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2008年08月25日

『苦海浄土 わが水俣病』石牟礼道子(講談社)

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「誰が書いてもいい話」

 よく知られた事件についての、たいへん有名な作品である。刊行は1969年だから、ほぼ40年前。

 意外とよく知られていないのは、水俣病にかかわる裁判が、2008年の今なお係争中だということである。そこで、たとえば、その話を聞いた筆者のような者が、「へえ、そうなんだ」と思ったとする。たまたま九州に行く用事がある。せっかく初の九州行きだから、福岡だけでは何だし、せめて熊本まで行ってみよう、などと思ったりする。熊本の城を見物し、時間があって天気が良かったら阿蘇山の方まで行ってみようかと地図を広げると、熊本の向こうはもう鹿児島である。九州の中でも異世界であった薩摩の歴史に思いがおよぶ。気分はたかまってくる。

 そこで、ふと海沿いの「水俣」という地名に気づく。そうか、こんなところにあるのか、と思う。行ってみようか、と考える。でも、熊本県の最南端、鹿児島との境に接する水俣市は、かなり遠い。わざわざ行くべきか、どうか、と悩んだりする。行ってどうするのだろう。

 水俣市は今では環境都市として有名なのだという。その一方でまだ裁判は行われている。チッソは企業としていよいよ成長している。水俣の町では、今でもチッソの悪口を言うことがタブーで、たとえば裁判の応援をしに町を訪れた人は、そのことをタクシーの運転士さんにでも言わない方がいいらしい。反対に、水俣出身の人が自分が水俣出身であることを隠す、ということがあったりもする。

 『苦海浄土』は水俣病を書いたものである。水俣の近くに生まれた著者が、距離などおかず、あからさまな愛情と慈しみをもって、この病に苦しめられた人々の姿を書く。また、病を引き起こした工場の振る舞いの記録をつづる。一度読んだらそう簡単には忘れられない描写が、これでもかと続く。

 たとえば「舟を焼く仕事」。舟を焼くというのは、漁師が舟の底にくっつく牡蠣殻や、藤壺の虫をとりのけるためにすることである。陸にひきあげた船体を斜めに倒し、舟底に薪をくべ、舟火事にならぬようにこれらを焼き落とす。なかなか面倒な作業である。

その手間をはぶくために、わざわざ百間の港まで、持ち舟を連れて来て、置き放すというのだった。きれいさっぱり、虫や、牡蠣殻が落ちるというのだ。百間の港の「会社」の排水口の水門近くにつなぎ放してさえおけば、いつも舟の底は、軽々となっている、というのであった。

 そのうちに漁獲高が目に見えて減ってくる。水に魚が浮くようになる。それから猫がやられた。「猫が舞って死ぬ」との噂が流れる。「舞う」のは、神経の異常のためである。次は人間だった。海沿いの部落で病人が出始め、工場が排水口の向きをかえると、こんどはそちら側で病人が多発する。

 はじめて病人が出た頃、この原因不明の奇病は伝染病と誤解されがちであった。当然、余計な恐怖心を持つ者もいた。

この頃、看護婦さんが、手が先生しびれます、といいだした。看護部さんたちが大勢で来て、先生うつりませんかという。よく消毒して、隔離病院にうつすようにするというと、うつらない証明をしてくれという。このとき手がしびれるといった湯堂部落出[水俣病の多発地帯のひとつ]の看護婦さんは、あとになって胎児性[水俣病]の子どもを産むことになった。まさかそこまではそのとき思いおよばなかった。

 水俣病は伝染病ではない。しかし、この病気の出発点は、まさに「手が先生しびれます」という感覚なのだ。現在絶版だが、吉田司『下下戦記』(白水社)には次のような一節がある。

ところが今度ぁ、あたしが身体中痺れっきたったい。手とか指とか、足ン痺れひどうなって、なんじゃ手袋はめて物ば触っとる気色で、富子と清治に飯食する匙ばポロポロ落とすわけたい。茶碗まで落として割ってしまうわけたい。『あれーッ、こりゃいかん。まさか富子ン病気が伝染ったわけじゃなかろうねえ』もう居ても立っても居られんわけ。夜中他ン患者が寝てしもうてから、こっそり病院の炊事場さ行ったったい。なんとかこン痺れ取ってやれッち思て、指先ばゴシゴシ軽石でこすってみた。ゴシゴシゴシゴシ、取れんとたい、痺れが。今度ぁコンクリートの壁にこすりつけて、ゴシゴシゴシゴシ。

水俣病は何よりも「わからない病気」だった。何であれ、わからないということ自体、人間にとっては不気味なのである。コンクリートに指をこすりつけてでも取り去りたい、得体の知れない痺れは、原初的な恐怖を呼び起こした。

