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2010年08月16日

『精神医学から臨床哲学へ』木村敏(ミネルヴァ書房)

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「あの木村敏の自伝です」

 なるほど頭とはこういうふうに使うものなのか、文章とはこういうふうに書くものかということをかつて筆者に最初に示してくれたのは木村敏の著作だった。惚れ惚れするほど明晰でありながら、眩暈がするような直感的な跳躍をも秘めている。何より、思わぬところに問題の所在を見いだし、するするっと意味をほぐしていく手さばきは見事である。

 精神医学に関心があろうとなかろうと、言葉や意識をめぐって一度でも「不思議だなあ~」と思ったことがある人なら、木村の著作から「その先」を考えるヒントを与えられるはずである。出で立ちは実に地味――自分自身を格好良く見せようとしたりはしない。そんなことより、こちらを巻きこんで「え、それならこれはどう?」と手をあげて意見を言いたいような気分にさせてくれる、その懐の広さが木村敏の魅力である。80年代から90年代にかけ精神医学の用語を使って文化について語ることが流行したが、その多くが言葉のインパクトだけに頼った上滑りのものだった。これに対し木村の〝地味さ〟は今でも輝いている。

 本書はその木村敏による初の自伝ということで、いったい何が出てくるのだろう、どんな秘密が明かされるのだろうと幾分の覗き趣味とともに手に取った。たしかに体裁としては自伝である。幼少期の体験からはじまって、両親をはじめ家族のこと、学校のこと、と記述がつづく。著者が日記をつけていることもあり、記録は正確。だが、いわゆる〝暴露〟や〝告白〟は期待しない方がいい。何しろ木村という人は、不満をこぼしたり人の悪口を言ったりすることがほとんどない。言及されるのはせいぜい海外に講演で呼ばれたときに主催者に飛行機代を踏み倒されたこと(これはひどい!)と、足に魚の目ができやすくて歩くのが嫌いなことくらいだ。友人関係でも家庭でも実は大きな悲劇があるのだが、決して感傷的にも自己憐憫的にもならない。あくまで抑制された文章がつづられる。

 おそらくこのような人生との立ち向かい方こそが、木村の思索の原点にあるのだろう。目を引くような用語も使わないし、自分を無理に大きく(あるいは小さく)見せたりもしない、つまりは文章が無理をしていない。とにかく目の前にある問題にどんどんのめり込む。そのためにつねに知的に身構えている。

『精神医学から臨床哲学へ』は、木村が精神病理学の分野で行ってきた仕事への壮大な「あとがき」として読むのがいい。それも非常に魅力的な「あとがき」である。回想を呼び水にしながらも木村は自身の主要な論文、翻訳、著書について、実に簡潔でポイント押さえた要約をしていく。加えて本書では自伝という体裁を生かして、新しい思考のきっかけとなった事件を再構築しつつあらためて自身の知のコンテクストを描き直すという作業が行われている。当時はまだこれを言語化できていなかった、などと木村が振り返る様子を目の当たりにすると、さながら知の現場検証をしているような気分になる。

 紹介したいそんな「事件」は本書中にふんだんにあるのだが、その中からひとつ薬物実験の箇所を取り上げよう。当時まだ研究目的での使用が許されていたLSDを木村が自らに投与しておこなった幻覚体験について触れている一節である。まずは微量の投与が行われる。木村はそのときのことを「そのときは周囲の物体の輪郭が異常に鮮明になり、周囲の全体が意味深く見えてくるという過相貌化(Hyperphysiognomisierung)が体験されたぐらい」などしているが、木村の問題意識の原点に「離人症」があることを考えあわせると、すでにここで「おっ」と思えてくる。

 私たちはふだん「意味深い」という言葉を何の気無しに使うが、「意味が深い」とか「意味が浅い」といった体験は決して自明のことではない。「意味が深いって何だろう?」と疑問を持ってもいいのである。離人症の症例では、しばしば「世界があるのはわかるけど、それが生々しい意味を持ってこない」という患者の声が聞かれる。世界がどうしようもなく「意味浅く」見えてしまう。そのあたりの事情の理解と、こうした「過相貌化」の概念化とは密接に結びついていそうである。

