念について考えるたび、静かに空気を抜いていたL木さんの姿が脳裏に浮かぶようになる。(79)

 こういう場面が「黒胆汁型」の小説にあったら、いかにもウェットな終わり方になりそうだ。しかし、何しろ「スタッキング可能」は「黄胆汁型」なのだ。小説のせわしないホットさと、この「ガス抜き」とがひと味ちがったバランスを作り出す。次のような一節もそうだ。まずは、男性社員の「黒胆汁的」な夢想がある。

 朝もすごい。朝のオフィスは明るい。すべての窓にブラインドが下りていても、どうしても明るい。朝!としか形容のできない明るさだ。窓の外にあるジャンクションの上を車が途切れなく流れていく。一〇階のオフィスは重なったジャンクションのうち一番上の高さにあるジャンクションとだいたい同じ高さだ。ジャンクションを大型トラックが通るとすぐにわかる。大型トラックが通ると、オフィスの向こうの隅からこっちの隅まで黒い影がブラインドをざざっと通過する。まるで大きな鳥が頭上を通過したみたいに、全身が翼に持っていかれたみたいになる。浮遊感に襲われる。寝不足の時などそのまま持っていかれそうになる。(83-84)

 何と陶酔的なのだろう。そして、たしかに多くの小説は、このような朝陽や夕陽をながめるような感慨とともに落着していくのである。しかし、「スタッキング可能」では、そのすぐとなりに、その社員をじっと見つめる「黄胆汁」の語りがある。

『わたし』は男性社員がさっきまで立って熱心に外を眺めていた窓に近付いた。何を見ていたんだろう。別にいつも通りの景色だった。夕焼けの橙色がまぶしかった。
 知っている。あの男性社員はなんでもセクハラで済ませればいいと思っている。(中略)ほかの男性社員が女性社員にくだけた調子で話しかけると、ちょっと踏み込んだ質問をすると、女子社員が答えようとする前に、一緒に笑おうとする前に、こう言う。「おまえ、それセクハラだぞ」「おいおい、セクハラやめろよな」そして理解してますよみたいな調子でこう言う。「セクハラですよって言った方がいいぞ」「なあ、セクハラだよなあ。まったく困った奴らだよな」。(87)

 ほら、はっはっしている。でも、だからといって、男性社員の「黒胆汁型」のメランコリーを全否定するわけではない。「黒胆汁」と「黄胆汁」が、それぞれの持ち味は失わないまま、二つの流れとして交錯し、いかにも終わりにふさわしい空気を漂わせるのである。一種の哀愁かもしれない。が、「黒胆汁」依存のどっぷりと耽溺的なそれとは根本的にちがっている。人と人とが鋭利にずれることから生ずる何か。こんなふうに小説的エッセンスが取り出されるとは!と感心した。小説を壊したいわけではないのだ。構築しているのだ。

 「もうすぐ結婚する女」もお薦め。こちらも、何人も出てくる「もうすぐ結婚する女」を、いちいち「もうすぐ結婚する女」と呼ぶかっかとした「黄胆汁」的な部分ばかりがはじめは目につくが、終わりにかけ「え、この小説、こんなふうに終われるの!」とびっくりするほど落着的な仕掛けが見えてくる。小説としてはぜんぜん似てないけど、この空気、案外ジョイスの『ダブリン市民たち』あたりと似ているなあ、と唐突に思ったりもした。語りがいつも別の目を隠し持っている世界に遠く通じているのかもしれない。


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2013年01月10日

『星を撒いた街』上林暁(夏葉社)

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「〈である〉と私小説」

 私小説が話題になるとき、上林暁は必ずしも筆頭にあがる名前ではないだろう。でも、4、5人のうちには入っているかもしれない。10人に枠を広げればまず当確。つまり、知ってはいても、意外に読む機会の少ない作家、ちょっとグレーゾーンの作家なのである。

 その上林暁が、ある時期、やけに目についた。某大型啓文堂書店のわりと目立つ平棚に置いてあって、何週間たっても、しつこく居る。まわりをタレント本やらハウツーものやらに囲まれ完全に孤立しているのだが、場違いにレトロな装丁がじわっと目を引く。タイトルの「傑作小説集」という古めかしい言葉にも、何となく哀愁。妙な気配を発しているのである。

 それでいざ頁を繰ってみると、ほらね、というか、距離感が妙なのだ。思わずたじろいでしまう。冒頭の作品「花の精」は、植木屋が自宅の庭の月見草をグリグリとねじ切る場面からはじまるのだが、そのむごさに呆然とする語り手のめそめそした執着ぶりときたら。遠慮もなくこちらにナマの感情を押しつけてくるこの語り手、いったい何なのでしょう。

 その月見草の太い株が、植木屋の若い職人が腰に挟んでいた剪定鋏で扭(ね)じ切られているのを見たとき、私は胸がドキドキして、口が利けなかった。私は自分の全身から血の引くのがよくわかった。
 私は茫然として、縁側に立っていた。
(中略)その月見草の株は、逞(たくま)しく蟠(わだかま)っていたので、ナイフを当てがっても、なかなか思うように切り取れない。しかし職人は、根株を徹底的に片づけて、もう二度と芽など出させないようにするつもりらしく、何度も何度もナイフを当てがって切りさいなむのであった。彼は、私が大事に大事にしていた月見草だとは知らず、只の雑草と思い込んで、月見草のまわりに花をつけているあやめの株を生かそうがために切ったものらしく、私の口惜しさなどまるで気がつかないのであった。のさばりかえっていた月見草を平らげたので、彼の素振りは、むしろ得意げであった。それを見ると、私の口惜しさはいよいよ募り、ちぐはぐした感情のために、いらいらして仕方がなかった。(8-9)

 何だか、見ず知らずの人から、道端で「何とかしてくださいよ~」と苦情を言われて対応を迫られているような気分になる。文章も小説的抑制があまり効いてなくて、粗雑にさえ見える。でも、単なる粗雑さでもないのである。スレスレのところでやっている。

 上林暁の作品の中でもよく知られているのが「病妻物」だ。精神病を発病して入院した妻を支えて貧乏作家が生きていく、その生活をたっぷり情感をこめて描く。この「花の精」もそんな作品の一つで、冒頭の月見草のイメージが病気の妻を思う気持ちとが重なるのである。発表は昭和十五年、妻の発病が昭和十四年だから「病妻物」の走りとも言える。本書には「病める魂」(昭和十七年)や「晩春日記」(昭和二十一年)のような、より本格的な「病妻物」も収められているが、この「花の精」を巻頭にもってきたのは意味があると思う。この作品には、まだ妻が病気であることにすっかりひたりきっていない、どこか落ち着かない様子があって、いちいち「ぼくの妻は病気です!」と訴えずにはいられない変な興奮状態が、作品の推進力をつくっている。つまり神経の腫れっぷりで音響を生みだすような、捨て身の書き方なのである。

 そんなわけでこちらとしては、このアクの強い腫れ物のような語りにがっちり手首をつかまれた気分で読み進めわけだが、ところどころに、「あ、そうだよ、これが私小説だ」と思わせる瞬間がある。たとえば以下のような部分である。

 私は今、妹に三人の子供の世話をさせながら、淋しい生活を送っている。妻はいないのである。半年ばかり前から、私の妻は或る病院に入院しているのである。どんな病院であるか、また書くことがあると思うから、今はあまり言いたくない。(19)

 二年ばかり前、妻がまだ元気であった時分、私は文学と生活に行き詰まって途方にくれていた。妻の病気も、もとはと言えば、その頃の生活が根をひいているのである。私は面白くもない月日を送っていたが、そういう途方にくれた私を毎日慰めてくれたのが、庭に咲いた二本の月見草の花であった。(20-21)

 注目したいのは、語尾の「~のである」だ。全体の流れの中では、こうした部分はいわば「沈静期」にあたっており、ひりひりと腫れ上がった語りが過去をふりかえりつつ暗い気持ちにひたることで、かえって束の間の落ちつきに至るわけだが、そのような刹那に「~のである」という語尾がきわめて有効に働いている。

 考えてみると、私小説の何よりの特徴は、こんなふうに堂々と「~のである」で言葉を終えることが許されることなのである。そもそもこれらの「~のである」は何を意味しているのだろう。断定だろうか。主張だろうか。それにしても、フィクションの中で、いまさら断定されたり、主張されたりしても困る。読んだ実感としても、論文などの「~のである」とちがって私小説中の「~のである」は、「何かが決定的に決まってしまった!」という感じはさせない。

 むしろ、そこに含まれているのは断定や主張より、訴えや働きかけのニュアンスではないだろうか。語り手は決して思考者や報告者として屹立してはいない。威張ってもいない。自信満々でもない。こちらに何かを押しつけるわけでもないし、訳知り顔でもない。むしろ、「何とかしてくれよ」と言わんばかりの、しなだれかかるような「弱さ」が目立つ。ただ、弱いくせに、こちらの注目を引くことには一生懸命なのである。実際、そこで開陳されるのは、まあ、それほどたいした情報でもないのだが、こちらはつい、それまでよりも熱心に耳を傾けてしまう。情報よりも、「ねえ、聞いてよ」という語り手のジェスチャーそのものを嘆賞してしまうのである。

 どうやらクセ者は「弱さ」なのである。この「弱さ」には、「あんたが話を聞いてくれないとほんとに困る」と訴えかけてくるような、そして「ああ、話を聞いてあげないとこの語り手も困るのかもねえ」とこちらに錯覚させるような、妙な引力がある。それはほとんど「芸」の領域に達している。

 私たちがなぜわざわざ私小説などというものを読みたくなるのか、というのは大いなる謎である。(ついでに言えば、読みたくなる人と、まったく読みたくならない人がいるというのもおもしろい。)この謎を解く鍵の一つは、この「~のである」の隠しもった「弱さ」ではないかと思う。「花の精」では、夫に死なれて戻って来た妹が家族の面倒を見ているわけだが、その妹に語り手がいちいち苛々すると同時に、苛々した自分にがっかりしたりもする。妹には炊事洗濯以外も著者印票への検印押しから、将棋の駒磨きといった仕事まで与えられるが、とにかく要領が悪い。しかも仕事が一段落すると、すぐ昼寝などしている。しかし、それを見ながら語り手がこんなふうに思う場面がある。

 しかし、そのうち、妹が朝っぱらから寝そべっているのを見ても、私は怒鳴らなくなった。自分が朝っぱらから寝そべることがあるのは問わずとして、いかにも疲れたらしく、物憂そうに鼾を立てているのを見ると、妹の途方に暮れた心事が私に伝わって来て、どうしたって怒鳴れないのだ。それは正(まさ)しく、来し方行く末の心労に苛まれて、眠りを貪っているひとの姿なのだ。殊に妹が、少し鼻が悪くて、グツグツと鼻を鳴らせながら寝ているのを耳にすると、その感が格別深いのである。(28)

 また「~のである」だ。「のだ」も効いている。こうした語りには、弱さを「芸」として自覚した語り手の、いろんな隠し味がつまっているような気がする。不器用で、過剰で、聞き手=読者に対して依存的で、優柔不断で、不安に満ち、どこに行くかもわからないし、つねに情緒不安定。そんな因子を背負いながらも、「である」は語りのモードとしては、ズブッと結論的なのである。無理をしてでも、そこで言い終わろうとする気負いがある。収めよう、鎮めようとするのである。だからこそそれは、私小説を構成する生理的サイクルの要となっているのではないだろうか。

 私小説とは、自分の生活の生理的な部分と「文章の生理」とを限りなくシンクロさせつつ、どこかで文章の力で生活にくさびを打ち込もうとする野望をひめたものなのかもしれない。あるいは少なくともそのような期待を、ジェスチャーとして示している。もちろんそんな試みが成功するとは限らないところがおもしろいわけだが。

 本書の編集は山本義行氏。「私の身体のなかには上林暁が入っているので、少し大げさにいうと、上林の作品なら何を読んでも、どの小説を読んでも楽しめてしまうのだ」という山本氏は、今回はあえて世に知られた「病妻物」の比重を小さくしたとのこと。そんな「病妻物」の一つの「和日庵」(昭和三十一年)などは、すでに洗練はされつつも以前の作品のごつごつした感じを保っていてたいへん読みごたえがあった。


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2012年12月24日

『ことり』小川洋子(朝日新聞出版)

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「怖い声が聞こえる」

「ことり」とは「小鳥」のことだが、平仮名になっていると擬音語の「ことり…」も連想されるだろう。さらに作品の後半では、ある禍々しい意味がちらっと示される。私たち読者は早くこの胸騒ぎから解放されたいのだが、実はこうした胸の不安と付き合い続けることもこの作品では大事になる。

 やさしいのか怖いのかわからない作品世界は小川洋子の得意とするところだ。この小説も冒頭からして、ただならぬ気配を漂わせる。何しろ、最初に登場するのは死体なのである。しかも、どうやらこれは主人公の死体。死体の検分からはじまるミステリー臭いっぱいの世界が、歯切れの良い、緊張感に富んだ語り口で描き出される。

 それで、どきどきしながら身構えていると、予想に反して殺人はおこらない。怨念や悪意ともあまり関係がなさそう。どちらかというとおだやかな善意に満ちたような、やさしい眼差しで児童たちを見守るような牧歌的な風景が広がってくる。ただ、やさしさとはいつもどこかで隠蔽的なもの。私たちは表面の平穏さの向こうに、何かただならぬものがあるかもしれないと感じ続ける。

 主人公は通称「小鳥の小父さん」。もちろん、生まれたときから「小父さん」だったわけではない。でも、その幼少期もあくまで「小鳥の小父さん」のそれとして小説中では語られる。つまり、彼は早くから、「小鳥の小父さん」というくすんだ匿名性を背負わされることを運命づけられているのである。

 小父さんには七つ年上の兄がいた。その兄が、ある頃から、皆にわからない言葉でしゃべり始める。彼自身が編み出したまったく独自の言葉である。しかし、なぜか弟である小鳥の小父さんにだけはその意味がわかる。小鳥の言葉に近いもののようだ。周囲の社会はこの兄弟とは距離をとる。やがて母は病死、父も不思議な死に方をする。だから小父さんはひとりで兄を守らなければならなかった。言語として認定されない兄の言葉に、彼だけが耳を傾けるのである。

 作者はこの展開を「悲劇」として描いたりはしない。微量のアイロニーがこめられているにせよ、全体としてみると密集が静かにほどけていくような穏やかさなのである。それがかえって胸騒ぎを呼ぶ。胸騒ぎと、戦慄と、哀感の混じったものだ。こんな微妙な配合を表現できる小説はそうない。

 やがて兄は唐突な死を迎えるが、兄は小父さんの人生に大きな足跡を残した。小父さんはその残されたものを追想し、反復するように生きていく。物語がほんとうに始まるのはここからである。小父さんが、紛れもない「小父さん」の年齢に達したところから、つまり、少年時代も青春時代も遠く過ぎ去った中年後期になって、小父さんにはほんとうの人生が訪れるのである。ほのかな恋心。あやしい出会い。そして嫌な事件。クライマックスも含めて、いずれも鍵となっているのは小鳥との交流である。

 この主人公はどうしてこんなに匿名的なのだろう、と読みながらやっぱり気になる。彼は主人公でありながらつねに「聞く人」だった。聞く人であり、読む人であり、見る人。しかし、図書館の司書に淡い気持ちを抱き、公園で不意に人に話しかけられたりする中で、そんな居心地のいい「聞く人」としてのアイデンティティが揺さぶられる。彼はいつの間にか紛れもない〝主役〟として立ち上がっているのである。そんな事態を秀逸な会話で示す場面がある。小父さんはかねてから断続的に頭痛に悩まされていたのだが、それを抑えるために両方のこめかみに小さく切った湿布を貼っていた。本当に効いているのかどうかわからない、しかも、そんなものを貼ったために皮膚が傷んでじくじくになっているのだが、いつしか小父さんは湿布を貼ったまま外にも出かけてしまうようになる。すると、そんな小父さんを目にとめ、話しかけてくる老人がいた。

「君」
 最初に声を掛けてきたのは老人の方だった。
「ここに、何かくっついているよ」
 老人はむくんだ指先を小父さんの方に向けてきた。思いがけず力強く、勢いのある声だった。
「あ、これは……」
 こめかみに手をやって小父さんは答えた。
「湿布です。頭痛をとるための」
「そうかね」
 老人は改めてしげしげとこめかみのあたりに目をやった。
「似合っているな」
 黒目は濁り、涙袋が膨れ、目尻には目やにが溜まっていた。
「そうでしょうか」
「うん。ちょっと気の利いた、装身具のようじゃないか」
 彼が喋るたび、額の皺がそれ自体別の生き物であるかのようにうごめいた。老人は再び傘の柄に手を戻した。
「はい」
 どう答えていいか分からず、小父さんは今朝貼ったばかりでまだ薄荷のにおいが残る湿布に、人差し指を這わせた。(158-59)

 小父さんはこうしてはじめて、自分が自分であることを「似合っている」と他人に認められるのである。しかも、よりによって頭痛を抑えるためのあやしげな湿布のために!

 この老人をはじめとして、小父さんと出会う人物たちはたいてい謎を残したまま消えていく。死んでしまう人もいる。図書館司書など、実はほんとうは小鳥だったのではないかという儚さを残して忽然と消滅する。でも、この小説は、ふわふわしたファンタジーがときに引き起こす「どうでもいいよ」という感じは読者には抱かせない。何だかどうでもよくない気がするのである。

 それはおそらくこの小説のところどころに〝怖い声〟が聞こえるからではないかと思う。〝怖い声〟というのは、威圧的だとか恐怖感を引き起こすという意味ではない。思わず「何でそんなことを言うのだろう」と思わせるような、でもなぜか深いところまで射貫くような比喩やコメントが、さりげなく挿入されているのである。たとえばお兄さんが独自の言葉を語るようになってからのこと。ようやくその言葉を少しだけ理解するようになった母親が、つい、意味を間違えてとってしまうことがあった。

 小父さんもお兄さんも、母親に向って「間違っている」とは言わなかった。どんなに形の違う小石でも、一緒にポケットに入れておくうち、不思議と馴染んでくるものだとよく知っていたからだ。(27)

「小石」は唐突な比喩だ。でも、よくわかるような気がする。そして、そんなふうにこちらをわからせる声が、何だか計り知れないもののように思えてくる。小父さんと親しくなった司書の女性との間でかわされる会話の中でも、気になるセリフがある。小父さんが図書館に入りびたって、鳥にかかわる本を読みふけっているのを見て司書がこんなことを言う。

「司書にはわかります。その人がどれくらいその本に夢中になっているか」
「そうですか」
「私、本を読んでいる人を眺めるのが好きなんです。自分で本を読む以上に」

 自分で本を読む以上に、本を読んでいる人を眺めるのが好きなんてことがあるだろうか。でも、きっとこれは一種の比喩なのだ。比喩だとは名乗っていないし、何を比喩しているのかもよくわからないが、どこか遠くの方を指さす言語なのである。

 こうした一連の言葉は、その唐突さゆえに、その洞察力ゆえに、読者にとってはどこか〝怖い声〟に聞こえる。そしてその声が、ところどころでこの小説を引き締めるのである。単なるアイロニーや、教訓ではない。得体の知れない透徹した視線の、その不思議な真実らしさが〝怖い〟のである。それがとりわけ強く出た一節を最後に引用にしよう。小鳥の小父さんがどんな人なのか、すごくよくわかる、と思わせる一節である。

 老人が処女の脂を虫箱に塗っていたように、小父さんは自分の頭に湿布を貼った。薄荷のにおいが鼻から鼓膜へたどり着き、ほんの少しだけ傷みの振動を和らげてくれた。湿布を貼ると目をちゃんと見開いていることができず、普段にも増して顔がうつむき加減になり、視界が狭まった。自転車で町を走るときも、スーパーで買い物をする時も、公園のベンチに座っている時も、自分の足先を見ている時間が一番長かった。自分の足先がどんな形をしているか、目をつむっていても詳細に思い描けるほどだった。(205)

 見ているのは小父さん自身の目ではない。外側から、小父さんの様子を目撃している誰かがいる。聞こえるのは、その「誰か」の声だ。ちょっと怖いけれど、なぜだか少しだけ、ほっとさせる声のように筆者には聞こえるのである。


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2012年12月14日

『評伝小川国夫 ― 生きられる〝文士〟』勝呂奏(勉誠出版)

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「作家と失敗」

 文学研究について不安を持つ人は多い。いったい何を「研究」するんですか?と。文学ってそういうもんじゃないでしょう?と。でも、そうでもないのだ。文学についてあれこれ知的探究をすることは十分に可能なのである。ただ、その領域があまりに広い。つねに拡大している。変化もしている。下手をすると見逃しそうな微妙な部分もある。

 本書は文学研究という広大な領域のひとつの極みを示したものである。「評伝」という独特な分野の、その味わいがよく伝わってくる。評伝が他の研究スタイルと違うのは、「人」としての文学者を相手にするというところだ。何しろ人が相手だから、そこには文字通りの〝お付き合い〟も含まれている。しゃべったり、行動をともにしたり。場合によっては励ましたり、ともに喜んだり、悔しがったり。そしてもちろん死を悼んだり。

 本書の著者も小川国夫とは三〇年の親交があり、その遺稿整理は現在続行中。その過程で作家の未発表小説を発掘、刊行もした(『俺たちが十九の時 ― 小川国夫初期作品集』)。この評伝は作家の生前からなんとなく念頭にあったものらしいが、その訃報に接し、万を辞するかのようにして本格的な構想が始まった。

 そういう意味では、ここで行われているのは勝呂奏という研究者と作家小川国夫との間の、人と人との交流なのである。しかし、読者のはじめの印象はやや違うかもしれない。何しろ、表だって著者が登場する箇所はごく限られているし、個人的な感想や文学的な解釈さえもが封印されているかと見える。自身の小川像を描いてみせるよりも、ごく控えめに「全著作の簡易な事典の代わり」にならんとしたと著者は言う。たとえば評伝の傑作と言われる阿川弘之の『志賀直哉』などは、著者と対象作家との具体的な関わり合いが読み所にもなっている。阿川自身の何ともくつろいだ語り口に魅了されるうちに、いつの間にか志賀直哉という人物とじかに接しているかのような錯覚を抱く。『評伝小川国夫』の書きぶりは、そうした〝著者参加型〟の評伝にくらべるとかなり禁欲的に見える。

 しかし、本書を通読した読者は、おそらく勝呂なりの付き合いの作法のようなものを体験するはずである。小川国夫の書いたものはすべて読みつくし、一字一句賞味し、のみならず小川の置かれていた環境にも精通し、小川作品の掲載された刊行物の全体にも目を通し、むろん書評や評論に表れた小川へのコメントはすべて採集する。論ずるよりも客観的な記述に徹するという方針だったと著者は言うが、これだけ禁欲的なアプローチだからこそ、逆に浮かび上がってくるものがある。

 筆者がとくに印象づけられたのは、小川国夫の「負」の部分の描出だった。幼い頃の疫痢に始まり、肺浸潤、ノイローゼ、自殺願望と青春期に至る小川にはつねに肉体的精神的な失調がつきまとう。ヨーロッパでのバイクを購入するも、小説の題材にもされているようにしばしば事故を起こし怪我もしている。

 勝呂がそうした事例を選択的に記述しているというわけでは決してないのだが、小川のそんな負の部分を見つめる著者の目にこそ、この評伝の軸足があるように筆者には思えた。小川国夫といえば、曲がりなりにも昭和の文学史に名前を刻んだ作家の一人とも思えるが、勝呂が描き出すのは決してきらびやかな成功物語ではない。はじめて出した私家版の小説はまったく売れず、活字になった作品が簡単に名声を得たわけでもない。たしかに島尾敏雄が『朝日新聞』の「一冊の本」欄で『アポロンの島』をとりあげたことによる文壇デビューは劇的なものだったが、その後の道も決して平坦なものではなかった。川端賞を受賞した「逸民」にしても、そもそも「新潮」にこの作品が掲載されるまでに二回ほど前の作品がボツになっている。長篇の完成もなかなかうまくいかない。もちろん小川本人の、自身の原稿に対する厳しい姿勢もあるのだが、とにかく作家と先輩作家や同人誌、出版社との関係を丁寧にたどりながら勝呂が示すのは、書く事をめぐって刻苦勉励をつづけた小川の、苦闘の痕跡である。そのような視点の背後にあるのは、あえて明瞭には書かれていないが、しかし、その抑えた筆致のあちこちからしみ出してくる、勝呂の小川に対する深い敬意だろう。とりわけ小川の背負った重荷や突き当たった壁に対する敬意。

 副題にもあるように、小川国夫は「文士」という昔ながらの称号がかろうじて通用した世代の作家である。実際、彼のたどった人生は、まるで先輩作家のたどった航跡をなぞるかのように見えなくもない。経済的に恵まれた家庭、青年時代の精神的危機、上京、大学、放浪。小川の敬愛した志賀直哉を典型にこうした世間一般から見れば「いい気なもんだ」と言われそうな文学者の生き方は、ある時代まではその超俗性ゆえに華麗にも見えただろう。しかし、それを華麗に描き出してしまったのでは意味がない。つとめて昔ながらの文学幻想とは距離をおきながら、しかし、なおかつ「文士」という概念にこだわることで作家の持つ文学への執念のようなものを浮かび上がらせる。記録に徹すると言いながら、なかなか深いたくらみを持った評伝なのである。


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2012年11月11日

『永遠まで』高橋睦郎(思潮社)

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「異時間体験の方法」

 詩を読む人が少なくなっている理由のひとつは、日常生活の中に〝詩のための時間〟がないことだと思う。詩には、ふつうの時間とはちょっと違う時間が流れている。ふだんの生活にひたったまま接するのは難しい。だから、ここだけは特別、と枠を区切ることから始めれば、少なくとも〝異時間〟に立ち向かうための心の準備ができる。たとえば1日に10分、いや、5分を〝詩のための時間〟に割くことはできないか。3日に5分でもいい。そうすれば、週に二つ三つは詩が読める。一ヶ月あれば、それなりの数の詩人と出会うこともできる。

 詩に〝異時間〟が流れているのは、内容ともかかわっている。詩でもっとも大事にされてきたテーマのひとつは、死である。死者を語るエレジー(哀歌)という古い様式は、衰えるどころか、近代になっても詩のことばに力を与えている。これは死が、時間の中を生きてきた私たちを無時間、もしくは非時間としての〝永遠〟に連れ去るという意味で、私たちにとってもっともわかりやすい〝異時間体験〟だからである。

 死を時間の側からではなく、時間を越えたところから語ることが詩にはできる。私たちはことばが時間の中にあると考えがちだが、そして多くの場合はたしかにそうなのだが、そうではないことばの使い方もありうる。死者のことばのようにして語られることばがある。そこに入っていくと、まるで時間という重力から解放されたかのように、ことばに奇妙な浮遊感さえ生じる。

 高橋睦郎の『永遠まで』はこの〝異時間体験〟にこだわった詩集である。巻頭詩は「私の名は 死を喰らう者/新しい不幸の香を 鋭く嗅ぎつける者」と始まる。いかにもゴシック的な死のトーンが聞こえると思う人もいるかもしれないが、果たしてそうだろうか。

私の年齢は不詳 というより 不定
零歳にして百歳 むしろ超歳
白髪 皺だらけで 産声を挙げ続ける
私を捜すなら あらゆる臨終の床
瀕死の人を囲む 悲しみの家族にまぎれ

 「零歳にして百歳」とはどういうことだろう。これは霊界からの声などではない。そういうものは、たいていこの世の投影である。ここにあるのは、ちょっと「夢十夜」など思い出させるような変な気分である。こちら側にいるのか、向こう側にいるのかわからないねじれた声。すでにその微妙な境地がこの巻頭詩にも読めるが、それがもっと露わになるのは、母を語った「奇妙な日」という作品である。何より、ことばのリズムからして違う。

おかあさん
ぼく 七十歳になりました
十六年前 七十八歳で亡くなった
あなたは いまも七十八歳
ぼくと たったの八歳ちがい
おかあさん というより
ねえさん と呼ぶほうが
しっくり来ます

 「ぼく 七十歳になりました」という部分には老いの境地があるが、同時に、「ぼく 」とことばを切る口調に、幼児のような舌足らずさ、たどたどしさも聞こえる。「零歳にして百歳」とはそういうことだ。ことばが時間の中をするすると流れていくのではなく、いちいち寸断されている。その隙間に、時間の外から来るような冷気が吹きこんできて、ヒヤッとする。次の部分もそうだ。

来年は 七歳
再来年は 六歳
八年後には 同いどし
九年後には ぼくの方が年上に
その後は あなたはどんどん若く
ねえさんではなく 妹
そのうち 娘になってしまう
年齢って つくづく奇妙ですね

 「そのうち 娘になってしまう/年齢って つくづく奇妙ですね」という箇所の聞こえ方はとても耳に残る。「ねえさん」から「妹」へと若返っていく母親が自分との関係性を変えていく、その変化に合わせて、馴れ馴れしいような、下手すると男女の関係さえ連想させるような接近の口調になっている。そういう変わり身が可能になるのも、その前に「八年後には 同いどし」とか「ねえさんではなく 妹」といった〝寸断〟的なリズムがあればこそである。寸断的で、かつリズミカルと言った方がいいかもしれない。今にもノってしまいそうになるが、ヒンヤリとした感触もつねに残る。

 いろいろと気になる作品がある詩集なのだ。この語り手はどこにいるのだろう?生きているのか?死んでいるのか?とこちらはいちいち緊張する。とりわけ印象が強いのは「この家は」という作品である。

この家は私の家ではない 死者たちの館
時折ここを訪れる霊感の強い友人が 証人だ
色なく実体のない人物たちが 階段を行き違っている
彼等が恨みがましくなく 晴れ晴れとしているのが 不思議だ
と彼は言う 不思議でも何でもない 私がそう願っているからだ

 なぜ、「私」の家は「私の家ではない」のか。なぜ「死者たちの館」なのか。実はこの作品、ほんとうは詩を書くことについて語った作品である。

親しい誰かが亡くなって 葬儀に出るとする
帰りに呉れる浄め塩を 私は持ち帰ったことがない
三角の小袋をそっと捨てながら 私は呟く
もしよければ ぼくといっしょにおいで
その代り ぼくの仕事を手つだってね
そう 詩人の仕事は自分だけで出来るものではない
かならず死者たちの援けを必要とする

 ここまで読むと、そうか、と思う。でも、「ぼくの仕事を手つだってね」で種あかしがされてしまったということではない。死を通して詩に辿りつくよりも(それでは詩の作法の話になってしまうから)、詩を通して死に向かっているところが読み所である。

 「この家は私の家ではない」という強烈な一節は、この作品のエッセンスとなっている。だから、何度も繰り返される。

この家は私の家ではない 死者たちの館
ぼくのところにおいでというのは 厳密には間違いだ
きみたちの住まいにぼくもいさせてね というのが正しい
ここには はじめから死者たちが群れていて
しぜん 新しい死者を呼び寄せるのだから

この家は私の家ではない 死者たちの館
私の家といえるのは 私が死者となった時
それも正しくは 私たちの家というべきだろう

 「この家は私の家ではない」という部分がかくも強烈に響くのは、それが語りの足元をすっぱり放擲するからである。でも、そんな足元のない薄ら寒さから出発して、なお、どこか遠くに呼びかけているようにも聞こえる。詩の締めくくりの部分では、さらにひとひねりがある。

私はもう詩を書かない 書く必要がない
すでにすべての抽出が ここで書かれた詩であふれ
しかも それらの詩はすべて生まれそこないの蛭子
生きている誰かが来て 私たちのあいだに住む
彼が詩人であるかどうかは 私たちの知るところではない
ただ願わくは 彼がこの家を壊そうなど 謀叛気をおこして
私たちと彼自身とを 不幸せな家なき児としませんように
生まれそこなった詩たちを 全き骨なし子としませんように

 弔いのような祈りのようなトーンもあるが、同時に一種の養生訓のようにも聞こえる。死というものをいかに生きるかを、穏やかな口調で力説しているようにも聞こえる。

 詩は「時間換算方式」には合わないものだ。いくら時間の枠をつくっても、そこからぬるっとはみ出していく。同じ箇所を何度も読んでしまって停滞したり、かと思うと、するすると頁を繰って、でも目的地には決してたどり着かないということもある。異質の時間が流れているというのはそういうことだ。

 生者、死者を問わずさまざまな人に向けて語られた作品を集めた『永遠まで』は、他者との出会いを通しての一種の自伝である。そこからは、明らかに人生の匂いが漂ってくる。しかし、それを単なる自分語りにまとめずに、生と死の声の拮抗として差し出したところに、詩人の強さというか、生命力のようなものを感じるのである。

 

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2012年10月09日

『森敦との時間』森富子(集英社)

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「これというものをひとつ書けばいい」

 森敦は、その実人生の「物語」で知られた人である。作家を志して旧制一高を中退、菊池寛や横光利一の推挙で若くして文壇デビュー。太宰治をはじめ当時の花形作家とも交わり、22歳にして『東京日日新聞』『大阪毎日新聞』に連載を持った。ところが、その後小説の発表は途絶え、山形、新潟、三重と各地を放浪する生活が始まる。おもしろいことに、その後も作家の間には森信者が増え続け、小島信夫、後藤明生、三好徹、勝目梓といった人々がしがない印刷会社に勤める無名の森敦に助言を求め続けた。人呼んで「森敦詣で」。以前、この書評欄でもとりあげた勝目梓『小説家』では、森の独特な振る舞いが次のように描写されている。

 あるとき、池袋の居酒屋の二階の座敷で開かれた『茫』の合評会に、主宰者の高田欣一が、見るからに曲者といった印象の眼光鋭い五〇年配の人物を連れてきた。そうして、その人物はどこか胡散臭い感じを漂わせながら、しかし自信に満ちた断定的な口調で、その号に掲載されている作品の批評をはじめた。曲者然とした胡散臭い印象とは裏腹に、その批評は犀利である上に、問題の捉え方にきわだった独創性をうかがわせるところがあった。つまりその人物は、『茫』に掲載されている作品それぞれをタネにして、自身のユニークな文学観を開陳しているのだった。そうしてその場はその人物の独り舞台のようになっていた。(362-63)

 とにかく座談の名手。電話魔。作品への感想を求める作家たちとひとりひとり順番に面会し、思わせぶりな語り口に昔話や文学論を織り交ぜながらも貴重なコメントをしてくれる。「深淵の帝王」などとも呼ばれた。その森が62歳にしてついに「月山」で芥川賞を受賞することになる。今も破られていない芥川賞の「最年長受賞記録」である。「とにかくひとつこれというものを書けばいいのだ」というのは森の持論でもあったが、ついにそれを果たしたことになる。

 『森敦との時間』はこうして遅いデビューを果たした森の姿を、養女としてその生活を支えた富子の立場から描いたもので、『森敦との対話』につづく評伝となる。森敦は芥川受賞後、その波乱に富んだ人生や独特の雰囲気が話題になり、原稿の注文だけでなく、テレビ、ラジオの出演依頼も殺到した。住んでいたおんぼろアパートには毎晩のように崇拝者や編集者たちが押し寄せ、狭い四畳半にぎゅうぎゅうになって森の話に耳を傾ける。会社から帰った富子は毎晩その接待に追われた。缶詰をあけた程度のつまみも、あっという間になくなる。疲れ果てて缶詰めをあける余裕もないときは、鮨を頼むのだが…。

 届いた鮨桶を卓袱台の中央に置くと、いっせいに客の箸がのびてくる。二重に並んでいた客が、右半身の一重の列になって、のばした箸で鮨をつまむ。みな右利きだから右手をのばせばいい。もし左利きがいたらおかしなことになるだろう。チチまでも半身に構えているからおかしい。(6)

 富子自身も作家志望だった。養女になったのも、森敦と同人誌で一緒だった縁からである。しかし、今の引用箇所からもわかるように、本書には作家的な、文学的な文章を書こうとする暗い情念や執着からついに自由になったような身軽さがある。語る自分の言葉に拘泥することなく、急ぎ足で、さっぱりした気分で、「まったく何言ってんだか!」というような突き放した口調とともに、「チチ」である森敦をからかうように、文句を言いながらも、愛おしんで語るのである。途中、文の主語が森敦なのか森富子なのかわからなくなるところもあるのだが、森の最晩年を描いた最終部では、それがくるっと感動的な場面に転換する。

会議で帰宅の遅い日は、冷蔵庫から料理を詰めたお重を食べる習わしが続いていた。しかし、私の帰宅を待つようになった。食卓に腰掛けて待つ姿を見るのはつらい。(252)

もちろん「会議で帰宅の遅い」のは、会社勤めの富子である。「冷蔵庫から料理を詰めたお重を食べる習わし」は、外食嫌いの森敦のこと。「食卓に腰掛けて待つ」のは森敦で、それを見て「つらい」のは富子。ところがこの場面は、こんなふうに続く。

……食卓に腰掛けて待つ姿を見るのはつらい。わざと大声で「ただいま!」と叫び、冷蔵庫からお重を出し、ビールで乾杯をする。
「これ、飲んでくれないか」
 湯飲み茶碗くらいの小さなコップに入ったビールだ。それが飲めない! どうしたのだろう。
「そう」
 明るい声で言いながらコップを受け取って、私は一気に飲む。
「美味しかったね」
 チチは、さも自分が飲んだかのように言った。(252)

 なるほど、こういうことだったのだ。富子の飲んだ一杯のビールを、さも自分が飲んだかのように「美味しかったね」と言うようになった最晩年の森敦。養女になって一五年、一度も言われたことのなかった「ありがとう」という言葉を頻繁に口にするようになったのもこの頃だ。「美味しかったね、ありがとう」などとも言った。

 主語がなくてこんがらかるのは、決して一心同体ということではない。名前が言えないのはどこか関係が不安定なのである。どこか照れくさい。だから「チチ」なんていう窮余の策で言及する。困った人だけど愛しい。富子にとって森敦は終始「まったくもお」的な存在であった。自宅で散髪してあげたら、前髪のことで「こんなに、短く切ってしまって!」と大騒ぎ(たしかに写真で見るとふだんの森敦は前髪が長い)。富子が引いた電話なのに「長い」「使うな」と文句を言うかと思うと、自分では残飯の処理ひとつできない。テレビに出れば、ズボンの裾から下着が見えている。

 しかし、こんなふうに「まったくもお」の地点に持ってくるまでには、富子だってきっとたいへんだったのだ。あまりにカリスマ的だった森敦という人の言葉を、やわらかくほぐしてみせたのは富子の手柄の一つである。たとえば「月山」の生原稿紛失事件がちょっとしたサスペンスまじりに語られる箇所があるが(どこぞの「見目麗しい女性」にでもあげたのではないかと富子は疑ったりする!)、これにからめての以下のような一節がある。

チチは、ノートに書いている。
〈「存在」を意識するとは、失われたものがよみがえる(原文は傍点。以下、太字については同)ということである。失われたものがよみがえる(同)という概念が如何に重大であるか、これを見ても分ると思う。われわれが「存在」を意識するとき「嘔吐」するとは〈或は「笑う」とか、「絶望」するとか)この失われ(同)、そしてよみがえったものに対して、「嘔吐」するということである。〉(「吹雪からのたより」)
 チチの言う「存在」を「生原稿」と置き換えてみる。生原稿という存在を意識すると、失われた生原稿がよみがえってくる。よみがえってくるたびに、絶望的な気分になるし、ときには笑いが止まらぬほど喜劇的な気分になる。つまり、失われた生原稿に対して、「嘔吐」するのだという。
 チチと話した後に、嘔吐することがある。それは胃腸が弱いために起こる生理的な現象だと思っていた。嘔吐するのは、失われた生原稿がよみがえるからだろうか。 (125)

 森敦の省察にちょっと横からちょっかいを出して、厳かな「神話」をひっくり返そうとしたとも読める部分だが、最後の下りは逆に意味深長である。何しろ失われた生原稿には、「女」がからんでいたかもしれないのである。「養女」富子はいろいろと苦しい思いをしていたのかもしれない。

 急ぎ足に淡々と語るかのような口調なのに、何度も繰り返し出てくる話題がある。会社からの帰宅時に富子は電車に乗っていられなくなって何度もトイレに駆け込んだ。何時間もかけて都心から布田まで帰ったこともある。「途中下車病」などと富子はひょうきんに言ってみせるが、今で言うパニック障害だろう。接待ストレスだけではない。その根本には、折に触れて森敦から「書いてない!」と言われた富子の心の緊張があるように思える。もちろん、それは富子だけの問題ではない。書けるか、書けないか、というぎりぎりの境地を生きながら懸命に放浪した森敦にとっても、文章で生きるというのは苦しい怖ろしいことだったのである。

 将来を期待されながら原稿が書けず、ついに作家デビューを果たす機会を失ってしまった若き日の森敦。そのことがあったから、芥川賞受賞後の殺人的なスケジュールを体調を崩しながらも懸命にこなした。一度注文を断ったら、もう来なくなるかも知れない…、そんな恐怖感があった。ついに入院。富子はどんどん仕事を断った。しかし、断ったのは主にテレビやラジオの仕事だった。「そうかあ。もう仕事がないのか」と森敦は寂しそうだったが、富子は「侘びしい境地になれば、小説が書けるかもしれない」と思ったのである(133)。

 下手に文学的になるまい、と覚悟を決めて書いたようにも見える著者の筆が、最後に少しだけ居住まいを正したようになる箇所がある。腹部大動脈瘤で急死した森敦に霊安室で付き添う富子は、泣き崩れたいのに一滴の涙も出ない。そのとき、隣の部屋から女性の泣き声が響いたのである。

 韓国の男性が交通事故死したという。泣き声は途切れることがなく、高く低く響く。チチへの手向けの泣き声のように聞こえる。(262)

 天才とははた迷惑なものだとよく言う。傍らにいる人には、本人の分も含めて言いようのない「負担」がかかる。森敦が天才だったのかどうかは筆者にはわからないが、ともかく理解しがたい人を「天才」と呼んですませるのは安易なような気もする。書ける・書けないという地点に踏みとどまり、その苦難を味わいつづけたからこそ、彼は「書く人」に伝えるべき言葉を持ち得たのではないだろうか。


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2012年09月18日

『雲をつかむ話』多和田葉子(講談社)

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「つべこべの行方」

 筆者のまわりにも多和田葉子ファンがけっこういて、そういう人たちは『雪の練習生』を絶賛する。あれを読んでしまうとホッキョクグマに対し、もぉ、ただではすまないような感情が湧いてしまうのだ!とみな熱弁を奮う。

 たしかに『雪の練習生』はいい作品だと思うが、でも、ちょっと傾向を異にするこの『雲をつかむ話』だってぜんぜん負けていないし、下手をすると勝ってしまうかもしれない、少なくとも引き分けには持ち込めそうな気がする。ただ、この作品にはホッキョクグマに盛り上がるのとはちがう入り口が必要なだけだ。

 そもそも『雲をつかむ話』は「入り口」そのものにかかわる作品である。冒頭部は降って湧いたようなまったく唐突な一文から始まる。

 人は一生のうち何度くらい犯人と出会うのだろう。犯罪人と言えば、罪という字が入ってしまうが、わたしの言うのは、ある事件の犯人だと決まった人間のことで、本当に罪があるのかそれともないのかは最終的にわたしには分からないわけだからそれは保留ということにしておく。(3)

 実は、ここには周到な「謎」が仕組まれているのだが、でも、はじめのうちは我々はそれが「謎」であることに気がつかない。読み進むうちに「そうかあ、あれは謎だったのかあ」と後から腑に落ちるという仕掛けになっている。キーワードは「犯人」。このあと、作品には続々と犯人が登場するのである。「事件」を差し置いてまず「犯人」が出てくるというあたり、ふつうの小説とはちがうのだが、おかげで楽屋裏から「事件」をのぞき込んでいるような、自分だけが特等席から物語を盗み聞いているような、密やかで特別な気分になる。ひょっとするとこの物語を知っているのは自分一人なのではないか?なんていう錯覚すら起きる。

 ところでこういう冒頭部、人によっては「この作家は最初からつべこべ言うなあ」という印象を持つかも知れない。たしかにそのとおりで、多和田葉子という人は「つべこべ言う作家」なのである。でもそれは饒舌体というのとは違って、余分さや無駄はない。甘えもない。むしろ倹約的で、贅肉がなくて、自分に厳しい文章である。この人の「つべこべ」は細部を書きこんだり描写をふくらませたりして安心感のある物語的クッションのようなものをこしらえるために行われるのではなく、むしろ物語と上手に距離をとるためのものなのである。冒頭部の「保留」ということばに表れていたように、対象からちょっと離れて、語りがぷわっと浮かんでみるための「つべこべ」なのだ。

 たとえば第四章は語り手がある文学祭に招待されたときの変な体験を書いている。高校の先生によって企画されたイヴェントなのだが、作家たちが到着してみると、宿泊するのは古びた居心地の悪そうな養老院。ゲストたちも不満を持つ。と、そんな冴えない気配からはじまった話に次のような一節が挟まれて、世界の底知れなさがちらっと見えたりする。

 時計を見て「もう集合時間だ」と思ったのと、自分の上着に珈琲のしみがあることに気がついたのが同時だった。いつものことだ。あわてて部屋に戻って石鹸を塗って湿らせたハンカチで叩いたが、しみは落ちるかわりに広がっていく。自分の家ならば、「しみ悪魔」(フレツケントイフェル)という名前のしみを落とすための製品を使えば落ちるのだけれど今はそれもない。「しみ悪魔」という商品名が一度思い浮かぶと、そのスペルがしみのように脳にこびりついて消えない。そもそもなぜ悪魔が出てくるのか。まさか、あらゆるしみは悪魔の精液であるとでも言うのか。いつの間にかドレスにしみがついていることに気がついた時、人は恥じる。悪魔と交わってしまったことを秘密にしていたと思われるのが恐くて恥じる。(67-68)

 まさかそんな話になるなんて、と読んでいる方は思う。語り手が「保留」的思考を盾に、上手に物語と距離をとってつべこべ言っているからこそ可能な芸当である。そしてこのあと、やっぱりほんとうの「犯人」が登場するのだ。ほんとに、びっくりだ。

 多和田葉子の文章は立ち止まらない。はじめから動いている。はじめから構えがない。内容よりもまずリズムが聞こえてきて、ふと気づくと何頁か読み進めているという読み方をしてしまっていいのだ、きっと。だから作品の冒頭や、各章の頭も、あらためて「さあさあ、みなさん」と大上段に構えるのではなくて、はじめから等身大で、身近で、すぐ接続可能になっている。次から次へと新しいエスカレーターに乗り移るようにして読み進めることができる。まるで目がまわるような感じだが、それが実に楽しいし、エスカレーターを乗り換えるたびに少しずつ束縛から解放されていくような、軽躁状態のような高揚感が生まれる。

 第七章で出てくる「犯人」はオスワルドという。冒頭は例によっていきなりああだこうだと考えにふけるような「つべこべ」から始まる。

 双子だとは知らなかったので、しばらくは混乱させられた。今から考えると、初めにみたのはオスワルドだったということになる。わたしはフリードリッヒ通りで路面電車に乗った。駆け込み乗車してきた女性の荒い息、線路のきしむ音、窓枠に切り取られる町並み。(126)

 やがて路面電車に「犯人」が登場する。我々は「まさかこんなところにも犯人が仕組んであったなんて!」という爽快な驚きをおぼえる。しかし、そこで油断してはならない。この犯人オスワルドがほんとうの姿を現すのはもっと後だ。いったいどんな人なのか。実に印象深い一節がある。

 オスワルドは怠け者ではなかったが、書類を期限内に提出するのが苦手だった。書類に自分に関する情報を書き込むのが何より嫌いで、細かい線で紙の表面が区切られているのを見ているだけでいらいらしてきて、その線を無視して、斜めの線を何本も引きたくなってくる。縦横の線のこちら側に閉じ込められてたまるか。格子のように見える葦だって、風が吹けばなびくだろう。なびいてみんな斜線になれ。(146)

 いったいどうしてこんな気持ちのいい文章が書けるのか、と感心する。つながりの妙の軽やかさ。スパイスのきいた斜めの視線にこめられたひねり。にもかかわらず、どこかに向けて、しっかりこちらを導いていく強さまである。

 『雲をつかむ話』にはいろんな人物が出てくる。そこでひとつ気づくのは、男女のねちねちした関係よりも、女と女のどこか調子っぱずれで素っ頓狂な付き合いが前面に出てくることである。第八章のブリッタもそんなひとり。語り手とは腰痛体操の教室で知り合った。日本語の文法に興味があるとかで、小説家であることを隠して「日本語の文法を教えています」と名乗った語り手に、輝く瞳で「素敵ですね」と近づいてきたのである。そのブリッタに付き合って日本映画を見に行ったときの描写が、やけにおもしろい。

 ブリッタが日本映画だというだけの理由で選んだのはとんでもない映画で、髪を短く刈りあげた筋肉質の男たちが駐車場で腹を殴り合ったり靴で股を蹴り上げたりしていたかと思うと、今度は縄で縛られた男の胸毛に包まれた小さな乳首が裁縫ばさみで切り取られたりして、それでもまだ満足できないのか、風呂に入っている男の腹が刺され、腸が湯の中にこぼれでたところで、ブリッタがうっと吐きそうになって口を手の平で押さえて、映画館から飛び出してしまった。わたしはせっかく払った入場料がもったいないのでブリッタの後を追わずに映画を最後まで観てから家に帰った。(160)

 こういう箇所が不釣り合いなほどに精彩を放ってしまう、そんな細部の唐突な突出感が『雲をつかむ話』の魅力のひとつなのだ。全体を覆う世界の気配はむしろ鬱っぽいというか、灰色でメランコリックなものであり、その正体は最終章の女医との会話で明かされるのだが(ここにも女同士の妙な関係!)、部分部分には今にもはしゃぎ出しそうな陽気さが詰まっている。躁と鬱とが絶妙なバランスをとっているのだ。ふたつの要素が牽制し合うようにして、お互いつかずはなれず距離を保つ。だから語り手も決して物語に深入りはしない。物語とはきっと本質的にメランコリックでロマン主義的なものなのだ。そういう物語の鋳型にはとりこまれずに、なお物語を語るというのは、ほんとうに離れ業のように思える。しかも最後にはしっかりつじつまが合うのである。結末近くで発せられる、語り手の親友の女医による決めぜりふは、何しろ多和田葉子だから涙を流すというようなウエットな雰囲気では決してないのだが、やっぱりちょっと感動してしまうのであった。

 ところが女医はわたしが危険な目にあうのが絶対に嫌なのである。「危険を避けていたら、面白い体験はできない」と言ってみると、恐い顔をして、「面白い話は他人のものでしょう。あなたの話ではないのだから。それを奪って商売するのですか。あなたの人生は退屈で幸福なものであっていいのです」と答えた。

 わたしは唖然となった。確かにわたしはその人たちと出会って、まるで自分のことのように人間の中に入っていった。しかし、わたしが一方的に入っていったと感じているだけで、女医の言うように、彼らが他人であることに変わりはない。そうやって危ない境域をさまよっているうちに、わたしの方が足を踏み外して落ちることもあるだろう。それを密かに期待しているわたしは、慢性の自殺未遂を試みているようなもので、だからこそわたしと似た人たちを引き寄せてしまうのだろうし、そういう状態を女医は風邪と呼んでいるのかもしれない。(254-255)




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2012年08月24日

『共喰い』田中慎弥(集英社)

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「ぬるぬる的思考」

 よけいなお世話かもしれないが、ひとつ心配をしていた。例の受賞会見で変な注目のされ方をして、この人は本来の読者を取り逃してしまったのではないか、と。多数派ではなくとも寡黙で熱心なファンに守られ、執拗に書き続けるべき人なのではないか、と。しかし、出遭うべき作家と読者は、どのみちお互いに匂いでわかる。ともかくこういう作品が売れるのはいいことだ。田中慎弥は、描写を追うだけでそこに描かれている以上のことがこちらの頭の中に降り注いでくると感じさせる希有な作家なのである。じっくり時間をかけて読むに値する文章を持った書き手だと思う。

 というわけで、「共喰い」もじっくり読みたい。少なくとも2時間半~3時間は使いたい。70頁ほどの短篇にどうして?と思うかもしれないが、この作品の文章には、独特な「動き」があるのだ。ぬるぬると滑るような「動き」。その「動き」に体勢を崩され、「あらら」と足下など確かめているとどうしても時間がかかる。核心部に至るまで、この作品は「ぬるぬる」だらけなのである。

 大事な所をひとつ引用してみよう。ここだけでも、ため息をつきながら読むのに何分も費やしていいくらいの、食べでのある部分だ。主人公遠馬とその恋人・千種のやり取りが描かれている。ふたりは夏祭り前の神社の境内に来たところである。

 そうしようとは思っていなかったのにとりあえず鈴を鳴らし、社に手を合わせたあと、振り向いて川を見下ろした千種は、
「今日も割れ目やねえ。」
 川が女の割れ目だと言ったのは父だった。生理の時に鳥居をよけるというのと違って、父が一人で勝手に言っているだけだった。上流の方は住宅地を貫く道の下になり、下流では国道に蓋をされて海に注いでいる川が外に顔を出しているのは、川辺の地域の、わずか二百メートルほどの部分に過ぎず、丘にある社からだと、流れの周りに柳が並んで枝葉を垂らしているので、川は、見ようによっては父の言う通りに思えなくもない。(15)

 一読して、すっと頭に入るたぐいの文章ではないのはすぐわかる。問題はそれがどうわかりにくいか、である。筆者は授業などで読みにくい文章が出てくると、「どうして読みにくいのでしょうねえ?」と参加者に訊いたりするのだが、そういうとき、「読みにくさを通して、読者にじっくり考えさせたいのだと思います(^o^)」と爽やかに言ってすませる人がいる。これでは答にならない。読みにくい文章の多くは単なる悪文やだらしない駄文である。それらと区別するためには、「読みにくさ」がどう仕掛けになっているかをとらえたいのである。

 この部分がわかりにくくなっている最大の原因は、行為の主体を示す「誰が」が遅れて出てくることにある。たとえば最初の文では「千種は」がなかなか出てこない。文はとっくに始まっているのに、である。行為ばかりがすでに五つも先行している。「そうしようとは思っていなかった」(1)のに「とりあえず鈴を鳴らし」(2)、「社に手を合わせ」(3)、さらには「振り向いて」(4)川を「見下ろした」(5)というのだ。でも誰がそれをしたかがなかなかわからない。最後になってやっと、「千種は」が出てくる。

 このように「誰が」の部分が遅れて登場しがちなことは、どうやら語り手も意識しているらしい。それは、千種の「今日も割れ目やねえ。」という一言につづいて「川が女の割れ目だと言ったのは父だった」と明かされるあたりの書き方にもよくあらわれている。「父だった」というふうに「誰が」が文の最後に持ち出され、しかもそこにはちょっとした〝驚き〟の含みがある。あろうことか、千種と父が同じ言葉を口にするのである。行為を共有しているのである。

 こう考えてくると、「まず行為が先に描かれる」という特徴の背後には、もっと大事な法則が隠れていそうな気がする。この作品ならではの決まりである。どうも「共喰い」では、「誰が」をめぐってこそサスペンスや波乱が生じやすいのではないか……。

 もう少し引用部を見ておこう。後半の「上流の方は…」で始まる長い文はとりわけ読みにくい。その大きな要因は、「丘にある社からだと、」という部分だ。ここで急に視点が動いてしまう。そのため、それまでは何となく〝川の話〟だと思えていたものが、急に〝人間の話〟に切り替わる。しかも「誰が」の部分は曖昧なままだ。

 もちろん描かれているのは川の様子。でも、何しろ川だ。いくら生き物のような川だとはいえ、積極的な主体として何かをするわけではない。しかも、その川に蓋がされ見えなくなっているから(このあたり身震いするほどうまい仕掛けだと思う)、川が流れるという運動が潜行して、別の「誰か」の行為とすり替わりそうになる。しかも、ちょうどいい「誰か」がそこにいるのである。まず今、川を見る遠馬と千種。それから、川を語った父。こうして、流れているのは川なのに、その運動を生きるのは川を見たり語ったりする人間たちの方だということになる。

 実はこれにつづく部分では、案の定、川の運動が「住人」や「時間」を取りこむことになる。

向う側の国道のあたりと比べてみると、川を中心にして群がっている家屋は、二階屋であっても押し潰されたように低く、一軒一軒は別々の造りなのに、全体がまとまって古びている。川と違ってどこにでも流れていて、もしいやなら遠回りしたり追い越したり、場合によっては止めたり殺したりも出来そうな、時間というものを、なんの工夫もなく一方的に受け止め、その時間と一緒に一歩ずつ進んできた結果、川辺はいつの間にか後退し、住人は、時間の流れと川の流れを完全に混同してしまっているのだった。(15-16)

 ここも負けじと読みにくい。かなり無理をした構文である。読みにくさの大きな要因は「時間というものを」という一節が遅れて出てきていることである。ここでも「時間」というプレーヤーが登場することで話の方向がきゅっと変わる。やはりくせ者は「誰が」なのである。しかもこの文のほんとうの「誰が」は「時間」ではなく、川辺の「住人」であることが最後に明らかになる。こうして私たちは「誰が」を求めていろいろさまよい、騙されたり誤解したりしながら少しずつそれを突き止めるのだが、それがこの川だけでなく作品全体の雰囲気をつくりあげることになる。

 …とこんな調子でやっていたら3時間どころか、10時間かけても「共喰い」を読み終わることはできないだろう。でも、これはそういう小説なのだ。時間よ、どんどんたってしまえ、と思いながら読みたいものだ。

 まあ、これは書評なので読みの中に生じる感覚をいちいち言語化しているわけだが、言語化される寸前のもやもやした気持ちをそのまま受け取れるのが読者としてはほんとうは正しい。無理に頭でわかる必要はない。「共喰い」には暴力があふれているというコメントがあちこちにありそうだが、「DV」とか「親子関係うんぬん」などとレッテル化すればするほど、小説からは離れてしまう。そもそも暴力そのものはたいして重要ではないのだ。きらびやかな暴力場面を楽しみにして「共喰い」を読み始めた人はややがっかりすることだろう。それよりも、暴力そのものが先行して、その「誰が」の部分が、まるで暗渠に潜行した水の流れのようになかなか姿を現さない、その不気味な遅延が読み所なのである。その不明さは、川や鰻や高齢売春婦の「ぬるぬるさ」を通して作品のあちこちに表現されている。

 背景にあるのは、いかにも神話的な家庭環境である。主人公遠馬の父は、性行為の際に女を殴ることで快楽を得るタイプの人間として登場する。遠馬の実の母仁子は、すでに夫に愛想をつかして別居し、なくした片腕のかわりに義手をはめて魚屋を営んでいる。父の元には今、琴子という女がいてやはり殴られているようだが、この関係もそう続くとは思えない。そして遠馬自身には千種という恋人。あるとき、彼が千種に手をあげてしまうところから物語が大きく動く……。というわけで、今にも明快な精神分析を誘発しそうな枠組みだが、あちこちに破れ目もあって、単純な父・息子の権力闘争にはおさまらない。遠馬は父の暴力を忌々しくは思っているが、どこか魅了されているようでもある。鬱陶しいのはたしかだが、父を見る目には赦すようなやさしさもある。絶品の描写をひとつ引いておこう。

 父は鰻を食べている時が一番幸せそうだ。そうめんにも箸をつけはするが、食べ応えが足りないとでも言いたげに、次の切身をまた一口でねじ込み、残りの身も続けて食べ尽くしてしまうと、最後に、仁子さんがいつも切り落とさずにおく頭の部分にしゃぶりつき、一度口から出してまだ肉がついているところを確かめ、また吸いつく、ということをくり返す。鰻の細長い頭は、一口毎に肉を剥ぎ取られてゆき、唾液でとろとろに光った。釣り上げる時に作った傷に、父は気がついていない。(38)

 「共喰い」で前景化されるのはむしろ食べる行為である。そして性。暴力はその背後にある。しかし、ここにも典型的にあらわれているように、そうした行為がどれもぬるぬると動いていると感じられる。「誰が」という定点に縛りつけられていないから。行為は特定の人物から離れ、蓋の下の見えないところを流れていく。仁子さんが鰻を処理する場面など、ほとんど「個」の枠をこえた何かを感じさせる。

 竿ごと魚屋の中に持ち込むと、仁子さんはもう義手を嵌めていて、はりすがついたままの鰻を流しに置き、左手で義手のねじを緩める。途端に、ぽこん、と鳴ってゴムが外れる。現れた爪で頭を、捌く時ほどの強さではなく、静かに押さえつけ、暴れる体を左手でしごいて釘を絞り出し、バケツに放り込んですぐに水を張り、大きな鍋の蓋を裏返しに被せ、真ん中のへこみに重しの煉瓦を置いた。こうして一晩かけて泥を吐き出させる。口よりも、顔の傷口から腹の中のものが出てゆきそうだ。(28)

こんなふうにぬるぬると動く描写を読んでいると、読んだ以上のものまで読んでしまった気になるのである。

 物語の最後の十数頁は、美しい体操競技のように華麗なフィニッシュになっている。それまでの「ぬるぬる」がここでは型にむかって、つまりれっきとしたとした「意味」にむかってきれいに収束する。最後まで鰻を処理したり食べたりする場面のようでもよかったのに、あの「ぬるぬる」の感触がよかったのに、という意見もあるかもしれない。対して、いや、これでいいのだ、これこそ小説だという声も聞こえる。筆者は「ぬるぬる」の部分を思い切り楽しんだ口で、いったいどうなるか、いつ読み終われるかと不安に思ったくらいだから、ともかく最後まで辿り着けてほっとしている。


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2012年05月17日

『三月兎の耳をつけてほんとの話を書くわたし』川上亜紀(思潮社)

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「散文って窮屈じゃないですか?」

 10年前の「グリーンカルテ」を読んで以来、何となく気になってきた書き手である。「グリーンカルテ」は数年前ついに単行本となったが、必ずしも多作な人ではないから、新しい作品が出て「あ、出た」と思った。今回は詩集。その冒頭の表題作二篇「三月兎の耳をつけてほんとの話を書くわたし」(*と**)がとてもいい。この2つのためだけでも、手に取る価値のある詩集だ。

 現代詩の居場所ということを考える。詩は最古のジャンルで云々とあちこちで言われてきたし、筆者もそれは大事なことだと思うのだが、その一方で詩は「古さ」だけに依然して生き延びているわけでもない。今や詩は日陰のジャンルであることが定着した感があるが、それでも人がときに詩で語る必要を感じるのは、散文の「まともさ」に窮屈な思いをするからではないかと思う。

 散文は最低限の身支度を調えた言葉である。もちろんだらしなくすることもできるし、攻撃的にも、露出的にも、変態的にもなれる。でも、どこかにラインがある。それを越えると散文どころか「文」と見なされなくなる。このラインは、人が誰かを「ちょっとおかしい」と感じ始めるときのラインと似ている。つまり、多くの人が「正気」と考えるラインと、散文のラインは重なる。

 では詩はどうか。詩はしばしば精神の失調を題材にし、とくに20世紀に入って「医療的」と呼んでも差し支えないような作品が書かれてきた。しかし、精神科医が言うように、私たちはときに過剰に精神疾患に創造性を期待してしまう。病的な妄想はしばしば驚くほど紋切り型なのである(「わたしは天才だ」とか「自分は実は天皇である」など)。本人だけが自分の発想の特別さを確信している。もちろん、これでは詩にならない。

 ただ、「正気」の世界に住んでいる人も、ラインの向こう側を知らないわけではない。人間の大きな特徴は、境界を生きるというところにある。「文」のルールにとらわれつつも、人は「文でない世界」をも垣間見ている。ひそかに「文でない世界」から養分を受け取りつづけているのである。

 詩は、このやり取りの過程をとらえることができる。とりわけ20世紀以降の詩人は、しばしば言葉以前の――もしくは言葉未満の――人間の心の荒涼とした部分まで語ろうとしてきたから、少々の荒れ野でも乗り出していく用意がある。つまり、「文の世界」と「文でない世界」とが交わりを持ち、養分を送ったり受け取ったりしているような、やや薄暗い領域を言葉にすることができる。こんなことが起きていますよ、と見せてくれる。

 「三月兎の耳をつけてほんとの話を書くわたし」(*)でも、どうも言葉がふつうでないようである。冒頭から語り手は「ほんとのこと」を書くのだと言いつのっているが、ふつうに「ほんとのこと」を書くだけの人が、毎行のように「ほんとのこと」「ほんとのこと」と繰り返したりはしないだろう。

ちょっと待って
地震がくる前にほんとのことばかり書かなきゃいけない
ほんとのことばかり言っても誰も聞きたがらないんだ

タイトルからしてそうなのだが、読んでいてすごく神経に障る「文」である。「文でない世界」に行ってしまったわけではないが、ぴりぴりした腫れ物みたいな文で、「まともな文」なら用意されているような、読み手のためのスペースが見つからない。「ほんとのことを書かなきゃいけない」と言いながら、こちらにその「ほんとのこと」を読ませる気がないのかとさえ思う。しかし、こんなふうに「読ませる気がないのか?」のぎりぎりのところで語ってもいいのが詩である。おかげで、ふつうなら言わないようなことも言えるようになる。

きのう、わたしの母親だというひとを殴って、
椅子を床に叩きつけて、いくつか傷をつけてしまった
(茶色のクレヨンを探して床に塗る)
そのうえ、カーテンにぶら下がって怒鳴ったので、
窓の上の壁のカケラが、ぽろんと絨毯に落っこちてきた
(壁を拾ってとりあえず物置のなかへ)

 「読ませる気がないのか?」とこちらが感じるのは、実は向こうが無理をしているからだということがだんだんわかってくる。言うのがすごくたいへんなことを言おうとしているらしい。そこに無理が生ずる。ぴりぴりする。

二〇〇二年の暑い夏に体重が減ってしまったのはつまらない人災と猫の避妊手術によるものかというとそれだけではない まだ若い従弟がとつぜん死んだ 月に手が届かなかったので梯子を倒してしまった。母はその朝すぐに羽田空港へ向かった。(中略)夜になってから父が弔電の作文をした わたしがそれを電話で読みあげた(その頃父の肺癌はまだ見逃されていた わたしが父親の肺のCT写真を見せられたのは翌年の春だった 父の兄が来て苦い顔をした)

 小説の中で語ってもいいようなことかもしれない。しかし、詩でなければならなかった。「文でない世界」がすぐそこまで迫ってきているから。詩の言葉を通さなければ、下手をすると語り手のいう「ほんとのこと」は永遠に言葉にされずに終わるかも知れない、とそんなことまで含めて語りたいのである。やっとのことで語っている。

この三年間、わたしはなにもしていないのに忙しい
そして毎日同じことを考えていた

五円玉のようなほんとの話が溜まっていくから
まんなかの穴に糸を通して結んで吊り下げていく
ああ、ほんとの話が百は溜まっている!

