« 2011年03月 | メイン | 2011年05月 »

2011年04月18日

『安部公房伝』安部ねり(新潮社)

安部公房伝 →bookwebで購入

「通路の堀り方」

 母方からの遺伝だと思うが、筆者は小さい頃から算数が苦手であった。現在、ある学会の事務局で働いており、この時期になると予算だの決算だので「租税公課支出」とか「他会計振替収入」とか「前期繰越収支差額」といった神秘的な言葉のならんだ表にどんどん数字を入れていかなくてはならないのだが――大きい声では言えないが――ゼロの数をひとつふたつ間違えるということがよくある。エクセルの欄に変な数字を入れてしまい、ファイルの方が「ぎゃっ!」というような表示を出すこともある。

 そんなわけなので、かつて安部公房の小説をはじめて読んだときには、何となくその「数学のにおい」に違和感をおぼえて今ひとつ熱中できなかったおぼえがある。筆者くらいの世代だと、若い頃はまだまだこの作家の名前は有効で、大学の同級生でも「好きな作家は?」と聞かれて(そもそもこの質問自体、今では無効だろうが)、「夏目漱石」や「村上春樹」にまじって「安部公房」をあげる人がいたものである。数学の「す」の字も感じさせない作家が多い中にあって、公房の雰囲気は明らかに異質で、それだけにいったん好きになった人は、中毒のようになって読んでいた。

 本書『安部公房伝』によれば、若き安部公房は旧制成城中学時代からほんとに数学の達人として知られていたようである。本人も「小説家にならなければ数学者になっていた」(42)と言っていたとのこと。まるで若島正のようだ。
 
 とはいえ安部公房の独特さは「数学のにおい」で説明すればいいというものでもない。たしかに彼は数学が得意だったようだが、彼のほんとうの特質は別のところにある。本書を読んでいてもっとも印象的だったのは、公房が23歳のときに出したはじめての「作品」をめぐるエピソードだ。公房の最初の「作品」は、『無名詩集』というタイトルの詩集だった。書きためた詩に、新婚の妻に向けた「リンゴの実」という作品を合わせたものである。公房はこの詩集をガリ版で刷ってホチキスでとめ、五十円で売り出した。しかし、さっぱり売れない。出身地の北海道まで行商に行ったが、まるきりだめだった。1947(昭和22)年のことである。

 行商までして詩集を売ってまわろうとする精神そのものに、どこか呆気にとられるような迫力を筆者はおぼえる。だって、詩集なんて(ましてや処女詩集なんて!)穴があったら埋めたいくらい恥ずかしいものではないか? 恐るべき図々しさ。しかし、おもしろいのは公房が、この失敗をたいへん屈辱的なものとして生涯忘れることがなかったということである。そしてこの経験は後々の文業にも生かされた。それを裏づけるコメントを作家の実の娘である著者はよく覚えている。

 『無名詩集』が売れなかったことは、自己の内心を吐露する詩という表現手段を選択したことに対する自己嫌悪のようなものをもたらしたのではないかと私には思われる。文学を他者との通路と考えていた公房はのちに、「通路の掘り進め方にはコツがある。自分の方から掘ってもだめなんだ。相手の方から掘り進めないと」と言っていたが、それは若い頃身につけた商売のコツでもあったろうし、思ったようには売れなかった『無名詩集』を売り歩きながら身にしみたことでもあったのだろう。(82)

「通路の掘り進め方にはコツがある」などという境地にはなかなか達することができるものではない。おそらく公房には作家としての、あるいは人間としての、天性の運動神経の良さのようなものが備わっていたのだろう。もちろんどんな作家でも「自分の方から掘ってもだめなんだ」くらいの境地には到達できる。しかし、日本の文壇が長らく「自分の方から掘る」という不器用さをよしとしてきたのも事実だ。だから、そこに居着いてしまう人も多い。しかし、「掘ってもだめなんだ」と壁にぶつかりながらも、公房のようなたくましさでその壁を超えることのできる人はそういなかった。そこに垣間見えるのは、共産軍と国民軍とが入れ替わり攻めてくる敗戦後の奉天で、砂糖の配合を実験しながらついに絶妙な味のサイダーを売り出し大儲けしたなどという、たくましい青年の姿である。しかも、この成功に気をよくして「固形サイダー」まで売り出しさっぱり売れなかったなどというオチがあるのも、いかにも公房的だ。

『安部公房伝』の筆致はけっして熱狂的でも感傷的でもなく、どちらかというと淡泊でさえあるのだが、強い物語性に流されていない分、脇役たちがひょいと顔を出して面白い味を出す余地がけっこうある。公房の父の浅吉はその中でもとりわけおもしろい存在である。浅吉は北海道の開拓地で内科医を開業していたが、薬がなくなると休診にしてリュックを背負い、鉄道に乗って山の方に行って薬草を採ってきたそうである。公房は結局医者の道には進まなかったが、浅吉の残したエピソードは、「そうであったかもしれない公房」の姿を想像させるのに十分だ。その他にも、公房が奉天の小学校で教わった「宮武先生」とか、親友の「金山時夫」など忘れられない脇役は多数。

