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2011年10月25日

『兄 小林秀雄との対話 ― 人生について』高見沢潤子(講談社)

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「鉄の胃」

 小林秀雄に「母」がいたのは有名だが、妹がいたとは知らなかった。その妹が、兄秀雄とかわした会話をまとめたという本書を読み始めて、筆者は衝撃を受けた。何しろ、あの小林秀雄がこんなしゃべり方をしているのだ。
「なんの鳥かしら。」
「むくどりじゃないかな。」
「なにを食べてるのかしら。」
「みみずを食べにくるんだよ。」
 わたしはうめの木の巣箱をみた。
「しじゅうから、もう卵をうみにきて?」
「ああ、もう巣立っていったよ。いつも、もう一回ぐらいくるんだが、そのあとにすずめがはいっちまったからね、もうこないだろう。」(一三)
 このやさしい口調は何なのだ。あの小林秀雄が「むくどりじゃないかな」とか「みみずを食べにくるんだよ」なんて、いくら妹相手とはいえ、言うんだろうか。イメージ崩壊である。これはすごい。

 日本の批評界の一角には強固に「小林秀雄語り」の伝統がある。別に小林ファンクラブというわけではなく、肯定もすれば否定もする、疑いもすれば畏れたりもする、でもとにかく小林秀雄について語ることで腕試しをしたり、自分自身の語りの可能性を広げたりということは行われてきた。以前、この欄でもとりあげた橋本治の『小林秀雄の恵み』などは、そんな中でももっとも洗練された試みのひとつだろう。橋本治などという小林秀雄とは対極にあるような書き手に、むずむずと何かを書かせてしまうくらいだから、きっと小林の文章のトンガリぶりには、良くも悪くも読者に「何か言わずには気が済まない」と根源的な批評欲をそそるものがあるのだ。何とかしたい、やっつけたい、と思わせる。たとえ小林秀雄の書いたものに字面的に意味のわからない部分があったにせよ、つまり、論理や意識のレベルで「わかろう」とするのが難しくとも、こちらの無意識の部分に何かが作用しているのかもしれない。

 ところがこの本を読んでいると、まるでそんな「小林秀雄語り」云々が別の惑星で起きている出来事みたいな気がしてくる。いるのは「兄小林秀雄」だけなのだ。(以下、便宜上発話者をこちらで示した。)

(妹)「[非行少年たちには]共通した性格っていうか、特徴っていうものがあるんですって。それは、情緒がないっていうことですって。きれいな花をみても、ぜんぜんきれいだと思わない。」
(兄)「このごろは、勉強、勉強で、知識のことや、頭のことばかりに、みんな夢中になってるだろう。心の問題をすっかりわすれちまってるからね。そういう情緒のない、不良少年が多くなるんだ。人間には、心とか情緒というものがどんなにたいせつか、ということがわからないんだな。学問だけすすんで、知識がどんなにひろまっても、それで社会はよくなりゃしない。いくら学問をしたって、人間は、それだけじゃだめなんだ。」(一九)
(妹)「恋愛によって、人間は成長もするし、りこうにもなる。」
(兄)「そうだね。恋愛によって、自己が発見できるからね。自分というものがわかってくるし、ふだんねむっている理知が、恋愛によってめざめてくるよ。だから、恋人たちが才能がある、なんていわれるんだ。」(四一)
  これ、ほんとに小林秀雄が言ったんですか?と問いたくなる。しかし、「むくどり」や「みみず」から「非行少年」や「恋愛」へと話題が進み、さらに小林のいわば得意分野の話になってくると、「ひょっとするとほんとに言ったかも知れない」という気もしてくる。たとえば「美」の話題。
(妹)「どういうふうにしたら[美しいものを感じる能力を]養い育てることができるの」
(兄)「しじゅう、怠ることなく、りっぱな芸術を見つづけることだな。そして感じるということを学ぶんだ。りっぱな芸術は、正しく、豊かに感じることを、いつでも教えている。まず無条件に感動することだ。ゴッホの絵だとか、モーツァルトの音楽に、理屈なしにね。頭で考えないで、ごく素直に感動するんだ。その芸術から受ける、なんともいいようのない、どう表現していいかわからないものを感じ、感動する。そして沈黙する。この沈黙に耐えるには、その作品に対する強い愛情がなくちゃいけない。」(五六)
 あ、これくらいなら小林秀雄がほんとに言いそうだな、と思える。おそらく「芸術」についてのこういう言い方が日本の教育をダメにしてきたし、これからも害悪をまき続けるだろうなと筆者は確信しているが、その一方で――何とも困ったことなのだが――このような発言をしているときの小林秀雄はもっとも信用できるのだ。ほんとのことを言ってるな、と思わせる。実に魅力的なのである。

