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2008年03月10日

『乳と卵』川上未映子(文藝春秋)

乳と卵 →bookwebで購入

「西村さんと似てる」

 これだけ話題になっている人だし、今さら宣伝しても意味ないし、書評なんか書かないぞ、と思って手に取ったのだが、読んでしまうとあっさり気が変わった。関西弁でしゃべる女は許せないと思っている関東のおじさん、若くて美人で芸があって過去がある女は得だなあ、なんていうありがちなオヤジ的偏見はただちに捨てねばなりません。

 とにかくすごい日本語である。こんなこともするし、あんなこともするし、ええ!まさかそんなことまでするのか、という必殺技が次々に出てきて、「あ、それやっていいんだったら、もっと早くやれば良かった、ずるい」という妙な嫉妬というか後悔みたいなものまで芽生えてきた。ちゃんと説明書を読んでおかなかったから、まだ知らない日本語の機能がいろいろあることに気がつかなかったのだ、何たる残念さ。

 とにかくすごい日本語である、みたいなことを最近もこの欄でも書いたような気がするなと考えてみたら、今回の芥川賞で川上さんに敗れ去った西村賢太である。そういえば、このふたりどこか似ている。

 まずは日本語のやわらかさ。方言だの、擬声語だの、会話だの、理屈だの、全部混ぜちゃったって意外と大丈夫なんですよ、という日本語の持っている闇鍋みたいな包容力を知り抜いて、でもダシの加減だけはしっかりコントロールしてある。中心軸は案外、ぶれない。

 それと、とにかく火を絶やさないのが肝心だ。こういう小説は、言葉が止まってしまったらおしまいである。だからふたりとも、センテンスが平坦で、長い。変にがちっと落としたりせず(つまり語り手が威張らない。辛抱強い)、いつまでも終わらないかのように見せる。センテンスが長い→息が長い→胸が暖まっている→血流が良い…何でもいいから、にょろにょろと言葉が動いていくことで、温度の保たれた世界に読者を引きづり込むという手口である。だからいったん読み始めると、やめられない。気持ちの良い風呂から出られないみたいな気分だ。

 ただ、西村の場合はそこからが意外と観念的で、藤澤清造への執着とか、女とか、人生だの目的だの愛だの恋だの金だのという話。川上未映子の方も、金だの女だのセックスだのを仄めかすのだが、観念に走るのを最後まで我慢して、替わりに、ゼリーとか、おっぱいの中身とか、生理の血とか、生卵とか、涙とか、ほんとに「じゅるじゅる」したものを次々に繰り出す。

 ふたりともコロコロと声色が変わるのだが、西村はそれとセットで、ほとんど嘘みたいにスーツやら、ジュラルミンの鞄やら、藤澤清造やらに執着する。川上は、読んでいてどうも感じるのだが、自分で自分に飽きちゃう、みたいな屈託のなさが感じられる。言葉離れがいい。感情のキレがいい。たとえば:

母の顔は、友達に自慢の出来る具合のわかりやすい美人で、しかしわたしらは母にはまったく似なかったので、よく行く近所の駄菓子屋のおばちゃんにはあんたらはお母さんだけで生まれてきたらお母さんのまんまの顔やったのにねえ、混ざったから、しゃあないわねえ、あんたらのお母さんはほんまにきれい、と笑いながらに云われたことなどを思い出して、肝心な母の顔は詳細を思い出せんのやった。

「お母さんだけで生まれてきたらお母さんのまんまの顔やったのに」とか「混ざったから」なんて、実にテキトーでいい。しかも、言ったそばから言葉が消えていくようなこういうテキトーな感じの中で、「父の不在」問題はしっかりとらえてあって、次にもつながる。

 筆者の最大お気に入りは風呂で語り手が巻子と女たちの乳を徹底的に吟味するところと、地震とジンクスの箇所である。前者から引用しよう。豊胸手術を目指す姉が、自分の乳首を妹に見せながら語る言葉である。

それから巻子は溜め息をついて、そやけどこれでもだいぶましになったほうやねん、と打ち明けるように云った。「あたしも子供を生むまえはゆうてもここまでじゃなかった。そんな変わらんと云われるかもしれんけど、そら滅茶苦茶にきれいではなかったけど、そやけど、これ見て。これはないよ。色も大きさも何でここにオレオがっていうこれはないよ。ま、オレオの今はまだましで、最強の時はアメチェ色、知ってる?アメリッカンチェリーな。あの色、すんごい色な。ただの黒じゃないな。赤が混じった黒っていうかな。大きさもな。なんていうの、乳首だけで、乳首部だけで余裕でペットボトルの口くらいになってさ、(後は省略)」
「オレオ」もすごいが、「アメチェ色」には感動した。「アメリッカンチェリー」の「ッ」もいい。さっきの引用にも増してテキトーで、どんどん飽きて捨てていく感じで、でも、しっかりこういう箇所も女の「卵」の話とつながるわけね、と思わされる。

 たぶんこういう細部をぜんぶ漂白して粗筋だけ取り出したら、この小説の枠組みは、昼メロそのものである。夫に捨てられ、声を出さない娘を連れた四十がらみの女。上京。失った若さへの思い。親族とのからみ。子供の頃のこと。助言。心配。子供の叫びによるクライマックス。(ちなみに本コーナーの大竹昭子さんによる書評に、たいへん丁寧なストーリー解説があるので、是非ご一読を)

 西村の場合、私小説という設定はそもそもの看板だが、川上も私小説ではないのにどことなく私小説は漂うような気がするのはなぜか、と考えてみると、こうした人情話に特有の、行っては戻ってくるようなどっぷりとした日常感覚が、アンダーを着ずに、直に上着をまとってしまうような、言葉との遠慮のない、馴れ馴れしいような付き合い方とつながるせいかと思えてくる。自分には自分しかない、とでもいう、失うとか失なわないとかを意識しない平然とした態度は、ぜんぜん貧相ではないし、たとえ、ひょっとしたらやせ我慢かもしれなくとも、実に粋なのだ。

 それにしても体力を使いそうな文章だ。そんな歌い方で十年つづけたら喉をつぶすよ、などと言われた有名歌手がかつていたが、こういう濃度の高い、気合いのこもった禁欲的なまでのテキトーさを維持していくのは、実にたいへんなことだ。散文と呼ぶだけでは足りないような、新しい呼び方があってもいいような種類の小説だと思う。


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