 私たちが読みたいのもおそらくこのことなのだ。「ほんとの話」の内容よりも、「ほんとの話」を語ろうとする語り手の、「五円玉のようなほんとの話が溜まっていく」という気分を。なかなか語ることができないのだけれど、今やっと言えているらしい。人はなぜか、誰かが無理をしてやっと言えたことを読むのがとても好きなのである。

ほんとの話をいくつかしたつもりになると
またそこからほんとの話が枝分かれしていって伸び放題のツル草になる
でもぜんぶほんとの話だ、これからはもうほんとのことばかり書くんだ

頭のなかのツル草は伸び放題
三月兎の耳をつけて毎日ほんとの話ばかりするので
詩も書けないしあなたにも会えない

それでもこれはほんとの話なんだ

 無理をしないでも言えてしまうようなことは、どっちみち、言っても言わなくてもいいようなことなのだろう。そこら辺にいくらでも転がっていることなのだ。だったら聞きたいとも思わない。「ほんとの話」の内容だって、どれくらい興味があるのかわからない。でも「ああ、ほんとの話が百は溜まっている!」という声にはつい耳を傾けてしまう。その声が変に陽気に聞こえるだけになおさらだ。何でこんなに元気なのだろう。無理をした分だけ、妙な活力が湧いたのか。そこには「文」の境界ならではの匂いがする。そういう言葉はひょっとすると、今までぜんぜん知らなかったようなことを教えてくれるのではないかと思わせるのである。


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2012年05月01日

『マザーズ』金原ひとみ(新潮社)

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「Butのいらない小説」

飲み会で学生に、「最近、おもしろい小説読んだ?」と訊いてみることがある。日本の小説。今、書かれている小説。そんな含みを持たせると、大学院生などかえって答にくいようだが、ときどき「あ、そういえば、金原ひとみはけっこう好きですよ」という答えが返ってくることがある。

 この「あ、そういえば……」は、なるほど、よくわかるなあと思う。金原ひとみは、派手に騒がれたギャル小説家としてのデビューにしても、その『蛇にピアス』での、陰部にとんがったものが刺さるような道具立てにしても、文学をまじめに「勉強」する身には、正面から「大好きです!」「いいです!」と言いにくい気配が漂っている。野蛮だし、通俗的に見える。こういう小説をおもしろがってしまう自分はほんとに文学をわかっているのだろうか?とためらいが混じる。

 しかし、この作家の強みはまさにそこにある。「勉強」の対象になどならない。洒落ているわけでもないし、高級なのでもない、これほんとに「文学」なのでしょうか?なんてごちゃごちゃ言っているうちに、小説はどんどん進行する。いや、進むというより、悪化する。病巣が広がり、膿がたまってふくらんでいく。土嚢のようなものが積み上がる。行けるところまで行って、ああ、もうダメというところで、ぱあーっとはじける。そう。このように、きちんと「悪化すること」を許すのが金原ひとみの力なのだ。

 『マザーズ』の主人公は、保育園に通う小さな子供を持った三人の母親たち。ユカは小説家、五月はモデル、涼子は専業主婦である。三人とも表向きは順調そうだが、それぞれの問題を抱えたまま育児に追われている。ユカは薬物中毒、五月は不倫の最中、そして涼子は我が子への虐待へとのめりこむ。出産と育児にまつわる細部はたっぷりと書きこまれ、保育園の選び方から、発熱時のどたばた、お誕生会のこと、うんこの始末、ママ友との付き合い、夫のオナニー(*現行犯ではない)など、かなり明確に育児小説が意識されているのは間違いないのだが、とにかく三人の母親たちの「悪」が進行していく過程がすごい。ほとんどプロットなど関係ないと思わせるくらいで、カーブもトンネルもないまま、ひたすら坂道を上る。まるで遊園地のジェットコースターの「のぼり」みたいで、ギアが一段変わるごとに、ぐいっ、ぐいっと濃度が高まる。徐々に絞りが深まり、逃げ道がない。

 出来事は、あんがい「ふつう」だ。夫との不仲にしても、不倫にしても、虐待にしても、現代家庭問題の陳列場のようなものである。必ずしも誰にでも起こることではないが、誰もが知っている、誰もが小説の中に予想すること。正直言って、ユカにしても五月にしても涼子にしても、それほど根っから珍しい人々ではない。あくまで設定に生かされた人物像である。しかし、にもかかわらず、私たち読者までもこの段々と高まる濃度に、「これは逃げ道はないぞ」と進退窮まった気分になる。なぜか。なぜ、こんなジャーナリスティックな展開に、私たちは追い詰められるのだろう。

 そこで大きな役割を果たしているのが〈声〉なのである。『マザーズ』は特異な声の物語として書かれている。三人の母親の境遇はそれぞれ明確に異なり、章ごとに視点人物の名前が割り振られて「誰」の物語かわかるようになっているのだが、おもしろいのは、読んでいるうちに不思議な連続性にとりこまれ、下手をすると三人がひと連なりの、やわらかいゼリーのようなものでつながった〈共同人〉ではないかと思えてくるということである。

 いや、連なっているのは、三人の間だけではない。もっと強烈な「連なり」がこの作品を支配している。この作中でもっとも壮絶なのはおそらく涼子による虐待のシーンだろうが、このような箇所にも〈声〉の特徴があらわれている。

 チョコの袋を鷲づかみにすると、私は個包装を破りチョコを砕かずそのまま一弥の口に押し込んだ。手元が怒りと恐怖で震えている。がしっと大袋に手を入れると、大量にチョコを取り出し再び個包装を破く。食え食え食え食え食え食え。言いながら私は次々に袋を裂きチョコを取り出し一弥の口に詰め込んでいく。身をよじって逃げようとする一弥に馬乗りになって、嗚咽してチョコを吐き出そうとする一弥の口を手で押さえつける。押さえつけている右手の、薬指の爪が割れているのに気づいて、体中が麻痺していくのが分かった。左手でチョコを摑むと、私は包装を開けずにそのまま二つか三つ一弥の口に押し込み、吐き出そうとする一弥の口を再び右手で押さえつけた。んーんーと苦しげに顔を歪め、真っ赤にしている一弥を見て私は確かに「殺してしまう」と思った。感情に支配されて身体が思うように動かないなんて事はあり得ない。身体が勝手に動いてしまったなんて事はあり得ない。私は私の意志で、感情的でありながら冷静に、一弥を窒息しさせようとしているのだ。(338)

 思わず「うわっ」とひるむような場面かもしれないが、ためしに、この一節の句読点を全部取り去ってみると……。

 チョコの袋を鷲づかみにすると私は個包装を破りチョコを砕かずそのまま一弥の口に押し込んだ手元が怒りと恐怖で震えているがしっと大袋に手を入れると大量にチョコを取り出し再び個包装を破く食え食え食え食え食え食え言いながら私は次々に袋を裂きチョコを取り出し一弥の口に詰め込んでいく身をよじって逃げようとする一弥に馬乗りになって嗚咽してチョコを吐き出そうとする一弥の口を手で押さえつける押さえつけている右手の薬指の爪が割れているのに気づいて体中が麻痺していくのが分かった左手でチョコを摑むと私は包装を開けずにそのまま二つか三つ一弥の口に押し込み吐き出そうとする一弥の口を再び右手で押さえつけたんーんーと苦しげに顔を歪め真っ赤にしている一弥を見て私は確かに「殺してしまう」と思った感情に支配されて身体が思うように動かないなんて事はあり得ない身体が勝手に動いてしまったなんて事はあり得ない私は私の意志で感情的でありながら冷静に一弥を窒息しさせようとしているのだ。

 句読点などなくても、けっこう読めてしまうのだ。というか、元々の文章にこのような潜在的な方向性があったのではないかとさえ思う。金原の文章には、句読点を越えてつながってしまうような連続感が秘められている。前に戻ったり、急なターンがあったりしない。Butがない文章なのである。とにかく起こるべきことが起きていく。圧倒的な必然性がある。作品の中では、過去の想起や反省といったものもないではないが、それよりも「いま」の感覚が強烈なのだ。句読点だけではない。会話も描写も心理も、主観も客観もそうだ。「私は私の意志で、感情的でありながら冷静に、一弥を窒息しさせようとしているのだ」という箇所など、本来ならヒヤッとどきっとしそうな内容で、逆説的に聞こえたり、アイロニーが響いたりしそうなのだが、どうだろう。読者は先へ先へという文章の勢いに乗せられ、意識が止まったり、視点が離れたりする間もなく、ごくふつうに「まさにそうだ」と感じる。遠近法などどうでもよくなった同一次元の上で、感情や理性や含めて、ひとつの流れる〈声〉が生まれるのである。その〈声〉が、涼子やユカや五月といった人物の境目も越えていく。

 この三人のうち、ユカは小説家という設定なので、私たちは何となく作家自身の「ナマの声」を聞き取りたくなるかもしれない。その〈声〉にはときに飛躍がある。

 自分の中には理解出来ない自分がいて、自分の中にはコントロール出来ない自分がいる、そう思うと気が楽になった。人の中には魔界がある。私はそう思う事にした。今の私にとって、小説を書く事と摂食障害、そしてツリーが魔界だ。小説を書く意味を考え始めたら、私は魔界を隠蔽するため小説を書く自分を殺してしまうだろう。摂食障害の理由を考え始めたら、私は魔界を隠蔽するため摂食障害を克服してしまうだろう。ツリーも同じだ。つまり私は小説を書き食べ物を吐いたり断食したりツリーを飲んだりという事で、自分の中の魔界を存続させている。きっと私は、ツリーの常用を本気で止めようとは思っていないのだ。(174)

 まさに現在進行形の語りである。タイムラインの上を次々に流れてしまう自身の発言を、何度も自分で引用しながら言葉の足場を築き、少しずつどこかに進もうとしている。話の論理がやけに直感的で飛躍が多いのも、それだけ、より深いところから出てきたように感じさせる。そのユカが――ユカだけが――先の「食え食え食え食え食え食え」のような句読点なしのセリフを口走るわけである。夫の央太に対して激したユカの言葉は、次のように書かれる。

「てめえふざけんなよ妻と子供家に残して優雅に一人暮らししてオナニーばっかしてんじぇねえよふざけんな惨めで汚ねえ育児とか家事とかばっかり人に押しつけてエロ本とかAVとかばっか見てんじゃねえよたまにはガキのウンコ拭き取ってみろ生ゴミの処理してみろガキ風呂に入れてみろトイレトレーニングしてみろこのクソ野郎ふざけんなっ」(原文ママ 286)

 句読点を省いた文章というと、英文科の人ならジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』最終章の「モリーの独白」を連想するかもしれない。モリーの「心の声」が、ピリオドもコンマもないまま延々とつづくあの有名な箇所である。ただ、金原の言葉はどこか違うようにも思う。それは決して「心」に封じ込められたものではないのだ。それがさらに進んで物語の外に出ることを目指すのか、それとも逆に、句読点などなかった時代のかつての日本の「文学」を、物語を、再生することにつながるかは、この作家の「魔界」の行方にかかっているように思う。

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2012年02月17日

『深沢七郎外伝』新海均(潮出版社)

深沢七郎外伝 →bookwebで購入

「天才作家の苦い味」

 何しろ、あの深沢七郎である。伝記的事実の記述だけで十分スキャンダラス。実際、本書からは深沢の破天荒な生き方が生々しく浮かび上がってくる――そういう意味ではすぐに作品を手に取りたくなるような格好の「深沢七郎入門」となっているのだが、それだけではすまない。読み進めて引きこまれるのは、意外な箇所なのである。

 まず冒頭から目につくのは、この本に「深沢七郎について正しいことをぜんぶ言うぞ!」という構えがおよそないことだ。「オレの話を聞け!」というようなオレオレ性もない。「外伝」と銘打ったのもそのためだろう、著者は「月刊宝石」の編集者として晩年の深沢から原稿をもらった人だが、自身の「深沢体験」の他に、新聞や雑誌で報道されたこと、関係者のコメント、噂、記憶などを切り貼りのようにしてつなぎあわせ、コラージュ風に深沢七郎という人物を浮かび上がらせるという手法になっている。中心は過去形の思い出語りであり、言ってみれば、壮大な「後日談」。本全体に「あとがき」のような風情がある。そのゆるさがいい。ジャカ♪ジャカ♪ジャカ♪と音楽が聞こえてくる中で、話を聞いているような気分で、まさに居酒屋風の語り。少なくとも本書の四分の三くらいは、そんなふうにして過ぎていく。

 深沢は山梨・石和の出身。その原点は音楽にあった。中学でギターを覚えると、クラシックからロックまでカバーし、25歳ではじめて個人リサイタルを開く。ギター奏者としての自分に深いこだわりがあり、リサイタルもその後38歳まで18回にわたって開かれつづけた。35歳のときに最愛の母が死去。深沢は四男だったが、癌を患った母親に付き添って介護を続けていたのであった。

 この母の死を契機に深沢は故郷を離れ、バンドに加わったり行商をしたりしながら各地をまわり始める。そんなある日、彼のリサイタルを観て興味を持った男がいた。日劇小劇場の丸尾長顕である。丸尾はギタリストとして深沢をスカウトする。この丸尾との出会いが深沢の運命を変えることになった。日劇小劇場は日劇ミュージックホールの前身でストリップ専門だったが、丸尾はここでストリップの演出を手がける一方、「歌劇」の編集長もしていた。丸尾の指導の下で深沢は、「楢山節考」を書き始めたのである。

 その後の深沢の人生はよく知られた通りだ。丸尾の丁寧な指導の下に完成した「楢山節考」は第一回中央公論新人賞に応募され、伊藤整、武田泰淳、三島由紀夫という審査員の全員一致により当選が決まった。三島由紀夫をして「こわい小説を読まされた」と言わしめ、うるさ方でならした正宗白鳥が「人生永遠の書として必読すべきもの」と激賞した。

 しかし、鮮烈なデビューを果たした作家深沢七郎は、まもなく禍々しい事件に巻き込まれることになる。あの「風流夢譚事件」である。『中央公論』1960年12月号に載った深沢の「風流夢譚」が天皇を愚弄していると怒った右翼少年が、中央公論社長宅を襲いお手伝いさんを殺害、夫人にも重傷を負わせる。はじめは脅迫など相手にしていなかった深沢も、すっかり右翼の攻撃におびえるようになり、全国各地を転々としながら「逃亡生活」を強いられることになった。中央公論社はお詫びの社告を載せ、嶋中社長も「あんなくだらない小説を自分は載せる気持ちはなかった。編集長のミスだ」とのコメントを出す。編集長も解任。

 こうして見ると、たしかにこの事件には政治性や社会性が目につく。「言論の自由」から「天皇制」に至るまで研究者が飛びつきそうな話題ばかりだ。しかし、肝心の作品はどうだろう。「風流夢譚」の掲載された『中央公論』のバックナンバーの頁を、筆者はかつてある市立図書館の薄暗い書庫でどきどきしながらめくったのだが、う~ん、正直言って拍子抜けであった。「楢山節考」はたしかにすごい。しかし、「風流夢譚」はどうだろう。果たしてこのために人が殺されるほどの作品なのか。

 そういう事情も間違いなく関係したのだろう、受難の作家に対する世間の反応は今ひとつちぐはぐなものだったようだ。弁護する批評家作家ももちろんいたが、今ひとつ歯切れが悪い。実際、中央公論社の対応に代表されるように、その後、各社とも右翼に対してはかなり神経質な対応をとらざるをえなくなる。その傾向は今に至るまで続く、と新海は指摘する。

 しかし、深沢はこの事件を契機に生涯の友と知り合った。「ヒグマ」こと森兼宏と「ヤギ」こと深谷満男である。放浪をへて埼玉菖蒲町に落ち着いた深沢は、このふたりに助けられながら「ラブミー牧場」をつくった。ラブミー牧場以降の深沢は、あいかわらずの破天荒な生活ぶりとはいえ、デビュー期のような派手さは少しずつなくなっていく。本書の中でもこの時期の深沢を描いた部分はほほえましい牧歌性をたたえ、著者の作家に対する敬意と愛情のあふれた、一種の〝賛歌〟となっている。

 それが、である。第8章から話が急に変な方向に動き出す。「突然、Aと名乗る男からの電話」などという、思わず「なになに?」と身を乗り出さずにはおられない剣呑なセクション見出しがあって、「A」なる人物が登場。すべて深沢がすでに亡くなってからの話なのだが、このあたりから作家の死後に残された人物たちの、さまざまな意味での跡目争い・遺産争奪戦が繰り広げられることになる。これこそほんとうの「後日談」なのだが、そこではどうもあまり格好良くないというか、いや~な匂いの漂う出来事がいろいろと起きた。著者もそこに巻き込まれることになる。

 新海氏は白黒はっきりさせて論じたり、声高に何かを主張するタイプではない。そのかわりに、いかにも編集者らしい忍耐強さと、「目」を持っている。その「目」が、輝かしい天才的な部分を持ちながらも、きわめていい加減でいかがわしいところもあった深沢七郎という男の残した、決してさわやかではない後味をあますところなく語りの中でとらえているのである。だから、本書の最後の四分の一はきわめて〝苦い〟。

 おそらく著者はそのような部分を書きたくない気持ちもあったのだろう。「Aと名乗る男」などという登場のさせ方からして嫌悪感丸出しなのに、その「A」の記述はどこか小出しというか中途半端。嫌々ながら書いているのである。しかし、実は大部分を占める「深沢七郎賛歌」の部分よりも、この最後の四分の一の苦い部分こそが、本書のもっとも文学的なところであると筆者は思った。

 何人かの人物が出てくる。小さい頃、近所の深沢にギターを習ったという元自衛官は、誰も来ないような田舎で、自宅の一部を改造して深沢七郎の記念館をつくった。妻と離婚した後は、スーパーで残業をこなしながら家のローンを払いつづける。それでも記念館は守った。「ヤギ」は、「ヒグマ」が恋人をつくってラブミー牧場を去った後も、ひとりで老いた深沢の面倒を見続け、太ももから内股からときに陰部に至るまで、深沢にマッサージを施してやったりした。「ヤギ」は深沢の養子として著作権を相続するが、深沢の死後、四〇代にして精神状態が不安定となり、極度の不安と人間不信から印税の受け取りすら拒むようになる。そのせいもあって以降、深沢の著作物の刊行は困難を極めることになった。

 そして問題の「A」である。「ヤギがおかしい」という噂の流れる中、「A」はラブミー牧場に残された深沢の遺品を安い値段でごっそり買い取る。井伏鱒二から届いた、深沢への弔文まで含めてありとあらゆるものを持ち去った。そして山梨の笛吹市の役場と交渉し、この遺品を元に文学館を建設してその館長におさまろうとする。格安の公営住宅付きである。しかし、きまぐれな「A」には粘着質なところもある一方で、理解しがたい奇行も多く、最後はまとまりかけた交渉をご破算にしてしまう。そのあたり、事実関係の不明瞭さともあいまって、忸怩たる思いの著者が必死に「A」に対する感情をこらえながら書いているさまが伝わってきて、たいへん引き込まれる。

 舎弟のような若い男二人を従えて埼玉の田舎で牧場をやった深沢。当然そこからは「同性愛説」めいたものが飛び出してもおかしくはない。女性やセックスについての発言も旺盛だった深沢だが、「深沢は欲望の大きい人だった。欲望が大きすぎてぼくには応えられなかった」(162)という「ヤギ」の発言は意味深長に響く。しかし、新海氏がするのはせいぜい第7章に「欲望の大きい人だった」というタイトルをつけるだけで、よけいな推論や断定には走らない。深沢が少年と一緒に風呂屋に行きたがり、「まえをだせ」といって陰部をいじったというような話はあってもそれ以上は踏みこまない。そこがいいのだ。白黒つければいいわけではない。人間のセクシュアリティというのはたいへん微妙なものだ。その微妙さがあるからこそ、「楢山節考」のような作品が生まれえたのである。そのあたりをとらえるバランス感覚はやはり編集者ならではだな、と雑多な音楽の鳴り響くかのような語りを読みながら思ったのである。


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2012年02月02日

『きなりの雲』石田千(講談社)

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 作家の中には見るからにおっかない顔つきの人がいる。下手に質問すると、イラッとした目つきで睨まれ「さっき言ったでしょ?」と露骨な不機嫌をつきつけられる。こういう人の作品もたしかにのぞいてみたくはなるが、ちゃんと読むにはそれなりの覚悟もいる。

 石田千の作品は対照的だ。エッセイ集も含めればこの十年に相当な数が刊行されているが、『あめりかむら』『月と菓子パン』『店じまい』『屋上がえり』『きんぴらふねふね』『踏切趣味』『踏切みやげ』『部屋にて』などのタイトルだけからもわかるように、イラッとしてこちらを睨むなどということはない。むしろすぐそこに、手の届くところに置いてあってほしい風情の本ばかりだ。

『きなりの雲』は著者の小説作品としては二冊目になる。280枚という長編はおそらくはじめて。連作のような構成だが、ぜんたいをつらぬく明瞭な流れがある。描かれているのは「回復」である。物語の冒頭、主人公望月さみ子は「失恋者」として登場する。恋人にふられ、その原因は自分にあったと後悔の念にさいなまれ、仕事も続けられなくなった。物もろくに食べられず、夜も眠れぬこと半年。ついに身体に変な斑点があらわれたところで医者を受診する。しかし、さみ子はここで言わば底を打った。

 本領はここからである。少しずつ、まるで植物が生長するような速度と静けさで、干涸らびていたものに水気が通いはじめる。凝り固まっていたものがほどける。物語上は途中、「武器密輸団」の登場に続いて「モトカレ」の再来があったりして大いに波乱はあるのだが、さみ子の生命があらためて温度を持ってくる様子は、今どき珍しいほど繊細な文体意識――書き手の呼吸が乗り移ったかのような文章――を通して語られる。それは一見こちらのガードを解くようなやわらかさに満たされてもいるが、それだけではない。冒頭部はこんな具合である。

水にひたしてひと月すると、しろい根がのびた。それからしだいにしわが寄って、かたく縮んでしまった。
 さらに二週間たった。アボカドの種は、桃太郎が生まれるように、ふたつに割れた。透けるほどやわらかな葉が二枚あらわれたのは、年をまたぎ、正月のにぎわいもおさまるころだった。
 寒い季節のうえに、スーパーマーケットの冷蔵の棚にあった実だったから、育つのはここまでかもしれない。そう思いながらも、水をとりかえた。すこしでも光のあたるところをさがし、置き場をかえていた。(7)
 石田千の著作に親しんでいる人ならわかると思うが、そのトレードマークは主語の省略である。しかし、一口に主語の省略といっても、効能はさまざま。『きなりの雲』でも、状況によって意味はぜんぜんちがう。この冒頭部では、「アボガドの種」や「さみ子」といった主語を所々で落とすことで、ひとつの文の中でも焦点がゆらゆらと行き交い、おかげで主人公やアボガドの葉や季節のめぐりといった話題が、まるで互い違いに生えだしてくるような交錯の感覚が生ずる。人間の営みが、その意志や感情も含めて、植物的な生育と重なる。

 それはたしかにやさしさに満ちた語りだ。石田千がもっとも愛する対象は本書にも多数登場するお年寄りや子供であり、その筆致に慈愛を読み取る人も多いだろう。しかし、その一方で、石田の文章には揺るぎない厳しさがある。おそらくこれは主語を書かないという衝動の根本にもある厳しさである。究極的には、語ることそのものが抑制されているのである。とりわけ「私が語る」ことが抑えられている。「私が思う」「私が考える」ことに対する躊躇、抵抗がある。

 書くことはセラピーだと考える立場がある。書くことによって、無意識や幼児性や病が解放される。書かれたものは汚物のような臭気を放つかもしれないが、それは書き手を救い、しかもおもしろいことに、読み手だって救済されることがある。私たちはこういう文学作法に長く慣れてきた。ただ、セラピーとして書かれるものに、紛れもない汚物として終わるものがあるのも間違いない。

 石田千が『きなりの雲』で描く「回復」はそのようなものではない。文学作品の中ではもはやあまり振り返られなくなった、「折り目正しさ」とか「あきらめ」とか「関係」といったものが、まったくふつうに大事にされている。汚物を吐き出すこともないし、何より「私は語る」「私は思う」といった私の主語性に酔わない。素面でいようとする。

 だから、石田千はリズムとの付き合いにとても慎重だ。文章というものは、書く人も読む人も酔わせるような麻薬のような作用を持つことがある。リズムに乗れば、語っている言葉そのものの慣性で語り続けることができる。雪崩のように、勢いが勢いを呼ぶ。石田千のエッセイにも、主語を省くことで日記風の軽快なリズムを生んでいるものはあるし、「あめりかむら」のちょっと熱気のある語り手もなかなかフットワークが軽い。しかし、10年前のデビュー作「大踏切書店」の味わいによくあらわれているように、石田千の語りはリズムに溺れるものではない。雪崩を打つどころか、いつぴたりと停止するかわからない。だから、独特の寂寥感を呼びこむことができる。「大踏切書店」のもっとも悲しい場面、呑み仲間のハルさんの死は次のように語られる。

三日前に来たのが、最後だった。湯どうふとコップ酒の用意をしたら、その日だけ、熱燗がいいといった。風邪ひいたから、熱燗飲んで寝るからという。湯どうふに葱をどっさり入れて出したら、あったまると喜んだ。帰りがけに、黒焼きにした葱を手ぬぐいでくるんで、首に巻いてあげた。ハルさんは夜寝られないといけないから本が欲しいといった。小さい字がいっぱい書いてあるのがいいといった。(中略)
 心配だったけど、送るというと怒るから、そのまま帰した。次の日の朝、起きてこないから、家の人が見に行ったら蒲団のなかで死んでいた。枕もとに、手ぬぐいにくるまった葱と本があった。本のうえにハルさんの小さな眼鏡が置いてあったという。話しながらふみさんの目はまっかになった。そしてすぐに、大往生だわ、立派よ、見習わなきゃとうなずいて、鼻をかんだ。(「大踏切書店」〈『あめりかむら』所収〉、165-166 )
 勢いをつくりながらも陶酔感から距離を置くのはなかなか難しい。語っている言葉の勢いに乗るのは容易なこと。でも、そのリズムを抑制するとなると、いちいち言葉を発し、またゼロから動き出さなければならない。そのためにはやわらかい呼吸が必要になる。『きなりの雲』でモチーフになっているのもまさにこの呼吸である。

 心身共に病から回復したさみ子は以前からつづけていた編み物の仕事を再開する。その過程で出会いがあり、別れがあり、恋人のじろーくんがひょろっと戻って来たりもするのだが、さみ子にとってもっとも大きなチャレンジとなるのは新潟の友人から届いた「きなり」の糸をいかに編み上げるか、ということだった。

糸にまかせてみて。玲子さんにいわれたとき、はたと気づいた。いままでの経験知識で、この糸のよさを消すところだった。
 糸にまかせてそのままで、じゅうぶん。頭にくりかえし、いいきかせながら、黙って手を動かす。流れる音楽も、きこえなくなっていく。
 十センチの正方形になったとき、試した編み地が、ふっくらと深い呼吸をした。
 光沢もしなやかさも、じゅうぶん伝わる。羊たちにほほえまれ、なんとかめどが見えた。これで、大丈夫。肩の力を抜いた。(114)
 そう。糸にまかせるのである。そうすると「ふっくらと深い呼吸」ができる。主語を落として、声をこもらせて、そうまでして「私が語る」のを抑圧するなら、もう語るのをやめてしまえばいいのになどとせっかちな人は言うかもしれないが、そういうことではない。言葉というものは、別に私が語らなくたっていい。言葉が語ればいいのだ。ちょうど糸が勝手に編まれてしまうように。

 ほんとにいいものは、「私は語る」の境地を越えたときにあらわれるのかもしれない。私ではなく、文章が、言葉が、まるで世界と互い違いに生えだしてくるように生成してくる。主語だけでなく、会話括弧や句読点といった区切りをもさりげなく落としていきながら、石田千の文章はたいへんしなやかな解放を目指しているのである。
(「群像」4月号(3月7日発売)で、著者の石田千さんにインタビューしているので合わせてご覧ください)


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2011年12月09日

『不作法のすすめ』吉行淳之介(中公文庫)

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「遊郭と退屈とダンディの奇妙な三角関係」

 退屈はたいへん深遠なテーマである。でも、なぜか正面からは語りにくい。その理由は…?などと國分さんのおかげで考えはじめたときに、ちょうど良い本を手に取った。吉行淳之介『不作法のすすめ』である。

 著者名から想像できると思うが、この本で〝退屈の哲学〟やら〝退屈の倫理学〟やらが開陳されるわけではない。しかし、ここには退屈が、いわば横溢している。退屈したり、退屈しなかったり、退屈しそうになったり、あえて退屈を楽しんだり……そうこうしているうちにこちらは読むはずのなかったことまで読んでいて、はっとしたりする。

 語られるのは、「色好みの作家」とされる吉行淳之介の女遍歴である。それもかつての赤線地帯の玄人女とのお付き合い。その手のマニュアルを求めて手に取る人もいるかもしれない。好奇心を満たすような描写や解説もある。しかし、読んでいると、おそろしく通俗的な内容のようでいて――たしかに通俗的なのは間違いないのだが――これは今、この頁面でしか読むことが出来ないすごいことだ、という強い気持ちが起きる瞬間がある。思わず黒々と線を引きたくなるほどに。

 いわゆる〝遊郭もの〟は昔から小説家と切っても切れない縁がある。荷風や吉行や西村賢太はもちろんその代表だが、一見まじめそうな志賀直哉や佐伯一麦の作品にもそうした場所は登場するし、「金で女を買う」という行為への言及に枠をひろげればいちいち上げきれないほどである。村上春樹にだってある。

 そんな中で気づくのは、〝遊郭もの〟とダンディズムとの深い結びつきである。遊郭を描く作家は、しばしば「ダンディ」であることに意識的なのだ。吉行淳之介はまさにその典型だが、荷風にしても西村賢太にしてもそこは共通している。もちろん「ダンディ」と言っても18世紀英国由来の正統派ダンディ云々といったうるさいことを言う必要はないのだが、ただおもしろいのはダンディを意識する作家たちがみな、「退屈」にとりつかれているということだ。これは18世紀英国もしくは19世紀末英国のダンディについても言える。そういえば、少なくとも18世紀や19世紀末のダンディは、女嫌いだったり、同性愛者だったりして、どこか男女の関係について斜に構えていたなあ~といったことも思い出される。どうやら、遊郭もの=ダンディ=退屈というトライアングルには意味がありそうなのだ。いったい、どういうことか。

 ひとまず『不作法のすすめ』に戻ろう。これはスタートのやや遅い本である。まず冒頭に講釈がある。紳士と言っても、ほんとの紳士は世間で考えられているようないかにもお行儀の良い紳士ではない等々。ちょっとばかりひねくれていて、いかにも吉行淳之介の言いそうなことだから、かえって「な~んだ」と思う人もいるかもしれない。

 で、じゃあ、ほんとの紳士とは何か?ここで吉行が持ち出すのは牧野信一らの作家である。牧野はかつて、些細な、しかし、どうにも恥ずかしい出来事を思い出したときの心境を「キャッと叫んでロクロ首になる」と表現した。吉行はそれを引きながら、「キャッと叫んでロクロ首になることのない人間は、紳士ではない」(15)と言う。どうだろう。まだ、ぴんと来ないかもしれない。だいたい「ロクロ首」なんて、ほとんど死語だし……。

 しかし、ここはそのまま読み進める。すると、著者の個人的な体験を元にした実例があげられていく。テーブルマナーのこと。紳士契約を気取ったがゆえの失敗。酒場での女性へのちょっかいの出し方、膝のさわり方。お金をめぐる失敗談。惚れたけどくどかなかった女。ポケットに金がないときの惨めさ…。

 たしかに「キャッと叫んでロクロ首」的な状況がいろいろ出てくる。「紳士」からの逸脱こそがほんとの紳士への道、という冒頭の講釈の意味が見えてくる。その一方で、著者が「不作法」にしても「紳士」にしても、定義などにはたいして関心がないということもわかってくる。「不作法」や「紳士」という話題はきっかけにすぎないのだ。この本で語られるのは、吉行がいかに人生をおもしろがろうとしたかであり、裏を返すとそれは、彼がいかに人生に退屈していたか、という話でもある。もっと言うと、彼が人生においてもっとも深くかかわった対象、すなわち「女性」というものに、いかに彼が興味を持ち、愛し、そしてそれゆえに退屈し、また嫌悪したか、ということが延々と語られている。そのあたりは凄惨でさえあるのだが、この本の読み所・味わい所もそこにある。

 忙しい人は第二部の「痴語のすすめ」は後回しにしよう。あまりにバカバカしいエピソードがあって、下手をすると本を閉じてしまうかもしれない。それはもったいないから。(バカバカしすぎて引用したいくらいだが、やめておく。たとえば「伯爵令嬢」など。その中の「名刺遊び」のくだりなど、だ。)こうして第二部をやり過ごすと、やがて第三部の「娼婦と私」が始まる。ここがいい。

 吉行が語るのは自分と娼婦たちとのかかわりあいである。娼婦たちと付き合うときの礼儀や、変化球や、ありがちな事故や隠語などが、経験に基づいて詳述される。その中でしばしば書かれるのが値段の交渉のことである。遊郭に上がった客はまず相手の女性との間で、「いくら」を決めなければならない。正価などないわけだから、ここでいろいろ起きる。人情もかかわる。駆け引きもある。悶着もある。その中で吉行の記すあるエピソードが筆者にはたいへん心に残った。

その子は、なかなか愛想がよく、当世風の言葉でいえば、
「あんた、なかなかイカスじゃない」
 といった嬉しがらせを言って、私を彼女の部屋に引っぱっていった。ところが、値段の交渉の際に、悶着が起こった。彼女は、オール・ナイト二千円よ、という。相場外の値段であり、だいいち薄給の私にとって、閉口する額である。
「高いじゃないか、もっと負けてくれ」
 と、私は奮闘して、千五百円まで値切った。そこまでゆくのに、なかなか努力を要したが、彼女はついに「あんたなら、いいわ」といった按配に威勢よく、負けてくれた。
 そのまま事が運んだなら、私も人生を甘くみるようになったかもしれないが、そうはいかなかった。
 私が金を渡しそろそろドテラにでも着替えようかとおもっていると、部屋の戸が開いて、ヤリテババアが彼女を呼んだ。
 彼女は間もなく戻ってきて複雑微妙な表情になって、「あのね、お馴染みさんが来てしまったのよ、済まないけど」
 といって、私の渡した紙幣を戻してよこした。その金を受け取ったときの手触りは、なかなかに忘れられない複雑微妙な感触であった。(134-35)
束の間の小さな楽しみを期待しながら、しかし、ねちっこく値切ってやっと払ってやった紙幣を、あっさり「済まないけど」と返された感触はいかばかりのものかと思う。どれほど惨めでむなしいものかと思う。こんなふうに戻されるくらいなら、西村賢太みたいにだまし取られた方がはるかにいい。しかし、吉行はこういう瞬間を生き、それをくっきり記憶し、なおかつ書いてしまった。

 言うまでもないが、ここでは「性」はあくまで金銭的に扱われる商品である。従って論理的かつ合理的な言葉で語られるものである。しかし、それだけではすまない。その論理的かつ合理的な取引にはさまざまな感情が付着している。愛だの恋だのではない。もっと地を這うようなものではないかと思う。世界がいかにつまらないか、いかにむなしいか、と日々灰色の気持ちにひたっているような、そういう感情である。金銭を介してそういう世界にささやかなさざ波を立てる。そのさざ波をめぐる感情がここでは露出しているのである。

 吉行の小説でもこのような冷めた心境や暗澹たる思いや虚無感は描かれることがあるが、このエッセイ集の美点は、吉行が小説であることの拘束から自由になりおおせていることだと思う。小説であることの深刻さや、気取りや、華やかさから自由なのである。典型的なのは、今の引用部の「複雑微妙」という言葉である。おそらく小説なら、複雑微妙な事態を描くのに「複雑微妙」などという陳腐な言葉はぜったいに使わない。しかもここではそれを繰り返しているのだ。つまり、わざと雑に、下手にしてある。

 このテキトーさがいいのである。その散文性がいい。詩になるまいとしている。世界の苦い味を高らかに称揚したり、いたずらに神秘化したりせずに、苦いまま噛む。それがほんとうの退屈者というもの。そこに吉行のダンディズムがある。

 もうひとつ印象に残った一節を最後にあげておこう。第三部の主役はM子という娼婦である。このM子に吉行は惚れなかったし、向こうも惚れなかった。しかし、吉行はM子に興味を持つ。そして馴染みの客となった。M子も吉行を大事にした。遊郭ならではの付き合いが始まったのである。やがて吉行は、このM子が『原色の街』という娼婦を描いた自作の主人公と似ていることに気がつく。モデルではない。想像で描いたはずの人物に、あとで知り合った人間の方が似ていたというのである。で、おもしろいのはその『原色の街』をM子に読ませたときのやり取りだ。

活字になったその作品を、私は彼女に読んでもらった。その反応に私は大きな関心を持った。
「なんだか、とってもユウウツになって、お店を休んで早く寝てしまったわ」
 というのが彼女の読後感だった。私の心にこれ以上に快く媚びる感想はなかった。もしも、お世辞としていったとしたら、彼女はかなり高級な世辞の使い方を心得ていたといわれなくてはならぬ。(180)

 もちろん「高級な世辞」などではないだろう。では何なのか?「正解」は本書のM子の描写を実際に読んで考えてもらうしかないが、それにしても「私の心にこれ以上に快く媚びる感想はなかった」なんてよく言えるよ、すごいな、と思う。やな人だ。

 さて、冒頭の問いについて。
 退屈はたいへん深遠なテーマなのに、なぜか正面からは語りにくい。どうしてか?吉行淳之介を読みながらあらためて思うのは、「退屈」という言葉を口にするとき、どうしてもジェスチャーが伴うということである。「退屈」は口にした途端、「退屈している俺(あたし)」や、「退屈を話題にしている俺(あたし)」を突きつける。「退屈」には語り手や読み手をその磁場に巻き込むような、無害ではすまないような「実践性」(もしくはJ・L・オースティン流に言えば「行為性」)があるのだ。

 それは前回の書評で確認したように、「退屈」を語る哲学者の背後に、どこか「退屈的」な環境が想像されるということとも関係しているだろう。退屈に巻き込まれてしまうことは語る人、書く人にとっては職業病のようなものなのだ。何かを語るとき、私たちは対象と距離をおく。どこかで冷め、冷える。すでに「退屈」の要素が入りこみつつあるのだ。対象を見つめるとき、その出発点からして人はすでに、対象に退屈せざるをえないのかもしれない。少なくとも吉行の「色好み」には、そんなジェスチャーが溢れているように思う。





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2011年10月25日

『兄 小林秀雄との対話 ― 人生について』高見沢潤子(講談社)

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「鉄の胃」

 小林秀雄に「母」がいたのは有名だが、妹がいたとは知らなかった。その妹が、兄秀雄とかわした会話をまとめたという本書を読み始めて、筆者は衝撃を受けた。何しろ、あの小林秀雄がこんなしゃべり方をしているのだ。
「なんの鳥かしら。」
「むくどりじゃないかな。」
「なにを食べてるのかしら。」
「みみずを食べにくるんだよ。」
 わたしはうめの木の巣箱をみた。
「しじゅうから、もう卵をうみにきて?」
「ああ、もう巣立っていったよ。いつも、もう一回ぐらいくるんだが、そのあとにすずめがはいっちまったからね、もうこないだろう。」(一三)
 このやさしい口調は何なのだ。あの小林秀雄が「むくどりじゃないかな」とか「みみずを食べにくるんだよ」なんて、いくら妹相手とはいえ、言うんだろうか。イメージ崩壊である。これはすごい。

 日本の批評界の一角には強固に「小林秀雄語り」の伝統がある。別に小林ファンクラブというわけではなく、肯定もすれば否定もする、疑いもすれば畏れたりもする、でもとにかく小林秀雄について語ることで腕試しをしたり、自分自身の語りの可能性を広げたりということは行われてきた。以前、この欄でもとりあげた橋本治の『小林秀雄の恵み』などは、そんな中でももっとも洗練された試みのひとつだろう。橋本治などという小林秀雄とは対極にあるような書き手に、むずむずと何かを書かせてしまうくらいだから、きっと小林の文章のトンガリぶりには、良くも悪くも読者に「何か言わずには気が済まない」と根源的な批評欲をそそるものがあるのだ。何とかしたい、やっつけたい、と思わせる。たとえ小林秀雄の書いたものに字面的に意味のわからない部分があったにせよ、つまり、論理や意識のレベルで「わかろう」とするのが難しくとも、こちらの無意識の部分に何かが作用しているのかもしれない。

 ところがこの本を読んでいると、まるでそんな「小林秀雄語り」云々が別の惑星で起きている出来事みたいな気がしてくる。いるのは「兄小林秀雄」だけなのだ。(以下、便宜上発話者をこちらで示した。)

(妹)「[非行少年たちには]共通した性格っていうか、特徴っていうものがあるんですって。それは、情緒がないっていうことですって。きれいな花をみても、ぜんぜんきれいだと思わない。」
(兄)「このごろは、勉強、勉強で、知識のことや、頭のことばかりに、みんな夢中になってるだろう。心の問題をすっかりわすれちまってるからね。そういう情緒のない、不良少年が多くなるんだ。人間には、心とか情緒というものがどんなにたいせつか、ということがわからないんだな。学問だけすすんで、知識がどんなにひろまっても、それで社会はよくなりゃしない。いくら学問をしたって、人間は、それだけじゃだめなんだ。」(一九)
(妹)「恋愛によって、人間は成長もするし、りこうにもなる。」
(兄)「そうだね。恋愛によって、自己が発見できるからね。自分というものがわかってくるし、ふだんねむっている理知が、恋愛によってめざめてくるよ。だから、恋人たちが才能がある、なんていわれるんだ。」(四一)
  これ、ほんとに小林秀雄が言ったんですか?と問いたくなる。しかし、「むくどり」や「みみず」から「非行少年」や「恋愛」へと話題が進み、さらに小林のいわば得意分野の話になってくると、「ひょっとするとほんとに言ったかも知れない」という気もしてくる。たとえば「美」の話題。
(妹)「どういうふうにしたら[美しいものを感じる能力を]養い育てることができるの」
(兄)「しじゅう、怠ることなく、りっぱな芸術を見つづけることだな。そして感じるということを学ぶんだ。りっぱな芸術は、正しく、豊かに感じることを、いつでも教えている。まず無条件に感動することだ。ゴッホの絵だとか、モーツァルトの音楽に、理屈なしにね。頭で考えないで、ごく素直に感動するんだ。その芸術から受ける、なんともいいようのない、どう表現していいかわからないものを感じ、感動する。そして沈黙する。この沈黙に耐えるには、その作品に対する強い愛情がなくちゃいけない。」(五六)
 あ、これくらいなら小林秀雄がほんとに言いそうだな、と思える。おそらく「芸術」についてのこういう言い方が日本の教育をダメにしてきたし、これからも害悪をまき続けるだろうなと筆者は確信しているが、その一方で――何とも困ったことなのだが――このような発言をしているときの小林秀雄はもっとも信用できるのだ。ほんとのことを言ってるな、と思わせる。実に魅力的なのである。

 果たして、この本に出てくる小林秀雄はどれくらい本物なのだろう?単行本は1968年刊というから、本人もまだまだ存命。いや、それどころか1902年生まれの小林はまだ66歳で『ドストエフスキー』を刊行してまもなくである。『本居宣長』の出版まではまだ五年以上あるという時期だ。本人はこの本を手にとって、いったいどんな反応をしたのだろう。本書にはこの企画を話すと兄に「いやだ」と言われたと書いてある。しかし、そこで「いやだ」という小林秀雄も何だかいつもと様子が違う。

「むずかしいことがらを、やさしくするのは、それこそ、いちばんむずかしいことなんだぜ。むずかしいというより、不可能といったほうがいい。いいなおせないんだ。もとの意味とちがってくるからな。それより、むずかしいと思ったら、もっとよく読むことだ。おれのものを全部、じっくり読みなおすんだな。それからだね。書くのは」(224)

 う~ん。なんかいつもとちがってやさしいなあ、と思う。とはいえ、兄が「いやだ」と言っていたのは間違いない。著者の高見沢潤子がすごいのは、そんなふうに「いやだ」「いやだ」と言っている兄の存在をすぐそばに感じながらも、驚くほどのマイペースぶりで小林秀雄を消化してしまう、鉄の胃めいた吸収力を持っているところである。

 本書の根本にあるのは、若い人に兄の思想をわかりやすく伝えたい、という願いである。この目的のために妹は、兄の持っていた自意識や構えなどというものを「こんなものいらないでしょう?」とばかりにあっさり捨ていくのである。その結果、「非行少年」や「恋愛」についての小林秀雄の発言などは無残なほど〝ふつう〟に見えるかもしれない。しかし、そんな気の抜けた風景の中から、妹の屈強な「鉄の胃」の消化力に負けずに、ごちごちしたかたまりのまま出てくるものもやはりある。とりわけ目につくのが、「書く」というテーマである。

(妹)「にいさんのいうことをきいていると、文学者は、頭で、あれこれと考えているより、正確なことばを選ぶほうがだいじだっていうようにきこえるわ。」
(兄)「そりゃ考えることは、まただいじさ。ただ文学者にとっては、考えることと、書くことが区別できないんだよ。まず書くっていうことは、まず考えるっていうことなんだ。とにかく、書いてみなけりゃ、なんにもわからないから書くんだよ。創造というものは、わかってるものをつくるんじゃない。わからないものをつくるからこそ、創造っていうことになるんだろう。創作だって、わからないものを、書くからこそ、創作といえるんだよ。」(八九)

そこがわからない、と高見沢潤子は思う。そして、そこがわからないからこそ、ここまで徹底的に強面の小林秀雄像を粉砕して消化吸収しえたのであり、それだけでもたいした功績だが、著者の本領はそこからのねばりにもある。

「にいさん、考えることと、書くこととは、ぜんぜん別なことでしょう。」
「そりゃ、別だよ。」
「それが、考えることと、書くことは、区別ができないって、このまえいったでしょう。それがよくわらかないのよ。」
「だから、文学者は、っていったろう。文学者は、その考えが浅ければ、浅いことしか書けないっていうことだよ。〝文章ではうまく現わせないけれども、考えていることはもっと深刻なものがあるんです〟なんていうのはうそだ。正直なもので、文章には、その人が考えていることだけしかあらわれないもんだよ。」(一三三)
 どこかかみ合っていないような会話と見えなくもないのだが、そうでもない。たとえば注意するといいのは、やり取りの多くが兄の発言で終わっているということである。妹は「あ、そうなの!な~るほどね♪」などという愚かな発言で会話を終わらせたりはしない。とにかく兄が言って終わる。そこからは、わかろうとわかるまいと、兄の言葉がずぶっと妹の心に沈み込んでくる様子がよく伝わってくるのだ。

 ただ、そんな一方通行的で専制的なやり取りを通して、妹はしぶとく兄の何かを生け捕りにしてもいく。わかる部分は容赦ないナイーブさで理解し、わからない部分はボトッとそのまま投げ出しても、それでも妹がしっかりとらえた部分がある。本書の最後のセクションにあたる第四部は伝記のような書かれ方をしているのだが、情報量がそれほど多いわけでもないのになかなか読みごたえがあって、母を捨てた小林、女に苦労した小林、生活力があるとは思えなかった小林、そして何と言っても「書く人」として小林の像があざやかに立ち上がってくる。とにかく書くことが彼を生かしていたのである。

 以下にあげるようなちょっとした一節からもそれは十分伝わってくる。文芸評論家・佐古純一郎の「書く人はみな苦しいからしようがないんですよ。小林先生の苦しみぶりは、まったくひどいですよ。わたしは、どこかの旅館で、小林先生が仕事をしていらっしゃるところをみましたがね。へやの中を四つんばいになって、はいまわっていましたよ。」という発言をうけて、著者は考える。

その苦しみは、できることなら自分の肉親には味わわせたくないと兄は思う。だからひとり娘のはる子のことを、
「あの子が文学をやりたい、なんていいださなくてよかったよ。」
と、かつて兄はいった。それはほんとうにしみじみした口調であった。そんなに苦しんで仕事をしているのだから、わたしは、兄のところにいっても、昼間はけっして書斎には顔を出さない。
 昼間仕事をした兄は、夜は絶対に仕事をしない。夕方ふろにはいり、夕食をたのしみながら長い時間をかけて食べ、もう一度入浴して、いちばん先に寝てしまう。だから、わたしが兄とゆっくり話しあえる時間は、夕食のときだけだといっていい。そのときはほんとにたのしい。(二〇七)

 「昼間仕事をした兄は、夜は絶対に仕事をしない」というのは、壮絶だなと思う。昼も夜もできてしまう仕事など、たいしたものではないのだ。これだけでも、もう一度小林秀雄を覗いてみようかなと言う気にさせる一節である。


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2011年09月22日

『平成猿蟹合戦図』吉田修一(朝日新聞出版)

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「歌舞伎町の羊飼い」

 昨秋、仕事で九州を訪れたとき、ちょうど映画『悪人』の上映が始まった頃で、福岡で会う人の話題はもっぱら「『悪人』観た?」だった。原作は吉田修一の同名小説で、映画の脚本も吉田が担当している。この作家が長崎の出身でしばしば九州の素材を使うことは知られているが、このときの「『悪人』観た?」系の会話で主に話題にのぼったのは『悪人』の方言のことだった。

 九州の人曰く。「小説『悪人』の方言は完璧。福岡弁はもちろん、佐賀弁も長崎弁も久留米弁も正確に書き分けられている。あっぱれ。でも映画『悪人』の方言はイントネーションがちょっと違うんだよねえ……」。どうなんでしょう。筆者にはそのあたりの「ちょっと違うんだよねえ」を検分する能力はないが、今回の『平成猿蟹合戦図』でも方言が重要なのはまちがいない。

 小説の中心的な舞台となるのは新宿歌舞伎町。しかし、そこで展開される活劇のメインキャストは九州、大阪、秋田などを出身地とする人物たちで、彼らがまるで自分の出身地をマーカーで示すかのように方言による内的独白を行うことがこの作品のエネルギー源となっている。いわゆる〝地方パワー〟である。いやPC違反を承知で言えば〝田舎パワー〟。

 『悪人』では方言に由来する「田舎感覚」のようなものが、たとえば九州内での「都会vs田舎」の構図をあぶり出したりしつつも、作品全体としてみると、長大な音楽のような情感を生み出していた。あれだけ単純なストーリーで、あんなに早く犯人がわかってしまうミステリーなのに、読者に「どうしてもこの物語を最後まで看取りたい、途中でやめたくない」と思わせたのは、音楽にも比せられる麻薬のような情念の力であった。その情念が作品の持続力を生み出していた。

 では、今回のものはどうか。冒頭に描かれるのは、長崎は五島福江島から、姿をくらました夫を追って東京に出てきたホステス真島美月。その子連れの美月が歌舞伎町の雑居ビルのエアコン室外機の前でしゃがみこんでいるという場面から小説ははじまる。なかなかインパクトの強い出だしなのだが、そこには悲壮感はない。やがて出てくるのも〝いい人〟ばかりで、読者に対してにこやかに微笑みかけるかと思えるほど、根本のところでお行儀がいい。そういう意味では『平成猿蟹合戦図』はタイトルの通り、安心感に満ちたコメディ色全開の作品なのである。こんなゆるい雰囲気を設定してしまって、この先どうやって500頁分ものストーリーを展開させるのだろうと心配になるのだが、実は読みどころはまさにそこにある。

 ゆるゆるのコメディから出発した物語が徐々に、しかし確実にギアアップされていく。そのあたり、吉田修一の腕前はいつもながら見事だ。まずは痴漢で逮捕された高校教師・奥野宏司の登場。そして、そう間を置かずに奥野の実弟である著名なチェロ奏者・湊圭司が出てくる。いきなり壮絶な映像が湊の脳裏をよぎる。

湊の全身に蘇っていたのは、榎本陽介を轢いた瞬間の感触だった。
フロントガラスのかなり先に、通りを渡る酔った榎本の姿が見えた時の、握りしめていたハンドルの感触、踏み込んだアクセルの感触、がくんとシートに背中が張りついた感触、そしてこれまでの思いが塊となって飛び出そうとでもするような全身の破裂感。
すべてが終わるまで、一切の音がなかった。フロントガラスの向こう、あっという間に近づいてきた榎本陽介の顔は、ヘッドライトに照らされ、間が抜けたようにぽかんとしていた。(98)
 それまで新宿歌舞伎町が舞台なのに、やけに淡い牧歌性につつまれていた小説世界の顔色がここで一変する。

 そのまま走り去ろうとした時、なぜか無意識に足がブレーキを踏んでいた。今、思い返してみると、自分がやってしまったことを後悔したからではなく、自分が轢いた榎本の顔をこの目で見てやろうという残忍な気持ちからだった。確認してまだ息をしているようであれば、車をバックさせ、その瀕死の榎本をもう一度轢くつもりだったのだ。(98)
 うん、これぞ歌舞伎町の物語だ。「自分が轢いた榎本の顔をこの目で見てやろうという残忍な気持ち」などというと、あの『悪人』の世界を思い起こさせる。にわかに情念の気配が漂ってくる。

 しかし、小説はそのまま情念とバイオレンスの世界に突入してしまうわけではない。今、引用したのは物語の核心をなす出来事だが、吉田は一方でこうした暗い暴力の世界を見やりつつも、他方では淡く牧歌的世界を維持し続ける。そこで鍵になるのは、人間関係の転覆である。AさんとBさんが本来もっていた上下関係が、ある時点を境に逆転したり、無関係なはずのCさんとDさんがひょいとつながったり。吉田修一はほとんど魔術的な手際で、ごく自然にそうした関係の転換を行ってみせるのである。

 その最たる例は暗い過去をかかえた奥野兄弟が、美月とその夫である朋生との住む歌舞伎町の水商売の世界とかかわりを持つ顛末である。あれよあれよという間に、湊圭司、園夕子、真島朋生、浜本純平といった人物たちの間に妙な連帯が生まれ、その結果、純平という牧歌性そのもののような男の政界入りの話が持ち上がることになる。古代ギリシャの世界であれば間違いなく羊飼いをしていたであろうこのやや間の抜けたイケメン・ホストは、およそ文学性とは無縁のただの尻軽男に見えるのだが、作家はこの男を立派に猿蟹合戦の主役に仕立て上げてしまうのである。

 たいしたバランス感覚である。それもこれも吉田が〝弱い人〟を描くことをこの上なく愛するためだと思う。クールなスーパースターよりも、へらへらしたダメンズを描く。『平成猿蟹合戦図』に描かれる歌舞伎町の人たちはやさしい〝いい人〟ばかりで、そんなふつうさにあふれた微温的な小説は退屈なものになりがちだが、彼らは立派に物語を担う。それは彼らの弱さに物語の芽がひそんでいるからである。この弱さは、「ど田舎」と蔑まれがちな、スタバもデパートもないシャッター商店街ばかりの活気のない地方都市の弱さと地続きなのである。そういう「田舎」を背負っているところにこそ、彼らの物語がある。つまり作家が目指すのは、歌舞伎町を起点としつつも「田舎」から聞こえてくる現代の牧歌を聴き取るということなのだ。

 この小説のもっともメッセージ性の強い発言は、浜本純平の選挙マネジャーを買って出た園夕子のものである。物語の陰の主役と言っていい人物だ。

「私、思うんです。人を騙す人間にも、その人間なりの理屈があるんだろうって。だから平気で人を騙せるんだろうって。結局、人を騙せる人間は自分のことを正しいと思える人間なんです。逆に騙される方は、自分が本当に正しいのかといつも疑うことができる人間なんです。本来ならそっちの方が人として正しいと思うんです。でも、自分のことを疑う人間を、今の世の中は簡単に見捨てます。すぐに足を掬(すく)われるんです。正しいと言い張る者だけが正しいんだと勘違いしてるんです」(480)
 エンターテイメント色の全面に出たこの活劇作品の最後で、こんなに無防備で純粋なセリフを重要人物に言わせてしまうあたりに、吉田修一のやさしさと、〝弱さ〟への賛歌が表現されていると言えるだろう。

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2011年07月19日

『sketches』荒木時彦(書肆山田)

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「情緒不安定と詩」

 このところ、ちょっとした詩のブームのようだ。一部の詩集は書店のいわゆる「陽の当たる場所」におかれるようになった。今まで何とも思わなかったものが、何かのきっかけで急にひりひりと感じられるということはたしかにある。こちらが情緒不安定になると、急にある種の言葉がおいしく感じられるのだ。

 詩の言葉で、情緒は昂進する。詩で、情緒的になりたい欲のようなものが満たされる。でも、そうした「情緒」や「不安定」は詩が読まれる前から用意されてあったものなのかもしれない。それでいいのかなあ、何か違わないかなあ、という気もする。

 そんなことを考えているときに、おもしろい詩集に出会った。荒木時彦『sketches』である。書店では依然として「陽の当たらない場所」にひっそりと置いてあった。一頁にひとつの断章という体裁で、10文字にも足りないごく短いものから、原稿用紙一枚分くらいのものまで。ぱらぱらとめくり始めて、いきなり「むむ」と思った。  

パンとシチューを食べられるのは、私が布を織ることができるからだ。
私が布を織ることができなければ、雨水だけが与えられるだろう。(8)

「雨水だけが与えられるだろう」という言い方に引っかかった。どうして急にこんなことを言うのだろう。でも、そういう人らしいのだ。急に陰影のあることを言う人なのだ。この「布を織る人」にはかつて「夫」もいたらしい。でも、今はその夫の「顔を忘れてしまった」という。

 読み進めていくと、すべての言葉をこの「布を織る人」が語っているのかどうかがよくわからなくなってくる。それは言葉が徐々に「私」を越えていくためかもしれない。

人は私となる。幼い頃から育まれた私は、変わることがない。変わることができない。しかし、ある瞬間、たとえば風船が割れる音一つで、私がまったく違ったものとなることがある。(12)

