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2011年09月22日

『平成猿蟹合戦図』吉田修一(朝日新聞出版)

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「歌舞伎町の羊飼い」

 昨秋、仕事で九州を訪れたとき、ちょうど映画『悪人』の上映が始まった頃で、福岡で会う人の話題はもっぱら「『悪人』観た?」だった。原作は吉田修一の同名小説で、映画の脚本も吉田が担当している。この作家が長崎の出身でしばしば九州の素材を使うことは知られているが、このときの「『悪人』観た?」系の会話で主に話題にのぼったのは『悪人』の方言のことだった。

 九州の人曰く。「小説『悪人』の方言は完璧。福岡弁はもちろん、佐賀弁も長崎弁も久留米弁も正確に書き分けられている。あっぱれ。でも映画『悪人』の方言はイントネーションがちょっと違うんだよねえ……」。どうなんでしょう。筆者にはそのあたりの「ちょっと違うんだよねえ」を検分する能力はないが、今回の『平成猿蟹合戦図』でも方言が重要なのはまちがいない。

 小説の中心的な舞台となるのは新宿歌舞伎町。しかし、そこで展開される活劇のメインキャストは九州、大阪、秋田などを出身地とする人物たちで、彼らがまるで自分の出身地をマーカーで示すかのように方言による内的独白を行うことがこの作品のエネルギー源となっている。いわゆる〝地方パワー〟である。いやPC違反を承知で言えば〝田舎パワー〟。

 『悪人』では方言に由来する「田舎感覚」のようなものが、たとえば九州内での「都会vs田舎」の構図をあぶり出したりしつつも、作品全体としてみると、長大な音楽のような情感を生み出していた。あれだけ単純なストーリーで、あんなに早く犯人がわかってしまうミステリーなのに、読者に「どうしてもこの物語を最後まで看取りたい、途中でやめたくない」と思わせたのは、音楽にも比せられる麻薬のような情念の力であった。その情念が作品の持続力を生み出していた。

 では、今回のものはどうか。冒頭に描かれるのは、長崎は五島福江島から、姿をくらました夫を追って東京に出てきたホステス真島美月。その子連れの美月が歌舞伎町の雑居ビルのエアコン室外機の前でしゃがみこんでいるという場面から小説ははじまる。なかなかインパクトの強い出だしなのだが、そこには悲壮感はない。やがて出てくるのも〝いい人〟ばかりで、読者に対してにこやかに微笑みかけるかと思えるほど、根本のところでお行儀がいい。そういう意味では『平成猿蟹合戦図』はタイトルの通り、安心感に満ちたコメディ色全開の作品なのである。こんなゆるい雰囲気を設定してしまって、この先どうやって500頁分ものストーリーを展開させるのだろうと心配になるのだが、実は読みどころはまさにそこにある。

 ゆるゆるのコメディから出発した物語が徐々に、しかし確実にギアアップされていく。そのあたり、吉田修一の腕前はいつもながら見事だ。まずは痴漢で逮捕された高校教師・奥野宏司の登場。そして、そう間を置かずに奥野の実弟である著名なチェロ奏者・湊圭司が出てくる。いきなり壮絶な映像が湊の脳裏をよぎる。

湊の全身に蘇っていたのは、榎本陽介を轢いた瞬間の感触だった。
フロントガラスのかなり先に、通りを渡る酔った榎本の姿が見えた時の、握りしめていたハンドルの感触、踏み込んだアクセルの感触、がくんとシートに背中が張りついた感触、そしてこれまでの思いが塊となって飛び出そうとでもするような全身の破裂感。
すべてが終わるまで、一切の音がなかった。フロントガラスの向こう、あっという間に近づいてきた榎本陽介の顔は、ヘッドライトに照らされ、間が抜けたようにぽかんとしていた。(98)
 それまで新宿歌舞伎町が舞台なのに、やけに淡い牧歌性につつまれていた小説世界の顔色がここで一変する。

