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2009年04月14日

『東大英単』東京大学教養学部英語部会(東京大学出版会)

東大英単 →bookwebで購入

「受験生のみなさまへ」

 ほほ~。いいんですかねえ、こんな本を東大の先生が出しちゃって?
という声が聞こえてきそうな本である。実際、冒頭はふるっている。すなわち、
これは受験参考書ではありません。
いやいや、そんなこと言ったって、このタイトルはどう見ても受験生向けでしょ。それに、この冒頭の一言からして、意識してることがバレバレじゃないですか?そんな断り書きするくらいなら、タイトルを変えればいいのに~。やだなあ、先生、商売うまいねえ!
なんて。

 しかし、冒頭の言葉は嘘ではない。人気イラストレーターによる「にゃん猫」の挿し絵だけ見るとターゲットは女子高生か!?とも見えるが、内容は受験生用の単語集にしてはちょっと高級。語の定義は英英辞典風に英語のみだし、例文もレベルは高い。対象は高校生や浪人生というより、大学生以上だろう。練習問題つきで、教科書として使われることも想定しているようだ。でも、それでは受験生には早すぎるか、というとそんなことはない。単語そのものは受験までに知っておいていいものばかり。というか、日本の教育状況では、受験で覚え損ねた英単語は、その後十年くらいは覚えない可能性があるので、是非学んでおくべき単語ばかりと言ってもいい。もちろん、大学生、社会人なら、なおさらである。

 それにしてもこの本、つくる側はそれなりの覚悟が必要だったろうなと思う。単語に焦点をあてた英語学習本というのは、なかなか地味だ。渋好み。しかも「たった280語」に絞っているという。でも、何やら趣向がほの見えるのもそのあたりだ。たった280語と言われると、「ほほ~」という気になる。

 そこで当然、じゃ、いったいどんな単語をお選びですかね?と訊きたくなる。そこまで絞るからには、それなりに選りすぐりの単語なんでしょうねえ?と。で、ざっと単語を見渡した筆者の印象は、「むむ」である。予想とはちょっと違った。

 280語で一冊にするんだから、よほど厳選されているはず。それも英語の芯を射抜くような単語ばかりのはず。ということで、筆者が想像したのは動詞や副詞、前置詞を主に集めた、いわゆる用法中心の単語集だった。英語を読んだり書いたりしているときにつくづく感じるのは、何より難しいのが動詞や動詞句周辺の扱いだということだ。動詞は英語文章のいわば心臓部。血流や呼吸も、動詞の立て方で決まってくる。読むときにもその辺のドクドクいう感じに乗っていけないとリズムはとれないし、書くときだって(そして、しゃべるときも)動詞部がなめらかに出てこないと、セロテープでつぎはぎしたみたいな英語になる。動詞部分になじむということは、すなわち構文全体への目配りが自然と効いてくるということだろう。

 ところがこの単語集、実に名詞が多いのである。これはいったいどういうことなんでしょう? civilization, context, framework, investment, condition, circumstance, symbol, ideology...たしかに重要な単語には違いないのだが、こういう単語は言ってみれば覚えればすむもの。日本語訳をつけておしまいにしていい単語もある。もっと言えば、名詞というのは、頭でわかればすむものではないか? 英語で本当に難しいのは、頭でわからない部分、つまり身体で感ずるかのようにして習得するしかない部分ではないか。そういうのは動詞句のあたりに集中しているのではないか。二八〇語に「厳選」した以上、そういう所に的をしぼって解説してもらえるのかと思っていましたよ~!というのが筆者の第一印象。

 しかし、ちがうのだ。この本はそのあたりは、実に柔軟である。見出しに立てた語が名詞であっても、その派生語はもちろん、単語の周囲にうまく網が広がって、ひとつの語から芋蔓式に、しかし、あくまで簡潔に解説がつながっていく。たとえばstressという語の説明は次のような具合。

「ストレスが大きい」などと言うときの「ストレス」は、英語のstressをそのまま用いたものであるが、日本で日常語として用いられる「ストレス」がもっぱら心理的な圧迫や緊張を意味するのに対して、英語のstressはこのような人間の精神にかかる圧力の他に、物質にかかる物理的な圧力も意味として含んでいる。また動詞として用いられた場合には、「強調する」という意味になり、emphasizeと同じである。put(lay, place, etc) stress on...(…を強調する)、under the stress of ...(…の圧力を受けて、…に駆られて)などの熟語がよく用いられる。