「私」があえて「」なしで語られている。瞑想詩のような、哲学詩のような風情だが、この「」の省略は、哲学してしまわないでこちら側に踏みとどまっている証拠だ。だから、そういうものにありがちな、もう読むのをやめてしまいたくなるようなひとりよがりの青臭さもないし、頓狂さをまとった引き際も見事だ。こういうことができる詩はいいなあ、と思う。こういう「私」との付き合いはなかなかできないものだ。

ある日、私は熱病に侵された。医者に来てもらったが、二週間ほど熱はひかず、口にしたものといえば、重湯くらいのものだった。私は眼が見えなくなった。最初は隣人がたまにやってきて面倒を見てくれたが、やがて来なくなった。長年住み慣れた家だ。部屋の作りはわかっている。私はまず、どこに何を置くかを決めた。やかんといくつかの食器をキッチンに。ぶどう酒の瓶をテーブルの隅に。服をかごの中に。それで十分だった。私の部屋は整然としている。もし眼が見えていたら、部屋をこんなに整然と片付けようなんて考えもしなかっただろう。(14)
町へ出て、友人とカフェでお茶を飲んだ。のどの腫れがひかないらしい。私も、右の足首の痛みがひかない。友人も私も、もう死んでもおかしくない歳だろう。でも、そんなことは友人と話すことではない。(20)

 ひとしきり語ってぷいっと横を向くというパタンだが、自己憐憫にひたるのではなく、きちんとフィニッシュが決まっている。「だろう」「らしい」「ではない」といった語尾が非常に効いている。そのせいか、どこか「偉そう」には聞こえる。まるで預言者のように。そういえば「隣人」とか「人」とか、あるいは「パン」とか「ぶどう酒」とか「ヤギ」とか、中近東風で聖書風の語彙が散りばめられている。しかし、考えてみると、預言者が偉そうなのはその言葉が不安を鎮めるためのものだからだ。この詩集の語尾の妙な屈強さが語るのも、おそらくは不安のテーマである。不安の中から、それでもなお湧きだしてくる言葉が主人公なのだ。ときに急に、

ジャンヌ・ダルクの窓に、森が殺到する。(38)

というような1行があったりして神秘的な飄逸さも演出されるが、全体を通して見ると泥にまみれた中から言葉がニョキニョキ生えだしてくるかのような、しぶとい力が伝わってくる。

 詩集には「布を織る人」だけでなく、「釣りをする人」も出てくる。「釣りをする人」には妻がいたらしいのだが、逃げられたという。この人には「布を織る人」とは微妙に違う達観の風情が感じられる。

湖で魚釣りをしている。ちょうど昼時で、もってきたサンドイッチを食べている。ハムとオリーブをはさんだだけの簡素なものだ。この場所は、一日いれば五、六匹は釣れる場所だ。まだ一匹も釣れていないが、昼から多分何匹か釣れるだろう。(27)

 「まだ一匹も釣れていないが、昼から多分何匹か釣れるだろう」というとどめ方が絶妙で(「絶妙すぎてよくわからない!」という人もいると思うが)、それが直後に次のような瞑想を呼びこむことにもなる。

疑うということは、それが是か否かについて迷うということだ。人はそれを確かめた時点で納得する。もし確かめられなければ、そのうち忘れてしまうこともあるであろう。しかし、疑い続けるということは可能である。一生をかけて。自分の生の是非について。(28)
人を忘れることも、人から忘れられることも、同じ気持ちにさせる。(29)
 こうしてだんだんと、この詩集独自のルールが際立ってくる。このやり方でしか行うことのできない語りがあるのだ。瞑想も、きっとこういう形でしか行えないのだ。このような唐突で、やけに局所的で、呆気ない言葉でしか思考できない内容がたしかにある。しかもその背後には「まだ一匹も釣れていないが、昼から多分何匹か釣れるだろう」という「気分」もある。おもしろいのは、瞑想がやがてこの「気分」に戻ってくることだ。次のように。
朝から湖にきて魚を釣っているが、もう夕方だというのに一匹も釣れない。そろそろ帰ることにしよう。今日の晩飯は、パンにチーズ、そしてぶどう酒だ。(30)
 この力強い肯定感は何なのだろう。どうしてこんなに前向きになれるのか。でも読んでいると、こちらまで静かに幸福になったかのような気がしてくる。この詩集には疑いや呪いの言葉もあるし、全体にわたってどこまでも沈んでいくような引きこむような死の気配もあるのだが、最後の一連の断章にたどり着くと、この詩集を読んだのは実に運が良かったと思わせてくれる。詩集はこんなふうに終わる。
日に一度祈る。娘夫婦と孫の健康を願う。私はもう歳だ。いつ死んでもおかしくない私自身のために祈ることはない。(39)
私は友人のために何ができるだろう。友人は私のために何ができるだろう。私の痛みを友人が担うことはできない。友人の痛みを私が担うこともできない。(40)
今日は特別な日だ。私が生まれた日だ。少し前まで特に何も思わなかった。ここ数年、来年もまたこの日を迎えることができるのだろうかと思うようになった。今日は良い日だ。酒は飲むなと医者から言われているが、今日くらいは、ぶどう酒を飲もう。(41)
誰が誰なのかついに整理できないのに、どの言葉もすっと身体にはいってくるのだ。こんなふうに騙してくれる詩集にはそう巡り合えるものではない。




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2011年04月18日

『安部公房伝』安部ねり(新潮社)

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「通路の堀り方」

 母方からの遺伝だと思うが、筆者は小さい頃から算数が苦手であった。現在、ある学会の事務局で働いており、この時期になると予算だの決算だので「租税公課支出」とか「他会計振替収入」とか「前期繰越収支差額」といった神秘的な言葉のならんだ表にどんどん数字を入れていかなくてはならないのだが――大きい声では言えないが――ゼロの数をひとつふたつ間違えるということがよくある。エクセルの欄に変な数字を入れてしまい、ファイルの方が「ぎゃっ!」というような表示を出すこともある。

 そんなわけなので、かつて安部公房の小説をはじめて読んだときには、何となくその「数学のにおい」に違和感をおぼえて今ひとつ熱中できなかったおぼえがある。筆者くらいの世代だと、若い頃はまだまだこの作家の名前は有効で、大学の同級生でも「好きな作家は?」と聞かれて(そもそもこの質問自体、今では無効だろうが)、「夏目漱石」や「村上春樹」にまじって「安部公房」をあげる人がいたものである。数学の「す」の字も感じさせない作家が多い中にあって、公房の雰囲気は明らかに異質で、それだけにいったん好きになった人は、中毒のようになって読んでいた。

 本書『安部公房伝』によれば、若き安部公房は旧制成城中学時代からほんとに数学の達人として知られていたようである。本人も「小説家にならなければ数学者になっていた」(42)と言っていたとのこと。まるで若島正のようだ。
 
 とはいえ安部公房の独特さは「数学のにおい」で説明すればいいというものでもない。たしかに彼は数学が得意だったようだが、彼のほんとうの特質は別のところにある。本書を読んでいてもっとも印象的だったのは、公房が23歳のときに出したはじめての「作品」をめぐるエピソードだ。公房の最初の「作品」は、『無名詩集』というタイトルの詩集だった。書きためた詩に、新婚の妻に向けた「リンゴの実」という作品を合わせたものである。公房はこの詩集をガリ版で刷ってホチキスでとめ、五十円で売り出した。しかし、さっぱり売れない。出身地の北海道まで行商に行ったが、まるきりだめだった。1947(昭和22)年のことである。

 行商までして詩集を売ってまわろうとする精神そのものに、どこか呆気にとられるような迫力を筆者はおぼえる。だって、詩集なんて(ましてや処女詩集なんて!)穴があったら埋めたいくらい恥ずかしいものではないか? 恐るべき図々しさ。しかし、おもしろいのは公房が、この失敗をたいへん屈辱的なものとして生涯忘れることがなかったということである。そしてこの経験は後々の文業にも生かされた。それを裏づけるコメントを作家の実の娘である著者はよく覚えている。

 『無名詩集』が売れなかったことは、自己の内心を吐露する詩という表現手段を選択したことに対する自己嫌悪のようなものをもたらしたのではないかと私には思われる。文学を他者との通路と考えていた公房はのちに、「通路の掘り進め方にはコツがある。自分の方から掘ってもだめなんだ。相手の方から掘り進めないと」と言っていたが、それは若い頃身につけた商売のコツでもあったろうし、思ったようには売れなかった『無名詩集』を売り歩きながら身にしみたことでもあったのだろう。(82)

「通路の掘り進め方にはコツがある」などという境地にはなかなか達することができるものではない。おそらく公房には作家としての、あるいは人間としての、天性の運動神経の良さのようなものが備わっていたのだろう。もちろんどんな作家でも「自分の方から掘ってもだめなんだ」くらいの境地には到達できる。しかし、日本の文壇が長らく「自分の方から掘る」という不器用さをよしとしてきたのも事実だ。だから、そこに居着いてしまう人も多い。しかし、「掘ってもだめなんだ」と壁にぶつかりながらも、公房のようなたくましさでその壁を超えることのできる人はそういなかった。そこに垣間見えるのは、共産軍と国民軍とが入れ替わり攻めてくる敗戦後の奉天で、砂糖の配合を実験しながらついに絶妙な味のサイダーを売り出し大儲けしたなどという、たくましい青年の姿である。しかも、この成功に気をよくして「固形サイダー」まで売り出しさっぱり売れなかったなどというオチがあるのも、いかにも公房的だ。

『安部公房伝』の筆致はけっして熱狂的でも感傷的でもなく、どちらかというと淡泊でさえあるのだが、強い物語性に流されていない分、脇役たちがひょいと顔を出して面白い味を出す余地がけっこうある。公房の父の浅吉はその中でもとりわけおもしろい存在である。浅吉は北海道の開拓地で内科医を開業していたが、薬がなくなると休診にしてリュックを背負い、鉄道に乗って山の方に行って薬草を採ってきたそうである。公房は結局医者の道には進まなかったが、浅吉の残したエピソードは、「そうであったかもしれない公房」の姿を想像させるのに十分だ。その他にも、公房が奉天の小学校で教わった「宮武先生」とか、親友の「金山時夫」など忘れられない脇役は多数。

 人だけではない。物もおもしろい。ワープロやカメラから、シンセサイザー、あやしげな創作物など安部公房の書斎には「男の子」的なおもちゃがたっぷりだったという。この作家は物をこよなく愛したらしい。その発明好きもよく知られていて、簡易式のチェーン「チェニジー」などは発明の賞までもらっている。また発明の一環なのかもしれないが、カーキチでヨーロッパからの輸入車を運転することの多かった公房は、左ハンドルで車の料金所を通過する際、通行券を反対側の助手席から手渡すのが面倒くさくて、車の中にマジックハンドを常備していた。晩年、箱根で一人暮らしをしていた父が死んだ後、車にぽつんと残されたマジックハンドを見て、娘は「用をなしたのか疑問」といぶかる。

 あらためて読み返してみても、安部公房の作品には叩いても焼いても死に絶えそうにないしぶとい文体の力がみなぎっている。その根底にあるのはいたずらに獰猛な生命力などではなく、「自分の方から掘ってもだめなんだ。相手の方から掘り進めないと」という、文学者と科学者と商売人とが同居したようなクールな持続力かと思う。その文体を模倣しようなどとはしない文章で書かれた伝記から、作家の生命の力を思い起こすのはなかなか楽しい。


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2011年04月01日

『ビリジアン』柴崎友香(毎日新聞社)

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「口の中がざらざらする小説」

 夕陽と川べりと工場街を背景にした静かな世界である。だが、癒し系とも違う。セピア色の〝昭和〟な感傷にひたりたくなるが、それも違う。どこかピリピリしたものがある。
 『ビリジアン』は掌編を20ほど連ねて、小学校から中学、高校へと至る思春期女子の姿を、ときに時間軸を前後しながら描き出した作品である。場面は学校の教室や登下校が中心で、いかにも何もなさそうな世界ばかり。実際たいしたことは起きないのだが、読んでいると何か落ち着かない。

 たとえば冒頭の「黄色の日」はタイトルの通り、空の色が黄色くなった日のことを書いている。

「今日はえらい黄色いですなあ」
「ほんまですねえ」
二人とも立ち止まらないまま同じようにまた上を向いた。西山先生のうしろの子どもたちはまだ子どもでよくわかっていないのか、ふつうの日と変わらずに隣の子としゃべったり前の子を蹴ったりしていた。男の先生が、離れていく西山先生の背中へ向かって言った。
「どないしたんでしょうねえ」
「天変地異ちゃいますか? こわ」
そういうことを言うから、わたしは西山先生が好きだった。西山先生は彼女の新しい子どもたちを連れて、講堂へ入っていった。(19)

ほのぼのしていて、ここだけ取り出すと典型的な微温小説のように読めるかもしれないが、どういう作用か、通して読んでくるとこちらはじわじわと不安感のようなものに苛まれている。登場人物たちがやけにのんびり前向きでふつうなのが、よけい気になる。

 冒頭部はこんな具合である。

朝は普通の曇りの日で、白い日ではあったけれど、黄色の日になるとは誰も知らなかった。テレビもなにも言ってなかった。(10)

 語り手は繰り返し「黄色」のことに触れるのである。「黄色い」という言葉そのものが、小説の中に混入した慢性病のようにも感じられてくる。

三時間目には、黄色くなり始めていた。最初、豪雨の前ぶれのときのように、昼間なのに夕方みたいという感触を持ったけれど、すぐに違うと気づいた。だって、黄色すぎるから。きっとみんな、そう思ったと思う。(14)

黄色は未来についての漠然とした不安のようなものにもつながっているのかもしれない。でも、誰もそれをはっきり言葉にしない。語り手も含めて。かわりに読者が先走って心配してしまう。

「消しゴム、半分ちょうだい」
わたしが言うと、中川は机から薄いプラスチックの定規を出し、消しゴムを切り始めた。その手も消しゴムも地図帳もノートも机も、全部ぼんやりと黄色っぽい光に覆われていた。
「なんか黄色くない?」
「だいぶ黄色い」
中川は、窓を見上げた。わたしも空を見た。薄暗くどこまでも雲に覆われた空は、黄色かった。(16)

こういう部分をへてさっきの「ほのぼのした」会話に至るのだが、その頃にはこちらはほのぼのしただけではすまない気分になっている。

 これはいったいどういう「気分」だろう。
 『ビリジアン』の表層はごく日常的である。主人公はいかにも主人公らしく、いたずらだったり、おてんばだったり、呑気だったり。感覚も鋭敏で周りもよく見ているし、よく反応するし、電車の中で変な伝道者に絡まれたりして、言ってみればいかにも主人公にふさわしい人物である。

 ところが、一見静かでおとなしい語り口が、実はあまりに静かすぎて「どこか変だぞ」という気持ちを呼び起こす。心ここにあらずとでもいうような、情緒の一部が冷えきってしまったような視線である。そのせいでかえって、見ているはずのものについて、まるで見えていないような気分にさせる。どこか無機的なのである。実際、この連作集には砂や石のイメージがあふれている。終わり近くの「船」という一篇には次のような箇所がある。

 堤防の外の場所は全体に光が当たっていて、そこにあるものがどれも同じ物質に見えた。堤防沿いに歩いた。巨大なタイヤのトラックがわたしを追い越した。砂が熱風で舞い上がって、口の中がざらざらした。皮膚の上で汗と混ざった。(238)

 このような「口の中がざらざら」する感触はまさに典型的だが、さらに言うと砂や石や水のイメージの背後にあって一番重要なのが、「どれも同じ物質に見えた」という感覚でもある。ほのぼのとした思春期小説の仮面をかぶっていながら、『ビリジアン』には事故や病気や死や暴力のことがちょくちょく出てくる。怖ろしい大地震や天変地異もちらっと言及される。しかし、決してテーマとはならず、それらをめぐって深く考えたり、思い出したり、思考したりということもない。あくまでちらっとのぞくだけ。そんな意味ありげなものなのにちらっとしかのぞかないのは、たぶん、小説の世界が「どれも同じ物質に見えた」という目でつくられているからだと思う。

 中学校の廊下は石だった。濃い灰色に白い粒状のものが混じっていた。表面は光っていた。よく滑った。階段も石だった。段も、手すりも、硬くて縁は角張っていた。だからぶつかって頭を打つやつがいた。目の前で二年生の男子が血を流していた。流していたというよりは、噴き上がっていた。短い間だったけど。(160)

 暴力は終始このぐらいの距離感で描かれる。「たいへんだ!」という感じはない。主人公が爆竹を破裂させて顔に火の破片があたっても(「火花2」)、いじめにあって殴られ血を流しても(「赤」)、バイク事故で切断寸前になった指のことが語られても(「白い日」)、どれもあの冒頭の「黄色の日」と同じように、「なんか黄色くない?」という程度の温度で受け取られる。こういう〝微温性〟はなかなか独特だ。何よりこの微温をずっと維持するのはけっこう難しい。おそらく秘密は〝ブレンド〟にある。イメージとイメージの配合のバランスのおかげで、どんな情緒も突出しない。話が特定の方向に盛り上がったりもしない。どうやら、人が何かを強く思ったりしないようになっている。

いきなり背中を跳び蹴りされて、駐車場に転がった。灰色のコンクリートが目の前に迫ったとき、灰色の表面の刷毛の跡まで鮮明に見えた。擦り剥いた手を蹴られた。起きあがりかけたら、昼間と同じところを殴られた。二度目を避けようとして、頭を殴られて、また背中を蹴られた。小石の刺さった膝と手が痛んだ。手首と肘に血が滲んでいた。血が出なければいいのに、と思っていた。なんの役にも立たないのだから。吉本さんたちは、またティッシュをくれた。そして、やめたりいや、なんでそんなんすんのよ、なども言ってくれた。(「赤」156)

 登場人物たちはそれなりに状況を一生懸命生きているようだが、この暴力シーンに際しての「やめたりいや、なんでそんなんすんのよ」なんていうセリフの間延びした感じは何なのだろう。

 こういう世界に入り込んで、私たちは「どこか変だぞ」と思うわけである。ふつうなら、病気だの死だの暴力だのとなると、「すわっ、小説のはじまり!」といきりたつのが読者というものだが、そうなるかわりに、マイナスのシグナルはちら出しで終わる。私たちはこのようなマイナスの要素に、今そこにある生々しいものとして遭遇するのではない。あくまで気配として感じるだけなのである。

 描出されているのは予感そのものかもしれない。未知に対する漠然とした敏感さと言ってもいい。今ある世界が、まるで未知のもののように見えている。だから予感は決して明確な形をなすことはなく、静かでおだやかな世界の中に混じりこんでいる。思春期小説なのだが、思春期のステレオタイプな明るさや元気さや感傷性は抑制され、「気分がよかった」とか「好きだった」といった感慨さえも、ぴりっとした緊張感やじわっと染み出すような不安とブレンドされている。イメージそのものはこの作家が他の作品でも用いてきたものだが、醸し出される気分がちょっと違うように思った。ずっと前に読んだ山本昌代の作品を思い出したりもした。


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2011年03月18日

『小説家』勝目梓(講談社)

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「なぜ、彼は小説家になれなかったのか」

 こういうときこそ、本を読みたい。
 本書はエンタテイメント作家として知られる勝目梓が、いわば素顔に戻って書いた自伝である。今さらなぜ自伝なのか、その必然性が読み進めるほどに明らかになってくる。途中の語り口は決してなめらかではなく、ときにはむしろガチガチと言えるほどだ。
妻以外の女に心を向けている者の心が苦衷で染められるとき、そこに生み出されてくるのは、自己正当化によるぶざまな心の糜爛だということを、彼は自覚していた。彼は、図太く乾いた心根をもってその事態の中を押し通っていくしかない、と己に言い聞かせつづけなければならなかった。(184)
これはかなり極端な例だが、この凝固したような罪悪感や言葉の滞り、内省的なようでいて実は内省こそをこばんでいる頑なさなど、すべて作品の底流に流れつづけるトーンの一部を成している。それが薄められたり、溶解したり、ふっとやわらかい描写の中に解消されたりしながらも、この作家の自意識はいつもこの硬い部分に帰って行くように思える。読んでいくうちにこちらも、この訥弁といってもいいスタイルが病みつきになる。

 この妙な魅力は、この作品のモチーフとも関係している。『小説家』とのタイトルがついた本書だが、その根にあるのは「なぜ、自分は小説家たりえなかったのか」という煩悶なのである。

 前半ではこの問いはそれほど明瞭には語られない。出だしはとにかくこちらを引きこむ。この本を手に取った人は、おそらく最初の「石の夢」という圧倒的な章を読んだだけで、読みやめることができなくなってしまうだろう。幼少期の父の思い出から壮絶な炭坑内の描写へと進むこの30頁足らずの冒頭部には、勝目の作家としての描写の技術がふんだんに注ぎこまれ、戦慄だけでなく、哀感や畏怖のまじった複雑な情感を醸し出す。三部構成になった本書の第一部は、こうして高校を中退して炭坑に働き口を見つけた青年の、初恋や、娼婦との交流や、友人の情死などをまじえた「青春の記録」という趣きになっている。

 ところが第一部の終わりあたりで、人生の重大局面であるべき場面に自分の記憶がいちいち不確かであることにあらためてあきれながら、語り手がこんな述懐をもらす箇所がある。

それは自分が物事を深く考えようとはせずに、その場その場の成り行きに身を任せて、風に吹かれ、水に漂うようにして生きていたせいではないか、と思えてもくる。(149)
 ここでふと漏らされたような感慨が、次第に頻繁に語りに出てくることになる。語り手は労働組合の新聞編集の経験を通して文章を書く楽しみを知り、鹿児島の実家に戻って養鶏場をやるようになっても、とにかく文章が書きたくて小説を書くという作業をつづけるのだが、そこでも〝深く考えようとはしない自分〟が意識されることになる。
彼は書こうとするものについて深く考えることをしなかった。考えることが苦手だった。考えを深めたりひろげたりするための手がかりとなるべき知識や教養の持ち合わせがなかった。抽象的な思考を積み重ねていく訓練を、彼はしていなかった。書きたいと思うことがあっても、それがどういう意味を持ち、どのように書かれるべき事柄なのかといったことを考えようとは彼はしなかった。(235)
 果たして小説家というものが書きたいものを明瞭に意識し、その「意味」やそれが「どのように書かれるべき事柄なのか」ということについて、はっきり自覚的であったりするのかどうか。しかし、大事なのはおそらく、主人公がそのように〝理想の小説家〟の姿を想起しようとしつづけたということなのかもしれない。そしてその〝理想〟にいつも及ばないところにいる自分という意識が、逆にこの小説家の原動力にもなった。

 貧しさの中に生まれ、青年期以来、本人のいうようにまさに成り行きに身を任せるように職を転々とした主人公は、小説を書くという行為についてだけは驚くほど強い意志をもって取り組んでいる。やがて妻子を鹿児島の養鶏場に置き去りにし、愛人と東京に出るのだが、その目的も「文芸修行」である。

 そんな主人公が東京で参加した同人誌『文芸首都』で出会ったのが、まだ十九才の中上健次だった。生意気で観念的で、しかし、全身から文学オーラを発散していたこの若者に、彼は打ちのめされる。そして中上と自分との決定的な違いにも、いやおうなく自覚的になっていく。中上のスタイルは工芸品を作るような職人風の小説家とは一線を画しており、「初めからもっと大きな文学を目指していた」という。

中上はラジカルなところで文学を考えようとしていた。文学によって自分自身の世界観と思想をはぐくもうとする姿勢が中上にはあった。そのモチベーションが常に中上健次を突き動かしていたはずである。文学的な出発のときから、中上健次の眼は自分自身の心の姿に注がれていた。それ以外は振り向きもしなかった、と言ってもいい。(309)
 第三部の中でも俄然迫力があるのは、主人公が『文芸首都』で垣間見た中上健次の様子を描いた箇所である。中上が同人誌のサークルに引き起こしたセンセーションのようなものは、後に昭和の文学が大きく形を変えていく、その先触れとなったものを具体的に想起させてくれる。しかし、そんな中上を前にして、主人公はまたもや思うのである。自分は中上とは違う、自分には明確なモチベーションがないのだ、と。
そういう根源的な発想とは、彼は無縁のところにいた。彼は自分の心と向き合うのは、ただ鬱陶しく思えるだけだった。家族や血縁というようなものも、彼にはただ重たくわずらわしかった。(309-310)
「自分の心と向き合うのは、ただ鬱陶しく思える」なんて、「小説家」であることに変な執着があるうちは決して口にはできない科白だろう。しかし、勝目はある意味でこれを自覚することではじめて真の意味で「小説家」となった。
彼には文学によって思想を確立しようというような、主知的な欲求はなかった。彼はそのときどきの気分のようなものの動きによって、生きていることの実感を味わう男だった。おのれの心に向き合う前に、気分が彼の関心の前に立ちふさがった。その捉え難い気分によって誘い出されてくる生の実感を小説に定着させようというのが、彼のもくろみだった。(310)
 私小説を書くとかそういうことではなく、小説家というものはともかく〝自分〟にこだわることが要求される。ナルシシストであることを恐れてはいけない、自分の中にのめりこまなくてはいけない――日本の文壇では伝統的にそんな風潮が強い。これに対し「中上健次と違って、自分の中にのめりこんでいくのが苦痛でならなかった」という主人公は、「自分にとっては書くべきモチーフも、語るべき何ものもないのだということ自体を小説に書こうとして悪戦苦闘をつづけていたのだ」と気づく。それも、この語りが行われている「今」になって、ようやく気づいたのである。この境地に達するそのプロセス自体を私たちは、この自伝を読むことを通して追体験する。

 勝目は40歳をすぎてから〝純文学〟を捨て〝娯楽小説〟に転身する決心をした。セックスとバイオレンスのあふれる世界。そこには「純文学はアマチュアでもやれるが、娯楽小説はプロにしか書けない」という自負ももちろんあったが、もちろん心残りがなかったわけではない。そういう「残ったもの」の中からこの自伝が生まれた。

 皮肉なことに、おそらくこの作品を読んだ多くの人は、「自分には何もない」と言おうとする作家の、その数奇な運命に陶然とするだろう。その曲折ぶりたるや、まさに〝文学〟ではないかと言いたくなる。仕事を転々としながら女性遍歴を重ね、家族を裏切り、愛人を捨て、それでもまた新しい女性に惹かれしてしまう。そのくせ、自分に「遊び心というものが決定的に欠如していた」のが小説家として致命的だったなどと言う。彼にとっては女性たちとのかかわりは遊びなどではなく〝宿痾〟であったのだろう。その顛末が、終始生硬なほどのきまじめさにつらぬかれた、決して雄弁ではない文章で語られる様が、不思議な感慨を呼び起こす〝自伝〟である。


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2011年02月01日

『トモスイ』高樹のぶ子(新潮社)

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「高校生の危険な読書」

 筆者は某高校国語教科書の編集委員をしている。この委員会をまとめる隊長役の編集者の女性はまったくもって体育会系のひとで、朝五時半に起きてぴょんぴょん跳ね、テニスのスマッシュ練習をし、それから会社に来るらしい。真冬でもマッ冷たいペットボトルのお茶をがぶ飲みし、「おい、あんたたち編集委員、どんどんピースを探してこい、ピースを!」と熱く檄を飛ばしている。「ピース(piece)」とは教科書に載せるための作品のことだ。しかし、筆者などがいくら作品を持っていっても、十本中十本はボツになる。これまでボツになったものはきっと数百…。

 それですっかり困り果てていたときに手に取ったのが、書店にならんでいた「新潮」であった。本書の表題作「トモスイ」が載っていた。お。なかなかいいではないか。高校生に読ませたくなるような、何とも言えないおおらかな風情がある。いきなり「ユヒラさん」などという国籍不明、性別不明、性格不明の人物が出てきて、底にガラスの張ってある舟で語り手の女性と夜釣りに出かける。いわゆるリアリズムのようで、ちょっと違う。メルヘンとかファンタジーともいいきれない。やけに生々しい描写があったりする。

 わたしがユヒラさんを気に入っている理由の一つは、ユヒラさんがあまり匂わないことだ。一度何かの折にキスしたことがあって、今もそれは大した出来事ではないと思えるのは、唇も口も顔も体も、男の匂いがしなかったからだ。強いて言えば、ブロッコリーを茹でたときのような、濃い目のお湯の匂いがした。(12)
そうだよね、あのブロッコリーを茹でたときの、つまりブロッコリーそのものの匂いじゃなくて、あのお湯の方の匂いだよね、と筆者は頁を繰る手をとめ、じわっとこの一節を見つめながら鉛筆でぐりぐり記しをつけてしまったりする。こういうところこそ、高校生に読ませたい。世界とこんな形で面と向かう方法があるのだよ、と教えてやりたい。ブロッコリーを茹でたときのお湯の匂いにこだわって一向に構わないのだよ、男には男の、女には女の「匂い」があるのだよ、どっちでもない「匂い」もね、しかもブロッコリーの「匂い」も男の「匂い」もくんくんかげばいいというものじゃありません……などと。

 しかし、ここで筆者はあの体育会系編集者の顔を思い浮かべる。彼女の手には真冬なのにマッ冷たいペットボトル。彼女はきっと言うだろう。「センセイ、いけません。これは学校の教科書なのです。だいたいわけもなくキスしちゃったりして、教室のセンセイがどう教えていいか困るじゃありませんか!」

 そういう言われてみるとそうだ。この短編にはいちいち微妙な表現が出てくる。ユヒラさんの様子は「髪もふんわり丸く刈っていて、身体は小さいくせに手足の末端ばかりごつごつと大きく、けれど胸のあたりや下腹部は女のように肉付きが良い」とのこと。風景も「長々とした岬が灰色のシルエットを濃くしながら近付いてきた。女が足を放り出している形状だ。先端はつま先が盛り上がっていて、腰のあたりは霧に絡まれていて見えない」といった具合。

 まあ、高校生ごときにはこういう部分の味はわからないだろうな、青いな君たち、と思ったりする。でも、だからこそ、どうしてここが「女が足を放り出している形状」であって、決して「男が足を放り出している形状」ではないのか、考えさせたい誘惑にも駆られる。

 そこで再び件の編集者登場。「あたしだって、こういう小説大好きなんです。こういうのこそ、載せたいのです。多和田葉子のわけのわからない短編とか、下手すると西村賢太だって大好きで、同居人と一緒にロマンスカーの中で『くぅううう』とか唸りながら読んじゃうんです。もっと変な小説をどんどん入れたい!でも、いろいろあって無理なんです。くやしいっ!」とペットボトルを地面にたたきつけるのである。

 筆者も悔しい。教科書や入試問題に頻出する勿体ぶったつまらない評論より、はるかに時間をかけて読む甲斐のありそうな、特別な瞬間がこの作品にはある。

「さてと」
とユヒラさんが深い息をつく。あとは待つだけですな。
 さてと、のあとに、そろそろ死にますか、なんて言われたらどうしようと思っていたので、とりあえずほっとした。ユヒラさんはときどき、その場の空気をひっくり返してとんでもないことを言う。幼いときに貧乏をしたからこういう素直でない性格になってしまったと言うが、それは自分の育ちへの難癖いいがかりで、あるがままのものが見えていないフリをするのが好きなだけで、それほど悪い性格とは言えない。家族の写真だって、ウソだと思わせようとしているだけで、やっぱり本物の妻であり子供であるのかも知れないし。(16)
「あるがままのものが見えていないフリをするのが好きなだけで、それほど悪い性格とは言えない」なんていう言い方で話をつなげるのが小説の語り手の技量というものだ。もちろん高樹のぶ子の才能でもある。「死」「貧乏」「育ち」「性格」「家族」といずれも〝教科書的〟な話題だが、これを下手な評論的語り手が語ったら、おそろしくつまらないことになる。続く部分もいい。
いつかずっと長く生きて、まだユヒラさんと付き合っていたなら、是非言ってあげたいと思っているひと言がある。男でいるのもイヤだ、女になるのもイヤだなんて、この世のすべてのものに変身するより難しいんだよって。それでも誰かと溶け合うのが理想ならば、自分が無くなってしまうほど、遠くまで行かなくてはならないんだよって。体力も気力もお金もないユヒラさんにそんなこと出来る?(16)
まさに小説的思考である。小説という言葉だからこそ発生してしまう、奇跡的な瞬間なのだ。しかし、教科書というのは、たとえば「男でいるのもイヤだ、女になるのもイヤだなんて、この世のすべてのものに変身するより難しいんだよって」というあたりに線を引いて、「ここでは語り手は何を言おうとしているのでしょうか?」なんてトンチンカンな問いを立て、高校生を永遠に小説的思考の世界から遠ざけてしまう。何と因果な。立てられねばならないのは、「ここでは言葉にいったい何が起きているのですか?」という問いなのに……。教室のセンセイこそ気の毒だ。「トモスイ」が教科書に載らないのも、そういう意味ではこの作品にとって幸福なことなのだろう。

「で、トモスイって、何なんですか?」と隊長編集者は訊いてくるかもしれない。筆者は答えるだろう。「これはすごいですよ。最後に出てくる変な魚類なんですけど、触るとくすぐったがったりするんです。それをふたりして食べる、いや、吸う。こんな濃厚な場面、見たことないです。でも、高校生にはよくわからないと思います。ちょっと不純異性行為に走ったくらいの辻堂あたりのつっぱりあんちゃんには、この味わいはわからない。だから、そういう意味では教科書に載せても安全です。でも、この部分がまったくチンプンカンプンだったら、この小説を読んでも意味がないとも言えますけどねっ!」。筆者には想像される、今頃きっと隊長編集者はロマンスカーに乗って、トモスイが出てくるクライマックスの部分を、しゃぶるようにして読み耽っているだろう。そして「くやしいぃ!」とつぶやいているのだ。

『トモスイ』には十の短編がおさめられている。みんな文体もモードも違う。作家がアジア各地を旅して、そこで浴びてきたものをそれぞれ小説化したとのこと。たしかにどの作品も、作家自身のもっとも居心地のいい文体からあえて少しだけ逸れることで、言葉というものと異邦人のようにして付き合おうとしているのかなという読後感があった。


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2011年01月03日

『人もいない春』西村賢太(角川書店)

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「ふにゃふにゃ期の効用」

 西村賢太の「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」(『新潮』2010年11月号)は川端康成賞の候補に選ばれた際の顛末を、原稿の横流しやら約束のすっぽかしやらといった編集者との付き合いを中心に描いてほとんど漫画ちっくなばかりの嘘みたいな、しかし、ほんとの話(←たぶん)である。かつて西村の十八番だった、つかの間の小さな幸福が瓦解し同棲相手の女に罵詈雑言や暴力を浴びせかけたあげく自滅して終わるという、それはそれで洗練の域に達していた展開のパターンとは違い、古本屋でたまたま見つけた堀木克三という今では誰も聞いたこともない昭和初期の文芸評論家の自費出版論集を、しみじみ軽蔑しながら読み進めて佳境に入るというあたりに、「おっ」というような新境地が感じられる作品なのである。

 こういうものを読むと、西村賢太もいよいよ変わっていくのか?なんて思う。『人もいない春』はこの二年ほどの間に『野生時代』に掲載された作品を集めたもので、途中でこれまたひと悶着あったらしく妙に間の空いた期間を挟んではいるものの、これらの短編をつづけて読めば近年の動向が見えてくるかもと考えたりする。期待通りであった。

 とにかく西村作品は言葉の臨場感のようなものが強烈で、はじめから最後まで文字通りの〝賢太漬け〟、一字一句漏らさずその文言を浴びるようにして読むことになる。しかも、物語の展開上も明と暗の移行がたいへん明瞭で、「が、あとから思えばそんなアルバムの閲覧なぞ、彼女の意外な魅力にふれたその時点でやめておけば幸せだったのである」というようなことさらな誘導とともに、まるでジェットコースターの頂点にのぼりつつあるときの心持ちで「あ、あ、あ、もうすぐ……」という、懐かしい滅亡感に身を任せるのが読む者の習いともなる。

 しかし、展開とかプロットを西村の小説に読むことにどれほどの意味があるのかは疑問である。ためしに『人もいない春』の六つの作品を筆者が勝手に採点した結果は以下のような具合。

◎「人もいない春」
O「二十三夜」
×「悪夢 ― 或いは「閉鎖されたレストランの話」
◎「乞食の糧途」
◎「赤い脳漿」
O「昼寝る」

 ○やら×やらいろいろつけてみたが、実はこれらの短編に共通するのは、一方では甘美なほどにわかりやすい〝崩壊〟と〝滅亡〟の刻印であるけれど、他方で、いずれも最後はふにゃふにゃと腰砕けのようにして逃げるように終わる、つまり、いかにもだらしのない結末になっている点でもある。

〝ふにゃふにゃ〟な結末とは、いかにも私小説的とも自然主義的とも見えるかもしれない。意味なんかありゃしない!と開き直っている。しかし、これは主人公がきわめて〝性的な人間〟として描かかれていることとも連動しているのである。この人の場合、「女性と女体を欲す激しい慾望の波には或る不定の周期がある」のだそうだが、そんなのは誰だってそうなのかもしれない。しかし、西村は――というかこれらの作品の主人公ということになっている北町貫多の場合は――それが人並みはずれていて、ほとんど神話的なのである。

この周期が明けた直後の彼は、それまでの狂おしい肉慾の衝動は気のせいであったかと思う程、何やら急に憑き物が落ちたようになるのが常だった。そしてその期間は、短いときで数週間、長ければあれで半年ぐらい続くこともあるのだが、そんなときの貫多は自分が永年思い描く理想の、きわめて普通の女性とひどくプラトニックな恋愛をしたくなる。(37-38)
『人もいない春』の各作品で鍵となるのは、この「きわめて普通の女性とひどくプラトニックな恋愛をしたくなる」気分なのである。「プラトニックな恋愛」というとまるで清純派のようで聞こえはいいのだが、これはこの獣のような主人公のいわば〝ふにゃふにゃ〟期。そういう〝ふにゃふにゃ〟期について、ひょっとするとこの作家は以前よりも我慢強く書くようになったのかもしれないという印象を筆者は持った。

 西村賢太の小説を読むとき、私たちは物語を読むわけではないのだ。ちょっと慣れてくると、そんなものを期待してはいけないことはわかってくる。では、物語のかわりに〝ありのままの世界〟とか〝個人を越えた普遍的な真理〟があるのかというと――ないわけでもないが――私たちの実感としてはたぶん「そんなものはどうでもいい!」のである。

 ではそこにはいったい何があるのかというと、とにかく「周期」なのである。「その期間は、短いときで数週間、長ければあれで半年ぐらい続くこともある」と語り手が臆面もなく明かす、その繰り返し。しかし、これまで西村はその周期のうちの、〝山〟の部分を書くのに忙しかった。それが、かくも弱く、やさしく、だらしなく小説を終えられるようになったということは、彼が小説を通じていちいち〝自分宣言〟のようなものをしなくても済むようになったということではないかと思うのである。「オレはこのようにオレである」と物語に仕立て上げて屹立しなくても済むようになったのではないか。

 それだけ作家が、自身の〝周期〟について自覚的となった証拠なのだろう。物語というものが、たまたま始まったりたまたま終わったりするものにすぎない、そんな自分の「周期」の声に、作家がより敏感に耳を傾けるようになった。

 そして、こうして〝物語であること〟の拘束から自由になってみればこそ、本筋とは無関係とも思える描写にほとんど悪のりのようにしてのめりこむことが、以前にも増してできるようになる。先ほど◎をつけた三つはいずれも、「まさか……たったこれだけのネタでここまで行くか」というほど、一見、無意味とも思える細部に熱気をこもらせた作品ばかりである。「人もいない春」では、小学生時代に日本ハムファンだったという主人公がときをへて久しぶりにその試合を観戦して、がらがらの球場で牧歌的に飲み物を売り歩く少年と少女に嫉妬し妄想にかられる描写がある。

貫多はそんな二人の姿を試合から目を離してかたみに眺め、しみじみ羨ましくならなかった。きっと彼女らは昼は普通に学校へゆき、週に一回程度、夕方以降の数時間をそこで小遣い稼ぎしているのであろう。で、このバイト先でごく自然なかたちで知り合うようになった二人はすっかり意気投合した上で、すでにいろいろとうれしいことにもなっているのであろう。すでにいろいろと、気持ちのよいことも行っているのであろう。彼女らは、時や場所に関係なく、さまざまなシチュエーションの中で闊達に、自らの若さを、青春を、十全に謳歌しているのに違いない。貫多はそれが心底から羨ましく、男の方は半殺しの目に遭わせた上でスタンドの外に投げ落とし、女の方は尻の穴まで犯してやりたい程に(したことはないのだが)妬ましくもあったが、しかしこれは妬んでも羨んでも、結句は自分の生活や歪んだ根性が一層惨めったらしく思われるだけの話だった。(23)
ここは貫多がやや鬱屈した気持ちで日ハムの試合を観戦しているというだけの場面なのだが、およそたいしたことの起きていない状況で、これだけ何かを起こしてしまうのはすごいことだ。これなら、同居の女性に罵詈雑言を浴びせたり、平手打ちをくらわせたりする必要もない。

「乞食の糧途」でもバイト先の運送会社の同僚の運転が下手だとか、「赤い脳漿」でも同居する秋恵の小学生時代の写真が醜かったといった、実に些末なネタで作品に信じられないほどの盛り上がりが生まれるが、そうした部分を読むにつけつくづく思うのは、今まであれだけ「オレはオレだ」と叫び続けざるをえなかった主人公の態度に、何かが加わったのかもしれないということだ。自分のことを言うのに手一杯、自分とのかかわりでしか世界を書くつもりがなかったのが、目の前にいる自分ではない人間にけっこう興味を持ちはじめているようにも見える。だからこそ些細に見えるような材料なのに、いったいどこまでいくのだろうかという描写が生まれる。〝ふにゃふにゃ期〟の効用だ。

 もちろん、いずれの作品でも私たちを引きこむその牽引力の背後にあるのは語り手の例の「周期」の威力である。結局は、自分の生理の勢いで語る人で北町貫多はあるらしい。しかし、ならば、なおさらすごい。西村賢太には物語など必要ないということである。とにかく彼に命があり、あの「周期」が訪れつづける限り、言葉が急にインフレしつつ昂揚し、あることないことひっくるめて〝山〟をつくって(その思いがけない加速感は、好調時の蓮實重彦を想い出させるのだが)さらなる至高の瞬間を創出するということなのだ。

 小説というのは一生懸命構築した言葉の楼閣を、「よし」という時点に達した瞬間に背負い投げのようにひっくり返し、振り出しに戻すことで成立するものだと思う。つくづく不思議な言葉のジャンルである。そういう意味では西村の主人公はまさに典型的に小説的である。しかし、そんなパタンだけでは何かが足りない。西村の強みは「周期」の山と谷との間を、目の回るような速度で行き来する生命力のようなものである。そういう苛烈な「周期」を実際に生きるのはさぞかしたいへんだろうとも思うが、「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」や『人もいない春』でのように〝谷〟の部分までもが小説の中に生きてくるとなるなら、「変わったな」どころではすまない何かが今後に期待できるのではないかと思う次第である。


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2010年12月21日

『どんぐり姉妹』よしもとばなな(新潮社)

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「一部だけ西部劇かも」

 よしもとばななの小説は、真綿にくるまれたような言葉で書かれている。徹底的にほぐされて骨も抜いてあり、ごつごつしたところがない。セッカチなおじさん的思考の人からすると、のろまでじれったい、いらいらするような文章と感じられるかもしれない。だが、こういう小説がけっこう手強いのである。

『どんぐり姉妹』の主人公ぐり子は引きこもり気味で、かつてはものが食べられなくなったり、幻視・幻聴があったり。下手をするとイカツイ病名がつけられてしまいそうな人である。だが、小説の中ではそういう症状が「そうとう静かな状態」とだけ呼ばれ、音量をしぼったような、まさに〝静かな〟言葉で語られる。

 何日も外に出ていないと、頭の中の世界のほうが実際の世界よりも少しずつ大きくなってくる。気づくと思い込みの度合いがそうとうまずいことになっていて驚いてしまう。
 そうしたらちょっとだけ外に出て調整する、その繰り返し。
 今は身を低く、力をためて。そう思っていないと、やられてしまう。だれに攻撃されるでもない、自分の中の自分がずれてくるのだ。自分の中の自分がずれてくると、実際に会う人たちにその違和感が伝わる。そして人々の対応もおかしくなってくる。(6)
「まずいこと」「驚いてしまう」「やられてしまう」「ずれてしまう」「違和感」「おかしくなってくる」――何となくネガティヴな言葉がつづく。どの言葉も実はすごく恐ろしいものを隠しもっていそうだ。でも、このように間引いた遠い言い回しを使うことで、語り手がそれに一生懸命言葉の力でまじないでもかけて、抑えよう鎮めようとしているように感じられる。

 真綿の中にはきっと針なり毒なりがひそんでいるのだ。それとどのように付き合っていくか。キーワードとなるのは、今の引用部にもあった「ずれ」という言葉だろう。「毒」を「毒」とは呼ばず、「ずれ」ととるのがこの作品のルールである。しかし、「毒」を「毒」と呼ばないことで主人公の「私」は、自らの名人芸的な〝ずらし〟に足をとられる危険もある。真綿にくるまれた言葉を読みながらも、その中に何かの隠れていることを直感する私たちははらはらする。

 ストーリーとしては〝引きこもり小説〟にして〝姉妹小説〟、〝介護小説〟、そして〝恋愛小説〟である。両親を事故で亡くしたどん子とぐり子の姉妹は、親戚の家を転々としたあげく、人嫌いで気むずかしい祖父の家に住まわせてもらうことになり、長い介護生活の末、その最期を看取った。この介護がふたりの結束を強め、またふたりの「今」にも大きな影響を及ぼしている。ふたりは共同で「どんぐり姉妹」というサイトを立ち上げ、「だれかにメールしたいけれど、知っている人にはしたくいないというときにちょうどいい存在」として、見知らぬ人からのメールに日々返事を出し続けている。

 多くの姉妹小説と同じように、姉のどん子と妹のぐり子は性格が対照的だ。姉は活発で外向的。というか、ほとんど恋愛中毒である。

「ペースダウンすると思うけれど、地道に続けていく。子どもなんか生まないし。そしたら五十五までは続けられると信じている」(58)
これ、恋愛のことなのである。まるで仕事の話みたいだ。引き取られた医者の親戚の家から、妹を残し姉だけがひとり脱走するときのセリフもふるっている。
「必ず助けにくるからな。医者の嫁にはいかせはしない。ここの養女にもさせない。そのへんはお父さんの友達の弁護士さんに言ってあるから、安心して待ってな」(27)
まるで時代劇か西部劇で格好いい風来坊が口にしそうなセリフである。そして西部劇の風来坊だけあって、この姉はどの男とも長持ちしない。すぐ飽きてしまう。好きなのは恋愛のはじめのところだけ。まさに恋愛依存症の典型である。ところがその姉が、ある男との関係を境に変わっていく。「ああ、疲れた。セックスもしてないのに、なんだかへとへとになっちゃった。好きすぎて。」(120)なんていいながら、肌をつやつやさせている。「あ、また家の空気が動きはじめた」(121)と妹は感じるのである。姉が変わると妹も変わる。このあたりが物語のターニングポイントとなる。

 この派手で騒々しい姉をちょっと物語の脇に押しやりつつ、むしろ「スーパーとDVDレンタルの店と書店とスタバしか行ってない」(14)という妹を中心にすえたあたりが、この小説の妙味だと言える。砲撃みたいにバンバン飛来してくる姉の言葉とちがい、ぐり子の言葉は角がとってあってやさしい。それが彼女の世界との付き合い方なのだ。

 これまでにちょっとくらいショックを受けた経験があっても、私の魂の芯が圧迫されたわけではない。
 そしてちょっとくらい考え方がおかしくなっていても、こだわってなければ、やがて傷はふさがり、幸せはどこからでもにゅるにゅる出てくる。(59)
 

幸せが「にゅるにゅる」というのはいい。こんな繊細な賢さをもっている人が、姉のどん子みたいにあらっぽい恋愛にふけることができるわけがない。彼女は恋愛に邁進するよりも、ちょっと距離を置いて〝恋愛ということ〟を見つめてしまうのである。スーパーで母と幼い息子のしめじとマイタケをめぐる論争を耳にしても、ぐり子は次のようなことを思ってしまう。

 みんな親が恋しい、だから恋愛にもあの懐かしい気持ちを持ち込んでしまう。おじいさんやおばあさんになってもロマンスを求めているのは、歳と共に親が恋しい気持ちが増してくるからなんだ。
 だからほんとうに大人のクールな恋なんて、人類にはきっとずうっとできないんだ。
 聞いていたら急に淋しくなり、父と母が恋しくなった。(13-14)

 こんな調子でいつの間にか父と母の話になってしまうくらいだから、ぐり子の人生には派手な立ち回りがあるわけがない。唯一のほんとうの恋愛は、過去完了形でしか語られない。その相手はすでに亡くなっているのだ。しかし、この死がむしろ曲者でもある。それはぐり子の人生を蝕む「ウィルス」と化しつつあった。

 物語のクライマックスでは、ぐり子がこのウィルスと立ち向かうことになる。もう、〝ずれ〟ではすまない。舞台となるのは夢。そんな大事なことが夢なんて、ずるいじゃないか、という人もいるかもしれないが、そうでもないのだ。ぐり子にはぐり子の論理がある。

 夢の中の私がしっかりふるまってくれたから、私も救われたのだ。
 現実の私が、なにもはずさなかったから、夢の中の私は手探りでもちゃんとしていたのだ。夢の中でもうそはつけないから、全部が出てしまう。だから、ちゃんとこもるべきときに家にこもっていて、動くべきときに動いてよかったのだ。そう思った。(142)

この「そう思った」を読み飛ばしてはいけない。この小説では語り手の「私」が実にいろいろ考え、思う。そのことがいちいち明記してある。こんなに書いてあるのはいったいどういうことか。単に思っただけではないのである。思おうとしているのである。

言えてよかった、と私は思った。これが言えたことで、彼の死を実際に知ったときにかかった、小さな悪い魔法がとけた気がした。(140)
結末部にはこのような前向きな言葉があふれているが、やっぱりこういうところでもぐり子はいちいち「思った」とか「気がした」と言うのである。思おうとしている。そういう意味では真綿の延長なのである。何しろ夢が舞台として必要になるくらいだから、世界と「私」とは相変わらず、ずれている。だから私たちも、ぐり子が思おうとしているその背後にあって、隠し持たれているものを感じ取ってドキドキしてしまう。しかし、これは世界が自然とうまくいってハッピーエンドになるよりは、ずっとハッピーな結末なのかもしれない。『どんぐり姉妹』は治そうとする小説なのだ。治ってしまったことよりも、治ろうとする意思を書いている。ひょっとしたら実効があるかも、とさえ思わせる。

 言葉は暴くだけのものではない。「そして」や「でも」にまで神経の行き届いた文章なんて人によってはまどろっこしいかもしれないが、上質の真綿には、ずぶっと読んでみなければわからないような効力があるのだ。


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2010年09月09日

『ドーン』平野啓一郎(講談社)

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「筋肉と骨と我慢」

 読んで突出して印象に残った箇所があった。全部で7つの章からなるこの作品の第3章にある場面だ。火星に向かう宇宙船の中で精神に異常をきたした乗組員ノノは、投薬された上、動けないように固定されている。主人公である医師の明日人(アストー)は、他の乗組員と交替でその糞尿の始末をしなければならない。
脱臭装置も、防臭マスクも、十分には機能しなかった。便が飛び散ってしまわないように、汚れてしまったオムツを素早く透明のゴミ袋に容れて状態を確認した。それから、臀部を拭き取ろうと、背中に回り込んだ時、明日人はそこから、なにか奇妙なものが垂れているのに気づいて、固唾を呑んだ。

ノノは暴れ出したとき、妙な妄想を口走っていた。火星の生物が宇宙船内の乗組員の前頭葉を洗脳している、というのだ。その生物との戦闘場面まで想像される。しかし、ノノは他の乗組員に制圧され、このように屈辱的な状態で管理されることになる。真実を知ったと者が他の「正常」な人間たちに狂人扱いされて閉じこめられているのか? しかもその体内から何かが出てくる、という。すわ!そら来た!とばかりに有名映画の場面なども思い浮かぶことだろう。地球の外から来た生物が人間の脳内に入り込むという陰謀モノも、どこかで観たことがあるような気がする。しかし、そうした既視感で読者を誘いつつ、場面はこのあと意外な方向に展開する。

 一瞬、蛔虫の頭のようにも見えたが、出発前の厳格なメディカル・チェックを考えるならば、それはあり得なかった。そう打ち消してから、彼は却って深甚な恐怖に襲われた。その白い先端は、ノノの体の中で十分な時間を経て成長した後に、いよいよ、外へと這い出てこようとしているように見えた。
『――何だろう。……』
 少し頭が動いた。生きている? 嫌がる様子を見せるノノの体を押さえ、噛みつかれないだろうかと警戒しながら、ゆっくりと引っ張り出した。――汚れていて、何かは分からなかったが、生物ではなかった。指で拭って目を凝らすと、12センチほどの長さのマジックテープだった。船内に小物が散らばってしまわないように、壁にはそこら中にマジックテープが貼られていたが、恐らくはその切れ端を食べてしまったのだ。
   錯乱状態のノノはとんでもないものを口に入れてしまっていたのである。マジックテープという小道具もにくいが、こんなに些末なものがこれほどのおぞましさを喚起させる点もすごい。

 この場面は『ドーン』という作品を書くにあたって著者が意識したと思われるバランスの感覚をよく表しているような気がする。すなわち、「あっち側」に行ってしまわないこと。

 作品にはいかにも先端的な「設定」がこれでもかとばかりに出てくる。その中でも重要なのは、「ディヴィジュアル」という概念である。英語のindividual(「個人」)のinをとりdividual。つまりdivide(「分ける、切る」)はまだ可能なのである。「それ以上、分けられない」という意味の「個人」が、実はより小さな「個」にさらに分解可能であるということだ。「人にはいろんな顔がありますね」と日常的に私たちは口にするが、その「いろんな顔」が作品中では「ディヴ」という言葉であらわされている。しかし、この近未来では、そのディヴを統合し元になっている人物を突きとめてしまう装置もある。だからこんどは、顔を自在に替える「可塑整形」なる技術が生まれた。

 ひとりの人間についてさまざまな「ディヴ」が併存する、という世界は、決して「あっち側」の世界ではない。近未来ならではの不思議なことのようにして書かれているものの、私たちにとっても十分想像可能である。平野は一方で「あっち側」のあり得なさを仄めかしつつも、軸足は「こっち側」において「十分想像可能」な設定を少しずつ丁寧に組み合わせていく。その辛抱強い、禁欲的な書かれ方が何より印象に残る。ノノの場面はその典型だろう。

 だから、ここで笑わせたらすっきりするだろうな、ここは泣かせたくなるところだろうな、ここはエロティシズムにふけりたいところだろうなどという箇所で、ことごとく著者は我慢する。「えいっ!」と筆を走らせたり、「これがオレなのさ~♪」と〝文体〟におぼれることもない。小説家の淫しそうな衝動をことごとく回避する。

そこまでして平野が目指しているのは、一種の「演説小説」ではないかと思う。中心となる出来事は大統領選。候補たちのいかにも選挙向けの演説が、ゴチック体で頁を埋める。しかし、それより重要なのは、この小説の登場人物たちが、会話カッコの中でも実に長々としゃべるということだ。まるでジェーン・オースティンの小説の登場人物のよう――まるで登場人物なるものが舞台の上に立っていた頃のことを忘れきれていないかのように長口上なのである。雄弁で、前向きで、何より元気。つぶやいて終わったり、沈黙してしまったりせず、いつも理由を丁寧に説明し、首尾一貫した言葉の力で相手をねじ伏せようとする。彼らはしゃべることでこそ、そのいちいちの「ディヴ」を表現している。だから、小説の中ではいつも言葉の流れが奔流をなしていて、読者としてもうっかりすると流されそうになる。

 これほど「演説」をしっかり丁寧に書く/書ける作家もいないかもしれない。それも、著者の備え持った、筋肉質の文章を書く力あってこそ。だから、作品中では「骨」の部分にあたるふたつの親子関係も、所詮引き立て役にすぎないと言える。副大統領候補の父に反旗を翻す美しい宇宙飛行士リリアン・レインは、父に向かって「パパには悪いけど、この選挙は、パパたちが勝つべきじゃない」と訴える。その一方で前景に置かれるのは、幼い息子を震災で失い、妻との関係も崩壊寸前の主人公明日人の、終わることのない苦悩と妄想である。

 演説が中心にあるくらいだから、全般に「大きな声」のあふれる小説である。それだけのスケールを備えた作品である。小説には小さな声を期待する、という読者も多いだろうが、大きな声同士のバランスと、「あっち」と「こっち」とのバランスとに気をつかう慎重で禁欲的な小説家の腕力のようなものを楽しんでみるのもいい。


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2010年07月20日

『言語ジャック』四元康祐(思潮社)

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「無理に詩人である必要はありません」

 詩人には二通りいる。
 まずは言葉の遅い詩人。どちらかというとその言葉が読者より〝遅れている〟と感じられる詩人だ。読む人の方が先を歩き、詩は後から追いついてくる。読者は少しペースを落としたり、聞き耳を立てたりしないと、なかなかその詩の世界には浸れない。忍耐が必要だ。こういう詩人は、詩人のくせに言葉少なでもの静かで、一行にせいぜい十字くらいしかしゃべらない。「自分にしゃべれるのは詩だけなんです……」というような追い詰められた頑なさがあって、それぞれの言葉へのこだわりも強く、どうしてもこうでなくっちゃ、と寸分のスキもないような語り口をとる。自分のやり方は決して変えず、読者が自分のペースに合わせてくれるのを待っている。

 こういう詩を読むのは、書いた人の生理や神経に没入するのに等しい。密着型である。読むことと、好きになることとがかなり近接している。というか、好きにならないと読めないのかもしれない。でも、日本の近現代詩の主流は、たぶんこういう詩人によって作られた。たとえば三好達治。

 しかし、それとは逆に、いちいち読者の一歩先を行くような詩人もいる。これがもう一方のタイプである。文字通り多弁でやかましい。どんどん先に歩き、読者だけでなく語る自分自身さえも置き去りにしてしまう。固有の文体だの生理だのということにはこだわっていないように見える。求めているのは刺激と、強度と、そして変化。読者もじっくり待つような忍耐はいらないかもしれないが、わあわあしゃべる早足の人を後から追いかけていくのはそれはそれでたいへんである。テキトーに聞き流しながらテキトーにお付き合いする必要がある。

 このような詩人はたいてい「異色」などと呼ばれる。たとえば鈴木志郎康とか。小説家だけど、町田康もそんな感じだ

 では、四元康祐はどうしたものか。経済用語を駆使した作品などで『笑うバグ』が評判になったとき、四元は間違いなく「異色」の詩人だった。たしかにその詩は、詩とは思えないほど雄弁で、滑走的で、元気で、やかましかった。日本現代詩に特有の、あの薄暗い病の香りがない!

