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2012年12月24日

『ことり』小川洋子(朝日新聞出版)

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「怖い声が聞こえる」

「ことり」とは「小鳥」のことだが、平仮名になっていると擬音語の「ことり…」も連想されるだろう。さらに作品の後半では、ある禍々しい意味がちらっと示される。私たち読者は早くこの胸騒ぎから解放されたいのだが、実はこうした胸の不安と付き合い続けることもこの作品では大事になる。

 やさしいのか怖いのかわからない作品世界は小川洋子の得意とするところだ。この小説も冒頭からして、ただならぬ気配を漂わせる。何しろ、最初に登場するのは死体なのである。しかも、どうやらこれは主人公の死体。死体の検分からはじまるミステリー臭いっぱいの世界が、歯切れの良い、緊張感に富んだ語り口で描き出される。

 それで、どきどきしながら身構えていると、予想に反して殺人はおこらない。怨念や悪意ともあまり関係がなさそう。どちらかというとおだやかな善意に満ちたような、やさしい眼差しで児童たちを見守るような牧歌的な風景が広がってくる。ただ、やさしさとはいつもどこかで隠蔽的なもの。私たちは表面の平穏さの向こうに、何かただならぬものがあるかもしれないと感じ続ける。

 主人公は通称「小鳥の小父さん」。もちろん、生まれたときから「小父さん」だったわけではない。でも、その幼少期もあくまで「小鳥の小父さん」のそれとして小説中では語られる。つまり、彼は早くから、「小鳥の小父さん」というくすんだ匿名性を背負わされることを運命づけられているのである。

 小父さんには七つ年上の兄がいた。その兄が、ある頃から、皆にわからない言葉でしゃべり始める。彼自身が編み出したまったく独自の言葉である。しかし、なぜか弟である小鳥の小父さんにだけはその意味がわかる。小鳥の言葉に近いもののようだ。周囲の社会はこの兄弟とは距離をとる。やがて母は病死、父も不思議な死に方をする。だから小父さんはひとりで兄を守らなければならなかった。言語として認定されない兄の言葉に、彼だけが耳を傾けるのである。

 作者はこの展開を「悲劇」として描いたりはしない。微量のアイロニーがこめられているにせよ、全体としてみると密集が静かにほどけていくような穏やかさなのである。それがかえって胸騒ぎを呼ぶ。胸騒ぎと、戦慄と、哀感の混じったものだ。こんな微妙な配合を表現できる小説はそうない。

 やがて兄は唐突な死を迎えるが、兄は小父さんの人生に大きな足跡を残した。小父さんはその残されたものを追想し、反復するように生きていく。物語がほんとうに始まるのはここからである。小父さんが、紛れもない「小父さん」の年齢に達したところから、つまり、少年時代も青春時代も遠く過ぎ去った中年後期になって、小父さんにはほんとうの人生が訪れるのである。ほのかな恋心。あやしい出会い。そして嫌な事件。クライマックスも含めて、いずれも鍵となっているのは小鳥との交流である。

 この主人公はどうしてこんなに匿名的なのだろう、と読みながらやっぱり気になる。彼は主人公でありながらつねに「聞く人」だった。聞く人であり、読む人であり、見る人。しかし、図書館の司書に淡い気持ちを抱き、公園で不意に人に話しかけられたりする中で、そんな居心地のいい「聞く人」としてのアイデンティティが揺さぶられる。彼はいつの間にか紛れもない〝主役〟として立ち上がっているのである。そんな事態を秀逸な会話で示す場面がある。小父さんはかねてから断続的に頭痛に悩まされていたのだが、それを抑えるために両方のこめかみに小さく切った湿布を貼っていた。本当に効いているのかどうかわからない、しかも、そんなものを貼ったために皮膚が傷んでじくじくになっているのだが、いつしか小父さんは湿布を貼ったまま外にも出かけてしまうようになる。すると、そんな小父さんを目にとめ、話しかけてくる老人がいた。

「君」
 最初に声を掛けてきたのは老人の方だった。
「ここに、何かくっついているよ」
 老人はむくんだ指先を小父さんの方に向けてきた。思いがけず力強く、勢いのある声だった。
「あ、これは……」
 こめかみに手をやって小父さんは答えた。
「湿布です。頭痛をとるための」
「そうかね」
 老人は改めてしげしげとこめかみのあたりに目をやった。
「似合っているな」
 黒目は濁り、涙袋が膨れ、目尻には目やにが溜まっていた。
「そうでしょうか」
「うん。ちょっと気の利いた、装身具のようじゃないか」
 彼が喋るたび、額の皺がそれ自体別の生き物であるかのようにうごめいた。老人は再び傘の柄に手を戻した。
「はい」
 どう答えていいか分からず、小父さんは今朝貼ったばかりでまだ薄荷のにおいが残る湿布に、人差し指を這わせた。(158-59)

 小父さんはこうしてはじめて、自分が自分であることを「似合っている」と他人に認められるのである。しかも、よりによって頭痛を抑えるためのあやしげな湿布のために!

