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2012年03月16日

『安部公房の都市』苅部直(講談社)

安部公房の都市 →bookwebで購入

「安部公房は苦手ですか?」

 安部公房が苦手、あるいは手に取ったことがないという人にこそ読んでもらいたい本だ。よくできた評論というのはたいていそうなのだが、本書もこちらに何かを強制するということがない。「まあ、こんな話もあるわけですよ。別に無理して聞かなくてもいいけどね」というだけで、「是非、公房のファンになれ!」とも言われないし、「しっかり読め!」「わかってないな、バカ!」と叱られることもない。小説の粗筋だって適当に聞き流していればいいようだし、むしろ安部公房なんか忘れてほかのことを考えたっていい。それで油断していると、いつの間にか著者の術中にはまっている。

 タイトルにあるように本書の切り口は「都市」である。「あ、来た」と警戒する人もいるかもしれない。構造だの資本だのといったナンカイな用語が頻出して、偉大なる安部公房の像が立派な文明論的台座に載せられるのではないか、と。しかし、本書を読み始めてまず印象に残るのは、ある妙な絵の話なのである。1965年生まれの著者は、35年前に公房の作品集『笑う月』の新聞広告を見た記憶があるという。月の絵だった。

 ちょうど、『鏡の国のアリス』の挿絵にジョン・テニエルが描いたハンプティ・ダンプティと似た顔の月が、宙に浮かびながらにやにやと笑い、月の周囲には揺れを表すようなぼんやりした線が、輪郭にそって重ねて書きこまれている。そういう絵として憶えていた。(9)

 ところが、どうやらこの絵の記憶は偽ものだったらしい。当時の新聞の紙面を見ても広告にはそんな絵ははいっていないのだ。そこで「う~ん」と首をひねる……というあたりから、著者苅部直氏の技が静かに効き目を発揮し始める。苅部氏は『鏡の国のアリス』の挿絵が記憶にまぎれこんでいたのかと訝りつつ、あらためて読売新聞の縮刷版をながめ、はっとする。

 広告ではなかったのである。同じ紙面の中央には、近藤日出造による時事諷刺の一コマ漫画が載っていた。題して「堪忍袋」。この第二面は政治欄で、大部分を占めているのは、進行中の「スト権スト」への対応をめぐる、与党自民党内の派閥のあいだの対立と、野党のさまざまな動きを報じる記事である。(中略)
 「堪忍袋」と題された漫画は、「スト権スト」に対する世間のいらだちを表したものだろう。現業公務員として雇用を保障され、すでに平然とストライキを行っているにもかかわらず、権利の名目を獲得するために長期ストに入り、電車を止めてしまう労働組合の身勝手さ。(9-10)

 こうして当時の労働組合と政府の対立が想起される。一見新歴史主義の論文のパロディとも見えるような、定期刊行物紙面での「偶然の同居」をめぐる話なのだが、このあと話題が公房作品中の「夢」「不安」、さらには「探偵」「迷路」といったテーマに進むにつれ、「記憶」が話題をつなげる以上の役割を持っているのがわかってくる。どうやら苅部氏自身が、それとなく〝安部公房的なもの〟を演じているのだ。

 同じような演出はそれ以降も仕組まれる。『燃えつきた地図』に出てくる、場所が特定されない団地は実在するのか? 苅部氏は作中のヒントを元に推理を進め、そのモデルが日本住宅公団の荻窪団地らしいことをつきとめる。当時の公房の交友関係と符合することもあって、いろいろとつじつまがあってくる。また『砂の女』の元になったある写真についても、ちょっとした〝探偵〟がなされる。こちらは本書冒頭の「月の絵エピソード」と対になる今ひとつの「偽写真」の話だ。従来、『砂の女』の着想は、あるグラビア写真から得られたとされていた。安部公房自身が次のように述懐したから。

 それは、飛砂の被害に苦しめられている、山形県の酒田市に近いある海辺の部落の写真だった。砂丘がしだいに海岸線に向ってせり上がって行き、家々はしだいに砂の中に沈み、ついには屋根までが砂の稜線の下にもぐってしまう。それに、食卓の上に、傘をつるして食物を砂から守っている、こっけいなほど生々しく、痛切な光景。(196 「『砂の女』の舞台」より)