 果たして、この本に出てくる小林秀雄はどれくらい本物なのだろう?単行本は1968年刊というから、本人もまだまだ存命。いや、それどころか1902年生まれの小林はまだ66歳で『ドストエフスキー』を刊行してまもなくである。『本居宣長』の出版まではまだ五年以上あるという時期だ。本人はこの本を手にとって、いったいどんな反応をしたのだろう。本書にはこの企画を話すと兄に「いやだ」と言われたと書いてある。しかし、そこで「いやだ」という小林秀雄も何だかいつもと様子が違う。

「むずかしいことがらを、やさしくするのは、それこそ、いちばんむずかしいことなんだぜ。むずかしいというより、不可能といったほうがいい。いいなおせないんだ。もとの意味とちがってくるからな。それより、むずかしいと思ったら、もっとよく読むことだ。おれのものを全部、じっくり読みなおすんだな。それからだね。書くのは」(224)

 う~ん。なんかいつもとちがってやさしいなあ、と思う。とはいえ、兄が「いやだ」と言っていたのは間違いない。著者の高見沢潤子がすごいのは、そんなふうに「いやだ」「いやだ」と言っている兄の存在をすぐそばに感じながらも、驚くほどのマイペースぶりで小林秀雄を消化してしまう、鉄の胃めいた吸収力を持っているところである。

 本書の根本にあるのは、若い人に兄の思想をわかりやすく伝えたい、という願いである。この目的のために妹は、兄の持っていた自意識や構えなどというものを「こんなものいらないでしょう?」とばかりにあっさり捨ていくのである。その結果、「非行少年」や「恋愛」についての小林秀雄の発言などは無残なほど〝ふつう〟に見えるかもしれない。しかし、そんな気の抜けた風景の中から、妹の屈強な「鉄の胃」の消化力に負けずに、ごちごちしたかたまりのまま出てくるものもやはりある。とりわけ目につくのが、「書く」というテーマである。

(妹)「にいさんのいうことをきいていると、文学者は、頭で、あれこれと考えているより、正確なことばを選ぶほうがだいじだっていうようにきこえるわ。」
(兄)「そりゃ考えることは、まただいじさ。ただ文学者にとっては、考えることと、書くことが区別できないんだよ。まず書くっていうことは、まず考えるっていうことなんだ。とにかく、書いてみなけりゃ、なんにもわからないから書くんだよ。創造というものは、わかってるものをつくるんじゃない。わからないものをつくるからこそ、創造っていうことになるんだろう。創作だって、わからないものを、書くからこそ、創作といえるんだよ。」(八九)

そこがわからない、と高見沢潤子は思う。そして、そこがわからないからこそ、ここまで徹底的に強面の小林秀雄像を粉砕して消化吸収しえたのであり、それだけでもたいした功績だが、著者の本領はそこからのねばりにもある。

「にいさん、考えることと、書くこととは、ぜんぜん別なことでしょう。」
「そりゃ、別だよ。」
「それが、考えることと、書くことは、区別ができないって、このまえいったでしょう。それがよくわらかないのよ。」
「だから、文学者は、っていったろう。文学者は、その考えが浅ければ、浅いことしか書けないっていうことだよ。〝文章ではうまく現わせないけれども、考えていることはもっと深刻なものがあるんです〟なんていうのはうそだ。正直なもので、文章には、その人が考えていることだけしかあらわれないもんだよ。」(一三三)
 どこかかみ合っていないような会話と見えなくもないのだが、そうでもない。たとえば注意するといいのは、やり取りの多くが兄の発言で終わっているということである。妹は「あ、そうなの!な~るほどね♪」などという愚かな発言で会話を終わらせたりはしない。とにかく兄が言って終わる。そこからは、わかろうとわかるまいと、兄の言葉がずぶっと妹の心に沈み込んでくる様子がよく伝わってくるのだ。

 ただ、そんな一方通行的で専制的なやり取りを通して、妹はしぶとく兄の何かを生け捕りにしてもいく。わかる部分は容赦ないナイーブさで理解し、わからない部分はボトッとそのまま投げ出しても、それでも妹がしっかりとらえた部分がある。本書の最後のセクションにあたる第四部は伝記のような書かれ方をしているのだが、情報量がそれほど多いわけでもないのになかなか読みごたえがあって、母を捨てた小林、女に苦労した小林、生活力があるとは思えなかった小林、そして何と言っても「書く人」として小林の像があざやかに立ち上がってくる。とにかく書くことが彼を生かしていたのである。