 しかし、四元は一歩先を行くことでこちらの神経を逆なでしたりくすぐったりするタイプの詩人ともちょっと違うようだ。遅れるにせよ、先回りするにせよ、現代詩は〝変な言葉〟で語ることを共通のルールとしてきた節がある。これに対し四元は〝ふつう〟であることを恐れない。この『言語ジャック』を読めばわかるように、無理して詩人のふりなどしようとはしない。むしろ、詩との間に距離を置くのだ。その作品からはいつも、「詩って変ですよねえ」という囁きが聞こえる。「詩人って変わってますね」「詩って何なんでしょう」「不思議ですね」「でも、妙におもしろくないですか?」「かわいらしいし」「ね、いじくっちゃいません?」という態度である。

『言語ジャック』の特徴は、多くの作品が「詩の変奏」という形をとっていることだ。必ずしも既存の作品のパロディとか、本歌取りといったことではない。四元は私たちの中にある「詩」という常識そのものを変奏していくのだ。しかも、そこには何ともいえない不思議な言葉の連なりが生まれている。「そうか、こんなふうにして詩とはありうるものなのだ」と、ちょうどクレーの絵をはじめて観たときのような感慨を筆者はもった。とりわけ印象的だったのは、「俺の『な』」という作品。こんなふうにはじまる。  

俺の出番は正確に午後九時三分二十七秒であった。それより一秒早すぎても遅すぎても、極刑に処せられるのだ。俺のセリフ、というか受け持ちは「な」であった。それがどんな文のどんな単語に組み込まれるのか、母国語なのか外国語なのか、はたまた意味のない掛け声のごときものであるのか、もとより知り得る術はなかった。ともかくそれはひとつの音素としての「な」なのであった。

どうやら「全人民が声を合わせて、あるひとつらなりの声を響かせる」儀式が行われるのらしい。この語り手はなにやら「胸が騒ぐ」。いったい何なのだろう。まるでサッカー場のウエーブ。最後まで読んでもはっきり種明かしがあるわけではない。むしろ謎は深まる。

九時前、我が町を人語の洪水が襲った。耳を聾する大音響のなかで、隣家の赤ん坊の泣く声と、どこかの犬の吠え声がくっきり聴きとれて、あれも然るべく定められたセリフだったのか。午後九時三分二十五秒、俺は深々と息を吸い込み、大きく口を開き、舌先をぴったり口蓋にくっつけて、我が「な」の出番を待っていた。

こんなふつうの言葉で、こんな不思議なシーンを書けてしまうというのはまったく驚きだ。これだけたくましく書かれていれば、無理に「詩」と呼ぶことで保護する必要すらないかもしれない。でも、こういう試みを「詩」というカテゴリーに入れておくことで、言葉についての私たちの可能性のようなものが守られるのだと思う。

『言語ジャック』はとにかく言葉の使い方をめぐる可能性にあふれた詩集だ。政治家の不用意な発言(元法務大臣の「ベルトコンベヤーで運ばれていくように、死刑の執行ができないものか」)を見事に変奏した「ニッポンの真意」は、安直なパロディなどではなく、とぎすまされた威力を発揮している。

…よろしい、「ベルトコンベヤー」が不適切なら、いくらでも言い換えよう――

星座が夜空を巡るように死刑を執行できないものか
十七年蝉が土中で蛹から孵るように死刑を執行できないものか
降りしきる驟雨がオミナエシを揺らすがごとく死刑を執行できないものか
雪の朝の初潮のように死刑を執行できないものか
回転するルーレットの上に浮かび上がる数字の幻影のように死刑を執行できないものか
元法務大臣への皮肉など読んでも仕方がない。むしろそれをきっかけに噴出した、言葉をめぐるこの場違いな祝祭感覚が圧倒的なのだ。よくわからないがとにかく言葉が押し寄せてくる、言葉に酔ってしまう、そんな酔いの可能性がこれでもかと提示されるのである。

 「名詞で読む世界の名詩」などは今後、ときどき引用される作品となるかもしれない。もちろんこういうのは、最初にやった人が偉い。

秋 夜 彼方 小石 河原 陽 珪石 個体 粉末 音 蝶 影 河床 水
(中原中也「ひとつのメルヘン」)

蠅 時 部屋 静けさ 空 嵐 目 涙 息 攻撃 王 形見 遺言 部分 署名 羽音 光 窓
(エミリー・ディキンソン「蠅がうなるのが聞こえた――わたしが死ぬ時」亀井俊介訳)

あれ 何 永遠 太陽 海 見張り番 魂 夜 昼 世間 評判 方向 己れ 自由 サテン 燠 お前 義務 間 望み 徳 復活 祈り 忍耐 学問 責め苦 必定
(アルチュール・ランボー「永遠」宇佐見斉訳)
ちなみにこの詩にはリルケや三好達治、金子光晴、ジョン・ダン、寺山修司、ガートルード・スタイン、北原白秋などの作品からスカギット族の歌謡に至るまで実に幅広い作品が登場する。お見事。

 こんなふうに詩と関われるのだ、いや、関わってもいいのだ、と身をもって示してくれただけでも大手柄だ。すごい、と褒めたくなる。詩集には全体に、詩人がマジシャンのようなシルクハットをかぶって、手品をやってみせたり謎々を出したりするような雰囲気が漂ってもいるが、ほんとうは答えだの種明かしだの放棄して、だまされたままでいるのが一番幸せな読み方だろうなとも思う。


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2010年05月18日

『抱擁』辻原登(新潮社)

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「ゴシックとさわやか」

 こういう作品は近頃あまりない。
 とにかく綿密で隙がない。小説ではあるけれど、横から見たりひっくり返したりしながら造形美術のようにして味わってみたくなる。きっちりと準備された設計図があって、作品内にいくつもの論理の筋が通っていて、何より「ああ、この小説を書いた人はすごくちゃんとした人で頭もいいんだろうな」と思わせる。作品に良い意味での〝知性〟が溢れている。

 主人公は住み込みの小間使。彼女の「下から目線」で語られるいわゆる〝女中さん小説〟である。舞台となるのは日本でも有数の名家加賀前田家の邸宅「駒場コート」。現在は駒場の近代文学館となっている実在の屋敷だ。時代は戦争前夜の昭和初期で、五・一五事件、二・二六事件などを背景に何となく不吉な死の香りが充満している、そこに得体の知れない亡霊めいた存在が現れ、幼い「お嬢様」に近づいてくる…という展開になっている。

 こうしてみると、豪邸を舞台とした戦前の探偵小説の数々が思い浮かんでくる。道具立ても時代設定もそういう連想を意図したものだろう。また亡霊と無垢な子供のあやしい「交信」というと、ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』を連想する人も多いはず。物語を中立的な立場から伝えることになっている使用人が、実は誰よりも積極的に物語を動かしているというあたりの〝逆転〟はいかにもジェイムズ的だし、最後の一行などは、おそらく読書会などで扱うにはもってこい、どう読んだらいいのか十くらいの解釈が出てきそうである。まさに『ねじの回転』のあの妙な終わり方と同じだ。すべて作家の計算のうちだろう。

 ただ、大きく違うところもある。ジェイムズの作品の方は徹底的に官能に淫しているというか、ほとんど変態的で、何だかわけのわからない執着に突き動かされている。その気持ち悪さが読み所にもなっている。「この作家はきっとかなり変な人だ。頭はいいのかもしれないけど…」という印象。対して辻原の方は、むしろそういう息詰まる感じからさらっと解放してくれる。まるで作品の中を風が吹き抜けるようで、哀切感とも虚脱感ともつかない情趣と、広々とした見渡しの自由さとをまじらせた心地へとこちらを導く。

 いわゆるゴシック趣味の小説では、弁士たる語り手の饒舌さやいかがわしさと「付き合う」というのが読者の心持ちとなる。やたらと熱気があって興奮していたり、押しつけがましかったりくどかったりする語り手。ジェイムズでもポオでも、ウォルポールでもメアリ・シェリーでも、乱歩でも高太郎でも虫太郎でも、たぶんこれは共通している。

 もちろんそれは「ありえない物語」を語るための敷居のようなもの。そこを越えてつきあえれば、ようこそ、こちらの世界へ、と中に導きこまれる。ところが、この『抱擁』の語り手はそういういかがわしさとはそれほど縁がないように思える。ですます調のへりくだった態度にはたしかに〝過剰さ〟が読めなくもないし、前田家のお屋敷を「東洋一」などと讃えつづけたり「パジャマ」のことを「ピジャマ」と言ったりするあたりは、ん?と思わせないではないが、語り口の全体にふつうの意味での〝品〟がある。多くのゴシック小説でことさらひけらかされる上流階級臭とはひと味ちがう。

 とりわけ物語が佳境にさしかかるところがいい。この主人公、言葉の使い方についてはとても抑制的なまじめな人で、やたらとよけいな比喩を使ったり、洒落た言い回しで煙に向いたりということもない。だが、「いよいよ何かが起きる!」というところでだけは急に仮面を脱いだように一歩前に進む。

 コートをひとりで歩き回るという行動は、わたし自身の心の中を散歩するという側面も含まれています。
 こうして、散歩を重ねるうち、決行の時が近いことを予感し、心が昂揚してゆくのを覚えました。不遜なことを申しますと、クーデタを起こした将校さんがたの心持ちも、このようなものではなかったでしょうか。もちろん、あのかたたちのお庭は、わたしなどと較べものにならないほど広大なものだったでしょうけれど。
 そして、決行の日、その庭はぎりぎりの狭さまで縮められたはずです。

「心の中を散歩する」という科白はとっておきのものだ。まさに作品世界をひと言で表す言葉。ふっと読んでいる者の認識をずらす。この小説の庭はさまざまな出来事の起きる重要な場所だが、こういう一節に描かれるときには、「どうだこれでもか!」とばかりに濃厚な象徴性を担うわけではなく、小説世界を外にむけてひらりと開くような通過装置/チャンネルとして機能している。庭にいることで、どこか別世界にいることができる。庭とか家とか過去といった求心的かつ閉塞的なゴシック仕立てをふんだんに使いながらも、むしろ「そうではない場所」とか「自分の知らない人」といったものに想像力をはせる感覚を思い出させてくれる。この小説は、そういう場所をうまく想像させてくれる作品なのである。

 抑制された言葉を語りつづける主人公は、語り手としては自分の生理や心理についてとても抑圧的である。ただ、ある段階からそれが変わる。お嬢様の緑子がなついていたゆきのという使用人と自分との関わりについて語り手が次第に目覚めていく。鍵となるのは、タイトルの元となっているある英語の言葉(某現代イギリス作家の作品名でもある)。この言葉の担う多義性が、ラストのシーンの複雑さともからんでくる。

 そして、忘れてはいけないのは家庭教師のバーネットさん。物語の要所でタイミングよく登場して「お知恵」を授けてくれる。探偵のいないこの小説でミステリーには欠くことのできない進行役のような役目を担ってくれる。ドラマ化するならとても重要な役柄となりそうだ。小説中でもなかなか良い味を出している。もちろん、実はこの人が怪しいのでは?という見方もありかもしれない。

 こうしたゴシックミステリー風の筋立てを二・二六事件のような政治的な事件と正面から重ねるというと、それこそかなりフルボディの渋重い作品になりそうなものだが、読んでみるとそんなことはない。とてもさわやかなのだ。むしろ、そうした出来事が何と言うことのない日常のいちいちと同じ地盤の上に起きているのだという、小説的な「常識」を再認識させてくれる。

 書き手の「変さ」が露出した小説というのもいいものだが、こんなふうにしっかりと正気の書き手によって丁寧に計算された言葉の世界に酔ってみるのもいい、それも必ずしも目指すところが謎解きではないところがかえっていいなと思わせてくれるスマートな作品である。


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2010年05月02日

『真昼なのに昏い部屋』江國香織(講談社)

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「擬態語のお行儀」

 思わず擬態語に目がとまる小説である。冒頭近くにはこんな一節がある。
 母親らしい女性の押す乳母車とすれちがい、ジョーンズさんは目を細めました。赤ん坊が好きなわけではなく、赤ん坊がきちんとケアされているのを見るのが好きなのです。乳母車には青と白の縞の幌がついていて、はちはち肥った赤ん坊の他に、小さな羊のぬいぐるみが乗っていました。

「はちはち肥った赤ん坊」なんて言い方、筆者は生まれてはじめて見た。でも、すごくいい感じである。まだある。

ほうとうは、美弥子さんはそのお菓子があまり好きではありませんでした。さつま芋とかゆで玉子とか栗とか、もくもくした食べものは胸につかえるような気がするのです。

「もくもくした食べもの」なんて、やっぱり聞いたことがない。ほかにも美弥子さんがうちの中のことを「ごたごたしてるの」と言ったり、庭から玄関にサンダルで出てくる美弥子さんが玉砂利を「ぱちぱちざくざく」いわせてきたり。

 『文章読本』の谷崎潤一郎なら、「そんな幼稚な言い方をしてはいけません」と注意しそうな言葉の使い方である。でも、そこがかえっていい。幼稚で、おとなの言葉になりきっていない、そこから言葉以前の、〝音〟が聞こえてくる。この人達はどうやら言葉以前のところに足を踏み入れているようなのだ。

 擬態語そのものはそんなにたくさん使われているわけではないが、言葉で上手に遊ぶのをゆるす気配がこの小説にはある。地の文は童話風の〝ですます調〟で、だから丁寧で、おっとりしていて、まどろっこしいほど正確に言葉を使おうとする語りの身振りが目につくのだが、丁寧でゆっくりで正確だからこそかえって道を踏み外してしまうかもしれないような、妙な境地というものがある。

 それを身をもって示すのが主人公の美弥子さん。この人はすごくお行儀が良くて、いい人で、誠実で、でもときに理性で整理されきらない感覚を、そのまま生きてしまうこともできる人なのである。食べものが「もくもくした」なんて感ずることができるのは、実は日常の言葉にどっぷり使った人ではない。日常からちょっとずれていて、言葉の使い方も素人みたいで…だから相手の言葉やジェスチャーにも始終敏感で、ときには違和感を覚えたり、発見をしたり。それで、ああ、そうか、と思う。

 外国人なのである。主人公の美弥子さんの本質は、外国人。だからこそ、このひとはこんなにお行儀よくしようとしていた。型に合わせようとしていた。彼女にとって、日本語は外国語なのだ。実際、この小説のもうひとりの主人公は紛れもない外国人なのである。ジョーンズさんは、知的で日本語のうまいアメリカ人。大学で講義をしていないときは短パンにビーチサンダルみたいな恰好で出歩く。谷崎の『陰影礼賛』に影響を受け、日当たりの悪い古いアパートに住み、その暗がりで「電気をつけてしまうと、途端に味けなくなるんです」などとつぶやいている。その部屋には「暗がりにしか生息できない、目に見えないものたちがいて、あかるくすると、そいつらが逃げ出してしまう」そうだ。なんかいかにもインテリっぽい。バーボンの銘柄をわざわざ日本語で「野生の七面鳥」などと呼び、寿司屋に足繁く通う。まあ、日本によくいるタイプのアメリカ人かもしれない。

 でも、「いるよなあ、こういうアメリカ人」では終わらせないところが江國香織の技。そのあたりを堪能したい。このジョーンズさん、「フィールドワーク」と称して会社社長の奥さんである美弥子さんを散歩に連れ出す。散歩がお茶になる。そして、お茶がこんどは銭湯! 「週刊現代」連載とのことなので、こうした展開に〝おやじ〟の夢想の反映を見る人もいるかもしれないが、そんなことよりも大事なのは、この小説のほんとうの〝外国人〟である美弥子さんの、その外国人らしさを、〝ニセ外国人〟のジョーンズさんがだんだん開拓していく手つきである。何というか、うそっぽいほど丁寧でまわりくどくもあるけれど、おかげで振る舞いも言葉もぱりっとまぶしく輝いて見える。

 もとをただせば、どれもこれも語り手が仕組んだことである。すごくおせっかいというか、いじりたがり屋の語り手なのである。人物たちの頭越しに話を進めることもしばしばで、人物が言わなかったことや、しなかったことまで勝手にネタにしてしまう。でも、このおせっかいな語り手の、やさしい介入に甘やかされている人物たちの、その自立しきらない、ぬくぬくと保護されたような描かれ方が実に楽しい。ストーリーが佳境に入ったところ、美弥子さんがはじめてジョーンズさんの家に泊まった朝に、こんなひとコマがある。

パジャマ姿のジョーンズさんを、美弥子さんは男っぽいと思いました。あまりじろじろ見るわけにはいきませんから、視線は頭部に据えて話しましたけれど、この人パジャマが似合うわ、というのが、偽らざる感想でした。そして、急いで浩さんのパジャマ姿を思いだそうと努めました。そうすべきだと思ったのです。ちゃんと思い出せましたので、美弥子さんはほっとします。大丈夫、私はひろちゃんのパジャマ姿も、とても好きだわ。

美弥子さんは、これから道ならぬ恋に走るところなのである。でも、ジョーンズさんに見とれつつも、旦那の「ひろちゃん」に未練があるのか、あるいは、未練があると信じようとしているのか。微妙な位置だ。そこを、よくまあ、上手にいじくったものである。よりによって「パジャマ姿」とは…。もちろん、美弥子さんにも、こんなふうにちょっかいを出されてしまう天然なところがあるのは間違いないが、大元にあるのは「丁寧さ」と「正確さ」とを通して表現される、違和感と心地良さとのくすぐったいような混じり合いである。人物たちが世界の中で、居心地がいいのか悪いのかわからないまま、もぞもぞしている。語り手がそこを突っつくのである。

 著者の腕前を持ってすれば、これくらいさらっと書けてしまうのだろうなと思わせるストーリーである。母国で居心地の悪い思いをしてきたアメリカ人が日本にかぶれ、住み着き、日本の人妻と恋をする。面倒くさいどろどろのエゴイスチックな恋ではない。芯はけっこう熱いけれども外側はきりっとした大人の恋愛。作品も一生懸命になりすぎないやわらかい筆致で、やさしく、おっとりとふたりの〝発展〟を語る。暴力的な展開もトリックもないし、特定のテーマへの執着もない。ほぼ予想通りに健やかに上り詰める。そして終わる。でも、とにかく、眩暈がするほどしなやかな語り口なのである。もちろん、ほんとうは細心の注意の払われた文章で、主人公の二人が日本語から遠く離れているように見せかけつつも、極上の日本語の世界を作りあげている、そんな語り手の言葉の操りぶりは見事というしかない。こんなことができるんだ、日本語で、という嬉しい気持ちで一杯になる。最近の日本語の小説は幼稚で、などと見当外れのことを言っていた作家がいたが、こんなふうに〝幼さ〟を利用できるところがいい。まさに堂々と誇れる日本語の世界ではないだろうか。
  


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2010年04月20日

『この世は二人組ではできあがらない』山崎ナオコーラ(新潮社)

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「センテンスの魔術師」

 ゆるゆるの恋愛小説だと思ったら大まちがいである。
 この作家は言葉にとてもこだわる。プロだなあ、と思う。下手すると小説であることさえ、二の次なんじゃないかというくらいまっしぐらに言葉に立ち向かっている感じがある。緻密で、シャープ。ずらしやひねりも効いている。だから、語りがいちいちきゅっと差し込んできて、まさにイタ気持ちいい。

 もちろん警句だけで作られたような〝つぶやき小説〟ではない。人物造形もしっかりしているし、展開にも説得力がある。主人公の「紙川さん」はへらへらした女たらしかと思っていたら、意外とそれだけでもないところもあって、でも、やっぱりそうだったりもして、あっちこっちに揺れているのだが、そんな生半可な色男が、ちょっと突っ張った語り手の「シオちゃん」を魅了してしまう。その不思議さが実にうまく表現されている。不思議どころか、ああそうだよな、と思う。こういう女はこういう男に弱いんだろうな、と納得する。

 とくに絶妙なのは、紙川さんがはじめてシオちゃんに告白するあたりのシーンなのだが(恋愛小説でここがダメだったら話になりませんね)、そこはむしろ読んでのお楽しみにとっておくとして、紙川さんがふだんどんな言葉をしゃべる人かというと…

「でもさ、仕事が終わったあとに、文庫本一冊と、缶ビール一本を買って帰るのが、一日の終わりの楽しみなんだ。部屋で読書したり、CD聴いたりしていると、生きているって感じがするよ。文化ってすごいなあって」

さて。これで、相方が「うん、文化ってほんとすごいんだね」などと返したら話にならないわけだが、小説家志望のシオちゃんの方は、対照的に、こんなことを考える人なのである。

相手の好意を感じるのは決して、好きだ、言われたときではない。
それから、好きだ、という科白をひとりの異性にしか使ってはいけないという社会通念を、私はばかにしていた。どうして全員が二人組にならなくてはならないのか、なぜ三人組や五人組がいないのか、不思議だった。

紙川さんとシオちゃんの言葉のレベルはぜんぜん違う。ふたりはほとんど別世界、別惑星に住んでいるのだ。だから、紙川さんがああいうことを言うとシオちゃんは、「ふうん」と言いながらもやや「???」な心境になっている。少しだけ意地悪な眼差しを送っていたりする。でも、この「意地悪」はおそらく「この人かわいい」という気持ちと限りなく近い。だから、この微妙な距離が、むしろ紙川さんとシオちゃんの恋愛の形となっていく。

紙川さんはときどき不安そうな顔をするなあ、と思ったら、どうやら私のことが本当に好きらしい、それで私のことを考えているようだ。手や腕が偶然に触れ合ってしまうようなときに、そのことが伝わってくる。自分はこの人に何かを与えてあげられるかもしれない。傲慢かもしれないが、そんな気がしてならなかった。

科白にせよ、心理描写にせよ、ふたりの気持ちが語られる言葉はことさら〝無防備〟だ。一歩まちがえたら気の抜けた紋切り型になるところ。それをぎりぎりのところでずらしている。「文化ってすごいなあって」とか、「私はばかにしていた」といった一言は、まさにボール一個分の出し入れなのだが、でも、これでストライクをとる。

 物語の芯を成すのは、シオちゃんの「自分はこの人に何かを与えてあげられるかもしれない」という言葉である。シオちゃんは〝与える女〟として成長していく。古いタイプの〝与える女〟ではない。決して女であることをやめるわけではないのだが、男っぽいところがある。それも演歌っぽく抒情的に男っぽいのではなく、もっと現実的にというか、制度的に男っぽい。市役所に行って、親から籍を抜いて自分だけの籍をつくったり、もうほとんど関係が終わりかけている紙川に金を融資したり。

私は金を送り続けていた。そのことが彼の「距離を置きたい」と言いたくなる気持ちに繋がっていたのだろう。要はプライドの問題である。だが私は、「彼のプライドを傷つけている」ということに却って喜びを覚えてしまった。嗜虐というのか、変な快感がある。もっと金を送りつけてやりたかった。

なかなかいやな女だ。しかし、紙川さんの方は金をもらう前に「オレは返すけど、普通、同年代の男に金を貸すなんて、あげるようなもんなんだよ」なんて忠告したりするわけで、どっちが一枚上手かわかったものではない。おもしろい恋愛である。

 出だしが「社会とは一体なんであろうか」などという、社会学の教科書みたいな一文ではじまるこの作品には、小説への挑戦状めいた趣がある。人物の造形にしてもそうである。「この小説の主人公である紙川さんは二月生まれであり…」とはじまり、「どうしてもてるのか不思議だったが、そのふざけ具合や極端さ、自信のある感じが、若い子には受けるのかもしれなかった」などと言われると、こちらはほとんどこの紙川さんに興味を失いかけるのだが、ここからじわじわとしぶとく人物を作っていってしまうのだからすごい。

 帯にある「社会派小説」というキャッチコピーはおそらく作者がつけたものではないだろうが、この作品で山崎ナオコーラが、自身の言葉のセンスをたよりにかなりきわどいことをしているのはたしかだ。ふつうは小説では避けられるような「社会」の言葉をあえてとりこみ、物語の大事な部分で生かしている。何より、「社会」という言葉そのものがやけにたくさん出てくるのだ。

そして私は辞書をひくのをやめた。
 言葉は、社会の中をただ流れている。言葉には美とユーモアがあるだけで、意味というものは存在しない。社会の中で生き、耳をすましていれば、語彙は増える。言葉はただの道具で、面白いだけだ。
 また三月三十一日に小説を書き上げ、出版社に送った。

いろんな言葉のレベルを錯綜させようとしているらしい。まるで世界そのもののように。「文学」で「社会」を描くなんていう大業なものではない、ごちゃごちゃっと「文学」と「社会」とが混じり合うのだ。伝記的事実に符合しそうな細部も多く、「ほんとにそうなんだ」という感想を誘うが、そんな中にあって、「センテンスの魔術師」とでも呼ぶべきこの著者がもっとも才能を発揮する鋭利な言葉は、あくまで抑制的に、禁欲的に使われている。

世界の深淵を眺めていたい、遠くの風に耳を澄ませたい、薄氷を踏むように喋りたい。

たくさん喋ったあとのケータイは熱い。赤ちゃんのような熱を帯びる。

ほとんどそのまま現代風短歌としても通用するくらいの突っ張った言葉だ。でも、山崎のこの小説はあくまで〝歌〟の一歩手前で踏みとどまっている。その方がいいな、と筆者も思った。


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2010年02月25日

『老人賭博』松尾スズキ(文藝春秋)

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「世にも珍しい変身譚」

 なかなか強烈な出だしの小説だ。
顔面の内側が崩壊する。そんな奇病を患って少々のことでは動じない自分もさすがに慌てふためいた。

 主人公の金子は、皮膚の内側に浮腫ができてどんどん腫れるという「呪いにかかったような病気」にかかる。原因は不明。顔が醜くゆがみ、マッサージの仕事にも支障がある。ところが、慌てて手術をして皮膚の下の浮腫を取り除き、ゆがんでしまった顔を美容整形で整えてもらったら、こんどはやけに鼻筋も通り、目元もくっきり。元とは似ても似つかない。こうして、「わけもなく陰気な顔」から「わけもなくつぶらな瞳の青年」になってしまった主人公の、いわば変身譚として物語はスタートする。

 ものすごく引きこまれる出だしなのだが、同時にこの先どうするんだろうという警戒感も湧く。ビデオ屋でコメディ映画を借りてくるのが人生唯一の楽しみだという金子が、いきなり喧嘩が強くなって次々にちんぴらをやっつける、などという話になると、ん?SFなの?などとも思う。脚本家と妙な師弟関係を結んでマッサージ師をやめ、映画撮影のため九州へと出発するあたりは、〝珍道中もの〟の風情だ。

 とにかく前半は出だしの主人公の慌てぶりそのままに、ばかばかしさ寸前のエピソードが次々に連なる。実に軽い。しかし、嫌な感じの軽さではない。こちらの予想に反し、バトルだの、復讐だの、秘密だの、陰謀だのといったありがちな展開やサスペンスには収まらず貧乏で、痩せぎすで、病気持ちの人間がたくさん出てくるような、どちらかというとくすんだ日陰の世界が見えてくる。〝人情系〟といってもいい。

 いや、実はバトルや復讐や秘密や陰謀も、あちこちで物語に織り込まれてはいる。クライマックスの焦点は何しろ賭博だから、丁か半か?というわかりやすい緊張感がある。ただ、語り口がたいへん伸び伸びしているというのか、「見事な小説」になろうとする重い自意識のようなものがなく、おかげで、舞台となる九州の田舎町のしぼんだ雰囲気をうまく生かした、がさつで、いい加減で、安っぽくて、運が悪そうな空気のたっぷりと漂う小説世界に仕上がっている。

 それでいて、やけに明るいのだ。とにかくいちいち小ネタが冴えている。「童貞をこじらせている」という金子は酒も飲めない女も知らないけれど、筋肉もりもりでめっぽう喧嘩に強いという相当強引な設定なのにちゃんと物語を進めてくれるし、「いしかわ海」なる名前のグラビアアイドルはその「ふつうさ」がいい。頻出する喧嘩シーンのちんぴらの台詞もいちいちはまっているし、金子に蹴り飛ばされるだけのちょい役の犬なども、筆者はなかなか気に入った。

しばらく歩いていたら、酒屋兼タバコ屋みたいな店が、かろうじてという感じでまだ開いているのを見つけたので、小走りに駆けこむと、店の軒先でバスターミナルで見た野良犬とまだ出くわしてしまった。それを嗅いでどうするんだ、というようなビニールの切れっぱしの臭いをクンクン嗅いでいる。近くで見ると卑屈な顔をした犬だ。蹴りたくなったので軽く蹴り飛ばしてみた。野良犬はキャンと叫んで、真っ黒い尻の穴を思い切り見せながらテテテと走り去った。

 劇中劇に使われる『黄昏の町でいつか』なる映画も、タイトルからしてそのぱっとしない感じが印象的だ。とくにクライマックスで老俳優が言わされる脚本の台詞は芸が細かい。映画は、老人が若い女と力を合わせて田舎町のシャッター商店街を再生させるという筋書きなのだが、おしまいの方に老人がしみじみ人生を振り返って少女に語りかけるというシーンがある。このシーンの撮影でわざとこの老俳優にとちらせ「NG賭博」に勝つというのが賭博参加者である脚本家のもくろみで、そのために脚本家はわざととちりやすいように台詞を書き直すのである。

(改稿前) 「もう、平均寿命超えとるんよ。それなんに、俺はなーんもできとらん。女房にもなんもいい思いをさせきらんで死なれてしもうたし、50年やって来たラーメンも、まずくもないけどうまくもない、みんな近所やけん惰性で食いに来よるだけたい……」
(改稿後) 「もう平均寿命超えとるんよ。それなんに、俺はなーんもできとらん。女房が行きたがってたマチュピチュ遺跡に連れてもいけず、死なれてしもうた。あげんマチュピチュマチュピチュ言うとったんにねえ。50年やって来たラーメンも、まずくもうまくもまずくもない、みんな近所やけん惰性で来よるだけばい、食いに……」

 果たして老俳優はこの台詞をうまく言えるか言えないか。人々は固唾を呑んで見守るのである。実に馬鹿馬鹿しい展開だが、作家の筆はむしろ勢いに乗っている感じで、悪のりとも情愛ともつかない妙な興奮感がストーリーを盛り上げる。

 全体を通して見ると、たしかにどこか斜に構えた小説だ。描かれる世界に対して、まさかねえ、こんなことあるわけないよね、とちょっと突き放した距離感がある。映画制作がメインイヴェントだったり、整形した主人公が仮面をかぶった「偽の自分」を生きている、といった事情も関係するのだろう。すべてが〝ごっこ〟の世界なのである。

 でも、そういう世界をときどき、ぐいっと摑みにかかるような言葉がないわけではない。たとえば親に虐待を受けて「性悪説」を信じてきたグラビアアイドルのいしかわ海は、「世の中の暴力の歴史は悪というより、それをふるうものの「独善」に基づいていると確信する」。その結果、彼女はあえて「偽善」を選ぶことにする。

「だからあたし、心なく人に優しくできるんです。そう自分を訓練してるんです。それってだれも損しないでしょう。心なく優しく、が、あたしが目指す世界幸福のモットーなんです……。」

あるいは金子のお師匠である脚本家・海馬。もともとマッサージ屋で知り合った縁で、お師匠のくせに金子のことを「先生」と呼ぶ。小説の終わり近くで、この海馬が自分の賭博哲学を開陳するシーンがある。

「……先生が次に弁当のおかずのなにを食うか。フライを食うのか、煮物を食うのか。煮物を食う、に100円俺が賭けるとするだろ。そして、先生が煮物を食う。それを神が決定したのだとしたら、俺はそれに100円の値段をつけたって話になる。つまり神の行為を矮小化することで、神の視線の外側に出る。それがおもしろいんだが、なにせ、神はでかいからね。それを相手の遊びだから身も心もクタクタになる」
 

こんなことを言っておいて、金子がなるほどという顔をすると、海馬は「わかったふりしなくていいよ」と白ける。「俺の言ってることなんてほとんど冗談なんだから」。まさにこの小説そのもののような態度ではないか。

 いしかわ海にしても海馬にしても、この〝軽い〟世界の住人として、ペテン師の影を背負った哀愁がある。でも、それでいて、結構はつらつと元気なのだ。しまいには金子も、整形した顔がぐしゃっとつぶれてしまったのに(ああ、やっぱりと読者が思うシーンだ)、けっこう楽しそうに見えるのだった。


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2010年02月08日

『回想の太宰治』津島美知子(講談社)

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「太宰はエアロビクスをするか?」

 太宰夫人はいたってふつうの人だった。『漱石の思い出』の夏目鏡子が、夫を凌ぐかというほどの強烈な個性の持ち主なのに対し、津島美知子は常識と良識の人だった。

 太宰のような作家を語るには、この〝ふつうさ〟がうまく作用する。何しろ、口から先に生まれてきたみたいにぺらぺらと文章をはき出す男である。悲しいとか自意識とか言っているが、この人、ほんとに悩むヒマあったのかね、と思いたくなるほど、生きることと書くことに忙しかった。

 美知子はぜんぜん違う。文章もぺらぺら出てくるわけではなく、むしろ寡黙で木訥。しかし、いかにも口数の少ない人らしく、しゃべるときにはけっこう痛いことを言う。そんな美知子が一枚一枚皮を剥ぐようにして、太宰を裸にしていくのである。美知子の〝ふつうさ〟の領域に、「ふつうなんか嫌だ!」と叫び続けた太宰が少しずつ引きづりおろされてくる。

 たとえば、太宰が「善蔵を思う」や「市井喧争」の題材にした苗の押し売りの訪問事件について、美知子は次のように述懐する。

来客との話は文学か、美術の世界に限られていて、隣人と天気の挨拶を交すことも不得手なのである。ましてこのような行商人との応酬など一番苦手で、出会いのはじめから平静を失っている。このとき不意討ちだったのもまずかった。気の弱い人の常で、人に先手をとられることをきらう。それでいつも人に先廻りばかりし取越苦労するという損な性分である。

ああ、太宰ってそうだよね、と思った時点で、すでに私たちは美知子の術中にはまっている。隣人と天気の挨拶を交すことも不得手」などと言われると、まるで「天気の挨拶」をしなくてはいけないのではないかという気になってくる。夫人は太宰にいったい何をさせたいのだろう? 八百屋でカレーの材料を買ったり、エアロビクスに通ったりする太宰がこの先に現れてもおかしくない。

 しかし、私たちはすでに美知子の術中にはまっているので、次のような感慨にも思わず頷いてしまう。

私はその後、この一件を書いた小説を読んで、さらに驚いた。あのとき一部始終を私は近くで見聞きしていた。私にとっての事実と太宰の書いた内容とのくい違い、これはどういうことなのだろう。偽(いつわり)かまことかという人だ――と私は思った。

「偽(いつわり)かまことか」なんて言うけど、小説家なんだから、そんなの当たり前でしょ…とそんな反論をする人もいるかもしれないが、筆者はそうは思わない。太宰がそういうことで嘘をつくのを、ぜんぜんあたり前ではない、すごく生々しい「偽り」と感じてしまうような境地がありうるのだ。美知子はそういう境地に読者を引きこんでいく。

 蓼科まで旅行したときのこと。太宰は「蛇がこわい」といって宿にこもり、酒ばかり飲んでいる。美知子は思う。

これでは蓼科に来た甲斐がない。この人にとって「自然」あるいは「風景」は、何なのだろう。おのれの心象風景の中にのみ生きているのだろうか――私は盲目の人と連れ立って旅しているような寂しさを感じた。

太宰ファンなら「まさにこれがいいんじゃないか。はるばる蓼科まで行って、観光しないで酒浸りなのがカッコいいんじゃんか」と言うかもしれない。たしかにそれが〝通〟かもしれない。たしかにそれが「文学」なのかもしれない。それに比して、美知子はあまりにふつうだ。

 でもこのふつうさや、愚痴っぽさや、言葉になりきらない苛々が、〝ほんものの太宰〟を取り逃がしているなどとは思わない。美知子は揺るがぬ人だ。その揺るがぬ地点から、頑固なほど常識的な視線を送っている。

作家にとって家は住居であるとともに仕事場でもある。仕事だけに専念して世俗的な用向きは一さい関わりたくないという、それは理想であるが、「家」のことともなれば、一家の主人としてもっと、関心をもち積極的に動いて欲しいと思ったのだが、彼の方は私や私の実家の力の無さに不満を持っていたのかもしれない。

ああ、なんて当たり前のことを言う人なのだ。あの太宰に「一家の主人としてもっと、関心をもち積極的に動いて欲しい」なんて、よく言うよと思う。しかし、こうした言葉、まるで生きてそこにいる太宰に語りかけているかのようだ。迫真性がある。そして、そんなふうに感じるのも、そういう思いを浴びてしまう太宰がいるからなのだ。つまり、太宰も案外、こういう常識の中に引きこまれるタイプなのだ。いや、下手をすると常識を誘発さえした。

 本書の中でもとくに太宰が裸にされたという印象を受けるのは、税額の多寡に一喜一憂する太宰を克明に描いた「税金」という章と、時計や靴など太宰の残したものを元に思い出を想起する「遺品」という章である。腕時計がひとつあるばかりで時間どころか曜日の観念すらなかった三鷹の家では、美知子は休みと知らずに郵便局に出かけたこともあったが、あるとき、時計をなくしたと太宰に報告して、ひどくしかられたことがあった。なぜそんなにきつく叱られたかは謎だが、美知子はそのときのことを思い出すにつけ、愚痴りたくなる。

あの人は私が外出して、留守番役になることを好まない。遠くへ行って長く私が留守すると、きまって不機嫌である。そしてまた彼はいつも自分が被害者であらねばならない。

その通り。世の亭主は留守番が嫌いです。そして文句を言われる側であるよりも、文句を言う側にいようとする。ちゃっかりしたものだ。「まったくもお」という声が聞こえてくるようである。寡黙な美知子の不満はさぞ蓄積しただろう。だが、不満が蓄積するからには、そういう場があったのだ。留守番するしないでいちいち神経を張りつめあうような、すごく泥臭い日常があった。小説書くばっかりで、うちの人は趣味もない、なんてつぶやく美知子の強烈な生活の臭いは、抽象的な太宰の生活に、否応のない具体性を与える。

 男か女かという話は、抽象的に語るとまるでおもしろくない。ましてや太宰の場合はそうだ。でも、さすが美知子夫人、鋭い目が冴えている。これも「遺品」からの一節なのだが、靴と足の話が出てくる。長身の太宰は足も大きかった。しかも甲高で脂足。結婚式で仲人をするのに、足袋を履き替えようとしてもなかなかうまく履けない。そんな話のあと、ふと美知子は思い出す。

ほんとに大きな足で、その素足を見ると私は男性だなあと感じた。女性的なといえる面を多く持っている人だったから。

足を見て、あ、一応男なんだ、というのだ。なかなかすごい。もちろん、本人にはこんなことは言わなかっただろうが、たとえ言わなくても何かは感じはする。太宰だって鈍感な人ではない。

 こうしてみると太宰というのは、回想されやすい人なのだ。生まれつき丸裸に出来ている。ガードが甘い。だいたい、こんな慧眼の人を奥さんにもらってしまうところからして、プライバシーに対する意識が低いとしか言いようがない。しかし、あのぺらぺらと言葉の流れ出してくる作品を読むにつけ、個人的な事件にせよ、伝聞のネタにせよ、あるいは古典の流用にせよ、題材を右から左へと流していくことについての天才的なまでの鷹揚さのようなものが、まさに太宰の本質なのかなとも思う。そういう意味では隙だらけであることでこそ、作家たりえた人なのだ。それが美知子夫人の寡黙なる苛々を一層助長する。うまい釣り合いとも見えるし、だからこそ、お互いなかなかたいへんだったろうなとも思う。

 この本は決して太宰神話を切り崩すものではない。夫の死後、積極的にその全集の編集や解説執筆などにかかわってきた美知子はむしろ〝神話〟を築いた側にいる。本書の元になった単行本が最初に世に出たのは1978年、すでに30年だ。この30年の間にも〝神話〟は縮むどころか、膨張したのではないか。しかし、やはりこの回想は強烈な口直しなのだ。永遠の口直しである。太宰はそういう口直しとならべて嘆賞するのがいい。美知子だって愚痴ってばかりではない。泥酔した太宰の寝顔を見ながら、「このような、神経がすっかり麻痺した状態になりたいために飲む酒なのか」とつくづく感慨にふけったりする。やはり、この人は太宰にとって大事な〝覚醒部分〟を担っていたのではないか。寝顔同様、太宰の文章はどこか隙がある。それが魅力。いつも、「ねえ、僕についてなんか言ってみてよ」と訴えている。誰かと一緒にいないと気が済まない作家だったのだ。


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2010年01月08日

『小僧の神様 他十篇』志賀直哉(岩波書店)

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「待つということ」

 志賀直哉を読み返すのは20年ぶりくらいなのだが、あまりに圧倒的で参ってしまった。そういえばそうだった。こういうふうに「あまりに圧倒的だ」と思わせるのが志賀の得意技なのだ。

 この岩波文庫版は初期から中期にかけての作品を集めたもので、本文は200頁くらいのごく薄い短編集である。その真ん中あたりに「城の崎にて」が入っている。9ページ。原稿用紙で二〇枚くらいか。とにかくこれを読んだだけで、本を一冊読了したくらいの満腹感がある。もうほかの小説を読まなくていいという、「愛の頂点」のような気分にしてくれる。

 それにしても、これほど身勝手な人間はいない。エゴのかたまりみたいな文章である。これが小説かよ、と思わせる。私小説どうこうとか、主観がどうこうということではない。あるいは志賀自身がよく使う「ありのまま」とか写実といったことでも解決がつかない。

 同じ選集に「小僧の神様」という、うまさの極地をいくと言われる作品も入っているので「城の崎にて」と読み比べてみるといい。「小僧の神様」の方は、さあさあと手を引かれて中をのぞいてみると、よくできた落語みたいによどみなく話しが展開して、あれよあれよという間に結末にたどり着く。〝オチ〟の爽快感もばっちし。鮨まで食べた気になる。いや、思わず鮨が食べたくなる。そんな小説である。

 これに対して「城の崎にて」の無愛想なことときたら…。鮨も瓢箪も出てこないし、9ページしかないのに、出だしの一文はこんな具合なのである。

山の手線の電車にはね飛ばされてけがをした、そのあと養生に、一人で但馬の城の崎温泉へ出かけた。背中の傷が脊椎カリエスになれば致命傷になりかねないが、そんな事はあるまいと医者に言われた。二三年ででなければあとは心配はいらない、とにかく用心は肝心だからといわれて、それで来た。三週間以上――がまんできたら五週間ぐらいいたいものだと考えて来た。

まちがえて他人にかかってきた電話に出てしまったようなものだ。いきなりプライベートな話をくりだされて、恋愛沙汰とかならともかく、よりによって怪我をした話かよ、と思う。事故現場のヴィヴィッドな描写があるわけでもなく、妙に生々しい病名が出てきてあとは養生のことばかり。三週間にするか、五週間にするかなどと、おもしろくもないことで勝手に悩んでいる。

知るか!という気になる――なりそうなものである。しかし、そうはならないところが志賀直哉の不思議。いつの間にかこっちを自分のペースに巻きこむのである。そういう文章なのだ。第二段落になっても、第一段落の無愛想さはいっこうにかわらない。

頭はまだなんだかはっきりしない。物忘れが激しくなった。しかし気分は近年になく静まって、落ちついたいい気持ちがしていた。稲のとり入れの始まるころで、気候もよかったのだ。

何なのだろう、このくつろぎぶりは。「私は」くらい言えよ、と言いたくなる。この短編、「私」とか「僕」といった主語がほとんど出てこない。「自分」という言葉はだんだんに増えてくるのだが、一般に使われる主語の「私」のように、「これは私が私のことについて語っているのだ!どうだ!」というライトアップの伴うような「屹立」のニュアンスはあまりない。あくまで必要があって事務的に関係を明示するだけに聞こえる。でも、だからといって、著者が慎み深いわけではない。

 オレが主語なのはあたりまえでしょ?というのが志賀直哉の世界なのである。いちいちライトアップして屹立する必要などない。実にあつかましいのだ。しかし、このあつかましさに、読者は参ってしまう。最後までしっかり立っていてくれるなら、どうぞ勝手にやってくれ、どうどんエゴで押してくれ、と思ってしまう。それで許されてしまう書き手がいるのだ。まれに。

 志賀直哉という作家が「小僧の神様」のような作品と「城の崎にて」のような作品の両方を書けてしまったこともすごいのだが、「お愛想」という意味では対照的なこの二作に、意外に共通したところがあるのもおもしろい。しかもそれは、志賀の強烈なエゴの神髄にあるものを示している。この作家は〝待つ〟のが実にうまいのだ。

 たとえば「小僧の神様」。この作品の安定した語りを支えているのは、決して登場人物や語り手が忙しく先走ったりしないということだ。だから、

彼はふと、先日京橋の屋台すし屋で恥をかいた事を思い出した。ようやくそれを思い出した。

というようなどうということのない一節が、すごく効いてくる。「ふと」が殺し文句になるのだ。じっと待ってきたその準備があったおかげで、「ふと」視界が開けてきたり、思いついたり、合点がいったりという地点が、小説の誘惑的な瞬間として、このうえなく小説的な色気をもってくる。あの有名な結末もまさにそうで、最後には語り手が出来事を悠々と見送る。じたばたとは動かない。後ろから、遅れて、出来事をながめる感じこそが、作品世界を立ち上がらせるのである。決して結末だけが奇抜なわけではない。語り手はいつだって、辛抱強く待っている。

 〝待つ〟ということは、志賀直哉のあの徹底したマイペースとも連動している。「城の崎にて」にはそれがよりはっきり出ている。「ありのまま」を書いたというこの小説、出来事や言葉は先に進んでいくが、芯にある意識のカタマリのようなものが悠然と動かない。いろいろ悩んでいるらしいのだが、何だかんだ言って、どてんと居座っている――圧倒的な存在感とともに。のろまさゆえの存在感と言ってもいい。意識が言葉から取り残されてしまったような、妙な乖離の感覚さえある。芯にあるこののろまさと、身の回りで起きることや言葉で語られることとのずれ具合が壮絶なのだ。

 「城の崎にて」の終わり近くに印象的な一節がある。あらためて事故のことを思い出す箇所で、作品のおそらく急所だ。ここを通過するおかげでこそ最後の、これも有名な「いもり殺害」の場面が、不思議な輝きを帯びてくる。結末への助走になっているということだ。

「フェタールなものか、どうか? 医者はなんといっていた?」こうそばにいた友にきいた。「フェタールな傷じゃないそうだ」こう言われた。こう言われると自分はしかし急に元気づいた。興奮から自分は非常に快活になった。フェタールなものだともし聞いたら自分はどうだったろう。その自分はちょっと想像できない。自分は弱ったろう。しかしふだん考えているほど、死の恐怖に自分は襲われていなかったろうという気がする。

この辺まではまだいい。あいかわらず自己中心的なことこのうえない。相手のことなどおかまいなしに、どうでもいい私事に拘泥している。だが、言っていることはわかる。それが、だんだん何を言っているのかわからなくなってくる。

そしてそういわれてもなお、自分は助かろうと思い、何かしら努力をしたろうという気がする。それはねずみの場合と、そう変わらないものだったに相違ない。で、またそれが今来たらどうかと思ってみて、なおかつ、あまり変わらない自分であろうと思うと「あるがまま」で、気分で願うところが、そう実際にすぐは影響はしないものに相違ない、しかも両方がほんとうで、影響した場合は、それでよく、しない場合でも、それでいいのだと思った。それはしかたのない事だ。

それまでと同じペースで読んでしまったら、あれ?と思う箇所だ。本人の中では思考がつながっているようだが、読んでいる方としては、文章がこんがらかって見える。でも、頑張って解析して、いったいどれほどの内容が出てくるだろう。むしろこだわりの芯がぐずって、その場に座りついてしまっている感じが大事なのだ。鈍重な悩みが、文章の流れそのものから置いてけぼりを食っているように見える。

 しかし、つくづく不思議なのは、悩みにも自意識にも共感できないのに、なぜか読者は引っ張りこまれてしまうということだ。「それでいいのだと思った。それはしかたのない事だ」なんて平然と言っていて、そう言われると、そういうもんですかねえ、と思ってしまう。こだわりのカタマリが悠然とふんぞり返っている、このふてぶてしいエゴに、読者は負けてしまう。読書というものの、あるいは文章というものの、根源的な魔力が垣間見えるような気がする。動こうとしないものの魔力である。

 この選集は末尾に、いかにも志賀らしい愛想のない「あとがき」がひらっとくっついている。「城の崎にて」については、三行ほどで「事実ありのまま」だとか、「心境小説」だとかあって、イモリの死にしても何にしても全部ほんとに「目撃」したのだといった説明がある。ぜんぜん役に立たない解説である。さすが、と言うほかない。平気で読者に待ちぼうけを食わせる態度、まさにそのまんまではないか。やっぱり小説は〝人〟が書くのだなあ、などと、ほとんどため息のような感慨を抱かせる作家である。


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2009年12月04日

『斜陽』太宰治(新潮社)

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「湯水のように」

「英米文学へのお誘い」という地味な授業を、同僚の江川さんとのリレー方式でやっている。対象は1~2年生。筆者が『斜陽』と『明暗』をやると言ったら、江川さんも「お前がそう言うならしょうがねえ、俺も『ノルウェーの森』をやる。うぇっ」とのことで、「英米文学へのお誘い」のはずなのに、妙な取り合わせの日本語小説ばかりの授業になってしまった。

 で、『斜陽』なのだが、有名な作品とはいえ、うまい小説とはいいがたい。パワーがあるというのとも違う。ご存知の通り、太宰の愛人の日記を元にしたと言われるストーリーは、貴族の一家が滅びていく様を辿っている。元気の出るようなイヴェントが展開するわけでもないし、鋭い洞察に満ちているとも思えない。とにかく滅びの気配が一面に濃厚で、頁面に色でもついているかのような気分になる。

 なぜ、こんな小説を「英米文学へのお誘い」でとりあげたのか。お誘いをするからには、英語であると日本語であるとを問わず、まずは小説なるものにからんでみましょう、というのがこちらの意図だった。とくにからみにくそうな作品。『斜陽』は、後でも触れるようにどちらかという「流れ」で読ませる小説である。その流れに流されつつも、ところどころに引っ掛かってみたい。こう見えて、この作品は気になる部分があちこちにある。太宰お得意の、こちらの顔色をうかがうような徹底的にやわらかい語り口がかず子というかなり人工的なキャラクターを通して極限まで作り込まれているのだが、そこに、声色の変わる刹那があったりする。

 たとえば以下の箇所だ。いよいよ生活が立ちゆかなくなり、かず子の追いつめられた心境が吐露されている。感情が盛り上がり、例のかず子語りが全開になる。バカ丁寧で、まわりくどく、しつこく、ウェットな語り。でも、線を引いたあたりから、ちょっと様相が変わる。(少し長いです)

 お母さまは、今まで私に向って一度だってこんな弱音をおっしゃった事が無かったし、また、こんなに烈しくお泣きになっているところを私に見せた事も無かった。お父上がお亡くなりになった時も、また私がお嫁に行く時も、そして赤ちゃんをおなかにいれてお母さまの許へ帰って来た時も、そして、赤ちゃんが病院で死んで生れた時も、それから私が病気になって寝込んでしまった時も、また、直治が悪い事をした時も、お母さまは、決してこんなお弱い態度をお見せになりはしなかった。お父上がお亡くなりになって十年間、お母さまは、お父上の在世中と少しも変らない、のんきな、優しいお母さまだった。そうして、私たちも、いい気になって甘えて育って来たのだ。けれども、お母さまには、もうお金が無くなってしまった。みんな私たちのために、私と直治のために、みじんも惜しまずにお使いになってしまったのだ。そうしてもう、この永年住みなれたお家から出て行って、伊豆の小さい山荘で私とたった二人きりで、わびしい生活をはじめなければならなくなった。もしお母さまが意地悪でケチケチして、私たちを叱って、そうして、こっそりご自分だけのお金をふやす事を工夫なさるようなお方であったら、どんなに世の中が変っても、こんな、死にたくなるようなお気持におなりになる事はなかったろうに、ああ、お金が無くなるという事は、なんというおそろしい、みじめな、救いの無い地獄だろう、と生れてはじめて気がついた思いで、胸が一ぱいになり、あまり苦しくて泣きたくても泣けず、人生の厳粛とは、こんな時の感じを言うのであろうか、身動き一つ出来ない気持で、仰向に寝たまま、私は石のように凝っとしていた

下線部に至って何かが変わっている。何かお気づきですか?と授業の参加者に訊いてみたところ、以下のような意見が出た。

意見その1:言葉が矢継ぎ早だ。
意見その2:「てん」が多い。
意見その3:言葉がループしてる。

「ループしてる」という言い方はおもしろい。もちろん、それに先立つバカ丁寧で、まわりくどく、しつこく、ウェットなかず子語りとのコントラストも大事。

 かず子語りの鍵となるのは、おそらく「そして」という語だ。「そして」でひたすら言葉をつないでいくフラットさ。ふつうなら稚拙でもたついた語りと感じられそうなところだが、太宰はそういういわば「女子供の語り」をうまく利用して、言葉を無駄遣いする快楽のようなものを味わわせてくれる。ひたすら切り詰めることを美徳とする日本語散文の伝統とはまさに逆。湯水のように言葉を流してみせる。流れで読ませる小説とはこのことだ。

 湯水のように感じさせるには、さらさらとしてなければいけない。また、湯水というからには、何となく、温度のニュアンスもある。感情が温度として感じられるような文章でなくてはならない。そのためには温度がだんだんあがっていくという仕掛けがあるといい。
 
 文章の温度はどのようにして上昇していくものだろう。上記の意見でも出たように、まずは「矢継ぎ早さ」。それとセットになるのが、「てん」の多い文、つまりなかなか「まる」にたどり着かないような、なかなか終わらない文である。が、それだけではない。言葉は細かく切れつつ延長していくのだが、それに加えて「ループ」がある。そうなのだ。言葉が自分で自分を語るようになる。「なんというおそろしい、みじめな、救いの無い地獄だろう、と生れてはじめて気がついた思いで」なんていうあたり、かず子のフラットな語りはこの感情の山を迎えるにおよんで、自分で自分の考えていることを上から見下ろしたり、下から見上げたり、背後から回り込んだりしながら、「思う」ようになった。しかも何重にも。

 フラットで水平方向の「そして」の語りは、こうして同じようにさらさらと流れながらもあがったり下がったりし始める。同一平面上の水平な語りから、「裏」のある語りになった。垂直軸への移行が起きている。それを実にさりげなくやっている。かず子が丁寧でフォーマルな構えを失って変わっていくことと、このような裏側の露出とはパラレルになっているようだ。言葉の裏側が露出し、本音や欲望がにじみ出るにつれ、かず子もまた墜ちていく。と同時に、一人の女ともなっていく。幾重にもつらなる「ループ」の構造はそういう運命を予告するのだ。

 『斜陽』に対する参加者の感想はおおむね肯定的だった。「かず子の語りというのは、何しろ、しつこいしウェットですな」などとこちらが水をむけても、「いえいえ、そんなことはございませぬ。たいへん読みやすく候」みたいな答えが返ってくる。湯水のような語りはなかなか好評のようだ。

 とはいえ、意外だったこともある。筆者にとって『斜陽』でとりわけ印象に残る場面のひとつは、終わり近くにある上原とかず子の次のような会話である。かず子が「岩が落ちて来るような勢いでそのひとの顔が近づき、遮二無二私はキスされた」なんていうことを言う箇所である。弟の直治に悪魔的な影響を与えた上原。その上原にかず子はとりつかれてしまったのである。かず子の台詞は何とも不器用だが、それだけに骨のようなものを感じさせる。この人もここまで来たか、と感慨深い。すでに上原と肉体関係を持ち、すっかり墜ちてしまったかず子の、かわりはてた荒さが、ある意味で新鮮でさえある。

「今でも、僕をすきなのかい」
 乱暴な口調であった。
「僕の赤ちゃんが欲しいのかい」
 私は答えなかった。
 岩が落ちて来るような勢いでそのひとの顔が近づき、遮二無二私はキスされた。性慾のにおいのするキスだった。私はそれを受けながら、涙を流した。屈辱の、くやし涙に似ているにがい涙であった。涙はいくらでも眼からあふれ出て、流れた。
 また、二人ならんで歩きながら、
「しくじった。惚れちゃった」
 とそのひとは言って、笑った。
 けれども、私は笑う事が出来なかった。眉をひそめて、口をすぼめた。
 仕方が無い。
 言葉で言いあらわすなら、そんな感じのものだった。私は自分が下駄を引きずってすさんだ歩き方をしているのに気がついた。
「しくじった」
 とその男は、また言った。
「行くところまで行くか」
こんな会話である。で、再び参加者の意見を訊いてみた。かず子の台詞についてのコメントでとくにおもしろかったのは、感情を殺そうとするかず子と、あくまで誘惑的に振る舞おうとする上原との間でジェンダーが逆転しているとの指摘であった。かず子の言葉がすっかり〈男性化〉するにつれ、上原が〈女の言葉〉を語っている、というのである。

 ところで、その上原の台詞についてなのだが、参加者はほとんど一様に「許せない」、「軽薄」、「自分大好き人間」、「女を嘗めてる」、「東横線で隣合わせたら殴りたくなる」などなど、いやいや思ったよりみなさん厳しい裁定なのである。そうですか~、そう言われてみるとそうかもね~、などとこちらも変に弁解がましい口調になってしまった。きっと苛々させるのも太宰の大事な持ち味。考えてみると、こういう台詞を平気で言える図々しい感性というのは、今の日本にはそうそう見あたりそうにない。

 作家太宰とたいへんよく似ていそうなこの上原という悪党、ほんとうはもう少し好意的にとりあげようと思っていたのだが、たしかに軽薄だし、自分大好きだし、まあ井の頭線で隣合わせたら殴りたくなるかも。だけど、さらさらと湯水のように言葉を使う小説の中で、だんだんやせ細って荒涼とした言葉へと墜ちていくかず子のような人物のわきで、あくまで軽薄でいつづけるのはなかなかたいへんなことだ。ひとりくらいこんなアホな言葉をしゃべる人物がいてはじめて『斜陽』にも光が差すのかななどとわけもなく寛容な気持ちになって(それに、ちょっと笑える台詞だし)、でもそれは口に出さず、『斜陽』の回はおしまいとなった。




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2009年11月02日

『グリーン・カルテ』川上亜紀(作品社)

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「病気と小説」

 「グリーン・カルテ」がついに本になった。十年前に文芸誌でつり込まれるように読んだときのその不思議な力は、今回の再読でもしっかり確認できた。あのときはなぜつり込まれたのかよくわからなかったが、こんどは多少は説明できそうな気がする。

 筆者の同僚に江川さん(仮名)という人がいる。江川さんは病気が出てくる小説を軽蔑している。「病気をネタに書いてやれ」という狙いを嗅ぎ取っただけで鼻白むという。まじめに読もうという気もしなくなる。学生の卒論も、病気小説を論じているものには冷たいようだ。

 しかし、江川さんと同僚になったおかげで筆者はかえって、「そう言われてみると自分は病気小説がかなり好きだ」と自覚するようになった。探偵小説、病気小説、思弁小説とならんでいたら、筆者はまちがいなくまずは病気小説をえらび取るだろう。何が楽しくて、わざわざ病気の話を読むのか。

 病気のことが書いてあればいい、というわけではない。つり込ませる病気小説の最大の特徴は、それが恐るべきほどの必然の連鎖によって構成されている、ということである。ひとつひとつの細部や展開に、「そうであるしかないのだ」という逃れようのなさがある。語り手も伊達や酔狂で語っているのではなく、「どんどん語らなければ自分はほんとうに滅びてしまうぞ」とでもいうような、藁をも掴むような必死さがある。

 しかし、そのような必死さだけでは、重い。読ませる病気小説は、一種の教養小説(ビルドゥングス・ロマン)にもなっている。病気というのは、生き物を飼っているようなところがあって、その成長を逐一見届けたいという観察欲や記録欲をかき立てる。数えたり、覚えたり、気に留めたりしたくなる。しかもそうした観察はほとんど自己目的的にもなっていくから、下手をすると、病気を応援しているかのように見えたりする。どこか生命的なのである。前を向いている。

 「グリーン・カルテ」は、まさにそういう小説である。内容は病気のオンパレード。鬱からはじまって風邪、下痢、下血、発疹…。中心となるのは語り手自身の潰瘍性大腸炎という難病なのだが、その周辺でもインフルエンザだの癌だの血圧だの、まさに生きるということは病気になることなのだ、と思わせられるほどに病いの匂いがぷんぷんとしている。

 しかし、これほどの目に遭いながらも語り手は実にテキパキとしている。どう笑っていいのかわからないくらい個性的な洒落や気まぐれが満載であるにもかかわらず、語りの流れにはしっかり一本筋が通ってスキがなく、抑制の効いた旅行記のような安定した足取りを感じさせる(本書に収録された「ニセコアンヌプリへの登頂」では、まさに「歩く足」がテーマになっている)。道徳的にふんぞりかえったり、感傷的に落ち込んだりすることもない。あれこれ考えても、いざとなるとスパッと横っ飛びできるような敏捷さがある。とりわけ冴えているのは――何しろ大腸炎なので――「畜便」と呼ばれる作業を描写するところなのだが、そこは本書を手にとって確認してもらうとして、ここではこの小説の影の主役とも言える曲者の母親を、上手にちらっと登場させている箇所を引いておこう。急に入院となって、主人公はいろいろ物を整える必要に迫られる。

 そこで、私は新しくガウンを購入することにした。一カ月半のあいだには、ガウンがないために他人から白い目で見られたり、実際に不自由な思いをしたりするかもしれなかった。問題はガウンの色だった。ガウンはコートなどと同じくらいの表面積を持つので、色に関しては慎重に選ぶ必要があった。紺色と言って母に任せれば、きっと紺色が見つからなかったと言ってピンク色を買ってくるに決まっていて、もし紺色が見つかったとしても、それが似合わなかったときに母に文句をつけることになるのがわかっていた。外出は避けるようにという医者の言葉にもかかわらず、私は自分でガウンを買いにいかずにはいられなかった。その結果が、白地に紺とピンクの太いストライプだった。無地の紺色は見つからず、薄い緑色を身体に当ててみたりしていた私に、店員がそれを勧めたのだった。こちらの方が明るいと思いますよ……。 

「紺色が見つからなかったと言ってピンク色を買ってくるに決まって」いるような逸脱的なこの母親、実に母親らしくていい。まさに永遠の母性である。どう考えてもその母親から逃れられそうにない語り手も、変なフロイトコンプレクスに熱くなるのではなく、ガウンの色に文句をつけたりしながらも、つかず離れずの曖昧な密着をつづけていきそうである。

 語り手には妙なしぶとさがあるのだ。おそらく病気の種類も関係している。さまざまな病気が出てくるが、芯の部分にあるのは、ストーリーの土台をなす大腸炎の罹患と治療、それからもうひとつ、鬱である。要するに下痢と意気消沈とが、この語りの根本にあるモチーフなのである。どちらの病いにも共通して、力が入らない、という症状がある。

 「グリーン・カルテ」の最大の魅力は、この力の入らない感じを見事に書ききっているところにある。力が入らないから、思考がさまよったり、変な夢をみたり、怒りが形にならなかったり、救急車で運ばれたり、人からわーわー言われたりする。しかし、この力の入らなさ加減が、むしろ遠心力のような力へと転化されていく。詩を書く以外に野心も欲望もなさそうな女性が、あれよあれよとさ迷い流されていく感じを、強烈な勢いとして読ませてしまうのだ。

 作品の最後で、主人公の飼っていた緑亀が死んでしまう。何とも言えない場面である。ずっと一匹だけで飼っていたのだが、退院して家に戻ってから、亀も仲間が欲しいだろう、とお祭りでもう一匹買ってきた。どうやらそれがよくなかったらしい。

 その新しい少し甲羅の尖った亀は、慣れない環境のせいかあるいは性質なのか、めったやたらと動き回るので、古顔の亀も落ち着かず、時々砂利の上で逆さにひっくり返って起き上がれなくなってもがいたりしていたから、多少気になってはいたのだが、前日には二匹仲よく石の上に乗って甲羅干しをしていたのだった。

 亀の静かな死に様を目にしながら語り手は考える。

突然、自分の部屋にまったく見知らぬ他人が入り込んできて、朝も夜もがさがさと動き回り、意味もなく身体を接触させたり、挙げ句の果てにはチーズオムレツを横取りされてしまったりすれば、私だってどんなにか疲れ果ててしまうだろう。私は死んだモナイに対してすまないという気持ちでいっぱいになった。名前の由来である女友達にも申しわけなかった。彼女は暑い夏を、冷房のない職場で働いていた。

 ほとんど唯一の感傷的なシーンかもしれない。たしかに小説を終わらせるとなると前向きな勢いだけでは難しいのかもしれない。しかし、ここでほんとうに行われているのは、ぐっと反省して「結論」を押しつけてくることよりも、力を入れられない病に取り憑かれたはずの人間が、変に力を入れてしまったことでかえって死を招いたのだと、あらためて力を抜きながら考えている、ということではないだろうか。だからこそ、締めくくりで絶妙な比喩とともに描写されるのは、語り手が、あらためて力を抜いた病気との付き合いに戻っていく様なのである。

私は、医者が「風邪」の診察にとりかかるまでのごくわずかのあいだ、高い熱を解熱剤で急に下げた後に訪れる静かで鮮やかな過去の時間のマボロシの中を行ったり来たりした。しかし、医者はすぐに、聴診器を私の胸にあてがった。すると、過去という時間が、ただ一塊の土を空き瓶に詰めたようなものになって、深い谷に落ちていった。
 

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2009年10月01日

『父を葬る』髙山文彦(幻戯書房)

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「父と接吻する男」

 九州にはやはり何かある――たとえ錯覚にしても、そんなふうに感じさせる小説である。
 九州の中でも宮崎は「陸の孤島」。福岡からでも飛行機を使う。小説の舞台となる高千穂はその遥か奥地にある。熊本との県境近く、阿蘇からも遠くない。何より地図の上で目につくのは、それが九州全体の真ん中にある、ということだ。どの海からも離れている。従って、どの都市からも遠い。まさに奥の奥。何かあるとしたら、ここしかない。