ところが、その写真が載ったとされる『週刊読売』1960年5月29日号を確かめてみると、たしかに砂の記事はあり写真も載っているのだが、公房の記憶とは決定的に異なっている部分があった。屋内で傘をさす写真がないのだ。「掲載写真のうちで似ていると言えるのは、手前に編み笠をかぶった女性を映し、遠景として砂に埋もれつつある家の屋根を配した一枚である」とのこと(197)。どうやらここでも、境界を越えて記憶が混じり合っていたらしい。

 苅部氏はこうした「発見」を振りかざし、何かを主張しようというのではない。むしろ、あくまで「物好きな探偵」めかして、どことなくふらっとしたスタイルを崩さない。それは本書のこだわるのが、「都市」というテーマを前面に立てつつも――そしてきわめて要領よく都市論の文献をおさえつつも――決して中心化しまい、とする点にあるからである。『笑う月』や『燃えつきた地図』から出発した本書では、やがて公房の作品としてあまり代表作とされることのない『榎本武揚』に焦点があてられる。そもそも公房が榎本武揚に関心をもったのはそれが「非英雄」だったからだという(70)。そんな〝主人公不在〟の作品は、構造上どこか正面から語りにくいものだが、苅部氏はつかず離れずの関係を上手に維持する。

 そのコツは、いわば脇に佇みつづけること。身を乗り出していじくったり、突っついたり、蹴飛ばしたりはしない。たしかに安部公房愛のようなものは、じわっとにじみ出してくる。しかし、作品はなるべくあるがままにしておきたい。やたらと手で触れたりしない。こんなアプローチは、おそらく本書の都市論の出発点が、「穴ぼこ」であることとも関係している。とりわけ大事なのは、書中二回引用される安部公房自身による以下の一節である。

 川や橋や道路や鉄道が交差し合っているような所で、構造上どうしても人間が住めない空間があり、しぜんゴミ捨て場として利用されることになる。さいわいそういう空間は、あまり人目につかない場所にある。街のなかの、影か穴ぼこのような位置にあたっているので、人はそのかたわらを通り過ぎても、めったに立止まったりすることはない。見ようとすれば、見えるのだが、とくに見ようとしなければ、見ないでもすませられる。いわば世間にとって未登録の空間なのである。(56, 156-57「シャボン玉の皮」より)

「世間にとって未登録の空間」に敏感でありつづけたこの作家の感受性は、さかのぼれば彼が幼少期をすごした満州に行き着くことになる。そうした「過去」や「起源」を、決してロマンチックになりすぎない筆致で苅部は描き出す。穴ぼこを語るためには、突撃して捕まえようとしてもうまくいかない。穴は実体化されたり象徴化されたりするべきではない。むしろ穴を一種の窓に見立て、その向こうへ見通してしまうことのほうが大事なのである。逸れていったり、思い出したり、ふと気になったり。だから、つかず離れずがちょうどいい。

 苅部氏の文章は高級なものである。批評文は昔からわざととんがってみせたりして読者の注意を引こうとする傾向があったし、今でもときにはそのようなカンフル剤が必要となるのだろうが、『安部公房の都市』にはそうした構えはない。角をすっかり取り去った、しかし、なめらかではあっても決して駆け足にはならない、ときどき脇道に逸れたり静に佇んだりする徒歩旅行。どこがうまいのかに気づかせずにするっと読ませるその手際は、筆者にとっては、昭和の先人たちの良質な評論を思い出させる、たいへん読み心地のいいものであった。

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2012年03月01日

『世界は文学でできている ― 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義』沼野充義(編著)(光文社)

世界は文学でできている ― 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義 →bookwebで購入

「聞き上手不要」

 沼野充義という名前をよく見かけるが、どこから読み始めていいかわからないという若い人には、案外この本はいいかもしれない。これは沼野氏が〝書いた〟というよりは〝しゃべった〟ものだが、濃密な沼野トークがたっぷり5つのヴァージョンで聴ける。