 著者石牟礼はとにかく水俣病のすべてを見ようとしてきた。東京から視察に訪れたチッソ社長の車をタクシーで追うこともあれば、大学病院に頼んで患者の解剖に立ち会うこともあった。この本の力づくの文体には、力づくの視線が感じられる。

彼女のすんなりとしている両肢は少しひらきぎみに、その番い目ははらりと白いガーゼでおおわれているのである。にぎるともなく指をかろく握って、彼女は底しれぬ放意を、その執刀医たちにゆだねていた。内臓をとりだしてゆく腹腔の洞にいつの間にか沁み出すようにひっそりと血がたまり、白い上衣を着た執刀医のひとりはときどきそれを、とっ手のついた小さな白いコップでしずかにすくい出すのだった。

凄惨な場面だが、こうして著者の佇む気配がそこにあると、読んでいて、なぜか少し安心する。

 だが著者の石牟礼が、自分のことをはっきりと語る場面は多くはない。釜鶴松の死に際、とても往生などできそうにないその眼差しを見て著者は思う。

 そのときまでわたくしは水俣川の下流のほとりに住みついているただの貧しい一主婦であり、安南、ジャワや唐、天竺をおもう詩を天にむけてつぶやき、同じ天にむけて泡を吹いてあそぶちいさなちいさな蟹たちを相手に、不知火海の干潟を眺め暮らしていれば、いささか気が重いが、この国の女性年齢に従い七、八十年の生涯を終わることができるであろうと考えていた。
 この日はことにわたくしは自分が人間であることの嫌悪感に、耐えがたかった。釜鶴松のかなしげな山羊のような、魚のような瞳と流木じみた姿態と、決して往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ。

 この本を読むことが、著者の言う「自分が人間であることの嫌悪感」に直結するのかどうか、筆者にはわからない。少なくとも、この本に書かれているのは病気のことだけでない、あるいは企業の振る舞いや、それに向けられた感情や、水俣のさまざまなしがらみだけではない、ということは言えると思う。とにかく水俣という場所がそこにある、という気にさせる。次に地図を見るときには、そこに目がとまる。「水俣とはいかなる所か」という言葉に続く説明の中に、「天気予報をきくには、鹿児島地方、熊本地方、人吉地方をきいて折衷せねばならない」という箇所があるのがとても印象に残った。

 誰が書いてもよかった話を、誰が書いてもいい文体で書いたところがすごい、という本ではないだろうか。
 


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2008年08月11日

『東大入試 至高の国語「第二問」』竹内康浩(朝日新聞出版)

東大入試 至高の国語「第二問」 →bookwebで購入

「ずるい本」

 ほんとうはこの本、筆者が書評に取り上げるべきでないのだろう。
竹内氏は筆者の大学時代の同級生であり、テニスのお師匠さんであり(「お、あべ~、スピンかかるようになったじゃん!」というような青春のひとコマがあった)、しかも本書には著者の文章が引用されてもいる。これではいかにも、内輪褒め・提灯持ち・我田引水・利権てんこ盛り型書評の典型である。

 たしかにそうかもしれないのだが、この本、正直言って、いろいろ叩かれそうな気がするし、しかし、自分こそがこの本の「いい感じ」をわかってもいるという妙な自信も今回はあるので、どうぞ勘弁してもらいたい。そういうインチキ書評は読まない、という正しい感覚を持っている方はどうぞ読まないでください(最近、偉い先生の書評は、そういうインチキがけっこうありますからね)。

 実に変な本である。タイトルからして、すばらしく格好いいけどまったく意味不明。つい頁をめくると、突然「人生の難問なんて、死ぬこと以外、他にいくつあるだろうか」と信じられないほど直球の文章がつづく。しかし、この時点でもまだ意味不明。それからいよいよ東大入試の話となる。焦点は国語の問題、それも「第二問」だという。

 じつは1999年まで東大入試現代文の第二問は、「二百字作文」として知られる独特の問題だった。文章の一節を読ませた上で、受験生の感想や考えを問うという形式で、見るからに採点がたいへんそうなわりに、たぶんあまり差はつかない、そんな実に高潔な問題だった。だからこそ、入試の顔ともなる。本書の縦糸となるのは、言ってみれば(しかし、竹内はそんな野暮な言い方はしないのだが)「東大入試現代文の第二問の歴史性・文化性・象徴性を問う」というようなテーマだ。竹内はこの「至高の第二問」の歴史を30年ほどにわたって検証し、それがいったい何を問題にしてきたか、そこに注目すると、いろいろと見えてくることがあると主張する。