 以下にあげるようなちょっとした一節からもそれは十分伝わってくる。文芸評論家・佐古純一郎の「書く人はみな苦しいからしようがないんですよ。小林先生の苦しみぶりは、まったくひどいですよ。わたしは、どこかの旅館で、小林先生が仕事をしていらっしゃるところをみましたがね。へやの中を四つんばいになって、はいまわっていましたよ。」という発言をうけて、著者は考える。

その苦しみは、できることなら自分の肉親には味わわせたくないと兄は思う。だからひとり娘のはる子のことを、
「あの子が文学をやりたい、なんていいださなくてよかったよ。」
と、かつて兄はいった。それはほんとうにしみじみした口調であった。そんなに苦しんで仕事をしているのだから、わたしは、兄のところにいっても、昼間はけっして書斎には顔を出さない。
 昼間仕事をした兄は、夜は絶対に仕事をしない。夕方ふろにはいり、夕食をたのしみながら長い時間をかけて食べ、もう一度入浴して、いちばん先に寝てしまう。だから、わたしが兄とゆっくり話しあえる時間は、夕食のときだけだといっていい。そのときはほんとにたのしい。(二〇七)

 「昼間仕事をした兄は、夜は絶対に仕事をしない」というのは、壮絶だなと思う。昼も夜もできてしまう仕事など、たいしたものではないのだ。これだけでも、もう一度小林秀雄を覗いてみようかなと言う気にさせる一節である。


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2011年10月05日

『昭和の読書』荒川洋治(幻戯書房)

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「こわい批評家」

 もう十年以上前になるが、あるパーティで荒川洋治さんをお見かけしたことがある。「下手に俺に話しかけるな」という風情が漂っていて、いい意味で「こわい人」だなと思った。もちろん、筆者は話しかけなかった。

 文章を書く人が「こわい人」であるのはとても大事なことのような気がする。最近は「いい人」でないとなかなか生き延びていけない。多弁で、裏表がなくて、私生活もオープンで、パスタを茹でたり、SUVに乗ってたり、メールの返信も早いような「いい人」。そんな「いい人」の書くものは、わかりやすくて楽しいかもしれないが、一番文章にしてもらいたいような薄暗い部分にはまず到達しない。

 本書の『昭和の読書』というタイトルの意味は、読み進めていくと少しずつわかってくる。表向きそれは、昭和の作品や作家を語るということ。昭和の本の読み方、文章の書き方、さらには生き方を振り返るということ。さらには文学を「史」という立場から読み返すこと。だが、本当の目的は昭和独特の薄暗い部分に足を踏み入れることにある。

 冒頭の「茶箱」と題されたエッセーには、著者が実家で体験した次のような出来事がつづられている。

裸電球の下に、とても大きな茶箱があった。きらきらするブリキを内側に張った、容量のあるものだ。なかを開くと、四〇年ほど前、高校のころに買った雑誌が見つかった。茶箱に入っていたので、いたみもなく、当時のままで現れた。
 おぼえはあるが、これだけ月日がたつと初めて見るようなものだ。(10)
ノスタルジアではない。むしろ逆だろう。「これだけ月日がたつと初めて見るようなものだ」とあるように、著者はブリキを内側に張った茶箱から、私たちの「今」と拮抗するような何かを取りだそうというのである。

 しかし、どうやって? この本を読んでいるとときどきはっとするのだが、著者がいつの間に語るのを停止していたりする。書き下ろしのいくつかの文章――「昭和の本 I」「昭和の本 II」「名作集の往還 I」「名作集の往還 II」など――がとくにそうで、ふと気づくとタイトルなどの書誌情報が延々と連ねられるだけになっている。語り手が黙ってしまうのだ。そんなときは、どうやら蔵書や古書店で得た「昭和の本」が目の前に実際にならべられていて、著者はそれを手に取ったり頁をめくったりしているらしいのだが、それにしてもこんなのあり?と思う。しかし、不思議なのは、「こんなのあり?」と思いながらもこちらが読んでしまっていることだ。騙されたようなもので、読んでいるという意識もなしに何かを追っている。