 『父を葬(おく)る』という書名には、とりあえず嘘はない。いくつもの重篤な病に冒され、余命わずかと宣告された父が、少しずつ狂い、少しずつ崩れるようにして死を迎える。しかし、肉体と精神が崩壊していく様を、感情を抑えた目でとらえる筆致には、明らかにそれだけではすまないものがある。

 バリアフリーの広いトイレにはいると、父は思いがけない行動に出た。パジャマをパンツごと引き下ろし、便座に腰掛けようとする。
 あたりまえの話だが、父は息子の目のまえで、このようにあからさまに糞などする男ではなかった。父はしばらく神妙な顔をして動かなかったが、やがてトイレットペーパーを引きちぎり丁寧に折りたたむと、ゆっくりと股のあいだにもっていき、拭ってみて、しげしげと眺めた。汚れひとつ、ついていない。
「出らんかったね」
「出らんかった」

どうしてこのような場面を描くのだろう。いったい著者は父をどうしたいのか、と読んでいて思う。介護小説とか、老人小説とかいった優等生めいたものではない。もっと激しいものを隠し持っているのではないか。

 ならば『父を葬(おく)る』というより、『父を葬(ほうむ)る』、もしくは『父を葬(ほうむ)り去る』かもしれない。たとえば、草刈りに行った主人公が「これらの蔓の藪が父にとりついた病の元凶のように思えて、私は鉈でばっさばっさと切り払っていった」というような箇所、父を救おうという気持ちと、そこに微妙に混じった暴力的なものとが、『葬』の意味についてあらためて考えさせる。

『父を死なせる』ということか。たしかに、この高千穂という奥地の村で、主人公は死のごく近くを生きてきた。「生まれてすぐ死んだ兄がいる。サッカーボールくらいの小さな墓石だったが、それを見るにつけ小さいままで死にたくないと思い、この兄が死んだおかげで自分は生まれてきたのかと思った。二つ違いだった」。「十六のとき、じじ様が死んだ。肝臓ガンで、ミイラみたいになって死んだ。その壮絶な闘病と死にざまを目のあたりにしながら、自分は十六まで生きた、じじ様が祟りを全部ひきうけてくれたのか、と私は、また新しい秘密が生まれたことに慄(おのの)いていた」。なるほど。少なくとも、単純な葬送の物語ではない。まるで植物のように死者と生者とがバトンタッチをしていく世界なのだ。

 とくに冒頭の数章での、死んでいく父に対する語り手の複数の感情のからみ合いはほんとうに壮絶で、果たしてこの小説、最後までいけるのかな、と心配になるほどである。祖母の葬式の後のこと。「「ああ、これでせいせいしたな」と、ほんとうにせいせいした顔で言うのを聞き、この男は死んでも二上山には還れないのではないかとおもった」という主人公は、しかし、「父の頬を両手で包み、キスをする夢」を見たりする。生後まもなくのこと。すぐに弟ができ、母を奪われた主人公は祖母になつく。祖母からはついに乳が出るようにもなった。そんなことを想い出しながら、はたと気づく。「ということは、父と私は同じ乳で育ったわけだ。なんということだろう。ふたりは、血を分けた兄弟のようではないか」。

 何なのだこの小説は!?と思わずにはおられない。いったい父をどうしたいのか。父に何をしたいのか。やがて主人公は、自分の知らなかった父について少しずつ語りはじめる。まるでそうすることで、彼自身が父と出逢おうとするかのようだ。熊本の大学に入学し、当時としては村で唯一の「大学出」となった父。文学にかぶれ、カフェの女給と同棲して貢がせ、無頼派のように飲み歩いたかと思うと、就職したとたんに肺をわずらった父。ただ者とは思わせないような詩を書いた父。

わたしは鳥
とても高い空から
あなたを見ている
千秋屋の角を、いま
あなたは曲がる
足もとのクロッカスを踏みしだきながら
そうれ見たことか
真っ白なブラウスが
返り血をあびる

痩せて大柄。大酒のみで、美しい顔立ち。若い頃は、歓楽街の女たちとの関係も絶えなかった。何を考えているのかわからないような沈黙。世事には疎く、親戚の誘いで定職をなげうった途端、移った会社が倒産してタクシー運転手。

『父と出逢う』。そんなタイトルでもいいかもしれない。しかし、そんなふうに安心させてくれる小説でもない。もう死が間近に迫った父は、それでも容赦なく描かれる。看護の母と伯母とは、とにかく父に小便をさせることに血道をあげる。ちょっとでも動けば小便だと信じて揺り起こし、パジャマを引きずりおろしてシビンを股間に差し出し、「しわくちゃのナマコのようなペニス」をつまみだそうとする。

 正直言って、ちょっと笑ってしまいそうになる。そして、まさか笑わせようというのか、とどきっとしたりする。この恐ろしいようなおかしさは、最後まで続く。自宅に戻った父に例によって「おしっこ?」と声をかけ、三人がかりで便所に連れて行こうと酸素ボンベを外したところ、急に様子がおかしくなる。「呼吸がゴーゴーと唸りをあげはじめた」という。そして黄白色の濁った泡をどろりと吐き出す。

父は意識を失って、目を閉じていた。私は母から奪うように父をひっぱり出して、廊下にもどしたが、母がパジャマの裾をつかんでいるので、オムツごと脱げてしまい、下半身が丸出しになった。糞のあとがわずかにオムツについていたが、それは筆をさっとはらった程度のかぼそい跡でしかなく、もうだいぶまえのものと思われた。小便は一滴も洩れていなかった。

さすがに笑いはしないが、いったい父をどうしたいのか?というあの問いがやはり浮かぶ。

 そうか、と思う。これは、まさにそういう小説なのだ。父をどうしていいかわからなくて、息子と、母と、その他みなで、それぞれの父を勝手に創作し、勝手に生かし、勝手に死なせる。殺す。何しろ小説の中で、父にはきちんと名前すら与えられていないのだ。ほとんどしゃべらせてももらえない。呆けているのか、実は正気なのかもよくわからない。『父をどうする?』。こんなタイトルではどうか。

 こんな状況の中でも、なかなか強い心臓を持っているという父は、そう簡単に死にはしない。小説の中程には、深々と突き刺さるような一節がある。

父とは不思議な現象だ。死というのも、不思議な現象だ。なぜならどちらも、唯一無二のものでありながら、まぼろしのように遠くにある。たしかなものであるがゆえに、たしかであろうと求めてみると、ふっと手まえで逃げてしまう。

「父とは不思議な現象だ」という一言を、ここまで生々しく実感させてくれる小説はそうあるものではない。何しろ中上健次の伝記を書いた著者である(『エレクトラ』)。高千穂と熊野が嫌でも重なる。あるいは四国の奥地の大江健三郎、アメリカ南部のウィリアム・フォークナー…。連想は広がる。しかし、土俗的なものを描いたことで知られるこうした作家たちと、髙山文彦とは何かが違うようにも思う。ひどくやさしいのだ。ある種の作家にある強烈なエゴを感じない。だからこそ、ここまで父を自分の中に受け入れることができる。夢の中でキスするなんて、そう易々とできることではない。小説後半では、そのやさしさがあちこちにあふれ、ときには憎んでもいたはずの父や、それから母とも、どんどん歩み寄っていく。どんどんお互いを赦す。まるで彼岸で出逢った家族のような穏やかさなのである。『父をゆるす』。そんな傲慢なタイトルを髙山文彦は決してつけないだろうな、と思いながら、最後は静かに読み終えることのできる小説なのである。


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2009年08月08日

『牛を屠る』佐川光晴(解放出版社)

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「小説家が小説を書かない」

 なかなか果敢な実験、というのが最初の印象だった。というのも、そこで行われているのが「いかに小説家が、小説を書かないか」という試みであるように読めたからだ。

 もともと佐川は、牛の解体作業を描いたデビュー作「生活の設計」のイメージがたいへん強い。佐川が屠殺場を舞台とした小説を書いたのは実はこの一度だけなのだが、筆者なども、何となくこの作家が頻繁に屠殺の風景を描いているかのように錯覚していた。

 佐川自身にとってもこの「生活の設計」が重要な作品だったことはまちがいない。しかし、それだけに佐川は、自分が十年間働いた屠殺場の業務について書くことに、これまで禁欲的であった。西村賢太のような作家が、ほぼ同じ題材を扱うことで、その世界を変貌させ洗練させるのに対し、佐川は文体といい、語りの方法といい、題材といい、毎回たいへん慎重に書き分けている。屠殺小説も一回限りだった。

 本書は著者がいわばその禁をやぶって、ふたたび大宮と畜場での解体作業について書いたものである。「これから世の中に出てゆく若い人たちに向けて」その労働の体験を書いたものであり、フィクションではない。作業の様子は細かく描写され、作業場での人間関係にもかなりの説明が費やされる。言うまでもなく屠殺という職業は、長らく部落差別と結びつけられてきた。単なる労働体験の記録ではすまないのははじめからわかっている。それだけに、「小説」となってしまいやすい素材でもある。

 しかし、佐川は『牛を屠る』を小説にしたくはないのだ。そのプロセスを見ていると、なぜ、彼が小説の書き分けにこだわるのか、ということが多少なりとも見えてくるような気がする。本書がどう「小説ではない」かは、たとえば次のような箇所を読めばわかるだろう。

 タイカン[種付け用の牡豚と出産用の牝豚]は一発では悶絶しないので、長谷さんが何度もスタンガンをこめかみに押しつける。そのたびにうめき声を上げて、ようやく倒れると、竹内さんが喉を刺して絶命させるが、太い前脚が邪魔になって胸が割れない。そこで私がベルトコンベアの上に登り、両腕で右の前脚を持ち上げる。目の前でナイフが豚の胸に突き立てられて、裂かれた心臓から血液が溢れ出す。
牝豚のときには、腹に入っていた子豚がこぼれ出すこともあって、赤裸の生き物が息絶えていくさまに、せめて産ませてから連れて来るべきではないかと憤ったりもした。

 たいへん凄惨な場面であることは間違いない。センセーショナルともいえるし、強烈で、思わず息を呑む描写だ。まさに小説家ならではの巧みな筆致。しかし、佐川は本書に頻出するこうした描写を、注意深くコントロールしている。

 たとえばそこでは、「ムード」のようなものが差し引かれている。小説の場面であれば伴うのであろう、語り手や人物の感情の横溢のようなものは抑えられているし、戦慄が物語展開の方向を示唆することもない。小説特有の複雑にぶつかり合うニュアンスや心の声のようなものも聞かれない。

 そして何より印象的なのは、この凄惨な場面が実に論理的に描かれているということだ。タイカンを解体していく作業の様子は、「一発では悶絶しないので」、「…太い前脚が邪魔になって胸が割れない。そこで私がベルトコンベアに登り…」といったように、きわめてドライに、その手順の合理性を解き明かす形で描かれている。この論理的な因果関係の明瞭さこそが、「小説ではない」と思わせる最大の要因だろう。

 そういう意味では、引用部の最後にある「牝豚のときには、腹に入っていた子豚がこぼれ出すこともあって、赤裸の生き物が息絶えていくさまに、せめて産ませてから連れて来るべきではないかと憤ったりもした」という一節も、「小説ではない」箇所の典型だと言える。「憤ったりもした」とは一見、感情的な語りだが、その「感情」は実に論理的に構築されたものである。未熟のまま放り出された赤裸の子豚のいたいけな姿そのものの悲痛さよりも、産まれるべきものが産まれていないことが許せないのである。産まれるべきものが産まれたあとで母豚を殺すならば、まだ問題はない。つまり、この憤りはやり方が「筋」から外れていることからくるのだ。きわめて理路整然とした憤りだと言ってもいい。説明可能な怒りなのである。

 おそらく多くの人にとって小説とは、「説明可能でない感情」を書いたり読んだりするための、言葉の避難所のようなものだろう。もし合理的な言葉ですべてが説明され、それで納得でき、それで解決がつくなら、小説という野蛮で、いい加減で、ゆがんだ言葉の世界は不要なのだ。しかし、佐川光晴という作家は、小説の言葉と「小説ではない」言葉の間でたえず揺れているように思える。たえず揺れることに堪えることで作家となった人なのではないか。小説の言葉は佐川にとって安住の地ではない。寝返りを打つようにして、いろいろ居場所をさぐる必要があるのではないか。『牛を屠る』を最後まで読んでつくづく思うのは、このように理路整然と自分の人生を語れる人が、よくぞ小説を書いたものだ、ということである。小説と小説の間で寝返るだけではなく、小説と「小説ではないもの」との間でも寝返る必要があるのはそのためだろう。

 だからこそかもしれないが、本書でも、ときに文章が「小説寸前」にまでなるところがないではない。とくにナイフの使い方をめぐる描写には、この作家の「腕」がおのずとあらわれる。

 

…どれほど切れるナイフでも、牛一頭を剥けば切れ味は落ちる。そのたびにヤスリをかけて、新たに切れ味を生み出してやらなければならない。目は邪魔なので、そっぽを向き、ナイフを握る右手と、ヤスリを持つ左手から伝わる感触に向けて全身を開く。
 牛の皮を剥いているのは私であり、ナイフの切れ味の全てを感じ取ってはいるが、事実として牛と接しているのはナイフであって、私ではない。ナイフと一体化するのではなく、決して埋めきれないかすかな隔絶感を意識しながら、私は牛の皮を剥き続けた。

手先が不器用なせいか、筆者は折り紙の教本だの、料理のつくり方だの、靴箱の組み立て説明書だのといったものがうまく理解できたためしがない。本書でせっかく開陳されるナイフ使いの技術についても、合理的に説明されればされるほど、何だかよくわからなくなってしまうのだが、「ナイフと一体化」のような書かれ方をすると、わかったような気になるところが嬉しい。それこそ、著者自身が解体の合理性からちょっと離れて、ナイフの快楽に淫している刹那なのだろう。

 牛や豚の「熱さ」が語られるところも印象に残る。

「死」には「冷たい」というイメージが付きまとう。しかし牛も豚もどこまでも熱い生き物である。ことに屠殺されていく牛と豚は、生きているときの温かさとは桁違いの「熱さ」を放出する。(中略)  喉を裂いたときに流れ出る血液は火傷をするのではないかと思わせるほど熱い。真冬でも、十頭も牛を吊せば、放出される熱で作業所は温まってくる。切り取られ、床に放り投げられたオッパイからは、いつまでたっても温かい乳がにじみ出る。

我々にとってたいへん身近でありながら、巧みに隠蔽されている「屠殺」という作業について、社会とのそのほんとうの関係を明晰な言葉で説明する、それが本書の眼目と言っていいだろう。しかし、解体される牛や豚の「熱」についてこうして語る著者の姿には、少し身を乗り出すような、暗い興奮が垣間見えなくもない。薄いのに情報のぎっしり詰まった本書だが、そうして漏れ出る部分にまでこちらの目を誘うような、関節のやわらかさがあるのだ。読みやめることの難しい本である。
 



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2009年07月21日

『逃亡くそたわけ』絲山秋子(中央公論新社)

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「頼むから俺を観察しないでよ」

 絲山秋子は大好きな作家なのだが、そればっかり続けて読む気はしない。ずっとそこに居続けたい、しっとりその雰囲気に浸りたい、という類の小説ではないのだ。もっとケンカ的というか、向こう気が強くて、パンチを浴びせられたり、凹まされたりする。どの作品にもSM的な応酬関係が仕組んであって、たとえやさしく明るい語り口でも、何となく剣呑さが消えない。いつも刃物がちらついている。毎日、少しずつ、寝る前に読みましょう、という世界ではない。

『逃亡くそたわけ』もそうだ。主人公の花ちゃんは躁鬱病。躁の症状が出て、自殺をはかった。それで精神病院に入ったのだが、ある日、同じ病棟に鬱病で入院している「なごやん」という男の子を誘って脱走する。銀行でお金をおろし、とにかく逃げるのだとばかりに、ほとんど目的もなく「ルーチェ」を駆って九州縦断の旅に出る。まさにロードムービー。映画化されたのもよくわかる。

 しかし、男と女の気持ちが少しずつ近づいていって、あるとき美しく交差する、というあまりにふつうなロマンスの枠組みをかなり守っているにもかかわらず、この小説もどこかぴりぴりしている。時間はのんびり流れるのではなく、といってはらはらどきどきというのでもなく、絶えず休むことなしに走っているという印象。どこか気が抜けない感じがする。神経が立っている。見逃さないぞ、と言わんばかりの作家の目も光る。

 だいたいにおいて、絲山の語り手はおっかない。たとえば『イッツ・オンリー・トーク』や『袋小路の男』の語り手たちは、とめどないというのか、制御が効かないというのか、独特の「狂気」を漂わせた、興奮感を発散している。饒舌というのではないが、息が荒い。『逃亡くそたわけ』の花ちゃんはそういう意味では逆で、精神病院から逃亡したという設定で文字通り精神の安定を欠いているはずなのに、実におおらかで、ときには淡々と、ときには繊細に世界を描いていく。ふたりでブドウ畑に飛び込んで、果実をもぎとって口にする、なんていう場面さえある。

 でもこの小説もやはりおっかない。逃亡仲間のなごやんを描写する次の一節などは、つくづく怖いなあ、と思う。

 なごやんが、くやしがるときに唇を噛むのは、そうすると可愛い顔になるのを自分で知っているからで、そんな余裕もないほど口惜しい時には頭をグッと後ろに引いて目が細くなるのですぐわかる。普通にしていればかっこいいのに、顔に上半身と下半身があって、作り笑いをする時は口だけで笑う。得意になった時にはまゆ毛が上がる。気に入らないときには目鼻がばらばらになって福笑いみたいな顔になる。本当の気持ちは顔の上半身をみていればわかる。自分がどう見られたいのかは顔の下半分に出る。うまくいえなかったけれど、そういうことを話すと、
「頼むからさあ、俺を観察しないでよ」
 と言った。けれどもそう言っている顔の上半身は照れ照れで、なごやんは実はいじられるのが嬉しいのだった。
とりあえずの反応は、「いやぁ、ちょっぴり意地悪な花ちゃんですねえ」程度かもしれない。たしかに裏から回り込むようなこういう視線は、すぐれて小説的なもので、まさに観察と諷刺の精神。そこにさらに「なごやんは実はいじられるのが嬉しいのだった」と、ひとひねり加えるあたりも、にくい。

 しかし、一見さわやかに、ぴりっと軽く偽装しているかと見えるけど、こういう女の目というのは、ものすごく濃厚なものではなかろうか。実に濃厚に男を凝視する目。意地悪さを混じらせつつも、それを包みこむ「熱さ」をもった目。男だと、こういう凝視はすぐにセックスだの欲望だのといった話になるのだろうが、このような場合は、簡単に性で解決がつかないだけに恐ろしい。もっと、計り知れない支配欲を隠し持っているような気がする。

 ついでにもう一カ所、引いておこう。東京かぶれのなごやんは、大学で四年間慶應に通ったというだけで、すっかり東京人気取りなのである。
 

中津に行く道は開けていたけれど、あるのは斎場ばかりだった。もれなく仏壇屋もついてきた。人なんか少ししか住んでいないのにどうしてこんなに人が死ぬのだろうと思った。なごやんは、
「不吉だ」と呟いた。
福沢諭吉の旧居はおんぼろの萱葺き屋根の家で、記念館はあたしには退屈だったけれど、なごやんは、
「ほら、これが三田キャンパス、うお、日吉もある、懐かしいなあ」
と、航空写真の前で大騒ぎして満足したようだった。パネル展示には、
「諭吉は大へん晴々とした気持でふるさと中津を発ちました」
と書いてあって、なごやんも名古屋を出るときそんな気分だったのかもしれないなと思った。

 なごやんの台詞を含めた、カッコ内の言葉を聞き取る語り手は、やっぱりすごく小説的である。つまり、観察的でちょっと距離を置いている。でも、それだけでなく、前の引用に表れていた濃厚さや、アテンションの鋭さのようなものもある。そこには花ちゃんの、何とも言えない生理のようなものが隠れている。

 こうした描写があるのは、小説のまだ5分の1から3分の1くらいのところで、ストーリー的にはまだまだふたりが馴染んでいない、何となくよそよそしい段階である。出発したばっかりだし、こちらとしてもついうっかり、さわやかに読み飛ばしてしまうところなのだが、ここに埋め込まれた「熱」は、ストーリーが進行するにつれて、少しずつ表に出てくる。しかも、「症状」めいたものとして。

 道中、花ちゃんの体調はずっと不安定である。耳には絶えず「亜麻布二十エレは上衣一着に値する」という幻聴が聞こえている。途中ひどい頭痛に襲われたり、風呂場で倒れたりもする。それから、いくつかの「事故」もある。車のエアコンが壊れて車内が灼熱の熱さになる、とか。川で洗濯していたなごやんが、転んで流れに落ちて溺れそうになる、とか。やくざのポルシェに衝突して、慌てて逃げるなんていう場面もある。

 実は故障や転落や衝突なども含めて、ぜんぶ、花ちゃんの「体調」や「症状」の一貫ではないかな、と錯覚させるようなところがこの小説にはある。ひょっとするとすべてが、花ちゃんのあの「熱さ」に発した展開なのではないか。森の中で、猫山メンタルクリニックとかいう医院が忽然と現れるあたりはかなりのものだ。

 すごく難しいことをしている小説なのである。そもそも精神病院から遁走するという設定からしてファンタジーだの幻想だのが、抒情的な粉飾として軽々と使える世界ではない。幻だの感情の揺らぎだのということは、そのまま、殺伐とした薬物や治療のプロセスに直結する。小説のもう一方の極にあるのは、精神病の症状を淡々と描く目である。

テトロピンを飲むくらいなら治らない方がましだ。躁や統合失調症による神経の興奮を静める薬だと医者は言うけれど、そんな生易しいものではない。患者はみんなあの薬で「固められる」と言っている。文字通りだ。飲むとものすごく気分が悪くなって、頭の中に暗い霧が来る。だるくて動くことも喋ることも出来なくなる。考えることすら出来なくなるのだ。何を見ているのか、それすら忘れてしまう。時間をまるごと失ってしまうのだ。薬を飲んだ後にうっかりお菓子なんか食べているとそのまま意識がなくなって、気がつくとお菓子が口の中でどろどろになっている。

夢も幻も、即物的なカタカナ名の薬によって引き起こされたり、治療されたりするものにすぎない。だとすると花ちゃんの「熱」が、そういう治療的な目のわずかなスキをついて、もっと個人的で、もっと掛け替えのない非薬物的な「症状」としてストーリーの上に現出するのは、ほとんど奇跡的なことと思えてくる。花ちゃんの「熱」は明らかに夢や幻になりたがっている何かなのだが、ひとたび夢や幻として認識されたなら、薬物によって治療されてしまうかもしれないのだ。だから、花ちゃんの「熱」は変形されて隠し持たれねばならない。体調不良だの、故障だの、転落だのという、健康で常識的な物差しに紛れる必要がある。そうして人知れぬ「目」としてこっそり、しかし「熱」をこめてこちらを見る。そこが、怖い。「頼むからさあ、俺を観察しないでよ」というなごやんの台詞、なかなか意味深いのである。


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2009年06月15日

『1Q84』村上春樹(新潮社)

1Q84(BOOK 1) 1Q84(BOOK 2)
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「やっぱりストーンズのおかげ」

 絶品の出だしである。渋滞した首都高のタクシーの車内。ラジオからはクラシックの曲が聞こえてくる。誰もが知っているようなポピュラーな曲ではない。でも、シートに身を沈めた女性主人公には、それがヤナーチェクの『シンフォニエッタ』だとわかる。

 もちろん、これだけなら、単にキザで鼻につく設定だ。ビートルズの曲が鳴ったり、風の歌が吹いたり、何となくうら悲しくて、孤独で、音楽オタク的で、ハードボイルドで、でも、主人公は頑張ってるぞ、格好いいぞ、みたいな村上春樹の世界はこれまでにも見られたし、とりたてて賞賛するには及ばない。

 絶品なのは、〈静けさ〉の作り方のことである。主人公の乗ったタクシーはトヨタのクラウン・ロイヤルサルーン。高級車である。シートの座り心地もいいし、何より遮音性が高い。しかも道路は渋滞中。主人公の青豆が車を褒めると、運転手はすかさず「静かな車です。それもあってこの車を選んだんです。こと遮音にかけてはトヨタは世界でも有数の技術を持っていますから」などと応える。あたりさわりのない会話とも見えるのだが、このあたりから、一気に〈静けさ〉の魔力がたぐりよせられてくる。

 青豆は肯いて、もう一度シートに身をもたせかけた。運転手の話し方には何かしらひっかかるものがあった。常に大事なものごとをひとつ言い残したようなしゃべり方をする。たとえば(あくまでたとえばだが)トヨタの車は遮音に関しては文句のつけようがないが、ほかの何かに関しては問題がある、というような。そして話し終えたあとに、含みのある小さな沈黙の塊が残った。車内の狭い空間に、それがミニチュアの架空の雲みたいにぽっかり浮かんでいた。おかげで青豆はどことなく落ち着かない気持ちになった。
 青豆の、周囲から遮蔽された閉塞的な思考が、じつにうまく静けさを導き出しているのがわかる。『1Q84』では、あちこちでこうした〈静けさ〉への没入のシーンが見られる。というより、この小説、盛り上りどころでは必ずと言っていいほど、人物や情景が静かになっていくのだ。1、2巻合わせて千頁を超える大作で、しかも「青豆」という名の女性主人公は暗殺人。ストーリーの大枠は、怪しげな宗教カルトとの対決である。当然ながら暴力の影はあちこちでちらつくし、殺人のためのアイスピックや拳銃も出てくる。激しいアブノーマルなセックスもある。しかし、重要な出来事は、静寂のとぎすまされる中でこそ生ずるのだ。青豆の操る〈暗殺術〉にしてからが典型的である。
 青豆は男の太い首筋に手を当て、そこにある特別なポイントを探った。それには特殊な集中力が必要とされる。彼女は目を閉じ、息を止め、そこにある血液の流れに耳を澄ませた。指先は皮膚の弾力や体温の伝わり方から、詳細な情報を読み取ろうとした。たったひとつしかないし、とても小さな点だ。その一点を見出しやすい相手もいれば、見出しにくい相手もいる。このリーダーと呼ばれる男は明らかに後者のケースだった。喩えるなら、まっ暗な部屋の中で物音を立てないように留意しながら、手探りで一枚の硬貨を求めるような作業だ。それでもやがて青豆はその点を探り当てる。そこに指先を当て、その感触と正確な位置を頭に刻み込む。地図にしるしをつけるように。彼女にはそういう特別な能力が授けられている。
語り手の「シーーーーーーーーーーッ」という警告が聞こえてくるかのようだろう。もちろん、敵の最深部に到達した暗殺者が、いよいよ仕事を決行するかという瞬間である。緊張が高まるのは当然とも言えるが、この静けさは、サスペンスや緊張を高めるための単なる道具ではない。こうして静かになることは、人物の内面への耽溺を通した、今ひとつの世界への第一歩なのである。というのも、今ひとつの世界は何よりも、聞き慣れない〈声〉の侵入として始まるから。冒頭の場面でも、静かな車内に「でも見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです」という運転手の言葉が発せられ、これが最後まで小説の裏側で響き続けることになる。

 タイトルの『1Q84』とは〈1+Question Mark+84〉のことである。我々が知っている1984年が、ふと見知らぬものへ変貌してしまった場所、それが1Q84の世界である。物語はそこで展開する。主人公はふたり。十歳の頃、小学校の同級生だった青豆と天吾である。ともに幼少期に心の傷を背負ったふたりは、その後まったく別の人生を歩む。青豆は表の職業はスポーツインストラクターだが、実は暗殺の専門家。ある日、青豆は、渋滞に巻きこまれたタクシーを捨てて、首都高速の非常階段からハイヒールを脱いだ裸足で降りてしまう。ここで何かが決定的に変わった。1Q84の世界のはじまりである。次なる暗殺のターゲットは宗教セクトのボスである。一方の天吾は予備校教師をしながら文芸誌への応募をつづける小説家志望。天吾の方もたまたま、この宗教セクトの小説化作品のゴーストライティングを請け負うことになる。離ればなれだったふたりの運命がこうしてにわかに接近する。

 しかし、1Q84の世界は一息に立ち現れるのではない。上に引用したような静けさのシーンを積み重ねることで、少しずつ、じわじわと、まるでガスが漏れ出るようにして充満してくる。そのガスは〈空虚〉と呼び変えてもいいような種類のもので、しばしば身近な人物が忽然と姿を消した後に、ぽっかりと生じた空白として感じられたりする。その空白に耳に馴染みのない〈声〉が聞こえてくるのである。たとえば、天吾は家庭のある十歳年上の女性と関係を持っていたのだが、ある日、彼女が消えてしまう。そこへ電話がかかってくる。

天吾は勇気を出して尋ねてみた。「彼女に何かあったのですか?」
 沈黙があった。天吾の質問は返事のないまま、あてもなく宙に浮かんでいた。それから相手は口を開いた。「そんなわけで、川奈さんがうちの家内に会うことは、この先二度とないと思います。それだけをお知らせしておきたかったのです」
 この男は天吾と自分の妻が寝ていたことを知っている。週に一度、一年ばかりその関係が続いていたことを。それは天吾にもわかった。それでも不思議に、相手の声には怒りも恨みがましさもこもっていなかった。そこに含まれているのは何か違う種類のものだった。個人的な感情というよりは、客観的な情景のようなものだ。たとえば見捨てられた荒れ果てた庭とか、大きな洪水のあとの河川敷とか、そんな情景だ。

この最後の「見捨てられた荒れ果てた庭とか、大きな洪水のあとの河川敷とか、そんな情景だ」という一節、比喩についてはわりに禁欲的なこの作品の中でも、際だった精彩を放っている。作家がいかに、静寂を想うことに集中しているかをよく示す一節だと思う。果たしてその後には、次のような描写がつづく。

 いったん相手が黙ると、電話口からはどのような音も聞こえてこなかった。男はとんでもなく静かな場所から電話をかけているらしかった。あるいはこの男が抱いている感情が真空のような役割を果たして、あたりのすべての音波を吸収してしまうのかもしれない。

文字通り、言葉をつくして静寂のことが書かれる――しつこいほどに。しかもその静寂の向こうに桃源郷があるわけでもなし、静寂の中で種明かしがされるわけでもない。

 不思議だなあ、と思う。どうしてこんなに静寂にこだわるのか。この『1Q84』を含め、氏の長編を読めばわかるように、その資質は明らかにエンターテインメント系に分類されてしかるべきものである。無駄のないストーリーテリング、類型的な登場人物の配合、ジャーナリスティックな話題への目配り。『1Q84』にも、DV、レズビアニズム、宗教カルト、コンドーム使用、脳、主婦の欲求不満、幼児体験のトラウマ等々、読者に取っ掛かりを与えてくれる材料がふんだんに盛り込まれていて、これならどこからでも入っていけるよな、と思う。

 でも、どうも、それだけではいけないのだ。第2巻の終わり近くにこんな一節がある。天吾が幼なじみの青豆のことを思い出そうとしているシーンである。

 しかし天吾は、その作業に意識を集中することができなかった。ローリングストーンズの別のアルバムがかかっていた。『リトル・レッド・ルースター』、ミック・ジャガーがシカゴ・ブルーズに夢中になっていたころの演奏だ。悪くない。でも深く思索したり、真剣に記憶を掘り起こそうとしている人のことを考えて作られた音楽ではない。ローリングストーンズというバンドにはそういう種類の親切心はほとんどない。どこか静かなところで一人になる必要があると彼は思った。

やった、ストーンズだ!そりゃビートルズよりはストーンズだよな、と一瞬筆者は喜んだのだが、どうも間違っていたらしい。ストーンズは「親切心のない」バンドなのだ。ここはこの小説の中でも、天吾という人物が、作家村上春樹にもっとも近くなる一節ではないかと思う。「深く思索したり、真剣に記憶を掘り起こそうと」する――こんなに無防備にこんなことを言う作家も珍しい。ストーンズのことは脇においてでも、ここは素直に評価したい。村上春樹はどうやら本気で、静かでいたい、静かなところで思索したいと思っているのだ。

 そこであらためて思うのは、戦後日本文学の歴史というのが、まさに小説家が深かったり、真剣だったりすることを禁じられてきた歴史だったのではないか、ということである。別の言い方をすると、いわゆる〈純文学〉の作家には、一生懸命語ってはいけないという抑止力が働いてきた。もちろん、書くのは一生懸命やる。それはいい。でも、小説が作品として〈一生懸命〉なのはよろしくない。なぜなら、小説的衝動とは、言葉の〈一生懸命〉を疑うことに発しているから。何とかして一生懸命語らないことで、語ろうとする、それが小説というジャンルの可能性だと戦後の多くの作家たちは考えてきたから。だって、一生懸命語ってみせる人って、な~んとなく、いかがわしいでしょう?という前提がそこにはある。

 村上春樹の語りは徹底した読者コントロールが特長である。黙ってついていけば自然とどこかへ連れて行ってくれる、かなり強力なレールのようなものが敷かれている。加えて話題への目配り。人物の輪郭の明快さ。どれも〈一生懸命な語り〉の典型である。一生懸命、「ワタシヲ読ミナサイ!」というメッセージを発してくる。純文学作家が「ボクニハ言イタイコトナンカナイシ、ミナサン、読ンデモ読マナクテモ、ドウゾオ好キニ」というふうに、読者と距離を置くような構えをとるのとは対照的だ。

 しかし、小説の中で静かになろうとすることは、どこかでこの〈一生懸命な語り〉を疑おうとする契機となるのかもしれない。何しろセクトの話である。小説がそんなに真剣に、本気になったら、ミイラ取りがミイラになるようなものではないか。深く真剣などではない、むしろくたびれて退屈し、「やれやれ」と言いながら斜めを向こうとするような構えが必要なのではないか。昔から村上春樹がこだわることをやめなかった〈退屈ぶり〉の意匠は、こんなに〈深く真剣〉に見える作品にもチラッとのぞきはする。そういう退屈の表現が、すごく一生懸命な静寂の構築を通して行われるのはたしかに皮肉なことだ。その矛盾にどこまで登場人物たちが堪えることができるのか。場合によっては彼らの命にもかかわるかもしれない。でも、このような雑音も通気性もない密閉型の小説でも、どこかにだらしなく、下品で、不親切で、いい加減な語りへの希求があると考えるだけでも、お、やっぱりストーンズのおかげだね?とちょっと嬉しくなったりする。


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2009年06月03日

『ctの深い川の町』岡崎祥久(講談社)

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「不機嫌の作法」

 岡崎祥久のデビュー作『秒速10センチの越冬』はいわゆる貧乏小説だった。主人公の青年は仕事がない。就職面接に行ってもいつも落とされる。面接のとき、相手の担当者に「私のどのへんがだめなんでしょう?」などと訊くシーンは、なかなかのものだった。

貧乏。もてない。楽しくない。このあたりは、長らく小説世界の基本であった。近年、フリーター文化と小説執筆とは急接近しているが、以前から日本の近代小説の主流は、マイナス設定だった。ネガティヴ・サブライムと言ってもいい(崇高なる駄目さ!)。

 『ctの深い川』もまた、貧乏小説である。都会生活に見切りをつけて急行電車で40分の地元に戻ることにした主人公なのだが、引越荷物一式を赤帽トラックの炎上事故で失い、まったくの身一つでタクシー会社の寮にころがりこむ。皮肉にもこの会社は「ノーブル交通」といって、運転手はみな、フリルのついたシャツを着せられエセ召使い風の高級サービスにいそしんでいる。

 ただ、この主人公、貧乏なわりにあまりじたばたしていない。悲しんだり、苦しんだり、騒いだりしない。もちろん喜んだり、盛り上がったり、陶酔したりもしない。貧乏に馴染んでしまっているのだ。泰然自若というか、体温が低いというか、低く安定しているように見える。ここまで安定していると、物語が始まらないんじゃないか、と心配になる。

 とくに目立つのが、どたばた風でぷちギャグ満載の舞台設定とそぐわないかとも見える一人称の「わたし」の使用である。「俺」でも「僕」でも「ボク」でもなく、淡々とした「わたし」が、ありえなさ寸前の珍妙な世界の中心にいる。発明家を称する同僚の勝俣とのやり取りは、こんな感じになる。

「そいつは何だ?」わたしは尋ねた。「何かおれに関係があるのか?」
「これね、タイムマシンです」
「あっそ。あんたさ、遅くなるといけないからもう帰れよ。今日はどうもご苦労さん」
「まだ真っ昼間ですよ」
 そう言って勝俣は、カールしたコードの一本をわたしに差し出した。先端を握っていろというのだった。ピリッと痺れたら成功です、過去でも未来でも自在に行き来できます――勝俣はそう言った。
 わたしがそのコードの先を握ったのは、タイムマシンなどありっこないと思っていたからだった。"茶筒"は上蓋が外れるようになっており、そこに数個のツマミとスイッチがついている。じゃあ行きますよ、と言って勝俣はスイッチを入れた。ピリッと痺れた。どうでしたかと訊くのでわたしは痺れたよと言った。じゃあ成功です。それだけ言って勝俣は機械を片づけ始めた。ここは未来なのか? それとも過去なのか? とわたしは尋ねた。
 かなり妙な展開なのだが、SFではないし、不条理系とも違う。それよりも、会話では「おれ」と言う主人公が、地の文では「わたし」に豹変するあたりが気になる。語り手ははじめから、舞台から降りているのか。ただ、続きを読むと、何となくこの体温の低さの目指すところも見えてくる。
「じつはね、これ、"愛取り外し機械"なんです」勝俣は照れ臭そうに言った。「だってヤじゃないですか? 女の人を見るたびに、やることになれるかな、とか考えるのって。僕ね、ずっと思ってたんですよ、なんでこんなに生きにくいのかって。そうしたら、それが原因だったんです。だから僕ね、この世にはもう僕とやってくれる女はいない、って決めることにしたんです。決めただけじゃ弱いから、これはもう取り外しちゃうしかないって。それでこの機械を発明したんです。今にきっと特許が取れますから。申請の準備も進めてます」
「……」
「なんだかこう、自由になれた感じがするでしょ? しない?」
「そうだな、うん、悪くないよ」
「でがしょ?」
「……」
この力の抜けた感じ。カクッと関節がはずれるような、行き場のない馬鹿馬鹿しさが、岡崎祥久の持ち味なんだろうなという気がする。力んで球を遠くに飛ばそうとするより、バントの構えからバットを引いてキャッチャーのパスボールを誘うような筆致である。

 こういう体質は、どのような物語に向くのか。この小説では、タクシーの運転が「釣り」に喩えられたりする。たしかに釣り人特有の、静かなところにひとりでいます、と言わんばかりの想念のようなものが、ふっと表れては消える。

 わたしはしばらく無為に市街地を走りつづけた。わたしの車を止めようとする客人には行き会わなかった。客人が"快晴"だ。"晴れ"の空に浮かぶ雲よりも少ない。今日は誰もが、ドアが自動で開いてスピードを出すタクシーに乗りたがっているのだろうか。あるいは〈ノーブル交通〉が(それともこのわたしが?)敬遠されているのかだろうか。

自動ドアを使わず、低速度で走ることを売り物にする「ノーブル交通」。それは、世界の水面に立ち現れるかすかなさざめきをじっと待っているような、釣り人めいた書き手としての岡崎の自画像なのだ。この作家が得意とするのは、2~3行分くらいの思いつきに出遭っては、また淡々と先に進んでいくというやり方である。そのせいもあってか、主人公の運転するタクシーには「ねえ、運転手さん、人をダメにするのはさ、苦しみだと思う? それとも愉しみだと思う?」などと問うような客が乗ってきたりもするのだ。

 こうしたさざなみめいた短い問いやアフォリズムに依存する語りというと、ちらっと初期村上春樹を思い出したりもする。もてないと自称していたわりに、唐突に女と出逢って理由もなしに仲良くなったりするあたりにも何となく村上臭がある。しかし、その世捨て人めいた不機嫌さとは裏腹に、岡崎の会話はたいへん小気味よい。アフォリズムに凝り固まりつつある世界を、うまくほぐしてくれる。ときおり怖いような不機嫌や絶望がのぞくのに、案外に軽快な仕上がりになっている。乗り心地の良いタクシーのように。

 この作品、岡崎の最高傑作ではないだろうし、低空飛行を得意とする岡崎の中でも地味な方に属するものかもしれないが、それでもこれだけやれるというあたりが著者の力だと思う。深刻な場面の一歩手前で間を外す脱力感はあいかわらず冴えている。最後に、作品の終わり近くから一箇所引用しておこう。主人公の中田に宛てて、女が謎の書き置きを残して去る、という場面である。この書き置きをめぐって同僚の茂原さんとかわされる会話がなかなかいい。

 茂原さんは"未処理"と書かれたトレーの中から、メモ書きを取り出した。
「ええっと、うむ」茂原さんは咳払いをした。「わたしは広すぎる舞台におびえた踊り子でした」
「…踊り子、ですか」
「あの子が言ったんだ、おれじゃないよ」
「わかってますけど、べつに裏声を使わなくても…」
「やっぱりさ、あんた自分で読んでくれないかな。おれは恥ずかしいや」
 そう言うと茂原さんはメモ書きをわたしに渡した。そこにはこう書かれていた――

わたしは広すぎる舞台におびえた踊り子でした。
でもステージに戻ります。
間違っていないけれど、正しいわけでもない道を
これ以上進むのはよします。
中田さんのおかげです。
どうもありがとうございました。

「意味がよくわからないんですけど…」
「おれにもわからないよ」
「彼女は、その、バレリーナか何かだったんですか?」
「うんにゃ、元々はレースドライバーだっていう話だったけどな」
「何が私のおかげなんですか?」
「そんなこと知らないよぉ。彼女と何かあったんじゃないの?」
「…いえ、べつに何も。これ、もらっていいですか?」
「え? なんでよ」
「いや、よく吟味してみたいので」
「でもそれ、おれの字だよ。それ持ってって、あんたジッと見るわけ?」
「あ、じゃあ書き写します」

このあと、もう少しじわっとくるような場面があって、小説はそれなりの結末を迎えるのだが、やはり光っているのは「でもそれ、おれの字だよ。それ持ってって、あんたジッと見るわけ?」というような一節だ。こういうシーンを書いてしまえる不機嫌は良い意味で健康だなあと思うし、これくらいの馬鹿馬鹿しさで、つい、くすっと笑うのは、楽しいものだ。

 ちなみにctとは「タクシー」のことだそうです。




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2009年05月24日

『この風にトライ』上岡伸雄(集英社)

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「実利を求めて」

 球技としてそれほど根づいていないわりに、なぜか熱血ドラマとなると定番。日本のラグビーは、学校系スポーツの中でもちょっと変わった位置を占めてきた。おそらく競技としての注目度が高いのは大学レベルだが、高校までは格闘技や陸上の選手だった人が大学に入ってラグビーに転向などというパタンも相変わらずあるようで、英才教育や専門化の進んでいる野球やサッカーとはやや事情が違う。どこか手作りというか、文字通り、泥臭さがつきまとう。

 そんな中で上岡伸雄の『この風にトライ』は、タイトルにはひねりがないし、有名な熱血ラグビードラマが参考文献にあがったりしていて、これは手の込んだパロディなのではないか?とつい身構えたくもなるのだが、必ずしもそうではないようだ。

 かつて名ラグビー選手として活躍した巨漢の通称アッシーは、小学校の国語の先生。得意技は宮澤賢治の音読で、まわりくどい理屈よりも、まずは脳と身体の一体化をめざすという。このアッシーが、受験を前にしてぴりぴりしつつあるクラスで発生する陰湿ないぢめなどの問題を、ラグビー教育を通して一気に解決していくという筋書きである。そこに語り手の父親の単身赴任問題がからんだりして、まとまりのいい物語に仕上がっている。

 そういえば、こういう小説を読むのは久しぶりだなあ、と筆者は思った。この雑音のなさ。この真っ直ぐさ。真っ直ぐといっても、語り手の少年が真っ直ぐであるとか、熱血ラグビー先生が真っ直ぐとかそういうことではない(いや、彼らが真っ直ぐであるのは間違いはないのだが…)。真っ直ぐというのは、ラグビーの普及とか、いぢめの廃絶といったテーマと、小説の言葉との関わり合いがたいへん「そのまま」というか、照れも衒いもないということである。

 果たして日本文学の歴史の中で、本格的な「ハウツー小説の時代」が隆盛を迎えた時代というのはあったのだろうか。何回か前に村山由佳の『ダブル・ファンタジー』を〈性の作法書〉として取り上げたときにも触れたが、英国などヨーロッパでは出版が文化として定着したとき、その圧倒的中心にあったのは「やり方」を教えてくれる本だった。お辞儀の仕方。挨拶の仕方。手紙の書き方。結婚相手の選び方。誘惑されたときの退け方。家庭料理のつくり方。家族が病気になったときの看病の仕方…。その延長上に、ジェイン・オースティンみたいに「結婚の方法」ばかりを題材に作品を書く小説家が現れた。イギリス小説の起源のひとつが、子女教育のための喩え話だった、などと言われるのもそのためだ。

 もちろん『この風にトライ』は必ずしもラグビーの「やり方」に特化した小説ではない。さりげなく「ループ」などという高度なテクニックが紹介されたりするが(小学生のタッチラグビーなのに!)、ラグビーの方法や技術よりは「ラグビーを好きになりましょうね」といった作家の意思の方が露出している。でも、これまた、「やり方」のひとつではないだろうか。この小説の最大の鍵となるのは、「触れる」という行為なのだが、そういう意味でも本書が目指すのは、ラグビーに触れ、その世界に足を踏み入れるための、イントロダクションのような役割である。

 つまり、ほとんどフィクションを読んでいる気がしないのである。フィクションというよりは、何だか現物を取引している実感がある。よく小説について言われる「生々しい」とか「リアリティがある」といった褒め言葉ともこれはちょっと違う。そのまま、なのである。現金なほど、そのままなのである。だから、かえって小説としての不自然さがあっても、それほど気にならない。

 齋藤美奈子の書評に見られたように、本書は批評家の間では必ずしも高い得点は稼がないのかもしれない。しかし、文学が読まれない、と文句ばかり言う人が多い時代にあって、こういう作品は着々と書かれ、着々と読まれていく。こういうふうにして、とにかく「実利」をしっかりと念頭に置きながらエピソードを語ることが、たとえストーリーが紋切り型に陥りがちだとしても、人々が物語とかかわる、その原型となってきたのは間違いない。日本文学の歴史の中でも、何もプロレタリア文学などということを言わなくても、そういう機運はつねにあったし今もある。

 日本語で「物語」というとき、そこには「型にはまった展開」という含みがある。九回裏の逆転ホームランが「劇的」なのは、まさにそれが型どおりの「劇」を演じているからだろう。野球にも、サッカーにも、バレーにも、テニスにも、そうした「劇」の素因はあるはずで、ラグビーにももちろんそれがある。サッカーから分化して二百年にもならないラグビーは、その試合風景はまさに縄文人による球の奪い合いさながらで、野蛮かつ原始的に見えるのだが、実際には審判による巧みなコントロールによってこそ試合の「旨味」や「劇」が作り出されている。審判を中心に、双方のチームの共同作業によって、好ゲームが演出されるのである。他の球技に比べると、パフォーマンス的、劇場的な側面はずっと強い。そういうラグビーの人工性と、この小説や、あるいはラグビーを題材としてこれまで書かれてきた熱血モノにある約束事らしさとは合い通ずるものではないだろうか。背後にある「実」を意識しながらの対決であり、フィクションなのである。それを爛熟した文化の顕れとみるか、それとも、制度の未発達とみるか。いずれにしても、隠し球なんていう油断もすきもないことが、プロのレベルで本気で行われる野球とは大違いだ。

 著者はデ・リーロなどの翻訳で知られる英米文学者。訳文には定評がある。学者が書く小説だからこういう傾向なのかどうか、筆者には判断つかないが、案外、文学の行く末を占うには格好の素材かもしれない。


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2009年05月08日

『人を惚れさせる男 吉行淳之介伝』佐藤嘉尚(新潮社)

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「一本松の便意」

 帯を見て、ちょっとびっくりした。吉行淳之介の伝記は、これが「初」だという。吉行について語った本がなかったわけではない。母の吉行あぐりや妹で女優の吉行和子も出しているし、作家と関係のあった女たち――宮城まり子、吉行文枝、高山勝美、大塚英子――も。吉行が亡くなってそう年月が経っているわけではないから、伝記がないのはそれほど驚くべきことではなく、むしろこれだけ本が出ている方が珍しい。でも、本があるのに「伝記」とは銘打たれてこなかった。

 どうも吉行淳之介という作家は、伝記よりも「あたしのあの人」というタイプの本を書かせてしまう人だったようだ。吉行の弟子を自任する男性著書による本書も、タイトルに表れているように「オレのあの人」的な作家への愛にあふれており、微笑ましいほどである。秘密にしなければならないことについてはしらばっくれ、応援するところは徹底的に応援する。そんな書き方である。とくに吉行が最後まで籍を抜くことができなかった文枝との関係については、急に視点が変わったり、「ここからはフィクションということでよろしく」みたいな口上が入ったり、かと思うと、やけによそよそしく寡黙になって、かえって気を遣っているのかとも見える。

 しかし、「初の伝記」と銘打つだけの覚悟は随所に見える。冒頭から前半までの生い立ちの記述は、二次資料の利用も多いとはいえ、戦前の地方名家を取り巻く独特の雰囲気をしっかりと拾っていて、ちょっとした大河ドラマをのぞいた気分になる。超人気デカダン作家だった父エイスケの放蕩や、母あぐりの美容院ビジネスの成功、戦中戦後の混乱期の様子などは、そのまま日本の社会史と重なるし、エイスケが川端康成に「オレの女に手を出すな」と手紙で忠告されるあたりは文学史そのものだろう。

 著者の佐藤はこうした貴重なエピソードをシンプルな筆致で連ねつつも、ときに拍子抜けするほどの朗らかさで、「そういえば吉行はこんなこと言ってた」的な回想をひょっと挿入したりもする。大河ドラマを見渡しつつも、もうひとつの目で見ているものがある。編集者である佐藤が生々しく体験した、義理堅くまじめな仕事人としての、そして酒にはめっぽう強いけど病気がちで、貧乏つづきだったわりに金には鷹揚だった生活人としての吉行。私小説を連想させるスタイルも手伝って、吉行淳之介というとどうしても女性がらみの事件が想像されがちだが、性については意外に奥手で自慰体験も遅かった。女性との初行為も決して勇ましい武勇伝ではない。よく言われる娼婦通いにしても、ほんとうに頻繁だったのは二十代後半のほんの一、二年、結核で長期入院するまでのことだったという。

 多くの伝記と同じく本書でも、大河ドラマとしてはじまったストーリーが、こうして次第に人物の個性に照準を合わせるあたりから伝記としてのほんとうの個性を発揮する。何しろ吉行淳之介である。昭和の作家でこれほど文学臭がぷんぷんと漂う人もめずらしい。筆者は学生の頃、文学愛好者集団のようなところに出入りしていたのだが、そこでは「一枚上手」な感じを漂わせる人はたいがい吉行ファンだった。吉行的デカダンの匂いが強烈に漂うのである。文学とは人生だ、的な構え。文学とはどこか暗く、病いに満ち、恋愛的で、フランス的で、さらには喫煙的、飲酒的、かつ麻雀的。文学者がジョギングしたり、テニスしたり、スパゲティ茹でたりなんてありえないのである。吉行淳之介は明らかにウイルスめいた感染力のある作家だった。いつも一枚下手だった筆者には、そんなあまりに文学的な作家が、遠い存在に感じられることもあった。

 しかし、『人を惚れさせる男』というちょっとひねったタイトルの本の著者は、吉行の弟子のわりにはおよそ吉行的ではないらしい。肥満型の体型。60過ぎて狭心症になるまで、身体の失調といっても便秘ぐらい。腸チフスから気管支喘息、結核、そして最期は肝臓癌と次々に重病をわずらって、つねに自分の生理と向き合わざるを得なかった繊細な吉行とは似ても似つかない。

 だからこそ、いいのだ。どうやら佐藤嘉尚という人は、吉行病に対し一定の免疫があるらしい。編集業に見切りをつけ、房総半島でペンションをやったりする人である。吉行とともに吉行的世界につりこまれてしまう書き手であったら、おそらく女性関係にともなう情念のもつれなどを、小説作品ばりの文章で書ききらずにはおられなかったであろう。しかし、それでは吉行淳之介の再生産にすぎない。

 この本、文学者を扱った伝記のわりには作品への言及が少ない。いや、言及はあるが、文学伝記にありがちな、作品解釈と伝記記述とをなし崩し的にブレンドするような、悪い意味での文学趣味がほとんどない。著者は明らかに吉行という文学臭ぷんぷんの作家の、ちょっと外側に立とうとしている。ちょっと明るい場所で、ちょっと健康な視点からこの作家をいとおしんでいる。

 とくに印象的だったのは、次のような描写である。同じ「生理」の記述でも、文学的すぎないのだ。時は昭和二十年。市ヶ谷の家を空襲で失った吉行は、郊外の下宿から本郷の帝大に通っていた。

 郊外の駅を降りて下宿まで、歩いて三十分ほどかかった。その途中で便意を催し、こらえきれなくなって空地に潜り込み、大きな一本松の根本で野糞をしたことがある。その翌日から、帰り道にその一本松が視野に入ると、条件反射的に便意を催すようになった。
 淳之介は、自分自身の姿をいつも客観的に見ているタチなので、しゃがみこんでいる自分の姿勢に耐えがたい屈辱を覚え、それを知っている一本松を憎悪した。下宿の窓から遠くに見える一本松が、自尊心を傷つけた。目ざわりで仕方がなかった。

そしてある日、吉行は酔ったいきおいで、ノコギリを持って一本松のところに行き、それを切り倒そうとした。ところがあまりに幹が太くて文字通り歯が立たなかったという。

 この話は、これで終わるわけではない。戦況が悪化する中、この年の八月十一日、吉行は情報通の友人から、翌日アメリカ軍が東京に新型爆弾を落とすらしいという噂を伝え聞く。今からでは電車の切符は間に合わない。歩いて逃げるか。しかし、すでに文枝と付き合っていた吉行はそこで逡巡する。彼女を置いていくわけにはいかない。といって、電話はないし、彼女を連れ出すには都心の実家まで訪ねていかねばならない。そこには高慢な貿易商の父親がいる。顔を見るのも嫌だ。

郊外で電車を降り、歩きながら、淳之介はまだ迷っていた。
 夕焼けどきで、空にはさまざまな色調に染まった雲が重なっていた。
 例の一本松が見えたとたん、烈しい便意が襲った。こらえ切れず、一本松の根本にしゃがみ込んだ。屈辱的な姿勢をとっている淳之介の目の前の木の幹に、かつて自分が付けたノコギリの痕があった。それを見ているうちに、ふーっと虚脱した。もうどうなったっていいや、早く下宿に帰って畳の上に寝そべりたい。
 重い疲労感に包まれた。
 莫大なエネルギーをつかって東京を離れようとする気持ちは、すっかりなくなっていた。

本書の中でももっとも「文学的」な一節のひとつだろう。それを文学臭をただよわせずにやっているところがいい。

 こうしたエピソードと吉行の「性」とは、おそらく地続きである。生理的な事実と格闘しながら、そこに精神的なものを読み取ったり、あるいは精神的なものを生理的なものへと引き寄せたり。本書でも引用されている話だが、吉行は書くという行為を、生理的な化学変化のようなものに喩えている。

「ひとつの心象風景があるとするな、うん、自分の心の中に、だよ。朦朧として蒸気みたいなそいつを、長い時間かけて、じわじわ圧縮してゆくと、液体に変わってくる。どうしてといって、君、空気に大きな圧力をかけると、液体になるというじゃないか。その液体をだね、ペンの先にしたたらせて、原稿用紙に書きつけるのだよ」(「私の文学放浪」)

本書の後半でこうした引用に出くわす頃には、読者はすっかり吉行の生理には馴染んでいる。うんうん、ごもっともという気分である。排便と情交と執筆を重ねるなどもってのほかという人もいるかもしれないが、この本にはそういう気配がある。そうなのだ。ということは、冒頭で紹介される佐藤氏の便秘のエピソードには、大いに意味があったということなのである。


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2009年04月01日

『文芸誤報』斎藤美奈子(朝日新聞出版)

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「ちょい怖」

 斎藤美奈子と言えば、ここ何年か、もっともノっている批評家のひとり。本書は「週刊朝日」と「朝日新聞」に連載された文芸時評書評を、多少の編集を加えてまとめたものだが、通読してみると、その勢いの元がわかる。

 汗水たらして次々と出る新刊をフォローする。まあ、それくらいは批評家なんだからするだろう。斎藤美奈子が偉いのは、「こんな、どーでもいいウンコ小説、書きやがって」と明らかに思っている小説についても、ちゃんと語れてしまうところだ。いや、ほんとのことを言うと、わりと本気で尊敬しているのらしい書き手(金井美恵子、佐藤正午、長嶋有、絲山秋子、星野智幸、古川日出男など)よりも、「ふうん」程度に思っている有名文壇作家や、文学賞受賞作家などについておちょくりモードで書くときの方が、隠し味やスパイスが効いていて、読んでいて楽しい。本書の半分以上は、たぶん後者なのだ。

 だから、ふつうの書評とちょっとちがうのは、「よし、じゃ、これを読んでみよう」と思うことよりも(そういうことももちろんあるのだが)、「いけ、サイトー、もっと言っちゃえ」という気分になるのが多いことだ。知らなかった本を紹介してもらうというより、すでに読んだことのある本についてぴゅっぴゅっと突っついてもらう。そうすると、凝っているツボを押してもらったような、それでモヤモヤが解消されていくような、ほっとしたような解放感が得られる。

 何よりお説教をしない。これは批評家では珍しいことだ。もちろん実はそう見えて、しっかり説教も布教もしている、その証拠に斎藤美奈子のものを読むと、な~んとなく叱られたような気にはなるのだが、この人は威張らないで事をすませるのがうまい。たとえば、筆者の同業者がちくっとやられているところを引いてみよう。

 それでも陰でいじめを続ける子どもたち。しかし、アッシーはぐいぐい子どもたちをリードし、やがて彼らもラグビーの練習を通して変わってゆく。暗唱好きな点とか「この先生は斎藤孝の弟子か?」なところもあるけれど、おしまいではホロリとさせるし、こんな先生がいたらさぞや気持ちがよかろうとは思わせる。作者はフィリップ・ロスなどの翻訳でも知られる英米文学者だが、そういう人が小説を書くとどうして(以下略)。

英米文学者が出てきて、なんか心が痛む。引用しなきゃ良かったのだが、あまりに「(以下略)」が絶妙で…。それに、全体として、この小説は褒められていないわけでもない。あるいはこんな書き方もある。池永陽『少年時代』の評である。

そう。これが吉田川(長良川の支流)に面した八幡町の子どもたちの世界なのである。四国の四万十川には、笹山久三『四万十川』全6部(河出文庫)という少年の成長物語にして河川小説の傑作がある。四万十川と同じく最後の清流と呼ばれる長良川水系を舞台にした大河小説があってもいいし、ぜひ読みたい。『少年時代』のあんまりな結末に卒倒しそうになりつつ、長良川の復権のためにも、池永さん、続編をぜひ!
 こういう批評の方法が、昔からもっとあっても良かったのになあ、とも思うのだが、考えてみると、日本でもあるいは西洋でも、小説家に比べると批評家は男女比の片寄りが大きかったのではないだろうか。圧倒的に男が多かった。男が多いと、どうしても威張り合いとケンカが中心になる。何しろ、男というのは「男らしい」のだ。突っつきや隠し球よりも、切った張ったの権力闘争が中心となる。

 斎藤美奈子もときにケンカ腰にはなるが、たとえば上野千鶴子のような「ゲキ怖」タイプとちがって、「ちょい怖」くらいではないか。意地悪だけど、とどめは刺さないでくれる。ひょっとすると、下手に出たら許してくれるかも、と思わせたりする。ほんとは情に厚いんじゃないの?照れてて隠してるだけなんじゃないの?と期待させる。そんな「ちょっと怖いお姉さん」風情の批評がもっとあってもいいのではないか。

 『妊娠小説』にはじまる他の著作を確認すればわかるように、斎藤美奈子は流行をかぎ分けるだけの批評家ではない。おそらく一番の武器は「何か変だよな」という直感、というか違和感なのだろうが、切り口をつけるだけなのではない。そこからぐいぐいっと全体図を描いてみせる力業を持っている。今回の書評集でも、これだけ短い文章の集積でありながら、ある程度の大きな流れ(たとえば「L文学」とか「格差」)につながる瞬間がある。書きっぱなし、言いっぱなしではない。やはり、どこか批評家魂のようなものがうずくのか、ぱぁーっと見晴らしてみせるのだ。

 それがもっとも表れるのが、文章の出だしである。一冊の本につき、だいたい原稿用紙二枚と少しでまとめなければならない。実際に書いてみればわかるが、これはたいへん難しい。作家を紹介し、ストーリーを語り、しかも引用までしている。このスペースで、作品を越えた大きな枠組みの話をすることなど、不可能にも思えるのだが、秘密は出だしにある。

 角川書店の「野性時代」が主催する青春文学大賞は「作家も評論家も引っこんでろっつーの。おめーら、うぜーんだよ」というコンセプトの賞である。
 選考過程を見れば一目瞭然。なんたってこの賞は、候補作を誌面に載せて読者投票をやった後、「読者選考委員、書店選考委員、編集者選考委員計6名による最終選考を行い、受賞作を決定」するのである。ハハハ、そりゃそーでしょうとも。文学はどーせ読者と書店員と編集者のもので、批評家は必要ないのでしょーよ。
 で、読んだよ2005年の受賞作。木堂椎『りはめより10倍恐ろしい』。
スタートダッシュで一気に話をつくる。行けるところまで行っておく。このような短評だと、話を始めることよりも、いかに終わらせるかが難しいわけで、ロケットと同じ、出だしで思い切り勢いをつけておけば、着地点がうまく決まるのだ。逆にゆるっとはじまってしまうと、終わるに終われなくなる。ちなみに、この文章の結末は次のようになっている。
賞のありようと瓜二つ。悪い作品ではない。ケータイで書いた小説らしい言葉の連打感もある。でも、打たれ弱さを感じるのだ。強くなるには外の風にも当たらないと。

 ついでに他の出だしもいくつかあげておこう。

 村上春樹、初期三部作の主人公の職業はライターだった。しかしおそらくいまだったら、彼はネット関連の仕事をしていたのではなかろうか。
 ってなことを急に思ったのはあれの21世紀バージョン(?)を読んでしまったからである。中山智幸『さりぎわの歩き方』。2005年の文學界新人賞受賞作である。これが似ているのだ、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』(講談社文庫)とかに。とりわけ大事なことをさもどうでもよさそうに、どうでもいいことをさも大切そうに書く呼吸が。
 若手の演劇人が虎視眈々といい小説を書いているんだよねという印象を私は最近もっている。宮沢章夫や松尾スズキがそうであったように、前田司郎も本谷有希子も、戯曲と小説、両方の賞に名前があがる。彼らの特長は「彼はそのとき思った」式の、これが小説でござい、な書き方とは少しズレていることだ。岡田利規の初の小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』もそう。2編の短篇収められていて、うち一編「三月の5日間」は2005年に岸田戯曲賞を受賞した同名の戯曲の小説版だ。
一時期、金井美恵子の書評はだれも書きたがらないという噂があった。彼女の小説は大好きだが、書評は書きたくない。変なことを書いたら作者にバカにされるから。

う~ん。書評の出だしを集めただけで、一冊の本ができそうではないか?