 人だけではない。物もおもしろい。ワープロやカメラから、シンセサイザー、あやしげな創作物など安部公房の書斎には「男の子」的なおもちゃがたっぷりだったという。この作家は物をこよなく愛したらしい。その発明好きもよく知られていて、簡易式のチェーン「チェニジー」などは発明の賞までもらっている。また発明の一環なのかもしれないが、カーキチでヨーロッパからの輸入車を運転することの多かった公房は、左ハンドルで車の料金所を通過する際、通行券を反対側の助手席から手渡すのが面倒くさくて、車の中にマジックハンドを常備していた。晩年、箱根で一人暮らしをしていた父が死んだ後、車にぽつんと残されたマジックハンドを見て、娘は「用をなしたのか疑問」といぶかる。

 あらためて読み返してみても、安部公房の作品には叩いても焼いても死に絶えそうにないしぶとい文体の力がみなぎっている。その根底にあるのはいたずらに獰猛な生命力などではなく、「自分の方から掘ってもだめなんだ。相手の方から掘り進めないと」という、文学者と科学者と商売人とが同居したようなクールな持続力かと思う。その文体を模倣しようなどとはしない文章で書かれた伝記から、作家の生命の力を思い起こすのはなかなか楽しい。


→bookwebで購入

2011年04月01日

『ビリジアン』柴崎友香(毎日新聞社)

ビリジアン →bookwebで購入

「口の中がざらざらする小説」

 夕陽と川べりと工場街を背景にした静かな世界である。だが、癒し系とも違う。セピア色の〝昭和〟な感傷にひたりたくなるが、それも違う。どこかピリピリしたものがある。
 『ビリジアン』は掌編を20ほど連ねて、小学校から中学、高校へと至る思春期女子の姿を、ときに時間軸を前後しながら描き出した作品である。場面は学校の教室や登下校が中心で、いかにも何もなさそうな世界ばかり。実際たいしたことは起きないのだが、読んでいると何か落ち着かない。

 たとえば冒頭の「黄色の日」はタイトルの通り、空の色が黄色くなった日のことを書いている。

「今日はえらい黄色いですなあ」
「ほんまですねえ」
二人とも立ち止まらないまま同じようにまた上を向いた。西山先生のうしろの子どもたちはまだ子どもでよくわかっていないのか、ふつうの日と変わらずに隣の子としゃべったり前の子を蹴ったりしていた。男の先生が、離れていく西山先生の背中へ向かって言った。
「どないしたんでしょうねえ」
「天変地異ちゃいますか? こわ」
そういうことを言うから、わたしは西山先生が好きだった。西山先生は彼女の新しい子どもたちを連れて、講堂へ入っていった。(19)

ほのぼのしていて、ここだけ取り出すと典型的な微温小説のように読めるかもしれないが、どういう作用か、通して読んでくるとこちらはじわじわと不安感のようなものに苛まれている。登場人物たちがやけにのんびり前向きでふつうなのが、よけい気になる。

 冒頭部はこんな具合である。

朝は普通の曇りの日で、白い日ではあったけれど、黄色の日になるとは誰も知らなかった。テレビもなにも言ってなかった。(10)

 語り手は繰り返し「黄色」のことに触れるのである。「黄色い」という言葉そのものが、小説の中に混入した慢性病のようにも感じられてくる。

三時間目には、黄色くなり始めていた。最初、豪雨の前ぶれのときのように、昼間なのに夕方みたいという感触を持ったけれど、すぐに違うと気づいた。だって、黄色すぎるから。きっとみんな、そう思ったと思う。(14)

黄色は未来についての漠然とした不安のようなものにもつながっているのかもしれない。でも、誰もそれをはっきり言葉にしない。語り手も含めて。かわりに読者が先走って心配してしまう。

「消しゴム、半分ちょうだい」
わたしが言うと、中川は机から薄いプラスチックの定規を出し、消しゴムを切り始めた。その手も消しゴムも地図帳もノートも机も、全部ぼんやりと黄色っぽい光に覆われていた。
「なんか黄色くない?」
「だいぶ黄色い」
中川は、窓を見上げた。わたしも空を見た。薄暗くどこまでも雲に覆われた空は、黄色かった。(16)

こういう部分をへてさっきの「ほのぼのした」会話に至るのだが、その頃にはこちらはほのぼのしただけではすまない気分になっている。

 これはいったいどういう「気分」だろう。
 『ビリジアン』の表層はごく日常的である。主人公はいかにも主人公らしく、いたずらだったり、おてんばだったり、呑気だったり。感覚も鋭敏で周りもよく見ているし、よく反応するし、電車の中で変な伝道者に絡まれたりして、言ってみればいかにも主人公にふさわしい人物である。