 最初にとりあげられるのは、1985年3月に出題された「金子みすゞ」の「積もった雪」および「大漁」というふたつの詩作品である。設問は次の通り。「次の二つの詩は同じ作者の作品である。二つの詩に共通している作者の見方・感じ方について、各自の感想を一六〇字以上二〇〇字以内で記せ。(句読点も一字として数える。)」

「積もった雪」

上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。

下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。

中の雪
さみしかろな。
空も地面(じべた)もみえないで。

「大漁」
朝焼けだ小焼けだ
大漁だ
大羽鰯の
大漁だ

浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰯のとむらい
するだろう。

 この詩をどう読むか。竹内は、齋藤孝らによる、受験あんちょこ本の解答をひいた上で、「声無きものの声を聞く」といったような模範解答に潜む「いい人コンテスト」的な態度を批判する。そして、ほんとうに大事なのはもっと注意深く詩行を読むことだとし、レディメイドの「感想」とか「同情」に走ることなく、作品の構造をしっかりととらえることの重要性を解く。その結果出てくるのは、「見えないものに対する想像力」といった安っぽい倫理性ではなく、「お互いがお互いの不幸を呼び寄せているという連鎖」の認識だという。こうして本書における「死」との対話がはじまるのである。竹内の読解はあざやかで、構造分析とはそういうものか、と思わせてくれる刺激に満ちている。つまり、本書の今ひとつの重要な側面は、実践テクスト分析練習帳としての啓蒙性である。

 この辺までくると、あ、と思うひともいるかもしれない。若くしてサリンジャーに関する先鋭な研究書を二冊も出した竹内は、英文学研究の基本をしっかりと体得した読み巧者としても知られてきた。こうしてみると、その批判の手際や、うまく距離を置きつつしっかりとテクストの本質を射抜く洞察に、竹内の「英文学性」が与っていることは間違いない。

 しかし本書は、いたずらに読みにくい文章で難しげに偉そうに「イデオロギー批判」を展開する悪しき英文学性に陥ることはない。それどころか、竹内の文章は誘惑的なまでに読みやすく、まるで「あたしのこと、ほんとうに好きなの?」という問いに答えぬまま事を進める紳士みたいに、いつの間にか頁を繰る手は止められない、ということになっている。

 念のため断っておくが、竹内は――私の知る限りは――まったくディーセントな快男子。でも、この本、ずるいなあ、と思うのは、最後まで読むと著者のことを好きになるようにできているのだ。

 その秘密のひとつをばらしておこう。なぜ、本書が1985年の入試から話がはじまるのか?ということを考えなくてはならない。ここで同級生としての筆者の知見が生きてくるのだが、要するにこの問題、竹内が受験生として解いた問題なのである。同じ年に入試を受けた筆者も、この問題のことは覚えている。たしかに印象は強かった。

 なぜ、そんなことが重要になるかというと、本書の出発点はここにある、つまり、この本は自伝だということなのである。あとがきにもあるように、竹内は高校生の自分自身に向けて語りかけている。だから嘘も、てらいも、ない。恥ずかしいほど愚直で青臭く見えるかもしれない問題系(「自分を見つめる」「常識を疑う」「自然によって「生かされている」という負債感」などなど))を、驚くほどのスリリングな手つきで扱い、それを青臭くも愚かにも感じさせないのは、竹内がどこかでこの問題を、自分で、生きているからなのである。だから、同じようにこの問題を生きる余力を残している若者に、これほど素直に語りかけることができる。

 書く、ということについて、そんな当たり前のことをあらためて考えさせる本である。

 この本を読んで、その断定調が気になる、という人がいるかもしれない。たしかに竹内は、多くの構造分析者とちがって、真っ向から対決を挑んでくる。そんなにまともに言ったら、自分が構造分析されちゃいますよ、と言いたくもなる。しかし、書くことを生きるとはそういうことなのかもしれない。まるで小説のようなのだ。だから、前半の勢いが、後半ちょっと衰えても、そこは赦してやってもいいでしょう、という気になる。

 それにしても不思議な本だ。圧倒的な筆力で読ませるわりに、最後まで目的地がわからない(受験参考書? 受験批判? イデオロギー批判? 文化批評? テクスト批評? 文章読本? 死生学入門? 倫理学研究?)。しかも対象としているテクストは東大入試現代文「第二問」という、永遠に「著者」の隠されたテクストなのである。しかし、おそらくはそこがこの本の魅力。書き手としての才能に恵まれながら、純粋英文学研究の枠内ではつねに居心地の悪い思いをし、下手をすると英文学から逃れて車の中でサンドイッチをつまむような運命を生きながら、書き続けていくしかない竹内の姿がそのまま投影されているのだ。だまされてみる価値はあると思う。


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