 ところで、ふだん新聞や雑誌でお馴染みの斎藤節なのだが、こうして単行本で読んでみると、おや、と思うことがある。ふだん、新聞などでは気づかないこと。それは、この人、ずいぶん大きい声でしゃべるなあ、ということである。もちろん出だしからしてそう。理由はある。新聞にしても雑誌にしても、いわば騒々しい立食パーティのようなもの。そこに書くというのは、誰もこっちを見ていないパーティでスピーチをするようなものだ。それなりの大声でないと、耳など傾けてくれない。だから、単行本の静かな環境に移植してみると、その音量がきわだつ。

 これまでの文芸欄は、声を潜めることでこそ、一種の聖域をつくってきたのかもしれない。しかめっつらで、野太い声で、威張って見せたりして。そういうのをいったんチャラにして、いっそ声の大きさで勝負してみましょうよ、という体力と気迫のようなものを感じる。あるいは「文学」というフィールドがそこまで追いつめられてきた、ということかもしれないのだが、大きい声で、しかもツボに達するようなことを言える人が出てくると、批評界の何かが変わるのかなあ、とうっすら期待したくなる。


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2009年03月16日

『富士日記』武田百合子(中央公論新社)

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「2Bの鉛筆で」

 誰が書いてもいい。形式も自由。そう見えながら、実は得も言われぬルールがあるのが日記というジャンルのおもしろいところだ。ブログ上での日記の隆盛はご存知のとおり。日記の名で出版される書物も多い。でも内容は玉石混淆で、著者本人に対する興味がないのに読みつづけたくなるほどの日記となると、それほど多くはない。

 本書はそんな中で、突出している。日本語日記文学の頂点、というのも変な言い方なのだが、読んでいると金山を掘り当てたような気分になる。そのおもしろさをどう形容していいのか何とももどかしい思いに駆られるくらい、とにかく自分でも知らなかった変な言葉のツボをとらえられた感じがする。不思議な読み物だ。

 地主の家に生まれた著者は、子供の頃から文学趣味が旺盛。やがて戦渦をへて実家は没落するが、文学への思いは強く、出版社へ就職。しかし、配属されたのは編集部ではなく、傘下のカフェだった。そこで著者は武田泰淳と運命的な出逢いをする。

 『富士日記』は、夫婦となった武田泰淳と百合子、そしてその一人娘花子との、富士山麓での別荘生活を描いた日記である。日記という名にふさわしく、とにかくテンポよく時間が流れていく。淡々とその日に買ったものの品名や値段、食事の献立などが列挙され、その傍らに、出逢った人とのやり取りや出来事が記されていく。2Bの鉛筆一本だけでデッサンをしたような、質素で荒削りな筆致なのだが、人物たちが実に生き生きとしている。とくに何度も登場する地元の外川さんという人はなかなかのものだ。

外川さんは私と花子が上るとすぐさま、座敷のテレビをつけて、テレビと話しこむほどの近さに坐りこみ、画面に眼をすえたままになる。水戸黄門をやっている。ときどき「うう」という呻き声を出しては、穴のあくほどみつめている。水戸黄門様が浅はかな殿様をたしなめて悪い家来をやっつける話で、外川さんは鼻水が垂れてきても拭かない。黄門様が終えると、すぐパチンと消して、体の向きを変え、今度は私に話しかけはじめた。わかった。外川さんはこの番組がはじまっていたので、早くこれを見たいから、千葉の車のことなんかどうでもいい、早く座敷に上りたかったのだ。外川さんは黄門様を見ている間、子供がそばにきて首をつっこんで見ようとすると、ゲンコで頭をなぐって向うへ追いやり、自分だけテレビの前で専用にして見ていた。
外川さんの話のメモ(これは昨日、六月七日に、田植の話のほかにした話で、昨夜眠くなって書くのがいやになってやめておいたら、今日になって主人が「外川さんの話は書いておくのだぞ」と言うから、忘れないうちに書いておく。いやだなあ。指はイタくなるし、字を書くのは大へんだ。外川さんがこれからも沢山話をしたら困ることになる)。
(中略)
○外川さんの家についている迷信の話。
 外川という姓の家は三派あって、それぞれ守り神様がちがう。外川さんの家は御不動様で、この一派はキビを蒔いてはいけない。二月十四日の晩めしから十五日の昼(?)まで、米のごはんを家で炊いてはいけない。外で食べるのはいい。別の外川の一派は薬師様が守り神様で、ここではきゅうりを作ってはいけない。もう一つは忘れた。
○S学会は人の弱みにつけこんで攻めてくるから一種の共産党である。しかし、ここの親方は、金が沢山あるから偉い。R立正佼成会が攻めてきたが、外川さんははねつけた。

 最後のこの政治的意見のときは、外川さんは急に考え深げな面持となって、しかも断固とした意見のように演説調になって話してくれた。外川さんは政治が好きらしい。


生き生きとしているというと、何だがしみじみほのぼのといった印象を与えるかもしれないが、そういうのでもない。外川さんという人はやっぱり変だ。他にも変な人がたくさん出てくる。世の中とはこんなに変なものだったかと感心するほどである。そして読んでいくとだんだんわかってくるのだが、外川さんをはじめとしてこの日記に出てくるいろんな変なひとたちの「変さ」をおびきよせているのは、どうもこの著者自身の際立った素っ頓狂さではないかという気がしてくる。

昼はおにぎりとチーズを食べる。一時ごろ帰ろうとすると、四、五人派手なシャツの色めがねの若い男たちが車のまわりにきて「帰るの? どこからきているの? 品川ナンバーじゃん。東京から泳ぎにきたの? もう少し泳いでいけよ。乗せてってくれよお」と、口々にからかいだす。ひとわたり、皆の質問に返事をいちいちしてから「さよならあ。皆さん、ごきげんよう」といって、手を振って車を出してしまう。見かけはすごそうだが、気の弱そうな与太者たちらしい。花子はすっかりいや気がさして「大きくなって運転するようになったら、あんな目にあうから、男の人を隣りに必ず乗せるようにする。おかあさんはヤクザのおにいさんたちと友だちみたい」と元気がなくなる。

気のせいかもしれないが、何となく小島信夫の匂いがする。とくに「さよならあ。皆さん、ごきげんよう」というあたり。花子の反応もいい。セリフの実にテキトーな感じが、2Bっぽい。みんなが百合子語に感染しているとしか思えない。

足が痛むのでトクホンを貼る。 私「さっき、庭を上るとき滑って、前に挫いたところ、また捻挫した」
主人「百合子は普段でも少しびっこ気味だから、すぐ転ぶんだな」
私「左足だか右足だか、どっちかが少し短いんだって。小さいときに大病してお尻に太い注射したそうだから、それで短くなったのかもしれない。挫いたところをまた挫くと、その痛さといったら。おしっこがでちゃった」
主人「汚ねえなあ」
私「エンガチョだねえ」
四合目の駐車場に入ると晴れていて、本栖から白糸の滝あたりまでの麓の村は、パノラマのようによく見えた。真白なアルプスも見えた。コロナが一台とまっていて、男の子が二人、石を下の道に投げている。両親らしき大人は車の中にいる。危ないので注意する。男の子二人は、少し間をおいて、帰りがけの私に「クソババア」という。「クソは誰でもすらあ」と、振向いて私言う。主人に叱られる。

別に意図的に下ネタばかり選んでいるばかりではないのだが、この日記の自在さは、「おしっこがでちゃった」みたいなセリフがひゅっと出てくるあたりに典型的なのだ。

 百合子は泰淳に内緒で自動車学校に通い運転免許をとった。実はこの富士山麓の家も百合子の独断で買ったものだという。赤坂の自宅から車を飛ばし、別荘に家族を連れていくのはいつも百合子の役だったわけだが、「車の運転のできる女」という当時のハイカラ像が強烈な一方で、闇の部分がないわけではない。じつはこの日記の大きな部分を占めているのは、死の記述でもある。とくに自動車事故にまつわる記録。有名人の事故死。近所の人の交通事故。通りすがりの人から聞く事故の話。怪我人との遭遇。数々の車の不調(昔の車は壊れやすかった!)。ついには百合子自身、追突されてむち打ち症にもなる。

百合子が「ラッパを吹きたいほど」と形容するような牧歌的な風景に囲まれ、疾走する車に華やかでお洒落な雰囲気を漂わせながら、そこにつねに死が隣り合わせているという感覚が、この日記ならではの、そして百合子ならではの生の現実をつくっていく。だから、上巻でもっとも感動的なのも、つねに影を落とす交通事故の「魔」が、一瞬現実になりかけた瞬間である。いつものように赤坂の家を早朝に出た車は、山北のトンネルにさしかかる。当時の道はまだでこぼこ。見えない穴に落ち込んだ車はガクンとなり、そこでホイールがはずれてしまった。百合子が車を停めて車体をチェックしていると、驚くべきことが起きる。

ふと気づくと主人がいない。ひとことも言わずに、トンネルの中へ、すたすたと戻って行くのだ。しかもトンネルのはしっこではなく、まんまんなかを歩いて入って行くところだ。「あんなものはいらない。なくても走れるよ。歩いて入っちゃ危ない」。私が呼び返しても、大トラックが轟音をたてて連続して出入りしているので聞こえない。ふり向かないで、真暗いトンネルの中に、吸い込まれるように、夢遊病者のように、大トラックに挟まれて入って行ってしまう。何であんなに無防備なふわふわした歩き方で、平気で入って行ってしまうのだろう。死んでしまう。昨夜遅くまで客があり、私が疲れていて今朝眠がったからだ。ぐったりしている私の、頭を撫でたり体をさすったりして、しきりになだめすかして起してくれたのに、私が不機嫌を直さなかったからだ。車の中で話しかけてきても私は意地の悪い返事ばかり返した。私は足がふるえてきて、のどや食道のあたりが熱くふくらんでくる。予想したことが起る。トンネルの中で、キィーッと急ブレーキでトラックが停る音がし、入って行く上りの車の列は停って、中でつかえている様子。

めずらしく百合子の筆に、ちょっと芝居めいた感じが出ている箇所だ。今までのすぱっすぱっと乱切りするような筆致ではなく、一カ所に立ちすくんで、前を見たり後ろをみたり。逡巡し、後悔し、こだわっている。こういう珍しい場面に出くわして逆に思うのは、百合子という人がふだんはほんとに疾走しっぱなしだということでもある。まさに日記というジャンルそのままに、流れる時間に身をまかせるようにして生きている、実にたくましい人。でも、それだけではないのだ。百合子だって怖いのだ。

バカヤローといっているらしい運転手の罵声が二度ほどワーンと聞こえてくる。私はしゃがんでしまう。そのうちに、主人は、またトンネルのまんまんなかを、のこのこと戻ってきた。両手と両足、ズボンの裾は、泥水で真黒になって私の前までくると「みつからないな」と言った。黄色いシャツを着ていたから、轢かれなかった。ズボンと靴を拭いているうちに、私はズボンにつかまって泣いた。泣いたら、朝ごはんを吐いてしまったので、また、そのげろも拭いた。

またまた下ネタで恐縮なのだが、これが百合子の現実というもの。それにしても、武田泰淳とはこういう人だったのか、と思わせる一節だ。明らかに百合子の圏域に引きこまれている。

 とにかくこの『富士日記』は形容に困るというか、今、ここにしかない、と思わせるような書物なのだが、死や車に代表される無機的な脅威と、疲れるとばたっと寝て朝まで起きない、まるで生命力のカタマリのような百合子とのぶつかり具合の妙は、何とも不思議な味わいだ。ぱちぱちとはじけるようなその文体の極端な気っぷのよさと、物事が雪崩を打って進んでいくどうしようもなさ、そこに変わった人が次々に現れては消えていくという世界。下手するとカフカを思い出すような組み合わせではないか。カフカを強引なほどうまく日本語に訳して、かなり明るくして、小島信夫をちょっとだけ混ぜると、こういう世界になったりして、なんて思う。


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2009年03月04日

『ダブル・ファンタジー』村山由佳(文藝春秋)

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「少しダサいくらいがちょうどいい」

 500頁に達しようかという作品なのに、ストーリーがほとんどない。何人かの男が代わるがわる現れ、抑えがたい性欲を内に抱えているのだという主人公の女性と関係を持つ。男から男へと移るときに、かならずいわゆる「糊代」(同時進行)があるから、筋書きとしてはおそらく連続姦通ということになるのか。それにしても起きる出来事は、家出と、香港観光と、メールのやり取りと、あとはひたすら性行為ばかり。

 ああ、なんて馬鹿馬鹿しい、と思うかもしれない。掲載週刊誌の男性読者の視線を満足させるためだけの官能小説。ところが、どうも、それだけではないのだ。村山由佳という作家の作品は、筆者はめくったことがあるぐらいでちゃんと読んだことはなかった。今回のはいつもとは違うというのでちらっとめくり、最初の数頁でやや失望したのだが、読みやめなくてよかった。

 とにかく男がよく描けている。女を描ける云々は、男性作家の腕前を値踏みするときのお決まりの指標だろう。たとえば筆者は、大好きな『明暗』についてある女性に、「あんなの、女の描き方がなってなくて、鼻白んじゃう」みたいなことを言われショックを受けたことがあるのだが(たぶんそこは当たっている)、それを言うなら、女の描く男にこっちが「鼻白む」ことだってあるさ、とも思う。

 男は女に幻想を抱くものだ。女に過大に期待し、過剰に感傷的な涙目でうっとりとながめようとする。対して、女は男を過大にバカにする。男のわかりやすさやみっともなさを、これでもか、と暴く。そこでやりすぎる。ところが、この小説では、それがない。作品冒頭に登場するホストの描き方だけは、主人公の偽悪ぶりがややくどくていただけないが、そのあとに出てくる男性については見事だと思う。たしかに描写の中心は性行為ばかりで、男=性の道具という設定なのだが、その向こうに、「性」を越えた男たちの生活の匂いが生々しく漂ってもいる――プラスもマイナスも。つまり、この小説は、そこに書いていないことも十分書いているのだ。

 主要な男性は4人。夫の省吾、大物演出家の志澤、大学の先輩の岩井、駆け出しの役者の大林。この4人がその「性の作法」を基準に書き分けられる。脚本家の主人公奈津のためにテレビ局の仕事を辞め、主夫役を買って出た省吾は、妻の身体をなぐさめるためだけに、抱きたくもないくせに指でマッサージをしてくれたりする。その存在の鬱陶しさがこれでもかと書きこまれていくのと対照的に浮かび上がってくるのが、もう中年の域を超えた「漁色家」志澤の、激しい獣のような行為。その志澤に捨てられた奈津を迎えるのは、草食系と形容される岩井の、ひたすらやさしい長くて細い指だった。しかし、奈津はそこにも安住できず、好みのタイプではない、という大林に惹かれていく。以下は奈津が攻勢に出ている際の描写である。

大林のポイントは、岩井とも、また志澤とも違っていた。もれる声や息づかいに耳をすませながら、ここぞというところをさぐっていく。岩井は浅く含んで先端を刺激するだけでも充分に感じるが、大林はしっかりと深く含まれるのが好きなようだ。志澤は触れるか触れないかのごく優しい愛撫を好んだが、大林は強く吸いたてようと多少歯が当たろうと平気らしい。

好みのタイプではない男に惹かれてしまう女というのは、恋愛譚の黄金パタンかもしれない。作品の最後に登場するのが大林だというのは、おそらく必然。志澤でも岩井でもいけないのだ。そこには、思ってみない男に惚れてみたい、というような願望が見え隠れする。

 こういう男遍歴を重ねれば、次第にシニカルになっていきそうなものだが、奈津の目は男に対し、いたって寛容だ。とくに男たちの言葉への反応がいい。志澤とやり取りされる激しい重いメール、岩井とのだらだらとゆるんだ会話、大林の気障な片言節句。奈津は実に耳がいいのだ。行為そのものよりも、言葉の方がはるかに性的。男たちの匂いは、彼らの言葉にこそ発する。うわっ、と思うことなどなしに、どのやり取りも気持ちよく読める。青春ドラマのセリフについて奈津が発する、次のようなコメントは要注意だろう。

 ありがちなくらいが、人の胸には届きやすいのだ。少しダサいくらいでちょうどいい。大衆を甘く見ているのではない。セリフというものは、文字をともなわずに音として耳に届くから、あまりにも研ぎ澄まされていてはかえって受けとめてもらえないのだ。鋭利な刃物が向かってくれば本能的によけるのと同じように、鋭利な言葉に対して、多くの人は無意識のうちに身をかわす。

なるほど、という箇所だ。こういうことまで了解したうえでの小説世界なのだ。下手に「お文学」しない。不用意な洒落文句はほとんどなし。情念にあふれてはいても、自己憐憫や感傷は抑えめで、文学に対して斜に構えているのかと見えるくらい禁欲的(プロットの淡白さもそのためか?)。とくに主人公奈津の、格好の悪さがいい。志澤に対してなど、奈津は徹底的に「イタイ女」を演じてくれる。

―― ねえ、思いきって訊くね。もしかして、私がバランスを崩してあなたに依存しすぎてしまったせいで、本当は長く続くかもしれなかった関係を根こそぎ台無しにしてしまったのかな。それとも、今はただ、あなたがいつにも増して仕事に集中しなくちゃならない時期なのだと思って、私は私のことをちゃんとしながら、次に逢える機会を待っていてもいいのかな。
 それだけでも、どうか教えてください。こんなことでお仕事の邪魔をするのはまったく本意じゃないけれど、あなたからぱったり返事が来なくなってしまった理由をどちらだと考えていいのかわからなくて、毎日ほんとに辛いのです。くだらないと思うかもしれないけれど、私にとってはものすごく大きなことなのです。
 押しつけがましいよね。鬱陶しくてごめんなさい。
 きっと、送ったとたんに、あんなメール送らなきゃよかったとめちゃくちゃ後悔するんだろうな。でも、送ってしまいます。正直、胃がもう、限界だ。
〈奈津 拝〉
志澤は、まさにこういうメールをぜったい送ってはいけない相手なのに、まるで吸い寄せられるように出してしまうのだ。見ていても「あ~あ」だし、本人もわかっている。もちろん返事はこない。

 でもこんな奈津が、男たちを惹きつける何とも言えない魅力を持っているのだという。いったいその魅力とは?という問いが、この小説を前に進める力となる。そこを我慢して、我慢して、小出しにする。もちろん容姿などではない。もっと奥の方にあるものを、にじみ出させる。効果を発揮するのは、男たちの言葉の積み重ねである。とくに終わり近く、大林から伝え聞く志澤による奈津評は、それこそ「少しダサいくらいでちょうどいい」というセリフなのだが、ここまで読んだ読者は思わず「そうだよねえ」と思う(このセリフは引用しないでおきます)。その「そうだよねえ」を、どこか間の抜けたところのある奈津がよくわかっていないあたりがまたいい。

 小説の起源は作法書だと言うことがよくいわれる。たしかに、この作品を読んで性について学ぶという人もいるかもしれないし、人間関係の型について何かを知ることもあるかもしれない。しかし、「作法書」の最大の楽しみは、作法から逸脱した失敗例の描写でもある。ジェーン・オースティンもそうだった。作法書はどこかで意地悪なのだ。主要4人には加えなかったが、この小説でぜったい忘れられない登場人物が一人いる。後半に登場する祥雲という軽薄なお坊さんである。どうやら筋肉隆々らしいのだが、その「作法」といったら…。というわけで、その場面を引用して終わりにする。(それにしても最後の犬の比喩はすごい。)


<気持ち、いいですかあ>
思わず眉が寄った。いつかのホストを思いだす。なんだって男たちはこう、同じことを訊きたがるのだろう。おまけに、なんだって行為の最中になると口調ががらりと変わるのだろう。
 この程度じゃ全然、まったく気持ちよくないです、と思いながら、しかしはっきりそう言うことも出来ず、遠慮がちに頷いてみせる。脚の間に祥雲の手が伸びてくるのを、羞じらいを装ってひとまずかわした。
―― 弱った。ちっとも濡れてこない。だからといって、気分を高めるためにと、こちらから相手を愛撫する気さえ起きなかった。もう一度逢いたいわけでもないのに、ここでうっかり岩井お墨付きの腕前など披露してしまうと、あとあともっと面倒なことになる気がする。
<入れても、いいですかあ>
 眉根の皺がさらに深くなった。ここまできて、今さら何を。
 苛立ちを隠して再び頷いてやると、祥雲は奈津の手を取り、股間のものを握らせて自分から導かせようとした。
 大きさは、まずまずだった。奈津は、健康な大型犬の糞を連想した。ころりとしていて、わりに硬い。押し入ってくる時だけ少し期待もしたのだが、ほんの二、三往復で、奥を突かれるにはやや長さが足りず、圧迫感を愉しむにはやや太さが足りないことがわかった。形状の問題なのか、摩擦以外の刺激がほどんどない。
 久々に、演技をしなくてはならなかった。相手のためではなく、そうでもしないと気持ちいいことをしているのだという錯覚さえ起きず、とうてい達することなど出来そうになかったからだ。
 だが――間に合わなかった。
<一緒に、いきましょお―>
 は?もう?



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2009年02月25日

『大人にはわからない日本文学史』高橋源一郎(岩波書店)

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「人はなぜ、文学史を求めるのか?」

 ああ、文学史…。誰も教えたくない文学史…。
 筆者の勤務先でも、毎年冬になると、「誰が来年の英文学史を教えるのか?」を決める会議が開かれる。「だってさ、オレ、学部長なわけよ。死ぬほど忙しいわけよ。お前、学部長じゃないっしょ?ね。だから来年の文学史は阿部ね」、「え~、だって、またですかあ?じゃ、トロイカ体勢で三分割みたいなのはいかがでしょう?」、「いえいえいえいえ、じゃ、ジャンケンで」みたいな会話が毎年繰り返されてきた。

 なぜ、人は文学史を教えたくないのか?    
 まあ、ふつうに考えれば、無理だからである。一年間30コマ程度で
近代文学を要約するなど不可能。それを強引にやろうとすれば、作者・作品名と抽象用語との羅列に終始した殺伐たる授業になること間違いなし。しかし、不思議なのは、意外と学生さんは文学史を求めている、ということでもある。筆者も一度ならず、「良い文学史の教科書ありませんか?」という質問を受けた。

 では、なぜ、人は文学史を求めるのか?
 それは文学史が「あったらいいなあ」というものだからである。筆者だって、あったらいいなあ、とは思う。あるわけなさそうなのに、あったらいいし、それどころか、ありそうな気さえする。そのあたりのからくりを、本書は手に取るように示してくれる。著者の高橋源一郎は、サイードを引きながら次のように言う。

 つまり、歴史の起源は任意なのです。ある共同体の成員が、その共同体の中で起った出来事を、ずっと後になって回想し、「我々はそこから来た」のだ、あるいは「我々はあそこから生まれた」と認識したとき、ようやくその歴史は始まるのです。
 同じように、その共同体の成員が、「我々の時間は終わった」と考えた時、その歴史もまた終わりを告げることになるのです。

「歴史」とは、共同体の夢にすぎない。だからこそ、新しい「国語」の誕生を夢想した「近代日本文学」の共同体は、「文学史」意識とは相性がよかった。高橋はそこに共通する原理を、志賀直哉と太宰治という一見正反対の作家を比較することで、鮮やかに説明する。一方には、家の前で不意に祖父と遭遇する『暗夜行路』の幼い主人公。もう一方には、自分を育ててくれた女中の「たけ」に会いに津軽まで行く『津軽』の太宰。

わたしには、彼らの小説は、一つの、同じ、大きな空間に属しているもののような気がするのです。そこには、「始まり」があり、「成長」があります。故郷があり、風土があり、空気があり、肉体があります。というか、彼らの小説は、表面上は少しも似ていないのに、それを書いたふたりの作家は、同じなにかを信じているように、わたしには思えるのです。

作家が物語の中で「始まり」や「成長」を信じることは、文学史という「始まり」や「終わり」のある時間を信頼することと重なるだろう。そういう意味では、文学史を見つけよう、語ろうとすることは、きわめて「近代文学」的な欲望だとも言える。そこには共同体への何らかの期待感が見え隠れする。

 しかし、ときにはそうした共同体への違和感を出発点に文学史を語ることも可能だ。本書を最後まで読むとわかるように、高橋のポイントはむしろそこにある。太宰や志賀直哉の生きた文学史を、高橋自身を含めた現代の作家の多くは、生きることができない。そこに居場所を見つけることができない。だから、本来なら共同体への賛歌でこそあるべき文学史を、むしろ「居場所がない!」という違和感の解明にこそ使う。それが本書最大のウリである。

 居場所のない作家の代表選手は、綿矢りさ、岡田利規、川上未映子、前田司郎など若い小説家を中心に、穂村弘などの現代歌人にまで及ぶ。考えてみると、文学史の今ひとつの機能は「何を読んだらいいか、教えて!」という問いに答えることにある。本書にも、便利なアンソロジーという顔がある。筆者もいくつかの印象深い一節に出遭ったので、孫引きを恐れずに下にあげておく。

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって(中澤系)
牛乳のパックの口を開けたもう死んでもいいというくらい完璧に(同)
「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」(穂村弘)
「湯の中でおしっこするのが特別気持ちがいいとは思わないけどあたしはときどきこっそりとやっていたおしっこを/あたしはお母さんにいわれてやめたんです/それから毎日苦しくて/いいえおしっこ出来ないことが苦しいのではないのです/お母さんにいわれたことでやめているそのことが本当に苦しいんです/おしっこをしない人は〈したくないからしない人〉と/〈したいけど怒られるからしない人〉の/ふたつがあるって思うんです/あたしは前者がうつくしい/あたしは後者が汚らしい/お母さんの命令でしないでいることが愚かしい/たとえおしっこをしないでいても/本当のところはおしっこが出来てしまうあたしなら/お母さんを恐れてしないでいるあたしはいったいなんですか/なぜ人を殺してはいけないか/少しまえこのなぜころ問題にずいぶんと/お母さんたちは悩んでいたけどおしっこだってそれとおんなじ問題です/もっと毎日の問題です」(川上未映子)

こうした現代の書き手のサンプルから、樋口一葉、漱石、太宰、志賀直哉といった古典系に至るまで、文章の一節を引っ張ってきて食べ方を伝授してくれる腕前には、文学先生としての高橋源一郎の腕が冴えている。

 その語り口はときに超絶技巧とも見える。何しろ実にうまく、論じない、のだ。どうも高橋は論じ、断じ、威張るタイプの批評がとことん嫌いらしい。そのかわりに高橋の武器となるのは、問うこと、そして思いつくこと、である。

いったい、わたしたちは、なぜ、あるものを見たり、読んだりして、「古い」と感じるのでしょう。それは、その作品が実際に書かれた時代とは、ほとんど関係ないような気が、わたしにはするのです。(中略)もしかしたら、口語というものが当時と本質的にほとんど変わっていない故に、わたしたちは、彼の作品に古さを感じないのかもしれません。

 「気がする」とか「もしかすると」という、一見無責任とも見える言い方には要注意。こういう、触るか触らないかみたいな言い方でこそ掘り起こせる文学の秘部みたいなものは、たしかにあるのだ。次の一節もたいへん無責任だが、読んで損した気にはならない。

この作品 [=伊藤比呂美『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』] を読んでいると、ふつうの小説や詩には、というか、ふつうの文章には、カギカッコとか漢字とか改行といったはっきりした「輪郭」が存在することがわかります。そして、わたしたちは、その「輪郭」におおいに頼って、目の前に存在している「意味」を読み取ろうとするのです。だとするなら、「意味」というものは、なにかの内部にある秘密ではなく、単なる「輪郭」なのかもしれません。

そうかもしれないし、そうでないかもしれない。こういうぐにゃっとした武器で攻められても、防御も反撃もしにくいのだが、このタイミングで「輪郭」と言われると、深いところに蹴りでも入れられたような衝撃はある。ツボを射抜かれた感じがする。もうひとつ極めつけの一節。

詩の本質と考えられるものの一つに、「改行」があります。「改行」というものは、なぜ存在するのでしょうか。詩人に聞いてもはっきりとは答えてくれません。わたしの考えでは、詩人が改行するのは、その行のところでことばの角を曲がるからです。一つの行を書く、ある場所に到達する。その時、小説家はただ早く目的地に着くことだけを考えます。それに対して、詩人は角に来たら曲がりたくなる性質を持っています。ここを曲がったら、自分の知らないなにかがあるのではないかと思って、角を曲がるのです。角を曲がるとまた角がある。小説家なら角ではなくメインストリートをまっすぐ歩いていきたいと思うでしょう。しかし詩人はその角の向こうにある、隠されているなにかが気になってしょうがない存在なのかもしれません。

詩人とは、「ここを曲がったら、自分のしらないなにかがあるのではないかと思って、角を曲がる」という見立て、まさに現代詩の急所を射抜く言葉である!などとコメントすると、まさに高橋の嫌いそうな議論批評になってしまいそうだが、そういうことなのだ。全体に快楽に満ちた本だが、このようにきゅっと鋭く内角をえぐられるような球がくるところが、何より痛快である。

 とはいえ、看板に偽りはない。文学史と渡り合うとみえてじつはうっちゃるのかと思うと、実は最後はかなりきちんとした「結論」が差し出される。釘を使わないで組み立てた塔のように、柔軟でありながら先端的。考えてみれば、著者の姿勢には一貫したものがある。筆者がはじめて批評家としての高橋源一郎に衝撃を受けたのは、80年代の終わりに「朝日新聞」に掲載された文芸時評を読んだときだったが(『文学じゃないかもしれない症候群』所収)、文学史との決別を告げつつ新しい文学の到来を仄めかす仕草には、あいかわらずの源一郎節の健在を感じる。もちろん、筆者のような下の世代のものには、そうして共同体に違和感を示すジェスチャーそのものに、ある特有のこだわりを感じなくはないのだが、高橋がいくら変化球投手だからといって、マウンドに立たずして球を投げることはできない。どこかに立っているからこそ、声をあげたくなる、という意味では高橋源一郎はやはり表現者なのだとつくづく思う。


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2009年02月10日

『日本語が亡びるとき』水村美苗(筑摩書房)

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「「帰国」を説明する」

 依然として書店の平積みコーナーを占拠し続ける本書。つい最近も「ユリイカ」で水村特集が組まれたりして、日本文学と英語のかかわりにこんなみんなが関心を持つのは良いことであるなあ、と筆者などは職業柄つい軽薄に喜んでしまうのだが、実際に読んでみると、けっこう変な本である。そして、たぶん、そこがこの本の持ち味。

 出だしは明らかに私小説である。
「ユリイカ」のインタビューでも話題になっているが、日本での自律神経失調症に悩む生活から、アイオワ大ワークショップでのややすさんだ滞在生活へと話が展開するあたり、日本語論や英語教育論とは無縁、むしろいつもの水村節を、さらにきわどく押し進めたような自虐の語りで、病の匂いが強く漂う。

 ところがふつうに読んでいくと、それが一見冷静な現状分析に引き継がれ、日本近代文学の誕生の過程、「国語」概念の発生、「普遍語」の支配といった、この二、三十年のアカデミズムでも盛んに取り上げられてきた話題――言語の政治性の問題――へとつながってくる。そうした議論を踏まえつつ、最後の二章では日本近代文学の今後の見通しと、英語教育法についての具体的な提案とが、これまでよりも著者の個人的な思いを強く乗せて語られるというのが全体像である。すでに多くの書評の出た本であり、書評空間でも大竹昭子氏による力のこもった書評があるので、粗筋紹介はこれぐらいにしておく。

 筆者がふだん活動しているのは英語教育や英文学などにかかわる業界である。その一角では水村の素描してみせた「国語」問題や英語教育の方法について、それこそ重箱の隅をつつくような議論が延々とされてきた。おそらくそういう世界に生きてきた人たちからすると、水村の議論にはアラや誤認なども多く含まれている。筆者の耳に入ってくる感想も、ネガティヴなものの方が多いようだ。

 筆者が本書を手に取ったのは、すでに宴の後、とまでは言わないまでも、本書をめぐる熱狂がある程度終息してからであったので、本書と直に向き合うというよりは、本書を取り巻く状況とセットで対面したような気がする。そのおかげもあってか、この本の中に言語論や英語教育論ばかりを読むこともなかったし、日本文学論中心の本とも思わなかった。

 この本は「論」ではない。水村美苗そのものなのである。だから、本書がベストセラーになったのだとしたら、水村美苗そのものを人々が読もうとした、という他はない。英語教育界の重鎮が、まったく同じタイトルで同じ内容の、そしてもう少しリサーチを細かくしてある本を書いても、まあ、見向きもされなかっただろう(などという比喩が滑稽なことは承知で言うが)。

 なぜ水村美苗でなければならなかったのか。
 水村美苗はふつうの小説家ではない。日本近代文学の中ではかなりの異端。それは彼女が、独特な「中産階級性」を担っているからである。しかもそれは「日本人の9割が中流意識」とか「庶民の感覚」とか言うときの「中」とはちがう。むしろもっとガードを固めた中流とでもいうのか、しかし教養主義的でもあり、さらに――ここがもっとも大事なのだが――そこに欧米駐在員文化の香りが強くする。

 水村は近現代日本文学がながらく排除してきた「帰国子女的なもの」を具現しているのだ。このあたりは皮肉というほかはないが、水村がここまで強烈に日本文学にノスタルジアを抱けるのは、そこから排除されてきたことを実感しているからだろう。水村のこれまでの作品(とくに『私小説』以降)を読むとわかるように、そこにはわざと言葉をずらしたりわからないふりをしたりする文壇臭のようなものは希薄で、まるでエンターテイメント系の作家のような鼻通りのいい文章でありながら、その一方でどこか「文学」に対する信頼ものぞいているという印象がある。その下敷きにあるのは、欧米19世紀のメロドラマ的な語り口で、そのやや過剰なアピール感は、自然主義系を主流とする近現代日本文学とはそりが合わない。それに加えての、日本独特の「帰国子女文化」なのである。

「帰国子女文化」は実に厄介なものである。それは、欧米に憧れて西洋語を学んだり、その文物に憧れて購入したり、あるいは留学したりするといった、近代日本の立身出世的価値観の根底にある「田舎→東京→外国」という憧憬の眼差しを無化してしまうものなのだ。吃音をきかせ、標準日本語では語らないことこそを旗に掲げるような、自然主義風の土の匂いのする貧乏や落胆や不幸の作品化は、どこかで「田舎→東京→外国」というベクトルを意識してこそ機能する。しかし、帰国子女という妙な存在は、顔は「日本人」であるにもかかわらず、しごくあっさりと、まるでランドセルでも担ぐみたいに西欧を背負っている。

 はじめから「西洋」を背負っているということが、どれだけ平凡で身近なことであるか。何しろ幼い頃から大量の牛乳を飲んだりマーマイトをパンに塗って食べたりするのが当たり前、お札を勘定するときに思わず英語が出たりするし、発音もいい。でも、英文和訳と文法では日本育ちの「純ジャパ」にかなわない。両親は教育熱心で、家庭では一昔前の丁寧な日本語が話されていたりするが、根にあるのはあくまで禁欲・勤勉を旨とする企業文化で、文学的頽廃とは縁がない…とまでいくと、やや型にはめ過ぎかもしれないが、いずれにしても帰国子女文化が学校教育の中でも、「どうしたもんかねえ」という眼差しを向けられるようになって久しい。「帰国子女って、かえって英語できないんだよねえ」なんて言われたりする。

 そしてさらにひねりがある。水村美苗は帰国子女ですらないのである。彼女がアメリカに渡ったのはすでに12歳のとき。遅すぎた帰国子女だった。だから簡単に「帰国」することもできない。いわゆる帰国子女がぐっと増えるのは水村以降の世代。水村は典型的な帰国子女とは違い、すでに物心ついてから、しかし、まだ幼い年でアメリカに行った。英語の習得では苦労したのに、その後の教育は米国に残って受けたりするのである。今では帰国子女どころか高校あたりからわざわざ留学して、十年後に大学院を終えて帰ってくると日本語がしゃべれなくなっている、という人も多くなった。ある意味で「帰国子女」という言葉そのものが死語となりつつあるのかもしれない。また、帰国子女の間でも世代間の軋轢が生じているのだろう。帰国子女第一世代(もしくはプレ帰国子女)の水村が、本書の中でも、能天気に子供をアメリカンスクールに送る親たちに苛立ちを隠さず、その一方で英語エリート教育を唱えたりするあたりには、複雑なものを感じる。

 そういう意味で、筆者は本書を、現役小説家による現代日本文学に対する応援歌としてではなく、「帰国子女文化」の一角にいながら、日本的純文学のど真ん中に切りこみ、しかしその中に安住の地を見つけることもなく、ひたすら孤独な作業を強いられてきたひとりの小説家の、自分自身のための「説明書」と読んだ。日本近代とはこういうものなのだ、と。そこへ「帰国する」とはこういうことなのだ、と。これだけ「声」のように聞こえる、フィクションともエッセーともつかない本というのも珍しい。アマゾン書評のひとつに「最後はほとんど絶叫に近い」との批判があったが、「絶叫」でもいいじゃないか、と思う。それで良い小説が書けるなら。


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2008年12月17日

『白暗淵』古井由吉(講談社)

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「古井由吉を読んでみよう」

 古井由吉と言えば、かつての文学的青年にとっては神様のような存在であった。「杳子」、「妻隠」、「円陣を組む女たち」といった初期の傑作短篇にしてすでに、一行々々筆写しながら嘗めるように読みたくなるほどの香しさと、力強いリズムと、知的鋭敏さと、さらには物語的な誘惑感とに満ちていた。日本語散文のひとつの究極がそこにはあった。

 筆者も二十代には、「古井由吉の小説なら、すべて読んでる」と宣言できる時期があった。(瞬間的に、だが) 筆者がはじめて書いた、今では恥ずかしくて読み直すこともできない批評めいた作文も、古井作品を何とか組み伏せようとする努力の跡だった。

 しかし、今の文学的青年にとっては、どうやら古井氏の作品は「じじむさい」らしい。何と嘆かわしいことか・・・。「文学」の概念が決定的に変わってしまったのだ。

 古井氏が神様だった時代。
 それは散文で書くことが、「おとな」を目指すことを意味した時代だった。「おとな」の文章とは、すべてを知り、悟り、先回りし、場合によっては生を超脱して、死の世界にさえ踏みこむもの。小説であるということは、知的にも情的にも読者の一歩先を行き、「とても追いつけない」という憧れと嘆息とを誘発したものだった。

 だから、古井氏の作品にはどこか長男的というのか、つねに人より重い荷物を背負っているような重圧が感じられ、また、人より先んじて知り、先んじて諭すような渋面もあった。

 今でもほんとうにすぐれた小説は、「とても追いつけない」という感想を呼び起こすものだろう。でも、その意味はちがう。それがよくあらわれるのは「狂気」の扱いである。西村賢太にも、川上未映子にも(あるいは小島信夫にも)狂気はほの見えるが、その狂気は若々しく、まばゆく、どこか楽しげでさえあって、とにかくフレッシュなのだ。悟ることよりも、驚き、間違え、ジャンプしたり衝突したりする狂気とでも言ったらいいだろうか。

 対して古井作品の狂気は、今の人には変に聞こえるかもしれないが、研ぎ澄まされた「知」であり「智」。そこには老いや滅びの匂いがつきまとい、にもかかわらず、どこかに知恵が芽生えてもいる。古井的狂気は、カーンと出会い頭でぶつかるようなものではなく、饐えたような発酵臭の漂う、いわば成熟と紙一重の、大往生の愉悦につながるものだった。

 その後の古井氏は、むしろ「神様」であることをやめるために書いてきたようにも見える。ある時期からの古井作品は(90年代?)、ことさら「どっこいしょ」というような力感を前面に押し出すようになってきて、それが「私はふつうのひとですよ」というような囁きに、筆者には聞こえた。

 先を行くことよりも、等身大であること。
 古井氏の文章にもともとあった「寝技系」というのか、特有の粘着質はその後いよいよ洗練されてきた。昨年出版された『白暗淵』におさめられた「雨宿り」という短編から印象的な一節を引いてみよう。季節は梅雨。主人公の笹山は、病院に知人の見舞いに行った帰りに通り雨に遭う。相当な大降り。老人が雨宿りしているのが目に入り、つられるようにしてその軒下に身を寄せる。(読むときの注意だが、「誰が」「何を」の関係が途中からわからなくなってきても、かまわず定速度で最後まで一気に読んでみてほしい。)

隣に立つ老人はそこまでの年とは見うけられなかった。老齢の臭いも伝わって来ない。それではほかならぬ自分の身の内にいまだに染みついて抜けきらぬ病室の、病衰の臭いが、雨に打たれた後で生温く火照る肌から発散していたのを、嗅ぐまいとしていたか、と疑ううちに、背後にあった何かの気配がふっと落ちて、その静まりの妙な濃さから、いましがたまで窓の内で男女が交わっていたらしいことに後(おく)れて勘づいた。女の息がいま一度洩れて軒下にふくらんだ。老人を見れば、雨脚に目をあずけたきり、身じろぎもしない。背が張りつめていた。笹山も軒下に駆けこんで濡れた首を拭ってからは、足を踏み替えもせずにいた。老人の無言のうちの戒めに縛られていたようにも感じられた。軒先の滴の跳ね返りを避けて二人とも窓に背を寄せている。窓の磨硝子は夕立の冷気に触れて、内と外から露を結んで濡れ、軒下に立つ人の影を透かせているはずだ。稲妻の光る時には姿形まで浮き立たせる。女は窓へ目をやらなかっただろうか。
 ここまでがいわば助走である。主語が次第に曖昧になり、雨宿りとか梅雨とか見知らぬ老人といった設定とあいまって、雨にけぶるような湿気に満ちた雰囲気の中を、近代以前に文章が逆行しているような印象がある。句読点こそあるものの、句読点が輸入される前の日本語の、呼吸の加減だけで連なっていくような怪しい持続感が持ち味である。  そうして、段落のいわば「オチ」がやってくる。
それにしても閉めきった窓から男女の交わりの臭いが軒下まで伝わるはずもなく、背中に感じた気配に身の内から誘い出された嗅覚だったのだろうが、どうして穢れた魚の後味だったのか、どうして鳥の鳴き出す間際の空虚の緊迫だったのか、とつい物を問う目を向けると、老人はゆっくりと、深く眉をひそめた。

 ながながと引用したが、ここまでくると、ぐいっとひねられて着地する感じがあるだろう。かつての古井氏はこうした「ひねり」をまばゆいばかりの知的聡明さとともおこなっていたが、このような箇所ではことさらそうしたまばゆさをかき消そうとしているとも見える。音をこもらせるようにして、沈黙すれすれのレベルで語るのである。

 前半の「老人の無言のうちの戒めに縛られていたようにも感じられた」という箇所にしても、最後の「老人はゆっくりと、深く眉をひそめた」といったあたりにしても、文章に肉感が露出している。まさに「どっこいしょ」。見ること、知ることよりも、そういう身体の感覚を際立たせることに眼目がありそうだ。

 古井作品の主要モチーフは、葬儀、病気、迷走、執着、分身・・・ほとんどエドガー・アラン・ポウ的ゴシック小説の意匠を思わせるのだが、じっさいにはぜんぜんゴシック小説という感じはしない。おそらくそれは、日本のものも含めてゴシック的な世界を成り立たせるのが、古井氏の作品に一貫してある「おとな」のベクトルとは正反対の何かだからだろう。

 今や「おとな」の小説を書くのは少数派。たしかに「おとな」になってしまったら、なかなか物語は語れない。しかし、そんなこととは別の衝動で語られる小説があるということを、古井由吉という存在は証明しつづけているのではないだろうか。


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2008年11月17日

『徒然王子』島田雅彦(朝日新聞出版社)

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「ファラオのギャグ」

 新刊の手に入りにくいところにいるのだが、縁あって「朝日新聞」連載中の『徒然王子』の第一部を入手した。太宰の次が島田雅彦というのは、別に深い意味はない。

 たいへん男っぽい文章である。隙間はあるが、柱は太い。日本の小説界の主流は、ちょっと男性的にどもってみせるにせよ、女性的に浮気っぽくさまようにせよ、最後までがっちり言い終えるのを避けることで成り立ってきたところがある。どこかで、ひねったり、にじんだり。自然主義と言われるような作品でも、印象派的な霞がかった感じがつきまとってきた。

 島田は、わりと平気で断定する。すっぱり言い切る。冒頭近く、主人公のテツヒトの住む「王の森」を描写する箇所にはそれなりの叙情性がこめられるのだが、ここでもにじむような「詩っぽさ」に訴えることはない。

 音はいつも遠くから曖昧に聞こえてくる。車や風の音、鳥の鳴き声や人の話し声は渾然となり、パイプオルガンの不協和音にも似た音に変わる。噂話や笑い声や嗚咽のような生々しい音は一切聞こえない。森が音を検閲し、有害な音を遮断しているのだ。
 だが、この森は安眠を約束してくれない。長くこの森に暮らしてきた父も母も睡眠障害に苦しんできた。息子のテツヒトもまた不眠の血筋を引いてしまったようだ。今夜で連続六夜、眠れない。日付変更線を超えたわけでもないのに、時差ボケと同じ症状が出ている。夜眠れない分、昼間に不意に睡魔が襲ってくる。

正しい書き順で書かれた楷書体のような骨格がある。どもることで誰かに救われようとするような「少年語り」とも違うし、気まぐれで、くせのある「悪女の語り」とも違う。むしろ「父の語り」とでも言うべきか。

 「やんごとなき方」を主人公にすえ、「王子の遁走」という古来、繰り返し語りつがれてきたテーマを扱うこの作品、帯にもあるようにたしかに「冒険ファンタジー」には違いないのだが、ほんとうに効いているのは、このしっかりした土台ではないかと思う。

 島田の売りは何と言ってもギャグである。「王子の遁走」の家来となるのが、宮廷のお雇い道化をしているお笑い芸人のコレミツだというのはそれ自体ふざけているし、最初の家出先が「ドーゲン坂下」というのもいい。そのドーゲン坂の、ふたりが辿りついた酒場ではこんな会話がかわされる。

 コレミツはカウンターの端に陣取り、ウイスキーのダブルを二つ注文すると、「最近、どう? 客層は相変わらずかい?」と緩い世間話から始めた。
― ここ一年でお客の顔ぶれもずいぶん変わったわ。
― この国はあかん、もう仕舞いや、というのが口癖の歯槽膿漏のおっさんがいたね。
― ああ、弁護士のヌマさん。あの人は去年、亡くなったわよ。
― この国より先に自分がくたばったか。いじる相手がいなくなると、寂しいね。そう、誰でもいいから、金持ちと結婚したがっていたアニメ声の貧乳モデルがいたよね。
― ニコルちゃん。彼女は実業家とゴールインしたけれど、夫が粉飾決算で逮捕されて、豪邸暮らしも一年しか続かなかった。今はアラカワ区の2DKに暮らしてる。
― 怪しい詩人もいたね。ホテルでがめたバスローブをコート代わりに着ていた人。
― ガニ股平次さん。もう女の子が相手をしてくれないからといって、山に登ってる。
何なんだ、このふつうさは!?と思う。島田のギャグというのは、ちらっと仄めかす類のものではなく、有無を言わせぬ口調である。そこには揺るがしがたい日常感覚というのか、もっと言うと、作者の諦念のようなものさえが露出している。世界って、こんなものでしょう?とでもいうような。

 こうなると、小説的世界をはばたかせるのはひと苦労である。がっちりした土台に腰をすえて、疑り深い目で世界を見ている語り手がいるわけだから、どうしたって、プロットだのサスペンスだのが弱々しく見えてくる。そういう中で、「王子の遁走」や桃太郎的「従者のリクルート」や「あの世への踏みこみ」といった、紋切りとさえ言っていいような神話の「型」こそが、土台と釣り合うだけの、屈強な物語を呼びこむ。

 筋書きは実に明快である。主人公のテツヒトが体験するのは、いわば「地獄めぐり」。王の森からさ迷い出るとは、内と外との境目を踏み越えることを意味する。しかし、テツヒトの一行が辿りつくのは、もっと怪しい地帯であった。

昔の人は内と外とを隔てる結界を常に意識していました。でも、今は都市の外側には境目なしに郊外が広がり、町が途切れることがありません。自然の結界である海や山は、埋め立てられたり、削られて住宅地に変わってしまいました。今はどこに聖域があり、どこに結界があるのか、目に見えにくくなって、そうとは知らぬまま結界を踏み越え、危険な領域に入り込んでしまうことが多くなりました。

 ギャグどころか、こうした箇所、やけに「まじめ」である。しかし、語り手が(そして著者も?)こういうストーリーを本気で信じているのかも、と思わせるところがこの小説にはある。そこに、不覚にも、つり込まれる。もっと微妙な例をあげると、出奔直前にはこんな会話が王と交わされる。

 父上が差し出すグラスを受け取ると、テツヒトは開口一番こう切り出した。
― 耐えがたいのです。ここを出て行くことをお許し下さい。
 父上の目は泳いでいた。あきらかに戸惑っていた。だが、父上は戸惑うことが仕事であるかのように振る舞ってきた。戸惑いながらも、いつも冷静に事態を把握していた。
― どうしたいのだ? 行くアテはあるのか?
― ありません。ただ、行きたいところに行く自由を行使してみたいのです。誰もが自明の権利として持っている自由を、私も使いこなしてみたいのです。

「戸惑うことが仕事」は笑うところ。しかし、こういうギャグもしっかりと神話につながっていく。母親に別れを告げに行ったテツヒトが、「あなたがなすべきことは第一に生まれてくること、第二に人を愛することです」と言われ、それに応えて「そして死ぬこと。死ぬ前に子孫を残さなければ。ここにとどまる限り、私は女性と出会う機会もない。妃になってくれる人を探すためにも旅にでなければならないのです」というあたりになると、もう語りのペースに乗せられている。

 島田は、語りの声がたいへん強い。それは独り言や雑談にはなりにくいタイプの声で、言ったが最後、てこでも動かない。刻み込まれるような声である。もちろんファラオじゃあるまいし、「父の語り」などには作家本人も興味はないだろう。「父」から、せめて「叔父さん」くらいに語り手の声を解放するためには、ギャグが役立つ。

 しかしやっぱり神話を語りたいのである。その語りたい、という点においてこそ、『徒然王子』は一種の私小説のように読める。作家の分身テツヒトは、シニシズムの呪縛から逃れるかのように結界を越え、「あの世」にまで踏みこんで行く。そしてその途中、さまざまな物語と出遭う。一度だけアフリカ系の男性とセックスしてしまったがために、妊娠しなかったにもかかわらず相手のDNAを身体にとりこんで、何となくアフリカ系っぽい子供を生んでしまったというサトミ、記憶の天才としてもてはやされながら、忘れる能力を欠いていたために、自分の記憶に邪魔されてまともな生活を営めなくなったアレイ君…。こうした出遭いを通して、テツヒトは語り部と化す。

 自分のことではなく、遭遇した人々の物語を語るという私小説。他者が描けてる云々と言うが、「遭遇」や「関心」がなければはじまらない。ましてやそれが憂愁の森から逃れ出た王子の話ともなれば、この作家にはぴったりかもしれない。



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2008年11月11日

『グッドバイ』太宰治(新潮社)

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「ウソのつき方、つかせ方」

 続けて読むと食傷気味になるけど、しばらく読まないでいると、ちょっと恋しくなる。太宰治はそんな作家かなあと思う。決してこってりした文章ではなくて、むしろ淡泊の部類に入るのかもしれないけど、何かくせがある。単色でドライなわりに、いやらしくからみつく。

 『グッド・バイ』は最後の短編集である。未完に終わった「グッド・バイ」をはじめ晩年の作品を集めており、小説としては、正直言って、かなりテキトーだなと思うものも少なくはない。評者の勝手なランキングで言うと、
◎「男女同権」、「朝」、「饗応夫人」、「眉山」、「グッド・バイ」
○「薄命」、「十五年」
△「たずねびと」、「女類」
あとは×かな、という感じである。

 しかし、あらためて思うのは、太宰という作家、とにかく始め方が抜群にうまい。たとえば「朝」という作品。主人公は小説家である。うちにいると友だちが遊びに来てしまい仕事にならないから、隠れ家のつもりで部屋を借りるという設定である。銀行に勤めているある女性の部屋を、彼女が不在の昼だけ「私」が借りて執筆に使うのである。太宰はそれをこんな風に語ってみせる。

 毎朝、九時頃、私は家の者に弁当を作らせ、それを持ってその仕事部屋に出勤する。さすがにその秘密の仕事部屋には訪れて来るひとも無いので、私の仕事もたいてい予定どおりに進行する。しかし、午後の三時頃になると、疲れても来るし、ひとが恋しくもなるし、遊びたくなって、頃合いのところで仕事を切り上げ、家へ帰る。帰る途中で、おでんやなどに引かかって、深夜の帰宅になる事もある。
 仕事部屋。
 しかし、その部屋は、女のひとの部屋なのである。その若い女のひとが、朝早く日本橋の或る銀行に出勤する。そのあとに私が行って、そうして四、五時間そこで仕事をして、女のひとが銀行から帰って来る前に退出する。
「しかし、その部屋は、女のひとの部屋なのである」という一節の持ち出し方が、じつにいやらしい。こちらが「ずぶっ」と小説の中に入っていく、そういう言わば「魔の一瞬」みたいな箇所なのだが、何よりいやらしいのは、この一文が何も決済していないというか、「だから何だ!?」と言いたくなるほど、一見たくさん言っている素振りをみせながら、実は何も言ってないというあたりである。

 くせ者は「である」という語尾だろう。ひとくちに「である調」などと言うけれど、「である」の効果というのは実に千差万別。太宰の場合は、「である!」と言いながら、実は何も「である」しないで見せる。別の言い方をすると、太宰の手口というのは、やわらかくてスムースな文章の中に、時折こういう「である」みたなかすかな強面(こわもて)というか渋面というか、こちらにちょっと身構えさせるようなひとときをつくっておいて、そこに生じたこちらの心の隙みたいなものを突っつくようにして話を進めるというところがある。

「朝」という作品はたぶん、一番の緊張ポイントがこの「である」で、あとはいつもながらの芸の領域である。さあ、部屋の持ち主の女性と、いったいどうなるのでしょう?といやでもこちらは思う。もちろん女性のしゃべらせ方は――いつもながら――にくらしいほどうまい。

私は上半身を起して、
「窓から小便してもいいかね。」
と言った。
「かまいませんわ。そのほうが簡単でいいわ。」
「キクちゃんも、時々やるんじゃねえか。」
必ずしも太宰の書く女性が真に迫っているとか、なまなましいとかそういうことではないのだと思う。むしろ太宰の女たちはたいへん人工的である。うそっぽいとさえ言ってもいい。しかし、太宰カメラの中で、かすかにわざとらしい台詞を吐く女の、そのほんの少し奇をてらって、ほんの少し危険で、ほんの少しあざといさじ加減が、太宰の小説世界の、ほんの少しわざとらしい感じ、だからこそ舌に残る感じと重なるのではないかと思う。

 太宰の主人公たちの多くは、女に嫌なことを言われることでアイデンティティを確立する。「実に、私は今まで女性というもののために、ひどいめにばかり逢って来たのでございます」という「男女同権」中の語り手の台詞は、太宰の読者にとってはおなじみの自意識を示すだろう。じゃ、いったいどんな酷い目にあって来たんですか?と期待を高めておいて、その期待に応えるだけの「酷い目」を書くわけだから、そこはたいしたものである。たとえば「男女同権」には、主人公が吉原で遊んだときの次のような場面が描かれている。

 連れの職工は、おい旦那、と私を呼び、奥さんの手料理をそれではごちそうになるとしよう、お前、案外もてやがるんだなあ、いろおとこめ、と言います。そう言われて私もまんざらでなく、うふふと笑ってやにさがり、いもの天ぷらを頬張ったら、私の女が、お前、百姓の子だねと冷く言います。ぎょっとして、あわてて精進揚げを呑みくだし、うむ、と首肯(うなず)くと、その女は、連れの職工のおいらんのほうを向いて小声で、育ちの悪い男は、ものを食べさせてみるとよくわかるんだよ、ちょっちょっと舌打ちしながら食べるんだよ、と全くなんの表情も無く、お天気の事でも言っているみたいに澄まして言うのでございます。
「グッド・バイ」に出てくるキヌ子も、登場したばかりのときはわざとらしさがやや鼻につくが、だんだん調子が出てくる。たぶんそれも仕掛けのうち。ふだん汚らしい闇屋だと思っていたキヌ子が、思いがけない美人で、その美人とつるんで愛人との関係を清算していこうとする、という話である。何しろ太宰だから、素材としてはたいへんリアリティがあるのに、むしろ人工的に仕立ててあるところがいい。
 田島は眼をみはる。
 清潔、整然、金色の光を放ち、ふくいくたる香気が発するくらい。タンス、鏡台、トランク、下駄箱の上には、可憐に小さい靴が三足、つまりその押し入れこそ、鴉声のシンデレラ姫の、秘密の楽屋であったわけである。
 すぐにまた、ぴしゃりと押し入れをしめて、キヌ子は、田島から少し離れて居汚く坐り、
「おしゃれなんか、一週間にいちどくらいでたくさん。べつに男に好かれようとも思わないし、ふだん着は、これくらいで、ちょうどいいのよ。」
「一週間にいちどくらいでたくさん」なんて誰でも言いそうな台詞だが、こんな風に言われたら、やはり忘れない。

 で、愛人たちと別れるために雇ったキヌ子なのに、案の定、田島はそのキヌ子にちょっかいを出しそうになる。

「もし、もし。田島ですがね、こないだは、酔っぱらいすぎて、あはははは。」
「女がひとりでいるとね、いろんな事があるわ。気にしてやしません。」
「いや、僕もあれからいろいろ深く考えましたがね、結局、ですね、僕が女たちと別れて、小さい家を買って、田舎から妻子を呼び寄せ、幸福な家庭をつくる、という事ですね、これは道徳上、悪いことでしょうか。」
「あなたの言う事、何だか、わけがわからないけど、男のひとは誰でも、お金が、うんとたまると、そんなケチくさい事を考えるようになるらしいわ。」

 「女」を出せば小説になると思うなよ、と言いたくなる人もいるだろう(アンチ太宰は読書界の一大勢力)。晩年の作品にはたしかにそういうところがある。全体に球威が衰えているのは隠せず、とにかく決め球の連投で勝負するしかなくなったということだろうか。それでも三振はとれる、と筆者は思う。

 ところで新潮文庫版には太宰研究の大家・奥野健男氏による解説がついている。必ずしも百パーセント間違ったことを言っているわけでもないのかもしれないが、これほど作品の雰囲気を伝えない解説というのも珍しいので、是非、一読をお薦めする。参考までに以下、一部を引用。

そしてもっとも重要なことは、悪しき、古きものへのたたかいを、先ず自分の中にあるそれらの摘発から、自己を徹底的に否定し、破壊することからはじめたことだ。外の敵を撃つためには、まず内の敵を撃たねばならぬ。自己の中にある古さ、ケチくささ、偽善を、サロンを憧れる心を、さらには炉辺の幸福、家庭の幸福を願う心の中に潜むエゴイズムや悪を、それら一切の上昇感性を、文学においても実生活においても否定し破壊しようとする。それを実行してのみ、はじめて外部の敵と、悪しき社会や権威や既成道徳とたたかうことができる、他人の悪を撃つことが可能になるのだという徹底した認識があった。この自らに課した至難の苛烈な道が、ぼくたちの魂をはげしく撃った。(中略)太宰治の自殺は、このすさまじい自己否定、自己破壊の下降指向の極限における倫理的内的必然ととらえることもできる。

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2008年08月25日

『苦海浄土 わが水俣病』石牟礼道子(講談社)

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「誰が書いてもいい話」

 よく知られた事件についての、たいへん有名な作品である。刊行は1969年だから、ほぼ40年前。

 意外とよく知られていないのは、水俣病にかかわる裁判が、2008年の今なお係争中だということである。そこで、たとえば、その話を聞いた筆者のような者が、「へえ、そうなんだ」と思ったとする。たまたま九州に行く用事がある。せっかく初の九州行きだから、福岡だけでは何だし、せめて熊本まで行ってみよう、などと思ったりする。熊本の城を見物し、時間があって天気が良かったら阿蘇山の方まで行ってみようかと地図を広げると、熊本の向こうはもう鹿児島である。九州の中でも異世界であった薩摩の歴史に思いがおよぶ。気分はたかまってくる。

 そこで、ふと海沿いの「水俣」という地名に気づく。そうか、こんなところにあるのか、と思う。行ってみようか、と考える。でも、熊本県の最南端、鹿児島との境に接する水俣市は、かなり遠い。わざわざ行くべきか、どうか、と悩んだりする。行ってどうするのだろう。

 水俣市は今では環境都市として有名なのだという。その一方でまだ裁判は行われている。チッソは企業としていよいよ成長している。水俣の町では、今でもチッソの悪口を言うことがタブーで、たとえば裁判の応援をしに町を訪れた人は、そのことをタクシーの運転士さんにでも言わない方がいいらしい。反対に、水俣出身の人が自分が水俣出身であることを隠す、ということがあったりもする。