 LSDによる実験の第二段階では、そうした過剰な「意味らしさ」が一層劇的な形を取った。木村は次のように描写する。

注射後まもなくして意識障害が現れて混迷状態になり、それが何分間続いたのか自分ではまったく覚えていない。意識がやや回復したとき、部屋全体がいわば色彩の渦につつまれているような体験をもった。よく見るとそれは、部屋の中にある鮮やかな色彩の物体に目が止まるとその色彩が物体から浮き出して、部屋一面にばらまかれるためだった。「表面色遊離」と呼ばれている現象である。ピアノの鍵盤を叩くと、そこら中に鮮やかな色彩がばらまかれた。音の一つひとつが色になってピアノから出てきた。楽譜の音符の一つひとつにもすべて色がついて、それがあたりの空間を飛び回っているように見えた。これは従来から「共感覚」(Synästhesie)あるいは「色彩聴」(Farbenhören)と名づけられていた現象である。

何という美しい場面だろう。「ピアノの鍵盤を叩くと、そこら中に鮮やかな色彩がばらまかれた」などという一節は、ランボーに真似されそうだ。しかし、木村の持ち味はこんな〝詩的〟な体験をつづりながらもそれを実に地味に着地させる点にこそある。決して小躍りして筆が走ったりはしない。むしろ〝詩〟に塩をかけながら、平然と記述する。しかもそれでいて、体験そのものの持つ衝撃性がそこなわれないところが不思議なのだ。(せっかく作品の名場面を引用しながら、それを実につまらないふうに見せてしまうことが何と多いことか!)

 さて、LSD体験はさらにつづく。

トイレに立ったとき、旧式の家屋で曲がり角の多い廊下を歩かねばならなかったのだが、右へ曲がろうと思うだけで家全体が右に傾き、左へ曲がろうとすると逆に左へ傾いた。まだ現実の運動として顕在化されていない潜在的な運動の意図がそれだけですでに身体感覚と視覚を変化させ、周囲全体の傾きという知覚を生じさせたのだった。ヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼカーはその著書『ゲシュタルトクライス』で、有機体の運動は運動の意図の「先取り」(Prolepsis)を通じて実現されると言ったり、運動と知覚はつねに一体となって「共通感覚運動性」(Konsensomobilität)を形成していると言ったりしているのだが、そんなことはその当時まだ知るよしもなかった。

木村はここでヴァイツゼカーの著作の射程に触れているが、その『ゲシュタルトクライス』を(たとえ木村訳であっても)直接手にとって読んで、果たしてこれだけの知的興奮を得られるか。木村のあの明瞭な描写につづいて、「まだ現実の運動として顕在化されていない潜在的な運動の意図がそれだけですでに身体感覚と視覚を変化させ、周囲全体の傾きという知覚を生じさせたのだった」などとすっきり言われるからこそ、「おお」と思うのではないだろうか。(ちなみにスキー教室では、右でも左でも自分にとって苦手な側のターンをするときはまず目をそっちに向けるようにするといい、と指導されるけど、同じことなんでしょうか?なんていう間抜けな質問をしたくなったりする……。)

 同じ話題でもおもしろく興味深く語れる人とそうでない人がいる。後者の典型は、概念で厳重にガードを固めすぎて、議論が等号の連鎖になってしまうタイプである。説明ではなく演算になってしまう。木村は概念の上に跳ねたり下に潜ったりするのがとてもうまい。そうすることで概念のガードを解くのである。「こと」と「もの」とか、「ある」と「いる」といった素朴な言葉の対立を議論の出発点に据えたりするのも、そのように自由に上に行ったり下に行ったりする柔軟さの表れのような気がする。つぎのような一節はその典型だろう。

「何々というもの」と「何々ということ」のそれぞれの「何々」の部分に単語を当てはめてみるといい。前者の「もの」のほうの「何々」のところに来るのはかならず名詞であるのに対して、後者の「こと」のほうの「何々」は、原則として動詞、助動詞、形容動詞などを含んだ、文章の術語部分であることがわかる。「時間ということ」として捉えられている時間は、いちおう名詞的に「時間」とは書かれてはいるものの、「時間というもの」といわれる実体化された時間とはまるで違って、存在ではなく生成の性格を帯びている。

こんなふうにして「自己」が「もの」であるだけでなく「こと」でもあるという説明へとつながっていく。読んでみるとどうということはないが、書こうとしてもなかなかこう書けない。それは書けるかどうかということよりも、そもそもの思考の準備の段階で何かが違っているということなのである。表向き平易なふうに書いたつもりの文章でも、その背後で頭が渋滞しているとぜんぜん意味は伝わってこない。