 もちろん、単なる陳列ではない。よく見ると、さりげなく短いコメントが挟まれたりしている。そうすることで、著者はぴりっとした空気をつくる。本と向き合うのになくてはならない空気、あの緩いけれども硬いような、馴染んでいてもどこかよそよそしいような空気。「下手に俺に話しかけるな」という気配とも通じるもので、たぶんそのおかげではじめて本が伸びやかに呼吸をはじめることができるような、文章が書かれたり読まれたりするのに欠くことのできない、独特の「暗さ」がそこにはある。

 その背後には昭和の評論のスタイルが感じられるかもしれない。批評家はしゃべりすぎてはいけない。黙るときは黙る。荒川洋治という人は書評をするときにも、ふらっと立ち寄ったような遭遇を演出できる人だ。マラマッドの「レンブラントの帽子」の翻訳が再刊された、この小説は絶妙だ――そんな話をするときにも、次のような一節が混入していたりする。

欧米の短編は、これまでにたくさん訳されてきたが、日本語に変えられたとたんに、また欧米の側に戻っていってしまうような距離をぼくは感じる。(213)
何という語り口だろう。何という上手な黙り方かと思う。こういう黙り方を知っているからこそ語られることがある。おそらくそれは著者が、長い間、口語自由詩というフィールドで勝負してきたこととも関係している。散文に対して、ちょっと距離がある。散文でしか書かない人とちがって、声の出し方にきわめて敏感なのだ。語りやめるという方法があることも当然知っている。そして、批評家はもっと詩を語るべきだ、と著者は言う。
散文という装置は、近代になって、伝達のために発達したもので、一定の理法に従い、機械的に書くもの。思っていないことも、すらすら書く。そういう怖さと危険がある。散文は、人工的なもの、つくられたもの、異常なものである、というぼくの見方は変わらない(『文学の門』で書いた)。詩は個人のことばの上にたつので、感受したものについて正直であるが、過剰になれば異常。だが散文の異常性を認識する人は少ない。散文を自明のものとする人たちに、散文の限界点はもっと意識されていい。(202)
これは、まさに昭和の書き方だ。そしてそれは著者が言うように、昭和の書き手がより身近に「詩」と付き合っていたということを意味するのかもしれない。このように書くことを、たとえば筆者は禁じられてきたように思う(つまり、かつては知っていたようにも思う)。これからもたぶん、このようには書かないと思うし、書けないだろう。しかし、このような文章にこめられた「暗さ」は、懐かしいとかそういうことではなく、力強いものだ。

 こうした筆法にもあらわれているように、荒川洋治という人は「こわそうに見える」だけでなく、ほんとうに「こわい人」なのである。そんな著者がこの本の中で一番一生懸命語ろうとしているのは、やはり詩のことだ。そして、詩のことを語るうちに、著者は「暗さ」をかなぐり捨てる。黙っている暇などない、とでもいうかのように。

この一〇年ほどの間に、四〇代、五〇代の若手詩人によって戦後・現代の詩華集が何冊か出た。名前はあるが(せまい詩の世界では)、実はすぐれた詩をひとつも書いたことのない人、ことば上の革新的な仕事を十分にこころみたことのない人、書く詩が凡庸で、代表作ひとつもたない人。そんな人たちが選ぶので、詩華集も奇妙なものになる。(192)
書く詩は、単純なものが多い。類型的な語句や書き方に慣れ、そこに逃げ込む。現実の具体的なことがらにまみれて、苦しむ人は少ないのだ。論争ひとつないので、変化もない。みなで互いの詩をほめあう世界だ。こういうときに期待されるのは、詩論を書く人である。詩の内部にありながら、外側から見る力をもつ人たちだ。その人たちは、詩も書く。その詩は、何をかんちがいしているのか、自分の詩論とはまったく異なる無頼派ぶったもの。詩はロマン(詩のなかでいちばんつまらないところだ)なのだという考え方があるようで、いきなりしまりのないロマンチストになるのだ。読んでいて、おかしい。(193~194)
こういう箇所にはむしろ著者の「こわさ」は見られないと筆者は思う。「こわさ」を生むのは、硬質で冷たい切れ味である。無言の批評である。荒川洋治は昭和を語るという地点から出発しながら、その「暗さ」からこのように踏み出してしまうのである。しかし、そのおかげで我々は荒川洋治という批評家・詩人の現在形の声をあちこちで聞くことができる。それが本書のほんとうの魅力。こわい人、苛立つ人、一生懸命な人、そしてときにすごくやさしい人、そんな多面性がそのまま本になっているところが実におもしろいのである。


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