 『苦海浄土』は水俣病を書いたものである。水俣の近くに生まれた著者が、距離などおかず、あからさまな愛情と慈しみをもって、この病に苦しめられた人々の姿を書く。また、病を引き起こした工場の振る舞いの記録をつづる。一度読んだらそう簡単には忘れられない描写が、これでもかと続く。

 たとえば「舟を焼く仕事」。舟を焼くというのは、漁師が舟の底にくっつく牡蠣殻や、藤壺の虫をとりのけるためにすることである。陸にひきあげた船体を斜めに倒し、舟底に薪をくべ、舟火事にならぬようにこれらを焼き落とす。なかなか面倒な作業である。

その手間をはぶくために、わざわざ百間の港まで、持ち舟を連れて来て、置き放すというのだった。きれいさっぱり、虫や、牡蠣殻が落ちるというのだ。百間の港の「会社」の排水口の水門近くにつなぎ放してさえおけば、いつも舟の底は、軽々となっている、というのであった。

 そのうちに漁獲高が目に見えて減ってくる。水に魚が浮くようになる。それから猫がやられた。「猫が舞って死ぬ」との噂が流れる。「舞う」のは、神経の異常のためである。次は人間だった。海沿いの部落で病人が出始め、工場が排水口の向きをかえると、こんどはそちら側で病人が多発する。

 はじめて病人が出た頃、この原因不明の奇病は伝染病と誤解されがちであった。当然、余計な恐怖心を持つ者もいた。

この頃、看護婦さんが、手が先生しびれます、といいだした。看護部さんたちが大勢で来て、先生うつりませんかという。よく消毒して、隔離病院にうつすようにするというと、うつらない証明をしてくれという。このとき手がしびれるといった湯堂部落出[水俣病の多発地帯のひとつ]の看護婦さんは、あとになって胎児性[水俣病]の子どもを産むことになった。まさかそこまではそのとき思いおよばなかった。

 水俣病は伝染病ではない。しかし、この病気の出発点は、まさに「手が先生しびれます」という感覚なのだ。現在絶版だが、吉田司『下下戦記』(白水社)には次のような一節がある。

ところが今度ぁ、あたしが身体中痺れっきたったい。手とか指とか、足ン痺れひどうなって、なんじゃ手袋はめて物ば触っとる気色で、富子と清治に飯食する匙ばポロポロ落とすわけたい。茶碗まで落として割ってしまうわけたい。『あれーッ、こりゃいかん。まさか富子ン病気が伝染ったわけじゃなかろうねえ』もう居ても立っても居られんわけ。夜中他ン患者が寝てしもうてから、こっそり病院の炊事場さ行ったったい。なんとかこン痺れ取ってやれッち思て、指先ばゴシゴシ軽石でこすってみた。ゴシゴシゴシゴシ、取れんとたい、痺れが。今度ぁコンクリートの壁にこすりつけて、ゴシゴシゴシゴシ。

水俣病は何よりも「わからない病気」だった。何であれ、わからないということ自体、人間にとっては不気味なのである。コンクリートに指をこすりつけてでも取り去りたい、得体の知れない痺れは、原初的な恐怖を呼び起こした。

 著者石牟礼はとにかく水俣病のすべてを見ようとしてきた。東京から視察に訪れたチッソ社長の車をタクシーで追うこともあれば、大学病院に頼んで患者の解剖に立ち会うこともあった。この本の力づくの文体には、力づくの視線が感じられる。

彼女のすんなりとしている両肢は少しひらきぎみに、その番い目ははらりと白いガーゼでおおわれているのである。にぎるともなく指をかろく握って、彼女は底しれぬ放意を、その執刀医たちにゆだねていた。内臓をとりだしてゆく腹腔の洞にいつの間にか沁み出すようにひっそりと血がたまり、白い上衣を着た執刀医のひとりはときどきそれを、とっ手のついた小さな白いコップでしずかにすくい出すのだった。

凄惨な場面だが、こうして著者の佇む気配がそこにあると、読んでいて、なぜか少し安心する。

 だが著者の石牟礼が、自分のことをはっきりと語る場面は多くはない。釜鶴松の死に際、とても往生などできそうにないその眼差しを見て著者は思う。

 そのときまでわたくしは水俣川の下流のほとりに住みついているただの貧しい一主婦であり、安南、ジャワや唐、天竺をおもう詩を天にむけてつぶやき、同じ天にむけて泡を吹いてあそぶちいさなちいさな蟹たちを相手に、不知火海の干潟を眺め暮らしていれば、いささか気が重いが、この国の女性年齢に従い七、八十年の生涯を終わることができるであろうと考えていた。
 この日はことにわたくしは自分が人間であることの嫌悪感に、耐えがたかった。釜鶴松のかなしげな山羊のような、魚のような瞳と流木じみた姿態と、決して往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ。

 この本を読むことが、著者の言う「自分が人間であることの嫌悪感」に直結するのかどうか、筆者にはわからない。少なくとも、この本に書かれているのは病気のことだけでない、あるいは企業の振る舞いや、それに向けられた感情や、水俣のさまざまなしがらみだけではない、ということは言えると思う。とにかく水俣という場所がそこにある、という気にさせる。次に地図を見るときには、そこに目がとまる。「水俣とはいかなる所か」という言葉に続く説明の中に、「天気予報をきくには、鹿児島地方、熊本地方、人吉地方をきいて折衷せねばならない」という箇所があるのがとても印象に残った。

 誰が書いてもよかった話を、誰が書いてもいい文体で書いたところがすごい、という本ではないだろうか。
 


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2008年07月30日

『百』色川武大(新潮社)

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「地面を掘る」

 まるで文章の下にやわらかい地面があるようだ。どう転んでも、何を書いても、言葉が根を生やして繁茂してしまう。サマになってしまう。そんな書き手がいる。

 色川武大の『百』に収められているのは、これでもかとばかりに語り手が地面をえぐっている作品ばかりである。これ、わざと言ってるな、とか、ちょっと嘘がまじっているな、と思わないでもない。やけにかっこいいな、とか。読者というのは案外冷たいもので、書き手が勝手に自己探求しても、「ああ、そうですか」とやり過ごす気分になることがある。どの作品もそう簡単に感情移入できる代物ではないし、そもそも移入することを求められていない気もする。

 それでも根は生える。不思議だなあ、どうしてだろう、と思ってちょっと紙面から目を離してみたら、次のようなことに気がついた。表題作の「百」の前半に、ひたすら段落が「私は」ではじまる下りがある。

 私はとにかく日々成長していき、父親は逆におとろえ、ある一点をのぞいて私がそう望んでいないにもかかわらず、私たち親子の関係は体力的に逆転していった。父親のヒステリーと争って組み打ちをすると私が勝ってしまうようになったのは十六七の頃だ。
私は幼い時期に、自分が畸型、乃至はそれに近い人間だと思いこんでいた頃があり、父親からその点に関してたえず叱咤され、励まされていた。父親は私に人並みの誇りを持たそうとしてしかめつらしい工夫をいろいろとしたが、それはすべて逆効果で、たとえ何であろうと、畸型ではないとしても、どうあがいても、洗練や、優等や、それらが結晶した結果の祝福にはほど遠い存在だと思わずにはいられなかった。(中略)
 私は級友に対して五分の関係を持つことができなかった。人間以下のもので、だから級友と同じ条件で競争などしてはいけないと思っていた。(中略)
 私は権利という意識を育てられなかった。何事に限らず、強制ということができない。自分には他人に強制できる権利などないと思っている。
 呪詛とも告白ともつかない。メモ書きのようにも見える。ただ、この文章、新たに始まるごとに息を吹き返している感じがする。まるで水泳の息継ぎのように、水面から顔を出して酸素を吸いこむたび、あらたなキックの力を得て、ぐいっと前に進んでいくような書き方なのだ。

 息を吹き返す力の元にあるのが、「私は」という書き出しなのである。「私は」と宣言し、定義し、説明する。そのたびに仕切り直しがされ、あらたに文章に力がみなぎる。「私」を主語にたてることでこそ、私をわかるというやり方。小説にしては、ちょっと直球すぎるかもしれない。アクションよりも観念に傾く。だから、すぐ息詰まる。言えなくなる。でも、息詰まったところで、また、「私は」とはじめる。転ぶのは、織りこみ済みなのだろう。

実は『百』におさめれているのは、「私は」に限らず、「誰々は」で語られる作品ばかりである。怪我をした弟の描かれる「連笑」、老衰で弱った父親を描く「百」など、それぞれの作品に色川と関わりの深い家族の肖像が、おそらくは色川の過剰な描き方ゆえのデフォルメとともに描かれている。

 そういう弟や父と、「私」との会話を読んでいてこれも不思議なのは、ときどきどちらがしゃべっているのか区別がつかなくなることだ。

「二人一緒に帰るのはまずいから、俺だけ先に帰って、十五分ほどして兄貴がそしらぬ顔で帰ってくるんだ。一度、俺が家に入っていったら、親たちの形相が変わってた。箪笥がひとつ空になっているんだ。兄貴が質屋にいれちゃったんだな。俺たちの放埒のために――」
「俺たちじゃない。主に俺のためだ。お前は休みの日だけだから――」
「おかげで、以来ずっと、放埒という奴ができなくなった――」
 私は池の向こうのひょろひょろの柳に眼をやっていた。
 必ず、性格形成に影響がある筈だ、と思っていた。弟のそこをのぞくことを私は怖がって、以降の日々、いつも遠巻きにしていた。そこをのぞきこんでしまえば、とりもなおさず、その下側にある私自身の欠落とまともに向き合ってしまうことになるからだった。
 私は他人事(ひとごと)のようにいった。
「ああいう経験は不能を呼ぶおそれがあるからな」
 弟はうなだれた。
 麻雀小説の書き手だけあって、色川の人間関係はいつも対決的、競争的。主役は張り合う男たちである。でも、そうして対決する同士がいつの間にするっと入れ替わってしまう。主語は「~は」と特定されるのに、どこかの段階までくると交換可能となる。

 そういう想像力の根底にあるのは、父対息子という争闘の図式である。おそらくどの「父親小説」でも共有されていると思える反転可能な図式がここにもある。

父親はあくまで攻めこもうとし、私は頑強に劣等を守った。ここがさらに煮つまれば私も死ぬし父親も殺す。父親が早晩死ぬはずの存在だと思いながら、まんざら冗談でもなく殺意も併せ持っていたのはこの点に関してである。  その劣等の私が、父親を体力的に組み敷いてしまって、体力ばかりでなく、父親がそれなりに培ってきた内心までも踏みにじってしまったとき、私ははじめて人生というものに触れたような気がした。
 父親の「内心」を踏みにじったときに、はじめて触れる「人生」とはいったいどんなものだろう。色川は、「~は」という形で息継ぎを繰り返しながら、まるで地面に潜りこむようにして文章をつづっていくのだが、そこで剥き出しになるやわらかい地面のことを、色川は「人生」と呼んだということなのかもしれない。
 心地よくなめらかに読む、というわけにはいかないが、潜行しては浮かび上がってくる言葉というのは、妙に、いつまでも、ひっかかるものだ。

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2008年06月26日

『漱石の思い出』夏目鏡子述・松岡譲筆録(文春文庫)

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「悪妻伝説」

 漱石の私生活を扱う本はいつも人気が高い。その多くがタネ本にしているのが本書である。語り手は未亡人の夏目鏡子。娘婿の松岡譲による筆録なのだが、鏡子の落語みたいな語り口が実に雄弁で、ほとんど芸の域に達している。

 鏡子夫人は悪妻伝説で有名だ。そもそも「悪妻」の定義が何なのか気になるところだが、本書を読んでいくと、ああ、そうか、と腑に落ちる。たとえば悪妻は、朝、起きられない。朝になると、頭が痛い。

私は昔から朝寝坊で、夜はいくらおそくてもいいのですが、朝早く起こされると、どうも頭が痛くて一日じゅうぼおっとしているという困った質でした。新婚早々ではあるし、夫は早く起きてきまった時刻に学校へ行くのですから、なんとか努力して早起きしようとつとめるのですが、なにしろ小さい時からの習慣か体質かで、それが並はずれてつらいのです。(中略)時々朝の御飯もたべさせないで学校へ出したような例も少なくありませんでした。
もちろん悪妻というのは褒め言葉である。いや、朝寝坊だったり、頭が痛かったりするのは仕方がないのだが、「なんとか努力して早起きしようとつとめるのですが、なにしろ小さい時からの習慣か体質かで、それが並はずれてつらいのです」という淡々とした述懐の、そのアッケラカンとした開き直りがいい。実に絵になる奥さんだなあ、と思う。

 鏡子夫人の悪妻ぶりはおそらく弟子や友人を介して喧伝されたのだろう。漱石が胃潰瘍で倒れて危篤状態になったときのこと。瀕死の漱石は、「少し手を動かしたりすると、すぐさま傷口から出血するものとみえて、顔の色が変わって目を白くする始末」だった。で、このとき鏡子夫人はどうしたか?

とても怖くて気が気でなくて見ておられたものではありません。そこで別の部屋に入ってなるべくこの物凄い場面から遠ざかろうとしておりますと、見舞いに来られた鈴木三重吉さんが、
「奥さん、なぜそばへ行かれんのか」
 と、私が不実でもあるかのようになじられます。しかし私はとてもとても気が気でなくて、どうなることかこんな惨(いた)ましいさまを見るにたえないのですから、
「気持ちが悪いから…」
 とか何とか返事をするのですが、それはいけないてなわけで、先方で深切(ママ)で言われるのはわかってるものの、私の気持ちが汲んでいただけないので、場合が場合なのでたいへん言い合いをして、とうとうしまいに間へ安倍さんが入って、つまらないこと言い合ったって始まらないじゃないかってわけで、鈴木さんをなだめられたりしたことがあります。
「それはいけないてなわけで」以降は何だかよくわからない書き方なのだが、そのせいでよけい、「言い合い」の様子がいろいろと想像される。この大雑把なまとめ方、「なにしろ小さい時からの習慣か体質かで…つらいのです」と、朝寝坊の言い訳をする「悪妻」の面目躍如だろう。しかし、何よりすごいのは「気持ちが悪いから…」とのセリフ。この一言を口にしたこと自体もちろんたいしたことなのだが、それを記憶し、こうして後生に言い伝えたところに鏡子夫人の並々ならぬ才能を感じる。

 とにかく鏡子夫人という人は、すべてにおいて何事もなかったかのように平然とした語り口を崩さない。が、そのくせ、今の箇所のように漱石だってちょっとやそっとでは書けなかったであろうような細部を、見事に拾っている。驚くべき言葉を記録している。

 その最たるものは、新聞にも掲載され、正宗白鳥なども引用している、漱石の臨終の一言だ。

 この暮れ方、非常に苦しがりまして、私がちょっと座をはずしましたうちに、胸をあけて、ここへ水をかけてくれと申しますので、看護婦が霧を吹きかけてやりますと、「死ぬと困るから」とか、何とか言ったかと思うと、そのまま目を白くしてしまって、全く意識を失ってしまいました。急を聞いて私もすぐにかけつけます。茶の間や離れに集まってられた方々もつづいてかけつけられます。もうまったく死の状態です。

かの有名な「死ぬと困るから」という言葉である。新聞では「死ぬと困るから注射をしてくれ」と言った、ということになっているのだが、つねづね漱石作品の人工性を批判していた正宗白鳥は、この言葉にだけはひどく打たれたらしく、ここにこそ漱石の人間としての究極の真実を見て取ることができる、といったことをエッセーに書いている。

 対して鏡子夫人はどうか。この大事な発言の場に居合わせなかったばかりか、その述懐も、「「死ぬと困るから」とか、何とか言ったかと思うと、そのまま目を白くして、全く意識を失ってしまいました」との、例によって大雑把なまとめっぷりである。でも、どうだろう。変に理念的な白鳥よりも、鏡子伝の方が迫力がありはしないか。

『漱石の思い出』は、まさに病気のオンパレードである。胃病あり、精神病あり、脱毛症あり、それから頭痛やら、朝寝坊やら、不機嫌やら、癇癪やら。鏡子夫人の病気を見つめる目は、自身のそれに対しても漱石のものに対しても、ほとんど酷薄と言えるほど淡々としたところがあって、では感情がまったくないかとういうとそうでもない、それなりにあたふたはしているし、傷ついたり、嘆いたりもしている形跡はあるのだが、本書の語り口から伝わってくるのは、何とも不思議な、絶妙とさえ言ってもいい、夏目鏡子ならではの距離感である。

いったいどういうものか胃を悪くする時には、きまってその前に喉を悪くいたしました。この時もそれでしたが、亡くなる前にもたいへん喉をいためましてしきりに咳をしますので、咳止め薬をのませますと、こんどは胃が苦しいといって、それきりでやめたことがあります。

鏡子夫人は病気というものを、関係の言葉で語る人なのだ。そこでは病気語り特有の怖ろしい闇はなく、精神病であろうと、内臓であろうと、あれがあって、こうなって、と整理されている。それぐらい主婦ならするんでしょうよ、というのは正しいのかもしれない。しかし、少なくとも次のような箇所には、ある程度漱石に親しんだ人なら、手を打たんばかりに感動するのではないか。いつもの「あたまの病気」の話である。

こうなって来ると、いつもの式で、またも別れ話です。しかし今お前に出て行けといっても行く家もないだろうから、別居をしろ、おまえが別居するのがいやなら、おれのほうから出て行くとこうです。で、別居なんかいやです、どこへでもあなたのいらしたところへついて行きますからと、てんで取り上げませんのでそれなりになるのですが、いつもきまって小うるさくこれをいうのでした。そうしてしまいに胃を悪くして床につくと、自然そんなこんなの黒雲も家から消えてしまうのでした。いわば胃の病気がこのあたまの病気の救いのようなものでございました。
最後の「いわば胃の病気がこのあたまの病気の救いのようなものでございました」というところ、鏡子夫人は例によって淡々とあっさり言うのだが、ここにあるのは、漱石文学の核心ではないだろうか。こんな大事なこと、そんなに簡単に言ってくれるなよ、と言いたくなる。が、それでいて、よくぞこんなにあっさり言ってくれた、と喝采もしたい。さすが、悪妻だ。

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2008年03月24日

『螢・納屋を焼く・その他の短編』村上春樹(新潮文庫)

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「村上春樹の住んでいた場所」

 今回も口コミ読みである。  
 つい最近、深夜の飲み屋で、業界関係者数人と日本の英米文学状況について深刻に話し合う機会があったのだが(「○○は偉い」とか「××はダメだ」とかそういう話)、みんな眠くなってきたせいか、いつの間に「英米」はどうでもよくなって日本文学の話題に横滑りし、ふと気づくと親分格の人物が筆者に向かって、「お前、アホめ、ホタルを読め、ホタルを。すごいぞ」と言っている。「30分で読めるぞ。すぐ読め」とのこと。はて、「ホタル」とは宮本輝の「螢川」のことか?などと筆者が戸惑っていると、わきから子分格のひとりがへらへら笑いながら「俺なら5分で読めるね、へへへ、ば~か」などとちょっかいを出してきた。まるでこの「ホタル」とやらを読んでないのは世界中で筆者ひとりのような形勢になってきたので、すごすごと帰宅。翌朝、本棚をさぐると、ちゃんと新潮文庫版があった。

 頁を繰ると、鉛筆で書きこみがしてある。なんだ、読んだことあるじゃないか。筆者は読書の最中にいろいろ書きこむ癖があるのだが、あとで見てもどういう理由でやったのかがかわからない。「ところで」というようなところに線が引いてあって、たいへんミステリアスである。しかし、読み直してみると、筋書きは結構、覚えていた。

 「螢」の舞台は、「文京区の高台」にあるという学生寮である。怪しげな右翼の黒幕が経営するというこの寮で、主人公はちょっと変わった男と部屋を伴にしている。村上春樹は実際にこの寮に住んでいたらしいのだが、そうした自伝的な要素を臭わせるような、妙に怨念のこもった描写がつづいたあと、ストーリーの中心としては、この僕と、神経を病んでいるとおぼしき女性との儚い、どこか抽象的な付き合いが語られる。この女性の精神の不安定を引き起こしたのはおそらく、ふたりの共通の知り合いであった男の自殺である。というわけで、なぜか向こうから近づいてくる「神経を病む女性」といい、突然自殺する友人といい、村上春樹に繰り返し表れるモチーフが、この短編には結構ナマな形で出てくる。

 ところで、もうひとつ思い出した。
 この「螢」の舞台となっている学生寮、筆者も住んでいたのだ。目白の田中角栄邸の隣にある、和敬塾という寮である。小説では怪しげな右翼の財団法人による経営、とあるが、これは前川製作所という、冷蔵庫の部品などを作る実在の会社のことである。この会社の当主がお金を出して細川護立(総理大臣だった細川護煕の祖父)のお屋敷とその敷地を買い上げ、寮に転用したのである。広大な敷地に、幽霊が出そうなくらい立派な洋館がある。これに食堂や講堂のある本部棟。そして団地のような作りの学生用寄宿舎が三棟。小説の舞台は東棟ということになっているが、実際は西寮、南寮、北寮の三つがある。

 村上春樹の頃は知らないが、1980年代は寮長を務めていたのは創立者の息子の「前川さん」であった。その夫人が筆者の母親と小学校で同級生だったのが縁で、筆者はここに入寮したような気がする。「前川さん」は息子にすぎないから、創設者が右翼だったかどうかを判断する基準にはならないだろうが、お会いした限りはふつうの人だった。しかし、国旗掲揚などはもはや行われていなかったとはいえ、自民党右派の代議士が演説にきたり、妙な儀式があったりして、「右翼的」だったのは確かだ。そういえば、儀式のときはみんな、応援団みたいに高校時代の詰め襟の学生服を着る習慣で、高校のときの学生服が詰め襟ではなく軟弱なブレザーだった筆者は、たいそう困ったのを覚えている。

 儀式として何より目立ったのは、体育会などでありがちな「新入生締め」である。要するに「しごき」。上級生数人が待ち構える部屋にひとりずつ新入生が入っていき、およそ30分から1時間、言葉の暴力を浴び続けるというものであった。いかにも村上春樹の嫌がりそうな儀式である。筆者だってもちろん、嫌だった。

 歓迎会と称する大規模な飲み会もあったような気がする。吐くまで許してもらえない、という類のもので、夜中の1時頃になると大食堂にはすっぱい臭いが立ちこめた。上級生の方は、下級生にさんざん飲ませておいて、つぶれたらやさしく介抱する、というパタンである。これも体育会的。

 また「ダンパ」とか「合ハイ」というのもあった。ダンパ、すなわちダンスパーティはわりに本格的で、大食堂の食卓をぜんぶどけて天井からミラーボールをさげ、大音量の音楽を流す、そしてみんなで踊る、というものである。実は年に一回のこのダンパのとき、筆者はちょっとした病気を患っていて、不在であった。なので、どういうものかはほんとはよく知らない(嘘ではない)。しかし、恥を忍んで白状すると、「合ハイ」には行った。

 合ハイとは、「合同ハイキング」の略である。和敬塾の近所には日本女子大だの何だのという女子学校がいくつかあり、塾生がネットワークを駆使して、こうした学校の女子学生をハントし5人ずつのグループをつくっておいて、和敬塾の一年生男5人組とセットにして近所にある豊島園などの遊戯施設に遠足に行かせるのである。何と行っても「合ハイ」なわけだから、遊園地に行けば、くるくる廻るコーヒーカップやジェットコースターに、何となく二人ずつペアになったりしながら乗るわけである。

 村上春樹も「ダンパ」とか「合ハイ」に参加したのだろうか?豊島園でくるくる廻るコーヒーカップに乗って目が回ったりしたのだろうか?などということを想像してみるのもいい。

 小説の中に、主人公がロビーで電話を待つ、というくだりがある。この寮のもっとも懐かしい光景はおそらくこの電話であろう。当時はもちろん携帯電話などなかったから、学生に用を伝える電話はすべて建物一階の事務室の電話器にかかってきた。学生棟には放送設備はなく、電話がかかるとたまたま通りかかった学生がそれに対応した上で、各部屋に直結しているボタンを押してブザーをならすという仕組みになっていた。自分の部屋のブザーがなったら、大声で「は~い」と叫んで駆け下りてこなければならない。しかし、実際には本人がちょうど部屋にいるとは限らないから、ブザーを鳴らして返答がないときは、電話をとった人間が寮の建物の外に出て「村上く~ん、電話~!」などと叫ぶ決まりになっていた。まず建物の表に出て叫び、次に裏に出て叫ぶ。だから、誰に電話がかかってきたのか、寮中の人間にわかってしまう。いつ連絡をしてくるのかもわからないミステリアスな彼女からの電話のときにこれじゃあ、感じ出ないよなあ、と思う。主人公がロビーで張りこんでいるのは、しごくもっともなのである。

 「螢」の主人公の最大の特徴は、本人に「動機」が欠落しているということだろう。こういう小説を、小説として成り立たせるのはたいへん難しい。村上春樹は、それをやった、ということだ。考えてみると村上の以降の作品は、いつも「動機があるかないか」という地点で書かれ続けてきたのかな、という気もする。


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2008年03月10日

『乳と卵』川上未映子(文藝春秋)

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「西村さんと似てる」

 これだけ話題になっている人だし、今さら宣伝しても意味ないし、書評なんか書かないぞ、と思って手に取ったのだが、読んでしまうとあっさり気が変わった。関西弁でしゃべる女は許せないと思っている関東のおじさん、若くて美人で芸があって過去がある女は得だなあ、なんていうありがちなオヤジ的偏見はただちに捨てねばなりません。

 とにかくすごい日本語である。こんなこともするし、あんなこともするし、ええ!まさかそんなことまでするのか、という必殺技が次々に出てきて、「あ、それやっていいんだったら、もっと早くやれば良かった、ずるい」という妙な嫉妬というか後悔みたいなものまで芽生えてきた。ちゃんと説明書を読んでおかなかったから、まだ知らない日本語の機能がいろいろあることに気がつかなかったのだ、何たる残念さ。

 とにかくすごい日本語である、みたいなことを最近もこの欄でも書いたような気がするなと考えてみたら、今回の芥川賞で川上さんに敗れ去った西村賢太である。そういえば、このふたりどこか似ている。

 まずは日本語のやわらかさ。方言だの、擬声語だの、会話だの、理屈だの、全部混ぜちゃったって意外と大丈夫なんですよ、という日本語の持っている闇鍋みたいな包容力を知り抜いて、でもダシの加減だけはしっかりコントロールしてある。中心軸は案外、ぶれない。

 それと、とにかく火を絶やさないのが肝心だ。こういう小説は、言葉が止まってしまったらおしまいである。だからふたりとも、センテンスが平坦で、長い。変にがちっと落としたりせず(つまり語り手が威張らない。辛抱強い)、いつまでも終わらないかのように見せる。センテンスが長い→息が長い→胸が暖まっている→血流が良い…何でもいいから、にょろにょろと言葉が動いていくことで、温度の保たれた世界に読者を引きづり込むという手口である。だからいったん読み始めると、やめられない。気持ちの良い風呂から出られないみたいな気分だ。

 ただ、西村の場合はそこからが意外と観念的で、藤澤清造への執着とか、女とか、人生だの目的だの愛だの恋だの金だのという話。川上未映子の方も、金だの女だのセックスだのを仄めかすのだが、観念に走るのを最後まで我慢して、替わりに、ゼリーとか、おっぱいの中身とか、生理の血とか、生卵とか、涙とか、ほんとに「じゅるじゅる」したものを次々に繰り出す。

 ふたりともコロコロと声色が変わるのだが、西村はそれとセットで、ほとんど嘘みたいにスーツやら、ジュラルミンの鞄やら、藤澤清造やらに執着する。川上は、読んでいてどうも感じるのだが、自分で自分に飽きちゃう、みたいな屈託のなさが感じられる。言葉離れがいい。感情のキレがいい。たとえば:

母の顔は、友達に自慢の出来る具合のわかりやすい美人で、しかしわたしらは母にはまったく似なかったので、よく行く近所の駄菓子屋のおばちゃんにはあんたらはお母さんだけで生まれてきたらお母さんのまんまの顔やったのにねえ、混ざったから、しゃあないわねえ、あんたらのお母さんはほんまにきれい、と笑いながらに云われたことなどを思い出して、肝心な母の顔は詳細を思い出せんのやった。

「お母さんだけで生まれてきたらお母さんのまんまの顔やったのに」とか「混ざったから」なんて、実にテキトーでいい。しかも、言ったそばから言葉が消えていくようなこういうテキトーな感じの中で、「父の不在」問題はしっかりとらえてあって、次にもつながる。

 筆者の最大お気に入りは風呂で語り手が巻子と女たちの乳を徹底的に吟味するところと、地震とジンクスの箇所である。前者から引用しよう。豊胸手術を目指す姉が、自分の乳首を妹に見せながら語る言葉である。

それから巻子は溜め息をついて、そやけどこれでもだいぶましになったほうやねん、と打ち明けるように云った。「あたしも子供を生むまえはゆうてもここまでじゃなかった。そんな変わらんと云われるかもしれんけど、そら滅茶苦茶にきれいではなかったけど、そやけど、これ見て。これはないよ。色も大きさも何でここにオレオがっていうこれはないよ。ま、オレオの今はまだましで、最強の時はアメチェ色、知ってる?アメリッカンチェリーな。あの色、すんごい色な。ただの黒じゃないな。赤が混じった黒っていうかな。大きさもな。なんていうの、乳首だけで、乳首部だけで余裕でペットボトルの口くらいになってさ、(後は省略)」
「オレオ」もすごいが、「アメチェ色」には感動した。「アメリッカンチェリー」の「ッ」もいい。さっきの引用にも増してテキトーで、どんどん飽きて捨てていく感じで、でも、しっかりこういう箇所も女の「卵」の話とつながるわけね、と思わされる。

 たぶんこういう細部をぜんぶ漂白して粗筋だけ取り出したら、この小説の枠組みは、昼メロそのものである。夫に捨てられ、声を出さない娘を連れた四十がらみの女。上京。失った若さへの思い。親族とのからみ。子供の頃のこと。助言。心配。子供の叫びによるクライマックス。(ちなみに本コーナーの大竹昭子さんによる書評に、たいへん丁寧なストーリー解説があるので、是非ご一読を)

 西村の場合、私小説という設定はそもそもの看板だが、川上も私小説ではないのにどことなく私小説は漂うような気がするのはなぜか、と考えてみると、こうした人情話に特有の、行っては戻ってくるようなどっぷりとした日常感覚が、アンダーを着ずに、直に上着をまとってしまうような、言葉との遠慮のない、馴れ馴れしいような付き合い方とつながるせいかと思えてくる。自分には自分しかない、とでもいう、失うとか失なわないとかを意識しない平然とした態度は、ぜんぜん貧相ではないし、たとえ、ひょっとしたらやせ我慢かもしれなくとも、実に粋なのだ。

 それにしても体力を使いそうな文章だ。そんな歌い方で十年つづけたら喉をつぶすよ、などと言われた有名歌手がかつていたが、こういう濃度の高い、気合いのこもった禁欲的なまでのテキトーさを維持していくのは、実にたいへんなことだ。散文と呼ぶだけでは足りないような、新しい呼び方があってもいいような種類の小説だと思う。


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2008年02月25日

『私』谷川俊太郎(思潮社)

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「無言で語る」

 やっぱりこの人は違うな、と思う。
「うまい」というのは詩人の場合はあまり褒め言葉にはならないのかもしれないが、谷川俊太郎については、つい「うまい」と言いたくなる。それが嫌な意味にもならない。

表題作である巻頭の「私」という連作は、「自己紹介」という作品から始まる。

私は背の低い禿頭の老人です
もう半世紀以上のあいだ
名詞や動詞や助詞や形容詞や疑問詞など
言葉どもに揉まれながら暮らしてきましたから
どちらかと言うと無言を好みます
五行連句の詩なのだが、こんな調子でぶつぶつ言っているようで、連句の最後の一行にかけては必ずちょっとひねる、というパタンになっている。ただ、ひねりつつも言いたいこともしっかり言う。三連目の終わりの「私にとっては睡眠は快楽の一種です/夢は見ても目覚めたときには忘れています」もなかなかいいが、とくに最後の連が、うまい。
ここに述べていることはすべて事実ですが
こうして言葉にしてしまうとどこか嘘くさい
別居の子ども二人孫四人犬猫は飼っていません
夏はほとんどTシャツで過ごします
私の書く言葉には値段がつくことがあります
これははっとする。ひねりつつも言いたいことを言う、というパタンが、そうか、こういうところにたどり着くのかと思わせる。斜に構えているようで、意地をはっているようで、プライドなのか、意志のようなものなのか、「え、そんなこと言っちゃうの!?」という無防備なものがちらっと露出する。しかし、もちろんそこも計算済みなのだろう。

 谷川は用心深い詩人である。基本的にパタンで書くから隙がない。非常に合理的で美しいフォームを持った打者と同じで、どんな球が来ても対応できる。たとえ凡打に終わっても、打球は鋭い。少なくとも三打数に一回くらい、つまり最低でも一試合に一回はヒットを打つから、たいへん頼りになる感じがする。客を呼べる。谷川は日本で唯一、詩を書くことで食っていける人だ、ということがずっと言われてきた。

 それにしても、谷川のパタンの操り方はにくい。パタンの根底にあるのは基本的には「連続の威力」で、タンタンタン、タンタカタンとこちらを誘い込み、導いていくのであるが、そこにどうヴァリエーションをつけるかで、華やぎがぜんぜん違うのである。

「アフタヌーンティ」という店で
熱いチャイを飲みながら思った
意味がヒトの心を黴のようにおおっている

むかし言葉はもっと無口だったのではないか
ただそこにあるだけだったのではないか
意味に打ちひしがれず 欠けた茶碗のように

流れているBGMとは違う音楽が
かすかに鳴っている
私の深みで


「…と思った」という書き方は一種のお約束だから、こちらも「じゃ、お手並み拝見」という気分になる。そこから、なお、際立った何かを言ってみせる技にはスポットライト慣れした熟練を感じる。

 この「ただそこにあるだけだったのではないか」の、颯爽とした淋しさのようなものは、今回の詩集の通奏低音となっているようだ。詩集中、かなり存在感のあった「詩の擁護又は何故小説はつまらないか」という作品でも、とくにインパクトが強いのは次の部分である。

小説は人間を何百頁もの言葉の檻に閉じこめた上で
抜け穴を掘らせようとする
だが首尾よく掘り抜いたその先がどこかと言えば
子どものころ住んでた路地の奥さ

そこにのほほんと詩が立ってるってわけ
柿の木なんぞといっしょに
ごめんね


谷川のパタンの今ひとつの旨味は、こうした小さな「呼びかけ」、いや、「話しかけ」の身振りにある。そう、谷川の詩は、実にフレンドリーなのだ。自分が変に感動してないから、のめり込みすぎてないから、会話が成立する。だからこちらとしても、ちょっと突っつかれたり、ひねられたりするのがたいへんこたえる。

 でも、全然感動してないのだったら、そもそも詩なんか書かないんじゃないかなという気もする。いくらその言葉に「値段がつくこと」があっても。どうやら感動はしても、そのことに「無口」でいたりする詩の書き方があるのだ。本書は、そのことをあらためて語って見せたという詩集なのではなかろうか。 


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2008年02月12日

『宮本輝全短篇』〈上〉〈下〉宮本輝(集英社)

宮本輝全短篇〈上〉
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宮本輝全短篇〈下〉
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「感情のリズム」

 最近の若者は宮本輝を読むのかなあ、なんて思う。
 もちろん「泥の河」や「蛍川」といった作品は高校の課題図書リストでも常連だろうが、宮本の短編作品を集成した今回の『宮本輝全短篇』をめくってみると、長編に比べて私小説的色彩の強い短編の層の厚さがあらためて目につく。上巻ではとくに「幻の光」が印象に残った。上記二篇とならんで初期の宮本を代表する作品である。

 内容はたいへん暗い。
 主人公は32歳になる女性で、一人称語りである。7年前、夫が不意の自殺を遂げた。女にとってはこの死はずっと謎で、女の語りはこの死の意味を説き明かそうとするかのように自身の幼年時代に遡ったうえで、そこから富山に嫁いできた現在までを辿るという体裁をとる。

 宮本は描写がすごい。夫の礫死体を描くところなど、抜き差しが絶妙である。

靴が片一方とアパートの鍵だけが遺留品で、その二つは間違いのう、あんたのものやった。死体はもう復元でけはんくらいばらばらに散らばってて、わたしには見せてくれへんかった。あくる朝、足の指がみつかって、その指紋から、死体があんたであることが確認されたんでした。
関西弁の妙な暢気さと冷たさが効いている。こういうところ、三島由紀夫みたいにごてごて描いたら台無しである。建物にこだわるところも宮本らしい。
 当時、わたしら一家は尼崎の阪神国道沿いの大きな木造アパートに住んでました。ちょっと変わった作りのアパートで、もともと道をはさんで並んでた長屋の上に、そのまま大きなアパートを載せるように増築してひとつの建物にしてしもたんや。そやから、アパートの中に国道と裏通りにつづく地道がつづいているというけったいな建物やった。その年中陽の当たらん地道にはいっつも裸電球がともってて、道の土は絶えずじめじめと湿って、いやな臭いを漂わせてました。地道の上は二階の廊下で、人の歩く音ががんがん響いてた。近所の人は〈松田アパート〉というちゃんとした名前では呼ばずに、〈トンネル長屋〉と呼んでた。
こうした描写の端々からもうかがえるように、宮本の作品のモチーフになるのは死であり、病気であり、貧乏であり、日陰であり、労働であり、さらに言えば非情とか、アイロニーとか、絶望とか、列挙してみるとほんとうに救いのない世界なのだが、にもかかわらず、読んでいて意外と陰々滅々たる気分にならないのが不思議である。むしろ軽い高揚感さえおぼえる。

 「幻の光」でおもしろいのは、夫の死をめぐる「どうして?」という回想が、いつの間に「わかった」「わからない」という探偵めいた謎解きを遙かに逸脱して、何とも気まぐれな彷徨へと変化してしまうところだろう。絶望しきるのでもない、といってカラッと楽天的になるのでもない、とにかく感情のリズムみたいなものが右へ左へと語りを揺すりつづける。たとえば夫のやぶにらみを描くところがある。

「あっ、またひんがらめになってる」
 何かをじっと眺めたあとに、ときどきあんたの左目が外に寄ってしまうことがあった。一時的なやぶにらみになってしまうんやけど、そのときの左目は、どきっとするほど外側に向いてしもて、わたしは思わず大きな声でそう言うたんでした。
語り手はこのやぶにらみを自殺と結びつけようとする。
「きゅうっと重とうなるけど、痛いことはあらへん。そっとしといたほうがええんや」
 あんたの言うたとおり、それから三十分もせんうちに、元通り直ってしもたんやけど、わたしはさっきの、あんたでありながらあんたではない別の顔が、いつまでも心に焼きついて消えへんかった。その、ときどき変な発作をおこす目が、じつはあんたの本性なんやと、なんでそのとき思い当たることがでけへんかったんやろ。それから十日後に、突然自殺してしまう気配を、なんでわたしは、外側に向いてしもた左目から察してやることがでけへんかったんやろか……。
しかし、ここで「ときどき変な発作をおこす目が、じつはあんたの本性なんや」と言う主人公が看破してみせるのは、死んだ夫のことであるよりも、まさに彼女自身のことなのである。急にやぶにらみから意味を読み取ってしまうような、あるいはそもそもやぶにらみを目撃してしまうような、つまり世界と不意に出逢ったり、変なことを直感してしまう巫女のような感応性が、「幻の光」の語りの特長であり、その魅力なのである。生理の鼓動に身を任せるとでもいうのか、冒頭に出てくる海の波音もいつまでも耳につくし、そういえば夫を轢いた「阪神電車」の音も、ずっと響いているような気がする。

 あらためて見直してみると、電車や自動車といった装置はこの巻に収められた作品の多くに登場する。文字通り寝台車を舞台にした「寝台車」。電車内での遭遇が、親友の妻との不倫に結びつく「不良馬場」。トラックに乗った西瓜売りと少年との交わりを描く「西瓜トラック」。高架下の妙な理容室を描いた「蝶」。交通整理のアルバイトを扱った「トマトの話」。電車や自動車など重工業的運動との共鳴の中で描かれる人間の生命リズムが、どうやら作品の基調となっているらしい。

 ちょっと変わったつながりだが、それはある種の運命観ではないかと思う。宮本のどの作品でも中心にあるのは死だが、さらにその後ろにありそうなのは、著者がずっととりつかれてきて、考えてみはするものの答えのでない、だから小説にする他ないような得体の知れない振動とか揺らぎの感覚ではないだろうか。それが一番の迫力をもって描かれるのはやはり「幻の光」である。

 そのとき、黒々とした空も海も、波しぶきも潮のうなり声も、氷のような雪片もかき消え、わたしは夜ふけの濡れそぼった線路のうえのあんたと、二人きりで歩いていたのでした。それは、どれほど力いっぱい抱きしめても、応じ返してはくれへんうしろ姿やった。何を訊かれても、どんな言葉をなげかけられても、決して振り返らへんうしろ姿やった。血をわけた者の哀願の声にも、決して耳をかそうとはせんうしろ姿やった。ああ、あんたは死にたいだけなんや、理由なんか何にもない、あんたはただひたすら死にたいだけなんや。そう思た瞬間、わたしはあとを追うのをあきらめて、その場に立ちつくしてしまいました。あんたはみるみるうちに遠ざかって行った。

死ぬにもエネルギーがいるとはよく言われることだ。この箇所でも歩くリズムと死への衝動とが重ねられていることからわかるように、運動と死とは表裏をなしている。「ただひたすら死にたいだけなんや」という一節など、ここだけ見ると実に陰惨だが、そのあとほどなく、ふたり目の夫が「人間は、精が抜けると、死にとうなるんじゃけ」と呆気ないような言い方でつぶやく、そうすると読んでいて、あ、そうか、というような気になる。

 何が「あ、そうか」なのか、よく考えてみるとわからない。でも、ここまで読んでくるうちに、「ただひたすら死にたい」という感じが波の音のように、あるいは電車の振動のように自然に受け入れられてしまうのである。

 答えを書かずに済ますのも宮本流なのだろう。そのかわり、答えを補ってあまりある感覚の振幅に酔ったような気分になる。やっぱり文章がうまくないと話にならないですから、などというと身も蓋もないのだが、やはりこの筆さばき、大したものだと思う。



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2008年01月23日

『荒地の恋』ねじめ正一(文藝春秋)

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「詩的、から遠く離れて」

「口コミ読み」は読書の大きな楽しみである。公の場を自覚した「よそ行き」の書評も参考になるが、知り合いが「こんなものがありましてね」というのを、「どれどれ」と手にとるときには、その本に感動したり失望したりした知り合いの読書体験が、頁上にうっすらと重なって見える。「そうか、きっとこういう部分に興奮したのだな」などと、おそらくは誤った推測などしながら、行間というよりは「行外」を読んでしまう。

『荒地の恋』は出版当初から筆者の身近でも話題になっていたが、このたび、北烏山に住む知人の翻訳家が大絶賛していたので、読む気になった。終始涙ぐみながら読んだとのこと。そこまで言われると、せめてのぞいてみようかなという気になる。この北烏山の翻訳家さんはたいへんエネルギッシュというか、フィジカルというか、波瀾万丈の人生を送ってこられた方で、洗濯機を持って家出したことまであるのだが、どうやら『荒地の恋』も家出の話らしい。

 一応小説。でも、評伝としても読める。記録としても読める。詩論にもなっている。文学史でもある。いずれにしても、もし読むのだったら、とにかく最後まで読んで欲しい作品である(ただし、最後だけ、というのはナシ)。途中が気に入らなくても、登場人物に不満でも、200頁をすぎたあたりから、いろんなことが、まるで人生の本当の果実に舌が届くような気味でわかってくる。それが甘いのか、酸っぱいのか、苦いのか、読む人次第だろうが、筆者は何より「北烏山の翻訳家はどう思ったのだろう?」と考えながら読んだ。

 主人公は北村太郎。荒地派の詩人である。50代の半ばにさしかかり定年も間近。妻と娘、息子がいる。一戸建てもある。人生の難所を乗り越え、静かに充実した日を送るはずの年頃とも見える。長年書きためた詩作品を全詩集としてまとめることにもなった。しかし、その作品の数のあまりの少なさに「たったこれだけかあ」と思わず声を発した友人がいた。そのセリフを不吉な兆しとして響かせながら、物語は始まる。

 こともあろうに北村は、中学時代以来の親友田村隆一の妻と関係を持つのである。明子は田村の四番目の妻。女出入りの激しい田村に似合う、毒が効いて癇の強い女性で、それだけにひねりの効いた魅力がある。明子は田村との生活にくたびれていた。そして原稿の受け渡しをきっかけに、押しかけるように話しをしに来るようになった明子から、いつしか北村は離れられなくなっていく。

 読み始めてまず感動するのは、詩人たちを主役にするはずの作品世界の、驚くべき散文性である。これは著書ねじめ正一の最大の功績だと思う。何しろ冒頭のシーンは、鮎川と北村がゴルフから帰ってくるところなのである。いくら何でもゴルフとは!せめてテニスにしろよ!と北烏山の翻訳家は思ったかなあ、などと邪推する。ゴルフほど、50過ぎの一戸建て家族持ち男性にぴったりというか、「オヤジ的」なものはないだろう。しかも、新聞社の校閲部に所属して地味な生活を送り、酒も呑めない北村が、若い頃から性欲はそれなりに強かったという。玄人の女性の世話になったのも早い。14歳ではじめて詩を書いてから全詩集を出すまでに、個別の詩集として出したのはたったの二冊。詩を書いているときよりも、ただふつうに生き、ふつうに通勤し、ふつうに性欲にかられ、ふつうにゴルフをする時間の方がはるかに長かった。そこにはごく人並みの鬱屈があり、退屈があり、平穏があった。こう考えると、定年を前にして「たったこれだけかあ」の声を聞きながら思わず道を踏み外し、妻子を捨てて男癖の悪い女の元に走る北村の姿が、哀しいほど類型的に見えてくる。

 しかし読み進めるほどに、およそ詩的ということとはかけはなれて見えるこの散文的な世界の何とも言えない味が、じわじわとしみ出してくる。無頼派詩人を気取りながらも、金に汚く計算高い田村隆一。離婚しよう、と提案すると、急に弱気になって「パパ。私何か悪いことした」と怯える妻に、「なあんだ、遠慮するんじゃなかった」とかえって安心する北村。はじめから無理のあった明子との同棲はやがて経済的困窮を引き起こし交通費にも困るほどになるが、北村は恥ずかしくて貯金のある明子に「金貸してくれ」の一言が言えなかったりする。その明子の貯金は、株で儲けたものだ。

 詩人などというが、北村太郎はごく平凡な人生を生き、そのときどきにたまたま詩を書いた人なのだ。何の神聖さも、神秘も、謎もない。だいたい、明子とのことがあって、急に詩が書けてしまうあたりが、あまりにわかりやすすぎないか。

暮れになり、貯金通帳に記された数字のあまりの小ささに気づいて、北村は呆然とした。呆然としたが、こういうときいつも襲ってくる恐怖はなぜか感じなかった。鮎川は死んだ。俺もいつか死んでもいいのだ、と思った。家を出て明子と暮らすようになって詩がどっと書けた時期があり、今また詩が遠のいている。北村にとって詩とは人生のうねりの共鳴器であって、詩だけが、あるいは人生だけが唄うことはないのだ。
 おそらく著者のねじめ正一は、かなり注意深く「詩的なもの」を後景に退けている。実は北村には前妻があった。妻と息子とを海の事故で亡くしているのだ。しかし、この悲劇に話を収束させたなら、この作品はいたずらに美化されただけの本当の意味で類型的なストーリーに見えてしまっただろう。当然北村はこの事件のことを引きずっているが、ときには忘れることもある。ときには思い出す。新しい女が現れれば夢中にもなる。そういう現実の果てに死期が迫る、そこへ「あなた、わたしを生きなかったわね――どこかから死んだ最初の妻の明子の声が聞こえる」というような一行がふっとあると、読んでいて怖ろしいような気分になる。(ですよね?北烏山さん)

 やはり、最後の100頁がいい。北村の散文的世界が、きわどく詩的な恍惚を避けながらも、抜き差しならぬ領域に達するのだ。
 たとえば鮎川の死を知らされた北村は、なぜか腕時計を見る。

 あまりに不意打ちすぎて、北村は諒の言葉がすぐには理解できなかった。
「諒くん、それ本当かい」
 とっさに腕時計を見た。なぜだかわからないが時刻を確かめねばと思ったのだ。安物のカレンダー付き腕時計は十月十八日午前九時十五分を指していて、コツコツ動く秒針が北村の見ているあいだに12の数字の上を通り過ぎていった。(中略)とすると、まだ十一時間しかたってないじゃないか。北村は腕時計を眺める。正確には、ええと、十一時間三五分だ…いや待てよ。午後十時四十分というのは病院に着いて医者が確認した時間にすぎないから、倒れた時間から考えると、ほぼ十二時間だ。鮎川が死んでから十二時間。俺は何も知らずに、鮎川がいない時間を十二時間も過ごしていたわけだ。
校閲部にいて、辞書を読むのが趣味になってしまった北村が、数字に示す無意味とも思えるこだわり。それは誰かが死ぬと、まずは死亡広告の心配をするという性分にも通ずる、役には立たないけれどまさに「生」の匂いのする仕草なのである。不治の病を得た北村がそのことを知らずに銭湯の脱衣場で観察する、自身の「老人性のシミ」の浮き出た裸体のシーンももちろん凄惨。だが、筆者が何と言っても感動したのは、北村が明子と別れた後、最後の愛人として付き合った阿子の視点で書かれた一節である。
 神楽坂の出版クラブというところで北村さんのお別れ会がある。十一月六日は金曜日で、休みを取ろうと思えば取れる日だった。私は行くことにした。受付で会費を払った。順番待ちの人が多くて驚いた。
これ、どこがいいのか。「受付で会費を払った」というところである。六十になり骨髄腫に冒されながらもなお性欲を失わなかった北村が、会えばホテルに直行するというやり方で付き合いつづけた秘密の愛人が若い阿子であった。明子との関係が文壇ゴシップの格好のタネとなったのとは対照的に、阿子とのことはほとんど誰にも知られず、しかし、北村の「生」的な部分を支えつづけた。その阿子は当然ながら、お別れの会の主催者になることはできない。招待状なども届かず、場所や時間も公式な告知で知ったのだろう。だから受付でも名前を書き、会費も払わなければならない。そして北村の弟に「私、北村さんの恋人だったんです」などと自分から名乗っていくことにもなる。北村の弟はその言葉をどこまでまじめにとったのか。阿子はこの会から早々に引き上げると、「せっかくの休みだから」と、何も知らぬ夫と娘と外食をしに行くのである。

 こうした人物たちは、実人生では主役というヒロイックな座から下りることでこそ、作品世界の主役たりえているのかもしれない。実人生で彼らにかわって主役となるのは、どうしたって別の人間だ。実人生で主役としてふるまってしまうことで、この作品では脇役扱いにならざるをえなかった人。のっけから翻訳をめぐる汚い操作や金の取り方に驚かされるが、何と言ってもすべての人物たちのからみあいを引き起こし、悲劇や喜劇を生んでいるのは、上手に後景に追いやられた田村隆一ではないかと思う。明子がまるで魔物でも振り払うように、田村は寂しがり屋なだけだ、始終人をまわりにはべらせて人気者でいないと気が済まないのだと繰り返すのも、結局はそのオーラに太刀打ちできないからではなかろうか。その人間としての皮相さやだらしなさ、計算高さをあげつらって解毒しつづけなければならないほど、田村隆一という人間にはたいへんたちの悪い引力があったのかとつくづく、しみじみ思う。これは詩がうまいのどうのということとは、たぶん別の話である。世の中って、たしかにそういう風にできてますよね、北烏山さん。


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2007年12月26日

『﨟たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』大江健三郎(新潮社)

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「大江と長嶋」

 さすが「文学界の長島茂雄」と言われるだけのことはある。今年になって二回ほど大江健三郎氏の講演を聴く機会があった。5月は勤務先の大学で「知識人となるために」という、どちらかというと学生を対象にしたテーマ。今月は紀伊國屋ホールで本書『﨟たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』の刊行記念。いずれの会でも氏には、芸というのか、存在感というのか、「そうだよ、これがあの大江さんだよな」と感慨にふけってしまうような、何とも言えない華があった。ちゃんと笑いもとるが、おなじみのテーマにもからんでいく。石原慎太郎の悪口も言うし、奥さんにやっつけられちゃったりもする。口ごもるところは口ごもる。とにかく楽しい会であった。

 それでふと思う。作家というのは、こんなに華やかでいいのだろうか、と。筆者は「純文学」という概念を信じてきた古い世代に属するので、作家たるもの、どこか照れくさいというか、「僕が僕で、ごめんナサイ」みたいな、逃げるような、隠れるような仕草に満ちているものではないかと漠然と信じてきた。

 純文学なんて古いと否定するのは簡単だが、筆者はまだこのレッテルには有効性があると考えている。純文学というのは、「書くその人」が行間から匂い立ってくるようなもの、ととりあえず言ってみよう。別に私小説である必要はない。暴露ものでなければならないとか、おもしろおかしいプロットがあってはいけないというわけでもない。でも、何かが丸裸になってしまうような身も蓋もない感じや、救いのなさ、あどけなさ、寄る辺なさといった、つまり書いている人のことが「マイナス」として実感されるようなある種の読書体験を指し示すのに、この言葉はちょうど良いのではないかと思っている。そして筆者にとっての純文学の代表選手は、ずっと古井由吉であった。

 それでは長嶋茂雄は、純文学の選手ではないのか。

 筆者は大江氏ご自身の講演を聴くのは5月の会がはじめてだったが、氏の作品はいろいろ読んできた。その目指すところが、明らかに主流というか、最高峰というか、どこかメジャーな世界に向かっていることはよくわかる。

 しかし、筆者が大江氏の作品の中でもとくに惹かれてきたのは、あんまりメジャーすぎないような、むしろちょっと小さめに構えたような短編連作風の作品であった。『河馬に噛まれる』とか。『静かな生活』とか。こうした作品には、大江氏の「マイナス」の部分がたいへん良い感じで出ているような気がしてきた。逆に言えば、筆者は大江健三郎という作家にもやはり「純」なものを求めていたのだろう。

 今回の『﨟たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』にもまた、筆者は「マイナス」の香りを感じた。映画を作るの作らないのといったストーリーはあまりに地味でかつ混沌とし、おそらくそれを要約してもこの小説の読後感はまったく伝わらないだろう。この作品をストーリーで語る人は、ちゃんと読んでない証拠だと思う。

 大江氏の人物たちには、見知らぬ他人に向かっていきなり自分の友達の名前を持ち出してもわかってもらえると信じている小学生のようなところがある。世界が自分と等身大だと信じるような無邪気さ、構えのなさ。その狭い世界の中では、すべての人が旧知の間柄のようにして振る舞うのである。典型例は本書の中心人物となる木守有(こもりたもつ)。冒頭部の木守の唐突な登場と、彼の語り手に対する妙ななれなれしさとは、この小説の距離感のなさを象徴するものだろう。

― What! Are you here?
 英国風に発音する日本人の英語で、そういって肩を寄せる相手を見直すと、思いがけない人物だった。それでいてしかも、ついこの間、私ら親子が、人前で困った情況にあるところを見守る群衆のなかにこの男がいた、確かめる暇はなく、そのままになったが、と思い当たった。あれは幻影を見たのだったかという気がするほど、きわめて様変わりしていながら特殊な感じに昔通りだった、と思い出しもしていた。
― なんだ、君はこんなところにいるのか、……ということかい?
― その通りの言葉を返すだろうと思ってね、仕掛けてみた。
― 相変わらずだね、様ざまな意味でさ。何年ぶりだろう?
― 三十年ぶりだ、と眉の間の白皙の皮膚に皺を寄せていって(それも昔通り)黙り込むと、こちらを測るようにしていた。

こうした狭さや唐突さを、「他者が描けてない」と批判するのは野暮なことのように思える。木守の出現につづくいちいちの展開に、一貫して遠近法的な奥行きが欠け、まさにそのおかげで大江氏ならではの、小さな世界の心地よさのようなものがつくりあげられていく以上、そこには何か別の原理が働いていると見るべきだろう。

 ある時期からの大江氏の作品には、頻繁に英語の詩が登場する。本書でもモチーフになっているのは英詩である。中心となるのはタイトルにもとられている「アナベル・リイ」だが、先の引用部はT・S・エリオットの『四つの四重奏』からの一節を下敷きにしたものである(そのエリオットが下敷きにしているのはダンテだが)。大江氏の文章はどうも、こうした詩作品からの言葉を無事着地させるための滑走路のようなものを提供するべく練り上げられてきたのではないかという気がする。

 かつてJ・S・ミルが言った、詩についてのたいへん有名なコメントがある。「雄弁はしかと聞かれるものだが、詩はたまたま聞こえてくるものである」(Eloquence is heard; poetry is overheard)。「たまたま聞こえてくる」というのは、大江氏の作品を読むときの実感にたいへん近い。考えてみると、大江氏の描く小さな世界というのは、ほとんどの読者にとっては縁のないような「駒場」とか「四国の村」とか「母親」といった諸イメージを、何の手続きも、遠慮も、遠近法もなく、いきなりぬっとあの木守有のようにして出現させることで成り立ってきた。

 すべてがすでに始まっている。みんな知り合いらしい。そういう小説作法が昔からなかったわけではないのだが、ふつうは後からきちんと導入がある。しかし、大江的作品においては、読者たる我々はそういうぎゅうぎゅう詰めみたいな世界でかわされるやり取りを、ただ「たまたま聞く」ことを強いられる。みんな旧知で、身近で、訳知りで、また、わけあり。すべての固有名詞に「あの例の、」と「いわく」がついてしまうような世界。ちょっとファンタジックで、幻のようで、悪夢のようでもあるけど、何とも言えないやわらかさもある世界。そして語り手が異様に露出しているのだけど、どこか引っ込んでもいるような世界。ひょっとすると、紀伊國屋ホールで長嶋茂雄みたいにスポットライトを浴びていた大江氏にも、こんな風に見えないままにしてあった部分があったのかなとも思う。

 大江氏の英詩との付き合い方はおもしろい。エリオットがくるかと思うとポオ。かつてはブレイク。イエイツ。R・S・トマスにも関心があると聞く。これはたいへん渋い。でも、いずれはやっぱりワーズワスに辿りつくのではないか、と幾分の期待をこめて予想しておこう。


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2007年12月10日

『残光』小島信夫(新潮社)

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「小島信夫を読むためのコツ」

 昨年91歳で亡くなった小島信夫の最後の作品である。はっきり言ってものすごく小島信夫度が高い。濃い。「小島初体験!」という人は『うるわしき日々』とか『抱擁家族』あたりからはじめる方が安全だろう。でも、筆者の本心としてはそこで「いやいや、折角だから、小島さんの真髄を極めましょう」と頑張ってもらえるといいなとも思うので、やや押しつけがましいのを承知で、この機会に小島信夫作品を読むためのコツについて記しておきたい。
 箇条書きにすると以下のようになる。

①変なところで笑いそうになっても、我慢しないで素直に笑うこと。
②よくわからない部分は無理してわかろうとしないこと。作者の意図をとらえよう、などとは間違っても思わないこと。
③急に大事なことを言うので、油断しないこと。
④歩く場面、進み行く場面では感動すること。

以下、具体的に説明してみる。

①変なところで笑いそうになっても、我慢しないで素直に笑うこと。

小島信夫を読んでいると、「え、まさか、そんなところで笑わせるのか!」という箇所に直面することがある。そういうときは、たぶん隣にいる人に「ねえねえ、これ笑えるよね」と言っても共感してもらえそうにないし、だいたいそんなところで笑ってしまうことが、とてもいけないことに思えたりする。たとえば筆者はかつて『抱擁家族』を読んでいるときに、次のようなセリフを読んで思わず電車の中でニヤニヤしてしまった。アメリカ人との浮気を知った主人公が妻を責めると、逆にその妻が怒り出すといういわば「逆ギレ」の場面で、いちおう修羅場なのである。

「あんたは自分を台なしにしてしまったのよ。私はいつか折をみて話そうと思っていたのよ。それなのに、ほんとにあんたっていう人といっしょにいると、あんなことが起ったり、こんなことが起ったりするう!」

修羅場なのだが、妙におかしい。とくに最後の「あんなことが起ったり、こんなことが起ったりするう!」は、何か身体がもぞもぞするような気がした。ただ、笑いたいのに笑えない感じというのもいかにも小島信夫的ではある。

 『残光』にも次のような箇所がある。有名な(実在の)小島信夫邸にいろいろと欠陥があることが説明されている。

斎藤義重さんは思慮ぶかくて用心深い画家である。そのお人が、設計図を見た段階では、欠陥にお気づきにならなかったのだろう。私の家はラーメン工法で作ってある。耐震工事を思いついたのは、娘とその夫である。娘だけかもしれない。とくに直下型地震に危ないという。「ラーメン工法」とは、「筋交」が入っていないもので一九五二年か昭和五十二年かいずれかに、こういう工法は止めになったとか、専門家がうちへきていっている。たぶん一九五二年だと思う。五二年以前の家は「ラーメン」でよかったのだという。「ラーメン」「ラーメン」といわれる度に、「すみませんが、あまりラーメンというのはやめて下さるように」と私はいいたくなったが遠慮した。地震でなくとも、台風でも、壁が抜けてとんで行く危険性がある。何タイフウだったかのとき、私の近辺では百メートル先の屋根やカベが空中をとんできた。

ふつう大人の読者というものは「すみませんが、あまりラーメンというのはやめてくださるように」などというセリフにいちいちニヤついたりはせず、何事もなかったかのようにやりすごすものなのだが、その直前に「娘だけかもしれない」というような意味不明の言い直しがあったりして、そのあとでは「カベが空中をとんできた」とあったりもするし、筆者はここは、ついに我慢しきれずに笑ってもいいところじゃないかと思う。

②よくわからない部分は無理してわかろうとしないこと。

これは小島信夫を読むにあたって、もっとも重要な心構えである。明らかに日本語文章としてつじつまが合わない箇所があるし、後期のものになればなるほど主語と述部がふつうにつながっていなくて、「何じゃこりゃ?」と思うことが多い。次にあげるのは『残光』の中で妻のことが語られるくだりであるが、突然「佐藤春夫」が登場する。「彼女」とは妻の愛子のことである。