 昔から日本の文壇には座談カルチャーみたいなものがある。作家や評論家が顔を合わせ、ふだんの構えをちょっと外して、やや砕けた調子で本音をおりまぜながら実際に語る。いや、しゃべる。それがそのまま活字になる。「んなもの、単なる世間話ではないか!」との声もあるかもしれないが、こうした企画が意外とおもしろく読めてしまうのは、おしゃべりというものが相手の顔を見ながら行われるものだからだ。つまり、「この人なら、これくらい言ってもわかるだろう」とか、「この人には、これだけは言っておかないと」とか、場合によっては「このうすらトンカチめ」みたいな含みがあって、そのおかげで他所では聴けないような話が出てくることがある。ふだんは恥ずかしくて言えないようなナイーブな「夢」が、その場のノリで、つい、語られることだってある。

 本書は、ロシア文学者であり文芸評論家である沼野充義氏が、文学関係の各フィールドを代表する五人のゲスト(リービ英雄=作家、平野啓一郎=作家、ロバート・キャンベル=日本文学者、飯野友幸=アメリカ文学者、亀山郁夫=ロシア文学者)を招いて行った対談の記録である。といっても聴衆を前にした講義形式の対談で、しかも「中高生相手」のはずが、どちらかというと「中高年相手」になってしまったらしいのだが、沼野氏のしゃべりはそんなことは問題にしない。「私はケータイが右手で操作できなくて左手なんです。昔の電話の受話器は左手で持ったものなんですよ」みたいな余談をおりまぜながら、実に〝拡大的〟(〝拡散的〟ではなく)に話が進んでいく。各回ともゲストのフィールドに合わせた話題は設定されるものの、最終的には「この世界の文学はこれからどうなっていくのだろう」というような、地球的とも言ってような巨視的な問題意識がもくもくとわき出してくる。

 そんなおおらかな対談のひとつの大きな特徴となっているのは、各回のイントロダクションの長さである。第一章など「私のイントロダクションは短めにとどめ、できるだけリービさんにお話いただく時間をとりたいと考えております」との断りがありながら、なんと15ページにわたって沼野氏のイントロがつづき、リービ英雄の方は「沼野さんからいろんなお話が出ましたので、何を言っていいのかよくわかりませんが」と圧倒されてしまって、とりあえず3ページしかしゃべらないまま対談部分へとなだれ込むことになる。

 しかし、何の問題もない。このイントロダクションの長さに文句を言う読者はいないだろう。というのも、その内容の豊かさもさることながら、沼野氏のこの怒濤の〝しゃべり〟のおかげでこそ相手も警戒を解くのだし、そこに撒かれた話題をきっかけに先をつなぐこともできる。実際、この流れがあればこそ、リービ英雄も自身の「日本人に日本人であることのコンプレックスを突きつけられてコンプレックスになったというやっかいなコンプレックス」(42)のことを語ったり、他の「越境作家」と自分との違いを強調したり、お金のことは書かないという日本の小説とは違って「北京・上海には端的に言ってお金の話しかありません」(54)と報告したりと、少ない〝しゃべり〟の中でもちゃんと言いたいこと――そして私たちが聴きたいこと――を言っている。

 対談ではよく「聞き上手」などと言うが、そんなちゃちなレッテルは不要になる。どっちがホストでどっちがゲストかなどどうでもいい、語られるべきことはどんどん語ろうじゃないか、誰が言ったっていいんだからという衝動がこの本には溢れている。それが企画全体を貫く「J文学なんてちゃちなこと言ってられない、W文学でいこう」という姿勢とも重なる。 

 ハーヴァード大に留学してロシア文学を勉強したという沼野氏には、地域やジャンルにとらわれない思考法のようなものが身についている。もちろん、この本に登場する五人はいずれも越境的な傾向をもった方々だが、それでもこの沼野充義的な横溢性にはあきらかに押されている。ただ、おもしろいのは、長い長いイントロダクションに圧倒され、最初から劣勢に追いやられていながら、まるで陣地挽回するようにしてそれぞれが自分の持ち味をしぶとく出してもくるということでもある。さすがゲスト。