こうした説明なら当然、stressという名詞だけでなく、その周辺にある動詞的環境にも目がいくだろう。用法にもつながる。それに「主語と動詞の相性」とか「証拠の確実性」(suggest, prove, indicate, demonstrateなどの使い分けのこと)といった、いかにも英語を書いているときに引っかかりそうな動詞的な問題については、しっかり「コラム」でとりあげている。

 いや、それだけではない。先ほど筆者は、名詞などというものは頭でわかればすむものではないか、と言ったが、実はこの本に名詞が多いのはまさにそのためでもある。これは英語の学び方の根幹とも関わる問題である。近年の英語教育はどうしても天気予報のリスニングだの、パーティでの自己紹介だのといった、実際の状況に応じた「反応英語」のようなものが中心となっていて、ほとんど体育の授業なんじゃないか、と思ってしまうような、頭を使わないトレーニングが主流となっている。「スキル」skillのような言葉がやたらと使われるのもそのためだろう。英語をしゃべるためにそういうトレーニングが欠かせないのは確かなのだが、その副作用として、あまりに頭がからっぽの英語が横行していることは間違いはない。いくら血流がよくなっても、栄養分がとりこまれなければ話にならない。

 この本に名詞が多いのは、そういう状況に対するメッセージがこめられているからなのである。英語という科目は体育とは違います、楽しく頭を使うための科目なんですよ、と。もっと栄養分をとりこみましょうよ、と。たとえばこの本にはroleという語が入っている。たった280語しかないのにroleですかあ?と言いたくなるかもしれないが、その解説は次のようになっている。

かつてシェイクスピアの時代に、芝居をする際に役者に配られたのは台本ではなく、その役者の分の台詞を書き抜いた巻紙(roll)だった。このrollからroleという言葉が生まれた(発音は同じ)。「役」「役割」の意。play a roleはplay a partと同義。

いつもでなくていいが、ときにはこういう解説があるのはとてもいい。わざわざ英語をやるなら、そうか、もっと勉強しようぜ、と思う気になる方がいいに決まっている。頭を使って勉強するには、その手続きを踏むための語も必要となるが(本書で言えばcontroversy, fundamental, hypothesis, strategy, debate...など)、何より覚えたての単語を出発点に、概念やその歴史に切れこんでいくのが楽しいのだ。本書では、たとえばsignificanceの項ではソシュールの言語論がちらっと出てくるし、essentialの項ではサルトルの実存主義に、implicationではヴィトゲンシュタインに話題が及んだりする。principleやpolicyについての解説もなるほどと思ったし、transcendについてのコメントも良い。

類語として、surpass, excel, outdo, outshine, rise aboveなどがあるが、これらの語が一般的には能力や業績、あるいは美しさなどの属性に関して使われるのに対して、transcendは通常の経験や意識の範囲を超えるという意味で、哲学や神学に関する文章によく出てくる。なお、out-は上記のoutdo、outshineのように「…を超える、凌ぐ」という意味合いの多くの複合語を形成するが、この他にもoutlive、outlast(…より長生きする)などがある。さらに固有名詞と結びついた興味深い表現として、シェイクスピアの『ハムレット』に由来するout-Herod Herod(残忍さにおいてヘロデ王を凌ぐ)という成句はよく知られているが、同様にout-Lincolned Lincoln(リンカーン以上にリンカーンのようだった)といった言い方もできる。

「transcendは哲学や神学に関する文章によく出てくる」なんて話、昔なら授業中に先生が雑談として話し、さらにエマソンとか何とか言ってくれたものだが、今みたいに機器を使用する授業が増えてくると、そういうヒマはない。elementaryの解説に次のような一節があったりするのも、ヒマがあればこそ。

なお、友人などから「君、すごいね」と言われて、"Elementary, my dear Watson."(そんなのは初歩だよ、ワトソン君)と返す、というパターンがある。

 先にもふれた全部で14ある見開きコラムは、こうした雑談的な隙間を思い切り広げてみせる試みである。語彙や用法をまとめたものを中心にしつつ、英語の歴史、翻訳の原理などにも話題は及ぶ。ただ、どのコラムも目のつけ所は洒落ているのだが、ときどき読んでいてノリが悪いというのか、かえって単語ごとの解説の方が凝縮していて歯切れがよかったなと思わないでもなかった(全部ではないけど)。「よし、じゃあ、ご説明しよう」とくつろいで長話モードになったときに、英語・日本語混在の文章というのは、うまい読み物になりにくい。ちょっと冗長だったり、内容的にあちこちいきすぎて、悪い意味でアカデミックモードになってしまったり。流れがつくりにくいのかもしれないが、そこを何とか、こういうところで、するっとすぱっと読めるようなコラムだったらもっとよかったのになあと思った次第である。(分量を縮めるのも手か?)