 伝記としての本書でとくにおもしろいのは、ときに木村が「この二つの論文は、現在の私自身から見ても自分の作品とは思えないほどの完成度をもった臨床哲学論文であって、私の現象学的精神病理学の神髄を知りたいという人があったら、なにをおいてもこの二つを読んでほしいと思っている」などという、人によっては言うのをはばかりそうなことをさらっと言っていることである。こんなふうに自分の論文に言及できる人、ほんとにうらやましいし、やっぱり学者として信用したくなるなあ、と思ってしまうのである。

 ちなみにその二つの論文とは「分裂病の時間論」(1976)と「時間と自己・差異と同一性」(1979)である。念のため。


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2010年08月02日

『心の野球 ― 超効率的努力のススメ』桑田真澄(幻冬舎)

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「桑田があんなふうにしゃべる理由」

 野球中継の桑田の解説はかなり独特だ。
 現役時代のヒーローインタビューでの、あのぼそぼそしゃべる感じそのまま。くぐもった声は聞き取りにくく思わずテレビのボリュームをあげたくなる。実況のアナウンサーが話をふらなければ平気で黙っている。このあいだも一緒にテレビを見ていた知人が「あれクワタがいないよ? どこ? クワタはどこ? 帰っちゃった? トイレ?」と騒ぎ出した。

 しかも、たまにしゃべれば妙なことを言う。「打たれてしまっても、まず周りに感謝するのです。ありがとう、と心の中で言えばいいのです」。ん? 何なのだ、この解説。どうも調子がおかしい。が、本書にはこの桑田節がたくさん出てくる。

「ありがとう」
 現役時代は恥ずかしくて、とても公に言えなかったのだが、僕は高校からメジャーまで、一球一球、すべてのボールに感謝の気持ちを持ち続けていた。本当に、一球ごとに「ありがとう」と言っていた。

う~ん。そう言えば、桑田はいつもマウンドでぶつぶつ呟いていた。これだったのか。ボールに「ありがとう」と言っていたのか。指導している少年野球チームで子供が盗塁を決めると、桑田はこんなことを言うそうだ。

「いい盗塁だったけれど、バッターがスイングしてキャッチャーの投げるタイミングを遅らせてくれた共同作業で成功できたんだよね。ありがとうという感謝の気持ちをもつことが大切なんだよ」

いずれも「感謝」と題された章からの引用である。野球部カルチャーをふつうに生きてきた人からすると、「うぇ、気持ちわりぃ」と思うような一節かもしれない。この部分だけ読むと、どこかいかがわしくさえある。しかし、本書には一貫した姿勢があり、その背後にははっきりした世界観がある。それは、たとえば自然を扱った「万里一空」という章の次のような一節を見るとよりはっきりしてくるだろう。

 われわれ人間は、この地球で生きているのではない。生かされているのだ。その認識がとても大切。どんなに科学技術が発展したとしても、権力があっても、お金があっても、台風や地震といった天災は防げない。
 自然に敬意を払い、自然を労り、自然に感謝する、自然とともに生きているという心構えがあると、自然さえも味方につけられる気がする。

ここまでくると、ああそうか、と思う。まさに教祖の語り口なのである。人前で口にしたら恥ずかしくなりそうなセリフを、堂々と何の疑念もなく言ってしまえる。まさに教祖の才能である。言葉の水準がふつうの人とは違う。しかも、そこには〝超越的なもの〟に対する信頼がある。まるでロマン派詩人ワーズワスのように〝見えないもの〟について滔々と語ったりもする。これでは宗教ではないか。

 しかし、桑田が何より独特なのはふつうの教祖と違って、その声がひどくかぼそいということである。いったいこの人はどうしてこんな聞き取りにくい声でしゃべるのだろう。野球解説をはじめてもあんまり変わらないじゃないか。どうしてナカハタさんやホシノさんのように、明るく元気に、あるいは堂々と、あるいは偉そうにしゃべらないのだろう。