 ところが、一見静かでおとなしい語り口が、実はあまりに静かすぎて「どこか変だぞ」という気持ちを呼び起こす。心ここにあらずとでもいうような、情緒の一部が冷えきってしまったような視線である。そのせいでかえって、見ているはずのものについて、まるで見えていないような気分にさせる。どこか無機的なのである。実際、この連作集には砂や石のイメージがあふれている。終わり近くの「船」という一篇には次のような箇所がある。

 堤防の外の場所は全体に光が当たっていて、そこにあるものがどれも同じ物質に見えた。堤防沿いに歩いた。巨大なタイヤのトラックがわたしを追い越した。砂が熱風で舞い上がって、口の中がざらざらした。皮膚の上で汗と混ざった。(238)

 このような「口の中がざらざら」する感触はまさに典型的だが、さらに言うと砂や石や水のイメージの背後にあって一番重要なのが、「どれも同じ物質に見えた」という感覚でもある。ほのぼのとした思春期小説の仮面をかぶっていながら、『ビリジアン』には事故や病気や死や暴力のことがちょくちょく出てくる。怖ろしい大地震や天変地異もちらっと言及される。しかし、決してテーマとはならず、それらをめぐって深く考えたり、思い出したり、思考したりということもない。あくまでちらっとのぞくだけ。そんな意味ありげなものなのにちらっとしかのぞかないのは、たぶん、小説の世界が「どれも同じ物質に見えた」という目でつくられているからだと思う。

 中学校の廊下は石だった。濃い灰色に白い粒状のものが混じっていた。表面は光っていた。よく滑った。階段も石だった。段も、手すりも、硬くて縁は角張っていた。だからぶつかって頭を打つやつがいた。目の前で二年生の男子が血を流していた。流していたというよりは、噴き上がっていた。短い間だったけど。(160)

 暴力は終始このぐらいの距離感で描かれる。「たいへんだ!」という感じはない。主人公が爆竹を破裂させて顔に火の破片があたっても(「火花2」)、いじめにあって殴られ血を流しても(「赤」)、バイク事故で切断寸前になった指のことが語られても(「白い日」)、どれもあの冒頭の「黄色の日」と同じように、「なんか黄色くない?」という程度の温度で受け取られる。こういう〝微温性〟はなかなか独特だ。何よりこの微温をずっと維持するのはけっこう難しい。おそらく秘密は〝ブレンド〟にある。イメージとイメージの配合のバランスのおかげで、どんな情緒も突出しない。話が特定の方向に盛り上がったりもしない。どうやら、人が何かを強く思ったりしないようになっている。

いきなり背中を跳び蹴りされて、駐車場に転がった。灰色のコンクリートが目の前に迫ったとき、灰色の表面の刷毛の跡まで鮮明に見えた。擦り剥いた手を蹴られた。起きあがりかけたら、昼間と同じところを殴られた。二度目を避けようとして、頭を殴られて、また背中を蹴られた。小石の刺さった膝と手が痛んだ。手首と肘に血が滲んでいた。血が出なければいいのに、と思っていた。なんの役にも立たないのだから。吉本さんたちは、またティッシュをくれた。そして、やめたりいや、なんでそんなんすんのよ、なども言ってくれた。(「赤」156)

 登場人物たちはそれなりに状況を一生懸命生きているようだが、この暴力シーンに際しての「やめたりいや、なんでそんなんすんのよ」なんていうセリフの間延びした感じは何なのだろう。

 こういう世界に入り込んで、私たちは「どこか変だぞ」と思うわけである。ふつうなら、病気だの死だの暴力だのとなると、「すわっ、小説のはじまり!」といきりたつのが読者というものだが、そうなるかわりに、マイナスのシグナルはちら出しで終わる。私たちはこのようなマイナスの要素に、今そこにある生々しいものとして遭遇するのではない。あくまで気配として感じるだけなのである。

 描出されているのは予感そのものかもしれない。未知に対する漠然とした敏感さと言ってもいい。今ある世界が、まるで未知のもののように見えている。だから予感は決して明確な形をなすことはなく、静かでおだやかな世界の中に混じりこんでいる。思春期小説なのだが、思春期のステレオタイプな明るさや元気さや感傷性は抑制され、「気分がよかった」とか「好きだった」といった感慨さえも、ぴりっとした緊張感やじわっと染み出すような不安とブレンドされている。イメージそのものはこの作家が他の作品でも用いてきたものだが、醸し出される気分がちょっと違うように思った。ずっと前に読んだ山本昌代の作品を思い出したりもした。


→bookwebで購入