 いやあ、これから東大入試をつくる人はこの本を意識しちゃってたいへんでしょうねえ、なんてよけいな心配はしないでおこう。もっとポジティブに行くべし。こういう本、いっそ大学から受験生へのメッセージととらえるべきなのだ。ここに満載した知への入り口を知的におもしろがれないようなあなた、大学入ってもいいことないかもしれないですよ? 「アカデミック難民」になるだけかもよ?というような。


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2009年04月01日

『文芸誤報』斎藤美奈子(朝日新聞出版)

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「ちょい怖」

 斎藤美奈子と言えば、ここ何年か、もっともノっている批評家のひとり。本書は「週刊朝日」と「朝日新聞」に連載された文芸時評書評を、多少の編集を加えてまとめたものだが、通読してみると、その勢いの元がわかる。

 汗水たらして次々と出る新刊をフォローする。まあ、それくらいは批評家なんだからするだろう。斎藤美奈子が偉いのは、「こんな、どーでもいいウンコ小説、書きやがって」と明らかに思っている小説についても、ちゃんと語れてしまうところだ。いや、ほんとのことを言うと、わりと本気で尊敬しているのらしい書き手(金井美恵子、佐藤正午、長嶋有、絲山秋子、星野智幸、古川日出男など)よりも、「ふうん」程度に思っている有名文壇作家や、文学賞受賞作家などについておちょくりモードで書くときの方が、隠し味やスパイスが効いていて、読んでいて楽しい。本書の半分以上は、たぶん後者なのだ。

 だから、ふつうの書評とちょっとちがうのは、「よし、じゃ、これを読んでみよう」と思うことよりも(そういうことももちろんあるのだが)、「いけ、サイトー、もっと言っちゃえ」という気分になるのが多いことだ。知らなかった本を紹介してもらうというより、すでに読んだことのある本についてぴゅっぴゅっと突っついてもらう。そうすると、凝っているツボを押してもらったような、それでモヤモヤが解消されていくような、ほっとしたような解放感が得られる。

 何よりお説教をしない。これは批評家では珍しいことだ。もちろん実はそう見えて、しっかり説教も布教もしている、その証拠に斎藤美奈子のものを読むと、な~んとなく叱られたような気にはなるのだが、この人は威張らないで事をすませるのがうまい。たとえば、筆者の同業者がちくっとやられているところを引いてみよう。

 それでも陰でいじめを続ける子どもたち。しかし、アッシーはぐいぐい子どもたちをリードし、やがて彼らもラグビーの練習を通して変わってゆく。暗唱好きな点とか「この先生は斎藤孝の弟子か?」なところもあるけれど、おしまいではホロリとさせるし、こんな先生がいたらさぞや気持ちがよかろうとは思わせる。作者はフィリップ・ロスなどの翻訳でも知られる英米文学者だが、そういう人が小説を書くとどうして(以下略)。

英米文学者が出てきて、なんか心が痛む。引用しなきゃ良かったのだが、あまりに「(以下略)」が絶妙で…。それに、全体として、この小説は褒められていないわけでもない。あるいはこんな書き方もある。池永陽『少年時代』の評である。

そう。これが吉田川(長良川の支流)に面した八幡町の子どもたちの世界なのである。四国の四万十川には、笹山久三『四万十川』全6部(河出文庫)という少年の成長物語にして河川小説の傑作がある。四万十川と同じく最後の清流と呼ばれる長良川水系を舞台にした大河小説があってもいいし、ぜひ読みたい。『少年時代』のあんまりな結末に卒倒しそうになりつつ、長良川の復権のためにも、池永さん、続編をぜひ!
 こういう批評の方法が、昔からもっとあっても良かったのになあ、とも思うのだが、考えてみると、日本でもあるいは西洋でも、小説家に比べると批評家は男女比の片寄りが大きかったのではないだろうか。圧倒的に男が多かった。男が多いと、どうしても威張り合いとケンカが中心になる。何しろ、男というのは「男らしい」のだ。突っつきや隠し球よりも、切った張ったの権力闘争が中心となる。

 斎藤美奈子もときにケンカ腰にはなるが、たとえば上野千鶴子のような「ゲキ怖」タイプとちがって、「ちょい怖」くらいではないか。意地悪だけど、とどめは刺さないでくれる。ひょっとすると、下手に出たら許してくれるかも、と思わせたりする。ほんとは情に厚いんじゃないの?照れてて隠してるだけなんじゃないの?と期待させる。そんな「ちょっと怖いお姉さん」風情の批評がもっとあってもいいのではないか。