 そのまま走り去ろうとした時、なぜか無意識に足がブレーキを踏んでいた。今、思い返してみると、自分がやってしまったことを後悔したからではなく、自分が轢いた榎本の顔をこの目で見てやろうという残忍な気持ちからだった。確認してまだ息をしているようであれば、車をバックさせ、その瀕死の榎本をもう一度轢くつもりだったのだ。(98)
 うん、これぞ歌舞伎町の物語だ。「自分が轢いた榎本の顔をこの目で見てやろうという残忍な気持ち」などというと、あの『悪人』の世界を思い起こさせる。にわかに情念の気配が漂ってくる。

 しかし、小説はそのまま情念とバイオレンスの世界に突入してしまうわけではない。今、引用したのは物語の核心をなす出来事だが、吉田は一方でこうした暗い暴力の世界を見やりつつも、他方では淡く牧歌的世界を維持し続ける。そこで鍵になるのは、人間関係の転覆である。AさんとBさんが本来もっていた上下関係が、ある時点を境に逆転したり、無関係なはずのCさんとDさんがひょいとつながったり。吉田修一はほとんど魔術的な手際で、ごく自然にそうした関係の転換を行ってみせるのである。

 その最たる例は暗い過去をかかえた奥野兄弟が、美月とその夫である朋生との住む歌舞伎町の水商売の世界とかかわりを持つ顛末である。あれよあれよという間に、湊圭司、園夕子、真島朋生、浜本純平といった人物たちの間に妙な連帯が生まれ、その結果、純平という牧歌性そのもののような男の政界入りの話が持ち上がることになる。古代ギリシャの世界であれば間違いなく羊飼いをしていたであろうこのやや間の抜けたイケメン・ホストは、およそ文学性とは無縁のただの尻軽男に見えるのだが、作家はこの男を立派に猿蟹合戦の主役に仕立て上げてしまうのである。

 たいしたバランス感覚である。それもこれも吉田が〝弱い人〟を描くことをこの上なく愛するためだと思う。クールなスーパースターよりも、へらへらしたダメンズを描く。『平成猿蟹合戦図』に描かれる歌舞伎町の人たちはやさしい〝いい人〟ばかりで、そんなふつうさにあふれた微温的な小説は退屈なものになりがちだが、彼らは立派に物語を担う。それは彼らの弱さに物語の芽がひそんでいるからである。この弱さは、「ど田舎」と蔑まれがちな、スタバもデパートもないシャッター商店街ばかりの活気のない地方都市の弱さと地続きなのである。そういう「田舎」を背負っているところにこそ、彼らの物語がある。つまり作家が目指すのは、歌舞伎町を起点としつつも「田舎」から聞こえてくる現代の牧歌を聴き取るということなのだ。

 この小説のもっともメッセージ性の強い発言は、浜本純平の選挙マネジャーを買って出た園夕子のものである。物語の陰の主役と言っていい人物だ。

「私、思うんです。人を騙す人間にも、その人間なりの理屈があるんだろうって。だから平気で人を騙せるんだろうって。結局、人を騙せる人間は自分のことを正しいと思える人間なんです。逆に騙される方は、自分が本当に正しいのかといつも疑うことができる人間なんです。本来ならそっちの方が人として正しいと思うんです。でも、自分のことを疑う人間を、今の世の中は簡単に見捨てます。すぐに足を掬(すく)われるんです。正しいと言い張る者だけが正しいんだと勘違いしてるんです」(480)
 エンターテイメント色の全面に出たこの活劇作品の最後で、こんなに無防備で純粋なセリフを重要人物に言わせてしまうあたりに、吉田修一のやさしさと、〝弱さ〟への賛歌が表現されていると言えるだろう。

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2011年09月03日

『釜石ラグビー 栄光の日々 ― 松尾雄治とくろがねのラガーたち』上岡伸雄(中央公論新社)

釜石ラグビー 栄光の日々 ― 松尾雄治とくろがねのラガーたち →bookwebで購入

「〝松尾ではなかった人たち〟の物語」

 このところ大串先生、快調である。ついに「ドロドロの××劇」の話まで出て、「ええ!ええ!」と引き込まれてしまった。筆者には残念ながらそういう華々しい話はないのだが。