 この老人をはじめとして、小父さんと出会う人物たちはたいてい謎を残したまま消えていく。死んでしまう人もいる。図書館司書など、実はほんとうは小鳥だったのではないかという儚さを残して忽然と消滅する。でも、この小説は、ふわふわしたファンタジーがときに引き起こす「どうでもいいよ」という感じは読者には抱かせない。何だかどうでもよくない気がするのである。

 それはおそらくこの小説のところどころに〝怖い声〟が聞こえるからではないかと思う。〝怖い声〟というのは、威圧的だとか恐怖感を引き起こすという意味ではない。思わず「何でそんなことを言うのだろう」と思わせるような、でもなぜか深いところまで射貫くような比喩やコメントが、さりげなく挿入されているのである。たとえばお兄さんが独自の言葉を語るようになってからのこと。ようやくその言葉を少しだけ理解するようになった母親が、つい、意味を間違えてとってしまうことがあった。

 小父さんもお兄さんも、母親に向って「間違っている」とは言わなかった。どんなに形の違う小石でも、一緒にポケットに入れておくうち、不思議と馴染んでくるものだとよく知っていたからだ。(27)

「小石」は唐突な比喩だ。でも、よくわかるような気がする。そして、そんなふうにこちらをわからせる声が、何だか計り知れないもののように思えてくる。小父さんと親しくなった司書の女性との間でかわされる会話の中でも、気になるセリフがある。小父さんが図書館に入りびたって、鳥にかかわる本を読みふけっているのを見て司書がこんなことを言う。

「司書にはわかります。その人がどれくらいその本に夢中になっているか」
「そうですか」
「私、本を読んでいる人を眺めるのが好きなんです。自分で本を読む以上に」

 自分で本を読む以上に、本を読んでいる人を眺めるのが好きなんてことがあるだろうか。でも、きっとこれは一種の比喩なのだ。比喩だとは名乗っていないし、何を比喩しているのかもよくわからないが、どこか遠くの方を指さす言語なのである。

 こうした一連の言葉は、その唐突さゆえに、その洞察力ゆえに、読者にとってはどこか〝怖い声〟に聞こえる。そしてその声が、ところどころでこの小説を引き締めるのである。単なるアイロニーや、教訓ではない。得体の知れない透徹した視線の、その不思議な真実らしさが〝怖い〟のである。それがとりわけ強く出た一節を最後に引用にしよう。小鳥の小父さんがどんな人なのか、すごくよくわかる、と思わせる一節である。

 老人が処女の脂を虫箱に塗っていたように、小父さんは自分の頭に湿布を貼った。薄荷のにおいが鼻から鼓膜へたどり着き、ほんの少しだけ傷みの振動を和らげてくれた。湿布を貼ると目をちゃんと見開いていることができず、普段にも増して顔がうつむき加減になり、視界が狭まった。自転車で町を走るときも、スーパーで買い物をする時も、公園のベンチに座っている時も、自分の足先を見ている時間が一番長かった。自分の足先がどんな形をしているか、目をつむっていても詳細に思い描けるほどだった。(205)

 見ているのは小父さん自身の目ではない。外側から、小父さんの様子を目撃している誰かがいる。聞こえるのは、その「誰か」の声だ。ちょっと怖いけれど、なぜだか少しだけ、ほっとさせる声のように筆者には聞こえるのである。


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2012年12月14日

『評伝小川国夫 ― 生きられる〝文士〟』勝呂奏(勉誠出版)

評伝小川国夫 ― 生きられる〝文士〟 →bookwebで購入

「作家と失敗」

 文学研究について不安を持つ人は多い。いったい何を「研究」するんですか?と。文学ってそういうもんじゃないでしょう?と。でも、そうでもないのだ。文学についてあれこれ知的探究をすることは十分に可能なのである。ただ、その領域があまりに広い。つねに拡大している。変化もしている。下手をすると見逃しそうな微妙な部分もある。

 本書は文学研究という広大な領域のひとつの極みを示したものである。「評伝」という独特な分野の、その味わいがよく伝わってくる。評伝が他の研究スタイルと違うのは、「人」としての文学者を相手にするというところだ。何しろ人が相手だから、そこには文字通りの〝お付き合い〟も含まれている。しゃべったり、行動をともにしたり。場合によっては励ましたり、ともに喜んだり、悔しがったり。そしてもちろん死を悼んだり。