 『妊娠小説』にはじまる他の著作を確認すればわかるように、斎藤美奈子は流行をかぎ分けるだけの批評家ではない。おそらく一番の武器は「何か変だよな」という直感、というか違和感なのだろうが、切り口をつけるだけなのではない。そこからぐいぐいっと全体図を描いてみせる力業を持っている。今回の書評集でも、これだけ短い文章の集積でありながら、ある程度の大きな流れ(たとえば「L文学」とか「格差」)につながる瞬間がある。書きっぱなし、言いっぱなしではない。やはり、どこか批評家魂のようなものがうずくのか、ぱぁーっと見晴らしてみせるのだ。

 それがもっとも表れるのが、文章の出だしである。一冊の本につき、だいたい原稿用紙二枚と少しでまとめなければならない。実際に書いてみればわかるが、これはたいへん難しい。作家を紹介し、ストーリーを語り、しかも引用までしている。このスペースで、作品を越えた大きな枠組みの話をすることなど、不可能にも思えるのだが、秘密は出だしにある。

 角川書店の「野性時代」が主催する青春文学大賞は「作家も評論家も引っこんでろっつーの。おめーら、うぜーんだよ」というコンセプトの賞である。
 選考過程を見れば一目瞭然。なんたってこの賞は、候補作を誌面に載せて読者投票をやった後、「読者選考委員、書店選考委員、編集者選考委員計6名による最終選考を行い、受賞作を決定」するのである。ハハハ、そりゃそーでしょうとも。文学はどーせ読者と書店員と編集者のもので、批評家は必要ないのでしょーよ。
 で、読んだよ2005年の受賞作。木堂椎『りはめより10倍恐ろしい』。
スタートダッシュで一気に話をつくる。行けるところまで行っておく。このような短評だと、話を始めることよりも、いかに終わらせるかが難しいわけで、ロケットと同じ、出だしで思い切り勢いをつけておけば、着地点がうまく決まるのだ。逆にゆるっとはじまってしまうと、終わるに終われなくなる。ちなみに、この文章の結末は次のようになっている。
賞のありようと瓜二つ。悪い作品ではない。ケータイで書いた小説らしい言葉の連打感もある。でも、打たれ弱さを感じるのだ。強くなるには外の風にも当たらないと。

 ついでに他の出だしもいくつかあげておこう。

 村上春樹、初期三部作の主人公の職業はライターだった。しかしおそらくいまだったら、彼はネット関連の仕事をしていたのではなかろうか。
 ってなことを急に思ったのはあれの21世紀バージョン(?)を読んでしまったからである。中山智幸『さりぎわの歩き方』。2005年の文學界新人賞受賞作である。これが似ているのだ、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』(講談社文庫)とかに。とりわけ大事なことをさもどうでもよさそうに、どうでもいいことをさも大切そうに書く呼吸が。
 若手の演劇人が虎視眈々といい小説を書いているんだよねという印象を私は最近もっている。宮沢章夫や松尾スズキがそうであったように、前田司郎も本谷有希子も、戯曲と小説、両方の賞に名前があがる。彼らの特長は「彼はそのとき思った」式の、これが小説でござい、な書き方とは少しズレていることだ。岡田利規の初の小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』もそう。2編の短篇収められていて、うち一編「三月の5日間」は2005年に岸田戯曲賞を受賞した同名の戯曲の小説版だ。
一時期、金井美恵子の書評はだれも書きたがらないという噂があった。彼女の小説は大好きだが、書評は書きたくない。変なことを書いたら作者にバカにされるから。

う~ん。書評の出だしを集めただけで、一冊の本ができそうではないか?

 ところで、ふだん新聞や雑誌でお馴染みの斎藤節なのだが、こうして単行本で読んでみると、おや、と思うことがある。ふだん、新聞などでは気づかないこと。それは、この人、ずいぶん大きい声でしゃべるなあ、ということである。もちろん出だしからしてそう。理由はある。新聞にしても雑誌にしても、いわば騒々しい立食パーティのようなもの。そこに書くというのは、誰もこっちを見ていないパーティでスピーチをするようなものだ。それなりの大声でないと、耳など傾けてくれない。だから、単行本の静かな環境に移植してみると、その音量がきわだつ。

 これまでの文芸欄は、声を潜めることでこそ、一種の聖域をつくってきたのかもしれない。しかめっつらで、野太い声で、威張って見せたりして。そういうのをいったんチャラにして、いっそ声の大きさで勝負してみましょうよ、という体力と気迫のようなものを感じる。あるいは「文学」というフィールドがそこまで追いつめられてきた、ということかもしれないのだが、大きい声で、しかもツボに達するようなことを言える人が出てくると、批評界の何かが変わるのかなあ、とうっすら期待したくなる。


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