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2008年10月04日

『The Natural』Bernard Malamud(Farrar Straus & Giroux)

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「野球格差」

 文学関係者の間ではよく、「文学がわかる奴」と「文学がわからない奴」の線をどこで引くかが話題になることがあるが、そう言えば、かつて日本の小学生男子は「野球をする者」と「野球をしない者」とに分割されていたと思う。いわゆる「野球格差」である。

 ゴムボールによる草野球であれば、だいたい双方五人くらいいると、「透明ランナー」や「投げあてアリ」といったルールを使わなくてもいいような、そこそこもっともらしいゲームができる。あと2~3人欲しいというとき、誰に声をかけるか?そういうとき、「非野球者」は対象外となる。

 実際にその「野球っぷり」を見ないまでも、「非野球者」は顔でわかるとも言われていた。まあ、天体観測が趣味であったり、山岳部に入っていたり、将棋がやたらと強かったりする人が「野球者」である可能性は低い。小説を読むのが好きだったり、女の子に詩を書いて送ったりする人間は、どんなに基礎体力があっても(反復横跳びが速いとか、バク転ができるとか)、決して野球者にはなれないとも信じられていた。

 こう考えてくると、後に大人になって文化の中枢を担うことになるような男子は、子供のときはだいたい「非野球者」だったのではないかとも思えてくる。差別的で、封建的で、野蛮で、群衆的で、五分刈り的な「野球者」の共同体には、あまり文化の香りがしないのだ。

 日本でも評価の高いアメリカ作家、バーナード・マラマッドのデビュー作は野球小説だった。1952年の出版だが、80年代に映画化されてすっかりポピュラーになったので知る人も多いだろう。今でもメジャーリーグでは、小説の主人公ロイ・ホッブスをニックネームとしてつけれられる選手がいるくらいである。

 しかし、あの禁欲的で、正確で、皮肉の効いた文章の達人マラマッドが、いくらデビューするために出版社に認められる必要があったとはいえ、野球のことを書くとなるとここまでするのか、と思わせるくらいに、この『ナチュラル』という小説は漫画チックである。数ある野球漫画を私たちはすでに読んできたが、まるでそのまんま。

 主人公のロイは、30代半ばでメジャーデビューをする。そのプロ初打席。手に握るのは、雷に打たれた木を自分で削って作ったという「ワンダーボーイ」と称する怪しげなバット。しかし主人公がひと振りすると、放たれたボールはマウンド付近を襲う。かろうじて投手がグラブに収めたのはボールの皮だけで、何とボールの芯は遙か彼方まで飛んでいきました、というような場面が平気で起きる。ありえない。

 ある批評家が言っているように、『ナチュラル』はアメリカ版アーサー王伝説なのだ。ワンダーボーイは、アーサー王の魔法の剣エクスカリバー。王が傷だらけになることもまた、神話らしさを深める。冒頭で謎の女に銃弾を撃ち込まれる主人公ロイは、奇跡の復活を果たすも、ふたたび女にかどわかされ、最後は心身ともに傷つき、一度手にした栄光さえも失ってしまう。

 この小説、映画化は84年だが、もっと早く映画になってもおかしくなかったと思えるくらい、映画的シーンがふんだんにある。出だしは、たまたま同じ電車に乗り合わせたメジャーリーグMVP三度というスラッガーが、ロイに挑戦するというシーン。信じられれないような剛速球でロイは、このスラッガーをきりきり舞いさせる。しかし、ここから彼の運命が変わる。スポーツ選手の襲撃に快楽を見出す殺人鬼ハリエットは、このシーンを見て、ロイをターゲットとすることに決める。彼を部屋におびきよせ、いきなりピストルを取り出す。

 怪我から復帰してメジャーリーグデビューするまでに実に15年。弱小チーム・ニューヨーク・ナイツ(Knights、つまり騎士団)で何とか選手登録し、訝る監督の信頼を得て試合に出場しはじめると、ロイは驚くべき活躍を始める。そのプロセスでナイツの中心選手バンプがフェンスに激突して死ぬ、などという出来事があったりもする。そのバンプの残された恋人に、ロイは惚れてしまう。命取りになるのは、この片思いである。

 ギャンブルあり、買収あり、暴露あり。野球と闇社会とのつながりも、思い切り派手に描かれるし、悪役の描き方も徹底している。ストーリー展開は実にスピーディー、かつ暴力的なほど、単純。キャラクター描写とか、内面の掘り下げなどは後回し。

 しかし、なぜか読んでいて許せるのは、やはり野球と漫画の相性のよさゆえか。「ピッチャー投げました! あ、あ、何と言うことでしょう! こんなことがあっていいのでしょうか・・・!?」というシーンを、私たちは何度となく野球漫画で読んできたが、そういう懐かしいいかがわしさの源流がここにあるのだ。

A pitch streaked toward him. Toomey had pulled a fast one. With a sob Roy fell back and swung.
Part of the crowd broke for the exits. Mike Barney wept freely now, and the lady who had stood up for Roy absently pulled on her white gloves and left.
The ball shot through Toomey's astounded legs and began to climb. The second baseman, laying back on the grass on a hunch, stabbed high for it but it leaped over his straining fingers, sailed through the light and up into the dark, like a white star seeking an old constellation.
Toomey, shrunk to a pygmy, stared into the vast sky.

「観客が席を立ち始めたまさにそのとき!ピッチャーの股間を抜けたボールは天高く舞い上がり、夜空の星座の一部となりました・・・」(やはり基本はセンター返しなのだ)。野球俗語をふんだんに用い、語りのスタイルもその俗語のノリに合わせて粗っぽくしてある。そのガタゴトした語りの中で、あり得ない神秘の瞬間を幾度となく描くというところに、中世ロマンスと野球ロマンスの接点が見られるようだ。


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