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2012年07月18日

『岡崎京子の仕事集』岡崎京子著 増渕俊之編(文藝春秋)

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「中高年でも入門できます」

 ご多分に洩れず、筆者も『リバーズ・エッジ』を起点に〝岡崎めぐり〟を始めた男性読者の一人である。いや、小学生の頃はそれなりの漫画読みとして鳴らしたつもりだが、中学から入った寮が「漫画禁止」&「見つかったら即没収」という野蛮な環境で、その後の6年間のブランクのために漫画の読み方をすっかり忘れてしまったのである。大人になってから、勧められるままにいくつものタイトルを手にとってみたものの、どれも今ひとつなじめなかった。まさに失われた漫画的青春である。

 岡崎京子の作品はそんな漫画音痴にたいへんやさしかった。筆者は漫画のコマをつい読み過ぎる癖があるのだが、うろうろしていても「別にいいよ」と言われている気分になる。コマの流れの拘束がきつくないというのか。その一方で、セリフや展開に毒があってひねりが効いているので、活字偏重になりがちな目でも作品の中に入っていきやすい。

 『へルタースケルター』映画版公開に合わせて刊行された本書は、遅れて来た岡崎入門者にとっては便利な一冊となるだろう。前半部には「全単行本解説」がたっぷりと載せられ、『リバーズ・エッジ』の次はどれを読もうかと迷っている中高年読者にも助けになる。

 ちなみに、この「解説」にはよく見るとちょっとびっくりするところがある。この手の本にしては、なかなか厳しいのである。「いささか散漫なムード」、「まだまだ粗さが目立つ」、「「時代の風」になびきながら描かれたものばかり」、「残念ながらあまり質の高いものとは言えない」、「キャラクター設定が甘い」、「ストーリー性はまったくなく、単純に登場人物たちの口を借りたエッセイのようなもの」、「当時、西武百貨店池袋本店のキャンペーンに利用されたPR案件である。正直「お仕事」といった一冊」、「作品自体は凡庸」など、お叱りが満載となっている。加えて岡崎本人の「どういう話になるのか、全然わからないで描き始めてるから。(中略)あれ(ラスト)もテキトー。編集の人が『最後、男を殺しちゃえば』って言うからそうしたの」(『pink』について)といった発言まで引用される。

 しかし、通して読んでもらえばわかるように、こうした「お叱り」も愛の横溢ゆえのものであり、重要作品ともなるとほとんど言葉を失わんばかりの勢いで作品が持ち上げられる。あまりにすばらしいとほんとに言葉がなくなるのか、結果として、褒め言葉がやや少なめにも見えるのだが、とにかくたいへん熱い解説なのは間違いない。

 本書のもう一つの読み所は、後半に再録されている岡崎のエッセイやインタビューである。漫画に接する機会が多かったのは実家が床屋だったからとか、デビューのきっかけになったのは、同人誌に書いた作品がロリコン誌の編集者の目にとまったことで、最初の仕事もいわゆる「自販機本」(←死語?)であり、「体位の説明図とかヒニンとかのカットをフられるようになって、気がついたら〝女の子エッチ漫画家〟と呼ばれてました(笑)」など、興味深い伝記的事実が明かされていくのである。

 岡崎はなかなか正直な人だ。よけいな感傷や甘いロマン主義、オリジナリティの幻想などとも無縁。ストレートな言葉はときに酷薄にさえ聞こえるかもしれないが、それがプロ意識というものだろう。

この仕事を目指すには、とりあえずやる気とカンの良さだと思います。カンの悪い人って結局何やっても同じところをグルグルしてるだけなの。どこに行ったらもぐり込めるとか使われやすいってチャンスを考えるのもカンだと思うし。(中略)それなりに回転の早さとかズルさ、こすっからいところやデタラメぶりといった器量も必要だったの。(95)

これは裏を返せば、漫画家志望者には純粋な人も多いということなのかもしれない。「女の子たちに「勇気が出た」なんて言われると「別に勇気なんか与えたくないんだけどなぁ」みたいに思っちゃう」といった発言もそのあたりと関係していそうだ。

 好きな作家は武田百合子とのこと。岡崎が愛読書としてあげる武田の『富士日記』や『ことばの食卓』の、その何とも形容しがたい「漫画チック」な感じにモゾモゾした気分を味わった人は多いと思うが、やはりすぐれた創作者はお互いをアンテナで感知し合うのにちがいない。

 そうした中でも必読は、まずは岡崎が赤塚不二夫『天才バカボン』のパロディ(?)に挑戦し、敗残してみせる箇所(108-109)。それから、何より吉本ばななとの対談がいい。「もっと中学とか高校でちゃんと男の子にもてたりすればよかったんだろうな、きっと」(岡崎)というような発言を機に話題はぐっとディープになり、岡崎の「私も漫画に男の子をださなきゃいけないでしょ。でも、そのセリフとか書いてるとき、徹底的に私はなにかがダメだ、と思う」、「男の子に読まれると恥ずかしい。そんなことねえよ、とか言われるのが嫌で」といった無防備とも聞こえる告白に対し、吉本は当初「そうかな」とか「アハハハ」と距離を置いているのだが、やがて満を持して言う。

私って人に入っていく、そのいきかたがメチャクチャなんだよね。なんか、いきなり内面にいっちゃって、あとから「ああ、この人は顔もかわいい」とか気がつくの。ふつうはそうじゃないんでしょ。だんだん中身をわかっていくべきなんだよね。(97)

こんなふうに「内面」に言い及ぶあたり、さすが小説家的な発想で、漫画家とのアプローチの違いを読み取ることもできるかもしれないが、息が合っているのかいないのかわからないこの会話はさらに続き、いよいよ吉本の決めぜりふへと進む。

吉本:(中略)私が今までとばしてきたものが一番出てるのが男女関係なの。
岡崎:ほー。
吉本:男と女ってわかりあっていく過程が大事だったりするじゃない。
岡崎:探りをいれていくのが面白い、とかね。
吉本:でも、みためってすべてでしょう。だから、一見して相手のことわからない人ほど、鈍ければ鈍いほど恋愛って楽しめるんじゃないの?(97)

この吉本の発言に対する岡崎の反応は、

ガーン。もひとつガーン。

…だった。本心はわからないが、何かピッと音がするような瞬間が発生したのはたしかだ。ともかく、たいへん読みごたえのある対談なのである。

 よく知られているように岡崎京子は1996年5月に自宅近くで交通事故に遭い、以来執筆活動は中断、現在も療養が続けられている。そのせいもあって岡崎をめぐる評文にはついつい過剰な力がこもるということもあるのだろうが、本書の最後に付された「あとがきにかえて」は、実家の床屋を継いだという実弟の岡崎忠氏によるもので、熱気はやはりこもっているのだが、同時に、この人にマンガに登場してほしいなと思わせるところもある。この岡崎弟氏は、編者の増渕氏とは趣味の自転車を通じての知り合いなのだそうだ。


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