私が佐藤春夫の名を出すと、彼女はたいへんアドケない表情をして笑った。
「そう、そう、あの佐藤春夫くんというのは」
 よく原宿の駅前を通りかかると、突然大声で、
「愛子さん、愛子さん、佐藤です。ぼくあの佐藤春夫です。元気でやっています。いえ、いえ、ぼくのタクシーに乗らなくてもいいんです。お元気で今日一日暮らしましょう。ではさようなら」
 というタクシードライバーがいる。
「ああ、佐藤くん、分った、かせいで下さい。今度は乗るからね」
「なつかしいな、小学校のときの女の子が今は原宿に住んでいるんだもの!」
 というのである。
「ぼく、佐藤春夫って、ヘンな名前だが、くやんでも仕方がないからね」

どうやら身近な人々が勝手に文学史上の名前を背負って化けるというようなことを書いている部分なのだが、脈絡があるようでないような会話も変だし(「くやんでも仕方がないからね」は傑作)、何でタクシードライバーなのだろう?とか、何で「佐藤春夫」なのか?といった疑問は当然浮かぶ。どうも話のつながりが見えないのだが、しかし大事なのは、細かいことは気にしないで、ドンドン読むことである。小島信夫を読むためには、ときには読まないで済ますことさえ必要となる。ただ、ほんとに読まないのではなく、何というか、ハスに目をやっておくようにしなければならない。というのも、③のようなことがあるからだ。

③急に大事なことを言うので、油断しないこと。

『残光』には小島信夫の過去の作品からの引用がいろいろとちりばめられている。まさに遺作にふさわしい、集大成といった趣がある。たとえば次の箇所は『各務原・名古屋・国立』から取られている。

 その人が死んでも、その人の頭の中にある記憶に当るものは残り、ぼくはそうした記憶の中を渡り歩いている。その人の頭の中にあった記憶は、たとえばその人の住んでいた家の窓とかタタミとか家具に残っているというか、それらにひびきあっている。たとえば『嵐が丘』の作者の育った牧師館を見た人は、いかにも作者やその姉妹、兄貴などがそこにいたということが、「なるほど、なるほど」といったぐあいに分る。  だから無名作家のまま死んでしまうことを残念に思い「おれの人生は何であったか」なんてくやしがることはない。生前有名であったりそうでなかったりしたって、それはあとに残る。つまり、その人が生れてくる前から世界はあり、死んでからも世界はありつづける。こんなことは当り前のことだと、いう人はあるかもしれないが、このぼくがつい最近になって、そうだと思ったのだ。

今にも脈絡が失われてしまいそうな気配がありながら、最後まで読み着くとあんがい筋が通っていて、「あ、ちゃんとしたことを言った」とびっくりする箇所だ。こういう調子で、いつ読み飛ばしてやろうかと構えていると、不意にこちらの懐に飛び込むようなことを言うので、読み飛ばしているつもりでも結構こちらはハラハラすることになる。

 そういうわけで小島信夫の小説というのはなかなか読むのがたいへんだ。メタフィクションなどと誤って呼ばれるのも仕方ないのかもしれない。しかし、それでも人が小島信夫を読むのは、矛盾して聞こえるかもしれないが、その文章が実に明晰だからでもある。

 この点について、もう少し詳しく説明しよう。
 小説にはかならず「理」の部分と「情」の部分がある。「理」はシンタクスであり、構文であり、プロットであり、あるいは登場人物のコントラストとか、謎解きなども入ってくる。これに対し「情」の部分というのは、読み手の常識や読み手の属する共同体の土俗的な領域、つまりふだん言葉には出されないけれど、誰もが無意識のうちに「了解」しているような薄暗い所である。

 だから「情」の部分というのは、言葉ではちゃんと言われていないにもかかわらず「ね、みんなわかって」と共感が押しつけられるようにも感じられる。それをどのレベルでやるかは小説家によって違い、たとえば冒頭の風景描写からして、じわじわっと「こんな感じで家があったり、人がおったりして、それはそれは薄暗い路地でした・・・ドロドロドロ~♪」というような雰囲気過剰な作品というのもあるし、描写はそっけないが人物の心理に入りこんだ瞬間に、突如としてえげつないほどの切れ味を発揮する作家もいる。

 おそらく文学というのはこの「ね、わかって」のおかげで、1)選ばれた人たちが、2)稀なる素材と巡りあい、3)突如訪れた瞬間に、4)たいへん貴重な体験をしている、という幻想を与えてくれるのではないかとも思う。作家が「ね、」と無言で共感のシグナルを発しているそれを、ちゃんと読み取らせてくれるような秘密の共同体性が、文学というジャンルの背後にあるのだ。だから、私たちは「ね、」を見つけると、「あ、良かった。ちゃんとシグナルも発せられたし、自分もそれを読み取ることができた」という安心感にひたることができる。

 ところが小島の場合、この「わかって」の感覚がかぎりなく希薄なのである。ふつうならあるはずの無言の「ね、」のシグナルがどこまで行ってもなくて、それだけすべてがあけっぴろげで、語り手がおもわせぶりな科をつくったり、俯いて黙っちゃったりという瞬間がほとんどない。どこまでも明瞭。だからよけいに落ち着かない。何だか「文学的」ではないのだ。

 その最大の証拠と言えるのが固有名詞の問題である。『残光』には大庭みな子とか保坂和志といった実在の小説家が登場する。こういう風に実名で出されると、よほど「善意」で粉飾しない限りどことなく「悪意」が漂ってしまう。小説という舞台におびきだされた瞬間に、人物は語りの「情」的な視線の餌食となり、どこかでニュアンスをこめられてしまう。どこかでひねられ、つねられ、つまり意地悪されてしまうのだ。ところが『残光』の人物には不思議とそういう「いじめられた感」がなく、やけに伸び伸びしている。とても小説中の人物とは思えないくらいだ。

 これはたぶん、語り手が人物描写に伴いがちな、「情」的な「ね、」をひたすら抑圧し、やけに明晰で「理」のまさった言葉で語りつづけるからだ。それは実に不思議な明晰さでもある。シンタクスそのものは崩壊寸前なのに、言葉はなおシンタクス的であろうとするような、そういう傾向なのだ。そしてこの明晰さのおかげで小島の作品には、ねちっと科をつくる類の語り手にはとても実現できないような、勢いというか、エネルギーというか、推進力のようなものが生み出される。言葉がかっかっかっと滑走していくような、「ええい、もうどうでもいいから言っちゃえ、やっちゃえ」というなし崩しの快楽が生ずるのだ。決して滞留したり、籠もったりはしない。前進あるのみ。そういうわけで④となる。

④歩く場面、進み行く場面では感動すること。

キーワードは「前のめり」である。小島信夫の小説は「前のめり」に始まって「前のめり」に終わる。『残光』の出だしで重要なのは、主人公が負傷するところ。

翌日昼すぎに気分がよくないので活を入れようとしていつものコースへ出かけた。途中から自由がきかず前のめりになりはじめた。これは危ないと思って階段の真中にとおっている手すりにつかまりながら依然として前のめりになるがこのまま最上段まで何とか辿りつこうとして足をのばしては手すりを前より強くこすっていたが、進んだかただ前のめりになっているのか分らなくなって、それでも最後の一段までやってきて歩き出そうとしたとき、いよいよ前のめりは強くなり、そのまま身体全体が走り出し、前倒しになり、こうなったら頭というか顔というか、停め易いところをコンクリートの地面にぶつけてやっととまった。手を使おうとしても力が出ないのでそのままの姿であえいでいた。

何という明晰な文章だろう。だらっと自分で自分に共感したり、相手を共感に巻き込もうとしたり、という甘えめいたしなだれかかりが一切ない。最後まで自分の足で立とうとする文章。「進んだかただ前のめりになっているのか分らなくなって」とは、小島の文章のスタイルそのものではないか。おそらくは現実に発生したのであろうこの負傷の場面で書かれているのは、小島自身の文章のあり方や、そしてそれと切り離すことのできない人生のあり方なのである。文章がこうして人生の出来事までをも呼び寄せ引き起こしてしまうという状況こそ、「才能」と呼ぶべき何かなのではないかと筆者は思う。

 最後にもう一カ所だけ、結末近くの一節を引用する。小島信夫を読むとは、こういう場面に感動するということなのだ。

その武尊の施設を出て駐車場に向って歩き出したとき、出入口のところで声がしたような気がした。ムスメとムコとぼくの三人は、同時に立止ってふりむくと、ヘルパーなのか受付にいた事務の人かもしれない女の人が、三本の大根を抱えていた。ムスメは何か口の中で呟いていた。
「ああ、これは、菜園でとれたものを土産に持って行くように、といっているのだな」と思った。
 そこでぼくは小走りに走り出した。何か行動に移るとき、ぼくは以前から、こうして走る、と友だちにいわれていた。
 たぶんその大根は、ただの大根ではなく、心のつながりのダイコンだというつもりかもしれない。お宅の患者さんはこうなってしまったからには、こうするより仕方ないのだから、というのであろう、とぼくは思っていた。われら日本人というものは、こうしたとき、セナカを倒して小走りに走ることになっているのだ。

「われら日本人というものは、こうしたとき、セナカを倒して小走りに走ることになっている」という部分、つい小島信夫がこだわり続けてきた「日本」というテーマと結びつけてみたくもなるが、でもそんなことは小島自身にとってはどうでもよくて、どこまでがギャグなのかわからないこの変に感動的な場面とともに、『残光』は軽やかに終わるのである。


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2007年11月20日

『どうで死ぬ身の一踊り』西村賢太(講談社)

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「ふつうの小説には登場できません」

 西村賢太の名前はどこかの書評で知った。その評はたいへん好意的なものだったし、その後もちょくちょく名前を聞いたので何かの折にネット注文しておいたのだが、いざ現物が到着してみると、あらためてみるそのタイトルがあまりにくどく、また、それに輪をかけて装丁が強烈というか、俗悪というか、期待したものとはかけ離れているようにも思え、一頁もめくらないまま本棚の見えないところに押し込んでしまった。それからは根拠もなく「この本、縁起が悪そうだな」という印象を持ち、その姿が現れるたびにわざわざ再び見えないところに押しこんで隠すということが続いた。今から思えば、これも逆オーラみたいなものだったのかもしれない。それで一年以上たち、読む前から本体がぼろぼろになってしまったのだが、ちょうど西村氏の新しい作品がある賞をとったということらしいので、お祝いの気持ちをこめて、このたび、ついに読んでみた。

 いやあ、すごいです。
 みなさん、装丁にだまされてはいけない。いや、装丁はたしかに嘘はついてはいないのだが、それでもだまされたと思ってせめて三分の一くらいまででも読んでみる。三分の一まで読んでだめだったら、きっと相性が悪いんでしょう。でも後ろ半分はラブ・ストーリーになるので、そこから読むというのも手かも。

 どこが、そんなにすばらしいのか。
 話は至極シンプルである。著者と限りなく重なるのらしいある破滅型のドメスティック・バイオレンス男が、同棲相手の女性から金を搾り取りつつ、日々、酒にまみれた生活を送っている。ただひとつだけ妙なのは、この男、藤澤清造という私小説作家の「マニア」で、藤澤のものとなれば小説作品はもちろん、作品の掲載された雑誌から原稿、手紙、そしてついには墓標まで収集し、さらには藤澤の墓に割りこむようにして、同じ敷地に自分の墓をこしらえてしまう。ふだんは資料収集と称し、ろくな収入もないのに藤澤の郷里の石川県は七尾市にアパートを借り、東京と行ったり来たり。藤澤全集の刊行を目指しつつ、当地でほとんど参加者もいないような藤澤イヴェントを催したり、かつて藤澤の一周忌が催されたのが午後一時だったのか、二時半だったのか、などということについて調べたり考えたりしている。何という執念。何という私生活とのアンバランス。

 筆者はとにかく、こんなすごい文章が書ける人が出てきたことに呆然とするほど感動した。いったいこの日本語、どうやって発明したのだろうと思わせる作家は、町田康とか、車谷長吉とか、最近でもちょくちょく出てきており、西村氏も一種の擬古文のようなものをベースにしているという点ではその流れの上にあるのかもしれないが、どこの方言なのかよくわからない「はな」とかいう怪しげな間投詞のようなものを盛んに使って話しをぐりぐりと進めていく乱暴さには、町田や車谷の芸に勝るとも劣らない生々しさを感じ、とにかく興奮した。

 で、どこかちょうど良い箇所を引こうと思うのだが、西村が俄然そのしなやかな腕力を発揮するのは、どうも同棲相手との顛末を書きこむあたり、とくに自身の性欲やら怒りやら、女のずるさやら可愛さやらを、手段を選ばぬとばかりに片っ端から言葉を拾ってきて描写するところなのである。その中でもとくに印象に残ったのは、そして小説展開の上でも鍵となるのは、主人公が家出した女のパンツで自慰にふける場面である。正直言って「書評空間」のように品のあるサイトにこういう箇所を書きこむのは気が引けないでもないが、思い切って引用してみよう。(少し長いですが)

ある夜は、またそうして酔いが廻って寝室に入り込んだが、押し入れ箪笥の横に置いてあったバスケットを、これは何かとフタを開けてみると、中にはきれいにたたんだ彼女の下着が詰められてあった。それを見ると、全く着のみ着のままで叩き出してしまった自分の所業が今更ながら悔やまれたが、それらのひとつ、濃い紺色のをつまみだしてひろげると、まさか香水でもあるまいが、多分柔軟剤だかのいい匂いが微かに漂ってきた。そしてその芳香に女の体臭めいたものを感じた私は、突如雄心勃々となってきた。ここしばらくはそれどころでもなく、すっかり忘れていたが、考えてみるとこれでもう二十日間近く、女体にふれるはおろか射精すらしていない。見ればそれは見覚えがないでもない、穿かれたときは特に気づかなかったが、その原形は随分と股の前のところの切れ込みが鋭いもので、これはこんなにエロかったのかと改めて知れば、どうにも意地も我慢もなくなってくる。それで、我ながらどうにもあさましいとも薄汚いとも言いようのない話だが、私はその場で女の下着を使い、自らを汚す行為を始め、実際に下着そのものも半ばヤケになり、自分の放出物で、ひどく汚してしまった。

この場面を読んでふつうに発情してしまう男性はあまりいないだろう。一見した状況とは裏腹に、この場面は通常の「エロ小説」的なものとは遠く隔たったところにあるのだ。「…その原形は随分と股の前のところの切れ込みが鋭いもので、これはこんなにエロかったのかと改めて知れば」などというあたりはほんとに泣かせるというか、ほとんど聖なる香りがするくらいに、可笑しく、悲しい。

 考えてみると、私小説というものは語り手の「私」が出しゃばって、他者の介入を許さないような、いわば「ひとりカラオケ」の様相を呈することが多い。ということは、肥大した「私」であればこそ、ひとりでいろんな役をこなす必要も出てくる。私は「私」に拘泥しつつも、小説世界にふくらみやら奥行きやらを与えるために、いろんな種類の声色を使いこなす必要に迫られる。しかし逆に言うと、私小説というジャンルは、ひとつに統一され得ない声の持ち主にとっては格好の舞台だということになる。一般小説の最低単位である「キャラクター」という枠にはとてもおさまらない、妙に分裂した声の持ち主は、私小説にこそ居場所を見出すのではないか。

 西村賢太はまさにそうである、と筆者は思う。こんな声で語っちゃう人は、ふつうの小説じゃ窮屈すぎるでしょ、と。

 ところでこの「パンツ事件」だが、先にも触れたように小説展開においてはとても大事な役割を果たす。主人公は家出した女性を実家まで追いかけていってようやくのことで連れ戻すのだが(このあたりのふたりのやり取りもとてもいい)、やっと帰ってきてくれた彼女に、冗談まじりのつもりで「実はさ…」とパンツの一件のことをうちあけると、彼女が激怒する。

すると、一緒にはにかみ笑いを浮かべてくれるだろう、とばかり思っていた女はこれに激怒し、猛烈な口調で私を詰るのである。
「だって、ぼく寂しかったんだ…」
「寂しきゃ、あたしのパンツで変なことしてもいいって言うのかよっ!あんたバカじゃないのっ」
「別にこれがどこかの家の物干しから盗んだとか、お金出して買ったとか云うんならともかく、おまえのなんだからいいじゃねえか。そんな状態にあったときだし、あとにも先にもこれ一回きりのことにするからいいじゃねえか」
「いいわけないでしょうよっ!なんでそんな気持ちの悪いことすんのよっ!」
 気持ち悪い、とまで言われ、確かにそうかも知れぬ、と、もはや私も返す言葉がなく、自分のしたことの気恥ずかしさに、どうにも項垂れる以外になかったが、女の怒りはなかなか止んでくれず、目までむいてガンガン怒鳴りつけてくる。
 その罵声に、ひたすらじっと耐えていた私も、
「変態!」
と女がほき捨てたのには瞬間カッと頭に血がのぼり、立ち上がりざまに女の横顔を力一杯、引っぱたいてしまった。

この一撃が、後に起きるのらしい出来事(女性が別の男の元に走る)の遠因になるとも思わせるのだが、やはり問題は「パンツ事件」そのものだったのではないか。事態がいったん落ち着いたところで、女性がしみじみと「女にとってあなたがやったようなことって、すごくイヤなもんなんだよ」というセリフを吐くところがあるが、このあたりをきちっと書けるところがこの作家のすごいところである。

 大事なのは、主人公が「女にとってあなたがやったようなことって、すごくイヤなもんなんだよ」という言葉の意味を決して理解はしないということである。だから、翻って、こんなDV男なのになぜこの女性が彼のことをそれまで赦し続けてこられたのかも、おそらく彼にはまったくわからない。この部分、この「わからなさ」を書ききれるかどうかが、多少なりとも恋愛を描く小説の試金石となるのだろう。あらゆる恋愛小説が哀しいのは、この部分においてなのである。

 終始「女」としか呼ばれない同棲相手の女性も実によく描けている。炊事をするときに必ず稲垣潤一を流す癖があるという彼女は、藤澤清造については「ワールドカップぐらい興味がない」のであり(何という絶妙のセリフ!)、なぜ主人公がパンツを汚したのか、なぜ大正の私小説作家なぞにいれあげるのかも、決してわかりはしない。

 三つの短編からなる本書は、構成や終わり方に「??」というところがないでもないが、それも私小説の特権かもしれない。俗悪な表紙も、喧嘩を売ってるとしか思えない作者の「跋」も、こうしてみると必然性があるように思えてくる。

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2007年11月06日

『ノルゲ』佐伯一麦(講談社)

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「重量小説」

 総ページ488。最近の純文学系の小説としては長い。重さにして740グラム。小型のペットボトルなら二本以上だ。このペットボトル二本分以上の本書を筆者は一ヶ月間にわたって鞄に入れ続け、通勤時に少しずつその頁をめくるのをささやかな楽しみとしていた。決して難解な小説ではないのだが、一気に読んでしまいたくはなかった。「ああ、今日もこれを担いで行くのか、重いなあ」と思いつつ、まだ終わりたくない、という気分がいつもあった。

 『ノルゲ』は重さを心地良さとして感じさせるような小説である。500頁近い長さの中で活劇が繰りひろげられるわけでもなく、大きなテーマが語られるわけでもない。むしろ大事なのは時間をやりすごすことや、夜や冬や病いを生き延びていくことなのである。この作品を読んでいると、淡々と流れていく時間が実にいとおしく感じられる。文章に目を走らせるだけで、文章を読むことの幸福が味わえるような気がしてくる。

 主人公の「おれ」は小説家。美術大学に留学する妻につきそうという形で、ともにノルゲ、すなわちノルウェーにやってきた。金に余裕があるわけではない。ベッドさえもない部屋。主人公はかつて電気工をしていた眼をきかせて、引っ越してきたこの安アパートの裏側をめくるようにしながら探りをいれ、「棲み家」として整えていく。

 必ずしも日本人にとってなじみが深いわけではないノルウェー。しかし、その風俗習慣のめずらしさを、旅行記の体裁をとりながら描き出すのが眼目というわけではない。小説が進むにつれて、オスロという都市の独特な空気の希薄さに、主人公の過去がにじむように混入してくる。自殺未遂。前妻との争い。工事中の事故。喧嘩。アスベストが原因の喘息。過去が病の形をとって主人公を苦しめはじめ、ついにその病が現在形となる。原因不明の激しい頭痛が主人公を襲うのである。

 佐伯一麦というと、まずは初期の『雛の棲家』、『一輪』、『ア・ルース・ボーイ』といった小説に描かれる壮絶な争いや苦難を思い浮かべる人も多いかもしれない。本書はそうした作品に比べるとはるかに穏やかな空気に包まれているし、たとえば生活費を稼ぐための大事な原稿を日本に送ろうと必死になるあまり、電話会社のショップで電話機のジャッキをかってに差し替え自分のパソコンをつなごうとしてつまみ出されるといった、大江健三郎を思わせるようなコミックな場面も所々にある。しかし、文章家としての佐伯の覚悟は一貫している。最後の私小説家とも呼ばれる佐伯だが、「自分を暴く」といういわば日本文学の伝統芸能とも言える領域を、それにふさわしい文体をたえず求めながら洗練させていく手並みにはほんとうにほれぼれとする。存命の作家の中でももっとも文章に品を感じさせる人ではないだろうか。

 かつて佐伯が同じような描写をいくつもの小説で使っているという批判がなされたことがあった。もちろん自己模倣は作家がもっとも陥りがちな罠なのだが、佐伯の場合には、同じことを何度も何度も書きつけ、文字と文字が重なり合いつつ、少しずつぶれる中で研ぎ澄ませ発展させていく、というところがある。

 中には、何度でも同じことを書くべき作家がいるのだ。佐伯の文章には石に文字を刻んでいくような迫力がある。書く/語るという作業は遅々として進まない。連想が軽やかに飛んだり、意表をついた言い回しやセリフが爽快感を呼ぶこともない。むしろ語り手は不器用で、くどい。重いのだ。その重さがもっとも露出するのは、語り手が病を意識するときだろう。

「ヴィーゲラン公園前」の停留所で路面電車を待っている間、開けることが出来ない右眼の目蓋を右の手で覆うようにして痛みを堪えながら、おれは途方に暮れる思いがした。さすがにこの状態は、医者にかからなければならないだろうか。だが、保険証を持たない身なので、それはなるべく避けたい。もっとも命に関わるようなら、そんなことを言ってもいられないが。ここまで喘息も何とかやり過ごし、インフルエンザの流行した厳冬も乗り切って来たというのに、滞在もあとわずかな今となって、こんな羽目に陥るとは……。それにしても今日はやけに路面電車が来るのが遅く感じられる。アパートメントへ辿り着くには、途中で路面電車を乗り換えなければならない。その間に、どうにか我慢できているこの痛みが耐え難くなったらどうしようか……。

それが私小説家の生業というものなのだろうが、佐伯の「おれ」という一人称からは、かすかに「おれ」を持てあまし、突き放し、しかし、その振る舞いをつぶさにみつめながら執念深く写し取っていく、という作家の目が感じられる。こうした心理描写の、じれったいほどの丁寧さと、大げさに鮮明な輪郭、それゆえにこそ実現される彫りの深さには、造形美術を思わせるひたむきな寡黙さが表れている。その一方で、そうした執拗さの、その鈍い重さが、低い声で奏でられる魅力的な音楽のようにも響く。

 佐伯に病がつきまとうのも当然なのだろう。「病む自分」を書くというのは、私小説の原点である。病の意識を忘れたら、この作家には書くことはなくなるだろうし、書く必要もないもないのかもしれない。ただ、病や重さというといたずらに深刻になるばかり、かえって鼻持ちならない自己耽溺に結びつきかねないところ、佐伯の魅力は、それが得も言われぬ「不器用さ」によって浄化されているところなのである。「下手」というのとはぜんぜん違う。小島信夫のような「ヘタウマ」でもない。語ることをめぐる過剰な謙虚さと力み。そして執念。入念にストレッチをし、準備体操と練習とをこなす様子が、そのまま文章の構えとなって現れ出ている。ぜったいに「うまい」などとは言わせないような、語ることをめぐる苦しさの身振りが、現代日本語の何かを守ってくれているような気がする。

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2007年09月28日

『石原吉郎詩文集』石原吉郎(講談社)

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「失語者の発想」

 石原吉郎はもっと読まれるべき詩人である。
 石原といえばソ連での長期にわたる抑留体験が知られており、作品としても「位置」、「事実」、「馬と暴動」、「葬式列車」といった、囚人としての体験を多少なりとも雰囲気としてただよわせるものが取り上げられることが多い。どの詩も、帰国してから40歳になってはじめて詩を発表した詩人石原のエッセンスがこめられたもので、たしかに怖いような迫力がある。


そこにあるものは
そこにそうして
あるものだ
見ろ
手がある
足がある
うすらわらいさえしている
見たものは
見たといえ

「事実」

 しかし、こうした作品、ちゃんと読めば読むほど、よくわからないのである。詩と詩でないもの、もしくは言葉と言葉でないものの境を行き来するような壮絶さがあって、まるで出産の現場に立ち会うような緊張をこちらに強いる。果たしてそれを簡単に「詩」と呼んでしまっていいのか躊躇する。


われらのうちを
二頭の馬がはしるとき
二頭の間隙を
一頭の馬がはしる
われらが暴動におもむくとき
われらは その
一頭の馬とともにはしる
われらと暴動におもむくのは
その一頭の馬であって
その両側の
二頭の馬ではない

「馬と暴動」

動物が出てきて、暴力性とともにますらおぶりで語られるあたり、一見、高村光太郎や、同じ荒地派の田村隆一を思わせるのだが、やはり全然違う。もっとはるかに硬質というか、無機質なのだ。人間的ではないのだ。相手との温暖な交流を前提としたヒューマンな「了解」など問題にしていないように読める。だから、「わかるか」と言われて、簡単に「わかる」といっていいのか、迷う。わかられることを拒絶するような仕草が、読者に対する剥き出しの冷たさとしても感じられるような気がする。(筆者などには、この寒々しさがたまらなく良いのだが。)

 この講談社文芸文庫版の選集の冒頭には「詩の定義」という短文が載せられている。その中で石原は、「詩とは何か」と問われると返答に困るのだが、答えがないわけでもないと言う。

ただ私には、私なりの答えがある。詩は、「書くまい」とする衝動なのだと。このいいかたは唐突であるかもしれない。だが、この衝動が私を駆って、詩におもむかせたことは事実である。詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、「沈黙するための」ことばであるといっていい。もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、このような不幸な機能を、ことばに課したと考えることができる。

「沈黙のことば」などというと、21世紀になった今となってはやや古めかしく響くかもしれない。ましてや石原吉郎に「詩って何ですかあ?よくわかりませ~ん」などというのびのびした問いを平気で発するような人にとっては、この返答はいたずらに勿体ぶって、でも、まあ、そこが詩人っぽいかなあ、という程度の響きしかもたないかもしれない。

 でも、石原の詩への入り口として、これほど的確な説明はない。この問題についてもっと具体的にわかりたいという人は、この選集に「ペシミストの勇気について」という何とも凄いエッセーが収められているので、是非のぞいてみて欲しい(立ち読みでもいいので!)。ソ連でともに収容された鹿野武一という友人のことを書いているのだが、ああした詩の背景にあるものを散文にするとこうなるのか、と思わせる。また、「失語と沈黙のあいだ」という文章には、失語症を自身で体験した石原ならではの、鋭い洞察がある。

失語そのもののなかに、失語の体験がなく、ことばを回復して行く過程のなかに、はじめて失語の体験があるということは、非常に重要なことだと思います。
私は、受刑直前の二ヶ月間、独房で自分自身と向きあうしか所在のなかったとき、ひっきりなしにひとりごとをいうくせがつきましたが、そのとき私は、とりもなおさず、自分自身を納得するためのことばに向きあっていたのだと思います。
私は、ひとりぼっちで混乱のただなかに立たされた人間の立場というものに、痛いほどの関心をもつわけですが、連帯をたち切ってくるのは、かならず向こう側からです。私たちの側からではありません。そして私たちは、向こう側から断ち切られた連帯を、もういちどこちら側からたち切りなおす、という念の入ったかたちで、はじめてひとりぼっちになるわけです。

こうした言葉の端々に、失語と発話の境目を漂うという石原の体験が反映されているのは明らかだろう。もちろん言葉を失うということは、共同体からの隔絶を意味する。それをいわば逆に辿り直す形で書かれる石原の詩の言葉を、我々が簡単にわかってしまうこと自体が、石原を読んでいないということの証拠となるのかもしれない。

 これはなかなかたいへんである。たぶん石原吉郎という詩人は、いきなり原液で味わうのは難しいのだ。そこで最初に読むなら、石原の持ち味を出しつつも、幾分詩という制度に歩み寄ったとおぼしきものから始めるのもいいかもしれない。筆者のお薦めは「耳鳴りのうた」、「夜がやって来る」、「さびしいと いま」など。いずれもすでにあげた作品と同じく、第一詩集の『サンチョ・パンサの帰郷』に収録されたものである。

おれが忘れて来た男は
たとえば耳鳴りが好きだ
耳鳴りのなかの たとえば
小さな岬が好きだ
火縄のようにいぶる匂いが好きで
空はいつでも その男の
こちら側にある
風のように星がざわめく胸
勲章のようにおれを恥じる男
おれに耳鳴りがはじまるとき
そのとき不意に
その男がはじまる

「耳鳴りのうた」

石原の作品のいくつかには、ことさらエコーを響かせるようにして繰り返しが使われているものがある。ここでは「耳鳴り」という言葉がそれだ。石原の言葉は甘くもなく流麗でもないのだが、ずれながら繰り返される「耳鳴り」という言葉は、なんともごちごちした音楽性とともに、あれよあれよと不思議な形で言葉を連鎖させる。イメージが広がるわけでもないし、媚薬めいた雰囲気を嗅がされるわけでもないのだが、くっ、くっ、とたぐり寄せられる感がある。

 「さびしいと いま」という作品は切れ目のない、輪唱のような独り語りで進むのだが、ここでも「さびしい」という言葉が幻聴のように何度も繰り返されて、語り手の乾いた荒れた手で引きこまれる感じがする。

さびしいと いま
いったろう ひげだらけの
その土塀にぴったり
おしつけたその背の
その すぐうしろで
さびしいと いま
いったろう
そこだけが けものの
腹のようにあたたかく
手ばなしの影ばかりが
せつなくおりかさなって
いるあたりで
背なかあわせの 奇妙な
にくしみのあいだで
たしかに さびしいと
いったやつがいて
たしかに それを
聞いたやつがいるのだ
いった口と
聞いた耳とのあいだで
おもいもかけぬ
蓋がもちあがり
冗談のように あつい湯が
ふきこぼれる

「さびしいと いま」

これだって、すっきりわかるかどうか、といえば、わからないと答えるべきのような気がするが、最初にあげたような作品とくらべると、はるかに共同体的な「情」の影がある。そこから呪術的なものがにじみ出している。拒絶に走る一方で、拒絶に走るということ自体が共同体に対する忌避や怨恨やノスタルジアといった働きかけを含んでいるのかな、と思わせる。

 聞き手とのチャンネルを開いたようなこうした作品を、石原がエコーのような繰り返しを通して行ったというのはおもしろい。失語にはいろいろな段階があるのだろうが、失語をへた語り手が、一種預言者めいた高みに登ったように見えることもあるのだ。


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2007年08月13日

『大きな熊が来る前に、おやすみ。』島本理生(新潮社)

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「ライン跨ぎ」

 「他の人はこの作品についてどう言うかな?」というのが表題作を読んでの最初の感想だった。無防備というか、身も蓋もない表現が平気で出てきて、今にも「ヘイヘイ」というヤジが聞こえてきそうなのだ。冒頭など次のような具合だ。
 徹平と暮らし始めて、もうすぐ半年になる。付き合ってすぐの頃に今の部屋へ二人で引っ越したから交際期間もほとんど同じぐらいだ。それでも時々は冗談で、結婚の話なんかも出る。

何なのだろう、この小説っぽくない「ふつう」さは。若い女性による作品だというのに、ぜんぜん洒落てない。だいたい暮らし始めて「半年」というセッティングには、いかにも「はじめて深刻な喧嘩をしちゃいました」的平凡さが漂っている。「付き合ってすぐの頃に今の部屋へ二人で引っ越したから」とか「交際期間も同じ」とか「それでも時々は冗談で、結婚の話なんかも出る」などと聞くと、雑誌などの結婚相談コーナーのがやがやした雰囲気が思い浮かぶ。

 ためしにこの出だしを、次のように書き換えたらどうだろう。

 徹平と別れて、もうすぐ半年になる。いつの間に部屋に住み着いた彼といったいどれくらいの間付き合ったのか、交際期間などというものを語るのが不可能な出口の見えない時間を私たちは共有したのだった。もちろん、結婚の話を冗談まじりにでも話に出す機会などなかった。

少しだけ「小説っぽく」なっただろうか。単に否定的に、曖昧にしただけのことなのだが、ある意味ではこの作品、こんな感じで始まっていても決して不思議ではない内容なのだ。

 でも、やっぱり、出だしはあのままがいい。きわどいラインなのだが全体を通してみると、作者の反小説的前向きさと明瞭さとが、評者にはとても魅力的に思えた。小説を書くなんて、嘘つきのはじまり。そういう土俵に乗って、「この人、嘘がつけないのだ」と思わせるのは意外とたいへんなことだ。ストーリーで嘘をついても、言葉のレベルでは嘘をつかない、そういう際どいラインがありそうだ。

 クライマックス近くには次のような一節もある。

「俺、二度と殴ったりしないから。本当に、もうしないから。約束する」
 こういう台詞を信じようとする私を、たぶん、ほとんどの人は馬鹿だと思うだろう。騙されてるんだ、そんな男はこれからもずっと同じことを繰り返すと忠告されるだろう。
 だけど先のことは分からなくて、今は言葉で、約束するしかなかった。少しでも相手に変わる意志があって、それに付き合う体力と気持ちが私にあるかぎり、付き合い続けたかった。

男の台詞はともかく、それに続く地の文。呼びかけというのか、宣言というのか、所信表明というのか(とくに「今は言葉で」のあとの「、」が大事だ)。語り手がぬっと飛び出してきて、お面をとるとそれが著者で、おじぎをして挨拶までされたような気分になる。ほとんどルール違反に近い。まるで18世紀のイギリス小説のようだ。

 でも、ここの部分もやはり、こうでなくっちゃ、と思う。この語り手は嘘がつけないのだ。ぜんぶ言わないと気が済まないのだ。やれることしか、やらないのだ。

 ストーリーそのものは、まるで心療内科のモデルケースのようだ。保育士の主人公は半年ほど前からある男と同棲している。ふたりとも目立ったところがあるわけではない。派手に振る舞うのは苦手。むしろお互いが相手の不器用さに惹かれて付き合いだしたようなところがある。しかし、ふたりには心の傷というか、どうにもならない不安定な部分がある。主人公はかつて父に虐待を受けた。「悪い子にしていると熊に喰われるぞ」というのが父の口癖だった。幼い主人公は、「じゃあ、なぜ、父は熊に喰われないのか?」などと考えた。そうしてわざと熊をおびき寄せるために、遅くまで起きていたりする。父が熊に喰われるように。自分が喰われてもいいから。

 にもかかわらず、主人公は父と似たところのある男と付き合いだす。そして過去が繰り返されていく。「彼と一緒に暮らすのは、どこか、ゆっくりと時間をかけてお互いを掘り起こしていくような作業だ」と主人公は言うが、それは実際の出来事にもつながっていく。男の暴力。幸福ではない妊娠。やがて男の抱えた何かが少しずつ主人公にも見えてくる。

 精神分析じみた心理解説にはげんなりするもののだが、不思議とこの作品ではそうはならなかった。小説的な迂回や屈曲を飛び越えた一刀両断みたいな書きっぷりも、勢いゆえの冴えを持っている。

帰りの電車を待つホームでそう言った彼の、今よりもずっと渇いた目の感じは、未だに印象に残っている。きっとこの人は子供や動物が苦手だろうな、と思った。そういう無邪気な強い生命力を発散するものの対極にいる人だという気がした。

なかなか冷酷な台詞なのだが(父が熊に喰われてしまって欲しい、などという言葉よりもずっと)、この語り手=主人公はまるで幼い子供のように、ふいにそうした視線で相手をやっつけにかかる。

  よく「手紙を書くようにして書いてみなさい」などというが、たぶん、そういうところのある作品なのだ。語り手の(自分の)言葉に対する信頼の強さについ、こちらも感染してしまう。「あとがき」には、大幅な推敲をへた作品だとあるが、この著者は同じ物語を何度も書き直していく人なのかなとも思った。佐伯一麦のようになればいいのに。

 二つ目の「クロコダイルの午睡」はプロット勝負。三つ目の「猫と君のとなり」は、こんなストーリーなのに楽しめてしまうあたり、著者の力だな、と思った。


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2007年07月13日

『先生とわたし』四方田犬彦(新潮社)

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「怒る読者」

 この本を読んで怒っている人が結構いるそうである。理由は、少しずつ違うらしい。でも、読まされてしまったら負けだよな、という本でもある。何しろ、すごい筆力なのだ。

 本書は由良君美という英文学者を扱った評伝である。東大教養学部で教鞭をとった由良は、イギリスロマン派詩やゴシック小説といった分野では知る人ぞ知る存在で、何より本サイトでもおなじみの高山宏(7月10日の書評で本書を取り上げている)、冨山太佳夫、そして四方田犬彦といった、一時代を画した文筆家・研究者の恩師として知られている。

 しかし、由良には敵も多かった。それは本人の問題によるところもあったのだろうが、1970年代から80年代という時代に日本の人文学が経験した軋みのようなものが、由良という個人に集約的に現れたとも見える。その重圧のもとで由良は身体を壊し、おそらく精神の病をも発症した。

 70年代とは日本では、たとえば構造主義や精神分析といった批評の方法が一部の若手研究者により作品の分析に応用されるようになった時代であった。由良はそのもっとも先端的な実践者だったのである。若き由良の武器はそのアンテナと、おもしろくなりそうなものを見抜く眼力であった。そういう意味では由良は預言者めいたところのある人だった。つまり正確には、「実践者」というよりは「仲介者」。アンテナと眼力とを駆使し、欧米の学問動向に実に機敏に反応することで「広大で魅力的な知の世界が眼前に拡がっているのだ」と学生や同僚に向けてメッセージを発する、それが由良のスタイルだった。

 預言者の常で、その発言は魅力的、刺激的、挑発的だが、同時にいかがわしく、時には嘘も混じる。また預言者には「敵」が必要だった。たしかに70年代には、昔ながらの文学研究を行い、理論に拒絶反応を示す研究者が主流であった。しかし、彼らがみな、由良がときに呪いとともに描写したように退屈で不毛な仕事ばかりしていたわけではない。ただ、そうした「抵抗勢力」を踏み台にして、新派閥が盛んに発信するという構図がメディアの世界を中心に徐々に形を成したのがこの時代だったのである。80年代のニューアカがそうした潮流のひとつの逢着点であった。

 本書に書かれているのはたいへん狭い場所で起きたことである。東大教養学部の学生事情、ゼミの運営、英語教員の間のごたごた。中心部にあるのは、著者四方田とその「先生」たる由良との間に生じた微妙な感情のもつれ、確執、怨念など。著者の知名度を考慮しても、さすがに内輪すぎないか?という気がするかもしれない。しかも、重要な部分は、著者と由良との密室めいた空間の中で、誰にも知られずに発生している。口調から伝わるニュアンス、表情、伝聞、噂など、著者はこのたいへん狭い世界の事情を、独自の推論をたよりに再構成していく。その過程で、語りがその勢いを増していくのに伴い、言葉がフィクションめいた彩に飾られていく。「1968年は東京大学にとって受難の年であった」といった風な文体はともかく、本書の最大クライマックスと言えるエピソードが語られるときの口調には、過剰なほどの芝居がかったマナリズム――ほとんど夢野久作か江戸川乱歩かというくらいの――が見える。


だが少し話が先に進みすぎてしまったようだ。わたしはここで、ある個人的な挿話を記しておきたいと思う。実は正直なところ、これから書こうとしていることはあまりにも微妙なことであるため、筆を向けることをいくたびか躊躇してきたことを告白しておきたい。


こうして抜き出してみると、その大げささばかりが目立つし、本書に怒った読者の少なくとも一部はこの辺が気に入らないのかもしれない。が、本文を通読してこの箇所にくると、もうとても本を投げ出すことができない、そういう力が働くのである。怒りつつも読んでしまう。

 なぜ、読みやめることができないのか。それはこうした部分へ至る過程で、実に緻密に細部を積み重ねた歴史語りがなされるからである。とりわけ哲学者として出発しながら神道研究にいれあげた父哲次をめぐる記述は圧巻である。ドイツ留学中にはカッシラーにまで師事した哲次は、戦時中は皇国思想にいれあげ、出版業に転ずるも貧乏生活に陥る。その後土地投機で莫大な金を手に入れるが、それをあっさり古代史研究機関に寄付してしまう。君美の向こうにそびえるこの父は、その野心においても、実行力においても、またその無惨な敗北においても、君美よりも一枚も二枚も上手だった。この父の存在が、本書の語りに「歴史」のなまなましさを呼びこんでいるのはたしかだ。

 しかし、である。やはり、本書の肝を成すのがたいへんプライベートな話であるのは間違いない。これほどプライベートなことを語るなら、ひとりの人間の内輪性を越える何か――普遍性とでもいうべきもの――がこの書物の対象、すなわち由良君美に備わっているのか?それがこの本に表現されているのか?といった問いも当然浮かぶ。果たしてどうか。

 筆者(つまり私ですが)はこの問いに答えることはできない。なぜなら筆者もまた、この本を読んで怒っている多くの読者と同じく(ただし、筆者は怒ってはいないのだが)、由良君美を間近に体験してしまった一人だからである。

 筆者の個人的な感想を言わせてもらうと、由良君美というのは見るからに不思議で、意味ありげで、おそろしげで、でも、まるきりインチキであってもおかしくないような、ひょっとするとすごく弱い部分を抱えていそうな人物であった。少なくとも、正しいことをするとか、高潔だとか、あるいは英語ができるとか、論文が立派だといったことがどうでもよくなるような、有無を言わせぬ存在感があった。本書のクライマックスの近く、泥酔した由良が四方田氏に「今度は君の得意な場所に連れて行ってくれたまえよ」というセリフを吐くシーンがあるが、これが、いかにも、いかにも、由良先生(と言っておくが)の発しそうな言葉なのである。この慇懃で、いかがわしくて、気取っていて、どこまで本気なのかわからない、まるで怪人二十面相みたいなセリフを平気で口にできるのが由良君美という人だった。

 筆者は大学一、二年のときに由良ゼミに参加した。一九八五年から八六年にかけてである。当時は七〇年代のような選抜試験などなく、参加者も一〇人から二〇人。ゼミにはちょうどいい人数であった。ただ、ゼミに参加し続けたのは、由良先生の怪しさに耐えられる、つまり本人もある程度怪しいか、怪しいものが好きか、あるいはものすごく鈍感か、いずれかであったと思う。先鋭な知的集団、というよりは、もっと同好会的な雰囲気があった。

 そうした中で由良先生が時折発せられた「ぼくのオヤジは横光の親友でね、うふふ」とか「オヤジはカッシーラに指導されたんだよね」といった、嘘かホントかわからないセリフに、当時の私はあさはかにも「まさかね」と疑いを抱いていたのだが、それが本書で緻密に実証されていく様を読むのはほんとうに爽快である。ただ、由良先生の発する独特のいかがわしさに巻き込まれるようにして、由良先生をめぐる噂が増殖していたのも事実で、黒メガネにマントを羽織って学内を徘徊している、といったことがまことしやかに囁かれるなどということもあった。『先生とわたし』もまた、そうしたいかがわしさと無縁ではないように思う。

 印象的だったのは、ゼミの中でときおり由良先生が急に「ふつう」になって、ポイントを射抜くような発言をされる時のことであった。何重にも煙幕を張ったようなふだんの伊達者風の態度とは対照的に、実に効率的で、冷静で、正確になる。筆者自身の発表にいただいたコメントの鋭さには、傲慢な言い方かもしれないが、「この先生はほんとに頭の良い人だ」と思ったものである。このギャップがまた不思議だった。当時、由良先生はテリー・イーグルトンとイルカ語に凝っていた。イーグルトンの方はさっそく『文学とは何か』というタイトルで翻訳されたばかりの本を図書館で借りたものだが、イルカ語の方はどうなったのだろう。

 本書について怒っている人の多くは、おそらくその記述の微妙な不正確さや曲解、語り口などに不満を持っているのだと思う。筆者も「あ、これはちがうな」と思う箇所がないではない。ただ、そのあたりをいちいち指摘して怒れる読者のひとりになるよりは、由良君美という実に不思議な人物の世界が、どんな形であるにせよ、ひとまずは一定の形を与えられたことを喜びたい。


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2007年06月27日

『めぐらし屋』堀江敏幸(毎日新聞社)

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「ですます調の小説とは?」

 この小説、主人公の名が「蕗子(ふきこ)」という。相当な名前だ。加えて作中ではいつも、蕗子さん、と呼ばれている。こうなると作品そのものが名前と一体化して、言ってみれば「蕗子さん小説」というような相貌を呈してくる。


 「蕗子さん小説」とはどんな世界だろう。少なくとも人々が蕗をちゃんと「これは蕗だね」と認識しながら食べるような世界。年がら年中雨が降っていそうな世界。豆大福を井戸水で入れたお茶でいただくような世界。ひょうたん池とか、造り酒屋といった目印が点在し、日吉町なんていうどこにでもありそうな地名がひょいと出てくる世界。


 いや、背景だけではなく、プロットの上でも「蕗子さん小説」は持ち味を発揮する。蕗子さんは小学生の頃、学校に用意された古めかしい、大振りの黄色い置き傘を偏愛していたという。

蕗子さんは、置き傘を使わせてもらえるよう、朝のうちきれいに晴れていて、下校時にだけ、すぐにはやみそうにない適度な雨が降るのを心待ちにするようになったのだが、なんということか、卒業するまでついにそんな日は訪れなかった。昼から降りそうだと予報があったときには、心配性の母親がかならず自傘を持たせるようになったからだ。なにがうらやましいといって、備えつけの黄色い傘を差せる幸運に恵まれた女友だちほどうらやましかったことはない。

このもじもじするような、受け身で、いじらしくて、周りのみんなも心配性で、でも自分にはすごいことはぜんぜん起こらない、事件はいつもちょっと離れたところで静かに起きている、というのが「蕗子さん小説」の世界なのだ。


 何しろ蕗子さん、薄皮の和菓子を食べるといつも、拾ってきた仔猫のお腹に鼻先をあてたらちょっとだけ噛んでしまった幼い頃の感触を思い出し、躊躇するような人なのである。年がら年中体調は悪い。血行が悪くて、元気がなくて。よくこれで小説の主人公がつとまるな、というほどだ。傘を偏愛するのももっともで、全体に低気圧というか、雨が降っている感じの人なのだ。だから、雨が降って欲しい、と思ったりする。


 実は筆者はこういう主人公が嫌いではない。小説自体、蕗子さんの血行の悪さをなぞるようにして、ちょっとだけ噛んだ仔猫のお腹の感触を思い出すようにしながら、うっすらとつながりつつ展開していく。静かに耳を傾けないと話の行方を聞き逃してしまいそうになる。


 ストーリーの鍵は、タイトルにある通り「めぐらし屋」である。
 父と母はよく分からない理由で静かに「離別」した。父の死後、蕗子さんが父の住んでいたアパートを訪れると、小学生の蕗子さんが描いた傘の絵を表紙の裏に貼り付けた父のノートから、思わぬ過去が明らかになる。ノートには「めぐらし屋」とある。なんだろう?と思っていると、ちょうどそこへ電話がかかってくる。「めぐらし屋さん、ですか?」との声。


 ちょっとおとぎ話チックな展開だ。メルヘンの匂い。蕗子さんには、小学生とおばあさんとを足して二で割ったようなところがある。そういえば、子供とおばあさんはおとぎ話の常連だ。小説家はそんな蕗子さんに対して、やさしく丁寧で、礼儀正しい。どこかで児童文学のロジックが働いているのだ。主人公が言って欲しくなさそうなことは書かれない。書かれないけれど、こちらは読む。たとえば幼い頃の思い出の中で、父と母の関係は次のような絶妙の描かれ方をする(この小説のベスト描写の一つ!)。レストランで、蕗子さんが名前にひかれてロイヤルミルクティを頼み、その濃厚な味に感激。一方、母は「オレンジエード」を注文したのだが熱いオレンジジュースが出てきて、店員に抗議したところ「うちのエードはホットでございます」と言い返されるという下りだ。

ロイヤルミルクティをつくるたびに、蕗子さんはあのときの母の顔と、それをまったく意に介さず、たばこを二本、三本とつづけて吸いながらコーヒーを飲んでいた父の横顔が思い出される。あのころ、父と母はどんな会話をしていたのだろう。家族三人で出かけているのに、さほど楽しそうな雰囲気ではなかった。父はひとりで遠出をすると「ハイライト」の予備を何箱か持って行ったのだが、母がいっしょのときはハンドバッグに未開封のものをかならずひと箱入れさせていて、それが母の機嫌を損ねていた。まるでわたしがたばこを吸ってるみたいじゃないですか、と母は不平を言っていたけれど、蕗子さんはあの空色のパッケージが好きだったので、封を切らなければ飾りとして鞄に入れてもいいと思っていた。

未開封のハイライトの行方が、この家族の有様を一気に照らし出し、思わずしみじみする場面だ。「めぐらし屋」と題されたノートの記録をもとに娘は、父の知られざる生涯を再構築していく。そういう探偵めいた作業がこの小説のメインストーリーなのだが、ミステリーの落ちよりも、元気がないわりに運と生命力とはあるらしい蕗子さんの、ひょいひょいと軽い鼓動を打つような心臓のリズムが心地よい。


 実に丁寧で、気遣いに溢れた小説だ。「蕗子さん小説」とは、別の言い方をすれば「ですます調の小説」である。だから、蕗子さん、なのだ。ですます調でないと表現されえない何かがここにはある。ふつうの小説を中華鍋に喩えるとすると、その強い火にあてたらこわれてしまいそうな人間の善意や弱さや切なさを、味が壊れないような、ささやかな火で燻るように料理する小説があってもいいのかもしれない。そこでは皮肉で風刺的な小説とは逆に、思わぬ出逢いや、嬉しい親切があっても、まあ、いいじゃないか、ということになる。


 この小説を読むのに向かないのは、落ちがないと気が済まない人、比喩が嫌いな人、小説は悪意だぜ、エグミだぜ、と確信している人、傘だの靴だの鞄だの、どーでもいいと思う人、とにかく雨が嫌いな人、蕗なんか食べたことも、見たこともない人、要するに蕗子さんがあまり好きではない人である。そういう人には勧めません。


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2007年06月09日

『記憶する水』新川和江(思潮社)

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「根をはる語り」

 詩にはいくつかの書き方がある。
 日本の現代詩は、しばしば「詩なんか書いてませんよ~」とそっぽを向くようにして書かれてきた。こうなると読者の方も、「付き合いづらいなあ、」などとはじめから思う。付き合う前から、絶交しておくようなものである。


 「詩なんか書いてませんよ~」みたいな詩があってもいいと筆者は思う。詩人はどんどん、いじければいい。ひねくれ、ねじれればいい。でも、たまにはそうでもない詩も読んでみたいなと思うことがある。堂々と詩であることを引き受けるような詩。「私は、どうしたって私なのです」と宣言して、そのまま根をはってしまうような、照れや韜晦とは無縁の詩。


 新川和江は昔からそういう詩が書ける人だった。特に『土へのオード』、『火へのオード』、『水へのオード』といった一連の詩集は、ごく当たり前の日常を語りに巻き込んでも、まったく足腰のぐらつかないような、屈強な土台を感じさせた。しかも世界から、いつ何時旅立とうかという浮力なようなものがある。ちょっと、神秘への夢を感じさせてくれる。


 『記憶する水』は七〇代の後半に差しかかった新川の最新詩集である。冒頭の作品「遠く来て」の、出だし部分が素晴らしい。

一滴の水をもとめて

遙かなところからわたくしはやって来ました

ようやっと辿りついた大河には

多くの生命体がむらがり

両岸には大都市が繁栄していました

欲望に膨れた腹を剥き出しにした水死人が

浮きつ沈みつ流れてゆくのも目にしましたが

わたくしは尚 一滴の水にかわく者です

「私は~です」と宣言するのは、近代の詩の今ひとつの典型だろう。そんなこと、詩でないとなかなか言えない。でも、あらためてこうして言われると、もっと言って欲しかったのだなあ、と思わせる、そういう懐かしい響きがある詩だ。

 「ですます調」が効いているな、と思う。そういえばこの詩集、「ですます調」の部分は全体に饒舌だ。詩人は巫女のように、雄弁に天地を語る。地雷のことだって、語ることができる。

わたくしの踏むひと足ひと足を

土は鷹揚に受けとめてくれました

今 わたくしが立っているこの土がそうです

走ってゆく子供の脚を無惨に吹きとばす

悪魔の球根などではなく

柔らかな緑の芽をふく種子だけを蓄えている土

生ききってやがて地に崩折れるわたくし達を

そっくり抱きとってくれる あたたかな土です

揺るがないのだ。自分で自分の言ったことに酔ったりしない。長く書いてきた人ならではの、乾いた粘着力のようなものがある。

 「ですます調」の詩ばかりではない。たとえば、同じく水を語る表題作の「記憶する水」。

水には記憶する能力がある という

それはたしかなことだ

雨あがりの濡れた芝生に立ち

道のほうを見るともなしに眺めていると

庭下駄をつっかけた素足の

つま先や踵から這いのぼってきた湿気が

― おとどの牛車は

  今しがた こちらを気にしいしい

  素通りして行かれましたよ

などと言う

こちらはぐっと物静かで、ノスタルジック、内省的。でも目指すところは同じではないだろうか。「私は~」から出発して、水や土を媒介に、世界全体と交信するような飛躍をうかがっている。荒っぽいような野心。手際が良い悪いというより、どんどん語っていく勢いに押される。

 新川は2000年に全詩集を刊行した。その刈田に芽生えた蘖(ひこばえ)がこの詩集だという。哀悼の詩もいくつか。確かに「死」はずっと念頭にあるようだ。だからこそ、生まれ変わって土や水や骨になる、という幻想に生気がこもるのかもしれない。


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2007年05月31日

『森有正先生のこと』栃折久美子(筑摩書房)

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「悪役は誰だ?」

小説家の勝負所は、いかに悪役を描くかにある。考えてみて欲しい。小説の登場人物に「ほんと、いい人だなあ」などと感動することなどあるだろうか。「こいつ、ほんと嫌な奴だなあ」と感心することの方がはるかに多いのではなかろうか。・・・と言った途端、「え、そうですか?たとえば?」と突っこまれたら、一瞬躊躇してから筆者は――小説などよりも――真っ先にこの『森有正先生のこと』をあげるだろう。



 著者の栃折久美子さんは有名な装丁家。元々は筑摩書房で編集者をしていた人である。ちょうど編集者を辞めるという時期に、栃折さんは哲学者の森有正と運命的な出逢いをする。それから森有正が亡くなるまでの約十年、ふたりは何とも奇妙なつき合い方をした。


 森有正は実にわがままな人だ。気分屋で、神経質で、予定の急な変更も得意。終始マイペースで、そのたびに周りの人間に迷惑をかける。でも、いつの間にその「迷惑」を浴びる中心に、栃折さんがいた。こういうのを恋愛などという陳腐な言葉で表していいのかわからないのだが、自分の中の熱いものを持てあますようになる栃折さんは、恋愛特有の毒素のようなものに満ちている。


 象徴的な場面がある。
 知り合って一年目の秋、栃折さんは二ヶ月以上に渡りヨーロッパ旅行をした。パリでは森有正とも会う。とりたてた出来事があるわけではない。食事をし、会話をする。森は自分の日記に、「日本から栃折さんという修道女が来た」などという書き方をする。そして帰国。栃折さんは森に、まず礼状を書く。が、それから、もう一通手紙を書いた。これが何の手紙だかよくわからないのである。でもこの箇所には、つまり栃折さんが自分の手紙の内容を振り返って語る一節には、栃折さんという人の性格がたいへんよく表れ出ている。


本を読んで「感動」するということは、その著者を直接に知らなくても、それは頭だけのことではなくて、身体全体のものだから、以前の手紙と本質的には変わらないと言うこともできる。けれども、この時書いた手紙には、それまで決して使ったことのない「ハンドバックと寝間着だけ持ってパリに行きの飛行機に乗ってしまいたい」などという、いささか物騒なことを書いたのは事実である。読者の立場をはみ出して、情理の失調状態を、はじめて著者に打ち明けた、と言わなくてはならないだろう。

 「事実である」「情理の失調状態」「と言わなくてはならないだろう」
 は?という感じがする。仮にも、いよいよこのふたりの関係がのっぴきならないものになろうか、という際どい場面である。熱いものに突き動かされ、栃折さんはジャンプしたのだ。どうやら手紙で何かを言ったらしいのだ。

 でも、栃折さんは頑な語り口を変えずに続ける。

 その一方で、木下さんの『ドラマとの対話』に書かれていたcreateするということを、前に木下さんに手紙を書いた時の五倍も強く感じている、という一節もあって、二重の構造になっている。書いても書かなくても同じ手紙なのだから、返事はいらないし、今年の夏は、去年、一昨年のように、何度も会って親切にしてくださらなくていい、とも書いた。

 正直言うと、はじめに読んだとき筆者は、この箇所、何のことかよくわからなくて、あらためて何行か戻って読み直したものである。「二重の構造になっている」と栃折さんが言うものは、栃折さんと森有正との、恋愛に限りなく近い関係の、そのもっとも痛切な部分について何かを語っているはずなのだ。

 翌年、約十ヶ月ぶりに栃折さんは森有正と再会する。ここがまたすごい。再会した栃折さんが手にしたのは、踵のすり減った森有正の大きな靴であった。駄目になってしまったから、新しいものを買ってきて欲しいとのこと。栃折さんはその片方の靴を家に持ち帰り、翌日、馴染みの靴屋から四足ほど見本を借りきて、ホテルの森有正を訪れる。「どうなさったんですか。そんなにたくさん」というのが森有正の第一声だった。そして、よりによってこのタイミングで、十ヶ月近く前の手紙のことを森有正は言うのである。手紙は燃やした。返事は書いたが、会って話した方がいいと思って結局投函しなかった。勝手にひとりでやっていきたい・・・そんなことだった。


 もちろん、これは終わりではなく、始まりであった。四足の靴を抱えて、小間使いのように扱われている栃折さんからは、すさまじい念力が出ているのだ。


 『森有正先生のこと』。何という慇懃なタイトルだろう。もちろん、「嫌な奴」なのはそうやって祭り上げられている森有正ではない。栃折さん自身だ。こういう人、身の回りにいません?じっと見ている人。相手ばかりにしゃべらせる人(栃折さんはふたりの会話を描くときも、森有正のセリフだけ抜粋するのだ)。下僕のように振る舞うけど、プライドは人並み外れて高い人。自分の感情にはロックをして、もの凄い力で抑圧している人。ぜったいに人前に裸などさらさない人。どもる人。舌足らずな人。何言ってるのかわからない人。でも、実は、よ~くわかっている人。しかも、恐ろしいような念力を発している。森有正も、どうやら、その餌食となったのだ。こういう魅力はタチが悪い。こんなに「嫌な奴」なのに、妙に可愛らしく、可憐に見えたりするのだから。



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2007年05月23日

『ひとり日和』青山七恵(河出書房新社)

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「あたし小説」

 典型的な「あたし小説」である。
 「あたし」はかつての私小説の「わたくし」のように悲惨でもなく、偉そうでもなく、重くもないのだが、なぜかそのまわりからはふわふわと物語が発生してしまう。むろん、「あたし」であるからにはオンナが語り手なのだが、オンナというものは(たとえば筆者を含めて)男の中にも住んでいるから、誰にとっても人ごとではない。誰でも―あんちゃんでも、おっさんでも―「あたし」な気分になりたいときはある。「あたし小説」はこちらのそういう心理にヒットする。

 「あたし小説」の主人公はだいたいは少しだけ可哀想だったりする。お金がない、とか。男運が悪い、とか。好きな野球チームが弱い、とか。そういうわけで、「あたし小説」の見せ場はたいがい、男にひどい目に合わされる場面となる(でも、ものすごくひどいわけでもない)。『ひとり日和』の中で、思わず「おっ」と筆者が身を乗り出したのも、主人公のカレ氏である藤田君が「俺、しばらく来ないよ」と切り出すところだった。
 

わたしは聞かないふりをする。昆布茶の入ったマグカップをふうふうと吹いている。
「チー。聞いてる?」
「聞いてなあい」
「聞いてるね」
 藤田君は、鼻で笑った。その笑い方にわたしはひるんだ。知らない、恐い人のように見えた。
「もう、しばらく来ないつもり」
「……」
「ということで」
「なんで」
「まあ、いろいろ」
「なんなの」
「だから、いろいろ」

「聞いてなあい」なんてセリフ、芸が細かい。「知らない、恐い人のように見えた」というあたりには、昔ながらの小説作法をしっかり押さえた「目」がある。そして「ということで」とまとめようとする藤田君の、なんというか、図々しさがいい(もちろん、藤田君がいい人だ、という意味ではない)。

 「あたし小説」の読み所は、どうでもいいようなふらふらした自分の気持ちに、いちいち語り手がつまずいてしまう危うさだ。

 いつの間にか、執着心が生まれている。このねばねばした扱いづらい感情は、喜ぶべきなのか、嘆くべきなのか。

…なんて、ことをいちいち語り手はつぶやいてみせる。私小説だとこうはいかないだろうな、と思う。オトコというのは、人前では無口なくせに、文章となると大声になるのだ。

 この『ひとり日和』はたいへんいい小説で、青山七恵、もっと読みたいな、と思わせるのだが、電車の中で読めるようなこのふわふわした感じを維持するのは意外とたいへんだろうな、とも思う。それに長編となると話は別だ。ほかに「あたし小説」がうまそうな作家は何人か思い浮かぶが、その中でもちょっとひねりと毒のある大道珠貴とか絲山あき子といった書き手を、筆者はとりわけ応援している。

 なお、芥川賞の選評で「盗癖の描写がいい」というのがあったが、そこはこの小説の、あれこれと仕組んである感じがやや強く出過ぎて感じられたところで、筆者はどうかなあと思った。


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