 そういえば、と思うことがある。ヒーローインタビューの場面を思い浮かべてもらうとわかりやすいのだが、野球選手というのはどんなつまらない受け答えしかしない選手でも、たいてい声だけは明瞭でしっかりしているということである。それは日本野球に〝声を出す〟というカルチャーがあるからだ。小学生の野球チームからはじまってプロ野球に至るまで選手たちはつねに大きな声を出すことを要求される。ベンチにいる控え選手も相手をやじったり味方を応援したり、守っていても野手はピッチャーがストライクをとるたびに「惜しい!」とか「ナイス・ピッチ」とか「ツーアウトだぞ」と声をかけたりする。彼らは声を出すことと引き替えに野球への参加権を獲得してきたのだと言っても過言ではない。

 ところが桑田は何と中学生の頃から、この〝声だしカルチャー〟に異議申し立てをしてきたというのだ。キャッチボールや練習のときにいちいち声を出すのは無駄、そんなことをしたら捕球や投球の動作に集中できない、ましてや試合中の野次はやめるべき。何よりそれは卑怯なことだから…。

 おそらく野球部カルチャーに一度でも染まったことがある人は、「野次こそ野球」と思ってきたのではないだろうか。もちろん、その効能についても多くの人が認知している。桑田も指摘するように、それは軍隊のノリなのである。声を出すことで恐怖心を取り除き、緊張をほぐし、身体と神経がリラックスしたなめらかな反応をするようにし向ける。しかし、桑田はそこに明確にノーを突きつけた。合理的でないから。美しくないから。正しくないから。

 本書の中で桑田は日本野球を発展させるために数々の提言を行っており、その中のいくつかはすでに実行に移されつつあったり、すぐにでも取り入れられたりするものだと思うのだが、この〝声だしカルチャー〟に対する異議申し立てはかなりラディカルなものだ。そしておそらく、桑田にしか提案できないものではないかと思う。そう、あのぼそぼそ声の桑田だからこそ提案できた方法なのである。

 桑田があんなふうな声でしゃべるのは、桑田の野球が徹底的に内面の野球だからである。あの声は人生において、外の世界と言葉で交わるのがあたりまえではなかった人の声なのだ。桑田の声は外の世界とまじわる前に、まず中の世界で発酵し、熟成される。だから、桑田はずばぬけた洞察力でバッターの心理を読むことができる。自分自身の心さえも読むことが出来る。「神の声」を訊くことも出来る。そして、「ありがとうという感謝の気持ちをもつことが大切なんだよ」などという、とても野球モードとは思えないやさしいことも言える。あんな声で直接語りかけられたら、どんな野球少年でもめろめろになるだろう。

 本書でごくさりげなく言及される技術や調整法についてのコメントはどれも非常にすぐれたものだ。たとえばウォーミングアップは円の動きを意識してやるといいとか。子供に守備の動作をさせながら手拍子を打って、そこに音楽が感じられるかどうかをチェックするとか。登板間隔の間の調整法・食事療法など、下手すると論文執筆のためのヒントを与えてくれるかと思った。。

 しかし、教祖たる桑田の面目躍如と思えるのは、何よりその自分への言い聞かせにおいてである。桑田の声は外に向けられる前にまずは自分に向けられたものなのである。その段階のドラマが実に〝濃い〟のである。本書でとりあげられるエピソードの多くにしても――高校進学、一年生夏でのピッチャー昇格、現役引退を決めたときの逸話など――桑田の桑田自身への語りかけをめぐる物語ばかりなのだ。すべて、あの内向きのぼそぼそ声の物語なのだ。桑田は決して外の世界に語りかけるのがうまい人ではなかった。マスコミ扱いもうまくなかった。本書の全体にも、たとえライターの手が加わりきれいに仕上げられた文章になっているにしても、そのぼそぼそさはどことなく感じられる。だからこそ、そこに感動したい。

 では桑田は自分にいったい何を言い聞かせてきたのだろう。これはたとえば小説家にとってももっとも重要な能力であり、これがない人は結局はすごい小説家にはなれないのだろうなと思う。それは、自分に酔う、という能力である。きっと桑田は本来、自分に酔える人ではないのだ。あまりに賢く、あまりにものが見えてしまう。しかし、その慧眼を駆使して桑田は、どうすれば自分で自分に言い聞かせて自分に酔うようにし向けることができるのかを探究し続けてきた。そしてそれを実践してきた。こんなに内向的な野球をする人は見たことがない。しかし、その成果が桑田のあのピッチャーとしての実績として残った。そういうふうな軌跡が見えてくると、下手するとカルトみたいに思える一節があっても、ぜんぜん「気持ちわりぃ」なんて思わないのである。


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