 今回とりあげるのはラグビー本である。そういえば筆者も高校時代、ちょこっとラグビーの世界に足を踏み入れた。でも、想い出と言えば、つらいし、痛いし、寒いし、暑いし、かび臭いし、球デカイし、補欠だし……みたいなものばかりで、「栄光」とはまったく無縁だった。ただ、なぜか「栄光系」の夢を見るときはラグビーなのである。ボールをもらって華麗なステップでディフェンスラインを突破、数十メートル独走してトライ!みたいな。目が覚めるたびに「アホか…」と思うのだが、「もうそんな夢は見まい」と念じて寝ても、また見てしまう。

 夢の原型にあるのは、たぶん、この本の主役である松尾雄治である。1980年代前半、松尾はほんとうに輝いていた。日本のスポーツ界にはこれまで何人ものスーパースターが登場してきたが、松尾の存在感は格別だった。この本に登場する多くの人も口をそろえて証言するように、松尾の売りはその天才的な「間の取り方」である。この「間」は時間的な「ずらし」であると同時に空間的な「スペース」でもある。

「あれは本能ですね。いまだにあの人を超える人はいないと思います。人を抜いていくときのスペースの作り方。みんな振られますから。ときには味方も振られる」(小林日出夫 215)
「本能ですね。動物的なものがありました。とにかく、どっちに行くかわからないですから。感覚であの方は動いているんでしょうが、止められる人はいなかったですね。試合だけでなく、練習でも、もう違いましたから。天才っていうのはああいう人なんだと思いました」(金野年明 112)
 スキーの回転になぞらえられて「スラローム」などとも呼ばれた松尾のステップは、スピードよりも独特のリズムが特徴だった。圧倒的な力で突破するというよりも、ぐいっ、ぐいっと引っ張られ、あれ、あれ、という間に抜かれてしまう。

 しかし、この本の目的はプレーヤーとしての松尾の天才ぶりを讃えることにあるわけではない。そもそも松尾についての本はすでに何冊も出ているし、本人の手になる『常勝集団』などもある。この本の特質はむしろ、松尾雄治というラガーを中心にすえつつも、その多くを〝松尾ではなかった人たち〟の声によって構成しているというところにある。新日鐵釜石の同僚を中心に、松尾とともにプレーした人たちの〝証言〟が実に丁寧に集められているのである。

 たいへんな作業だったはずだ。何しろ釜石が「常勝集団」として輝いていたのは20年以上前のこと。その頃の歴史を発掘したり記憶を呼び起こしてもらったりするだけでひと苦労だったろう。著者は釜石を中心に東北各地に何度も足を運び、当時のメンバーの声を丹念に拾っていく。すでに亡くなった人もいる。3月11日の大震災で命を落とした人もいた。しかし、いったん集めた声を元に物語を構成する上岡の手際はプロフェッショナルなものである。たとえば釜石が日本選手権でV7を飾った1984年シーズンの社会人大会決勝。松尾の捻挫した足首はすでにぼろぼろだった。しかしそこで「伝説のトライ」が生まれるのである。そのシーンを再現する一節を以下に引こう。(このトライはYoutubeでも観られる。文章とどっちが迫力があるだろう。)

そして後半22分、いまでは伝説となったあのトライが生まれた。松尾のキックがノータッチになり、蹴り返され、高橋がタックル、自陣ゴール前10メートルでラックになったときだった。千田から出たボールが坂下、松尾と渡った。当然、タッチキックという場面だが、松尾は蹴れずに小林へ。ところが、小林も蹴らずに走った。
「あのときはスタンドオフの山北(靖彦)が密集に巻き込まれて、人数が少なかったので外へ押し出すディフェンスフォーメーションに切り替えたんです。いまで言うドリフトディフェンスですね。ところが、藤崎が先に出すぎて、ちょっと隙間ができた。そこを小林に突かれたんです」
 小林は相手センターの間隙を抜けてから、それを予想してフォローした千田にパスし、千田から坂下、谷藤、永岡、石山、氏家、洞口、そして再び坂下へとボールがつながった。
 いくつかの点で、ここに釜石ラグビーの神髄が見える。まずはタッチフットで鍛えたと言われるハンドリングの技術や、以心伝心のパスだ。谷藤から永岡へのパスは、永岡が内に入り、シザースパスになった。
「谷藤さんが流れてきたので、ディフェンスも流れてくる。だから、こちらも一緒に流れれば、ディフェンスにつかまります。自分が縦に入ればつなげる、と考えたのです。タッチフットなど、相手がどう来るかを考えてやってますから、あれができたんです」
 と永岡は語る。(192)