 本書の著者も小川国夫とは三〇年の親交があり、その遺稿整理は現在続行中。その過程で作家の未発表小説を発掘、刊行もした(『俺たちが十九の時 ― 小川国夫初期作品集』)。この評伝は作家の生前からなんとなく念頭にあったものらしいが、その訃報に接し、万を辞するかのようにして本格的な構想が始まった。

 そういう意味では、ここで行われているのは勝呂奏という研究者と作家小川国夫との間の、人と人との交流なのである。しかし、読者のはじめの印象はやや違うかもしれない。何しろ、表だって著者が登場する箇所はごく限られているし、個人的な感想や文学的な解釈さえもが封印されているかと見える。自身の小川像を描いてみせるよりも、ごく控えめに「全著作の簡易な事典の代わり」にならんとしたと著者は言う。たとえば評伝の傑作と言われる阿川弘之の『志賀直哉』などは、著者と対象作家との具体的な関わり合いが読み所にもなっている。阿川自身の何ともくつろいだ語り口に魅了されるうちに、いつの間にか志賀直哉という人物とじかに接しているかのような錯覚を抱く。『評伝小川国夫』の書きぶりは、そうした〝著者参加型〟の評伝にくらべるとかなり禁欲的に見える。

 しかし、本書を通読した読者は、おそらく勝呂なりの付き合いの作法のようなものを体験するはずである。小川国夫の書いたものはすべて読みつくし、一字一句賞味し、のみならず小川の置かれていた環境にも精通し、小川作品の掲載された刊行物の全体にも目を通し、むろん書評や評論に表れた小川へのコメントはすべて採集する。論ずるよりも客観的な記述に徹するという方針だったと著者は言うが、これだけ禁欲的なアプローチだからこそ、逆に浮かび上がってくるものがある。

 筆者がとくに印象づけられたのは、小川国夫の「負」の部分の描出だった。幼い頃の疫痢に始まり、肺浸潤、ノイローゼ、自殺願望と青春期に至る小川にはつねに肉体的精神的な失調がつきまとう。ヨーロッパでのバイクを購入するも、小説の題材にもされているようにしばしば事故を起こし怪我もしている。

 勝呂がそうした事例を選択的に記述しているというわけでは決してないのだが、小川のそんな負の部分を見つめる著者の目にこそ、この評伝の軸足があるように筆者には思えた。小川国夫といえば、曲がりなりにも昭和の文学史に名前を刻んだ作家の一人とも思えるが、勝呂が描き出すのは決してきらびやかな成功物語ではない。はじめて出した私家版の小説はまったく売れず、活字になった作品が簡単に名声を得たわけでもない。たしかに島尾敏雄が『朝日新聞』の「一冊の本」欄で『アポロンの島』をとりあげたことによる文壇デビューは劇的なものだったが、その後の道も決して平坦なものではなかった。川端賞を受賞した「逸民」にしても、そもそも「新潮」にこの作品が掲載されるまでに二回ほど前の作品がボツになっている。長篇の完成もなかなかうまくいかない。もちろん小川本人の、自身の原稿に対する厳しい姿勢もあるのだが、とにかく作家と先輩作家や同人誌、出版社との関係を丁寧にたどりながら勝呂が示すのは、書く事をめぐって刻苦勉励をつづけた小川の、苦闘の痕跡である。そのような視点の背後にあるのは、あえて明瞭には書かれていないが、しかし、その抑えた筆致のあちこちからしみ出してくる、勝呂の小川に対する深い敬意だろう。とりわけ小川の背負った重荷や突き当たった壁に対する敬意。

 副題にもあるように、小川国夫は「文士」という昔ながらの称号がかろうじて通用した世代の作家である。実際、彼のたどった人生は、まるで先輩作家のたどった航跡をなぞるかのように見えなくもない。経済的に恵まれた家庭、青年時代の精神的危機、上京、大学、放浪。小川の敬愛した志賀直哉を典型にこうした世間一般から見れば「いい気なもんだ」と言われそうな文学者の生き方は、ある時代まではその超俗性ゆえに華麗にも見えただろう。しかし、それを華麗に描き出してしまったのでは意味がない。つとめて昔ながらの文学幻想とは距離をおきながら、しかし、なおかつ「文士」という概念にこだわることで作家の持つ文学への執念のようなものを浮かび上がらせる。記録に徹すると言いながら、なかなか深いたくらみを持った評伝なのである。


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