 中でもたいしたものだと思ったのは平野啓一郎である。この人もただの小説家とは思えないほど弁舌爽やかというか、頭脳明晰、議論流麗な人だ。『日蝕』でデビューした際も、当時の「新潮」編集長のところに乗り込んで談判したというのは有名な話だが、小説のマーケティングをめぐるコメントにはいずれも説得力がある。

たとえば「批評家の肥大」について曰く、

[ネットの普及以前は]一般読者の声がなかなか表面化しなかった。読者のほうでも、実際にはどんな作品が売れていて、それについて読んだ人がどう言っているかがわからなかったし、だからこそ、批評家の存在が過大視されてもいました。(107)
また「小説の売り出し方」について曰く、
文学が読まれていく上で何が大事かというときに、やっぱり、人の会話に上るということが本当に大事だと思います。映画の場合はけっこうみんなが場面の話をするし、登場人物の話をすると思います。あそこの場面がよかったとか、あの場面の誰がよかった、とか。だけど、今は文学ではなかなか場面の話にならない。(127)
「読者からの感想」について曰く、
僕の小説でも刊行して一ヶ月以内ぐらいにブログなどに感想を書いてくれる人は、僕の作品が好きな人か、純文学に興味のある人が大半です。もちろん、大嫌いだから一番に読んで悪口を書くという人もいますが(笑)。(中略)でも、刊行後三ヶ月くらいが経って、「平野啓一郎は特に好きでもないけど、話題になっているから読んでみようかな」という人たちが感想を書き始めたとき、それは売り出したときの感想とは、やっぱりかなり違います。文体に関しては、もう、読みやすかったか、読みにくかったか。それだけです。(130~131)
また「文学のつまらなさ」について曰く、
文学は洗練されすぎると、つまらないというのもあります。(131)
さらに「文学のおもしろさ」について曰く、
究極的には人間がページをめくる一番の衝動は「知りたい」という欲望だと思うんです。(138)
……などなど。太宰治にはいまひとつなじめなかったという逸話が典型的に示すように、平野啓一郎はときに私たちが作家に期待しがちな自意識過剰で、うじうじして、人前でしゃべるのが苦手というタイプではない。しかし、こだわりがないわけではない。大きなヴィジョンを語りつつも、それとは別のレベルの素顔もちらりとのぞく。沼野氏の語りに決して負けていない平野氏のなめらかな文学語りからはいろいろなものが読み取れるように思う。

 沼野氏自身の発言でとりわけ印象に残ったのは、ロバート・キャンベルとの対談で小説家のジャンル意識が話題にのぼったときのものである。日本の小説家にとっては、小説という形式が「家」としては意識されていないのではないかというのである。

 [欧米では]有名なプロの作家になると、ともかくできるだけ小説を書くことに集中しようとして、余分なことはなるべくやらないようにする。エッセイや日本でいういわゆる雑文をあちこちの雑誌の注文に応じて書くということも、日本みたいにはないんじゃないでしょうか。彼らがそうやって小説そのものに専念できる背景には、どうも、自分が携わっているジャンルがそもそも自分の家だという意識があるんじゃないかという気がしますね。
 逆にいうと、日本の作家は自分が書いている近代小説というものが自分の家だと、どこか心底から思えないようなところがいまだにあるんじゃないか。だから、近代の西洋的な小説ではないものに回帰するということも起こってくる。(195)
 まさに同感。ただ、おそらく書き手の側に――そして読み手の側にも――このような落ち着かなさがあるからこそ、日本語の小説には独特の「散文性」が生まれてくるのではなかろうか。小説以前に、〝語り〟や〝しゃべり〟があるのだ。そう考えてくるとこれは、沼野充義語りそのものの奥にある何かを示唆するようにも思えてくる。「おわりに」で、いささかの時差をへて吐露される震災後の心境も含めて、そんな感想を持った。氏のさらなる意見を――さらなる〝しゃべり〟を――訊きたいところである。

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