 このように劇的瞬間にさりげなく〝証言〟を挟み込むのは、山際淳二「江夏の二十一球」をはじめスポーツノンフィクションのいわば常套手段となってきた手法であるが、著者の上岡がそのような効果をうまく利用しながら、かならずしも一般によく知られているとはいえないラグビーのセオリーを上手に示しているところがおもしろい。
神戸のスクラムハーフとして出場していた萩本光威にこのトライを振り返ってもらった。
「そういうときの釜石フォワードのフォローのつき方とか、すごいんですよ。ただ、バックスのケツを走っているだけじゃなくて、いきなりコース変えてバックスからフォワード、フォワードからバックスと、あの湧き方がすごい。あれは、釜石の練習の成果でしょうね。僕ら、二回くらいタックルに行ってるんですけど、全部つながれて、もう山北と顔見合わせて苦笑いしてました」(193)

「あの湧き方がすごい」なんていうコメントは〝証言〟ならではである。たしかに湧いてくるとしかいいようのないフォローぶりだったのだ。

 『この風にトライ』といったラグビー小説の著書もあり、また文学研究者でもある上岡は、サブプロットの作り方もよくわきまえているようだ。本の前半で、松尾とはおよそ縁がなさそうな高橋博行という青年が出てくる。松尾と同じ年に秋田高専から新日鐵に入社した男だが、ラグビー入社ではない。会社は技術者として採用し高炉改修などをさせようと考えていた。ところが、この素人同然の青年が、ラグビー部に入部したいと言ってきたのである。松尾が会社に掛け合うが、はじめは答えはノー。何度か交渉してやっと許可がおり活動に参加するようになるが「がんばりましょー」なんてかけ声の元気がいいだけでまったく練習にはついてこられなかった。それはそうである。釜石の激しい走り込みは、高校や大学でエリート街道を歩んだ選手でもついてくるのが難しいものだったのである。

 しかし、この高橋が徐々に釜石物語の前面に躍り出てくる。きっかけは、オーストラリア遠征で敵の巨大なナンバーエイトを一発で倒したタックルである。本人は脳震盪を起こして退場となってしまったが、「高橋のタックルは使える」という評判をとったのである。「(タックル)に来てるか来てないのか、わからないんです。すごいスピードで入ってくるし、低いし。人が来るなっていうのは、普通、感じでわかるんだけど、彼の場合はわからなかったですね」(畠山剛 114)。「来てるのか来てないのか、わかんないんです」というのもいい表現だ。まさに怖いタックルである。高橋はこうして常勝釜石の欠くことのできないメンバーとなっていくが、その後、彼の人生はさらに二転三転……と、そんな物語がさりげなく埋め込まれ、最後はほどんど感動の涙をさそうオチがつく。松尾雄治を主役とするプロットを支えるようにして、本書にはこうしたサブプロットがいくつも仕掛けられている。

 インタビューによって得たさまざまな人の声を上手に生かしながら物語を展開させる上岡の手法は、まさにパスでつなぐラグビーを――とりわけ神戸製鋼相手のあの「13人トライ」を――思わせる。決して強引に物語をでっちあげたり、押しつけたりはしない語り口である。ただ、そんな中で、著者である「私」が明確な声で語る瞬間もある。プロローグで上岡は問う――なぜ、松尾のいなくなった後の釜石は勝てなくなったのか?栄光に満ちた釜石の歴史を語るだけに終わってもおかしくない本書の中で、このちょっと不協和音めいた問いが最後まで響きつづける。問いに対する答えはエピローグにある。もはや釜石型のラグビーが通用しなくなってしまった、という。完成品ではなく無名の高卒選手をスカウトし、激しい練習と、釜石独特の牧歌性の中で鍛え抜いて育てていくラグビーはもはや時代遅れなのか。しかし、そのような変化は日本のラグビーにとってほんとうに正しいことだったのだろうか?この現実に対する著者の取り組みはまだ終わったわけではなさそうである。何とかしたい。この本のほんとうの目的は釜石ラグビーに対する鎮魂ではなく、むしろ再生への呼びかけであるようにも思えたのである。


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