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2007年05月15日

『詩と国家』菅野覚明(勁草書房)

詩と国家 →bookwebで購入

「倫理学と「ひとめぼれ」」

 ふだんはあまり足を踏み入れない近所の書店で、そうか、ここにも詩の棚があるのか、と眺めていたらたまたま書名が目についた、という本である。
 こんなどうでもいいことを書くのは、実は『詩と国家』のテーマがまさに「たまたま」と関係しているからだ。たまたまの出逢いというものに我々は弱い。書物はその典型例だろう。古本屋で思いもかけない掘り出し物に遭遇した、といった類のエッセーが多いことからわかるように、本を読む人というのは、たまたま手に取った見知らぬ書物に感動させられたいと思うものだ。ロマンスの香りめいたものがそこには漂う。

 それもそのはず、「たまたま」の根本には恋愛的なものがあるらしい。恋が恋となりうるのは、「私」と「あなた」が既にある役柄や関係性には還元できないような、根源的な出逢いをするときだという。こうした関係を菅野は「初対面」と呼んでいる。ただし、この「初対面」が成立するためには、必ずしも「わたし」と「あなた」が出会うのがはじめてである必要はない。菅野は次のように説明する。

「初めて逢う」とは、おそらく、既知のかたまりにおいて、その内なる何らかの未知性と出会うことであるだろう。既知のどのような役柄とも当てはまらないところで、相手の未知性と出会うことこそが、初対面という出会いの本質を成しているのではないだろうか。裏返していえば、「初めて逢う」出会いは、必ずしも両者が「初対面」であることを要しないのではないだろうか。

 実は私も著者の名前を知らないわけではない。というか、この人、私の同僚なのだ。少なくとも二週間に一度は同じ会議に出席している。でも、もう七年も同じ職場にいるのに、ご縁がなくてお話ししたことはない(会議の出席者は百人くらいいる。あと、菅野さん、頭を剃っているから、不良っぽく見えるし)。そんなとき、突然、書名が目にとまったのだ。「初対面」の典型とも言える出逢い――既知なのに、未知という出逢いだ。

 『詩と国家』への入り口としてもっともおすすめなのは、こうした出逢いの問題が恋愛譚とからめて論ぜられる「初対面とはどんな関係か」というセクションである(第三章の終わり)。ぱらぱらと頁をめくり、そこに「出逢い」の目を感じたなら、まさに読者にとっての「恋愛」の予兆だろう。

 「初対面」から出発して菅野は、「ひとめぼれ」の奥義へと話を進める。「赤い糸」などと形容されることの多い運命的な出会いとはいったいどのようなものなのか。それは一切の了解事項なしに「出会った瞬間相手のすべて(相手の「我」そのもの)を了解するような間柄」なのだという。相手の未知性と出会うことは恋愛においては必須なのだが、それでいてなお、相手をわかってしまう、という不思議な感覚が発生することがある。それが「ひとめぼれ」だという。

 会ったことのない、何ら接点を持たない者同士が、なぜわかりあえるのか?了解を可能にするような「約束事や文法」があるのではないか、と菅野は考える。ここで関係してくるのが「歌」、つまりタイトルにもなっている詩の概念である。何ら既知の了解を持たないはずのふたりがわかりあえるのは、わかりあいの深さを「屈折」(あや)のうちに表現しうるジャンルとしての詩歌なのである。

 日本的な詩歌の本質を言い当てる概念として使われてきた「あはれ」は、通常の「知る」行為とはやや別の形で対象に反応するような、いわばオルターナティヴな対象理解の作法を示す言葉である。また「あはれ」と密接にからむのは、自分にとって特別な意味を持つ何かを、「この」と指さしうるような、「このもの」の存在性に向けた敏感さでもある。このあたり、和辻哲郎を媒介にして現象学的なアプローチを日本的な情感としての「あはれ」に接合しようとする菅野の手さばきが冴える箇所である。

 話はこうして歌から、「挨拶」の問題へと進む。そもそもどうして人は、話を切り出すのに苦労するのか。文章の書き始めで四苦八苦するのか。どうもそこには、言葉と人をめぐる根源的な困難が潜んでいるらしい。挨拶すること、切り出すこと、はじめること、はじめて逢うこと、言葉がそうでないものから言葉になること ―― 一連の問題がつながってくる。

 著者の菅野覚明は倫理学者。タイトルは見てのとおり、堅い。しかし本書には「へえ、倫理学って、そういうことを考えるものなんですねぇ」と思わず話し言葉で言いたくなるような、切り口の自在さがある。で、「国家」の問題はどうなるんですか?という疑問がわいてくるかもしれないが、これは是非、本書を手にとって確認していただきたい。


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